最初に演奏されたモーツァルトは一昨日の不満を解消してくれる会心の演奏。モーツァルトの最後のピアノ・ソナタの深さを初めて分からせてもらえるような演奏でした。そして、シューベルトはあり得ないような最高の演奏。一昨日演奏されたピアノ・ソナタ第20番 イ長調 D959でシューベルトは音楽的には最高点に達したかも知れませんが、今日のピアノ・ソナタ第21番 変ロ長調 D960で精神的に最高点に達したと確信させてくれるような魂のこもった演奏でした。ここでsaraiは集中力を使い果してしまし、いったん集中力が落ちてしまいます。ハイドンの素晴らしい演奏が始まっても一向に身が入りません。美しい響きと躍動感に満ちたハイドンのソナタが頭の上を通り過ぎていきました。そして、ベートーヴェンの最後のソナタが始まってもその状態が続きます。部分的にはその素晴らしい演奏に聴き入りますが、すぐに集中力が途切れます。そして、第2楽章の後半に至って、まさに神が舞い降りてきました。あまりの素晴らしい演奏によって、再び、集中力が戻ってきたんです。シフが奏でる驚異的とも思える究極の演奏にじっと耳を傾けます。ベートーヴェンがその最後のピアノ・ソナタで人間としての苦悩の末に自ら神の域に達したことを悟らせてくれるようなシフの超絶的な(技巧ではなく精神的に)演奏の前にsaraiはただただ、感動するのみでした。ベートーヴェンとシフが作り出した音楽の力によって、神の世界を垣間見せてもらった思いです。
素晴らしい音楽作品、たゆまない努力と才能でとことんまで音楽を表現し尽くす演奏者、それを受容する聴衆の心と体力、それらが一体になったときに歴史的な芸術事件が起きるのだと思いました。奇跡のようなコンサートでした。
今日のプログラムは以下です。
ピアノ:アンドラーシュ・シフ
モーツァルト:ピアノ・ソナタ第18(17)番 ニ長調 K.576
シューベルト:ピアノ・ソナタ第21番 変ロ長調 D960
ハイドン:ピアノ・ソナタ第62番 変ホ長調 Hob. XVI: 52
ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第32番 ハ短調 op.111
※休憩なし
《アンコール》
J.S.バッハ:ゴールドベルク変奏曲BWV.988~アリア
J.S.バッハ:パルティータ第1番変ロ長調BWV.825~メヌエットとジーグ
ブラームス:3つの間奏曲Op.117~第1番 変ホ長調
バルトーク:「子供のために」BB53,Sz.42~第2巻40番《豚飼いの踊り》・・・昨日記載の情報は誤りでした。訂正します。
モーツァルト:ピアノ・ソナタ第16(15)番ハ長調K.545~第1楽章 アレグロ ハ長調
シューベルト:即興曲集D899~第2曲変ホ長調
シューマン:『子供のためのアルバム』Op.68~第1部第10曲 楽しき農夫
まず、最初はモーツァルトのピアノ・ソナタ第18(17)番 ニ長調 K.576です。一昨日はモーツァルトの響きに多少なりとも不満が残ったんですが、今日は実に粒立ちのよい響き。それでいて、円熟したシフらしい温かく、まろやかな響きも兼ね備えています。モーツァルトのピアノ・ソナタを聴くときはどうしてもペダルの踏み方が気になって、そちらに視線がいってしまいます。もちろん、シフはほとんど、ペダルを踏みません。足を離していることも多いです。しかし、ここぞという響かせところでは躊躇なく、軽くペダルに触れています。実に微妙な感じです。第1楽章は歯切れよく、あまり弱音効果は狙わない明快な演奏です。それでも、明るさの中にある種の哀しみの翳を感じさせる深みのある表現にぐいぐい惹き込まれます。第2楽章は最高のモーツァルトでした。やはり、シフは緩徐楽章の表現力が抜群です。その美しい演奏は形容ができません。中間部のメロディアスな表現はアイロニーに満ちています。第3楽章にはいると、一転して、軽快に弾むような演奏に変わります。実に愉悦感に満ちた演奏です。やはり、モーツァルトは最後までモーツァルトであり続けます。円熟したには違いありませんが、永遠の青年像のまま、モーツァルトは最後のピアノ・ソナタを締めくくりました。シフの見事なモーツァルトでした。若い頃のCDに聴くシフのモーツァルトも素晴らしいですが、ここには巨匠となったシフでしか描き出せないモーツァルトがありました。
