ショパンの前奏曲24曲すべてが粒よりの演奏で終始、感じ入って聴きました。第1番のハ長調は祝祭的な開始でぐっと惹きつけられます。第2番のイ短調は暗い雰囲気に沈み込みます。第3番のト長調は明るく晴れやかな気分になります。第4番のホ短調はしみじみと哀調のある音楽が素晴らしく響きます。このあたりから、ぐっと音楽が盛り上がっていきます。第5番のニ長調は再び、明るく華麗な響きです。第6番のロ短調は美しい響きにうっとりさせられます。第7番のイ長調はテレビCMでも有名な調べですが、ヴィニツカヤの奏でる音楽は実に格調高く響きます。第8番の嬰ヘ短調は堂々たる響きで圧倒的です。このあたりから、単なる長調と短調の弾き分けではなく、もっと高次元の演奏領域に入っていきます。これがヴィニツカヤの24曲全体の構成感なのでしょうか。第9番のホ長調は哀しみも感じさせるような長調の調べが奏でられます。まるで上質のモーツァルトの長調を連想します。第10番の嬰ハ短調は逆に暗さをあまり感じさせない短調です。第11番から先はもう長調とか短調とかではなく、ショパンの魂の音楽があるだけです。ヴィニツカヤの音楽への凄まじい集中力も高まっていきます。第14番までぐっと魅了されていきます。そして、第15番の変ニ長調は《雨だれ》です。これほどの演奏を聴いたことはありません。あの有名で耳馴染んだメロディが聴こえてきますが、今まで聴いたことのないような憧れに満ちた音楽です。中間部の熱く奏でられるところでは憧れから苦悩の表情に変わります。その先は哀しみに沈み、最後は慰撫されるように終わります。こんな魂のドラマのような演奏を聴き、深く心を打たれます。第16番の変ロ長調は一転して、激しく燃え上がります。ヴィニツカヤの凄まじい気力とテクニックに圧倒されます。第17番の変イ長調は優しく心を癒されるような思いになります。以降、音楽はどんどん高揚していき、第23番のヘ長調でいったん、クールダウンした後、最後の第24番のニ短調が始まります。ヴィニツカヤのピアノは激しく、熱く燃え上がります。ショパンの魂と一体化したような高揚感にsaraiも深い感動を覚えます。ショパンの独奏曲で初めて感動しました。ヴィニツカヤの演奏スタイルはヴィルトゥオーゾ的な強いタッチで超絶技巧的を駆使したものですが、真に感動できるところはそういう部分ではなく、音楽への強いシンパシーを根っことした熱い魂の叫びが聴衆の心に伝わってくるところです。素晴らしいショパンを聴かせてもらって、深い充足感を味わわせてもらいました。
前半のプログラムにも軽く触れておきましょう。
プロコフィエフのピアノ・ソナタ第4番はユニークな演奏でしたが、高次元の演奏でもありました。第1楽章は暗い情念に満ちた演奏ですが、左手で弾かれる低音部のエネルギー感に満ちた響きが支配的です。第2楽章は驚くほど速い入りですが、そのままのペースで弾き切ります。抒情感がないかと言えば、中間部以降の美しいメロディーはしっかりと聴かせてくれるのが不思議です。逞しく生命感に満ちた演奏とも思えます。実にユニークです。もっと驚いたのが第3楽章です。圧倒的な高速演奏です。猛烈な速度でぐんぐん走っていき、息をもつがせぬ凄さです。この楽章は中途半端に弾けば、軽い新古典的な音楽に陥りますが、そういう演奏とは程遠いところにあります。フィナーレではさすがにミスタッチも目立ちますが、それは計算の上の演奏なのでしょう。爆演です。若いころのリヒテルならば、こういう演奏もあったでしょう。リヒテルが残した録音は最晩年のものですから、爆演ではありません。ある意味、なかなか聴けない凄い演奏を聴かせてもらいました。また、10年後くらいに聴かせてもらいたいところです。
