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ウィーンで音楽三昧:クルレンツィスの《ドン・ジョヴァンニ》

2019年9月7日土曜日@ウィーン

旅の4日目、ウィーンWienの2日目です。昨日の夜の便でイスタンブールから飛んできました。

ぐっすり眠って、配偶者は8時に起床。窓を開けると曇っていてひんやりしています。
もちろん、saraiはまだまだお休み中。今日の予定は、夜のクルレンツィスのモーツァルトのオペラのみ。今日は休養の一日としましょう。とは言え、ベルヴェデーレ宮殿Schloss Belvedereに散策がてら、クリムトとシーレの名画を鑑賞に行くつもりです。
配偶者はsaraiが寝ている間、メールやブログをチェックして過ごしていました。配偶者が一人で朝食でも買いに行こうかと、準備をしていると、ようやくsaraiも目覚めて、一緒に朝食のお買い物に出かけることにします。出がけに各部屋のメイキングをしているメイドさんに出会い、我々の部屋はタオルだけ交換してもらい、お掃除は不要と伝えることができ、ラッキー。
近くのSバーンの駅、レンヴェークRennwegはショッピングエリアです。パン屋やピザ屋も数軒あって、美味しそうな香りがしています。温かな総菜パンを購入。牛乳、ジュース、水を購入。奥のスーパーも覗いていきましょう。キッチン付ではないので、食事は作れないけど、何でもあるので便利に使えそうです。新鮮な果物が並んでいます。

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パンのコーナーです。

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色んなパンが大量にストックされています。どんだけ、パンを食べるのかいって感じです。

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これは別のパン屋さん。イートインスペースもあります。

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簡単に食事が出来そうなお店もあるので、助かりますね。
おっ、ポストと書かれた何でも屋を発見。後で、孫たちへの絵葉書を出しに来ましょう。市場調査を終え、ホテルに戻ります。
軽く朝ごはんを始めましょう。

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しかし、saraiはお腹の調子が良くないので、そこそこで朝食を切り上げて、ベッドに戻ります。まだまだ旅は始まったばかり。しっかり休養しましょう。予定していたベルヴェデーレ宮殿の名画鑑賞ですが、とてもそんな気分じゃありません。午後4時にウィーンのお友達と会って、一緒にウィーン・コンツェルトハウスまで行く予定なので、それまでは自重して、ホテルで静養しましょう。
昨日と一昨日はイスタンブールで歩き回り、少し、疲れも出ているので、よい休養になりそうです。それにホテルの部屋は頗る気持ちがいいんです。なお、お腹の具合が悪いのは決して盲腸炎の後遺症ではありませんよ。
配偶者は暇になり、またまたパソコンで遊んでいます。その後、孫たちへの絵葉書を書き終えたので、投函に出かけます。以後、配偶者のお買い物記録です。配偶者が先ほどのポストと書かれたお店に行くと、真っ暗。ウ~、そういえば今日は土曜日。曜日の感覚もなくしてます。土曜日は12時までと書かれています。日曜日は当然お休みですから、絵葉書の投函は明後日になりますね。残念ですが、仕方ありません。せっかくだから、スーパーで紅茶用の砂糖を買って帰ることにしたそうです。紅茶の茶葉は持ってきたけど、砂糖を持ってくるのを忘れていたのです。調味料売り場に行きますが、並んでいるのは、塩、コショウ、マヨネーズなどの調味料のみ。そういえば、料理に砂糖を使うのは日本食だけだと聞いたことを思い出します。砂糖は調味料ではないのですね。コーヒーなどの嗜好品売り場でしょう。でも、ズラリと紅茶やコーヒーが並んでいますが、砂糖はありません。ハチミツやジャムなどが置いてあるだけです。そうです、ケーキ作りにはたっぷり砂糖を使うから、お菓子作りコーナーにあるかもと思いつきます。ちょうど店員さんと目があったので、砂糖はどこにあるかと訊くと、案内してくれます。小麦粉やゼラチンなどの売り場。じっくり探すと、確かにその中に砂糖らしきものがあります。1キロ入りの袋です。あの、3グラムとか5グラムとか入った棒状の砂糖って、どこに売っているのでしょう・・・。謎です。以上が配偶者のお買い物記録です。

さて、そろそろ出かける時間です。オペラの前に、ウィーンのお友達と会って、食事をする約束です。残念ながら、雨がしっかり降りだしました。寒いほどです。コートを羽織っている人もいます。一雨ごとに冬に近づいていくのでしょうね。
お友達と4年ぶりの再会。お互い、変わりなく元気なことを確認します。後は、おしゃべりが続きます。配偶者は気になっていた砂糖のことを訊いています。一人分の入った砂糖なんて、売っていないそうです。では、カフェなどで出されるのは? すべて、お店が独自で作ったものだそうです。そういえば、みなお店のデザインになっていますね。日本で一般的に売られている図柄だけのものはなく、あんな紙の無駄遣いの品はないよとのことでした。確かに・・・。家庭では、砂糖を器に入れて使えばいいのよね。文化の違いを痛感します。(後でちょっと大きめのスーパーに行ったら、一人分入りの砂糖は売ってました。コーヒーや紅茶のコーナーにハチミツと並んで。でも1種類のみ。)我々のホテルは、コーヒーと紅茶、砂糖やミルクはフロントに置いてあり、自由に持って行ってよいので、出入りの際に、いっぱいもらってきて確保し、問題ありません。
お友達と一緒の食事はケーキで有名なオーバーラーKurkonditorei OBERLAAでいただいています。最近はここのランチなどの食事が充実しているそうです。
とりあえず、ウィーン風の小麦粉のダンプリング入りのスープをいただきます。

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メインは牛肉のシチュー、グーラッシュです。お腹具合にはやさしい味の料理です。

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サイドメニューのサラダもお腹にやさしいです。

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オーバーラーでぎりぎりの時間までおしゃべりに興じて、超特急でウィーン・コンツェルトハウスWiener Konzerthausに向かって歩きます。結構遠いと思っていましたが、お友達の言った通り、10分ちょっとで着きます。ウィーンの旧市街は意外に狭いことを実感します。

このウィーン・コンツェルトハウスで聴くのはクルレンツィス指揮ムジカエテルナのモーツァルトのオペラ《ドン・ジョヴァンニ》です。クルレンツィス指揮ムジカエテルナでモーツァルトのダ・ポンテ3部作をルツェルン音楽祭で聴くのが今回の旅の最大の目的ですが、それに先駆けて、このウィーンでもダ・ポンテ3部作のうちの2つを聴きます。気持ちは予習がてらのリラックスしたものです。コンツェルトハウスのホールに足を踏み入れると、1階席の中央に録音機材が並んでいます。クルレンツィスは2013年から2015年にかけて、このダ・ポンテ3部作を録音したばかりです。それも超素晴らしい演奏ばかりでした。早くも再録音するんですね。

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この写真では録音機材が見えませんが、確かにライヴ録音していました。
肝心の演奏ですが、予習がてらの気分をふっとばすような凄い演奏に驚愕! このオペラについての記事はここに書きました。

明日は1日、特に決まったスケジュールはありません。明後日、また、このコンツェルトハウスでクルレンツィス指揮ムジカエテルナでモーツァルトのオペラ《コジ・ファン・トゥッテ》を聴きます。楽しみです。



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ベルヴェデーレ宮殿へ散策

2019年9月8日日曜日@ウィーン/1回目

旅の5日目、ウィーンWienの3日目です。昨日のクルレンツィスの興奮も醒めやりませんが、昨日は体調が絶不調だったんです。それを吹き飛ばすような会心の演奏でした。ウィーンの聴衆も観光客などはいなくて、気持ちよく鑑賞できました。一夜明け、バッファリンが効いたのか、体調はほぼ回復しました。ただ、お腹が緩いのは続いています。いけませんね。

カーテンから覗くと、雨は上がっていて、青空が見えています。お天気は回復したようです。でも、今日は特別な予定もないし、saraiの体調を考えて、ゆっくり過ごしましょう。
昨日の朝食の残りを片付けて、今朝の朝食とします。シャワーも浴びて、サッパリ。
お昼に近い時間になり、そろそろ、昨日出かける筈だったベルヴェデーレ宮殿Schloss Belvedereに出かけましょう。ベルヴェデーレ宮殿はホテルに隣接するようなもので、ホテルから歩いてすぐです。
ホテルを出て、すぐ横の路地、マガツィンガッセMagazingasseに入ります。

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路地の上を見上げると、だんだん青空が広がってきています。

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これが今入ってきた路地を振り返ったところです。バロック風の建物が見えます。

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ベルヴェデーレ宮殿に離接する植物園(ウニヴェルシテート・ウィーン植物園Botanischer Garten der Universität Wien)に入ります。

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植物園の上はすっかり青空が広がっていますね。

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ウィーン大学付属の植物園だけあって、多種多様な植物が栽培されています。

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多肉植物まであります。

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ここには、地元の人が散策に訪れています。長閑ですね。

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ベルヴェデーレ宮殿への門に出ます。ベルヴェデーレ宮殿にある美術館で、クリムトとシーレを楽しんできましょう。

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大きな植物園の中を抜けて、ベルヴェデーレ宮殿に入ります。

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ベルヴェデーレ宮殿の上宮Oberes Belvedereの横手に出ます。

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上宮の先にあるチケット売り場に向かいます。

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チケット売り場の前には長い行列ができています。今日は日曜ですからね。

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周りの様子を眺めながら気長に行列に並びます。

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行列の背後には、ベルヴェデーレ宮殿の上宮が眺められます。

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行列はなかなか進みませんが、まあ、焦る気持ちはありません。今日は特別な用事はありませんからね。

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saraiが行列に並んでいる間、配偶者はふらふらとそのあたりを歩いて、写真を撮っています。
離れた位置からのベルヴェデーレ宮殿の上宮の眺めです。

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上宮前の庭園の池です。

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真正面から眺めた上宮です。美しいですね。

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20分ほど並んで上宮のシニアチケットを購入。一人13.5ユーロです。しばらく来ない間に、最近は入場時間制になったようで、入館時間は30分後の12時15分です。

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少し待たされますが、構いません。どうせ暇人です。それまでベルヴェデーレ宮殿の美しい庭園を散策してきましょう。



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ベルヴェデーレ庭園をゆっくり散策、saraiの儀式も再演

2019年9月8日日曜日@ウィーン/2回目

ベルヴェデーレ宮殿Schloss Belvedereの上宮Oberes Belvedereの入館チケットを購入しましたが、予約できたタイムスロットが30分後なので、それまではベルヴェデーレ宮殿の美しい庭園を散策してきます。
上宮の横を抜けて、庭園に行きます。

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ベルヴェデーレ庭園Belvederegartenに出ます。何度来ても美しいですね。

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もちろん、saraiの儀式、恒例のタッチをします(笑い)。

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庭は、だいぶん整備されたようです。ゆっくりと散策しましょう。

