アミアン大聖堂Cathédrale d'AmiensからアミアンAmiensの街を散策しながら、ジュール・ヴェルヌの家Maison de Jules Verneに向かいます。町の中心を10分ほどで抜けて、緑地帯のような大通りを渡り、ルメルシエ通りRue Lemerchierを歩くと通りは鉄道の線路を越えます。

線路を越えると、道標があります。ジュール・ヴェルヌの家へは、ここで左に曲がるようです。

線路沿いの、その名もジュール・ヴェルヌ通りBoulevard Jules Verneを歩きます。一つ目の角で右手に伸びるドブレ通りRue Debrayを覗くと、正面には教会が見えます。サン・マルタン教区教会Paroisse Saint Martinです。しかし、ジュール・ヴェルヌの家はまだのようです。

次の角にジュール・ヴェルヌの家がありました。ちょっと分かりづらい所ですが、何とか発見。これが入口のようですが、まだ、クローズしています。何人かの人がオープンを待っています。

天体観測所のような塔まで備えた、いかにもヴェルヌらしい家です。ジュール・ヴェルヌと言えば、このアミアンで一番の有名人です。saraiも子供のころに夢中になって、海底二万マイルとか、80日間世界一周とか、読みました。とても夢のある物語です。そのヴェルヌの家にふさわしい建物です。彼はこの邸宅に1882年~1900年の間、住んでいたそうです。現在はジュール・ヴェルヌの博物館になっています。

これはジュール・ヴェルヌ通りから見たジュール・ヴェルヌの家です。堂々たる建物です。いかにヴェルヌが活躍したかがうかがい知れます。

ジュール・ヴェルヌの家は11時にオープンするので、あと数分で開きますが、パリに戻る電車は11時21分発なので、中に入る余裕はないので、あきらめて駅に向かうことにします。マレシャル・ジョフル広場Place du Maréchal Joffreに出ると、駅前のペレ塔Tour Perretが見えます。そちらの方向に歩いていきましょう。

広場の中央には銅像が立っています。慰霊碑です。広場の名前の由来のジョゼフ・ジョフル元帥Maréchal Joffreは第1次世界大戦時にフランスの陸軍総司令官を務めた人ですから、戦争の慰霊碑でしょうね。

ベルフォール通りBoulevard de Belfortからは遠くにアミアン大聖堂Cathédrale d'Amiensが見えています。ペレ塔とアミアン大聖堂はアミアンの町のランドマークですね。

ベルフォール通りを歩き始めると、公園に中に銅像が見えます。これって、ジュール・ヴェルヌ像ですね。

アミアンは本当に緑の美しい街です。ベルフォール通りを歩いて、15分ほどでアミアン駅に着きます。
ここまでの移動ルートを地図で確認しておきましょう。(地図上のジュール・ヴェルヌの家の場所は間違っています。ジュール・ヴェルヌ通りの北になっていますが、実際は南側にあります。)

予定通りの電車に余裕で乗車。

発車した電車はゆっくりとアミアンの町を離れていきます。

ここまでは予定通りにことが進んでいましたが、saraiは具合が悪くなります。頭がふらついてきます。配偶者にそう言うと心配そうにしています。彼女は風邪でもひいたのかしらと言っています。具合の悪いままに、saraiはパリへの帰りの電車の中でぐっすりと寝てしまいます。本当にかなり具合が悪くなって、配偶者に迷惑をかけてしまいます。まあ、スケジュールのゆるい日でよかったです。パリ北駅Gare du Nord Parisに到着します。

賑わうパリ北駅の中を何とか歩きます。

ともかく、荷物を預けているパリ・リヨン駅に向かいましょう。フラフラしながら、高速電車RER(エール・ウ・エール)のホームに向かいます。

saraiの体の調子とはうらはらにパリ北駅の前はまさに観光日和です。

パリ・リヨン駅Paris Gare de Lyonに何とか着きます。日曜日だからでしょう。家族連れも多く、駅は人でごった返しています。人ごみの中をホテルに向かい、カバンを受け取ります。カバンを引っ張って、駅に戻ります。

具合はますます悪くなりますが、これから、予定通り、TGVに乗って、リヨンLyonに移動しないといけません。これから、一体、どうなるんだろう・・・(不安)。
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