今日のブラームスの交響曲第1番は冒頭のトゥッティから、その響きの豊かさで魅了されます。そのまま惹き付けられて、緊張感の高い演奏に集中します。どこがどうと言うわけではありませんが、ブラームスの作り上げたロマンの世界が見事に表現されています。随分、リハーサルを重ねたのではないかという成熟度の高さです。ロマンの香り高い演奏は第2楽章、第3楽章と続いていきます。saraiの集中力はどんどん高まっていきます。そして、第4楽章の後半に至って、それは頂点に達します。何という素晴らしさでしょう。コーダでは感動してしまいました。これでフルシャと都響の関係を閉じてしまうのは惜し過ぎる!! なぜ、インバルの後任の首席指揮者にフルシャを据えなかったんでしょう。悔みの言葉ばかりが出てしまうほど、素晴らしいブラームスでした。
前半のマルティヌーの交響曲第1番は第1楽章はマルティヌーらしい響きにはもう一つに思えましたが、第2楽章以降は素晴らしく、とりわけ、第4楽章の弦の切れのよい響きに魅了されました。5日前の第2番の演奏に比べて、まったく素晴らしい出来栄えでした。それにしても、都響でマルティヌーの全交響曲を演奏してくれたのは快挙です。ドヴォルザークの全交響曲にも是非、取り組んでほしかったですね。来シーズン、彼の出番がないのは、やはり、バンベルク交響楽団のポストに就いたからでしょうか。残念で寂しいですね。saraiが都響の定期会員を止めた一因でもあります。来年のフルシャ率いるバンベルク交響楽団の来日公演のチケットはしっかりと購入しました。
2010年以来、7年間にわたる首席客演指揮者の労、ごくろうさまでした。ほぼ、主要な公演は聴かせてもらいました。マルティヌーの交響曲と今日のブラームスの交響曲第1番は忘れ得ぬコンサートになりそうです。
今日のプログラムは以下のとおりでした。
指揮:ヤクブ・フルシャ
管弦楽:東京都交響楽団
マルティヌー:交響曲第1番 H.289
《休憩》
ブラームス:交響曲第1番 ハ短調 Op.68
最後に予習について触れておきましょう。
まず、マルティヌーの交響曲第1番は以下のCDを聴きました。
ヴァーツラフ・ノイマン指揮チェコ・フィル
ネーメ・ヤルヴィ指揮バンベルク交響楽団
ヴァーツラフ・ノイマンとチェコ・フィルが作り上げたマルティヌーの響きは圧倒的でした。ようやく、マルティヌーの何たるかが分かったような気がします。混乱したような響きをバランスよく演奏することで有り得ないような魅惑の音響世界が生まれてくる・・・それがマルティヌーの素晴らしさだと気が付きました。ノイマンの天才的な指揮能力に驚嘆しました。それに比べると、ネーメ・ヤルヴィはもう一つかも。
最後にブラームスの交響曲第1番ですが、今年聴くのは3回目。今更、予習するほどのことはありませんが、以下のCDを聴きました。
ジョン・バルビローリ指揮ウィーン・フィル 1966~67年
悠々として決して焦ることのない大人の演奏です。saraiは好きです。吉田秀和氏はどうして、これがダメなんでしょう。もう一度、生き返って、聴きなおしてもらいたいものです。ブラームスは自然に演奏すればいいという代表のような演奏です。変にこねくり回すよりもよっぽどいいと思います。
で、まだ、余裕があったので、またまた、フルトヴェングラーも聴いてみました。前回と同じ演奏です。
フルトヴェングラー指揮ベルリン・フィル 1952年2月10日 ベルリン、ティタニア・パラストでのライヴ録音
前回はMEMBRANの107枚のCDボックスからの1枚、それ以前はDGのORIGINAL MASTERSシリーズからの1枚を聴きました。MEMBRANのリマスターは素晴らしかったんですが、今回はフランス・フルトヴェングラー協会とドイツ・フルトヴェングラー協会の共同制作盤です。これまた素晴らしいリマスターです。またまた、印象が変わりました。温室的には最高です。音楽的には、MEMBRANといい勝負です。
最後にフルトヴェングラーの伝説の録音を聴きました。
フルトヴェングラー指揮ベルリン・フィル 1945年1月23日 ベルリン、ライヴ、但し第4楽章のみ
第2次世界大戦の末期、空襲の続くベルリンで行われたフルトヴェングラー指揮ベルリン・フィルの最後のコンサートの記録です。演奏者も聴衆も命がけです。そこまでして音楽を聴くのかという凄絶なコンサートの記録であり、音楽の究極とも言えるものです。録音技師がこれを後世に記録として残そうとした執念も垣間見えます。音楽ファンは一度は耳にしておかないといけませんね。この演奏についての感想はsaraiはノーコメントです。いつかは感想を語れることもあるかもしれませんが・・・。
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