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ブリュッセルで美術三昧:ベルギー王立美術館、氏名不詳の初期ネーデルランド派の画家たち、そして、謎多きロベール・カンパン

2015年7月5日日曜日@ブリュッセル/7回目

ベルギー王立美術館Musées royaux des beaux-arts de Belgiqueの古典絵画エリアを鑑賞しているところです。現在見ているのはフランドル絵画、オランダ/ベルギー絵画です。
メムリンクに続いて、フランドル絵画を鑑賞します。

南ネーデルラント派(ブリュッセル)の画家による《ジーリックジーの三連祭壇画の扉絵(フアナ (カスティーリャ女王)とフィリップ美公の肖像)》です。1495年~1506年に描かれた作品です。これは三連祭壇画の扉絵ですが、通常と違って、この扉絵こそ重要です。まあ、saraiが勝手に思っているだけかもしれませんけどね。右側のパネルに描かれた女性は誰でも一度見るとはっとして忘れられないでしょう。

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女性のパネルだけに注目しましょう。何と艶やかな女性でしょうか。単に綺麗な女性かと思っていたら、実はスペインのイザベル女王(カスティーリャ女王)とアラゴン国王フェルナンド2世の娘という超名門出身なんです。フアナJuana(1479年11月6日 - 1555年4月12日)というカスティーリャ美人です。本当にこんなに綺麗なのかは定かではありませんが、saraiは信じることにしましょう。彼女は上の左側のパネルに描かれているフィリップ美公と情熱的な結婚をします。このフィリップ美公はハプスブルグ家のマキシミリアン1世(神聖ローマ皇帝)とマリー・ド・ブルゴーニュ(ブルゴーニュ公国最後の君主)の間に生まれた長男です。マリー・ド・ブルゴーニュと言えば、今もブルージュの聖母教会に眠る《美しき姫君》として知られています。その息子のフィリップですから、当然、イケメンだったようです。名門の美男・美女の結婚だったんですね。フアナとフィリップ美公の間に生まれたのがカール5世(神聖ローマ皇帝)です。ハプスブルク帝国の絶頂を築いた偉大な王です。カール5世は有名な肖像画が何枚もありますが、残念ながらイケメンではありませんね。何故でしょう? また、フアナの妹キャサリンはイギリス国王ヘンリー8世の妃として有名です。ヨーロッパの王家の輝かしい栄光がこの絵に描かれているのですね。しかし、フアナの末路はあまりよくなかったようです。母イザベル女王の死去でカスティーリャ女王となりますが、夫フィリップ美公の色恋沙汰に悩まされて、不仲となります。その夫が早くして亡くなった後は完全に正気を失い、狂女と呼ばれます。王位にありながらも40年も幽閉生活を続け、そのまま死去します。やはりイケメン夫を愛し続けていたのですね。フアナの幽閉生活の間、息子のカール5世(スペイン国王としてはカール1世)がぐんぐん頭角を現して、国力の増強を果たしますから、フアナの幽閉も無駄ではありませんでした。なお、息子のカール5世はそんな母親でもフアナを愛していたようで、フアナが崩御した後は地位と領土を息子フェリペ2世と弟フェルディナント1世に譲ります。これを持って、強大なハプスブルク帝国はスペインとオーストリアに2分されることになります。

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小説にでも書けるようなストーリーがこの2枚の扉絵にひそんでいました。やはり、ヨーロッパの美術館は面白いですね。ヘンリー8世とキャサリンのスキャンダルなど書きたいことは多いですが、このへんで止めておきましょう。

初期フランドル派の画家、いわゆる聖カタリナの伝説の画家Maître de la légende de Sainte Catherineによる《聖カタリナの伝説からの場面》です。作者は氏名不詳で、この作品にちなんで、聖カタリナの伝説の画家と呼ばれるようになりました。この画家は1470年~1500年にかけてブリュッセル周辺で活躍したことが知られています。この作品は聖カタリナの伝説のうち、神秘の結婚の場面が描かれています。画面の右下では聖カタリナが幻視によって、聖母マリアに会って、イエスと婚約する場面が描かれています。左下では、現実に教会でキリスト(実際は十字架像)と結婚する場面が描かれています。後に彼女は車輪にくくりつけられて転がされる拷問の末、斬首刑によって殉教します。

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初期ネーデルランド派の画家、いわゆる聖ルチアの伝説の画家Maitre de la La légende de Sainte Lucieによる《聖母子が聖女たちに囲まれている場面 (Virgo inter Virgines)》です。作者は氏名不詳で、聖ルチアの伝説の画家と呼ばれています。この画家は1480年~1501年にかけてブルージュ周辺で活躍したことが知られています。この作品は聖母子を聖女たちが囲んでいる場面を描いています。聖女たちはおそらく、聖アグネス 、聖ルチア 、聖チェチーリア 、聖カタリナ、 聖バルバラ 、聖ウルスラ 、聖アガタといったあたりでしょう。

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ベルギーの画家、いわゆる聖ウルスラの伝説の画家Maître de la Légende de sainte Ursuleによる《聖アンナと聖母子が聖人たちに囲まれている場面 》です。作者は氏名不詳で、聖ルチアの伝説の画家と呼ばれています。この画家は15世紀の終わりにブルージュ周辺で活躍したことが知られています。この作品は聖アンナと聖母子を洗礼者聖ヨハネ、聖ルイ、聖カタリナ、聖バルバラが囲んでいる場面を描いています。細部まできっちりと描き込まれ、色彩も鮮やかなフランドル絵画の名作です。

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ネーデルランドの画家、ロベール・カンパンの《受胎告知》です。作者は名前が特定されず謎の画家と言われて、仮にフレマールの画家と呼ばれていましたが、近年、ロベール・カンパンこそ、その人であると資料などにより解明されました。フレマールの画家という呼び名は、ベルギー南東部の町リエージュ近郊にあるフレマールという町にある修道院にあったという祭壇画にちなんだものです。なお、そのフレマールの祭壇画はフランクフルトのシュテーデル美術館に所蔵されています。この作品は緻密な画面構成、鮮やかな色彩の油彩が印象的ですが、ヤン・ファン・エイクと同時期に油彩表現・技術を確立した先駆的な作品のひとつです。作品自体の完成度の素晴らしさはもちろんですが、ネーデルランド絵画の創始者として、弟子のロヒール・ファン・デル・ウェイデンを始めとして、後続の西洋美術へ多大に貢献したことは疑いない事実です。
この作品《受胎告知》は彼の代表作の三連祭壇画『メロードの祭壇画』の中央パネルの《受胎告知》とほぼ画面構成が同じです。『メロードの祭壇画』はメトロポリタン美術館の別館クロイスターズに所蔵されています。よく見比べると、マリアの顔と大天使ガブリエルの顔の描き方がかなり異なっています。もしかしたら、このベルギー王立美術館の作品は弟子のロヒール・ファン・デル・ウェイデンもしくはジャック・ダレーの模作かも知れません(saraiの勝手な見解)。実はそれほど、『メロードの祭壇画』は素晴らしく、ヤン・ファン・エイクと並び立つほどだと感じます。実際に生で見たわけじゃありませんけどね。

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参考のために、その『メロードの祭壇画』をご覧ください。

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さらにその中央パネル《受胎告知》の主要部分を拡大してご覧ください。素晴らしいですね。

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次はそのロベール・カンパンの弟子にして、初期ネーデルランド絵画をヤン・ファン・エイクとしょって立つロヒール・ファン・デル・ウェイデンの作品群を見ていきます。



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ブリュッセルで美術三昧:ベルギー王立美術館、ロヒール・ファン・デル・ウェイデン

2015年7月5日日曜日@ブリュッセル/8回目

ベルギー王立美術館Musées royaux des beaux-arts de Belgiqueの古典絵画エリアを鑑賞しているところです。現在見ているのはフランドル絵画、オランダ/ベルギー絵画です。
謎の画家ロベール・カンパンに続いて、彼の弟子ロヒール・ファン・デル・ウェイデンの作品を見ていきます。

ロヒール・ファン・デル・ウェイデンの《聖母子》です。制作年は不明です。この作品は大変に美しく、さすがにファン・デル・ウェイデンだと思いましたが、どうやら、作者はファン・デル・ウェイデンとは認められていないようです。そもそも、ちゃんとファン・デル・ウェイデンだと絶対的に認められている作品はひとつもなく、3作品のみが一応、真作であろうと言うことになっているだけのようです。それはファン・デル・ウェイデンがいったん歴史の闇に消え去った画家であり、最近になって、ようやく、ヤン・ファン・エイクにも並び立つ画家と言う評価になったため、多くの作品が失われたり、資料が失われたからのようです。そういう事情はともかく、また、この作品が誰の手になるものかをさておいて、美しいものは美しいとsaraiは断じたいと思います。マリアの気品あふれる様はどうでしょう!

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ロヒール・ファン・デル・ウェイデンの《ピエタ》です。制作年は不明です。これは格別に素晴らしい作品。ヤン・ファン・エイクの作品にもひけをとらない優れた作品です。聖母マリアの悲しみ、聖母マリアの青い衣装と聖ヨハネの赤い衣装の対比の見事さも素晴らしいですが、その精緻な表現がフランドル絵画の最大の特徴です。しばし見入ってしまいます。

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ロヒール・ファン・デル・ウェイデンの《矢を持つ男の肖像》です。1456年頃、ファン・デル・ウェイデン57歳頃の作品です。ファン・デル・ウェイデンは肖像画を描かせても見事ですね。斜め正面向きに描かれていますが、これは北方美術独自の形式だそうです。首にかけた装身具が精緻に描かれていますが、これはブルゴーニュ公フィリップ善良公が創設した金羊毛騎士団の徽章です。絵のモデルはフィリップ善良公の庶子アントワーヌ・ド・ブルゴーニュだと言われています。彼は嫡子シャルルと共に戦場で次々と勲功を挙げて金羊毛騎士団の騎士に任ぜられました。その彼の少し遠くを見るような、ちょっと物思わし気な表情は何を物語っているのでしょうか。人間の哀感漂う名作です。

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ロヒール・ファン・デル・ウェイデンの《ジャン・ド・フロアモンの肖像》です。1460年頃、ファン・デル・ウェイデン61歳頃の作品です。この作品は前側で裏側にも絵が描かれており、両方が見られるような展示になっています。

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こちらが裏側に描かれた《聖ローレンス》です。

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ロヒール・ファン・デル・ウェイデン工房の《スフォルツァ三連祭壇画》です。1460年頃、ファン・デル・ウェイデン61歳頃の作品です。これは工房で手掛けた作品のようです。

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一応、中央パネルを拡大して見ておきましょう。十字架のキリストですね。

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以上がロヒール・ファン・デル・ウェイデンの作品ですが、ピエタの深い表現に心を打たれました。

次は初期フランドル派、ネーデルランド絵画の異才ヒエロニムス・ボッスの作品を見ていきましょう。



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あまりにもネットが遅い!(悲鳴)

このところ、我が家のインターネットの速度があまりにも遅いのですが、今晩は特にひどいんです。ブロガーとしてはインターネットは生命線ですから、これは困ります。
まずはちゃんと速度を測定してみました。BNRスピードテストでは何と、1.5Mbps~2.0Mbpsというひどさ。これでは光回線が泣きます。ADSLにも劣る数字です。
ちなみに我が家はNTT東日本のBフレッツ(マンションタイプ)VDSL接続、プロバイダはPLALAです。以前は最低でも20Mbps、通常は30Mbpsほどは出ていました。
回線が悪いのか、プロバイダが悪いのか。チェックしてみましょう。ネットで調べると、最近はNTTの光のユーザが激増して、速度遅延を起こしているようです。一般的な問題なら、打つ手がありません。ただ、NTTのNGN速度テスト(プロバイダーを介さない速度テスト=回線状態を調べる)というのがあるそうなので、それもチェックしてみましょう。すると、29.4Mbpsという数字が出ます。こうなると、プロバイダのPLALAで大幅に遅延している可能性が否定できません。先ほどの1.5Mbps~2.0Mbpsという値は夜の11時過ぎの状況です。その後、深夜になるとBNRスピードテストで20Mbps以上の値が出るようになります。NGN速度テストは一貫して29.4Mbpsです。

結論:夜の時間帯はプロバイダPLALAにユーザの利用が集中して、NTT局内で大幅な遅延を起こしている可能性が高い。

対策:プロバイダPLALAのサポートにクレームをつけるのが本筋ですが、結局、解決はしないし、解決するにしても設備増強が必要になるので現実的な対処は困難だとおもわれます。すると、プロバイダの変更しか残された道はありませんね。

プロバイダの変更の検討:プロバイダを変更すると、ルータの設定を変える必要がありますが、これは大きな問題ではありません。PCオタクのsaraiですからね。問題は2つ。メールアドレスが変わることとIP電話の電話番号が変わること。メールアドレスはメール会員だけを続ければ、持続可能です。月額料金は些細です。IP電話の番号が変わるのは痛手です。NTTのひかり電話も使っていますが、親しい親族とはIP電話を主体に使っています。限られた範囲なので、電話番号の変更を連絡するしかありませんね。

どこのプロバイダに変更するか:ネットでいろいろと情報をかき集めた結果、第1の候補はNIFTYです。安定した速度が出せているようです。ただ、こればっかりは地域などの固有の問題もあるので、試行して速度チェックする必要があります。Bフレッツの場合、複数のプロバイダと契約して、使い分けることも可能なので、PLALAの契約を残したまま、NIFTYの試行をしてみたいと思います。もちろん、試行料金はかかりますが仕方ありませんね。

ということで明日、早速、NIFTYに電話して試行についての相談をしてみましょう。その結果は後日、ご報告します。

こんなことにかかりっきりになっていたので、今日のブログではベルギー王立美術館の続きが書けませんでした。ごめんなさい。



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ブリュッセルで美術三昧:ベルギー王立美術館、ヒエロニムス・ボッス

2015年7月5日日曜日@ブリュッセル/9回目

ベルギー王立美術館Musées royaux des beaux-arts de Belgiqueの古典絵画エリアを鑑賞しているところです。現在見ているのはフランドル絵画、オランダ/ベルギー絵画です。
次は初期フランドル派、ネーデルランド絵画の異才ヒエロニムス・ボッスの作品を見ていきます。ヒエロニムス・ボッスの本名はイェルーン・ファン・アーケンJeroen van Akenですが、「ヒエロニムス」は本名のラテン語読みで、作品にはボッス(Bosch)とサインをしています。ボッスという名前の由来は彼がオランダのベルギー国境近くの町ス・ヘルトーヘンボッス(デン・ボッス)で生まれ、そこに暮らしていたことによります。

