前半のハイドンの弦楽四重奏曲第79番(64番)Op.76-5「ラルゴ」は冒頭のアンサンブルを聴いただけでうっとりとなります。ハイドンの弦楽四重奏曲はこういう風に弾くものかと思いながら、感心して聴き入りました。個々の奏者はアンサンブルに徹し、ここぞというときはぐっと個性を出して主役になります。その推進役になっていたのはチェロの松本瑠衣子です。アンサンブルの基盤を支えながら、時として、メロディーを奏でます。無論、カルテットの主役は第1ヴァイオリンの守屋剛志です。素晴らしく美しい音色でアンサンブルを輝かせます。楽器同士の会話も見事に決まっています。saraiの耳ではこのハイドンの弦楽四重奏曲はパーフェクトな演奏に思えました。ところが、演奏終了後、この室内楽シリーズの経験豊かな聴衆のみなさんの反応はいまひとつです。あれっと言う感じです。saraiはブラボーの一つも言いたいくらいなんですけどね。まあ、感じ方は人それぞれですから仕方ありません。
前半2曲目はバルトークの弦楽四重奏曲 第1番です。この日、一番楽しみにしていた曲です。後述しますが、3枚のLPレコード、6枚のCDで万全の予習をしました。この作品はバルトーク27歳、1908年の作曲でバルトークが彼の音楽を形成している段階に書かれたと評されることが多いようです。しかし、彼の6曲の弦楽四重奏曲の中でも他に劣らない傑作であるとsaraiは思っています。いい意味で後期ロマン派の濃厚な味わいを残しつつ、先鋭な響きも内包している20世紀を代表する音楽作品のひとつです。3年後に書かれるオペラ《青ひげ公の城》への連続性や、およそ30年後の傑作《弦楽器と打楽器とチェレスタのための音楽》への萌芽も感じられます。とりわけ、第1楽章の無調風でありながら、濃厚なロマン性を感じさせるところは新ヴィーン学派を思わせつつも、やはり、バルトークでないと書き得ない孤高の音楽です。冒頭は第1ヴァイオリンと第2ヴァイオリンがカノン風に呼応しながら演奏されます。7小節も2人だけで演奏されます。しかも最初の3小節に12の音がすべて使われています。この曲が作曲された1908年はシェーンベルクが十二音技法を確立する以前です。冒頭の主題はバルトークが親しく交際していたシュテフィ・ゲイエルを意識したもので彼自身も『シュテフィのライトモティーフ』と呼んだものです。ともかく、この主題が素晴らしいです。バルトーク好きにはたまりません。以下にその冒頭のスコアを示します。1911年にハンガリーで出版された初版のスコアです。

この冒頭の演奏を楽しみにしていましたが、第1ヴァイオリンはとても美しい響きでいいんですが、その対向に座る第2ヴァイオリンがいかにも弱い響きで弱い表現でバランスを欠きます。ここは同等にカノンを響かせ合ってほしいところです。ちょっと残念な演奏です。第8小節からはチェロ、ヴィオラが加わり、4重のカノンを形成します。ここからはバランスもよくなり、素晴らしい響きになります。ちなみに第1楽章は葬送の音楽であるとバルトークはゲイエルへの手紙に書いています。その真意ははかりかねますが、この時期、バルトークはゲイエルと人生観の違いを感じ始め、結局、つらい別れを味わいます。そのあたりを感じつつ、バルトークは美しくも不安で緊張感を湛えた音楽を書いたのでしょうか。今日の演奏は冒頭こそ違和感を覚えましたが、その後はとても素晴らしい演奏です。アンサンブルの美しさ、高揚感、哀しみ、すべてが込められた演奏です。切れ目なく第2楽章に続きます。第2楽章はまさに無調音楽です。メロディー的には捉えどころがありませんが、響きとダイナミズムを感じながら、聴き入ります。緊張感の高い素晴らしい演奏でした。そして、また、切れ目なく第3楽章に突入します。バルトークの真骨頂であるハンガリー風の民俗音楽のメロディーを散りばめながら、野性的なリズムや変拍子で音楽が高揚します。第1ヴァイオリンの美しい響き、チェロの迫力ある響きを中心に圧巻の演奏です。フィナーレの高揚感は凄まじいものでした。今度こそ、ブラボーだと思いましたが、やはり、聴衆の皆さんの反応は静かなものです。これ以上の演奏って、あるの?と問いかけたい心情です。最高の演奏でした。