次はいよいよ、シューベルトの最後のピアノ・ソナタを聴きます。シフは来日前のインタビューで、シューベルトの最後の3つのソナタは同時に書かれたもので、内容的に最後のピアノ・ソナタと感じるのは一昨日弾いたピアノ・ソナタ第20番 イ長調 D959であるという趣旨の発言をしていました。確かに音楽的なレベルで言えば、そうかなとも思いますが、今日のピアノ・ソナタ第21番 変ロ長調 D960は誰でも心の奥底に響いてくる、特別なものという感覚はあると思います。音楽を超えた何かです。ですから、予習しているときにも感じましたが、この曲を愛奏しているピアニストが多いのもそういうことかなとも思います。ということで、この曲がシューベルトの最後のソナタであるかどうかは別として、シューベルトの特別のピアノ・ソナタを聴くという緊張感を持って、シフが弾き始めるのを待ちます。意外に抑えた響きではなく、少しくぐもってはいますが、はっきりした響きであのタ・タ・タ・タータ・ターンという何とも言えない素晴らしいメロディーが弾かれ始めます。そして、あの不可解なトリルが弾かれますが、あまり、ぼんやりした響きではなく、しっかりと明確な響きです。もちろん、これらは一般的な演奏と比べての話であって、全体的には抑えた表現ではあります。そして、次第に音楽ははっきりとした姿を現してきます。この長大な第1楽章はここから圧巻の展開を果たします。この第1楽章は難しい音楽だと思うんです。シフは実に精神性の高い見事な音楽を聴かせてくれました。フォルテ、あるいはフォルテシモの圧倒的な響きには震撼させられましたし、何よりもシューベルトの打ち震えるような心の機微を完璧に表現し尽くしてくれました。大変な感銘を受けました。そして、大好きな第2楽章が始まります。いつもは水墨画的に感じる楽章ですが、今日の演奏は光も色も感じます。心は感動に満たされます。いつまでも終わらないでほしいと願ってしまうような美しい音楽が続きました。第2楽章が感動のうちに終わり、一体、この後にどういう音楽が続けられるんだろうと思ってしまいます。シフはちょっとためらったように時間をおいて、そっと第3楽章を弾き始めます。いつも終楽章へのつなぎの音楽に感じますが、この日の演奏は際立って、美しい演奏です。第2楽章の残照を忘れさせてくれるような輝くような音楽に心が浮き立ちます。この比較的短い楽章が終わり、すぐに第4楽章の冒頭のバーンという響きが打ち鳴らされます。紆余曲折して、最強音の頂点にいったん上りつめます。圧倒的な演奏に感動します。そして、また沈静化した音楽はフィナーレに向かって、シューベルトの心の襞を紡いでいきます。シフが最後に作り出した強烈な音楽のインパクトは如何ばかりのものだったでしょう。圧倒的なフィナーレにsaraiの魂は感動するのみです。これ以上、何も言うことはありません。
ある意味、放心状態に陥りました。普通なら、この曲でリサイタルを終わるところでしょう。これ以上、音楽を聴き続ける耳も体力もありません。それでも、無情にハイドンの最後のソナタ、ピアノ・ソナタ第62番 変ホ長調 Hob. XVI: 52が素晴らしい響きで始まります。しかもその活き活きとした表現は見事です。しかし、残念ながら、saraiはその音楽についていけませんでした。この曲って、こんなに長かったっけと思うほど、第1楽章がいつまでも続きます。別のシテュエーションで聴きたかったですね。アドレナリンの切れたsaraiの頭上をハイドンの素晴らしい音楽が通り過ぎていきました。