ヒエロニムス・ボッスの《十字架のキリスト》です。1480~1485年頃、ヒエロニムス・ボッス30~35歳頃の作品です。ボッスは生地ス・ヘルトーヘンボッスの聖母マリア兄弟会の会員で、聖母マリア兄弟会のために多くの作品を描きました。この作品もそのひとつです。この作品では、十字架のキリストの左側に聖母マリアと聖ヨハネが立ち、右側に聖ペテロに付き添われた寄進者が跪いています。背景には美しい田園風景と町が描かれており、北方絵画の伝統を感じさせます。

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ヒエロニムス・ボッスの三連祭壇画《聖アントニウスの誘惑》です。制作年は不明です。リスボン国立美術館にある同名の作品の画家本人による忠実な模写です。聖アントニウスは、エジプト生まれの修道士で、貧困に喘ぐ者へ財産を与えて、その後砂漠に移り住み、隠修士として瞑想と苦行の生活を送った、修道院制度の創始者として考えられている人物です。本作品では、その聖アントニウスが砂漠で修行中に、悪魔の誘惑を受けて、奇怪で生々しい幻想に襲われる場面を描いています。作品の主題は誘惑に耐える聖アントニウスの信仰心が描き出すことです。こういう作品でこそ、ボッスの真骨頂が活かされます。ボッスの大ファンの配偶者は喜んで見入っていました。

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中央パネルを見てみましょう。画面の真ん中で黒い法衣に身を包み、跪いて、壇上で一心に祈りを捧げているのが聖アントニウスです。周りは得体の知れない怪物が取り囲んでいます。画面下の水面では奇怪な魚やエイが蠢いています。画面右には巨大なねずみにまたがった悪魔たちがいます。ボッスならでは怪奇世界です。

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左翼パネルは聖アントニウスの飛翔と墜落が描かれています。画面上部の空中には、化け物に放り投げられて連れ去られそうになっている聖アントニウスがおり、下のほうには空から墜落して気絶した聖アントニウスが3人の僧衣に人物に支えられています。3人の人物のうち、一番右の青い頭巾の人物はボッス自身が描かれていると言われています。

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右翼パネルには聖アントニウスの瞑想が描かれています。瞑想する聖アントニウスを女性に化けた悪魔が誘惑しようとしています。

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この美術館の展示では、この三連祭壇画の裏に周り込めるので、扉絵も見ることができます。これは右翼パネルの扉絵です。

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これでボッスはお終い。

このコーナーで最後に何となく気になった作品を最後にご紹介しましょう。


南ネーデルラント派の画家による《死んだ鳥を持つ少女》です。制作年は不明です。作者の名前も不詳です。この絵の背後には、クラナッハのヴィーナスが見えています。この対比がとても面白いです。北方絵画では色んな才能の画家、名のある人もない人も芸術の花を開かせていたんですね。

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初期フランドルの絵画コーナーから、さっと別の絵画展示室を見ながら、移動します。

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次はバロック絵画に飛びます。ベルギーの代表的画家ルーベンスの出番です。



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ブリュッセルで美術三昧:ベルギー王立美術館、ピーテル・パウル・ルーベンス

2015年7月5日日曜日@ブリュッセル/10回目

ベルギー王立美術館Musées royaux des beaux-arts de Belgiqueの古典絵画エリアを鑑賞しているところです。現在見ているのはフランドル絵画、オランダ/ベルギー絵画です。
15~16世紀の絵画、とりわけ充実した初期フランドル絵画のコレクションを見終えて、次は17~18世紀の絵画のコレクションを見ます。


まずはバロック期のフランドルを代表する画家ピーテル・パウル・ルーベンスの作品を見ていきましょう。この旅でもアントワープでルーベンスの家を見てきたばかりです。

ピーテル・パウル・ルーベンスの《黒人の顔・四つの習作》です。制作年は不明です。ルーベンスとしては珍しい作品だなと思っていたら、顔を描くための習作でした。しかし、こういう構成の絵画があってもおかしくありません。習作ながら、ルーベンスはあえて、芸術的な仕上げを試みたんでしょうか。ルーベンスがもっと近代に生まれていたら、どんな作品を描いたんだろうと想像してしまいました。

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ピーテル・パウル・ルーベンスの《聖母マリアの戴冠》です。1620年頃、ルーベンス43歳頃の作品です。これは美しい絵ですね。ルーベンスの妙などぎつさもなく、爽やかでさえあります。色彩もあっさりしています。ただし、これはルーベンス工房の作品なので、あまり、ルーベンスの絵筆が入っていないのかも知れません。この作品はかつてアントワープにあったレコレトリュム修道会からの注文で制作されました。レコレトリュム修道会はフランス大革命時になくなってしまったそうです。

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ピーテル・パウル・ルーベンスの《聖母被昇天》です。制作年は不明です。これは2段階の構成の凝った構図になっています。奥の聖母被昇天の画面の手前に聖母マリアの棺を覗き込んで驚いている使徒たちが描かれています。劇的な表現と言えばそうですが、やり過ぎといったら、やり過ぎですね。これもルーベンス工房の作品です。

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ピーテル・パウル・ルーベンスの《聖フランチェスコのいるピエタ》です。制作年は不明です。これもルーベンス工房の作品です。この作品もアントワープにあったレコレトリュム修道会からの注文で制作されたようです。レコレトリュム修道会は聖フランチェスコ派の修道会でした。

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ピーテル・パウル・ルーベンスの《聖母マリアと聖フランチェスコの神への仲介が神の否妻を止める》です。制作年は不明です。これもルーベンス工房の作品です。この作品はゲントにあったレコレトリュム修道院の主祭壇画として制作されました。レコレトリュム修道院というとアントワープのレコレトリュム修道会もほかの作品を注文しています。ルーベンス工房の重要な注文主だったんですね。この作品の主題は、人の世が悪いことで堕落、腐敗したことに怒ったイエスが神の稲妻で世界を焼き尽くそうとするのを聖母マリアと聖フランチェスコが止める場面です。ここにも聖フランチェスコが登場するのはレコレトリュム修道会が聖フランチェスコ派の修道会だったからでしょう。

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ピーテル・パウル・ルーベンスの《聖リヴィナスの殉教》です。1633年頃、ルーベンス56歳頃の作品です。これもルーベンス工房の作品です。この作品の主題は、キリスト教の聖人リヴィナスが殉教する場面です。いい意味でも悪い意味でもルーベンスらしいダイナミックで迫真性のある表現です。こういう表現ではルーベンスは抜きん出る存在ですが、ワンパターンと言えばワンパターンです。どうもsaraiは好きになれません。ルーベンスほどの画力があれば、もっと上品に描けるのにね。

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ピーテル・パウル・ルーベンスの《東方三博士の礼拝》です。1618~1620年頃、ルーベンス41歳~43歳頃の作品です。これもルーベンス工房の作品です。これは見事な出来の作品ですね。この作品はフランドルの南西部の町トゥルネのカプチン会修道院からの注文で制作されました。この作品の制作には当時工房の弟子だったヴァン・ダイクが参加していました。

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ピーテル・パウル・ルーベンスの《ゴルゴダの丘行き》です。制作年は不明です。これもルーベンス工房の作品です。この作品はキリストが十字架を背負って、ゴルゴダの丘に登る場面が描かれています。倒れたキリストの頭の血を自身の頭巾の白い布で拭っているのが聖ヴェロニカです。この布がもとになったのが有名な聖骸布伝説です。

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ピーテル・パウル・ルーベンスの《エレーヌ・フールマンの肖像》です。1630年代、ルーベンス53歳以降の作品です。これはルーベンス工房の作品だという説もありますが、この活き活きとした表現はルーベンス自身の筆になるものだとsaraiは感じます。1626年最初の妻イザベラ・ブラントが死去し失意に暮れるルーベンスは年来の友人であったアントワープの絹織物商ダニエル・フールマンの娘エレーヌと1630年、ルーベンス53歳、エレーヌ16歳と歳の差婚を果たし、人生の喜びを取り戻します。ウィーン美術史美術館に有名な裸体画《エレーヌ・フールマン》が残されていますが、このベルギー王立美術館の作品はより、エレーヌの若々しいキュートさが愛情深く描き込まれています。saraiはこういうルーベンスのほうが好きです。画家の素直な愛が感じられるからです。

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さすがにルーベンスの本場ベルギーだけあって、ルーベンスのコレクションは充実しています。もっとも工房で絵画を大量生産したルーベンスはヨーロッパの多くの美術館が充実したコレクションを誇っていますけどね。

次はフランスの新古典派の巨匠ダヴィッドの作品を見ていきます。フランスの画家ダヴィッドはこのブリュッセルと縁が深いんです。



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ブリュッセルで美術三昧:ベルギー王立美術館、ジャック=ルイ・ダヴィッドと新古典主義の芸術家

2015年7月5日日曜日@ブリュッセル/11回目

ベルギー王立美術館Musées royaux des beaux-arts de Belgiqueの古典絵画エリアを鑑賞しているところです。
フランドル絵画、オランダ/ベルギー絵画を見終えて、最後は17~18世紀の絵画のコレクションのフランス絵画部門を見ます。

ここで見るのは、フランス新古典主義の巨匠ジャック=ルイ・ダヴィッドの作品です。何故、ここにジャック=ルイ・ダヴィッドの作品が展示されているのかというと、彼の生涯を概観する必要があります。詳細はウィキペディアでも参照してもらえばいいのですが、ここでも簡単に説明しておきます。

ジャック=ルイ・ダヴィッドは1748年にパリで生まれ、親戚にロココ絵画の大家フランソワ・ブーシェがいたことから、彼の紹介で画家としての修行にはいります。長い修行を経て、26歳で見事、ローマ賞を勝ち取り、国費留学生として、イタリアで約5年間、古典絵画の研究に没頭します。フランスに帰国後、1784年にルイ16世からの注文で描いた《ホラティウス兄弟の誓い》は新古典主義の画家としての名声を確立するものでした。一方、彼は芸術面だけでなく、政治的な活動にも乗り出します。1989年のフランス大革命の勃発の頃、彼はジャコバン派の山岳派に属し、急進的な政治活動の中核を担います。しかし、ロベスピエールの失脚に伴い、ダヴィッドの立場も危うくなり、一時投獄されたりもします。その後、ナポレオンの登場に伴い、ナポレオンの庇護を受けたダヴィッドは復活を果たします。1804年にナポレオンの首席画家に任命され、1806年から1807年に有名な《ナポレオンの戴冠》を描きます。しかし、ナポレオンの失脚後、ダヴィッドはまたも失脚し、1816年にブリュッセルへ亡命し、9年後の1825年に故国に思いを馳せつつ77年の生涯を終えます。死後、遺体は故国への帰還も許されなかったそうです。ルイ16世の処刑に1票を投じたためです。ということで、ダヴィッドは最後の9年間、ブリュッセルで人生を過ごし、ブリュッセルとの大きな縁を持つことになりました。

ベルギー王立美術館にあるジャック=ルイ・ダヴィッドの作品を見ていきましょう。ところで、ルーヴル美術館にあるダヴィッドの作品《レカミエ夫人》はsaraiの大好きな作品なんです。ダヴィッドの名前を聞くと、すぐにあの美しいレカミエ夫人を思い出します。

ジャック=ルイ・ダヴィッドの《マラーの死》です。1793年頃、ダヴィッド45歳頃の作品です。ジャン=ポール・マラーは山岳派の指導者の一人で、ジロンド派党員のシャルロット・コルデーによって暗殺されました。マラーは皮膚炎の治療のためオートミールを浸した浴槽に入っているところをコルデーにナイフで刺され、その傷が致命傷となってマラーは死亡しました。ダヴィッドはそのマラーの死の場面を死後数か月で描き上げます。革命の殉教者として、マラーを美しく描いています。一見して、saraiはマラーを女性と誤認しました。この作品では革命の英雄として、マラーを取り扱い、まるでキリスト教の宗教画における殉教者のように描いているかのようです。発表当時はこの作品は革命を喧伝する作品として称賛されましたが、ロベスピエール失脚と処刑の後は歴史の闇に消えます。19世紀半ばに批評家によって再発見され、1886年から遺族の申し出により、このベルギー王立美術館に展示されるようになりました。新古典主義の巨匠たるダヴィッドの力量を示す、とても美しい作品ではありますね。ところで画面中、マラーの左手にある紙には暗殺者のシャルロット・コルデーの名が書かれているそうです。シャルロット・コルデーはその後、処刑されました。時代を経て、血なまぐさい恐怖政治に立役者のマラーを排除したことで、フランスを救ったヒロインとして、シャルロット・コルデーが賛美されることもあるようです。

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ジャック=ルイ・ダヴィッドの《少年の肖像》です。制作年は不明です。さすがにダヴィッドの肖像画はきっちりと描かれていますね。詳細は不明です。

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ジャック=ルイ・ダヴィッドの《フランソワ・ドヴィエンヌの肖像》です。1792年頃、ダヴィッド44歳頃の作品です。フランソワ・ドヴィエンヌは18世紀フランスの作曲家・木管楽器奏者です。パリ音楽院のフルート教授を務めました。

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ジャック=ルイ・ダヴィッドの《ビーナスに武装を解かれた軍神マルス》です。ダヴィッドがブリュッセルに亡命しているときに描いた作品です。雲の上のビーナスの神殿ですっかり寛いだマルスは3美神に盾と弓を預け、サーベルも手放そうとしています。ビーナスは美しい背中だけを見せていますが、この世界1の美女の前では男は誰でも気を許してしまうでしょう。マルスの足元でサンダルのひもを外しているのは2人の間に生まれた子供キューピッドです。新古典主義の巨匠ダヴィッドは最後まで大変な画力を持っていたことが分かります。素晴らしく美しく、魅惑的な作品です。

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以上がジャック=ルイ・ダヴィッドの作品ですが、彼の弟子、ベルギーのフランソワ=ジョゼフ・ナヴェスの作品も見ておきましょう。


