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ハンブルク市立美術館:ドラン、ピカソ、マルク、カンディンスキー、ヴラマンク、ヤウレンスキー、マッケ

2018年8月22日水曜日@ハンブルク/4回目

今日はハンブルクHamburgでゆったり散策。まずはハンブルク市立美術館Hamburger Kunsthalleで名画鑑賞。
2階の常設展示室で20世紀の作品の展示を見て回っているところです。ベックマンのコレクションの展示室を出たところです。

次はアンドレ・ドランの《静物》。1911年、ドラン、31歳頃の作品です。アンドレ・ドランは、フォーヴィスムのフランスの画家で、この作品のような静物画も得意なジャンルにしていました。これはキュービズム風の作品ですね。

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パブロ・ピカソの《画商クロヴィス・サゴ》。1909年、ピカソ、28歳頃の作品です。かつてサーカス・メドラーノで道化師として働いていた古物商クロヴィス・サゴは若いピカソの作品を最初に取り扱うことのできた画商の一人になりました。ピカソは画商サゴの顔を仮面のように描きながら、キュビズムの道を探り始めました。色を減らし、ブラシストロークを工夫しながら、新しい絵画様式を確立していくようになります。

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パブロ・ピカソの《鼻が折れたピカドールの頭》。1903年、ピカソ、22歳頃の作品です。ピカソはパリに滞在時、ロダンの作品中に鼻の折れた男を見て、そのイメージをもとにして、バルセロナでこのピカドールの頭部の彫像を制作しました。ピカソは他の芸術家の作品からインスピレーションを得て、自分の作品を創造することが得意ですが、こんなに若い頃に彫刻作品でもその才を発揮していたんですね。

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次の展示室は《青および他の色から》という謎めいたメッセージが付けられています。どうやら青というのは青騎士der Blaue Reiterに関連しているようです。

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まずは青騎士の旗手であるフランツ・マルクの《猿のフリーズ》。1911年、マルク、31歳頃の作品です。マルク得意の動物が主題の絵画です。でも猿が描かれた作品は珍しいですね。同じ形の猿が繰り返し描かれて、リズムを作っています。装飾的な文様として描かれたとも言えます。背景の緑の植物、赤い山々、バラ色の空・・・すべてがマルクの内的世界として完璧に機能しています。

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次は青騎士の一方の旗手であるワシリー・カンディンスキーの《アラブ墓地》。1911年、カンディンスキー、43歳頃の作品です。イスラム教徒の墓地の描写は、カンディンスキーの1905年のチュニス旅行の思い出にまでさかのぼります。墓地という場所ではありますが、アフリカの明るい陽光を浴びて、賑やかな色彩が原色で描かれています。また、具象的な素材を抽象的に再構成し、美しいフォルムに描き上げているカンディンスキーの手際は見事です。

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モーリス・ド・ヴラマンクの《曳船》。1908~1910年、ヴラマンク、32~34歳頃の作品です。ヴラマンクもドランと同じく、フォーヴィスムのフランスの画家。1900年、シャトゥー出身の画家、アンドレ・ドランと偶然知り合って意気投合し、共同でアトリエを構えました。他者からは何ものをも受け付けなかったヴラマンクはファン・ゴッホにだけは少なからず影響を受けて、この作品にもゴッホの香りがします。

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アレクセイ・フォン・ヤウレンスキーの《ベゴニアのある静物》。1911年、ヤウレンスキー、46歳頃の作品です。青騎士にも関わったヤウレンスキーですが、この静物画でははっきりとセザンヌの影響が感じ取れます。一方、表現主義的な兆しもみせており、彼の画家としての多面性や他の画家たちとの幅広い交友も垣間見えます。

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アレクセイ・フォン・ヤウレンスキーの《オーベルストドルフ近くのオイ渓谷》。1912年、ヤウレンスキー、47歳頃の作品です。青騎士とは微妙な距離にあったヤウレンスキーではありましたが、この作品では青騎士、それもカンディンスキーの影響を色濃く受けていることがうかがわれます。曖昧な色合い、具象性がとろけたような形象は青騎士そのものです。

