京都での紅葉見物、最後の締め括りは昨日のライトアップを見逃した高台寺にします。バスを乗り継いで、最寄りのバス停東山安井に移動。東山通りから路地に入っていくと、狭い石畳の路地が突然現れます。石塀小路です。道幅2メートルほどの路地の両側に旅館や料亭が並びます。祇園の奥座敷と呼ばれています。

saraiと配偶者の前を若いカップルが歩いていきます。昔日のデートをふと思い出します。

石塀小路の途中で狭い小路に入って歩いていった先に圓徳院があります。入口が見つからず、さらに先に進むと寧寧之道(ねねの道)に出ます。そこに圓徳院の入り口があります。ここで圓徳院と高台寺の共通拝観券を求めます。

圓徳院は高台寺の塔頭のひとつで秀吉の正室のねね(北政所)が77歳で没するまでの19年間を過ごしたところです。ここには伏見城から、建物とお庭を移築しており、内部は意外な広さです。白砂と周りの樹木で美しい庭園が形作られています。南庭です。名残の紅葉も綺麗です。

建物の廊下を進んでいくと、先ほど歩いた小路沿いの庭には紅葉の落ち葉がびっしりと積もっています。

複雑な構造の建物の先にはまた見事なお庭があります。北庭です。伏見城北政所化粧御殿の前庭を移したものです。紅葉がほとんど終わっているのが残念です。

圓徳院を出て、寧々の道を少し歩くと、高台寺に続く石段の坂道があります。台所坂です。道の周りは樹木に覆われています。紅葉が赤く色づいて綺麗です。

この台所坂を通って、ねねは秀吉の菩提が祀られている高台寺を訪れたそうです。台所坂の上には台所門が美しい姿を見せています。

高台寺の境内にはいります。境内は東山の中腹にあります。そこから色づいた紅葉の先に大雲院の祇園閣の変わった建物が見えます。祇園閣は大倉財閥の設立者である大倉喜八郎が別邸とし建てた別邸「真葛荘」の一部で、金閣・銀閣になぞらえて、銅閣と呼んでいたそうです。昭和初期の建築です。1972年の大雲院の移転により伽藍の一部となりました。大雲院自体は移転前は四条河原町にあり、髙島屋京都店増床に伴っての移転だったそうです。最近でも京都の町はそういう変化があるんですね。

紅葉で美しい境内を歩いていきます。

やがて、東山を借景とした広大な庭園の前に出ます。池に観月台という檜皮葺き屋根の廊が続き、白壁の開山堂につながっています。

その庭園を散策する前に方丈の建物に入って、前庭の波心庭を鑑賞します。枯山水の美しい庭園です。春は枝垂桜が美しいそうです。まだ、色づいた紅葉が少々見えます。

方丈を出て、小堀遠州の作庭と言われる池泉廻遊式庭園を歩きます。池の端には紅葉もあります。

盛りは過ぎたとは言え、まだまだ紅葉が綺麗です。。

龍の背に似たという臥龍廊(がりょうろう)が池の端にある開山堂と霊屋(おたまや)の間を繋いで、急な石段になっています。

霊屋には秀吉の菩提が祀られています。その先を上っていくと、高台寺の一番高いところに茶屋風の二棟の茶室、「傘亭」と「時雨亭」があります。これらは伏見城から移築されたものです。2階建ての珍しい茶室が「時雨亭」です。紅葉に彩られて、美しい佇まいを見せています。

高台寺の最高所から、今度は冴え冴えとした竹林の中を下っていきます。

高台寺の紅葉の鑑賞を終えて、また、美しい台所坂を下り、寧々の道を抜けて、円山公園のほうに向かいます。途中、大雲院の塀の中にある真っ赤な紅葉を見とれます。

人で賑わう円山公園、知恩院を抜けて、祇園に出ます。これで紅葉の旅は終了ですが、ちとお腹が空きました。何か軽いものをいただきましょう。お店を探しますが、なかなか適当なお店がありません。諦めつつ、祇園のバス停に向かうと、何とバス停の真ん前に「京めん」と言うそばとうどんのお店があります。迷わず入店。

お店のスタッフにsaraiは「ここのきつねうどんは京都風?」って、馬鹿な質問をすると、もちろんというお返事。さらに「じゃあ、あのとろみのついたやつ?」って、重ねて馬鹿な質問。お店のおばさんは呆れたように、きつねはとろみはなく、それはたぬきですよって・・・。そうでした。京都のたぬきうどんが刻み油揚げにとろみをつけたものでした。それを注文します。ついに本場で最高に美味しい京風たぬきうどんに巡り合えました。絶品でした。また、食べに来ましょう。

紅葉見物の後に素晴らしいおまけがつき、大満足。充実した京都の旅を終えて、夜の新幹線で帰途につきました。
今年は春は桜、晩秋は紅葉と楽しい京都散策になりました。また、来ましょう。
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