フランソワ=ジョゼフ・ナヴェスの《砂漠のハガルとイシュマエル》です。1820年頃、ナヴェス33歳頃の作品です。この作品は主題を旧約聖書の物語から取っています。ハガルはアブラハムの妻サラの女奴隷です。子供のできなかったサラは子孫を残すためにハガルにアブラハムとの関係を持たせるように仕向けます。その結果、生まれたのがイシュマエルです。やがて、サラ自身もイサクを産みます。その結果、ハガルとイシュマエルはわずかな食料を持たされて、追い出されることになります。ハガルとその息子イシュマエルはベエル・シェバの荒野をさまよい、水が尽きそうになります。この作品はその場面を描いています。それにしても、ナヴェスは師匠のダヴィッドゆずりの素晴らしい画力を持っていますね。少年イシュマエルの弱り切った様子、母ハガルの美しさと困り果てた様子、どこまでも広がる砂漠の荒涼たる風景が見事に描き出されています。ちなみにその後の物語では、この親子は神によって救われます。

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ベルギー王立美術館の古典絵画エリアで最後に目に付いたのは美しい彫刻作品です。

マシュー・ケッセルス(マティアス・ケッセルス)の《大洪水からの場面》です。1832年~1835年頃、ケッセルス48歳~51歳頃の作品です。ケッセルスはオランダのマーストリヒト出身の新古典主義の彫刻家です。大洪水から妻と子供を救おうとしている男でしょうか。テーマはともかく、素晴らしい美しさに魅了されます。

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どんな角度から見ても素晴らしいです。しばし時間を忘れて、見とれてしまいました。

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これで古典絵画エリアはすべて見終えました。初期フランドル派からバロック、新古典主義までの数々の傑作を見られて収穫の多い鑑賞になりました。これらの古典絵画を見るだけで一息つきました。でも、まだ印象派以降の絵画で特にデルヴォーやクノップフなどの作品が見れていません。変ですよね。どこにあるのでしょうか。うろうろ探しますが、分かりません。地下の方に行く階段があるのですが、そちらなのでしょうか。でも、その地下の方へはsaraiの購入したチケットでは行けないようです。いくら考えても分からないので、階段の前にいる係りの人に美術雑誌のデルヴォーの写真を見せて、これはどこにあるのかと訊くと、なんとクローズしてるとのことです。エ~、そんな・・・。諦めきれず、入り口まで戻り、チケット売り場のお兄さんにも同じことを訊いてみますが、やはり改装のため近代部門エリアはクローズしているとのこと。ただし、少しは展示しているので見てねとのことです。
もうガッカリですが仕方がないですね。ガンガン冷やしてある館内で体と共に心も冷えちゃいます。次は、マグリット美術館を楽しむことにして、休憩をかねて昼食にしましょう。王立美術館のカフェテリア・レストランに行きます。スープとサラダとコロッケをトレイに乗せてテラスに出ます。

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これが野菜サラダ。たっぷりしたボリュームでいろんなものがはいっています。

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これがコロッケ。オランダのクロケットとはちょっと違うようです。

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テラスからはなかなか素敵な眺めです。雲が広がり涼しいです。

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最後にコーヒーとワッフルもいただきます。

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テラスから見えているのはノートルダム・デュ・サブロン教会Eglise Notre Dame du Sablonでしょうか。女性の彫像もそちらを眺めています。

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さて、たっぷり休んだので、そろそろ次はマグリットを楽しみましょう。



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あまりにもネットが遅い! その後

我が家のインターネットの速度があまりにも遅く、対応を始めた話を今週の初めに書きましたが、その後の状況です。

プロバイダをPLALAからNIFTYに変更をして解決を図る方向で検討するところまでは書きました。

早速、NIFTYに電話して相談しました。何と今月中は無料で試行できるそうです。試行の結果、満足できる速度が出たら、月額950円のコースを契約すればよいようです。4~5日で接続情報を郵送してくれるとのこと。
接続情報が届くまでの間、我が家の通信環境の検討を進めました。以下が結論です。

方針:PLALAとNIFTYの両方が同時接続できる環境を構築します。

前提:NTTのBフレッツは2セッションまで接続できるようです。ですから、2社までは問題なく接続できるようです。

接続方法:ONU(終端装置)のLANポートからルーターに直結しているケーブルをいったん、LANのハブで受けて、そこから、現在のルータ(PLALA接続用)と別のルータ(NIFTY用)に分岐する。


上記の方針で運用することにして、NIFTYからの接続情報が来るのを待っていたら、4日ほどで郵送されてきました。早速、通信環境を構築します。若干、苦戦しましたが、何とか、PLALAとNIFTYに同時接続に成功しました。ただし、PCからどちらのプロバイダに接続するかはPCからのLANケーブルをルータにつなぎ直して、ネットワーク環境のリセットが必要です。

そして、肝心の接続速度ですが・・・

恐る恐る、NIFTYの速度をNRスピードテストで測定すると、結構、ばらつきがあり、遅くて10Mbps、早くて25Mbpsです。まあ、上々の結果ですね。それが夜の7時過ぎの状況。

そして、両者の速度比較を夜の10時過ぎに実施すると・・・驚きの結果!!

PLALA:20~30Mbps
NIFTY:約3Mbps

あれほど遅かったPLALAが素晴らしい値をたたき出します。まるで、saraiのテストを見越していたかのような劇的な速度改善。一方、NIFTYは惨めな数字。2セッション接続すると、PLALAは速度向上するのでしょうか。それとも、一時的な改善? これから1週間ほどテストを続けて、結論を出しましょう。なお、PLALA用のルータがRT-S300SEという高速ルータで、NIFTY用のルータがWBC V110Mという低速ルータではあります。ルータを交換した測定も考えましょう。

ということで最終的な結果は後日、また、ご報告します。


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シューベルト再発見・・・インバル&東京都交響楽団@東京芸術劇場 2016.9.10

今日は秋の怒涛のコンサート・シーズンの幕開け。ザルツブルグ音楽祭以来、1ヵ月ぶりのコンサートです。これから、今月は10回、来月も10回のコンサートを楽しみます。
今回はインバルの80歳記念&都響デビュー25年記念のアニバーサリーコンサートです。ここ東京芸術劇場を皮切りに東京文化会館、サントリーホールで3回聴きます。共演者も変わり、演奏曲目も多彩です。インバルも80歳を超え、いよいよ、真の巨匠入りかと思うと感無量です。saraiがインバルを初めて聴いたのは、saraiのリタイアした翌日という記念すべき日でした。およそ6年前のことです。演奏曲目もマーラーの交響曲第2番《復活》というsaraiのリタイアにふさわしいものでした。涙なしには聴けない素晴らしい演奏でした。そのときの記事はここです。その後のインバル&都響の思い出に残るコンサートと言えば、その翌年2011年のショスタコーヴィチの交響曲第5番、2012年~2014年のマーラーツィクルス(特に番外の《大地の歌》、第3番、第4番、第5番、第8番、第9番、番外編の第10番)です。そして、この中で最高だったのはやはり、マーラーツィクルスを締めくくったサントリーホールでのマーラーの交響曲第9番でした。

インバルはメータ、オザワと同世代なんですね。ご本人のインタビューでは都響との第3次マーラーサイクルに意欲満々のようでご同慶の至りです。実現を願いたいものです。何なら、来年からでもいいですよ。

久しぶりに生の音楽を聴きます。やっぱり、音楽はいいなあ。最初のターニャ・テツラフの独奏チェロで始まるエルガーのチェロ協奏曲を聴きながら、心底、音楽を聴く楽しさを感じました。ターニャ・テツラフのチェロはu>今年のトッパンホール・室内楽フェスティヴァルで聴いたばかりです。そのときは彼女の柔らかい演奏に感銘を受けました。今日の演奏は協奏曲なので、もっと彼女の意思が前面に出たような感じの演奏ではあり、情感に満ちた気持ちのよい演奏です。予習で聴いたデュ・プレとは同じ女性と言ってもタイプが違いますね。感動するのはデュ・プレの演奏でしょうが、音楽の深い思いに沈み込めるのはターニャ・テツラフかな。ターニャ・テツラフは兄のヴァイオリニストのクリスティアン・テツラフ同様に知性派ですね。都響もうまくサポートして好演でした。

休憩後、シューベルトの交響曲第8番《ザ・グレート》です。これは大変、素晴らしい演奏。シューベルトの交響曲の素晴らしさを再発見させてくれました。シューベルトと言えば、saraiは後期のピアノ独奏曲が大好きですが、交響曲も同様に素晴らしいことを今更ながら、感じてしまいました。まるでブラームスの交響曲第0番と呼びたいほど、ロマン派の交響曲はこの曲なしにはありえなかったと思うほどです。第1楽章はブラームスの交響曲第2番を思い起こさせられますし、第4楽章はシューマンの祝祭的な気分の音楽を想起させられます。長大な第2楽章が聴きもので音楽と演奏に酔ってしまいました。そして、第4楽章で強い感銘を受けて、大満足の演奏でした。これからCDでもこの曲を集中的に聴いてみたい気分になりました。

今日のプログラムは以下のとおりでした。

  指揮:エリアフ・インバル
  チェロ:ターニャ・テツラフ
  管弦楽:東京都交響楽団

  エルガー:チェロ協奏曲 ホ短調 op.85
  《アンコール》 J.S.バッハ:無伴奏チェロ組曲第3番 ハ長調 BWV 1009よりサラバンド

   《休憩》

  シューベルト:交響曲第8番 ハ長調 D944 《ザ・グレート》

それにしても、インバルが振るときの都響は素晴らしく充実した演奏を聴かせてくれます。よほどの信頼関係なんですね。来週のバルトーク(管弦楽のための協奏曲)が楽しみです。


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ブリュッセルで美術三昧:マグリット美術館、前半

2015年7月5日日曜日@ブリュッセル/12回目

ベルギー王立美術館Musées royaux des beaux-arts de Belgiqueの古典絵画エリアを鑑賞し終えました。いよいよ、楽しみにしていたマグリット美術館Musée Magritteに入館します。マグリット美術館はベルギー王立美術館の一部門ですが、部門別のチケットを購入する必要があります。事前にネットで午後2時入館のチケットを購入してあります。もちろん、シニアチケットです。

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さあ、時間ですから、入館しましょう。まずは案内パンフレットをゲットします。マグリット美術館は本館とは別の建物、分館になっています。本館とは地下の通路でつながっています。

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これがマグリット美術館の地下2階のエントランスです。ここから地上階にある展示室に上ります。

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では、実際の展示順ではなく、マグリットが描いた年代順に展示作品を見ていきましょう。もっとも基本的に展示は年代順ですけどね。

ルネ・マグリットは19世紀も終わろうとする1898年11月にブリュッセルから30km離れた小さな町レシーヌに生まれました。父親は商人であったため、一家は転々と引っ越しを繰り返しました。7歳のある日、偶然にある画家との出会いがあり、そのキャンバスを覗いたマグリットは大いなる啓示を受けて、後の画家人生が決まったそうです。1912年、マグリット12歳のとき、衝撃的な事件があります。母親が突然入水自殺を遂げます。彼は川から引き上げられた母がガウンがまくれて裸体で、ただ顔のみがそのガウンに覆われていたとその情景をまるで見たかのように語っています。実際に見たかどうかは分かりません。17歳になったマグリットはブリュッセルの王立美術学校に入学します。しかし、そこでは伝統的な絵画技法しか教えていないことに失望して、授業を放棄します。自ら印象派から抽象絵画まで模索することになります。その頃に描いた1枚がこれです。

《ピエール・ブロードコーレンスの肖像》です。1920年、マグリット22歳頃の作品です。まるで青騎士のようでもあります。

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1922年、23歳のマグリットは偶然にブリュッセルの植物園で再会した初恋の人ジョルジェットと結婚します。その頃に描いた1枚がこれです。

《女性騎手》です。1922年、マグリット24歳頃の作品です。キュビズムですね。

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この年、画家として、大きな転機が訪れます。友人が持っていた雑誌に掲載されていたデ・キリコの作品《愛の歌》との出会いです。古代彫刻の頭部と外科手術用の手袋が何の脈絡もなく並べられた一見、理解不能の絵画でした。そこにマグリットは鑑賞者の常識とかけ離れた芸術家の孤独を感じとり、己の行く道を悟ります。シュールレアリスト、マグリットの出発点となる出来事でした。その3年後、初めてのシュールレアリスム作品《迷える騎手》を完成させます。そして、次々とシュールレアリスム作品を描き上げます。

《真夜中の結婚》です。1926年、マグリット28歳頃の作品です。題名も内容も不可解なのがマグリットの特徴です。

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1927年、マグリットはパリを訪れます。当時、パリはアンドレ・プルトンが1924年に《シュールレアリスム宣言》を発表し、芸術革命が進行中でした。マグリットはパリ郊外のアパルトマンに居を構え、プルトンたちのグループと活発な活動を展開します。パリを訪れる直前にもブリュッセルで多くのシュールレアリスム作品を描いています。それらをブリュッセルの個展で発表しますが、批評家たちには理解されませんでした。

《外海の男》です。1927年、マグリット29歳頃の作品です。

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《邪悪なデモン》です。1927年、マグリット29歳頃の作品です。

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《発見》です。1927年、マグリット29歳頃の作品です。

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《ポール・ヌジェの肖像》です。1927年、マグリット29歳頃の作品です。

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《女盗賊》です。1927年、マグリット29歳頃の作品です。

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《秘密の遊戯者》です。1927年、マグリット29歳頃の作品です。

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これはパリ時代の作品です。

《言葉の用法》です。1929年、マグリット31歳頃の作品です。

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マグリット美術館での鑑賞はこれで半分ほどです。まだまだ、続きます。



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ブリュッセルで美術三昧:マグリット美術館、後半

2015年7月5日日曜日@ブリュッセル/13回目

マグリット美術館Musée Magritteでの鑑賞中です。

マグリットはパリに3年間滞在した後、ベルギーに帰国します。パリ滞在中にプルトンたちのシュールレアリスムとは異なる独自の手法を再認識することになりました。彼の手法は心に浮かぶモティーフを組み替えて、その結果生まれる意外な組み合わせで常識に縛られる鑑賞者に衝撃を与えるというものです。彼は終生、その手法を貫き通すことになります。ベルギー帰国後の作品を見ていきましょう。