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庭園から上宮を眺めます。美しいバロックの館です。

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庭園の先に眺められるウィーンの旧市街を見下ろしながら、のんびりと歩きます。

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庭園内には、噴水と彫像のある池が配置されています。

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大きな池の向こうには下宮Unteres Belvedereが見えています。バロックの大建築家ヨーハン・ルーカス・フォン・ヒルデブラントがプリンツ・オイゲンの命により、上宮に先駆けて1714年から1716年にかけて建設した美しい館です。

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この大きな池の横から、下に続く庭園に下りていきます。

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下の庭園に下りる前に上宮と庭園を眺めます。

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下宮前の庭園から振り返ると、庭園に咲く綺麗な花々の向こうに下宮と対をなす上宮が見えます。上宮は下宮に続いて、バロックの大建築家ヨーハン・ルーカス・フォン・ヒルデブラントが1720年から1723年にかけて迎賓館として建設しました。

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下宮前の庭園には真っ白い彫像が印象的です。池の周りの彫像と庭園に点々と並ぶ彫像の先に下宮が鎮座しています。

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庭園は夏の名残の花々が綺麗に咲いています。

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下宮の庭園はこれ以上進まないことにして、そこから上宮を眺めます。ずいぶん遠くに見えています。

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庭園の花々とバロックの館は似合っていますね。

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ズームアップして上宮の全景を撮影します。庭園の真ん中には階段状の噴水があります。

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これが階段状の噴水。上宮とマッチして美しい景色を作っています。

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こうして、庭園内をうろうろしていると、配偶者から、いきなり、入館5分前という指摘。慌てて、入館口に行くと、既に並んでいる人たちがいます。整理のおじさんに一応、チケットを見せると、何と日本語で「はーい、あなたの時間です。」と、綺麗な日本語が返ってきて、ビックリです。確かに、ウィーンは日本人観光客が多いですね。行列している人たちを尻目にさっと入館します。
クリムトとシーレの名画に久しぶりに再会します。



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ベルヴェデーレ宮殿のオーストリア・ギャラリー:マカルト、フォイエルバッハ、ベックリン、クリムト

2019年9月8日日曜日@ウィーン/3回目

ベルヴェデーレ宮殿Schloss Belvedereの上宮Oberes Belvedereの入館時間になり、並んでいる人の列を尻目に入館します。ここにはウィーン美術史美術館に次ぐ規模のオーストリア・ギャラリーÖsterreichische Galerie Belvedereがあり、世紀末芸術を中心とした充実したコレクションが揃っています。とりわけ、クリムトとシーレの傑作群に再会できるのが楽しみです。
入館して、2階への階段に向かいます。

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バロック装飾の階段を上って、2階に向かいます。

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2階の大広間です。

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大広間の大きな窓からはさきほどまで散策していた庭園が見渡せます。下宮とその先のウィーンの旧市街も眺められます。

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目指すはクリムトとシーレ。勝手知ったる美術館です。2階の大広間から、右手の部屋に進みます。途中、印象的な作品だけをピックアップして鑑賞します。

ハンス・マカルトHans Makartの1870年、30歳頃の作品、《マグダレーナ・プラッハMagdalena Plach》です。マカルトは19世紀後半のウィーンを席巻したアカデミック美術の第1人者として活躍した画家でした。近年、再評価されている画家です。この作品に描かれているマグダレーナ・プラッハは、ウィーンの美術商、ゲオルク・プラッハの妻で、ゲオルク・プラッハはマカルトの大きな作品を購入した最初のディーラーでした。とても美しい肖像画に魅了されます。

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ハンス・マカルトHans Makartの1868年、28歳頃の作品、《モダンなキューピッド-壁を飾るデザインModerne Amoretten – Entwurf zur Dekoration einer Wand》です。マカルトは自分のアイデアやアイデアをより簡単かつ迅速に表示するために、初めて写真を使用しました。 彼は「モダンなキューピッド」の3つの複製物に薄くグレージング(光沢を出す艶出しの手法)し、2つのトンディ(円形のイメージ画)をキャンバスに直接描きました。若いマカルトの意欲的な挑戦ですね。

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アンゼルム・フォイエルバッハAnselm Feuerbachの1868-1869年、39-40歳頃の作品、《オルフェオとエウリディーチェOrpheus und Eurydike》です。フォイエルバッハはマカルトと同時期にウィーンで活躍した新古典主義の画家です。フォイエルバッハがこの作品で扱ったテーマは、古代の物語の決定的な瞬間を人間の存在のドラマに集中させることにあります。この作品「オルフェウスとエウリュディケ」では、悲劇的な愛の主題は芸術家の運命の主題にもリンクされています。オルフェウスは、運命や孤独を克服することに成功していない存在として描かれています。絵そのものに注目すると、二人の衣装のひだが美しく描き込まれていることが特徴的ですが、やはり、オルフェオの希望に燃える顔とエウリディーチェの未来を絶望すような暗い表情が対照的に描かれていることがとても印象的です。刮目すべき作品です。

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アルノルト・ベックリンArnold Böcklinの1887年、60歳頃の作品、《海の牧歌Meeresidylle》です。ベックリンは19世紀のスイス出身の象徴主義の画家です。ベックリンはフォイエルバッハとも親交がありました。この作品では海の幻想的な風景が描かれています。ベックリンが好んで取り上げた主題のひとつです。

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ありました! クリムトの作品が登場します。

グスタフ・クリムトGustav Klimtの1895年、33歳頃の作品、《演劇『クラビコ』中のカルロスに扮する宮廷役者ヨーゼフ・レヴィンスキーの肖像Josef Lewinsky als Carlos in Clavigo》です。クリムトはブルク劇場の天井画をてがけましたが、この成功をきっかけにブルク劇場の名優の肖像画を委嘱されるようになります。この作品はその1枚ですが、従来の肖像画に終わらないのがクリムトの凄いところです。中央の肖像も見事ですが、その左右に描かれた装飾画が素晴らしいです。とりわけ、右側は古代の火盤から立ち上る煙の上に描かれた若い女性の美しさはクリムトの真骨頂です。左側の金色とグレイで描かれた月桂樹も中央に描かれた名優の肖像を称えているかのごとくです。装飾的な肖像画で、クリムトが新時代のユーゲントーシュティールの芸術を切り開いていくことを宣言したのでしょう。

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グスタフ・クリムトGustav Klimtの1891–1892年、29-30歳頃の作品、《1862年の花嫁としてのマリー・ケルナー・フォン・マリラウンの肖像Marie Kerner von Marilaun als Braut》です。1862年5月1日、マリー・ケルナーは植物学のアントン・ケルナー教授(後にケルナー・フォン・マリラウン)と結婚しました。教授は1891年に妻へのクリスマス・プレゼントとして、クリムトに肖像画の作成を依頼しました。クリムトは1862年の結婚式の際に作られた水彩のミニアチュアをもとに肖像画を描き、12月24日に暫定的に絵画を手渡しました。クリスマスプレゼントとしての納期を一応守ったわけですが、その後、最終的な手直しを施して、翌年、完成させます。肖像画はミニアチュアをもとにしていますが、白いユリで作られたブライダルブーケとヘアリングのデザインは、1892年の国際音楽および劇場展のポスターと同様にクリムトのデザインです。ウェディングドレスとベールは、1891年のエミリエ・フレーゲのパステル調の肖像画と同様に描かれています。初期のクリムトの作品として、貴重な肖像画です。

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グスタフ・クリムトGustav Klimtの1894年、32歳頃の作品、《婦人の肖像Frauenbildnis》です。この若い女性の肖像画は最初の大きな代表的なクリムトの女性の肖像画です。この作品は後に描かれる立っている女性の肖像画の基礎になります。とりわけ、エミリエ・フレーゲ(ウィーン美術館)、ハルミネ・ガリア(ナショナルギャラリー、ロンドン)、マーガレーテ・ストンボロー・ヴィトゲンシュタイン(ノイエピナコテーク、ミュンヘン)がその系列です。彼の肖像画はカメラで撮影した写真をもとにリアルに再現する手法で描かれています。

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クリムトの肖像画を皮切りにオーストリア・ギャラリーの名品の鑑賞を始めたところです。この後、シーレの傑作も続々と登場します。



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ベルヴェデーレ宮殿のオーストリア・ギャラリー:クノップフ、ムンク、ゴッホ、ホドラー、シュトゥック、セガンティーニ、ロダン

2019年9月8日日曜日@ウィーン/4回目

ベルヴェデーレ宮殿Schloss Belvedereの上宮Oberes Belvedereにあるはウィーン美術史美術館に次ぐ規模のオーストリア・ギャラリーÖsterreichische Galerie Belvedereで絵画鑑賞中です。
クリムトの初期の3枚の肖像画を見たところです。この後もクリムト、シーレの作品を中心に楽しみます。

フェルナン・クノップフFernand Khnopffの1894年、36歳頃の作品、《穏やかな水面Unbewegtes Wasser》です。クノップフはベルギーの画家で、ベルギー象徴派の代表的な人物です。この作品はある意味、クノップフらしくない作品ですが、決して、saraiの期待を裏切るものではありません。静謐な自然の描写は画家自身の内面の鏡像にも思えます。また、この頃、頻繁に訪れていた英国の伝統的な風景画に根ざすものなのかもしれません。素晴らしく美しい絵に深い感銘を受けました。

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エドヴァルド・ムンクEdvard Munchの1908年、45歳頃の作品、《海辺の男たちMänner am Meer》です。エドヴァルド・ムンクは、20世紀のモダニズムのパイオニアの1人です。 彼の衝動的な筆遣い、色彩の適用は、表現主義アーティストにとって模範的なものでした。 この作品では、海辺に立つ二人の入浴者は、アーティストの意図的なスケッチ、パスト(厚塗り)と水彩の間で微妙に変化する油絵の描き方で、感情を与えられます。 ここでは風景の印象は重要ではなく、文学的な物語の象徴でもありません。 色と色のコントラストの感情的な感覚、絵画の構成効果は、2つの男性の肉体の精悍さと同義なものです。

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フィンセント・ヴィレム・ファン・ゴッホVincent Willem van Goghの1890年、37歳頃の作品、《オーヴェールの平原Die Ebene von Auvers》です。ゴッホが最晩年を過ごしたオーヴェールで、農村風景を描いた12枚のシリーズの1枚です。麦畑の周辺に広がる大地を明るい色彩の連なりで描いています。しかし、強烈な太陽の輝きはなく、曇り、または雨後を連想させる緑や青の色彩が画面を支配しています。この独特とも言える風景画はゴッホにしか描けない心象風景とも思えます。

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フェルディナント・ホドラーFerdinand Hodlerの1900年、47歳頃の作品、《感情Ergriffenheit》です。ホドラーはスイスの画家で、グスタフ・クリムトと並んで世紀末芸術の巨匠とも言われます。この作品はホドラーの独自の女性の描き方で、女性がその内面を示すポーズ(この場合は手の形や足の置き方、首の傾げ方)を見せています。背景はホドラーがその終生を過ごしたスイスのアルプスの風景です。

