今日はハンブルクHamburgでゆったり散策。ハンブルク市立美術館Hamburger Kunsthalle、運河沿いの赤レンガ倉庫を巡りました。赤レンガ倉庫の最寄りの地下鉄駅、U1のメスベルクMeßbergから、U1、S1を乗り継いで、シュタットハウスブリュッケStadthausbrückeまで移動し、そこから聖ミヒャエル教会Hauptkirche St. Michaelisに歩きます。高いところ好きのsaraiの要望で教会の尖塔に上ることにするんです。大通りのルードヴィッヒ・エアハルト通りLudwig-Erhard-Straßeを地下道をくぐって横断します。地下道を上がると、ツアーらしき一行が立ち止まっていて、ツアーの案内人がしっかり説明しています。あれっ、もう聖ミヒャエル教会に着いたのかなと思っていると、どうやら違うようです。ツアーの一団は籠を持ったおばあさんの銅像を取り囲んでいます。
今日はハンブルクHamburgでゆったり散策。ハンブルク市立美術館Hamburger Kunsthalle、運河沿いの赤レンガ倉庫から聖ミヒャエル教会Hauptkirche St. Michaelisにやってきました。高いところ好きのsaraiの要望で教会の尖塔に上ることにしたんです。教会内部ではパイプオルガンでベートーヴェンの交響曲を演奏中。その響きを聴きながら、バロック様式の美しい内部空間を眺めています。
さて、ここに来た目的は、尖塔に上ること。ようやく、エレベーターで塔に昇ることにします。料金は、シニア料金で一人4ユーロ。高速エレベータで一気に上がります。やはり高い所からの眺めは素晴らしいです。106mの高さの展望台からのハンブルクの絶景を楽しみます。真っ先に目に入るのは第2次世界大戦の戦禍を受けて廃墟になっている聖ニコライ教会廃墟Mahnmal St. Nikolaiの姿です。無残ではありますが、凛とした美しさもあります。
今日はハンブルクHamburgでゆったり散策。ハンブルク市立美術館Hamburger Kunsthalle、運河沿いの赤レンガ倉庫、そして、今は聖ミヒャエル教会Hauptkirche St. Michaelisに来て、塔の上からの絶景を楽しんだところです。 さあ、展望台の高い所から降りて、エレベーターに向かいましょう。
今日はハンブルクHamburgでゆったり散策。ハンブルク市立美術館Hamburger Kunsthalle、運河沿いの赤レンガ倉庫Lagerhaus aus rotem Backstein、聖ミヒャエル教会Hauptkirche St. Michaelisを巡って、市庁舎Rathausの前までやってきたところです。 市庁舎広場Rathausmarktから高さ112mの尖塔が聳える市庁舎を眺めます。ネオ・ルネッサンス様式の堂々たる建物です。
広場の後ろを振り返ると、ハンブルクの5つの中央教会の一つ、聖ペトリ教会Hauptkirche Sankt Petriの塔が見えています。
今日はハンブルクHamburgでゆったり散策。ハンブルク市立美術館Hamburger Kunsthalle、運河沿いの赤レンガ倉庫Lagerhaus aus rotem Backstein、聖ミヒャエル教会Hauptkirche St. Michaelis、市庁舎Rathauを巡って、今日の散策は終了。 これから、ディナーを楽しみます。市庁舎のあるラートハウス駅RathausからU3の電車に乗って、レストランの最寄り駅のレディングスマルクト駅Rödingsmarktに着きました。駅を出ると、巨大な廃墟、聖ニコライ教会Mahnmal St. Nikolaiが前方に見えます。
休憩後の後半の2曲はいずれも日本初演という意欲的なプログラム。 まずはアメリカの作曲家、モートン・フェルドマンのOn Time and the Instrumental Factor。先ほどのポスト・ミニマルや最近のロマン的傾向の調性を感じさせる現代音楽とは一線を隔する厳しい音楽です。調性どころか、無調の音列的な要素も排除し、ただただ、音の響きと無音を繰り返し、スタティックな音場を現出させるのみ。これを退屈と見るか、修行の道と思うか、難しいところです。甘い傾向に流れがちの最近の現代音楽へのアンチ・テーゼとしては、刺激的ではあります。演奏自体は読響の優秀なアンサンブルの美しい響きが素晴らしいものでした。ただ、下野竜也のきっちり拍を刻む指揮は視覚的にはちょっと面白くない感じ。演奏上は必要なんでしょうが、どうにかならないものかな。まあ、見なければいいんですけどね。
