今回のピアノ・リサイタルは田部京子が満を持して開始したシューベルト・プラスというコンサートシリーズの第3回です。田部京子と言えば、シューベルト。シューベルトと言えば、田部京子です。第1回の幻想ソナタ(第18番)は残念ながら聴き逃しましたが、第2回の遺作ソナタ、ハ短調 D. 958は最高の演奏でした。そのときのリサイタルの記事はここです。
以下に前回書いた田部京子の特徴についてに記事を再度掲載しておきます。今日も同じ印象でした。
------------------ここから引用開始-----------------------
いつも書くことですが、素晴らしい演奏を言葉で表現することは大変難しいことです。何とか表現してみましょう。田部京子の演奏は素晴らしいテクニックをベースとして、実に丁寧なアーティキュレーションとフレージングの表現が見事で、聴くものがその音楽にぐっと惹きつけられます。しかし、本当に凄いのはそういうことではなくて、彼女の優しく心の襞を撫でてくれるような深い詩情、あるいは味わい(初めて経験するような感覚なので適用な言葉が思い当たりません)に満ちた演奏です。
------------------ここまで引用終了-----------------------
さて、今日の演奏をまとめてみましょう。
まず、モーツァルトのピアノ・ソナタ第10番 ハ長調 K.330です。これは何というか、やはり、名曲です。ハ長調という基本的で単純な調でこそ、モーツァルトの真髄が聴けます。それを教えてくれたのは、クララ・ハスキルの録音です。これを超える演奏はありえないでしょう。以下の3つの録音が残っています。
(1)...54/05/05-06、アムステルダム (Philips)
セッション録音なのですが、音質的には期待したほどではありません。演奏はハスキルらしい素晴らしさです。
(2)...57/08/08、ザルツブルク(モーツァルテウム) (ORF)
ザルツブルク音楽祭のライヴ録音です。とてもライヴとは思えない素晴らしい音質です。演奏も最高です。第3楽章は素晴らしいテクニックですが、少し、さめた表現の感じです。第1楽章と第2楽章は最高の出来です。
(3)...57/08/23、エジンバラ (THARA)
エジンバラ音楽祭のライヴ録音です。ほぼ、2週間前のザルツブルク・ライヴと同じ表現です。音質的にはザルツブルクよりもホールの残響を感じる感じでクリアーさは足りないかも知れませんが、これはこれでよい音質だと言えます。演奏はこの日のほうが好みです。いずれにせよ、この2つのライヴで聴けるハスキルの演奏はこの曲では最高のものだし、協奏曲を含めても、モーツァルト演奏の頂点のひとつと言えます。
モーツァルトを得意にしたハスキルですが、ピアノ・ソナタで録音を残しているのは、この第10番以外には、第2番 ヘ長調 K.280だけです。よほど、この作品に愛着があったのでしょう。この録音を聴くと、それがよく分かります。
ともあれ、今日の演奏に戻りましょう。田部京子の演奏も、ハスキルのことを忘れると、とても素晴らしい演奏です。まるでモーツァルト弾きと言ってもいいほど、モーツァルトにぴったりのピュアーな響きの演奏です。第2楽章の抒情的な表現も素晴らしかったのですが、とりわけ、第3楽章のシャープな演奏は魅力的でした。今時、こんなモーツァルトはなかなか聴けません。
次はベートーヴェンのピアノ・ソナタ第27番 ホ短調 Op.90です。これは驚愕してしまうほど、圧倒的に素晴らしい演奏でした。この曲がこんなにロマンティックな名曲であることをこの演奏で初めて知りました。今日の彼女の演奏は古今東西、最高の演奏かもしれませんが、この曲はこれまでノーマークでそれほど聴き込んだわけではありませんから、断言は控えましょう。ベートーヴェンには失礼かもしれませんが、ある意味、この曲はシューベルトのピアノ曲を先取りしたような曲であることを、今日の演奏で初めて感じ取れました。