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フランツ・フォン・シュトゥックFranz von Stuckの1891年、28歳頃の作品、《喪失Verirrt》です。フランツ・フォン・シュトゥックは世紀末のミュンヘンで活躍したドイツの奇想の画家です。ミュンヘン美術院の教授として、パウル・クレー、エルンスト・ルートヴィッヒ・キルヒナー、ワシリー・カンディンスキーなどを教え子に持ちます。この作品は初期のものですが、不思議な状況のどことも知れぬ空間に痛みを抱える男が描かれています。まさにシュトゥックワールドです。幻想的とも象徴的とも思えます。saraiも一度はミュンヘンのヴィラ・シュトゥックVilla Stuckを訪れたいと念願していますが、いまだ果たせずにいます。

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ジョヴァンニ・セガンティーニGiovanni Segantiniの1894年、36歳頃の作品、《悪しき母達(嬰児殺し)Die bösen Mütter》です。セガンティーニはイタリアの画家で、アルプスの風景などを題材とした絵画を残し、アルプスの画家として知られています。saraiはその薄っぺらく感じられる作風が好みではありません。しかし、この作品を見て、すぐにセガンティーニを連想できずに、虚を突かれた思いです。何と美しい作品なのでしょう。こういうセガンティーニの作品を見ていたら、きっと、saraiの好みの画家の一人になっていたでしょう。この作品はその主題の陰惨さに似合わずにとても美しい作品に昇華しています。逆に美しいアルプスの風景を描くと、その対象の美しさに負けてしまったのではないかと思ったりします。芸術とは何と難しくて、意地悪でもある世界なのでしょう。この作品を見て、saraiは芸術の美とは何かと少し考え込んでしまいました。

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フェルナン・クノップフFernand Khnopffの1896年、38歳頃の作品、《ニンフの半身像(「ヴィヴィアン」)Halbfigur einer Nymphe ("Vivien")》です。クノップフには珍しい彫刻作品です。しかし、絵画作品と同様に実に官能的な美が成就されています。モデルは愛する妹マルグリットでしょうか。ちなみにヴィヴィアンという名前はアーサー王伝説に登場する湖の乙女の名前に由来するものかな・・・。

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フランソワ=オーギュスト=ルネ・ロダン François-Auguste-René Rodinの1909年、69歳頃の作品、《グスタフ・マーラーGustav Mahler》です。ウィーン国立歌劇場のホワイエにもロダンによるマーラー像がありますが、同じ形態のものですね。以前、パリのオルセー美術館でのマーラー展でも見ましたが、あれはこの美術館のものだったのかしら。ウィーンとマーラーは切っても切り離せないものですね。このマーラー像はマーラーが亡くなる2年前にパリのロダンのアトリエを訪れて、モデルになったのだそうです。マーラーが49歳の頃ですね。ちなみにロダン自身の音楽の好みはモーツァルトなどの古典派作品だったそうです。

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この後、クリムトの名作が並び、続いて、いよいよシーレも登場します。



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ベルヴェデーレ宮殿のオーストリア・ギャラリー:クリムト、ゲルストル、シーレ 2019年9月8日日曜日@ウィーン/5回目

ベルヴェデーレ宮殿Schloss Belvedereの上宮Oberes Belvedereのオーストリア・ギャラリーÖsterreichische Galerie Belvedereで絵画鑑賞中です。
クリムトやクノップフの世紀末芸術作品を見ています。この後もクリムト、シーレの作品を中心に楽しみます。

グスタフ・クリムトGustav Klimtの1897-1898年、35-36歳頃の作品、《ソニア・クニップスSonja Knips》です。この作品は金属産業で財を成した実業家アントン・クニップスの妻ソニアの肖像画です。彼女は帝国陸軍准将の娘で、当時25歳。クリムトには、鉄鋼業のヴィトゲンシュタイン、繊維業のヴェルンドルファー、金属産業のクニップスといった裕福なユダヤ人実業家たちがパトロンについていて、応援してくれていました。クリムトはそういうパトロンの家族たちの肖像を描いていました。彼らの期待に応えるためか、クリムトの肖像画はリアルでかつ芸術性に富むものでした。この肖像画でもソニアを、リアルなタッチを基本に描いています。とりわけは顔はまるで写真のようにリアルで、衣装は印象派風のお洒落なタッチ、背景は人物を浮き立たせるように暗めに描かれています。こういう肖像画が当時の社交界で人気があったことは想像するまでもありません。我々、現代の人間から見ると、こういうユニークな肖像画の芸術的価値は高く評価できます。着衣の肖像画ではありますが、実にセクシュアルに感じるのはなぜなんでしょう。

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グスタフ・クリムトGustav Klimtの1906年、44歳頃の作品、《フリッツァ・リードラーFritza Riedler》です。この作品はドイツ出身でありながらウィーンで高級官僚となった男の妻、フリッツァ・リードラーの肖像画です。この肖像画もリアルな顔の描写、印象派風の衣装というクリムトの肖像画の基本に則っていますが、頭部や家具や背景が極めて装飾画的に描かれていることに注目しましょう。ここに至って、クリムトの肖像画のスタイルが最終地点に到達したことがうかがわれます。失礼ながら、さして美しいわけではないモデルを用いて、クリムトの芸術が頂点に達したのはなんとも皮肉に感じます。まるでこのモデルの女性が王侯貴族に上り詰めたがごとくです。素晴らしきかな、クリムト!

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リヒャルト・ゲルストルRichard Gerstlの1905年、22歳頃の作品、《カロリーネとパウリーネ・フェイ姉妹Die Schwestern Karoline und Pauline Fey》です。クリムトの肖像画を見ていた後にこの作品を見ると、まるでお仲間の作品のように思えてしまいます。若干、22歳のゲルストルは世紀末芸術に背を向けていた筈ですが、しっかりと、彼の頭にはクリムトの作品が刻印されていたようです。もちろん、ゲルストルは独自の芸術表現を目指していたので、表象的に似てはいても、顔の描き方はリアルな表現ではなく、全体としては、表現主義的な雰囲気に仕上がっています。彼はこの作品を描いた3年後には、作曲家シェーンベルクの妻、マティルデとの愛を失い、芸術上の行き詰まりもあり、首吊り自殺を遂げてしまいます。25歳の若さでした。彼がどこに行こうとしたのかは知る術がありません。自殺にあたって、彼はほとんどの作品を焼いてしまいました。現在、残されているのは油彩66点、素描8点です。この作品も貴重な1点です。惜しい才能でした。

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いよいよ、この美術館のもう一人の主役、エゴン・シーレの登場です。

エゴン・シーレEgon Schieleの1918年、28歳頃の作品、《エディット・シーレ、椅子に座る画家の妻Bildnis der Frau des Künstlers, Edith Schiele》です。シーレの最晩年の作品です。この年、猛威をふるったスペイン風邪で子供を身籠った妻、エディットが逝き、その3日後に後を追うようにシーレ自身も亡くなります。今流行中のコロナとはけた外れのスペイン風邪の脅威です。あまりに惜し過ぎる才能が失われました。とりわけ、シーレの最晩年、28歳の作品はどれも最高の傑作揃いです。このなんでもないような妻の肖像画もsaraiにとっては、魅了される名画中の名画です。名画というのは結局、理屈抜きに“美”がその作品から立ち上るものです。エディットを結婚した後のシーレは作風が一変し、極上の“美”の世界に上り詰めました。それにこの作品を見ていると、なんとも、ほのぼのと温かい気持ちで見たされて、幸福な感動に至ります。

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グスタフ・クリムトGustav Klimtの1914年、52歳頃の作品、《ヴァイセンバッハの田舎家Forsthaus in Weißenbach I (Landhaus am Attersee)》です。クリムトの典型的な風景画です。まず、描かれたのがアッター湖周辺。大半の風景画がこのあたりで描かれました。そして、カンバスが真四角。彼の風景画はほとんどがこの形です。
この作品にはアッター湖Atterseeのヴァイセンバッハ渓谷Weißenbachにある森の田舎家を描かれています。クリムトは1914年から1916年まで夏休みをこの地で過ごしました。この田舎家は町の中心部から少し離れた山の斜面にあり、クリムトはここで集中して絵に打ち込むことができました。 家の前には広い草原があります。 クリムトは双眼鏡で見て、風景を描くのを習慣としていましたが、この森の家も同様に描きました。これにより、画像のセクションが極端に狭まり、森の家のモチーフに集中することができました。 一方、前景の花の草原は、調和のとれたバランスで組み合わせて、クローズアップで表現されています。何と美しい風景画でしょう。

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次はいよいよクリムトの最高傑作、《接吻》です。パリで《モナリザ》を見逃せないように、ウィーンで《接吻》は見逃せません。saraiもずい分、この作品は見ましたが、最近、ウィーンにご無沙汰していたので、およそ8年ぶりの再会です。しかも前回まではこの美術館は内部の撮影が禁止だったので、カメラで《接吻》を撮影するのは初めてです。ワクワクしますね。



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ベルヴェデーレ宮殿のオーストリア・ギャラリー:クリムトの最高傑作《接吻》・・・そして、風景画

2019年9月8日日曜日@ウィーン/6回目

ベルヴェデーレ宮殿Schloss Belvedereの上宮Oberes Belvedereのオーストリア・ギャラリーÖsterreichische Galerie Belvedereで絵画鑑賞中です。
クリムト、シーレの作品が登場します。そして、いよいよ、このオーストリア・ギャラリーの至宝、ウィーンの至宝、そして、人類の至宝、クリムトの最高傑作《接吻》です。

さすがにこの名画の前の広いスペースは人だかりがしています。スマホで写真を撮る人も多いですね。大変な人気です。

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グスタフ・クリムトGustav Klimtの1908年、46歳頃の作品、《接吻Der Kuss (Liebespaar)》です。傑出した絵画はみなそうですが、この絵画は光り輝いています。天才芸術家にとっても一生で1回しか描けない“美”のオーラに包まれています。その主題は芸術がめざすべき頂点である愛です。永遠の愛の一瞬の刻が絵画に切り取られています。この時代のウィーンは音楽ではマーラーが永遠の愛と苦悩を描き切りましたが、美術ではクリムトが愛の信徒としての役割を果たしました。黄金のマントで身を包んだ愛する男女が熱い接吻をかわします。その焦点は愛の恍惚の表情を浮かべる女性の美しい顔にあてられています。この絵画のすべての装飾的要素はこの女性の顔=愛を称えるために奉仕しています。女性のモデルはエミリエ・フレーゲであるとも、別の人物であるとも言われていますが、saraiにはクリムトが愛し続けた女性という存在すべてを象徴する無人格であると思います。クリムトの黄金時代の頂点の超傑作です。
クリムトはこの作品を描いた10年後の1918年にスペイン風邪で亡くなりました。同年に亡くなったエゴン・シーレにわずかに先立つものでした。スペイン風邪とともにウィーンの世紀末芸術は終焉を迎えることになりました。