後半のベートーヴェンの「ラズモフスキー第3番」も文句なしに美しく、素晴らしい演奏でした。第1楽章の序奏の緊張感がたまりませんでした。後は省略しますが、パーフェクトと言ってもいい素晴らしい演奏でした。この演奏にはようやく聴衆が少し沸きました。
本編のプログラムがハイドン、バルトーク、ベートーヴェンと弦楽四重奏曲の王道を行くものだったので、アンコールがモーツァルトだったのは嬉しい驚きです。名曲の演奏に室内楽の楽しさを満喫しました。
久々に室内楽を聴く喜びを味わい尽くしたコンサートでした。クァルテット・ベルリン=トウキョウのファンになってしまいそうです。
今日のプログラムは以下です。
弦楽四重奏:クァルテット・ベルリン=トウキョウ
守屋剛志(vn) モティ・パヴロフ(vn) ケフィン・トライバー(va) 松本瑠衣子(vc)
ハイドン:弦楽四重奏曲第79番(64番) ニ長調 Hob.III:79 Op.76-5「ラルゴ」
バルトーク:弦楽四重奏曲 第1番 Op.7 Sz.40
《休憩》
ベートーヴェン:弦楽四重奏曲 第9番 ハ長調 Op.59-3「ラズモフスキー第3番」
《アンコール》
モーツァルト:弦楽四重奏曲 第19番 ハ長調 K.465「不協和音」より、第2楽章アンダンテ カンタービレ
最後に予習について触れておきます。
1曲目のハイドンの弦楽四重奏曲第79番(64番)Op.76-5「ラルゴ」は以下の新旧の名演2枚を聴きました。
ウィーン・コンツェルトハウス四重奏団
エンジェルス四重奏団
ウィーン・コンツェルトハウス四重奏団は郷愁を覚えるような魅力的な演奏。これ以上の演奏はあるまいと感じました。対するエンジェルス四重奏団はモダンですっきりした演奏。これまた気持ちのよい演奏で文句の付けどころはありません。
2曲目のバルトークの弦楽四重奏曲 第1番は前述した通り、3枚のLPレコード、6枚のCDで万全の予習をしました。
まず、LPは以下です。わざわざLPでコレクションするほど入れ込んでいる演奏です。
ハンガリー弦楽四重奏団
ジュリアード弦楽四重奏団(2回目の録音)
バルトーク弦楽四重奏団
CDは以下です。
ヴェーグ四重奏団(2回目の録音)
東京カルテット(1回目の録音)
エマーソン・カルテット
ハーゲン・カルテット
ケラー・カルテット
タカーチ・カルテット
なぜか、いずれの演奏も名演です。その演奏レベルに差があるとすれば、曲に対するシンパシーの強さでしょうか。LPの御三家は文句なしの別格だとして、今回、特に感心したのはヴェーグ四重奏団、タカーチ・カルテット、ケラー・カルテットです。東京カルテットはデビューしたての頃の演奏で実に新鮮さにあふれていました。世評に高いアルバン・ベルク四重奏団はあえて聴きませんでした。どうもsaraiとは相性が悪いんです。
3曲目のベートーヴェンの「ラズモフスキー第3番」は予習は今更なので、以下のLPレコード1枚だけを聴きました。
ブッシュ弦楽四重奏団
1930年代とは思えない素晴らしい音質です。演奏はもう最高としか言えません。なお、ブッシュ弦楽四重奏団のベートーヴェンは第1番、第7番以外はすべてLPレコードでコレクションしました。
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