ベートーヴェンの後期ソナタはこの曲から始まりますが、ベートーヴェンは最後の3曲のソナタで彼のピアノ曲を完成させ、シューベルトは別の道を行き、彼の最後の3曲のソナタで彼のピアノ曲を完結させます。それらの端緒になったのがこのピアノ・ソナタ第27番 ホ短調 Op.90であることを実感しました。今回のコンサートで田部京子がこの曲を選択した意味が分かったような気がします。と言うか、分からせてくれるような演奏でした。この曲は今後、彼女の演奏で聴きたいものですが、残念ながら、今のところ、CDに録音していませんね。今日の演奏は第1楽章の祝祭的な気分のロマンティックな演奏が最高に素晴らしく、第2楽章のメロディアスな美しさも光っていました。ただ、曲自体の完成度で言えば、第2楽章のメロディーの装飾はシューベルトであれば、もっと見事なのになあと感じてしまったのも正直なところです。ですから、この曲はシューベルトの後期のピアノ曲の先駆けの地位に甘んじてしまうと思ってしまいました。やはり、ベートーヴェンは最後の3つのソナタの偉大さに尽きます。
前半のプログラムの最後はブラームスの4つの小品 Op.119です。ブラームスの残した最後のピアノ曲です。バート・イシュルで作曲された一連のピアノ曲の最後を飾る作品です。これらはすべて、大好きなピアノ曲です。それにしても、今日の田部京子の演奏の素晴らしいこと。こんな素晴らしいブラームスは初めて聴きました。第1曲の間奏曲のロマンティックな趣は究極さを感じます。続く2曲の間奏曲も見事としか言えない素晴らしさ。晩年のブラームスではありますが、全然、枯れたところはなく、若々しいロマンティシズムにあふれています。これまで、この曲の聴き方を間違っていたのかと反省させられてしまいます。そして、第4曲のラプソディーの祝典的な輝かしさはシューベルト、シューマンに連なるロマン派のピアノ曲の最後を飾ることを宣言するかの如くです。堂々たるフィナーレを聴いて、いたく感動しました。
こんな素晴らしい前半を聴くと、必然的に後半のシューベルトへの期待が高まります。心臓ばくばくの状態で後半の演奏が始まるのを待ちます。
後半のプログラムはシューベルトのピアノ・ソナタ第20番 イ長調 D959の1曲のみです。本当は今日はそれだけが聴きたくて、この会場に足を運びました。今年は既にこの曲はアンドラーシュ・シフの最高の名演を聴きました。そのときの記事はここです。
今日の田部京子の演奏も名演でした。シフの演奏とはまた異なる素晴らしさです。どっちがよかったなんて、比べるようなものではありません。どっちも最高! 同じ年に2つも名演が聴けるなんて、幸せです。
第1楽章はシューベルトらしい響きが力強く、時には繊細さを極めます。1音1音に意味と魂が籠められていて、こちらも集中力を高めて、1音も聴き洩らさないように身構えて、聴きとります。また、アーティキュレーションとフレージングの表現も極限に迫り、ちょっとしたところであっと言うような聴こえ方がします。ピアノ演奏の究極を聴く思いです。これは最後の第4楽章まで持続します。まさに演奏者の天才的な演奏に聴く者も最高の対応が求められます。一瞬の気の緩みも許されるものではありません。第2楽章に入り、そのあまりの美しさに言葉を失うほどです。ロマンの極みとでも言いましょうか、気持ちがとろけるような美しい抒情の世界が繰り広げられます。こういう表現に到達するまで、ピアニストはどれほど、譜面を読み込み、鍵盤を叩いてきたのでしょう。想像を絶するような鍛錬と知的なアプローチがあったのでしょう。もちろん、それを支える天分にも恵まれたに違いありません。第2楽章の中間部のファンタジックな表現も素晴らしく、決して、はめを外さない気品の高さも持ち合わせた演奏です。そして、また、抒情的なフレーズに回帰したときのさらなる美しさはこの世のものと思えません。完全にシューベルトの魂とピアニストの魂が合体しているとしか思えません。夢のような第2楽章が終わると、第3楽章のきらめくような響きが冴え渡ります。