少し、中身に立ち入ってみましょう。まずは独奏チェロの宮田大の熟成した音楽を賞賛すべきでしょう。ともすれば、若いチェリストならば、熱い共感に満ちたドヴォルザークの音楽を表現することが多いわけですが、宮田大はその若さにもかかわらず、実に知的で精緻、そして熟成した音楽を聴かせてくれます。知的でありながら、決して、冷たくはならず、熱い心は内に秘めたような、見事な演奏です。精神の深いところでは日本人の心がいい意味で息づいています。その宮田大のチェロをサポートする小泉和裕の見事な指揮には脱帽の感に至ります。協奏曲の指揮でここまでのレベルの音楽を聴いたことはありません。そもそも、何と彼は暗譜で指揮しています。どれほどスコアを読み込んだんでしょう。そして、彼がオーケストラで表現する音楽は独奏チェロの宮田大の音楽を独奏者以上に理解していると言っても過言でないほど、単なるサポートではなく、独奏チェロの表現をさらに敷衍・拡大し、深い味わいをもたらします。その指揮者の指示を見事に表現する都響のアンサンブルも見事です。聴きどころ満載でしたが、第2楽章の独奏チェロと木管の絡みが素晴らしくて、深い味わいに満ちていたことだけを書くにとどめます。
協奏曲での独奏者と指揮者の在り方は様々ですが、今日のように指揮者が独奏者の意図・表現を高みから見据えて、音楽的にアウフヘーベンしたかのような統合的な境地に至るということは信じられないような体験でした。しかもそれが日本文化に根差したような音楽表現とはね・・・。
となると、後半のブラームスへの期待も高まります。日本人的な表現のブラームスというのも想像はできます。しかし、演奏水準は高かったものの期待したような意味での演奏ではありませんでした。まあ、都響の素晴らしいアンサンブルで、ブラームスの中でも好きな作品である交響曲第2番が聴けただけで満足ではありました。
今日はドヴォルザークのチェロ協奏曲での宮田大の素晴らしく個性的な演奏、そして、それ以上に個性的で深い味わいの表現を聴かせてくれた小泉和裕の指揮に強い感銘を受けました。
今日のプログラムは以下です。
指揮:小泉和裕
チェロ:宮田大
管弦楽:東京都交響楽団 コンサートマスター:矢部達哉
ドヴォルザーク:チェロ協奏曲 ロ短調 op.104 B.191
《休憩》
ブラームス:交響曲第2番 ニ長調 op.73
最後に予習について、まとめておきます。
1曲目のドヴォルザークのチェロ協奏曲を予習したCDは以下です。
ピエール・フルニエ、ジョージ・セル指揮ベルリン・フィル 1962年6月 ベルリン、イエス・キリスト教会 ハイレゾ
昔から聴いている演奏。今回、ハイレゾで聴き直しましたが、昔、アナログのLPレコードで聴いていた音を思い出しました。心にしっくりとくる演奏です。ちらっとロストロポーヴィチ&カラヤン盤を聴こうという気持ちもありましたが、この曲はこれでよし。
2曲目のブラームスの交響曲第2番を予習したCDは以下です。
ジョージ・セル指揮クリーヴランド管弦楽団 1967年1月6日 クリーヴランド、セヴェランス・ホール
素晴らしい演奏ではありますが、なんだか、心の収まるべきところにきっちりとは入りません。やはり、ハイティンク&ロンドン交響楽団の冒頭を聴いてみましたが、ブラームスはこうでなくてはとの感があります。フルトヴェングラー&ベルリン・フィルは別格の演奏です。通常はハイティンクで決まりでしょう。
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