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正面から見た《接吻》も見ておきましょう。

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グスタフ・クリムトGustav Klimtの1907年、45歳頃の作品、《けしの咲く野Blühender Mohn》です。この作品もクリムトの他の風景画と同様にアッター湖畔Atterseeで描かれました。クリムトはおそらくアッター湖北岸のリッツルベルクLitzlbergにあるけしの花の草原でこの絵を描いたようです。ちなみに、この地にはクリムトゆかりの宿、リッツルベルガー・ケラーLitzlberger Kellerがあります。この宿リッツルベルガー・ケラーは、クリムトも滞在し、この宿を絵に描いています。最近、サザビーズのオークションでこの宿を描いた絵は高額で売れたそうです。実は以前、saraiはこのクリムトゆかりの宿、リッツルベルガー・ケラーに宿泊したことがあります。で、なんだか、この絵にも親近感を抱きます。緑の草原に可憐に咲く赤い花が綺麗ですね。

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グスタフ・クリムトGustav Klimtの1907年、45歳頃の作品、《ひまわりの園Bauerngarten mit Sonnenblumen》です。この作品も上の作品と同時期にアッター湖北岸のリッツルベルクLitzlbergにある農園の庭でこの絵を描いたようです。クリムトは1900年以降、夏の休暇をアッター湖畔で過ごすようになり、それは死の2年前の1916年まで続きました。ここで描いた風景画は45点以上になります。この作品では、ヒマワリを始め、夏の花々が美しく描き込まれています。

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グスタフ・クリムトGustav Klimtの1917/1918年、55/56歳頃の作品、《アマリエ・ツッカーカンドルAmalie Zuckerkandl》です。この作品は未完成の肖像画です。描かれたアマリエ・ツッカーカンドルは当時、オーストリアの泌尿器科医で外科医のオットー・ツッカーカンドルの妻でした。アマリエは、クリスチャンでしたが、ツッカーランドルと結婚するためにユダヤ教に改宗しました。この肖像画は1913年に委嘱されましたが、第1次世界大戦の勃発とその後のクリムトの死で未完成のままになりました。夫妻は第一次世界大戦後に離婚しました。第二次世界大戦中の1942年、彼女と彼女の娘ノラはナチスにベルゼクの絶滅収容所で殺害されました。不幸な運命がつきまとった絵画作品です。

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グスタフ・クリムトGustav Klimtの1907/1908年、45/46歳頃の作品、《ひまわりSonnenblume》です。この作品もアッター湖北岸のリッツルベルクLitzlbergにあるアントン・マイヤーの農園の庭で描かれました。フィンセント・ファン・ゴッホとの対照で語られることも多い作品です。ゴッホのひまわりには、画家自身の感情移入が強く、ゴッホの内面を描いたような作品です。一方、クリムトはあくまでも自立する自然としての姿でひまわりを描いています。ただ、この作品は擬人法的にひまわりの肖像画としても見ることができます。この地に一緒に滞在していたエミリエ・フレーゲをひまわりに見た立てて描いた作品のようにも感じられます。

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クリムトの絵画が続きましたが、次はエゴン・シーレの作品に移ります。



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ベルヴェデーレ宮殿のオーストリア・ギャラリー:シーレ、ゲルストル

2019年9月8日日曜日@ウィーン/7回目

ベルヴェデーレ宮殿Schloss Belvedereの上宮Oberes Belvedereのオーストリア・ギャラリーÖsterreichische Galerie Belvedereで絵画鑑賞中です。
素晴らしいクリムト、シーレの作品に魅了されます。

エゴン・シーレEgon Schieleの1914年、24歳頃の作品、《家の壁(窓)Hauswand (Fenster)》です。クリムトがアッター湖Atterseeの景色にインスピレーションを得て、風景画を描いたように、シーレは母マリアの故郷クルマウKrumau(チェコ語表記:チェスキークルムロフČeský Krumlov)の古い町の景色にインスピレーションを得て、多くの風景画を描きました。この作品もその1枚です。この作品は初めは立体的に家の側壁まで描き込んでいましたが、最終的に平面的に壁と窓だけを描きました。そして、古い壁の質感を出すために粗いカンバスの上に下地を塗らずに粗いタッチで、細かい砂とチョークの粉を絵の具に混ぜて描きました。発表当時は批判的だった世評も今では高い評価に変わっています。なお、描かれた家は母マリアの実家だそうです。シーレ、渾身の1枚です。

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エゴン・シーレEgon Schieleの1910年、20歳頃の作品、《ライナー坊や(ヘルベルト・ライナーの肖像)Reinerbub (Bildnis Herbert Reiner)》です。このモデルの少年はウィーンの整形外科医マックス・ライナーの息子で、ライナー坊やと呼ばれていました。シーレはこの作品に強い自信を持っていたようです。クリムトの肖像画に見られるような装飾性を排し、背景には何も描かずに、ずばっと少年の内面に迫るような直球勝負に出ています。シーレの若い時代の作品に珍しく、大胆な性的な表現なしの真摯とも思える1枚です。

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リヒャルト・ゲルストルRichard Gerstlの1908年、25歳頃の作品、《笑う自画像Selbstbildnis, lachend》です。一見、屈託なく笑っている自画像です。でも、これが描かれたのは彼が首吊り自殺をとげた年です。人間、あまりに絶望すると、もう、笑うしかないという心境に陥ります。saraiもたまに経験します。この笑い顔はまさにその表情のようです。その自画像を描いている画家の心境はどうだったのか、想像もできません。この年の夏に作曲家シェーンベルクの妻マティルデと駆け落ちしますが、マティルデはアントン・ウェーベルンの説得で10月に夫シェーンベルクのもとに戻ります。その愛の痛手と芸術上の行き詰まり(クリムトと敵対して、いざこざを起こして孤立)で、ゲルストルは若干25歳で11月に自殺しました。ところでこの作品はゴッホのようなタッチで描かれています。でも、ゴッホはこんな絵を絶対に描きませんね。

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エゴン・シーレEgon Schieleの1917年、27歳頃の作品、《4本の木Vier Bäume》です。一見すると、何でもないような風景画に見えますが、この絵の前に佇んで、じっと眺めていると、この絵の途轍もない素晴らしさが心に沁み渡ってきます。この絵に哀愁を感じない人はいないでしょう。画家の心の中のやるせない思いが投影されて、それがこの風景画を美しく見えています。画面のほぼ真ん中にある夕方の太陽のバラ色の光と手前の暗い緑の丘に立つ4本の木が対照的に描かれて、この世とも思えない“美”が現出します。ゴッホが描いた狂気の風景画をシーレもまた別の狂気で描き出しています。風景画の超傑作です。
改めて思いますが、こういう天才的なシーレ、クリムト、そして、ココシュカのいたウィーンでは、やはり、若きゲルストルは苦悩したことでしょう。才能あるゲルストルは死を選びたくもなったかもしれないと実感します。

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リヒャルト・ゲルストルRichard Gerstlの1907年、24歳頃の作品、《エルンスト・ディエツ教授Professor Ernst Diez》です。美術史家のエルンスト・ディエツ博士を描いたものです。彼はシェーンベルクの弟子のアントン・ウェーベルンの従弟で、当時、ウィーンに滞在していました。その後、彼はイスラム美術の研究に打ち込み、イスタンブール大学で教鞭と研究を行いました。なぜか、ゲルストルの絵はピントの外れた写真になりますね。

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次はもう一人の天才、オスカー・ココシュカの登場です。



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ベルヴェデーレ宮殿のオーストリア・ギャラリー:ココシュカ、シーレ、クリムト・・・とりわけ、シーレの最高傑作《家族》に感動!

2019年9月8日日曜日@ウィーン/8回目

ベルヴェデーレ宮殿Schloss Belvedereの上宮Oberes Belvedereのオーストリア・ギャラリーÖsterreichische Galerie Belvedereで絵画鑑賞中です。
素晴らしいクリムト、シーレの作品に魅了されています。

オスカー・ココシュカOskar Kokoschkaの1910年、24歳頃の作品、《マトンとヒヤシンスのある静物Stillleben mit Hammel und Hyazinthe》です。マトン(羊肉)、亀、マウス、ヒヤシンス。実に雑多なものが描かれた静物画です。ココシュカの初期の作品のコレクターだった内科医のライヒェル博士の家でこの作品は描かれました。イースターの時期に描かれた、この静物画の対象要素は実はライヒェル博士の子供たちがキッチンや冬の庭などから持ち込んだものです。マトンはイースターラムです。イースターの静物とでも名づければ、よさそうな絵です。画面全体は暗い色調で、若きココシュカはいかなる気持ちで描いたものなんでしょう。いずれにせよ、この作品はこの美術館では、ココシュカの最も重要なコレクションです。

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オスカー・ココシュカOskar Kokoschkaの1910年、24歳頃の作品、《管財人Der Rentmeister》です。この肖像画のモデルはかって、ジャーナリストのJulius Szeps博士と誤って伝えられていました。実際はココシュカの記憶では、ウィーンの管財人だった人でした。ココシュカの初期の肖像画はモデルの内面に強く踏み込んだものになっています。この作品では、男は視線を落とし、何か自分の中の思いにふけっているようです。そういう男の心を見透かすように画家は男の外面をはぎ取るような冷徹な観察でこの肖像を描いています。

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エゴン・シーレEgon Schieleの1918年、28歳頃の作品、《しゃがむカップル(家族)Kauerndes Menschenpaar (Die Familie)》です。シーレの最晩年の作品です。saraiの最愛の作品のひとつです。この美術館にはクリムトの《接吻》という傑作もありますが、saraiはこの作品を見るためにこの美術館を訪れます。シーレの見果てぬ夢が描かれている作品です。シーレ自身とその妻エディット、そして、エディットのお腹の中にいて、もうすぐ産まれる筈だった子供が描かれた仮想の家族の絵画です。人間の温もり、究極の愛が描かれた作品にsaraiはいつも胸が熱くあります。この年、スペイン風邪でこの家族は実現することなしにみな、この世を去ることになりますが、芸術家はこの最高の絵を世に残しました。極上の“美”の世界に、saraiはほのぼのと温かい気持ちで満たされて、幸福な感動が胸の内に広がります。
この最愛の絵に5年ぶりに再会して、ウィーン訪問のひとつの目的を果たした思いです。

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グスタフ・クリムトGustav Klimtの1916/17年、54/55歳頃の作品、《アダムとイヴAdam und Eva》です。《接吻》の約10年後に描かれました。《接吻》のように豪奢な金箔が使われることはなくなりましたが、官能美は永遠にクリムトのトレードマークです。クリムト最晩年の集大成の1枚です。クリムトは最後まで“愛”を描き、女性をこれ以上なく、美しく描き続けました。

