このエルガーのオラトリオ「ゲロンティアスの夢」は題名から想像する内容とはちょっと違っています。一言でいえば、人間は死ぬとどうなるか、死ぬということはどういうことなのかです。ザルツブルク音楽祭でおなじみの演劇《イェーダーマン》と似た傾向の作品です。音楽の重要な題材は人間の愛と死ですから、ある意味、王道を行くとも言えますが、その表現方法が少し変わっています。
第1部はゲロンティアスが死の床に着いて、死を迎えるところまでです。現世の内容が描かれています。その分、内容が普通なのと音楽も平板な感じで惹き付けられるところが少ないと感じます。終盤、神父役のクリストファー・モルトマンの物凄い張りのあるバリトンと合唱の素晴らしさは盛り上がりを見せました。
聴きものだったのは休憩後の第2部です。第2部は死後の世界が描かれます。これこそが内容的にも音楽的にも興味あるところです。この第2部を主導したのは天使役のメゾ・ソプラノのサーシャ・クックです。そして、死したゲロンティアスの魂も天使に導かれるという筋書きで、すべての焦点はこの天使役のサーシャ・クックに集約されます。サーシャ・クックはその容貌も素晴らしく、声の響きはこれまで聴いたことのないほどの優しさに満ち溢れたものです。この天使役にはこの人以外はないだろうと思わせられるような最高のキャスティングです。ジョナサン・ノットによるキャスティングならば、彼の慧眼ぶりがまたまた証明されたことになります。第2部はこの優しい声の天使、サーシャ・クックに導かれて、ゲロンティアスの魂が恐れに打ち勝ち、神の審判に臨み、究極的な死を完遂できます。第2部はすべてが美しく、音楽的に高いレベルの演奏に終始しました。サーシャ・クックはもちろんですが、やはり、ジョナサン・ノットの卓越した指揮が見事でした。独唱者も東響も合唱団もすべて、手の内に収めた完璧なコントロールには脱帽です。これだけは言わないわけにはいきません。不世出のメロディーメーカーであるエルガーが大団円に繰り出してきたメロディーの美しいこと、まさに妙なる響きです。天国的とはこのことかと思わせられます。それをノットが東響のアンサンブル力をフルに引き出して、見事な演奏を聴かせ、その東響の響きの上にサーシャ・クックがまさに天使の歌声を聴かせてくれました。聴いているsaraiは天使に抱かれて昇天していく気持ちを味わいました。でき得れば、こういう甘美な死を迎えたいものです。感動のフィナーレでした。曲よし、指揮よし、オーケストラよし、歌手よし、合唱よしの満点のフィナーレでした。
いやはや、ジョナサン・ノット率いる東京交響楽団は聴くたびに驚かされるような素晴らしい演奏を聴かせてくれます。いまや、日本で一番、注目すべきオーケストラです。それにしても、ジョナサン・ノットの人気も凄いですね。指揮者コールまでありました。それだけの音楽を聴かせてくれているので当然でしょうが・・・。
今日のプログラムは以下のとおりでした。
指揮:ジョナサン・ノット
テノール:マクシミリアン・シュミット
メゾ・ソプラノ:サーシャ・クック
バリトン:クリストファー・モルトマン
合唱:東響コーラス(合唱指揮:冨平恭平)
管弦楽:東京交響楽団
エルガー:オラトリオ「ゲロンティアスの夢」 Op.38
最後に予習について、まとめておきます。
予習したCDは以下です。
ゲロンティアス:リチャード・ルイス(テノール)
天使:ジャネット・ベイカー(メゾ・ソプラノ)
神父:キム・ボルイ(バス)
シェフィールド・フィルハーモニー合唱団
アンブロジアン・シンガーズ
ジョン・バルビローリ指揮ハレ管弦楽団&合唱団 1964年録音
初聴きなので、比較は出来かねますが、少なくとも、ジャネット・ベイカーの登場する第2部は素晴らしい演奏でした。
これで国内での音楽鑑賞はしばらくありません。次は8月のザルツブルク音楽祭、バイロイト音楽祭になります。せっせと予習に励みます。
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