今日はハンブルクHamburgでゆったり散策。まずはハンブルク市立美術館Hamburger Kunsthalleで名画鑑賞。
2階の常設展示室で20世紀の作品の展示から古典的な絵画の展示に移りました。フリードリヒの名品に魅了され、次はベックリンです。
象徴主義の画家アルノルト・ベックリンと言えば、《死の島》が彼の代名詞のようなものですが、意外に地味な作品も多いんです。ベックリンはスイスのバーゼルで生まれ、イタリアのフィレンツェのフィエゾレで没しました。フィエゾレと言えば、ルネサンス期にメディチ家の別荘があったところで、ギリシャ人や知的な人物が集ったプラトン・アカデミーが有名です。そのなかから、ボッティチェリの《春》、《ビーナスの誕生》も生まれました。saraiも以前、フィエゾレの丘に上り、遠くフィレンツェの眺望を楽しみ、在りし日の優雅さを思い起こしました。ベックリンがどのような思いでかの地を最期の住まいにしたのかは定かではありませんが、イタリア・ルネッサンスと無関係な筈はないでしょう。
ベックリンは人生の大半はドイツとイタリアで過ごしましたが、フィレンツェのフィエゾレで晩年を過ごす前にもフィレンツェに1874年から1885年まで過ごし、その間、傑作の数々を描きました。
アルノルト・ベックリンの《橋のあるローマの風景》。1863年頃、ベックリン、36歳頃の作品です。古代ローマを思わせるアーチ橋が風景の中心で、その橋の袂に一人の画家が絵を描いているようです。その視線の先には一組のカップルの姿が見えます。何やら、ドラマがありそうな場面が描かれています。

アルノルト・ベックリンの《アウグスト・フラテッリの肖像》。1864年頃、ベックリン、37歳頃の作品です。ベックリンは肖像画も多く描いています。実に明晰に人物を描き出しています。この人物の詳細は不明です。

アルノルト・ベックリンの《悔い改めたマグダラのマリア》。1873年頃、ベックリン、46歳頃の作品です。ベックリンは戸外で絵を描くことはなく、アトリエで神話、聖書などを題材に作品を作り出していました。この作品も伝統的な題材を描いたものです。それにしても保守的な作風に思えますが、そういうところがヒットラーに好まれた要因でもあったのでしょう。

アルノルト・ベックリンの《自画像》。1873年頃、ベックリン、46歳頃の作品です。よく知られた作品ですが、この美術館にあったのですね。まあ、よく描けた自画像です。画家の自負心が滲み出ています。背景も凝っています。

アルノルト・ベックリンの《聖なる木立》。1886年頃、ベックリン、59歳頃の作品です。神聖な木立の神話に基づいた作品です。背景の森の中の暗闇から、白い衣を着てベールに包まれた人物の行列が犠牲を捧げる石の祭壇に近づきます。焦げた供え物から紫色の煙が上がります。右側の神聖な境内は、海を隔てる壁に囲まれています。木々の間には古代寺院があり、それは明るく照らされています。象徴主義のベックリンが神話を題材として、現実世界との関わりの何かを我々におぼろげに訴えかけてくる一作です。ある意味、彼のライフワークなんでしょう。

次はベックリンとも親交があり、イタリア芸術への傾倒で共通していたアンゼルム・フォイエルバッハの作品を見ていきます。
アンゼルム・フォイエルバッハは19世紀ドイツの絵画界で新古典主義の画家たちを牽引した存在で、彼の描く歴史画は高く評価されました。ブラームスとの交友も知られ、フォイエルバッハが亡くなったとき、ブラームスは彼の死を悼み、ネーニエ(悲歌)Op.82を作曲したそうです。
アンゼルム・フォイエルバッハの《ビアンカ・カペッロ》。1864/68年頃、フォイエルバッハ、35/39歳頃の作品です。フォイエルバッハはローマに赴いた折、1861年、アンナ・リージ(通称ナンナ)と運命的な出会いを果たし、以後4年間、絵のモデルとしました。もちろん、恋人でもありました。アンナをモデルにしたイフィゲニア、メデア、フランチェスカ、ローラなどを描きました。この作品では、彼女をモデルにして、ビアンカ・カペッロを描きました。ビアンカ・カペッロはトスカーナ大公国でフランチェスコ大公の愛人、大公夫人の死後は妃になった美女です。ここでは、彼の兄弟フェルディナンドに毒殺されたフランチェスコ大公の悲劇のヒロインとしての風貌を描いています。いやあ、モデルのアンナは凄い美女ですね。まるでファム・ファタールじゃないですか!

アンゼルム・フォイエルバッハの《マンドリン奏者》。1865年頃、フォイエルバッハ、36歳頃の作品です。この作品もアンナ・リージ(通称ナンナ)をモデルに描いたもののようですね。モデルがよいと絵が引き立ちますね。しかし、この翌年、フォイエルバッハはあっさりと絵のモデルをアンナから宿屋の妻だったルチア・ブルナッチに乗り換えます。もったいないですね。しかし、ローマにはそんなに美女が多かったんでしょうか。

フォイエルバッハの絵を見たんだか、モデルのナンナを見たんだか、判然としませんが、saraiは彼女の美しさに魅せられました。そもそも、この絵を見るまで、フォイエルバッハという画家の名前すら知らなかったんですから・・・。
ドイツ絵画はここでいったん終わり、この後はフランス絵画に移ります。
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