舞台の後方を振り返ると、超豪華な装飾に驚かされます。とりわけ、ロイヤルボックスが凄い! まさにこれでこそ、ユネスコ世界遺産です。ブランデンブルク=バイロイト辺境伯フリードリヒ3世の妻であったヴィルヘルミーネMarkgräfin Wilhelmine von Brandenburg-Bayreuthの意向で建てられましたが、ヴィルヘルミーネがプロイセンのフリードリヒ大王Friedrichs des Großenの姉であったところにこの歌劇場の豪華さの所以がありそうです。
まず、C. P. E. バッハのシンフォニアです。C. P. E. バッハと言えば、つい最近まで当ブログで書いていたハンブルク散策の中で訪れた聖ミヒャエル教会の地下に埋葬されている大バッハの次男ですね。彼の作品はほとんど聴いたことがありません。父親の大バッハとはまるで傾向の違う作品を書いていたんですね。北ドイツのハンブルクで書かれた作品とは言え、随分、イタリア風のテーストが感じられました。力強いパートと繊細で優しいパートが交互に入れかわるという感じの音楽を丁寧に、それでいて、さらっと演奏してくれました。
続いて、丁寧な説明が始まります。ほとんど分かりませんけどね。終了後、舞台を見に行きます。舞台の上方には、ヴィルヘルミーネMarkgräfin Wilhelmine von Brandenburg-Bayreuthのプロシア王室をもとにした、王冠を戴く赤いブランデンブルクの鷲のあるバイロイト辺境伯の紋章が飾られています。
夕食はスーパーで食材を買って帰ろうかと思っていたのですが、繁華街を歩いていると、レストランが目に留まります。テラス席が凄く混んでいて、とても活気があります。店名を見ると、ガイドブックに紹介されているお店です。オスカーOskar-Das Wirtshaus am Marktというレストランです。きっと美味しいに違いありません。ここで食べて帰りましょう。しかし、テラス席はいっぱいです。ウェイターに訊くと、店内ならOKだよとのこと。店内の奥に、ガラス天井の明るいエリアがあります。ここにしましょう。
2曲目と3曲目はいずれも「ダントンの死」にまつわるオペラ作品から取り出した音楽で、続けて演奏されます。ジョルジュ・ダントンはフランス大革命の立役者の一人ですが、同じくフランス大革命の立役者のロベスピエールが宿敵となり、ギロチンの露と消えてしまいます。そのダントンの死を扱った文学作品は多く、19世紀のドイツの革命詩人ゲオルク・ビュヒナーが書いた戯曲『ダントンの死』もその一つです。オーストリアの20世紀の作曲家ゴットフリート・フォン・アイネムが第2次世界大戦後、すぐにオペラ化して、1947年のザルツブルク音楽祭で初演して、大成功を収めました。ナチスの扇動で洗脳された社会の恐怖をフランス大革命時の恐怖政治と重ね合わせたオペラはその時、実にリアルだったようです。時は移り、21世紀は決してバラ色の世界とは言えない状況です。ドイツ新時代の作曲家ヴォルフガング・リームは再び、ビュヒナーの戯曲『ダントンの死』の最終場面をテキストとして、ソプラノとオーケストラのための情景《道、リュシール》を書き上げました。ダントンの同僚カミーユ・デムーランもギロチンにかけられますが、夫の死刑を目の当たりにした妻リュシール・デュプレシが狂気にかられていく様が描かれています。その凄まじい音楽は現在を生きる我々も限界状況にあって、扇動と恐怖によって、滅びの道を歩んでいることを告発しているかの如くです。飯森範親の卓抜なプログラムの設定によって、フランス大革命の狂気、ナチスの犯罪的な戦争と恐怖、現代の滅びの道に至る扇動やナショナリズムの狂気が3重の意味を持って、我々、聴衆に迫ってきます。ギロチン台を前にしたリュシールが最後に放つ言葉は《Es Lebe der König:国王万歳!》 革命に身を投じていたリュシールは革命に異議を唱えたのではなく、革命の持つ狂気にアンチテーゼを放ったものです。リュシール役の角田祐子はこの言葉をピアニッシモではなく、かと言ってフォルッティシモでもなく、微妙にピアニッシモのニュアンスを含んだフォルッティシモで投げかけることで戦慄を覚えさせることに成功しました。飯森範親がこの2曲で表現したかったのは、ラッヘンマンのマルシェ・ファタールと同じく、我が日本への憂慮であったことは明白です。彼の強い気持ちを汲み取りつつ、音楽のチカラが何かを変えられることを信じましょう。