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今日は聖金曜日でしたが・・・マンハイム美術館:キルヒナー、アンソール、エルンスト、クレー、カンディンスキー、レジェ

2018年8月28日火曜日@ハイデルベルク~マンハイム/13回目

今日は聖金曜日。例年なら、バッハ・コレギウム・ジャパンのマタイ受難曲を聴くところですが、もちろん、公演は延期になりました。オランダやドイツでは各地でマタイ受難曲やヨハネ受難曲というバッハの特別の作品が演奏される筈でしたが、すべて、中止になったようです。コロナウイルスはかくも簡単に人類の文化を打ち壊してしまうのかと畏怖の念を感じるばかりです。saraiは自宅に籠って、淡々とブログを書き続けるのみです。一昨年の旅にタイムジャンプします。

この旅の最後の目的地であるマンハイムMannheimで散策中です。まずはフリードリヒ広場Friedrichsplatzに面したマンハイム美術館Kunsthalle Mannheimで美術鑑賞中です。

エルンスト・ルートヴィヒ・キルヒナーErnst Ludwig Kirchnerの1909年、29歳頃の作品、《モロッコ人Marokkaner》です。キルヒナーは1905年、ドレスデンにてヘッケル、シュミット=ロットルフらと画家グループ「ブリュッケDie Brücke」(「橋」の意)を結成しました。共通の表現様式があったわけではなく、既存のアカデミズムの対抗する意識の共有だけがありました。キルヒナー自身はまさにドイツ表現主義を体現したような作品を生み続けます。この作品は対象が珍しいのですが、表現内容は表現主義そのものです。
ところで、この絵の向きですが、縦向きの絵が横向きに展示してあったので、ここでは美術館の状況を尊重して、そのままの向きで表示しておきます。読者のかたは頭を横に向けて眺めてください。どうしてそうなったかと言うと、2枚後の絵、《ベルリンの黄色いエンゲルウファー通りGelbes Engelufer, Berlin》のカンバスの裏にこの絵が描かれているので、物理的のこういう展示しかできないんです。

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エルンスト・ルートヴィヒ・キルヒナーErnst Ludwig Kirchnerの1913年、33歳頃の作品、《砂浜の赤い樹木Roter Baum am Strand》です。キルヒナーは1911年、他の「ブリュッケ」の仲間らとともにベルリンに移住し、その後、グループは1913年には解散しました。このベルリン時代、キルヒナーとブリュッケの仲間たちはバルト海南部にあるフェーマルン島で夏を過ごしました。この作品もそこで描かれたものでしょうか。このキルヒナーの作品は、どぎつい色彩と激しいフォルムで実に表現主義的です。

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エルンスト・ルートヴィヒ・キルヒナーErnst Ludwig Kirchnerの1913年、33歳頃の作品、《ベルリンの黄色いエンゲルウファー通りGelbes Engelufer, Berlin》です。キルヒナーはこの頃、ブリュッケの仲間とともにベルリンに住み、ベルリンの町の風景を盛んに描いていました。この作品もその1枚です。時代は次第に急を告げます。翌年は未曾有の戦争、第1次世界大戦が勃発。キルヒナーも兵役に就きますが、その戦いのさなか、彼の繊細な神経はひどく冒されます。その精神へのダメージは彼自身の手による死、すなわち、自殺まで完全に回復することはありませんでした。

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ジェームズ・アンソールJames Ensorの1894年、36歳頃の作品、《死んだ雄鶏Le coq mort》です。アンソールは北海沿岸の海岸リゾート地であるベルギーのオーステンデ(オステンド)で人生のほとんどの日を過ごした近代ベルギーを代表する画家の一人です。彼の作品にはいつも死のイメージがつきまとっていますが、この作品では何と雄鶏が死のテーマになっています。彼のお得意のごちゃごちゃした静物画です。

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マックス・エルンストMax Ernstの1953年、62歳頃の作品、《地球の上の母と子Mutter und Kind auf dem Erdball》です。エルンストはドイツ出身のシュールレアリスト。この頃は亡命先のアメリカからパリに帰還し、名声を博しつつありました。この作品はシュールですが、なにか可愛らしい雰囲気です。