《意外な返事》です。1933年、マグリット35歳頃の作品です。

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《ジョルジェット》です。1937年、マグリット39歳頃の作品です。妻ジョルジェットの肖像画ですね。単なる肖像画に終わらせないところがマグリットです。

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《接吻》です。1938年、マグリット40歳頃の作品です。

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《美しい歌(ベルカント)》です。1938年、マグリット40歳頃の作品です。

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1939年、あの忌まわしい第2次世界大戦が勃発します。1940年5月10日にドイツ軍がベルギーに侵入します。ナチスは前衛的な芸術を退廃芸術とみなして、徹底的に攻撃します。シュールレアリストのマグリットもその存在を脅かされることになります。それはベルギーが解放される1944年まで、4年間続くことになります。その頃のマグリットの作品を見ていきましょう。

《帰還》です。1940年、マグリット42歳頃の作品です。これは名作ですね。青空はマグリットのシンボルのようなものです。

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《宝島》です。1942年、マグリット44歳頃の作品です。

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結局、マグリットはナチスの手から逃れて、なんとか生き延びることができました。この過酷な体験はマグリットの作風を大きく変えることになります。明るい色彩で印象派風の技法で作品を描くようになります。それは1950年代にシュールレアリスムに回帰するまで続きます。その頃の作品です。

《黒魔術》です。1945年、マグリット47歳頃の作品です。

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《涙の味》です。1948年、マグリット50歳頃の作品です。

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《石ころ》です。1948年、マグリット50歳頃の作品です。これがマグリットとはね・・・。

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マグリットは再び、シュールレアリスムに戻りますが、かつてのような作風に戻ったわけではありません。もう、作品からは鑑賞者を不安にさせる毒は消え、幸福さや希望を感じさせる透明感が支配的になります。そして、代表作が生まれます。

《光の帝国》です。1954年、マグリット56歳頃の作品です。結局はやはりマグリットといえば、この作品に落ち着くということをこの美術館で多くのマグリット作品を見てきた結果、体感しました。saraiや配偶者が魅惑されてきたマグリットの魅力はこの1枚にすべてが凝縮されているようです。

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マグリットも晩年にはいります。その名は世界中に広まり、毎年、マグリット展が催されるようになります。その頃の代表的な作品です。

《アルンハイムの領地》です。1962年、マグリット64歳頃の作品です。絵のタイトルはマグリットが熟読したエドガー・アラン・ポーの作品名から採られています。

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そして、最晩年の作品を見ましょう。明るい青空を最後まで描き続けたんですね。

《空白のページ》です。1967年、マグリット68歳の作品です。

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《囚われの美女》です。1967年、マグリット68歳の作品です。

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この1967年、マグリットはブリュッセルの自宅で68歳で人生を終えます。アトリエとして使っていた台所には、描きかけの作品が残されていたそうです。もちろん、透明感に満ちた作品だったようです。

これで、マグリット美術館の鑑賞を終えます。お気づきだったでしょうか。saraiは彼の作品に対して、感じた印象をほとんど書きませんでした。そこそこマグリット美術館にはマグリットの代表作はありますが、なんだか今一つ彼の魅力が伝わってこず不満足だったんです。流石に1950年以降の4作品は見ごたえがありましたが、大きな期待は空振りに終わった感じです。

そういうことで、気持ちが治まりません。このベルギー王立美術館でデルヴォーやクノップフが見れなかったのも大きく影響しているのは間違いありません。ところで、受付のお兄さんが、ちょっとは展示してあると言ってたけど、1枚も見てないよね・・・ということに2人の意見が一致。館内案内のパンフレットをじっくり検討すると、どうも王立美術館には3つのエリアがあるようなのですが、王立美術館の古典絵画部分とマグリット美術館の部分以外のエリアにどうも行けていません。それが、気になっている階段の下の部分です。もう一度、階段横の係りの人に2枚のチケットを見せて駄目なのかと訊くと、行っていいわよと通してくれました。ヤッタと階段を下りて、その奥の入場の機械にバーコードをかざしますが、ゲートが開きません。と、ゲートの上部にメッセージが出て、このチケットでは駄目とのこと。ここは別料金のようです。奥に見えているのは、印象派の絵です。やはり、この奥に見たいものはあるようです。チケット売り場に取って返し、2枚のチケットを見せ、残りのエリアに行くにはどうすればよいのか訊くと、3ユーロの別チケットを買い足してねとのことでした。はいはい、買いますよ。これが購入したコンビチケットです。

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ようやく謎が解けた気分で、新たなチケットを持って、第3のエリアに向かいます。ようやくゲートが開きます。ベルギー王立美術館Musées royaux des beaux-arts de Belgiqueの世紀末部門Musée Fin-de-Siècle Museumの素晴らしい展示が待っていました。



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精妙にして音楽的:ハーゲン・カルテット@東京オペラシティ コンサートホール 2016.9.14

ハーゲン・カルテットの4人はやはり進化していますね。昔はテクニックでバリバリ弾いていた印象がありましたが、かなり抑え気味の演奏で熟成した深みが感じられます。最初のバッハは精妙な表現で納得の演奏です。フーガの楽しさをとことん味わわせてくれます。ここまではコンサート全体の前奏曲のようなもので軽い感じ。次のショスタコーヴィチはうーんと唸ります。なるほど、ハーゲン・カルテットが演奏するとショスタコーヴィチはこうなるのねって思います。そもそもバッハのフーガの技法が終わった後、短い休止だけで続けて演奏します。その心はバッハとショスタコーヴィチは同じトーン、同じテーストだっていうことです。バッハからは200年も離れていますが、音楽の精神は変わらないっていうことを言いたいんでしょう。確かにまったく違和感なしに連続して聴くことができます。しかし、ショスタコーヴィチの音楽が進行するにつれて、その本質が露わになってきます。やはり、暗く沈んだ音楽です。ハーゲン・カルテットの抑え気味の演奏がそれをさらに強調します。第2楽章こそ、激しく燃え上がりますが、トータルには悲痛なトーンが貫かれます。そして、次第に心に浮かんでくるイメージはレクイエムです。これは弦楽四重奏による鎮魂の歌です。ハーゲン・カルテットの熟成した響きがショスタコーヴィチの音楽を見事に表現しました。重いテーマではありますが、ハーゲン・カルテットは意外にさらっとそれを聴かせてくれました。室内楽の妙味ですね。

休憩後、ベートーヴェンの弦楽四重奏曲第13番です。いつものように終楽章(第6楽章)は大フーガが演奏されます。これも無闇に弾き過ぎないで、抑えた演奏が続きます。そして、第5楽章のカヴァティーナをしっとりと歌い上げて、一挙に大フーガで演奏は燃え上がります。大変な迫力です。この大フーガへの布石として、それまでの抑えた演奏が活きてきます。大フーガはパーフェクトな素晴らしい演奏で何も言うべき言葉を持ちません。以前聴いたベートーヴェン・ツィクルスでの名演が思い出されます。ハーゲン・カルテットの大フーガは最高です。

今日のプログラムは以下のとおりでした。

ハーゲン・カルテット Hagen Quartett
    ルーカス・ハーゲン Lukas Hagen (ヴァイオリン)
    ライナー・シュミット Rainer Schmidt (ヴァイオリン)
    ヴェロニカ・ハーゲンVeronika Hagen (ヴィオラ)
    クレメンス・ハーゲン Clemens Hagen (チェロ)

  J. S. バッハ:フーガの技法~ コントラプンクトゥス1~4
  ショスタコーヴィチ:弦楽四重奏曲第8番 ハ短調 Op.110

   《休憩》

  ベートーヴェン:弦楽四重奏曲第13番 変ロ長調 Op.130
  ベートーヴェン:大フーガ Op.133

今度は是非、バルトークの弦楽四重奏曲を聴かせてもらいたいものです。それも全6曲を聴きたいな!


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ヴィニツカヤは美貌だけじゃなかった!!衝撃のプロコフィエフ・・・インバル&東京都交響楽団@東京文化会館 2016.9.15

今回はインバルの80歳記念&都響デビュー25年記念のアニバーサリーコンサートの2回目です。既に東京芸術劇場で素晴らしいシューベルトを聴きました。この東京文化会館ではバルトークが聴けるので期待して出かけました。

まずはグリンカの歌劇『ルスランとリュドミラ』序曲です。これって、ムラヴィンスキー&レニングラード・フィルのお得意の曲ですね。予習で聴きましたが、引き締まって、猛スピードの演奏に大変な感銘を受けました。世の中にパーフェクトというものがあるとしたら、こういう演奏のことだと確信させられました。そういう最高レベルの音楽を聴いた上で今日の演奏を聴きました。正直、驚愕しました。これって、ムラヴィンスキー&レニングラード・フィルと甲乙つけがたい演奏じゃないですか。猛スピードでの突進、そして、素晴らしいアンサンブル。引き締まった上に弦の美しさも聴かせてくれます。インバルがこういう指揮をするとはびっくりですが、もちろん、ムラヴィンスキーのことは意識してやっているんでしょう。その指揮に応えた都響のアンサンブル力のレベルの高さには唖然としました。相当にリハーサルを重ねたと見えます。2週間で全く演目の違う3回ものコンサートをこなすのに、よく、こんな高いレベルまで持っていけたものだと舌を巻きます。どんな練習を重ねたのか知りたいものです。たった10分ほどの短い音楽ですが、凄い演奏に絶句しました。

次はプロコフィエフのピアノ協奏曲 第2番です。音楽もさることながら、パンフレットで見るピアニストのアンナ・ヴィニツカヤの凄い美貌に魅了され、本当にそんな美人が登場して、難曲のプロコフィエフを演奏できるのかと興味津々です。やがて、写真通りの美人、それもグラマーな女優のようなピアニストが登場。これは凄いですね。冒頭のピアノ演奏はなんだかぶっきらぼうな感じ、よく言えば無機的な演奏です。でもそれは最初だけの印象でした。第1楽章の実に長大なカデンツァ(カデンツァというよりもピアノ独奏曲?)に入り、そのダイナミックな超絶技巧の大迫力に圧倒されてしまいます。予習したのは超絶技巧では誰にも負けないキーシンの演奏でしたが、実演の迫力あるピアノを聴くとまったく別物に感じられます。オーケストラとも丁々発止で、ピアノとオーケストラが合っているかどうかも俄かに判断できません。それほど両者は思い切った演奏をしています。スリリングを通り越して、未知の領地にはいっているみたい。このプロコフィエフのピアノ協奏曲 第2番がこんなに凄い曲だとはいうことは初めて知った思いです。有名な第3番よりも凄いかも知れませんが、演奏が超難しそうです。ずっと度肝を抜かれて聴いていましたが、第4楽章の抒情を湛えた美しいピアノには、それまでとの落差が大きくて、一気に天上に上り詰める思いを抱かされます。この一筋縄ではいかないような抒情的なメロディーが難しい技巧で繰り返されるたびに音楽の深淵を感じさせられます、やがて、感動的なフィナーレ、いやあ、凄い演奏を聴いてしまったなあ。美貌は期待していましたが、こんな超ど級の音楽を聴くことになるとは想像していませんでした。恐るべし、アンナ・ヴィニツカヤ。翌日の横浜みなとみらいホールでのリサイタルにもかけつけようと決心しましたが、既に遅し。既に後方席しか残っていなかったので、それは断念しました、また、いつか機会があれば、聴かせてもらいましょう。アンコールはチャイコフスキーでした。憧れに満ちた夢見るような演奏に心が和みました。

休憩後、バルトークの管弦楽のための協奏曲です。これは腕に自信のないオーケストラには弾けない曲ですね。バルトークが白血病で病床にいながら、最後の気力を奮って、心血を注いだ最晩年の大傑作です。とても病床にあったとは思えないエネルギーに満ちた音楽・・・生きていく人たちに生きる力をバルトークはプレゼントしてくれました。インバル&都響は実に見事にこの難曲を演奏してくれました。低弦の分厚いハーモニー、そして、高弦の切れのある響きは特に格別でした。インバルが暗譜でオーケストラを自在にドライブしていたのも見事。saraiが青春時代、繰り返しレコードが擦り切れるほど聴いた大好きな曲ですが、心底、堪能しました。日本のオーケストラがここまで演奏してくれて、感無量です。完璧とまではいきませんでしたが、これは名演と言えるでしょう。インバル&都響に感謝したい思いです。

今日のプログラムは以下のとおりでした。

  指揮:エリアフ・インバル
  ピアノ:アンナ・ヴィニツカヤ
  管弦楽:東京都交響楽団

  グリンカ:歌劇『ルスランとリュドミラ』序曲
  プロコフィエフ:ピアノ協奏曲 第2番 ト短調 Op.16
  《アンコール》 チャイコフスキー:四季 Op.37bより4月《松雪草》

   《休憩》

  バルトーク:管弦楽のための協奏曲 Sz.116

今日も、インバルが振るときの都響は素晴らしく充実した演奏を聴かせてくれました。来週のショスタコーヴィチの名曲(交響曲第8番)も楽しみです。デュメイのモーツァルトも期待できそうです。


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ブリュッセルで美術三昧:ベルギー王立美術館、印象派とアンソール

2015年7月5日日曜日@ブリュッセル/14回目

ベルギー王立美術館Musées royaux des beaux-arts de Belgiqueの古典絵画部分とマグリット美術館の部分を見終えて、最後の世紀末部門Musée Fin-de-Siècle Museumの展示スペースに入場することができました。これが世紀末部門の案内パンフレットです。地下3階から地下4階までを抜けて、地下5階から地下8階までがそのエリアになっています。

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世紀末部門の珠玉の作品群を見ていきましょう。

ニカイス・デ・カイザーの《ルイス・ヴァン・カンペンボートの肖像》です。1847年頃、デ・カイザー34歳頃の作品です。このベルギーの画家は今は有名な画家ではありませんが、この作品はなにか気になる作品です。

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フィンセント・ファン・ゴッホの《農夫の肖像画》です。1885年頃、ゴッホ32歳頃の作品です。有名な《ジャガイモを食べる人達》の登場人物を描いたと言われています。こういうゴッホも素晴らしいですね。

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ここからは近代ベルギーを代表する画家の一人であるジェームズ・アンソールの作品を見ていきましょう。この旅でも北海沿岸の町オステンドでアンソールの家(お土産物屋)を見たことを思い出します。

ジェームズ・アンソールの《奇妙な仮面》です。1892年頃、アンソール32歳頃の作品です。アンソールは20代半ばから急に仮面の人物の作品を集中的に描き始めます。この作品はその中でも傑作だと言われています。仮面を描くことでその人間の内面を暴き出すという屈折した作品です。

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ジェームズ・アンソールの《陰鬱な婦人》です。1881年頃、アンソール21歳頃の作品です。仮面の人物を描き始める以前のアンソールの作品です。

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ジェームズ・アンソールの《エイ》です。1892年頃、アンソール32歳頃の作品です。魚とは思えないような不気味な印象の作品です。

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ジェームズ・アンソールの《カラリスト》です。1880年頃、アンソール20歳頃の作品です。これも仮面の人物を描き始める以前のアンソールの作品です。カラリストとは、色彩効果を重視する画家のことだそうです。色彩画家とも言うそうです。

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ジェームズ・アンソールの《団扇とシノワズリー》です。1880年頃、アンソール20歳頃の作品です。これも仮面の人物を描き始める以前のアンソールの作品です。ジャポニスムにはまっていたんですね。ただ、中国と混同していたのはご愛敬かな。

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ジェームズ・アンソールの《ロシアの音楽》です。1881年頃、アンソール21歳頃の作品です。これも仮面の人物を描き始める以前のアンソールの作品です。印象派風ですね。

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アンソールに続いて、フランスの画家たちです。


ジョルジュ・スーラの《グランド・ジャット島のセーヌ川》です。1888年頃、スーラ29歳頃の作品です。精密な点描法の作品です。大変な労作です。この超人的ともいえる作品作りが画家の命を縮めたと言われていますが、それも納得できそうな凄さです。

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ポール・シニャックの《岩だらけの入り江》です。1906年頃、シニャック43歳頃の作品です。これまた、点描法の労作。本当に点描法は体に悪い!

