今日の演奏はある意味、オーソドックスな解釈の演奏で、5年前の実に個性的だった演奏とは違っています。もう、最初の第1楽章から、抑えた表現ではなく、全開モードの演奏が繰り広げられます。その抒情を極めた美しさは見事なもので実に魅惑されます。5年前に比べて、オーケストラのアンサンブルも整っています。オーケストラの響きは前回以上にロシア的な響きを離れて、西欧のオーケストラの響きと同様なモダンなものになりました。オーケストラの配置は対向配置で伝統的なロシアのオーケストラと同じですが、低音部の響きも軽くなり、高音弦のきらめきも美しくなりました。この5年間にアンサンブルの強化が図られたようです。フェドセーエフ自体も年齢を5つ積み上げて、高齢の85歳になりました。以前の快速フェドセーエフと呼ばれた頃からはスタイルを変えて、よりオーソドックスな演奏で音楽の美しさや抒情性を追求するようになったのでしょうか。少なくとも、今日の演奏ではそう思われてなりません。巨匠の音楽の集大成にかかったのでしょうか。そういう意味では、フェドセーエフのチャイコフスキーは最終の高みにさしかかったという強い印象を持ちました。第1楽章から第2楽章は抒情美の極み、第3楽章は劇的な盛り上がり、そして、圧巻だったのは第4楽章の感涙を誘うような、精神性の高い演奏です。以前も第4楽章は絶望感だけに陥るような弱々しい表現ではなく、言わば、雄々しい雄叫びのような表現でしたが、今回はそれに磨きがかかって、胸も張り裂けんばかりの叫びが抒情性に満ちた美しい響きで表現されました。終始、強い感銘を受け続けて、感動に至りました。大変、素晴らしい演奏であったと思います。しかし、これが終着点ではないような気がします。5年後、90歳になったフェドセーエフはどんな白鳥の歌を聴かせてくれるでしょう。強い期待感を持って、待っていましょう。大変な音楽が聴けるような予感がします。
前半の最初の2曲は当初のプログラムでは告知されていなかった曲目です。これはチャイコフスキーのピアノ曲からの編曲です。saraiも原曲のピアノ曲しか聴いたことがありません。編曲は当オーケストラ(旧称モスクワ放送交響楽団)で音楽監督をしていたアレクサンドル・ガウクです。1958年にモスクワ放送交響楽団を率いて、来日したこともあるそうです。編曲は木管を巧みに取り入れたメランコリックなものに仕上がっていました。あのオペラ《エフゲニー・オネーギン》の憂鬱さを思い出させるようなもので、それをフェドセーエフは見事に演奏しました。
前半の最後は三浦文彰のヴァイオリンによるチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲。実は5年前に来日したプラハ・フィルとの共演で三浦文彰のヴァイオリンによるチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲を聴いたことがあります。そのときの記事はここです。そのとき、彼はまだ十代でした。既にヴァイオリンの響きはとても美しいものでしたが、演奏はときに若さを露呈するものではありました。しかし、前途有望な可能性を秘めた演奏であったことを覚えています。それから、5年、二十代の半ばに差し掛かった三浦文彰のヴァイオリンは成熟し、響きはさらに甘さを加えて、魅惑的なものに成長。とても安定感のある演奏で、音楽性も高いものになりました。そういう彼のヴァイオリンを60歳も年長のフェドセーエフは優しくサポートし、ときにはインスパイアしながら、美しい演奏を繰り広げてくれました。とっても満足できる演奏でした。もちろん、課題がないわけではありません。これだけの魅惑的な響きを獲得した今、若い三浦文彰は安定した演奏という居心地のよい場所に身を置くべきではなく、さらなる高みを目指して、チャレンジャブルな演奏で、もがき苦しむ時期なのではないでしょうか。今日の演奏は安定した美しさに満ちていましたが、わくわくするようなスリルには欠けていたように感じます。もっと成長していく過程を見せてくれるように、1音楽ファンとしては期待するのみです。青年は荒野を目指し、世界を征服する気概で挑戦を続けてくださいね。ちなみに、彼のヴァイオリンを初めて聴いたのは彼が16歳の少年のとき。共演したオーケストラのコンサートマスター席に座っていたのはお父さんの三浦彰広でした。2009年のハノーファー国際コンクールで優勝した直後のことでした。弾いたのはサン=サーンスの《序奏とロンド・カプリチオーソ》でした。以来、何かと気になる存在です。