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エゴン・シーレEgon Schieleの1915–1917年、25-27歳頃の作品、《母と二人の子供Ⅲ Mutter mit zwei Kindern III》です。シーレの母と子シリーズの1枚です。母と子の情愛というよりも、子は生の象徴、母は死にゆくものとして対照的に描かれています。シーレの育った家族環境ゆえの呪縛です。この呪縛から解かれるのは最晩年となる28歳のときというのはあまりに残酷な人生ですが、最後に愛せる家族を持てたシーレは幸福に死ねたのかもしれません。

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グスタフ・クリムトGustav Klimtの1917/1918年、55/56歳頃の作品、《花嫁Die Braut》です。クリムトの絶筆です。クリムトが亡くなったとき、未完のまま、アトリエに残されていました。彼は最後まで“愛”の画家を貫いて、この作品も美しい女性を中心とした愛の空間が描かれています。そして、空間の多くを占めるのは装飾的な色彩の乱舞です。黄金時代は既に10年前に終焉しましたが、金箔がなくても、華麗な画面表現は健在でした。

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エゴン・シーレEgon Schieleの1915年、25歳頃の作品、《死と乙女Tod und Mädchen》です。シーレが表現主義の画家だったことを如実に示す1枚です。死にゆく男にすがる女性。恋人だったヴァリー・ノイツェルがモデルです。この頃、シーレはヴァリーに別れを告げ、エディット・ハルムスと結婚しようとしていました。ヴァリーとの愛の終焉を描いた本作は、来るべき新生シーレの誕生も予告するものでした。しかし、がらっと作風を変えて、商業的にも成功する画家に上り詰めようとしたシーレに残されている時間はあまりに少ないものでした。ところで、この作品の主題の《死と乙女》は15世紀のドイツ芸術で隆盛を誇った《死の舞踏》から派生したもので、シューベルトの作品を想起させます。シューベルトのロマンに満ちた名曲(saraiの大好きな音楽!)に比して、表現主義のグロテスクな絵画は100年という時の大きな隔たりを思わせます。そして、今、saraiは100年後にこの作品を眺めています。2人の大芸術家の残してくれた二様の美を鑑賞できることの幸せに感謝しています。

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まだ、クリムトとシーレの名作は続きます。



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ベルヴェデーレ宮殿のオーストリア・ギャラリー:クリムト、シーレ、ラープ、マッシュ、フリードリヒ、ダヴィッド、ジェラール

2019年9月8日日曜日@ウィーン/9回目

ベルヴェデーレ宮殿Schloss Belvedereの上宮Oberes Belvedereのオーストリア・ギャラリーÖsterreichische Galerie Belvedereで絵画鑑賞中です。
素晴らしいクリムト、シーレの作品に魅了されています。

グスタフ・クリムトGustav Klimtの1917/1918年、55/56歳頃の作品、《ヨハンナ・シュタウデの肖像Johanna Staude》です。クリムトの遺作であり、最後に描かれた肖像画のひとつです。モデルのヨハンナ・シュタウデ(未亡人のヴィドリッカ)は当時、34歳であり、彼女は現代の天使とも呼ばれ、ともかく、現代的なファッション感覚を身に着けた最先端のモデルだったようです。ショートヘアでお洒落なドレスを着ています。そのドレスはウィーン工房Wiener Werkstätteによるものです。肖像画自体は以前のものと比べると、その穏やかでシンプルな構成が特徴的です。ただし、この肖像画は未完であり、唇が完成していません。その理由はクリムトによると、彼女がスタジオに来なくなったからだそうです。背景も単色で塗られていますが、装飾画的に描き直される可能性も考えられます。いずれにせよ、色んな意味でクリムトにしては一風変わった肖像画です。

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エゴン・シーレEgon Schieleの1917年、27歳頃の作品、《抱擁Die Umarmung》です。シーレの晩年の傑作です。1917年と翌年の亡くなる1918年のシーレ作品はすべて傑作揃いで、saraiは大好きなものばかりです。これも素晴らしい作品で、男女の愛を描いたという事実を超えて、その画面を通して、人間の互いに思いやる優しい気持ちを永遠に結びつけるような究極の作品です。

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ゲオルク・マーティン・イグナーツ・ラープGeorg Martin Ignaz Raabの1874年、53歳頃の作品、《皇帝フランツ・ヨーゼフ1世Kaiser Franz Joseph I.》と《皇后エリザベートKaiserin Elisabeth》です。王室の肖像画を多く手掛けたゲオルク・ラープによる皇帝夫妻です。もっとも二人の肖像画を並べただけで、別々の肖像画ですけどね。やはり、エリザベートの美しさが光りますね。

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フランツ・フォン・マッシュFranz von Matschの1916年、55歳頃の作品、《死の床の皇帝フランツ・ヨーゼフ1世Kaiser Franz Joseph I. auf dem Sterbebett》です。皇帝フランツ・ヨーゼフ1世の死は実質的におよそ400年続いたハプスブルク帝国の終焉を示すものでもありました。

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カスパー・ダーヴィト・フリードリヒCaspar David Friedrichの1822/1823年、48/49歳頃の作品、《エルベサンドスタイン山の風景Felsenlandschaft im Elbsandsteingebirge》です。saraiはフリードリヒの絵画が好きでドイツの美術館ではまず、フリードリヒの作品を探します。ドイツ以外では、このウィーンの美術史美術館にフリードリヒの作品があることを知っていましたが、まさか、この美術館にもあることは知らず、今日、初めて、その存在を知りました。迂闊でした。ここにはフリードリヒの作品が6枚も所蔵されているようです。今回はこの1枚だけを見ることができました。エルベ川沿いのいわゆるザクセン・スイスのようですね。フリードリヒらしく、崇高な自然が描き出されているロマン派らしい絵画です。意外な邂逅で嬉しくなりました。

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ジャック=ルイ・ダヴィッドJacques-Louis Davidの1801年、53歳頃の作品、《サン=ベルナール峠を越えるボナパルトBonaparte franchissant le Grand-Saint-Bernard》です。この有名なナポレオンの絵がここで見られるのは意外ですが、この絵は全部で5枚描かれ、ヴェルサイユ宮殿などに展示されています。この美術館にある絵は元々、ナポレオンの支配下だったミラノにあったものを後にミラノを支配下に収めたオーストリアが強引にウィーンに持ち去ったものです。本来なら、返還交渉が行われるところですが、フランス国内にも同じ絵があることで、あまり、問題になっていないようです。まあ、何とも勇ましい作品ですね。ダヴィッドの代表作とは言えませんが、こんなに有名な絵もそんなにありません。

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フランソワ・ジェラールFrançois Pascal Simon Gérardの1801年、53歳頃の作品、《モリッツ・クリスティアン・フォン・フリース帝国伯と妻のマリア・テレジア・ヨゼファと息子モリッツMoritz Christian Reichsgraf von Fries mit seiner Frau Maria Theresia Josepha, geb. Prinzessin Hohenlohe-Waldenburg-Schillingsfürst, und dem Sohn Moritz》です。フランソワ・ジェラールはダヴィッドの弟子の新古典主義の画家です。ナポレオンの肖像を描いています。師のダヴィッドに代わって、レカミエ婦人の肖像も描いています。この肖像画もいかにもフランスの新古典主義らしい描き方の美しい絵画です。

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これで急ぎ足の美術館鑑賞は終了。
世紀末芸術の傑作揃いで、圧巻の展示にまたまた感銘を受けました。なかでも、たっぷりと、クリムトとシーレを堪能しました。



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ウィーンと言えば、カフェ・ハイナー。夕食はホイリゲで。

2019年9月8日日曜日@ウィーン/10回目

ベルヴェデーレ宮殿Schloss Belvedereの上宮Oberes Belvedereのオーストリア・ギャラリーÖsterreichische Galerie Belvedereで素晴らしいクリムト、シーレの作品を堪能しました。

さて、美術を堪能した後はグルメでしょう。旧市街に出て、お茶でもしてきましょう。Dラインのトラムに乗って、町の中心、ケルントナー通りKärntner Straßeに向かいます。

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懐かしのシュターツオーパーWiener Staatsoper前の停留所、ケルントナーリング/オパーKärntner Ring. Operで、トラムを降ります。

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ケルントナー通りは、相変わらず賑わっています。シュターツオーパーの姿を横目に見ながら、一目散にsaraiのお気に入りのカフェへ急ぎます。目指すは、saraiの御用達のL.ハイナーです。ケルントナー通りに面したお店はいろいろ変わっていますが、ハイナーは変わらず健在。到着後、さっと2階に上がると、地元の方たちが寛いでいます。

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が、結構、空席もあります。窓際の席はありませんが、空いている席をさっと確保。

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ポット入りの紅茶をお願いします。たっぷり4杯分はあるので、二人で一つのポットとカップを2つお願いします。慣れたもんです。ケーキはケースに並んでいるものから、ハウストルテ(チェコレートトルテです)と配偶者ご指定のアプフェルシュトゥルーデルをお願いします。相変わらず、ハイナーのケーキは美味しい。4年ぶりに味わいます。満足です。

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お気に入りのカフェでゆったりした時間を過ごします。さて、お会計。ハイナーは、カードでの清算は1階に下りてするので、スタッフのおばさんと1階に移動しなければいけません。おばさんへのチップを握りしめ、カードでの清算をお願いすると、何とクレジットカードの清算マシンを持ってきます! 4年も来ないと、システムも変わるのですね。
シュターツオーパーの音楽ショップ、アルカディアをちょっと覗いて、トラムでホテルに戻り一服です。
今の時期、ウィーンのホイリゲは新酒が供されます。ネットでグリンツィングのホイリゲに予約を入れます。ホテルで一休みした後、ホテルの近くのトラムの停留所、レンヴェークRennwegからトラムに乗って出かけます。

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71番のトラムでショッテントーアSchottentorまで行って、別のトラムに乗り換えます。71番の停留所は地上にありますが、ここから先の行くトラムの停留所は珍しく地下にあります。地下から地上を見上げると、ヴォティーフ教会Votivkircheの2本の尖塔が見えています。

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次々とトラムがやってきますが、乗るべき38番のトラムだけがやってきません。

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ようやく、10分近く待って、38番のトラムに乗ります。地上に出ると、目の前にヴォテーフ教会が見えます。

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トラムの乗り継ぎも含めて、全部で1時間弱で無事、グリンツィングGrinzingに到着。

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ここまで来ると、大都会のウィーンの賑わいから田舎の長閑さに変ってしまいます。夕暮れ時の景色が、いっそう長閑さを演出してくれます。

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ここからはスマホの道案内アプリMAPS.MEがまた助けてくれます。

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そぞろ歩きで、予約したホイリゲに迷わずに向かいます。

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5分ほど歩いて、予約したホイリゲに到着です。ホイリゲは有名店のツム・マルティン・ゼップZum Martin Sepp。

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通路の奥に中庭があります。

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入り口にモストMOST、シュトゥルムSTURMの看板が下がっています。これはシュトゥルムを飲まないとね。シュトゥルムは葡萄を収穫後、葡萄ジュースから発酵途上のワインです。この時期しか飲めません。

