まず、最初のブリテンの「4つの海の間奏曲」ですが、これは都響の美しいアンサンブルが光る演奏。冒頭から。ヴァイオリン群のユニゾンの響きの美しさに魅了されます。ブリテンの傑作オペラのドラマティックな内容を彷彿とさせる演奏でした。
次もブリテン。テノール独唱と弦楽合奏による《イリュミナシオン》です。これは参りました。精妙なボストリッジの歌唱が素晴らしくて、心に迫るのですが、浅学なsaraiにとって、ランボーの詩の内容が難解で意味が理解できません。フランス語はもちろん分かりませんが、その日本語訳も意味不明なんです。同性愛者だったブリテンの同性の恋人への心情もこめられているそうですが、これもあまり理解できません。決して耽溺的な音楽ではありませんが、魂の叫びらしきものは感じられます。浅いレベルで音楽は楽しめましたが、文化的に深いレベルでの同調はできなかったというのが正直なところです。芸術文化への理解がそれなりにできているつもりでしたが、あまりに自分のレベルの低さに落ち込みました。まずはフランス詩を少しは勉強しないと話になりませんね。自分の弱点を知りました。残念です。
休憩後、ドビュッシーの《夜想曲》です。いかにもドビュッシーらしい音楽が流れます。指揮者の大野和士によると、最初の曲の「雲」はセーヌ川の上に浮かぶ雲が描かれており、ドミソの和音のドが欠如しているために無重力的な浮遊感があるのだそうで、もし、ドの音が和音の底部を支える音として付きまとえば、雲はたちまちにして、セーヌ川に落ち込むそうな・・・。この音楽家的な発想は彼が子供のときから感じていたというのですから、やはり、音楽家は我々、素人とは次元を異にしていることが分かります。saraiのような素人が聴けば、ドビュッシーの東洋音階に基づく不安定感のある和音の響きで、とりとめのない柔らかさが雲を表現しているようだとしか感じられません。茫洋としたドビュッシーの音楽をそういうことを思いながら聴いていると、どうやら退屈せずに済みました。なお、その大野和士のメッセージを今月の解説から見つけ出したのは配偶者でした。彼女も見るべきところを見ていますね。まあ、大野和士と配偶者のお陰でドビュッシーの音楽をいつもと違う観点で楽しめました。
最後はスクリャービンの《法悦の詩》です。今のところ、スクリャービンは初期の頃の美しい作品のほうが好みです。神秘主義に走った後の作品はまだ何とも感想がありません。まあ、都響のきらめくような音響の洪水は凄いですけどね。おいおい、スクリャービンも聴き込んでいきましょう。
今日のプログラムは以下のとおりでした。
指揮:大野和士
テノール:イアン・ボストリッジ
管弦楽:東京都交響楽団
ブリテン:歌劇『ピーター・グライムズ』より「4つの海の間奏曲」Op.33a
ブリテン:イリュミナシオン Op.18
《休憩》
ドビュッシー:《夜想曲》より「雲」「祭」
スクリャービン:法悦の詩 Op.54 (交響曲第4番)
今回も大野和士のプログラムは意欲的ではありました。また、何と言っても、ボストリッジの多彩な表現の歌唱が聴けたのも収穫でした。そのうち、ドイツ・リートも聴かせてもらいましょう。
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