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エドゥアール・ヴュイヤールの《二人の小学生》です。1894年頃、ヴュイヤール26歳頃の作品です。ヴュイヤールはナビ派の一人。このくっきりとした色彩の明確さはいかにもナビ派らしい作品です。

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アルフレッド・シスレーの《ルーヴシエンヌの道》です。1873年~1874年頃、シスレー34歳~35歳頃の作品です。印象派で独自の道を歩んだシスレーの作品を見ると、心が和みます。このふわっとした空気感はいいですね。

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アルフレッド・シスレーの《村のはずれ、春》です。1885年頃、シスレー46歳頃の作品です。シスレーは強い主張がありません。自己の内面に従って、素直な画面を作るだけ。それがシスレーのいいところです。

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次はいよいよ、この美術館の白眉とも言えるクノップフの作品群を見ていきます。



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キュッヒルの美しい響きのゴルトマルク_神奈川フィル@横浜みなとみらいホール 2016.9.17

8月末でウィーン・フィルを退団のライナー・キュッヒルが早速、日本で演奏するというので聴くことにしました。演目はゴルトマルクのヴァイオリン協奏曲第1番。もちろん、ゴルトマルクの曲なんて聴いたことがありませんから、予習は欠かせません。幸い、この曲にはミルシテインが1957年にハリー・ブレック指揮、フィルハーモニア管と録音した素晴らしいCDがあります。ミルシテインの演奏の中でも傑出したもので、そのヴィルトゥオーソ的な演奏にはまったく魅了されるばかりです。今更ながら、ミルシテインの素晴らしさを再認識し、ゴルトマルクのヴァイオリン協奏曲第1番の聴きばえのする音楽にも魅惑されます。で、今日のキュッヒルの演奏ですが、出だしが固い演奏になったことを除いて、正確無比な音程と艶やかな響きは見事なものでした。ミルシテインのようなヴィルトゥオーソではありませんが、ウィーン風といった感じの魅力に満ちており、ゴルトマルクのヴァイオリン協奏曲第1番の美しさを十分に味わうことができました。特に第2楽章の魅惑的な美しさ、第3楽章の切れの良く、迫力に満ちた表現はさすがの演奏に思えました。ウィーン・フィル退団後のライナー・キュッヒルのソロや室内楽での一層の活躍は大いに期待できそうです。

後半のプログラム、マーラーの交響曲第5番ですが、第3楽章までは聴かなかったことにしましょう。何か書くと愚痴になってしまいます。出だしのトランペットのソロからつまづいたのですから仕様がありませんね。第4楽章は有名なアダージェット。神奈川フィルの弦楽パート、特にヴァイオリンのセクションの透明な響きが魅力です。少しばかり、テンポがスロー過ぎたので間延びしたのは指揮者のゲッツェルに帰するものがあります。ノーマルなテンポならば、もっと美しい演奏になったのが悔やまれるところではあります。第5楽章も弦楽セクションの健闘が目立ち、不調の管楽セクションをカバーしていました。指揮のゲッツェルがもう少しきめ細かい表現をしてくれたらと思うところもありましたが、第4楽章、第5楽章はそれなりに心地よく聴けました。全体的にはもう一つの演奏で残念でした。以前聴いたマーラーの交響曲第6番(金聖響指揮、2014.3.20)では素晴らしい演奏を聴かせてくれた神奈川フィルの今後の健闘を祈りたいと思います。

今日のプログラムは以下です。

  指揮:サッシャ・ゲッツェル
  ヴァイオリン:ライナー・キュッヒル
  管弦楽:神奈川フィル

  ゴルトマルク:ヴァイオリン協奏曲第1番イ短調Op.28
   《アンコール》バッハ:無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第2番から サラバンド

   《休憩》

  マーラー:交響曲第5番嬰ハ短調




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       キュッヒル,  

ブリュッセルで美術三昧:ベルギー王立美術館、素晴らしきフェルナン・クノップフの作品群

2015年7月5日日曜日@ブリュッセル/15回目

ベルギー王立美術館Musées royaux des beaux-arts de Belgiqueの世紀末部門Musée Fin-de-Siècle Museumの珠玉の作品群を見ています。
次はいよいよ楽しみにしていたベルギーの象徴主義の旗手フェルナン・クノップフの作品群を見ていきます。

フェルナン・クノップフの《シューマンを聴きながら》です。1883年頃、クノップフ25歳頃の作品です。クノップフ初期の代表作です。母親をモデルにして、クノップフが熱狂的に傾倒していたロベルト・シューマンの音楽に耳を傾けている様子を描いたものです。この作品は前回紹介したジェームズ・アンソールの《ロシアの音楽》との類似性が論議の的になり、アンソール自身が非難の先頭に立ったそうで、以後、クノップフとアンソールの間の亀裂は埋まることがなかったそうです。saraiの意見では両作は同様のテーマであるものの、クノップフの作品はこめかみを押さえる画面中央の女性の内面に踏み込んだ表現になっており、シューマンのロマンあふれるピアノ音楽が底流に流れている見事な作品に仕上がっており、アンソールの作品とは本質的に異なる作品であると言えます。それにしても、ピアノで弾いているシューマンの作品は何でしょう。シューマンのピアノ曲を愛するsaraiはとても気になります。saraiなりに推理してみると、本当は声楽曲《女の愛と生涯》とか《ミルテの花》がふさわしいと思いますが、ピアノを弾いているのでやはり、素直にピアノ独奏曲だと考えるべきでしょう。するとやはり《幻想曲》以外にはありえないような気がしてきます。うん、きっとそうでしょう。《幻想曲》が聴いてみたくなります。定番のリヒテル・・・アラウかシフもいいな。ホロヴィッツというのもありますね。

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フェルナン・クノップフの《ヴァン・デル・ヘクト嬢の肖像》です。1883年頃、クノップフ25歳頃の作品です。何故か、クノップフは肖像画も多く描いています。その中の代表作の1枚です。

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フェルナン・クノップフの《聖アントワーヌの誘惑、ギュスターヴ・フロベールにもとづく(シバの女王)》です。1883年頃、クノップフ25歳頃の作品です。ギュスターヴ・フロベールは《ボヴァリー夫人》で有名なフランスの小説家ですが、彼が《聖アントワーヌの誘惑》という文学作品を1874年に出版しています(日本語訳も出ているようです)。ウィキペディアによると以下のような文学作品です・・・紀元3世紀の聖者アントワーヌ(アントニウス)が、テーベの山頂の庵で一夜にして古今東西の様々な宗教・神話の神々や魑魅魍魎の幻覚を経験した後、生命の始原を垣間見、やがて昇り始めた朝日のなかにキリストの顔を見出すまでを絵巻物のように綴っていく幻想的な作品で、対話劇のかたちをとった散文詩のような形式で書かれている。
クノップフはギュスターヴ・フロベールの《聖アントワーヌの誘惑》から着想を得て、いかにも象徴派らしい幻想的な作品を描き出しています。描かれた場面は聖アントワーヌがシバの女王の幻覚と対峙しているところなのでしょう。フランス象徴派のギュスターヴ・モローの《出現》を思い出させる作品ですね。《出現》はほぼ8年ほど前に描かれていますから、きっとクノップフはそれに影響されたものと思われます。ちなみにフロベールの《聖アントワーヌの誘惑》はジェノヴァのバルビ宮殿でピーテル・ブリューゲルの描いた『聖アントニウスの誘惑』を見て着想を得て書かれたそうですから、芸術はインスピレーションの連鎖によるものも少なからずあるようです。

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フェルナン・クノップフの《マルグリット・クノップフの肖像》です。1887年頃、クノップフ29歳頃の作品です。クノップフの絵画と妹マルグリット・クノップフは切っても切り離されません。彼女を描いた作品がクノップフの最高の絵画だとsaraiは信じています。何故、愛する恋人ではなく、愛する妹にそんなに執着したのかは分かりませんが、クノップフにとって妹マルグリットは最高のモデルでした。ロセッティにエリザベス・シダルとジェーン・バーデンが欠かせなかったのと同じです。この肖像画もただ、そのまま妹の姿を描いたようにも思えますが、やはり、作品からはただならぬオーラが漂ってきます。

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フェルナン・クノップフの《記憶》です。1889年頃、クノップフ31歳頃の作品です。まず、ガラスの映り込みで右側がほとんど見えない状態であることをお詫びします。右側には2人の人物が描かれていますが見えませんね。左側の5人だけをご覧ください。いずれもモデルは妹のマルグリット・クノップフで同一人物が同じ画面上に7人も描かれているという珍しい構成の作品です。まあ、それほどにも妹マルグリットへの強くて異常な愛着があったということでしょう。作品の別名に「ローン・テニス」という名前のあるように画面上のマルグリットたちはラケットを手にしています。優雅にも幻想的にも見える不思議な作品です。

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フェルナン・クノップフの《若い英国女性の顔》です。1891年頃、クノップフ33歳頃の作品です。彫像は珍しいですね。

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フェルナン・クノップフの《妖精の女王、ブリトマール》です。1892年頃、クノップフ34歳頃の作品です。とても美しい作品です。

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フェルナン・クノップフの《妖精の女王、アクラシア》です。1892年頃、クノップフ34歳頃の作品です。これまた、とても美しい作品です。

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フェルナン・クノップフの《妖精の女王》です。上の2枚の絵が一対になった作品です。もっともさらに《孤独》を加えた三幅対の作品がリエージュ美術館に展示されているようです。この作品はイギリスの詩人エドマンド・スペンサーが書いた寓意詩《妖精の女王》の登場人物、女騎士ブリトマートと裸体のアクラシアを描いた作品。いずれも6歳下の妹マグリットを思わせる顔が描かれています。この官能美はベルギー象徴派という枠を超えて、永遠の美を感じさせます。saraiはこの作品の前で立ちすくんでしまい、この作品から立ち去りがたく感じてしまいました。感動の一作です。

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フェルナン・クノップフの《ジェルメーヌ・ヴィーナーの肖像》です。1893年頃、クノップフ35歳頃の作品です。とても可愛いですね。クノップフが描いたとは信じられません。

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フェルナン・クノップフの《フォッセ、モミの木の林》です。1894年頃、クノップフ36歳頃の作品です。クノップフが描いた風景画は珍しいですね。クリムトに通じるところを感じます。そんなに強い印象は抱きませんでしたが、クノップフを代表する1枚だそうです。

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フェルナン・クノップフの《青い翼》です。1894年頃、クノップフ36歳頃の作品です。これは油彩画です。クノップフお気に入りの素材を集めるとこうなるのだそうです。マルグリット、ギリシャ彫刻の頭部、翼。

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フェルナン・クノップフの《青い翼》です。1894年頃、クノップフ36歳頃の作品です。油彩画の《青い翼》を写真に撮って、色付けをした彩色写真です。凝ったものを作りましたね。

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フェルナン・クノップフの《木の下》です。1894年頃、クノップフ36歳頃の作品です。詳細は分かりませんが、中世の騎士を描いたのでしょうか。精密に描いた作品です。

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フェルナン・クノップフの《スフィンクスの愛撫》です。1896年頃、クノップフ38歳頃の作品です。これは傑作ですね。素晴らしいとしか言えません。想像上の生き物スフィンクスが両性具有的な人物を愛撫する様を描いたシュールな作品です。もっともこの時代にはまだシュールレアリスムなんてありませんけどね。スフィンクスの胴体は実はネコ科のチータなんだそうです。邪悪な蛇を模しているんだそうです。スフィンクスも人物もモデルは明らかに妹のマルグリットです。妹はとっくに結婚していますがクノップフは彼女から離れられませんね。クノップフ自身が結婚するのはまだ10年以上も先の50歳を過ぎたころです。未亡人と結婚しますが、結婚生活は3年ほどで終わります。なんだか分かるような気がします。

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顔の部分を拡大してみましょう。やはり、クノップフのモデルは妹マルグリット以外にはありえませんね。こんなに世紀末にふさわしい絵もありません。クノップフの最高傑作でしょう。

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フェルナン・クノップフの《クノップフの家とスタジオ》です。1902年頃、クノップフ44歳頃の建築デザインです。このクノップフの家は取り壊されたので、現在は存在していません。この家が保存されて、クノップフ美術館になっていればよかったと思うのはsaraiだけではないでしょう。今からでも遅くないので、復元したらどうなんでしょう。