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さあ、中に入りましょう。中庭の奥に居心地のよさそうな建物があります。

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お客さんはまだそんなに多くはないです。入り口では、アコーディオン奏者が、ささやくように弾いています。

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予約した旨を告げると席に案内されます。一番奥まった落ち着ける席です。

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さあ、ホイリゲのお酒と料理を楽しみましょう。



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グリンツィングのホイリゲ、ツム・マルティン・ゼップ:シュトゥルムと美味しい料理

2019年9月8日日曜日@ウィーン/11回目

グリンツィングGrinzingのホイリゲの有名店、ツム・マルティン・ゼップZum Martin Seppのテーブルに着きました。料理の並ぶビュッフェの建物から張り出したテラス席です。

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テラス席とは言え、屋根があるので、夏の強い日差しを避けることができます。

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秋の初めらしく、テーブルの上にはかぼちゃが置いてあります。

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まずは、お酒を選びましょう。シュトゥルムと白ワインを1杯ずつお願いします。すぐに運んできてくれます。

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ネットで評判のスープもお願いします。具材たっぷりのビーフ・コンソメスープ。古きウィーン風のスープとメニューに書かれています。お店のメニューからお願いするのはここまで。まだまだいっぱいメニューはあるのですが、慣れないドイツ語や英語を読んで、苦労しながら料理の中身を解読するよりは、見て選んだ方が楽です。お惣菜の並んでいるビュッフェに行きます。お肉もいろいろありますが、美味しそうな塊が並んでいます。おじさんに、希望の肉を指さすと、これくらい?と厚さを聞いてくれます。切り分けて、重さを計り、値段を書いてくれます。それに、付け合わせの野菜を選べばOK。素晴らしい1皿が完成です。

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席に運び、シュトルムとワインとともにいただきます。

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既に鍋にはいったスープも届いています。

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美味しそうなビーフ・コンソメスープです。それにたっぷりあるのがいいですね。

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このお皿にはお肉や野菜とともにライスまで盛ってもらいました。久しぶりのライスはやはりいいですね。

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こちらのお皿にはお肉とともに配偶者が大好きなヨーロッパのじゃがいもを盛ってもらいました。

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来たときは空いていたお店も、どんどん混んできます。
さて、そろそろ帰りましょう。と、演奏を再開していたアコーディオン弾きと目があいます。1曲お願いしましょう。 《ウィーン、わが夢の街》Wien、du Stadt meiner Träumeを演奏してもらいます。とても洒落っ気のあるロマンティックな演奏を披露してくれます。ウィーンに来たら、この曲を聴かないとね。ついでに日本人向けに《上を向いて歩こう》。途中で歌詞を口づさんでいます。あれっ・・・トヨタ、ミツビシ・・・。
最後にアコーディオン奏者にチップをはずみ、楽しいホイリゲ訪問と相成りました。

ホイリゲを出ると、夜の7時半。薄暮です。祠の聖人像が灯りで浮かび上がっています。

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グリンツィングの町はどんどん暗くなっていきます。

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帰りは38Aのバスでグリンツィングからハイリゲンシュタット駅Wien Heiligenstadt Bahnhofまで移動し、そこから地下鉄のU4に乗って、最速のルートで帰ることにします。

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グリンツィングの町の灯りを見ながら、バスが来るのを待ちます。

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やがて、やってきたバスでハイリゲンシュタット駅に行き、U4でウィーン・ミッテ/ランドシュトラーセ駅Wien Mitte-Landstraße Bahnhofまで行き、そこでSバーンに乗り換えて、レンヴェーク駅Wien Rennweg Bahnhofに到着。あっという間に着きます。そこからはホテルは数分。上機嫌でホテルに戻ります。バタンキュー!

今日の移動ルートを地図で確認しておきましょう。

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明日はまた、クルレンツィス指揮ムジカエテルナのモーツァルトのオペラ《コジ・ファン・トゥッテ》です。楽しみです。ウィーン滞在も実質、明日1日になります。もっとも、また、今月末にパリから戻ってきますけどね。


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ウィーン散策:モーツァルトゆかりの場所を探して

2019年9月9日月曜日@ウィーン/1回目

旅の6日目、ウィーンWienの4日目です。

青空はちょっと見えています。天気予報で言えば「晴れ」という程度には青空は見えていますが、風も冷たく、少し、肌寒さを感じますが、まだまだ、冬は到来していません。
ホテルにはランナーズデスクというコーナーがあり、ベルヴェデーレ宮殿の周りをジョギングするコースの紹介をしています。早朝にジョギングする人も多いのでしょう。

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ようやく月曜日でタバコ屋さんも営業しているはずですから、絵葉書を出してきましょう。タバコ屋さんで絵葉書を示すと、領収のスタンプを押して、絵葉書を受け取ってくれます。ここでは、郵便業務をやっているのですね。孫たちに届けてね!

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パンを買ってホテルに戻ります。熱い紅茶で、朝食を頂きます。
今日も夜のクルレンツィス指揮ムジカエテルナのモーツァルトのオペラ《コジ・ファン・トゥッテ》までは全くのフリー。ホテルでごろごろしていても仕方がないので、朝食をぱくつきながら、今日の予定を考えます。久しぶりに中央墓地でも行ってみましょうか。このホテルからはSバーンでちょっと行くだけです。それとも・・・

街をぶらついてきましょう。そうだ、モーツァルトのウィーン市内の史跡巡りというのもありますね。ほとんどは行ったところですが、まとめて行ったことはありません。街歩きのテーマは「モーツァルトゆかりの場所を探して」とします。今回の旅はクルレンツィスのモーツァルトのダ・ポンテ3部作のオペラを聴くことですから、当然のテーマでしょう。

身支度を整えて、まずはシュテファンプラッツStephansplatzへ。

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旧市街の中心にあるシュテファン大聖堂Domkirche St. Stephanから街歩きをスタートします。

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この大聖堂もモーツァルトゆかりの場所ですが、それは後にします。シュテファン広場から歩き出します。

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モーツァルトがウィーンでのキャリアを始めたドイツ騎士団の家DeutschordenHausへ向かいます。ジンガー通りSingerstraßeの先にドイツ騎士団教会Katholische Kirche Deutschordenskircheの塔が見えています。

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マクドナルドの前にはシェアサイクルのステーションがありますね。

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ジンガー通りの最初の角に差し掛かると、路地の先にシュテファン大聖堂が姿を現します。結局、シュテファン大聖堂の周りをぐるぐる歩いているだけなんですね。

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ドイツ騎士団の家の前に着きます。

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扉には黒い十字架のドイツ騎士団の紋章が描かれています。

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建物の通路に入ると、ドイツ騎士団の施設への入り口があります。

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この壁にも黒い十字架の紋章があります。

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通路を抜けると、中庭に出ます。建物越しにシュテファン大聖堂の尖塔が聳えています。何のことはない・・・ドイツ騎士団の家はシュテファン大聖堂の裏に隣接しているんです。

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中庭に面した建物を見上げると、総ガラス張りの2階と3階の回廊が目に入ります。緑も絡まる美しい建物です。

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saraiはこの美しい中庭のベンチに腰かけて、PCで情報をチェック。

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ここに滞在していた若きモーツァルトは、それまで仕えていたザルツブルク大司教のコロレド伯爵と決定的な仲違いをして、モーツァルトは自由の身になります(つまり、クビになったわけです)。モーツァルト25歳のときです。これから、彼の早過ぎる死までの10年間をウィーンで過ごします。フリーランスの音楽家としてのモーツァルトの出発点がここです。

この中庭でモーツァルトも色々な思いに駆られたことでしょう。感慨深いです。
この中庭はバルコニー構造の中庭になっていて、パヴラッチェンPawlatschenと呼ばれています。住居の入口をバルコニーから入るようにして、建物のコストを抑えているのだそうです。パヴラッチェンは普通はむき出しになっていますが、ここはガラス張りになっているので、少々高級ですね。

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モーツァルトゆかりの地を巡る街歩きはまだ、始まったばかりです。



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ウィーン散策:ドイツ騎士団の家

2019年9月9日月曜日@ウィーン/2回目

ウィーンのモーツァルトゆかりの地を巡る街歩きを始めたところです。シュテファン大聖堂Domkirche St. Stephanから街歩きを始めて、モーツァルトがウィーンでのキャリアを始めたドイツ騎士団の家DeutschordenHausに来ています。
ここの中庭にしばし佇んでいます。ウィーンの街の真ん中とは思えない静かな場所です。昔日のモーツァルトに思いを馳せるにはうってつけのところです。

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この中庭はすっきりした白い建物に四方が囲まれています。

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ガラス張りの回廊には目を惹かれます。この館でモーツァルトが音楽家として自立していくことを決心しました。また、後にブラームスが滞在したこともあるそうです。

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壁際には美しい彫像もあります。

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ドイツ騎士団の家には小さな教会があります。ドイツ騎士団教会Katholische Kirche Deutschordenskircheです。ゴシック様式の内部は意外に簡素な佇まいです。ゴシック様式らしく高い天井が印象的です。

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壁面には丸いワッペンがずらっと並びます。80個以上あるそうです。この教会で刀礼(騎士叙任式)を受けた騎士たちが自分のワッペンを飾った習慣によるものです。ワッペンwappenとは武器(主に盾)を意味するドイツ語で、実際は紋章を意味します。紋章が個人に普及しはじめたのは、12世紀初めの第1次十字軍遠征のころからです。従軍した騎士たちは鎧・冑を身に着け面部を隠していたので、戦場で敵味方を識別するために紋章を用いるようになりました。ドイツ騎士団の歴史も十字軍まで遡りますから、ちょうど紋章の歴史と重なります。

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こちらは入口です。2階に小さなオルガンがあります。

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この教会のある建物内に小さなホールがあります。昔、モーツァルトが演奏したと言い伝えられているホールです。ここで時折、観光客向けにモーツァルトのコンサートをやっているそうです。いい雰囲気ですね。(saraiは行きませんけどね)

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中庭からは鉄格子のはまった窓越しにこのホールを覗けます。

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これがジンガー通りSingerstraßeから中庭に通じる通路のアーチです。

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ドイツ騎士団の家には大きな中庭に隣りあって、第2の中庭があります。

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この第2の中庭の左手の建物の中には、ティーハウスのハース&ハースHaas&Haas Restaurantがあります。入口はシュテファン大聖堂側にあります。

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ドイツ騎士団の家を出て、ジンガー通りをちょっと進むと、左手にブルートガッセBlutgasseの路地があります。

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路地の石畳みの横にまた、ドイツ騎士団の十字架の紋章があります。

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このブルートガッセを通り抜けると、ドームガッセDomgasseの路地に出ますが、この短いブルートガッセでは必見の場所があるので、見落とさないようにしましょう。