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アウグスト・マッケの《雪の中のマリエン教会》。1911年、マッケ、24歳頃の作品です。マッケは青騎士のメンバーの一人。この作品は直線が活かされた構図で青騎士のなかでは独自の作風を保っています。マッケはこの頃、ボンのボルンハイマー通り88番地(今日のアウグスト・マッケ・ハウス美術館)の家に住んでいました。彼は屋根裏部屋をスタジオとして使用し、そこから街の南側の窓からの景色を数回描いています。この作品もその一枚です。

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アウグスト・マッケの《花咲く垣根のある我らが庭》。1912年、マッケ、25歳頃の作品です。この作品はボンで描かれました。彼の妻のエリザベス・マッケは回顧録で次のように述べています。「春には、すべてのものが花の海に浸っていました。家の後ろには大きな庭、納屋、菜園があります。」 鮮やかな緑の芝生には、花と繁茂する植物が近くにあります。マッケはしっかりと厚塗りの油絵の具で画面を塗っています。彼は家族(妻と息子)を中心にしていて、芸術的または社会的慣習に疑問を投げかけたり、政治的意図を追求したりする代わりに、当時の自分の環境により関心を抱いていました。彼は自分の生き方と仕事を「自然の喜び」と表現していました。その彼に悲劇が訪れるのはわずか2年先のことです。

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アウグスト・マッケの《公園の母と子》。1914年、マッケ、27歳頃の作品です。第一次世界大戦の前夜、アウグスト・マッケと彼の家族はスイスの町ヒルターフィンゲンで幸せで屈託のない月日を過ごしました。彼らのトゥーン湖への避難は、遠く離れたベルリンでの政治的緊張と芸術上の闘争を忘れさせました。 マッケは非常に生産的でした。 この絵は、妻のエリザベスと息子のウォルターが水辺を歩いている様子を描いています。 絵のように単純化された2つの大きな後ろ姿は、緑豊かな植物に囲まれた光に満ちた小道を歩いています。 その光景はあたかも楽園に変容するかに見えます。
この絵画は、マッケの芸術の基本的な特徴、つまり自然と人間のアルカディアの調和の祝福を表しています。 マッケは、明暗、形と線、面と空間を調和した全体に組み合わせ、重厚で時代を超越したような構成を構築しています。
しかし、この彼の幸福な時代はこの年に勃発した第1次世界大戦の波に飲み込まれ、若干、27歳でマッケは戦死します。青騎士の仲間のフランツ・マルクと同様に過酷な運命にさらされるわけです。マッケとマルク、もう少し、彼らに時間を与えてやりたかった・・・。

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青騎士の画家たちの作品に続くのはドイツ表現主義の雄、エルンスト・ルートヴィッヒ・キルヒナーのコレクションです。



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オペラ・美術が大好きでヨーロッパの旅にはまっています。音楽の聖地ウィーンが中心で、イタリア、フランス、ドイツも巡っています。国内外のオペラ・コンサートの体験もレポートします。

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えりちゃさん、お久しぶりです。saraiです。

なかなか、海外渡航の見通し、立ちませんね。来年あたりはどうでしょうね。長期戦覚悟で我慢するしかありませんね。

こちら

04/10 02:37 sarai

saraiさま、
お久しぶりです!
お元気にコンサートや旅行を楽しんでおられますね!
ブログ、楽しく拝見しています。おフランス、良いね😊
私は春だというのに、仕事と用事以

04/09 05:29 えりちや

気になってたずねても 
誰にも知らんと言われなんやろ
と思いつづけて居ました❗
写真みつけてこれだと思いました❕スッとしました
教えて下さって嬉しいです
ありがとうご

02/13 22:26 みーちゃん

みーちゃんさん、saraiです。

あの謎の建物は雄琴沖総合自動観測所という施設で琵琶湖の水質を測定しているそうです。

https://www.water.go.jp/kansai/biwako/html/repo

02/13 21:40 sarai

ずーと前にうきみどうに行きました
やはり、琵琶湖の真ん中の建物が何なのか気になったままです
分かりましたか
教えてください

02/13 20:54 みーちゃん

五十棲郁子さん、コメントありがとうございます。

水道水のこと、tap waterって言うんですね。知らなかった。単にwaterで通していました。ましてや、フランス語はほとんど

02/11 00:12 sarai

フランスも地方へ行くと英語が通じないでしょう。tap water ぐらいフランス語で言えないとね。

02/10 12:54 五十棲郁子
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