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マックス・エルンストMax Ernstの1957年、66歳頃の作品、《カモメの飛行Möwenflug》です。エルンストは1954年、ヴェネツィア・ビエンナーレ展で大賞を受賞。そして、本作の前年にはベルリン芸術アカデミー会員に任ぜられます。芸術家として、順風満帆の時代に描かれたのが本作です。青い海原の上の真ん丸な円がカモメなのでしょうか。抽象的でありながら、具象のイメージも残しているのがシュールレアリストたるところでしょうか。

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パウル・クレーPaul Kleeの1922年、43歳頃の作品、《庭の集落Gartensiedlung》です。クレーはヴァルター・グロピウスの招聘を受け、本作の前年の1921年からバウハウス(ヴァイマル、デッサウ)で教鞭をとっていました。バウハウスでの仕事は1931年まで続きます。その脂の乗り切った時期に数々の絵画への探求を行いました。この作品は統一した色彩で小さなパターンの画面全体に構成的するクレー独特の様式で仕上げられています。抽象的でありながら、そこにもののかたちを盛り込むというクレー様式とでも言うようなものが完成しつつあります。

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ワシリー・カンディンスキーWassily Kandinskyの1930年、64歳頃の作品、《丸とシャープさRond et pointu》です。カンディンスキーもクレーと同様にヴァルター・グロピウスの招聘を受け、1922年からバウハウスで教鞭をとり、1933年にナチス・ドイツによってバウハウス自体が閉鎖されるまで勤務しました。この作品はその時代に描かれた抽象画です。カンディンスキーはモンドリアンとともに抽象絵画の始祖と言われています。美術の歴史に偉大な一歩を記しました。特にバウハウス時代には、丸や直線や点などの幾何学的な構成の研究を進め、「コンポジションの時代」と呼ばれる傑作のコンポジションシリーズを制作しています。この作品もその幾何学的な作品群の中の1枚です。

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フェルナン・レジェFernand Légerの1945年、64歳頃の作品、《ダイバーたちLes plongeurs》です。レジェはキュビズムの画家として出発しましたが、後には、太い輪郭線と単純なフォルム、明快な色彩を特色とする独自の様式の作品群を描き続けました。その作品は一見してすぐにレジェの作品だと分かるようなものです。この作品が描かれた1945年、レジェは第二次世界大戦の戦火を避けて滞在していたアメリカから帰国しました。この作品はダイバーたちの手足が複雑に絡み合う具象的なイメージが描かれていますが、それはあくまでも素材であり、単純なフォルムを太い輪郭線で描くという抽象的なアプローチが重要です。

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20世紀のモダン絵画の数々に魅了されました。展示はまだ続きますが、残り少なくなってきました。この美術館は有名画家の作品はほぼ1枚に絞り込まれて、質の高い収蔵作品ばかりです。



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首都圏の様々なジャンルのクラシックコンサート、オペラの感動をレポートします。在京オケ・海外オケ、室内楽、ピアノ、古楽、声楽、オペラ。バロックから現代まで、幅広く、深く、クラシック音楽の真髄を堪能します。
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DCHは私も毎週末、楽しみに聞いています。
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03/01 19:22 aokazuya

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大学入学直後からの長いお付き合い、素晴らしい伴侶に巡り逢われて、幸せな人生ですね!
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08/04 21:31 G線上のアリア

じじいさん、コメントありがとうございます。saraiです。
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これがsaraiの聴いたハイティンク最高のコンサートでした。
その後、ザル

07/08 18:59 sarai

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07/08 15:53 じじい@

saraiです。
久々のコメント、ありがとうございます。
哀愁のヨーロッパ、懐かしく思い出してもらえたようで、記事の書き甲斐がありました。マイセンはやはりカップは高く

06/18 12:46 sarai

私も18年前にドレスデンでバームクーヘン食べました。マイセンではB級品でもコーヒー茶碗1客日本円で5万円程して庶民には高くて買えなかったですよ。奥様はもしかして◯良女

06/18 08:33 五十棲郁子
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