ここまでの散策ルートを地図で確認しておきます。

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ブルートガッセ3番地の門の奥には、17世紀に造られた美しいパウラッチェンハウスがあるんです。ウォーキングツアーの人たちでこの狭い通り抜けの広場は混み合っています。

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彼らがいなくなるまで、ちょっと待ちましょう。



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ウィーン散策:ブルートガッセの中庭、モーツァルト博物館、シュテファン大聖堂

2019年9月9日月曜日@ウィーン/3回目

ウィーンのモーツァルトゆかりの地を巡る街歩きをしています。シュテファン大聖堂Domkirche St. Stephanからドイツ騎士団の家DeutschordenHausを経て、ブルートガッセBlutgasseの路地の3番地にある通り抜けの中庭に来ています。もっともここはモーツァルトゆかりではありませんが、彼の住居に近いのでふらっと立ち寄ったことはあるかも・・・。
美しいパウラッチェンハウスがある、この中庭には、ウォーキングツアーの一団が来ていて、ガイドの説明を聞き入っています。

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壁の下に置いてある石の甕は水を溜めるものでしょうか。これも古いもののようです。

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やがて、ウォーキングツアーの一団は立ち去り、バロックの中庭は静謐さを取り戻します。

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中庭はウィーンの旧市街の中心にあるとは思えない静かさに満ちて、17世紀のバロックの雰囲気に浸ることができます。

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この中庭は通り抜けになっていて、ブルートガッセからグリューナンガーガッセGrünangergasseに抜けることができるようです。

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このバロックの中庭からブルートガッセに戻り、少し進むと、ドームガッセDomgasseにぶつかります。そのぶつかったドームガッセの5番地がモーツァルト博物館Wien Museum Mozartwohnung、通称、フィガロハウスFigaro Hausです。この住居でモーツァルトはオペラ《フィガロの結婚》を作曲しました。ダ・ポンテ3部作の一つです。

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モーツァルト博物館(フィガロハウス)はドイツ騎士団の家の間近であることが分かり、びっくりです。結局、モーツァルトはこのあたりのウィーンのど真ん中で生活し続けたのですね。都会好きの若者だったわけです。

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モーツァルト博物館の中には入らずに外から眺めるだけにします。

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ここから、ドームガッセの路地を進むと、2番地の建物の中に通り抜けがあります。

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通り抜けると、門のアーチの先にシュテファン大聖堂が見えます。

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シュテファン大聖堂の裏に出ます。観光用のフィアカーが客待ちをしています。

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目の前にはシュテファン大聖堂が聳えています。シュテファン大聖堂からスタートして、ドイツ騎士団の家を経て、モーツァルト博物館の前を通り、ぐるっと周って、また、シュテファン大聖堂に戻ってきました。

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このシュテファン大聖堂にはモーツァルトが亡くなったときに葬儀が行われ、最終的な祝福を受けた「十字架礼拝堂Kruzifixkapelle」がある筈です。どこでしょう。

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分かりませんね。ともかく近づいて探してみましょう。

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これはフランシスコ会のヨハネス・カピストラーノを記念する彫刻が飾られた「カピストラーノの説教壇Capistrankanzel」です。カピストラーノは1453年のコンスタンティノープル陥落後、オスマン帝国に対して、十字軍を呼び集めて、1456年に一時的に包囲を解かせることに成功しました。その功で彼はローマ法王によって聖人に叙せられました。そこで、ここにバロックの装飾が加えられた記念碑が1737年に置かれることになりました。


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その左手には、「歯痛のイエス・キリストZahnwehherrgott」のレプリカがあります。本物は大聖堂の内部にあるそうです。

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配偶者は呑気に花屋さんを覗いています。

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「カピストラーノの説教壇」の右手に「十字架礼拝堂」を遂に発見!

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ここまでの散策ルートを地図で確認しておきます。

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「十字架礼拝堂」の前でしばらく、モーツァルトの葬儀を偲びましょう。



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ウィーン散策:モーツァルトの葬儀が行われたシュテファン大聖堂の十字架礼拝堂

2019年9月9日月曜日@ウィーン/4回目

ウィーンのモーツァルトゆかりの地を巡る街歩きをしています。シュテファン大聖堂Domkirche St. Stephanからスタートして、また、シュテファン大聖堂に戻って来ています。
モーツァルトの葬儀が行われた「十字架礼拝堂Kruzifixkapelle」の前に立っています。

十字架礼拝堂はシュテファン大聖堂の建物の北東の端の外側にある、錬鉄製の門のある小さな礼拝堂です。この場所で不滅のW. A.モーツァルトの遺体は、1791年12月6日に最終的な祝福を受けました。

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礼拝堂の内部の壁の十字架の下に記念のプレートがあります。花が一輪、手向けてありますね。

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これがプレート。MOZARTの文字が見えます。1791年12月6日と言う埋葬の日が刻まれています。亡くなった翌日です。全文は"AN DIESER STÄTTE WURDE DES UNSTERBLICHEN W.A.MOZART LEICHNAM AM 6 DEZ 1791 EINGESEGNE W(R) SCHUBERTBUND 1931" 「この場所で、不滅のモーツァルトの遺体が、1791年12月6日に祝福を受けた ウィーン男声合唱協会 1931年」です。

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ここからモーツァルトの遺体はザンクト・マルクス墓地Sankt Marxer Friedhofに運ばれました。
礼拝堂の床を見ると、地下に続く階段があります。大聖堂の地下にはカタコンベがあるそうですから、そこに続く階段でしょうか。

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と、その階段から子供たちが上がってきます。

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十字架礼拝堂の門の鉄の扉が開けられて、その子供たちがぞろぞろ出てきます。

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教会内部のガイドツアーだったのかな。子供たちは陰鬱な地下から抜け出したせいか、みな笑顔で出てきます。きっと、この子供たちはあのモーツァルトの葬儀の場所を通り抜けたことに気が付いていないのでしょう。

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どれだけいるのかというほど、ずい分、大人数の子供たちが出てきます。

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ようやく、全員が外に出て、スタッフのかたは鉄の扉を閉じて、去っていきます。

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さて、大聖堂の正面(西側)に周ります。

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大聖堂の内部に入ると、そこではおりしもミサが執り行われています。

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ここはモーツァルトがコンスタンツェとの結婚式を行ったところで、モーツァルト夫妻の二人の子供も洗礼を受けています。ミサのために主祭壇の前には行けません。信者席の外から眺めるだけにしましょう。

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次はかって、モーツァルトやベートーヴェンがコンサートで演奏した建物に行きます。ケルントナー通りKärntner StraßeからヴァイブルガッセWeihburggasse、ラウエンシュタインガッセRauhensteingasseを歩くと目的の建物が正面に見えてきます。

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目的の建物は1階にカフェ・フラウエンフーバーCafé Frauenhuberが入っている黄色い建物です。

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カフェ・フラウエンフーバーの左側に建物の銘票があります。1720年にベルヴェデーレ宮殿やシュヴァルツェンベルク宮殿などを建築したバロックの巨匠建築家ヨハン・ルーカス・フォン・ヒルデブラントによって、このバロック建築の建物が建てられました。ヒンメルプフォルトガッセHimmelpfortgasseのこの場所には14世紀頃から公衆浴場があり、衛生問題などを抱えつつ、長年、営業していましたが、建物の老朽化のため、取り壊されて、その後、この現在の建物が建てられました。

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この建物はオイゲン公の冬の離宮Winterpalais des Prinzen Eugenのすぐ隣という立地のよさもあり、マリア・テレジアのもとで宮廷料理長だったフランツ・ヤーンが高級レストランを開き、晩餐会の他に、舞踏会やコンサートの会場にもなり、贅沢な雰囲気の中、貴族たちはこぞってこの建物の2階のサロンに集まりました。モーツァルトは1788年にここでコンサートを行った他、最期のコンサートもここで行われたと言われています。1797年には、ベートーヴェンもここでコンサートを行いました。ウィーンにはこういう歴史を持つ建物が数多くありますね。

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1階にあるカフェ・フラウエンフーバーは、1824年にカフェを開業したカフェ・ヘーニッシュCafé Hänischを引き継いで、1891年に現在の名前のカフェになりました。ウィーンの最古のカフェのひとつです。saraiは30年前にウィーンを初めて訪れた際、たまたま、このカフェに入り、そのとき食べたアプフェルストゥルーデルの美味しさが今でも忘れられません。ただし、モーツァルトやベートーヴェンがコンサートを行ったのはこの建物の2階のサロンなので、1階にあるカフェ・フラウエンフーバーがコンサートの場所だったわけではありません。

ここまでの散策ルートを地図で確認しておきましょう。

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次はモーツァルトが亡くなったときに住んでいたところに行ってみましょう。ここからすぐ近くです。



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田部京子のベートーヴェンは熱いパトスの奔流@すみだトリフォニーホール 2020.7.17

コンサートがなかなか聴けない日々が続きますが、その中で、田部京子のベートーヴェンを聴く機会があるのは僥倖としか言えません。先月は東響とのコンビでのベートーヴェンのピアノ協奏曲第3番でしたが、今日は新日フィルとのベートーヴェンのピアノ協奏曲第1番。いずれも彼女のCDも出ていない作品で絶対に聴き逃がせません。今回は昨日になって、ぎりぎりのタイミングで追加チケットが売り出されて、慌ててゲット。実際に会場に行ってみると、かなり空席が目立ちます。もちろん、席は前後左右は空けた配置ですが、その配置でもかなりの空席。何故に追加チケットの販売がぎりぎりになったのか、謎です。それにしてもこれでは、コンサートはかなりの赤字でしょう。某大物政治家の3密の3000人規模のパーティーが許されるのなら、整然と行われるオーケストラコンサートが定員半分以下の1000人に制限する理由は判然としません。政治資金が必要な以上にオーケストラの維持費用は死活問題です。制限するのなら、オーケストラへの資金援助は必須でしょう。せっかく日本のオーケストラが欧米のオーケストラの水準まで向上したのに、この音楽文化が後退することになるのは国としての損失です。そういうことを思わせるような素晴らしいオーケストラの演奏でした。頑張れ!新日フィル。