中間部の少し渋いパートの後、再び、きらめく響きに耳を奪われます。ふと気が付くと、ほとんど休止を入れずに第4楽章の郷愁に満ちた旋律が流れ始めます。ますます、音楽は高みに上っていきます。力強い部分を経て、再び、最初の郷愁を帯びた旋律が戻ってくるあたりで、この曲の頂点に上り詰めていきます。シューベルトのピアノ曲の最高峰とも思える音楽です。そして、終結部に向かっていきます。郷愁を帯びた旋律が止まっては前進を繰り返します。まるでシューベルトがこの世への惜別の念を表現したかのような部分です。田部京子の演奏は素晴らしいテクニックと美しいタッチに基づいていますが、素晴らしいのはそういうことではなくて、詩情に満ちた音楽を奏でてくれることです。最高の音楽が最高の演奏で響き渡ります。そして、意を決したように音楽はスピードを速めて突進していきます。感動のフィナーレです。しばらくは拍手もできないほどの感動に見舞われました。シューベルトの189回目の命日に最高のシューベルトを聴きました。ただ、それだけです。
もう、アンコールは不要です。何を弾いても野暮になります。でも、拍手に応えて、田部京子はピアノの前に座ります。何と流れてきたのは、アヴェ・マリア・・・シューベルトのご冥福を祈るための演奏です。無宗教のsaraiですが、思わず、手を合わせたくなるような天国的な美しさです。これ以上、今日のシューベルトの命日にふさわしい音楽はありません。ところで、てっきり、リストのピアノ編曲版だろうと思っていましたが、前半のオクターブで高い音でメロディーを弾く部分がちょっと違います。これはどうやら、吉松隆が田部京子のためにピアノ編曲し、それに田部京子が最終的に手を入れたもののようです。CDでも出ているようですが、今日の演奏はさらに手が入っているようにも思えましたが、どうなんでしょう。これはご本人に訊かないと分かりませんね。いずれにせよ、とてもCDに録音できないような究極の美しさでした。最後のアーメンで終わるところは吉松隆のアイディアのようです。
今日のプログラムは以下です。
田部京子シューベルト・プラス 第3回
ピアノ:田部京子
モーツァルト: ピアノ・ソナタ第10番 ハ長調 K.330
ベートーヴェン: ピアノ・ソナタ第27番 ホ短調 Op.90
ブラームス:4つの小品 Op.119
《休憩》
シューベルト:ピアノ・ソナタ第20番 イ長調 D959
《アンコール》
シューベルト「アヴェ・マリア」(編曲:田部京子、吉松隆)
前回も書きましたが、今年はピアノの当たり年。アンドラーシュ・シフ、アンジェラ・ヒューイット、田部京子の3人の演奏は最高でした。アンドラーシュ・シフのザルツブルク音楽祭を含む5回のコンサート。アンジェラ・ヒューイットのバッハの連続演奏会のうち、今年の4回のコンサート。そして、田部京子のシューベルト・プラス・リサイタル・シリーズの2回のコンサート。いずれも世界最高峰のピアノのコンサートでした。しかも、田部京子とアンジェラ・ヒューイットは来年も続きます。田部京子の次回のシューベルト・プラス・リサイタル・シリーズは来年の6月22日です。今日、会場で次のチケットが先行発売されて、またも最上の席をゲットしました。次はシューベルトの4つの即興曲 D. 935 Op. 142です。また、最高の名曲です。これでシューベルトの晩年の作品はピアノ・ソナタ第21番 変ロ長調 D960と3つの小品(即興曲) D946を残すのみとなります。来年の11月19日はシューベルトの190回目の命日。まだ、アナウンスされていませんが、この節目となる記念の日にこそ、残りの曲は演奏されるべき曲です。スケジュールを空けて準備しておきましょう。そのときの最後のシメはまた、ブラッシュアップした「アヴェ・マリア」をお願いします。そうそう、ベートーヴェンかブラームスの晩年の名作も一緒にお願いしますね。
↓ 音楽を愛する同好の士はポチっとクリックしてsaraiと気持ちを共有してください
いいね!