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色んな角度から眺めてみましょう。

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フェルナン・クノップフの《メリザンド》です。1907年頃、クノップフ49歳頃の作品です。ベルギーの劇作家モーリス・メーテルリンクが書いた戯曲『ペレアスとメリザンド』の女主人公メリザンドを描いたものです。この頃、クノップフはブリュッセルのモネ劇場でオペラの衣装と舞台セットのデザインを手掛けていたので、これはドビュッシーのオペラ『ペレアスとメリザンド』に基づいたものなのでしょう。なお、このオペラは1902年に初演されていますから、早々とブリュッセルでも上演されたようですね。

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フェルナン・クノップフの《R・シュトラウスの楽劇「エレクトラ」のクリテムネストラの衣装デザイン》です。1910年頃、クノップフ52歳頃のオペラの衣装デザインです。クリテムネストラは主人公エレクトラの妹ですね。クノップフのデザインした衣装と舞台セットの楽劇「エレクトラ」を見てみたいものです。

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フェルナン・クノップフの《呪文》です。1888年~1912年頃の作品です。詳細は不明です。

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フェルナン・クノップフの《ブラバント公、レオポルド王子の肖像》です。1912年頃、クノップフ54歳頃の作品です。このレオポルド王子が後のベルギー国王レオポルド3世のことだとすれば、11歳のときの肖像です。

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以上がクノップフの素晴らしいコレクションです。肝心のポール・デルヴォーの作品は一部のスペースが改装中のため、見られませんでしたが、素晴らしいクノップフの作品を見られたことが今回の王立美術館訪問の最大の成果でした。
もう少し、この世紀末部門の展示作品が残っています。続けて見ていきます。



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鉄壁のアンサンブルのショスタコーヴィチ・・・インバル&東京都交響楽団@サントリーホール 2016.9.20

今日でインバルの80歳記念&都響デビュー25年記念のアニバーサリーコンサートシリーズもシメです。東京芸術劇場を皮切りに東京文化会館、サントリーホールで3回続いたコンサートはいずれも圧巻の出来でしたが、今日はその中でも最高の出来栄え。共演者も変わり、演奏曲目も多彩な3回のコンサートでしたが、一体どれだけリハーサルを重ねたら、ここまでやれるのって感じで驚かされました。

とにかく、今日のメインの曲目、ショスタコーヴィチの交響曲第8番はその解釈が難しい音楽ですが、ある意味、今日の演奏はそういう懸念を嘲笑うかのような驚きの演奏。この音楽が持つ歴史的な意味合い、戦争や絶望といった劇的な解釈からは離れて、純粋に音楽芸術を追及した究極の演奏ではなかったかと思います。音楽そのものが持つ自立性、いわゆる絶対音楽そのものです。都響はこれまでも素晴らしい音楽を聴かせてくれましたが、今日はまさに鉄壁のアンサンブル。美しくて分厚い弦の響き、安定感のある管の響き、自在なテンポの揺れ。世界的にみても超一流のオーケストラのみが実現できる最高の音楽を展開してくれました。おそらく、この音楽を引き出したのは指揮者のインバルでしょう。最弱音から最強音までアンサンブルが崩れることはまったくありませんでした。ショスタコーヴィチの音楽も見事に表現されていました。インバルは無理にショスタコーヴィチが音楽に内在させた意味合いを追及することなしに譜面に書かれた音楽の美しさを徹底的に表現しようとしたのではないでしょうか。その結果、これまで聴いたことのないような純粋な音楽美をこの曲から感じとることができました。ゲルギエフのような戦争シンフォニーとしてのアプローチもあるでしょうが、インバルのような純粋音楽のアプローチもまた素晴らしいものでした。これからインバルと都響のショスタコーヴィチの音楽への取り組みをそういう観点から聴いていきたいと思います。また、楽しみが増えました。

前半のモーツァルトのヴァイオリン協奏曲第3番もとても素晴らしい演奏でした。冒頭の都響の弦の響きだけでモーツァルトの音楽の愉悦が感じとられて、思わず、saraiはにんまりとしました。小編成のオーケストラの最高の響きです。以前、ハイティンク指揮のシカゴ交響楽団の演奏でモーツァルトの交響曲第41番を聴いたときの記憶が戻ってきました。あのとき、最高のモーツァルトの音楽の響きを聴きましたが、それに優るとも劣らないようなアンサンブルの素晴らしさです。ヴァイオリンのオーギュスタン・デュメイは最初は期待していたほどの響きが聴けませんでしたが、次第に調子を上げ、その艶やかな高音の響きが冴えわたるようになりました。とりわけ、第2楽章の天上のような音楽は期待以上のものでした。第3楽章も肩から力が抜けたような絶妙のヴァイオリンの響きで魅了してくれました。モーツァルトのヴァイオリン協奏曲で、ピアノ協奏曲にもひけをとらないような演奏が聴けるとは驚き以外の何ものでもありませんでした。

およそ3カ月ぶりのサントリーホールでしたが、とても素晴らしい音楽を聴けて、幸福でした。台風襲来を恐れずに出かけてきて、本当によかった!!

今日のプログラムは以下のとおりでした。

  指揮:エリアフ・インバル
  ヴァイオリン:オーギュスタン・デュメイ
  管弦楽:東京都交響楽団

  モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲第3番 ト長調 K.216
  《アンコール》 なし

   《休憩》

  ショスタコーヴィチ:交響曲第8番 ハ短調 Op.65



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至芸と言うべきでしょうか・・・ヨーヨー・マ J.S.バッハ 無伴奏チェロ組曲全曲演奏会@サントリーホール 2016.9.21

秋の音楽シーズン真っ只中で連日のサントリーホール通いです。バッハの無伴奏チェロ組曲を全曲通しで聴くのも初めてだし、ヨーヨー・マを実演で聴くのも初めてです。どうして、高額チケットを買ってまで出かけることにしたのかというと、ヨーヨー・マのバッハの無伴奏チェロ組曲をCDで聴いて、その素晴らしい演奏に魅了されたからです。バッハの無伴奏チェロ組曲をCDでまとめ聴きした結果、古い録音のパブロ・カザルスは別格として、ヨーヨー・マの新盤(1982年録音の旧盤ではなく、1996年録音の新盤)とミッシャ・マイスキー新・旧盤(1984年録音:旧盤、1999年録音:新盤)が双璧の演奏に感じられました。そのヨーヨー・マのバッハの無伴奏チェロ組曲の全曲が一晩のリサイタルで聴けるというので大いに期待して出かけることにしたんです。

サントリーホールの客席に座って、ステージを見るとぽつんと椅子が一脚置いてあるだけです。当たり前の光景ですが、それをみて、ふと考え込んでしまいます。バッハの無伴奏チェロ組曲を全曲通しで聴くというとほぼ2時間半ほどはかかります。たった一人のチェロをサントリーホールの大ホールの大勢の聴衆がじっと長時間聴き入るというのは大変なことです。演奏家の心の持ち方、聴衆の一人としてのsaraiの心の持ち方はどうあるべきなのでしょう。ピアノ独奏のリサイタルでは当たり前のことではありますが、ピアノという巨大なマシンを介しての演奏家と聴衆というのと違って、ちっぽけなチェロではほぼ無防備な状態での対峙になります。てなことを考えているうちにヨーヨー・マが人懐こい微笑みを浮かべて、片手を挙げながら、ステージに現れます。やはり、なんだか、お互いに居心地が悪いですね。

まず、無伴奏チェロ組曲の第1番をすっと弾き始めます。自然体のようでありながら、結構、緊張しているようです。CDで聴いた印象とはかなり異なり、抑えた表現に思えます。無伴奏チェロ組曲の中でもポピュラーな第1番ですから、とても耳馴染みしている旋律が流れますが、朗々とした響きではなく、まるでオリジナル楽器のように地味な印象の演奏です。もちろん、モダン楽器での演奏ですが、ここはひねりを入れて、耳慣れない演奏スタイルで弾いているんでしょうか。それでも達者な演奏ですから、楽しんで聴いていましたが、今一つ物足りない感じは残ります。ヨーヨー・マって、こんな感じなのって思いながらの鑑賞です。それでも集中力が切れずに聴き続けたのは何か、saraiを惹き付けるものがあるからでしょう。

次は第2番です。ニ短調の哀調に満ちた音楽が響いてきます。これはツボを押さえた演奏で心に響いてきます。第1番以上に集中力が高まって、聴き入ってしまいます。

次の第3番に至って、ヨーヨー・マのチェロが響き渡ります。演奏に先立ちコップの水をぐいと一口飲み(ここで聴衆の笑いが起きる)、その勢いでプレリュードを朗々とした響きで突っ込んで歌い上げます。これこそ、モダン楽器で弾く無伴奏チェロ組曲の醍醐味っていう感じです。そういう弾き方でも品格を損なわないのはさすがですね。圧倒的な迫力でジーグまで一気呵成に弾いてしまいました。これは素晴らしい。第1番を抑え気味に弾いて、哀調あふれる第2番から、圧倒的な第3番という、考え抜かれた構成での演奏だったのでしょうか。そういえば、それぞれの組曲もプレリュードと5曲の舞曲をテンポを明確に変えて、組曲全体の構成をよく考えた演奏でした。クーラントだけを取れば、速過ぎる感じもありましたが、全体の構成を考えると妥当なテンポに思えました。ヨーヨー・マは無伴奏チェロ組曲の全曲の演奏会を開くにあたって、よくよく構成を熟慮したものと思えます。少なくとも休憩前の前半の演奏を聴いた段階ではそのように感じて、ヨーヨー・マの音楽的な実力と頭のよさに舌を巻きました。

休憩後、まずは第4番ですが、あれっと思います。先ほどの第3番同様の朗々たる響きで素晴らしい演奏です。ということは前半の演奏は全体の構成を考えたというよりもエンジンがかかって、しり上がりに響きがよくなったということだったのでしょうか。まあ、ともかく、地味な印象の拭えない第4番を素晴らしい演奏で弾き切ってしまいました。saraiの集中力も続いています。

次は第5番です。ハ短調の暗い響きでフランス風序曲の形式をとるプレリュードが弾かれます。後半のフーガ風の音楽が見事です。ところが次のアルマンドに入ったところでsaraiの集中力が遂に続かなくなります。見事な演奏が続きますが、短調の曲はどうしても暗めの響きになり、それはsaraiの集中力を高める支えにはなりません。気のせいか、ヨーヨー・マの音楽的な緊張感も下がり気味のような印象です。それも致し方ないでしょう。一人でこんなに長時間、緊張感のある曲を弾き続けるなんて超人的な努力を要しますね。第5番の終曲のジーグを弾き終った後、ヨーヨー・マは暗い顔をして、聴衆も拍手なし。何故?

最後の第6番です。これ凄い演奏です。集中力の落ちていたsaraiも当然のように復活しました。5弦のチェロのために書かれたこの組曲はハイポジションの演奏が多くなり、美しい響きが目立ちます。プレリュードは圧倒的な迫力。長大なアルマンドは繊細さにあふれた音楽です。長大なアルマンドを弾き切ったヨーヨー・マは山場を乗り切ったという感じに思えます。saraiもともかく集中力を持続できて、山場を乗り切ったという感じ。クーラントをさらっと弾き終り、その後のサラバンドはこの日の演奏の白眉とも言える素晴らしい演奏です。その演奏の素晴らしさに魅了されて、saraiは呆然とします。さらにガヴォットの素晴らしい演奏で追い打ちをかけられます。いやはや、素晴らし過ぎるヨーヨー・マです。終曲のジーグも凄まじい気魄で弾き切りました。満場、やんやの拍手。最後はスタンディングオベーションでヨーヨー・マを讃えます。

色々と感想を書きましたが、ヨーヨー・マの無伴奏チェロ組曲はもう至芸とも言っていいレベルに達しています。ちょっとしたミスもありましたが、そんなことは問題にならないような芸術の高みに達しています。ただただ、脱帽の演奏でした。

今日のプログラムは以下のとおりでした。

  ヨーヨー・マ J.S.バッハ 無伴奏チェロ組曲全曲演奏会

  チェロ:ヨーヨー・マ


   無伴奏チェロ組曲第1番 ト長調 BWV1007
   無伴奏チェロ組曲第2番 ニ短調 BWV1008
   無伴奏チェロ組曲第3番 ハ長調 BWV1009

   《休憩》

   無伴奏チェロ組曲第4番 変ホ長調 BWV1010
   無伴奏チェロ組曲第5番 ハ短調 BWV1011
   無伴奏チェロ組曲第6番 ニ長調 BWV1012

    《アンコール》
     マーク・オコナー:アパラチア・ワルツ

saraiは知りませんでしたが、ヨーヨー・マが日本で無伴奏チェロ組曲の全曲を演奏したのは今回で6度目だそうです。前回は2013年だったそうですから、うかつにもsaraiは聴き逃がしていたのですね。日本での全曲演奏がすべてサントリーホールだというのも驚きです。何分にも高額なコンサートなので、次の機会はどうするか、悩みそうです。マイスキーが全曲演奏するのならば、間違いなく聴きますけどね。



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鬼神のごとき上原彩子のプロコフィエフ_ゲッツェル&神奈川フィル@神奈川県民ホール 2016.9.22

連日、素晴らしいコンサートが続きます。今日は上原彩子、お得意のプログラム、プロコフィエフのピアノ協奏曲第3番です。saraiの期待を裏切らない上原彩子のピアノ演奏でした。ちょうど、鍵盤の上を走る彼女の手がよく見える席でしたが(もちろん、偶然にそういう席に座ったわけじゃありません)、聴覚ばかりでなく視覚でも、その凄まじい演奏に釘付けになりました。切れのよいタッチ、硬質の美しい響き、それでいて繊細な音楽表現、究極とも思えるピアノ演奏でした。このプロコフィエフの難曲をパーフェクトに弾き切っただけでなく、オーケストラともぴったりと合わせたのも驚きです。もっともゲッツェル&神奈川フィルが好サポートしたとも言えます。第1楽章の見事な演奏、第2楽章の繊細さとスリリングさの交差する演奏、第3楽章は走りまくる凄まじい演奏にsaraiは高揚するばかり。この鬼神のごとき上原彩子の演奏でsaraiはエネルギーをたっぷりと注入してもらった感じでエネルギー量が倍増して、元気一杯になれました。元気印のような上原彩子に感謝です。先週はアンナ・ヴィニツカヤのダイナミックな超絶技巧の大迫力のピアノでプロコフィエフのピアノ協奏曲 第2番を聴いたばかりです。こうして、プロコフィエフの名曲を素晴らしい演奏で堪能できて、幸せです。そうそう、上原彩子の弾いたアンコールのラフマニノフのプレリュードの美しさといったら、これはもうたまりませんでした。この曲って、こんなのだったっけと思い返すほどです。ラフマニノフを弾かせると無敵の上原彩子です。