ドビュッシーの前奏曲集からの5曲は静かな佇まいを感じさせる3曲(「雪の上の足跡」、「亜麻色の髪の乙女」、「月の光が降り注ぐテラス」)と爆演の2曲(「西風の見たもの」、「花火」)でその対比を楽しませてもらいました。最後の《喜びの島》も爆演かな。見事な爆演でした。ドビュッシーを弾かせたら、この人の右に出るものはいないと思えるワルター・ギーゼキングの歴史的録音で聴く爆演を彷彿とするものでした。静かな雰囲気の演奏も見事でしたよ。
美貌は相変わらずですが、こういう演奏と美貌はなにか釣り合わない感じも否めません。演奏後の凄い拍手にこたえるはにかんだような笑みをどう感じたらいいのか、悩ましいところです。ヴィルトゥオーゾと美女のギャップを不思議に思いながらも大満足の演奏に嬉しくなってのお開きでした。
今日のプログラムは以下のとおりでした。
ピアノ:アンナ・ヴィニツカヤ
プロコフィエフ:ピアノ・ソナタ第4番 ハ短調 Op.29
ドビュッシー:前奏曲集から「雪の上の足跡」、「西風の見たもの」、「亜麻色の髪の乙女」、「月の光が降り注ぐテラス」、「花火」
ドビュッシー:喜びの島
《休憩》
ショパン:24の前奏曲 Op.28
《アンコール》
ショパン:12の練習曲 Op.10より 第1番 ハ長調
ショスタコーヴィチ:『人形の踊り』より 第2曲「ガヴォット」
ショスタコーヴィチ:『人形の踊り』より 第3曲「ロマンス」
予習についてまとめておきます。
まず、プロコフィエフのピアノ・ソナタ第4番は以下の代表的とも思える4枚のCDでしっかり予習しました。
マッティ・ラエカリオ(ソナタ全集より) 1990年
ボリス・ベルマン(ソナタ全集より) 1990, 1991年
スヴィヤトスラフ・リヒテル 1989年 ロンドン ライブ録音
イェフィム・ブロンフマン(ソナタ全集より) 1991年
なぜか、これらはすべて1990年頃に録音されたことに驚きます。その頃に流行ったんでしょうか。演奏の精度が一番高いのはラエカリオです。でも、やはり、リヒテルの演奏は聴き逃がせません。まあ、いずれの演奏もすさまじく上手いです。超絶技巧では、今日のヴィニツカヤがその上を行ったんですから、恐ろしい!
次はドビュッシーの前奏曲集ですが、これも定番の3枚を聴きました。
ワルター・ギーゼキング 1953, 1954年
アルトゥーロ・ベネデッティ・ミケランジェリ (第1巻)1978年 ハンブルク (第2巻)1988年8月 ビーレフェルト
モニク・アース (第1巻)1962年 (第2巻)1963年 ベルリン、イエス・キリスト教会
前述した通り、ギーゼキングは爆演を織り交ぜた演奏で実に先鋭的です。ミケランジェリはシャープで素晴らしい響き。モニク・アースの「亜麻色の髪の乙女」はうっとりするような美しい演奏。3者3様の名演です。どれを聴いても満足させられます。
最後にショパンの24の前奏曲です。これは今更、予習でもありませんが、鑑賞がてら、次の2枚を聴きました。
グリゴリー・ソコロフ 2008年 ザルツブルク音楽祭 ライブ録音
ユリアンナ・アヴデーエワ 2014年
アヴデーエワはショパンが手の内に入ったような魅惑的な演奏。ソコロフはヴィルトゥオーゾらしい圧巻の演奏と感じましたが、今日のヴィニツカヤは優るとも劣らない演奏でした。天下のソコロフと対等以上の演奏をしたヴィニツカヤの将来はどうなるんでしょう。
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