さあ、最後はベートーヴェンの最後のピアノ・ソナタです。気持ちを立て直して、ピアノ・ソナタ第32番 ハ短調 op.111に耳を傾けましょう。第1楽章は激しく、堂々たる演奏で展開されていきます。シフはまさにヴィルトゥオーソ的に圧巻の演奏です。しかし、saraiはここに至っても、なかなか音楽に入り込めません。素晴らしい音楽を耳で聴いているのに主情的な聴き方ができません。まだ、シューベルトで燃やし尽くされた心が戻ってきていません。ベートーヴェンが自らのものとした素晴らしいフーガをシフが描き尽していきます。バッハを最も得意にするシフならでは見事なフーガです。saraiはそれを放心の体で眺めているだけです。そして、遂にベートーヴェンが到達したピアノ音楽の最高峰とも思える第2楽章のアリエッタが始まります。何と美しい音楽でしょう。しかし、saraiの心は冷めきっています。そのまま、第3変奏まで進行します。素晴らしい音楽が目の前に展開されているのに、どこか遠くの風景でも見るように感じています。第4変奏が始まります。ふっと、saraiの心が明晰になり、ぱぁーっと音楽が流れ込んできます。まるで音楽の神が降りてきたような奇跡です。そして、シフの演奏する音楽の高貴さたるや、驚異的な高みにあります。連続するトリルが圧倒的に心に響きます。静かに音楽が終わるとき、大変な名演を聴いてしまったことを悟りました。会場もシーンと静まり返っています。シフも長い間、その弾き終えた姿のままでいたようです。saraiの視覚は凍り付いていたので見ていませんが、会場の静かな様子でそう感じました。お陰で素晴らしい音楽をかみしめることができました。拍手を控えてくれた素晴らしい聴衆に感謝するしかありません。
ベートーヴェンはその生涯において、ピアノ・ソナタをこの曲で完璧に完結したことを完全に理解することができました。これ以上、何を付け加えることがあるでしょう。
そして、若くして突然の死に見舞われたシューベルトもどうしてだか、彼のピアノ・ソナタを完璧な形で書き終えたことを完全に理解しました。
今日のピアノ・リサイタルはその二人の天才の偉業を完璧に聴衆に示してくれる究極の演奏が展開された、これ以上はないリサイタルになりました。アンドラーシュ・シフが到達した圧倒的な高みには目がくらむほどです。生涯、これ以上のピアノ・リサイタルは望むべくもないでしょう。
正直、アンコールは不要でした。一瞬、シフもその気になったかなと思いましたが、気持ちの優しいシフはアンコールをせずにいられないようです。それにしても、これだけの音楽を演奏した後に何を弾いても無粋になるでしょう。あっ、シフが静かに弾き始めたのは、バッハのゴールドベルク変奏曲です。saraiの心を嘲笑うかのごとく、西洋音楽の最高峰とも思える音楽を弾き始めました。バッハを忘れてもらっては困るねと言わんばっかりです。あれだけの音楽を弾き切ったシフはどこにエネルギーが残っているのか、超絶的に美しいアリアを弾き続けます。もしかしたら、この人はこの長大な音楽を弾き続けるのかと思っていると、アリアだけで弾くのを止めます。こんな素晴らしいものを日本人の聴衆に垣間見せたからには、いつか、日本でゴールドベルク変奏曲全曲を聴かせてくれるんでしょうね。→シフと関係者の方へ
まだ、アンコールは続きます。何と、saraiの一番好きな鍵盤音楽のバッハのパルティータです。これも素晴らしいです。これもいつか全曲聴かせてくださいね。→シフと関係者の方へ
何と次はブラームスの後期のピアノ曲です。saraiの知る限り、CDでもシフはブラームスのピアノ曲は《ヘンデルの主題による変奏曲》しか録音していない筈です。因みにあれは素晴らしい演奏でした。これを聴かせてくれるんだったら、次の企画はシューベルトとブラームスの後期ピアノ曲にチクルスってことでお願いしたいものです。→シフと関係者の方へ
あと、念願のシューベルトの即興曲も聴かせてもらえて、満足。モーツァルトのソナチネも一昨日のアンコールのときに比べて、格段の素晴らしさでした。
バルトークとシューマンの続きは、夏のザルツブルク音楽祭で聴かせてもらいます。もちろん、バッハもね。
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