《展覧会の絵》には触れないでおきましょう。もうちょっと管が頑張ってくれればね・・・。《展覧会の絵》と言えば、近くフォーレ四重奏団の演奏でピアノ四重奏版の珍しい《展覧会の絵》を聴きます。素晴らしい演奏が聴けそうな予感です。さらに上原彩子のピアノ独奏でも聴く予定です。これも素晴らしい筈です。

今日のプログラムは以下です。

  指揮:サッシャ・ゲッツェル
  ピアノ:上原彩子
  管弦楽:神奈川フィル

  ムソルグスキー:交響詩「はげ山の一夜」
  プロコフィエフ:ピアノ協奏曲第3番ハ長調Op.26
   《アンコール》ラフマニノフ:プレリュードOp.32-5

   《休憩》

  ムソルグスキー(ラヴェル編曲):展覧会の絵




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       上原彩子,  

情感あふれるベルリオーズに感銘・・・スダーン&東京交響楽団@サントリーホール 2016.9.24

東京交響楽団の創立70周年記念公演と銘打って、ベルリオーズの大作、劇的物語「ファウストの劫罰」を海外からの豪華な歌手陣と共に演奏するというのでこれは聴き逃がせません。特に最近、活躍中のソフィー・コッシュとミハイル・ペトレンコへの期待が大きいところです。また、東京交響楽団は声楽を含む大作への取り組みも魅力です。今年4月に聴いたブラームスのドイツ・レクイエムはソプラノのチェン・レイスと合唱(東響コーラス)が素晴らしかったんです。今回も合唱の東響コーラスに期待大です。

冒頭、いきなり、素晴らしいヴィオラの演奏にうっとりします。とても美しい響きです。続いて弦楽セクションによる抒情的な旋律にも魅了されます。ベルリオーズは幻想交響曲以外はあまり聴いたことがありませんが、ベルリオーズのロマンあふれる、みずみずしい抒情性には心を奪われます。ファウスト役のテノールのマイケル・スパイアーズのリリックな歌唱もこの音楽にぴったりです。このテノールはまったく知りませんでしたが、歌手陣のなかで最高に素晴らしい歌唱を聴かせてくれました。このファウスト役を得意にしているそうですね。東京交響楽団とスパイアーズによる情感あふれる演奏が今日のベルリオーズの音楽を一貫して素晴らしい高みに押し上げていたと思います。もちろん、指揮者のユベール・スダーンのベテランらしいタクトも貢献していました。そして、忘れてはならないのが原作の《ファウスト》を書いたゲーテの美しい詩句です。この詩句があるからこそ、ベルリオーズが情感に満ちた音楽を作り上げたわけだし、その音楽の流れに忠実に再現したのが今日の演奏家たちです。

後半の第3部になって、期待のメゾ・ソプラノのソフィー・コッシュが登場しました。saraiはこのソフィー・コッシュを過去3回聴いたことがあります。

 2001年9月29日 バイエルン国立歌劇場の来日公演、東京文化会館、歌劇「フィガロの結婚」、指揮:メータ コッシュはケルビーノ役
 2002年10月5日 ウィーン国立歌劇場、ウィーン国立歌劇場、楽劇「ナクソス島のアリアドネ」、指揮:ハーガー コッシュは作曲家役
 2003年12月15日 パリオペラ座、パリ・オペラ座(ガルニエ)、楽劇「ナクソス島のアリアドネ」、指揮:スタインバーグ コッシュは作曲家役

最初に聴いたバイエルン国立歌劇場の来日公演がソフィー・コッシュの初来日で今回はそれ以来の来日だそうです。当時はソフィー・コッシュではなく、ゾフィー・コッホとドイツ語読みで表記されていたので、てっきりドイツ系のソプラノと思っていました。今回初めて、そのときのドイツ語表記が誤りで実はフランス語表記のソフィー・コッシュだと知りました。両親ともフランス人の生粋のフランス人なのだそうです。ともあれ、当時も今もズボン役を歌うことが多く、今は楽劇「薔薇の騎士」のオクタヴィアン役で頭角を現しています。2014年のザルツブルグ音楽祭でストヤノヴァとエルトマンの3人で素晴らしい公演を行ったことはNHKのBSでも放映があり、話題になりました。このほか、歌劇「ウェルテル」でも活躍しているようです。実はsaraiは15年ほど前に聴いたときは印象の薄い歌手だったんです。それがいつの間にか、ザルツブルグ音楽祭でオクタヴィアンを歌うようになっていたとはびっくりしました。今回聴いてみて、以前のような初々しさはなくなったもののすっかりと舞台を盛り上げる貫禄、オーラがあるように変わっていました。最後に情感たっぷりに歌い上げるところは見事なものでした。テノールのスパイアーズの素晴らし過ぎる歌唱に食われてはいましたが、saraiの期待を裏切らない歌唱ではありました。

メフィストフェレス役のバスのミハイル・ペトレンコもさすがの歌唱。美しい響きの声で見事な狂言回しを演じていました。彼がメフィストフェレスをやると、その美しい声のためにあまり悪役には聴こえないとこころが弱点といえば弱点です。

東響コーラスは相変わらずの好演です。フランス語の歌詞を楽譜も見ないで歌っていたのは凄い。特に終盤の女性合唱で宗教的な歌を歌っていたところには胸がジーンときました。

今日のプログラムは以下のとおりでした。

  指揮:ユベール・スダーン
  ファウスト(テノール):マイケル・スパイアーズ
  メフィストフェレス(バス):ミハイル・ペトレンコ
  マルグリート(メゾ・ソプラノ):ソフィー・コッシュ
  ブランデル(バス・バリトン):北川辰彦
  児童合唱:東京少年少女合唱隊(合唱指揮:長谷川久恵)
  混声合唱:東響コーラス(合唱指揮:安藤常光)
  管弦楽:東京交響楽団

  ベルリオーズ:劇的物語「ファウストの劫罰」Op.24

東京交響楽団の次の声楽ものはモーツァルトの歌劇《コジ・ファン・トゥッテ》です。saraiの大好きなソプラノ、ミア・パーションの声が聴けるのが嬉しいな。


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さすがのドヴォルザーク!プラハ・グァルネリ・トリオ@上大岡ひまわりの郷 2016.9.25

プラハ・グァルネリ・トリオはこの上大岡ひまわりの郷に2回目の登場です。前回はスーク、スメタナというお国ものは聴けましたが、やはり、ドヴォルザークが聴けなかったのが残念でした。今回はそのドヴォルザークの傑作の「ドゥムキー」が聴けます。

前半はシューベルトの作品です。
まず、シューベルトのノットゥルノ。シューベルトらしい、ほのぼのとした作品です。プラハ・グァルネリ・トリオは堅実な演奏で気持ちよく聴かせてくれました。

次はシューベルトのピアノ三重奏曲 第2番。今年はこの曲に縁があるとみえて、今回がこの曲を聴く2回目です。1回目は宮崎国際音楽祭の「ヴェルニコフ・トリオ」(バヴェル・ヴェルニコフ、古川展生、菊池洋子)の演奏で聴きました。とてもダイナミックな演奏でした。今回は常設のピアノ三重奏団らしく、落ち着いた演奏を聴かせてくれます。素晴らしかったのはロンド・ソナタ形式の長大な第4楽章です。ここへきて、そこまで響きが薄かったヴァイオリンが復活し、美しい響きを聴かせてくれます。安定したチェロ、粒立ちのよいタッチのピアノとともに見事なアンサンブルの響きです。スケールの大きな演奏ではありませんが、気持ちのよいシューベルトでした。

休憩後はお国もののドヴォルザークのピアノ三重奏曲 第4番、通称「ドゥムキー」です。組曲形式の異色のピアノ三重奏曲です。民俗色あふれるメロディーが次々に現れる音楽をプラハ・グァルネリ・トリオは美しく紡いでいきます。完全に手の内にはいっているという感があります。終始、楽しく、そして、気持ちよく聴けました。何もこれ以上は望むものはありません。よいものを聴かせてもらいました。

アンコールの2曲は前回のコンサートでも聴かせてもらったお国ものの2曲。これまた、気持ちよく聴けました。こういうインティメットな表現の室内楽は楽しく聴けますね。

今日のプログラムを紹介しておきます。

  プラハ・グァルネリ・トリオ
   ヴァイオリン:チェネック・パヴリーク
   チェロ:マリク・イエリエ
   ピアノ:イヴァン・クラーンスキー

  シューベルト:ノットゥルノ 変ホ長調 D.897
  シューベルト:ピアノ三重奏曲 第2番 変ホ長調 D.929

  《休憩》

  ドヴォルザーク:ピアノ三重奏曲 第4番 ホ短調 Op.90「ドゥムキー」

   《アンコール》
     スーク:ピアノ三重奏のための《エレジー》 Op.23
     ドヴォルザーク:ユモレスク



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ブリュッセルで美術三昧:ベルギー王立美術館、バーン=ジョーンズからミュシャまで

2015年7月5日日曜日@ブリュッセル/16回目

ベルギー王立美術館Musées royaux des beaux-arts de Belgiqueの世紀末部門Musée Fin-de-Siècle Museumの珠玉の作品群を見ています。
フェルナン・クノップフの素晴らしい作品群を見て、大満足。残りの作品も見ていきましょう。

エドワード・バーン=ジョーンズの《プシュケの結婚》です。1895年頃、バーン=ジョーンズ62歳頃の作品です。バーン=ジョーンズはラファエル前派とみなされることもありますが、彼独自の作風で精巧でロマンあふれる作品を描いています。この《プシュケの結婚》及び、一連のプシュケ・シリーズもそういう彼の作風を代表するものです。プシュケはギリシャ神話の世界の登場人物で大変な美貌の持ち主です。その美貌ゆえに愛の神キューピッドからの求婚を受け、神の世界に迎い入れらえます。この絵はプシュケがキューピッドの花嫁になるために天上の世界に向かう場面を描いたものです。華やかな場面の筈ですが、この絵では暗い沈んだ印象があります。結婚というよりもむしろ、神への生贄になるという見方もできるのかもしれません。ただ、そういう穿った見方よりも、プシュケの後の運命を象徴しているのかもしれません。プシュケは結婚のときの契約であったキューピッドの姿を見ないということを破ったためにキューピッドの愛を永遠に失ってしまうんです。

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画面の右側を拡大して見てみましょう。先頭の松明を掲げる乙女に続いて、4人の乙女が薔薇の花びらを撒き、その後ろが花嫁のプシュケです。いずれの乙女もその美しさと言ったら言葉もありませんが、ひときわ、プシュケの美しさが秀でていますね。

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プシュケを拡大して見てみましょう。とても美しいですね。モデルは誰でしょう。

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フランツ・フォン・シュトゥックの《家族のグループ》です。1909年頃、シュトゥック46歳頃の作品です。これはまるでベラスケスの描いたマルガリータ王女のパロディーですね。シュトゥックはミュンヘンで世紀末に活躍した異形の画家です。そのうちにミュンヘンのヴィラ・シュトゥックを訪れて、彼の業績の一部でも垣間見たいと思ってはいます。

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アンリ・ド・グルーの《リヒャルト・ワーグナー》です。1895年頃、ド・グルー29歳頃の作品です。世紀末にワーグナー信奉者が多くいたそうですが、このド・グルーもその一人なのでしょう。

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アンリ・ド・グルーの《ワーグナーの楽劇「ニーベルンクの指輪」からの場面、ハーゲンに殺されるジークフリード》です。1890年頃、ド・グルー24歳頃の作品です。『ニーベルングの指環』四部作の最後を飾る『神々の黄昏』を描いたのですね。

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ヤコブ・スミッツの《ケンペン(地方)のシンボル》です。1901年頃、ヤコブ・スミッツ46歳頃の作品です。印象派的な作品でしょうが、とても厚塗りの作品です。日常風景にキリストやマリアが登場するのはドイツ印象派のフリッツ・フォン・ウーデもよく用いていた手法ですね。

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ヤコブ・スミッツの《Mater Amabilis(慈愛深い母)》です。1901年頃、ヤコブ・スミッツ46歳頃の作品です。もちろん、聖母子をイメージした作品でしょう。

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アルフォンス・ミュシャの4点セットの一つ、連作《一日の四つの時刻》です。1899年、ミュシャ38歳の作品です。ゴシック様式のステンドグラスを思わせる連作になっています。左から《朝の目覚め》、《昼の輝き》、《夕べの夢想》、《夜のやすらぎ》の4点です。シャンプノワ社が販売したパネル・セットの中の1セットです。当時の価格は40フランだったそうです。今はどれくらいの価値があるんでしょう。

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アルフォンス・ミュシャの《ナチュール(自然)》です。1899年~1900年、ミュシャ38歳~39歳の作品です。ミュシャがこういうブロンズ像を制作しているのは知りませんでした。ブロンズ像でもやっぱりミュシャらしい作品に仕上がっていますね。

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折角のブロンズ像ですから、左右からも眺めてみましょう。実に美しい女性像ですね。

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このあたりで鑑賞を終えます。最後にもう一度、バーン=ジョーンズの《プシュケの結婚》とクノップフの《妖精の女王》を眺めておきましょう。いや、素晴らしく美しいです!!

