自分たちでも家の中を見て回り、遺品の整理をしていますが、配偶者が白い表紙の本を探し出してくれました。開いてみると、30年前に72歳で亡くなった父の最後の20日間ほどの日々を綴った日記でした。筆跡が父のものと違うと思っていたら、何と父の口述を母が代筆したもの。最後の5日間は口述もままらならぬようになり、母が父の死後にまさに代筆していました。亡くなった日で終わるのかと思っていたら、その後は母が日記を書き繋いでいました。4年ほどで終わっていましたが、父の思い、母の思いがつまった貴重な日記でした。両親の供養にというか、自分自身の好奇心にも駆られて、今まで熟読していました。
父の壮絶な闘病の毎日と母の献身的な看病、そして、母の悲しい思いと喪失感にあふれた内容に絶句することもしばしばで読み続けました。母の「お父さんが恋しい。いつか、一緒にお墓に入る日まで待っていてね。」という言葉で締めくくられていました。その日から、26年ほどが過ぎ、今日、母の納骨を終え、母のその言葉が成就しました。よかったね。
古いアルバムも見つけ、家族で一緒に色んな古い写真を見ました。saraiがまだ、4歳か5歳くらいで、ベレー帽を被り、佐久間ドロップの缶を持ち、母に優しく抱かれている写真がありました。もちろん、そんなに幼い日の記憶はありませんが、母の優しい眼差しに包まれたsaraiの子供の頃の幸福感を見ると、ああ、そんなに充足していた子供の頃にタイムジャンプして帰りたいと心の底から思わずにはいられません。強い感動にただただ、涙をこらえるだけです。幸せな思いに浸ることのできた、母との最期の別れの日になりました。
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