プログラムは以下です。
指揮:ウラディーミル・フェドセーエフ
ヴァイオリン:三浦文彰
管弦楽:チャイコフスキー・シンフォニー・オーケストラ
チャイコフスキー:『四季』Op.37bより (アレクサンドル・ガウクによる管弦楽編曲)
10月 秋の歌
11月 トロイカ
チャイコフスキー:ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 Op.35
《アンコール》 パガニーニ:「うつろな心」変奏曲 より
《休憩》
チャイコフスキー:交響曲 第6番 ロ短調 「悲愴」Op.74
《アンコール》
チャイコフスキー:「白鳥の湖」Op.20a より“スペインの踊り”
スヴィリードフ:「吹雪」より“ワルツ・エコー”
最後に予習について触れておきます。
まず、チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲は以下のCDを聴きました。
2003年9月 アンネ・ゾフィー・ムター、アンドレ・プレヴィン指揮ウィーン・フィル ウィーン ムジークフェライン ライヴ録音
1972,73年 ナタン・ミルシテイン、クラウディオ・アバド指揮ウィーン・フィル セッション録音
ワディム・レーピン、ヴァレリー・ゲルギエフ指揮キーロフ管弦楽団も聴いておきたかったのですが、これは時間切れ。ムターの演奏はこの曲に限らず、最近、結構、はまっているのですが、この演奏も彼女の個性が十分に発揮された素晴らしいものです。派手過ぎ、グラマラスというネガティブな評価もあるかもしれませんが、無味乾燥に比べて、どれだけ、耳を楽しませてくれるか、是非、一聴をお勧めしたい名盤です。ミルシテインは彼のヴィルトゥオーソぶりを期待しましたが、彼なら、きっと、もっと弾けただろうという感じが残ったのが残念なところです。愛聴盤のヒラリー・ハーン、ダヴィッド・オイストラフは依然として、盤石の地位を占めています。
チャイコフスキーの交響曲第6番ロ短調「悲愴」は以下のCDを聴きました。
1938年 ヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮ベルリン・フィル
1941年 ウィレム・メンゲルベルク指揮アムステルダム・コンセルトヘボウ
1960年 フェレンツ・フリッチャイ指揮バイエルン放送響 ライヴ録音 モノラル
1960年 エフゲニ・ムラヴィンスキー指揮レニングラード・フィル ムジークフェライン セッション録音 ステレオ
かなり、偏った予習になりました。フルトヴェングラーは戦前の録音ですが、意外に音質がよく、鑑賞には差支えがありません。彼はベートーヴェンだけでなく、ロマン派の交響曲も素晴らしいことを再認識しました。殿堂入りのような演奏です。同じく殿堂入りの一枚がメンゲルベルクです。若干、音質が冴えませんが、ポルタメントの甘さもさほど気にならず、フルトヴェングラーと双璧をなす戦前の素晴らしい演奏です。なお、1937年の演奏も世評が高いのですが、未入手でまだ聴いていません。
フリッチャイは1959年ステレオ録音のベルリン放送交響楽団とのコンビの演奏が名高いですが、今回は1960年のバイエルン放送響とのライヴ録音のモノラルCDを聴いてみました。表現は同様で溜めのきいたスケール感の大きい特有のものですが、モノラルとは言え、音質もよく、必聴の一枚です。
しかし、決定盤はやはり、ムラヴィンスキー指揮レニングラード・フィルを置いて、ほかはないでしょう。何も言うことのないパーフェクトな演奏です。これ以上、望むものはありません。1956年のモノラル録音も聴いてみたいのですが、未聴です。
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