出口へのエレベーターに乗り込むと、びっくり。最後まで楽しませてくれます。エレベーターの中まで、なかなかベルギー王立美術館はきめ細かい演出をしてくれますね。ここでゆっくりしていきたいくらいです。

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出口への通路にはさりげなく、面白い木彫作品が置いてあります。

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最後は地上への階段を上って、世紀末部門もお終い。配偶者の後ろ姿からも満足感と精気が感じとれます。saraiの気持ちが反映しているのかもしれません。

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世紀末部門ではバーン・ジョーンズの作品もとても魅力的でした。まあ、それにしても、素晴らしいクノップフを見られたことで最後は大満足のベルギー王立美術館でした。
粘って粘って探して本当によかったです。11時の開館と同時に入館し、お昼ご飯も含めて、5時まで滞在。結局6時間も滞在してしまいました。ベルギー王立美術館は古典美術館、マグリット美術館、近代美術館(実際は世紀末部門)の3つのドメインに分かれていますが、地下通路で結合されているため、ずっと建物からは出ずじまい。その間、外では雨が降った模様ですが、まったく気が付きませんでした。また、館内はガンガンに冷房が効いていて、寒いくらい。暑い日にはこの美術館にこもるのが一番です。もっとも、今日は雨になったこともあり、昨日までの暑さは一段落。ようやく普通の陽気に戻ったようです。よかったです。
次は王立美術館を出て、明日の遠征のための鉄道チケットを購入するためにブリュッセル中央駅に向かいます。


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ブリュッセルでグルメ三昧

2015年7月5日日曜日@ブリュッセル/17回目

ベルギー王立美術館Musées royaux des beaux-arts de Belgiqueから外に出ると、大雨の降った後で道路はビショビショ。大勢の人が雨宿りをしています。しかし、もうほとんど止んでいるので、バス停まで歩き始めましょう。ロワイヤル広場Place Royaleのバス停から、乗り慣れた71番のバスでブリュッセル中央駅Gare de Bruxelles-Centralに向かいます。明日は元々はお友達の町を訪ねる予定でしたが、お友達の都合が悪くなったために予定キャンセル。丸1日スケジュールが空いてしまったので、急遽アルデンヌ地方ArdennesのディナンDinantに遠征することにしました。その鉄道チケットを買うためにブリュッセル中央駅に行くんです。やってきた71番のバスでブリュッセル中央駅に到着。ブリュッセル中央駅は美しい形の建物です。

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駅の中に入ると、ロビーは美しい内装です。

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駅の構内は地下に続いていて、ホームはそちらにあるようです。

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大きなチケット窓口もありますね。

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チケットは自動販売機で購入します。ちゃんと割引のシニアチケットを買うことが出来ました。

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明日の準備が終わったところで、夕食をどうするか配偶者と相談します。その結果、昨夜と同じお店シェ・レオンChez Léonで夕食をとることにします。昨日シェ・レオンでの食事があんまり美味しかったので、今日もシェ・レオンで別の料理にチャレンジすることにします。ブリュッセル中央駅を出て、シェ・レオンの方に歩きだします。

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途中、グラン・プラスGrand-Placeに立ち寄ります。相変わらず賑わっています。ところが昨日とは様子が違って、広場に椅子が並べられて、何かのイベントをやっているようです。

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広場の真ん中にユニフォームを着た人が球を投げています。どうやら、広場を仕切って、球技大会をやっているようです。

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市庁舎Hôtel de Ville de Bruxellesの前にはちょっとしたスタンドもできています。

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この球技大会の見物人も加わって、グラン・プラスの広場はさらに大勢の人出になっているようです。

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さて、今日もこのグラン・プラスに立ち寄ったのは、昨日、あることを忘れたことに気が付いたからです。それはこんな広場には必ずある、触ると幸せになるという像の存在です。広場の南側にある《星L'Etoileの家》の下にあるセルクラースの像Everard t'Serclaesがそれです。探すとすぐに見つかります。ピカピカに光っていますね。よほど、多くの人に触りまくられたと思えます。

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セルクラースの像は1388年に暗殺されたブリュッセルの町の英雄エヴェラール・セルクラースを記念して造られた像です。セルクラースは1356年の嵐の夜、王位を狙っていたフランドル伯の旗を、星の家によじ登って正統なブラバン公の旗に取り替えてしまったそうです。これで士気を高められて、王位は正統なブラバン公に継承されることになりました。このセルクラースの像に触れると、その人は幸福になると言い伝えられています。saraiもあやかることにしましょう。とりあえずタッチします。

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セルクラースの像のあった《星の家》と市庁舎の間の路地を、しばらくうろつきます。

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再び、喧噪渦巻くグラン・プラスに戻ります。いやはや、賑わっていますね。

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球技大会もたけなわのようです。得点板によると、3対0でKerkskenチームがリードしています。

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早々にグラン・プラスの喧噪を抜けだして、シェ・レオンに食事に向かいましょう。途中、豪華なギャルリー・サン・チュベールLes Galeries Royales Saint-Hubertを抜けていきます。

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レストランの立ち並ぶブシェ通りRue des Bouchersに到着。

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迷うことなく、シェ・レオンChez Léonに入店します。
とりあえず、ベルギービール。

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ベルギービールは瓶のデザインも可愛いですね。

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まずはパンが出てきます。パンも美味しいです。

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路地の様子を眺めながら、美味しいビールをちびちびと飲みます。路地の先には市庁舎の尖塔が見えています。

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今日は、さすがにムール貝以外のものをいただきます。でも海鮮料理がいいですね。
まずは生牡蠣の盛り合わせです。これは超美味!!

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それに魚のスープです。フランスパンを浸していただきます。これも美味しいです! 大満足です。

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あっという間に完食です!!

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暑さも一段落したので、体力も回復し元気一杯のsaraiです。それに美味しいものを食べるとご機嫌になります。ゆったりと路地を余裕で眺めながら、会計を済ませます。

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さて、ホテルに戻りましょう。マルシェ・オー・エルブ通りRue du Marché aux Herbesでワッフル屋さんのゴーフル・ド・ブリュッセルGaufre de Bruxellesの前を通りかかります。そのまま通り過ぎるのも何ですね。フリッツ(ポテトフライ)をテイクアウトしていきましょう。

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お店の前の巨大なフリッツの模型の前にお買い上げのフリッツをかざします。

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ルンルン気分でホテルに向かいます。中央駅に着き、バス停で71番のバスを待ちますが、バスはなかなか来ません。と、後からやってきた若者が、後2分で来るよと仲間に指を2本立てて知らせています。え~、なんで分かるの? 時間表示のパネルなんてないのに・・・と思いながら探すと、待合の屋根の下にありました。知ってないとこれは見えないよね。また一つ賢くなりました。
ロワイヤル広場でバスを降りて、92/93番のトラムへの乗り換えの移動をしていると、通りの向こうからトラムがやってくるのが見えます。ダッシュしながら、配偶者は得意の運転手とのアイコンタクト。しっかりトラムは停まって待ってくれます。こういうときに配偶者は頼りになります。もちろん、配偶者はサンキュウと運転手に挨拶して乗りこみます。降りるときにも、感謝込めて配偶者がさようならの挨拶をすると、運転手はウインクしてました。これがベルギー人なのねって、納得です。フランス人、イタリア人と一緒ですね。

ホテルのお部屋に帰ってきました。またまたブログを書いて、お風呂に入って寝ましょう。おやすみなさい。

明日はアルデンヌ地方を訪れて、ベルギーの旅を終えようと思います。


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あまりにもネットが遅い! 最終結論

我が家のインターネットの速度があまりにも遅く、プロバイダ変更の検討を始めましたが、その後の最終結論です。

プロバイダをPLALAからNIFTYに変更する検討・比較をした結果、結局、まだしもPLALAのほうが平均的に早いという、ある意味、残念な結果です。決して、PLALAが早いわけでなく、夜間の遅さは時として、2Mbpsを切ることもありますが、まあ、そこそこの場合もあります。一方、その場合もNIFTYはさらに遅いという結果、あるいは変わらないという結果ですから、プロバイダを変更する意味はありません。9月いっぱいは無料でNIFTYをお試し利用でしたが、9月いっぱいで利用を打ち切ることにしました。NIFTYさん、お世話になりましたが、ごめんなさい!

また、しばらくはPLALAを使っていきます。今後、何とか改善をお願いしたいものです。


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名曲!シューマンのピアノ五重奏曲:ゲヴァントハウス弦楽四重奏団&仲道郁代@東京オペラシティ コンサートホール 2016.9.29

いよいよ秋らしくなると、室内楽のシーズンです。コンサートも室内楽が続きます。今日は仲道郁代のデビュー30周年ということでお祝いも兼ねて出かけます。ゲヴァントハウス弦楽四重奏団との共演で室内楽を楽しみます。そう言えば、ちょうど2年前にも今日のコンサートと双子のようなコンサートを聴きました。ピアノがピーター・レーゼルに置き換わり、シューマンがブラームスに置き換わったようなものです。弦楽四重奏は同じゲヴァントハウス弦楽四重奏団でした。そのときの記事はここです。とても素晴らしいブラームスのピアノ五重奏曲でした。さて、今日のシューマンのピアノ五重奏曲はどうでしょうね。

前半は弦楽四重奏曲の有名曲が続きます。
まず、ハイドンの弦楽四重奏曲第67番「ひばり」です。ドイツ伝統の弦楽四重奏団であるゲヴァントハウス弦楽四重奏団ですから、重厚で骨太のハイドンを聴かされると思っていたら、とんでもありません。なんとも繊細で優雅な演奏です。ドイツ的というよりもウィーン風といった風情です。何とも美しいアンサンブルでハイドンの名作を心ゆくまで楽しませてもらいました。とりわけ、第1ヴァイオリンのエルベンの抑制のきいた品のよい演奏にうっとりとしました。

次は、ドヴォルザークの弦楽四重奏曲第12番「アメリカ」です。ドイツの弦楽四重奏団でチェコものとは選曲誤りかと思いましたが、考えてみたら、本拠地のライプツィヒはチェコも近いので、そう遠い関係でもないのかもしれません。でも第1楽章は正直、硬い表情の演奏でぎこちなく聴こえます。やはり、武骨な演奏になるのかと思っていたら、第2楽章がとてつもなく美しい演奏です。まさにボヘミアの美しい風景を思わせるような究極の美を感じます。第1ヴァイオリンのエルベンのヴァイオリンの響きが例えようもないほどの美しさです。第3楽章、第4楽章も見事な演奏でした。いい意味で予測を覆してくれた名演でした。

休憩後はいよいよ期待のシューマンのピアノ五重奏曲です。仲道郁代がドイツ人の大男たちに囲まれて、ステージに登場します。新しいドレスに身を包み、いつも以上の艶やかさです。演奏はゲヴァントハウス弦楽四重奏団は文句なしの美しい響き。仲道郁代はちょっとパワー不足でいつものタッチの美しさも不足気味。第2楽章の中間部でのピアノが活躍する部分でも、弦楽四重奏としっくりとかみ合っていません。このまま、終わるのかと思っていたら、第3楽章は出色の出来。ピアノの響きも美しく、弦楽四重奏とのバランスも素晴らしいです。第4楽章にもそのまま突入。終盤の対位法的な部分では少しパワー不足で残念でしたが、フィナーレの高揚感は素晴らしいものでした。全体的に考えると、ゲヴァントハウス弦楽四重奏団の文句の付けようもないドイツ的な響きと仲道郁代の繊細なタッチがうまくかみ合わなかったという感じです。お互いにもう少し共演を重ねるとよいアンサンブルになるのかもしれません。ゲヴァントハウス弦楽四重奏団とは気心の知れたピーター・レーゼルがピアノを弾けば、素晴らしい演奏になったでしょうが、別に仲道郁代の演奏が悪かったわけではありません。むしろ大変な熱演だったんです。単にまだ相性が悪いというだけのことでしょう。音楽って難しいものです。アンコールで演奏した第3楽章は素晴らしい出来でした。全編、こんな感じの演奏だったら、素晴らしい演奏だったのに残念なことです。

ところで、仲道郁代さんはおいくつになってもとても美しいです。カーテンコール時のにこやかな笑顔を見ると、saraiもドキドキします。まるでアイドルです。11月のデビュー30周年記念のソロリサイタルが楽しみです。得意のショパン、思いっ切り弾いてくださいね!!

今日のプログラムを紹介しておきます。

  弦楽四重奏:ゲヴァントハウス弦楽四重奏団
   ヴァイオリン:フランク=ミヒャエル・エルベン
   ヴァイオリン:コンラート・ズスケ
   ヴィオラ:アントン・ジヴァエフ
   チェロ:レオナルド・フレイ-マイバッハ

  ピアノ:仲道郁代

  ハイドン:弦楽四重奏曲第67番 ニ長調「ひばり」Op.64-5
  ドヴォルザーク:弦楽四重奏曲第12番 ヘ長調「アメリカ」Op.96

  《休憩》

  シューマン:ピアノ五重奏曲 変ホ長調 Op.44

   《アンコール》
     シューマン:ピアノ五重奏曲 変ホ長調 Op.44から第3楽章

シューマンの名曲を聴くので、CD(またはアナログディスク)で聴ける名演を予習しました。

 ゼルキン&ブッシュ四重奏団(アナログディスク)
 ゼルキン&ブダペスト弦楽四重奏団(アナログディスク)
 リヒテル&ボロディン弦楽四重奏団
 レーゼル&ゲヴァントハウス弦楽四重奏団

すべて名演です。ブッシュ四重奏団が思ったほどの素晴らしさではなかったのが意外でした。レーゼル&ゲヴァントハウス弦楽四重奏団はとても素晴らしい演奏です。ゲヴァントハウス弦楽四重奏団は今日のメンバーとは異なっています。名演の誉れ高いデムス&ウィーン・コンツェルトハウス四重奏団はウィーン風なので、今回はあえて聴くのを避けました。



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首都圏の様々なジャンルのクラシックコンサート、オペラの感動をレポートします。在京オケ・海外オケ、室内楽、ピアノ、古楽、声楽、オペラ。バロックから現代まで、幅広く、深く、クラシック音楽の真髄を堪能します。
たまには、旅ブログも書きます。

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金婚式、おめでとうございます!!!
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07/08 18:59 sarai

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07/08 15:53 じじい@

saraiです。
久々のコメント、ありがとうございます。
哀愁のヨーロッパ、懐かしく思い出してもらえたようで、記事の書き甲斐がありました。マイセンはやはりカップは高く

06/18 12:46 sarai

私も18年前にドレスデンでバームクーヘン食べました。マイセンではB級品でもコーヒー茶碗1客日本円で5万円程して庶民には高くて買えなかったですよ。奥様はもしかして◯良女

06/18 08:33 五十棲郁子

 ≪…明恵上人…≫の、仏眼仏母(ぶつげんぶつも)から、百人一首の本歌取りで数の言葉ヒフミヨ(1234)に、華厳の精神を・・・

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