さて、本題に戻りましょう。前半は田部京子が独奏ピアノを弾くベートーヴェンのピアノ協奏曲第1番。実はこの曲、最近のsaraiのお気に入りの作品の一つです。昨年のアンドラーシュ・シフの演奏は最高でした。
今日の演奏ですが、まず、長いオーケストラの主題提示部が続きますが、オーケストラのピュアーで美しい響きに魅了されます。ほとんど、この新日フィルは聴いていませんし、指揮者の太田弦は多分、初聴きですが、彼らの演奏の見事さに聴き惚れます。そして、田部京子のピアノが満を持して入ってきます。中盤まではエンジンがかからずに彼女のいつもの切れがありません。高域の響きも少し繊細さを欠きます。何せマスク着用での演奏なので、集中力のある演奏が困難なのかしら。しかし、第1楽章の後半あたりから、だんだん、全開モード。集中力のある演奏で切れも響きもよくなります。とりわけ、カデンツァでは、華麗なピアニズム・・・使い古された表現ですが、熱いパトスがほとばしる素晴らしい演奏にぐっと惹き付けられます。第2楽章は何というか、気高い精神の音楽表現でベートーヴェンの本質を突いた最高の音楽が展開されます。ベートーヴェンが作り上げた高邁で深い精神世界を田部京子の詩情あふれるピアノが歌い上げて、太田弦指揮の新日フィルが美しい響きでしっかりと支えます。人間でありながら、神の領域に上り詰めたベートーヴェンの音楽の素晴らしさを現代の日本の音楽家たちが忠実に再現していきます。何か不思議な感覚です。ウィーンの自然の中を散策しながら深い思索にふけるベートーヴェンの姿が現出したような思いに駆られます。音楽は人間が作り上げた最高の文化であることを実感しつつ、また、こうして、生の音楽が聴けることに感謝しながら、演奏家たちと思いを一つにして、最高の音楽を味わいます。第3楽章は音楽の祝祭であり、突進する勢いで終始、奏でられます。高揚する気持ちでフィナーレを迎えます。素晴らしい演奏でした。ただ、田部京子はまだまだ余力を残した演奏。これ以上の演奏ができるだろうと思います。いつか、最高の演奏を聴かせてもらいましょう。もしかしたら、明日のコンサートではもっと弾けるかもしれません。残念ながら、明日は東響のコンサートがあるので、今日と同じ内容のこのコンサートが聴けず、残念です。

後半はシューベルトの交響曲第8番 「グレイト」。第1楽章冒頭のホルンで、テンポがかなり早いので、ちょっと違和感を覚えます。もう少し、ゆったりと重厚なテンポでないとしっくりきません。しかし、これが若き指揮者の太田弦の表現のようです。saraiは今まで、この曲はシューベルトの遺作で最後の交響曲という意識で聴いてきました。ですから、それらしい音楽を期待してしまいます。まあ、考えてみれば、シューベルト自身、この曲が最後の交響曲という意識はなかったでしょう。そうだとすれば、この曲は本来はシューベルトの中期を飾る交響曲で、シューベルトの本当の音楽的熟成はこの後に作曲されるだろう、4曲ほどの交響曲の先にあったはずでしょう。今日の若い指揮者はそのあたりを考えて、ベートーヴェンであれば、第3番《英雄》あたりの位置づけで、このシューベルトの交響曲を演奏しているのではないかと思いながら、saraiもそういう意識を持って、演奏に聴き入ります。うんうん、少し違和感はあるものの若きシューベルトの意欲に燃えた作品として、なかなか素晴らしい演奏ではあります。それに新日フィルのオーケストラの澄み切った響きも素晴らしいです。第1楽章のテンポに慣れたせいか、第2楽章、第3楽章はこれまで聴いてきた演奏とさほど差異は感じられません。ただ、清新な演奏ではあります。そして、第4楽章の晴れやかな音楽は若きシューベルトがこれから、新しい音楽を切り開いていく気概に満ちた宣言のようにも感じられます。その伸びやかな高揚感にあふれた音楽にsaraiも同調して、気分が高揚します。これがシューベルトの中期の音楽だとすれば、シューベルトの音楽的才能はモーツァルトやベートーヴェンを超えるかもしれないと驚愕します。あの遺作の3曲のピアノ・ソナタも中期の作品(ベートーヴェンで言えば、アパッショナータやワルトシュタイン)とすれば、後期のピアノ・ソナタはどんな高みに上り詰めたんでしょうか。太田弦が提示した音楽はある意味、衝撃的でした。もっとも、音楽表現自体はよく練れた穏当なものではありました。これからはシューベルトの晩年の作品の聴き方が変わるかもしれません。やはり、生で聴く音楽は色々と感じるところがあります。早く、音楽が普通に聴ける状況になることを切に願います。


今日のプログラムは以下です。

  指揮:太田弦
  ピアノ:田部京子
  管弦楽:新日本フィルハーモニー交響楽団  コンサートマスター:崔文洙

  ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第1番 ハ長調 Op. 15

   《休憩》

  シューベルト:交響曲第8番 ハ長調 D944 「グレイト」


最後に予習について、まとめておきます。

1曲目のベートーヴェンのピアノ協奏曲 第1番は以下のCDを聴きました。

 内田光子、サイモン・ラトル指揮ベルリン・フィル 2010年2月4日 ベルリン、フィルハーモニール ライヴ録音
 アルトゥーロ・ベネデッティ・ミケランジェリ、カルロ・マリア・ジュリーニ指揮ウィーン交響楽団 1979年、TV放送のために催された特別公開演奏会でのライヴ録音
 
何といっても、ジュリーニの指揮での分厚い響きの素晴らしさとミケランジェリの切れ味鋭いピアノの演奏は最高の音楽を聴かせてくれます。ミケランジェリの録音の中でも最高の1枚です。一方、ラトルはモダンな表現でこの曲の別の一面を聴かせてくれ、内田光子のピアノも素晴らしいタッチの響きを聴かせてくれ、ミケランジェリ盤に肉薄します。


2曲目のシューベルトの交響曲第8番 「グレイト」は以下のCDを聴きました。

 ジョージ・セル指揮クリーヴランド管弦楽団 1970年、セッション録音
 
ゆったりしたテンポのスケール感のある演奏ですが、それでいて活き活きとした見事な演奏です。これはセルの最後の録音のうちの一つ。ハイレゾでの音質も素晴らしいです。



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テーマ : クラシック
ジャンル : 音楽

       田部京子,  

事前収録映像のノットが指揮した東響、感動のドヴォルザーク@東京オペラシティコンサートホール 2020.7.18

コロナのお陰で実現した凄いコンサートでした。事前に収録したジョナサン・ノットの映像が指揮する東響は、リアルなジョナサン・ノットが指揮する東響と遜色ない豊かな響きと音楽性の高い表現で聴衆を感動の渦に引き込みました。間違いなく今年聴いたコンサートの中で最高のコンサートでした。映像で指揮するノットは暗譜で見事な指揮。彼の頭の中で東響のサウンドが鳴っていたんでしょう。その映像を見ながら演奏した東響も見事でした。ある意味、ひとつ間違えたら破綻するというハラハラドキドキ感でその演奏に聴き入りました。終楽章のコーダの盛り上がりは極上の出来で、ドヴォルザークのこの曲でこんなに感動したことはありません。最後は感動の涙でした。映像で挨拶を送るノットに最高の拍手を送りました。本当はスタンディングオベーションすべきでしたが、コロナ禍の中のコンサートなので、自粛しました。すると、映像が事前収録したものから、オンラインでスイスにいるジョナサン・ノットの画像に切り替わります。彼もこの演奏をオンラインで聴いていたようです。我々が耳にした演奏を数秒遅れで聴いていたんでしょう。まるで奇跡のようなコミュニケーションです。ノットもきっと満足の演奏だったでしょう。また、彼のオンライン映像に大いに拍手を送りました。
今日の貴重な体験で音楽とは何かということを深く考えさせられました。きっちりした演奏技術が必須であることは大前提ですが、その上でいつも音楽性とか、精神性ということだけを重視してきました。しかし、本当に重要なのはそういうことではなく、“愛と信念”が音楽を至上のものに引き上げるということが初めて分かりました。“愛と信念”を指揮者、オーケストラ、聴衆が共有することこそ、音楽の奥義であると実感しました。コロナのために音楽を聴く機会は不自由になりましたが、音楽に対する“愛と信念”を持って、諦めずに遠いヨーロッパから映像出演という信じられないような形でのアプローチをしたノット、そのノットの心意気に反応して、“愛と信念”の演奏を聴かせてくれた東響のメンバー、そして、“愛と信念”でこの場に集まった聴衆、3者の“愛と信念”が一体化したことでありえないような素晴らしいコンサートが実現しました。

今日の素晴らしい演奏について、細部への言及は不要でしょう。ただ、熱い感動がありました。

来週のサントリーホールでの演奏、ベートーヴェンの交響曲第3番《英雄》はこれ以上の歴史に残るようなものになるかもしれません。お昼と夜の2回公演ですが、最初の昼の部のほうがより“愛と信念”を感じられるような気がします。東響のメンバーが最初の演奏で燃え尽きるかもしれませんからね。ちなみにsaraiが聴くのは夜の部。うーん、間違えたかな・・・。


今日のプログラムは以下です。

  指揮:ジョナサン・ノット(ドヴォルザークに映像にて出演)
  管弦楽:東京交響楽団  コンサートマスター:水谷晃

  ブリテン:フランク・ブリッジの主題による変奏曲 Op.10 (指揮無し)

   《休憩》

  ドヴォルザーク:交響曲第8番 ト長調 Op.88


最後に予習について、まとめておきます。

1曲目のブリテンの《フランク・ブリッジの主題による変奏曲》は以下のCDを聴きました。

 ベンジャミン・ブリテン指揮イギリス室内管弦楽団 1966年12月 ロンドン、キングスウェイホール セッション録音

作曲家自身の指揮による美しい演奏です。


2曲目のドヴォルザークの交響曲第8番は以下のCDを聴きました。

 ラファエル・クーベリック指揮ベルリン・フィル 1966年 ベルリン、イエス・キリスト教会 セッション録音
 
期待以上の素晴らしい演奏。ベルリン・フィルの美質を引き出したクーベリックの指揮が光ります。チェコ・フィルの演奏に並び立つレベルの演奏です。



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テーマ : クラシック
ジャンル : 音楽

       ジョナサン・ノット,  

ウィーン散策:引っ越し魔モーツァルトの住居跡・・・夜はクルレンツィス指揮ムジカエテルナのモーツァルトのオペラ《コジ・ファン・トゥッテ》の最高の演奏に感動!

2019年9月9日月曜日@ウィーン/5回目

ウィーンのモーツァルトゆかりの地を巡る街歩きをしています。シュテファン大聖堂Domkirche St. Stephanからスタートして、現在はモーツァルトがコンサートを行った建物、今はカフェ・フラウエンフーバーCafé Frauenhuberがある建物の前です。
次はモーツァルトが亡くなったときに住んでいたところに行ってみましょう。ここからすぐ近くです。ケルントナー通りKärntner Straßeに出て、少し歩くと、その場所に着きます。
もう、現在はモーツァルトが住んだ当時の建物はなく、今はシュテッフルデパートStefflになっています。とってもお洒落なデパートです。エレベーターで最上階の6階(日本流で言うと7階)まで上ってみます。

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もっともモーツァルト一家が住んでいたのは2階部分でした。モーツァルトはそこの広々とした6つの部屋、2つのキッチンからなるアパートメントに住んでいました。
デパートの最上階からケルントナー通りを見下ろします。

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モーツァルトの住居はケルントナー通り側ではなく、裏通りのラウエンシュタインガッセRauhensteingasse側の8番地にありました。いずれにせよ、ウィーンの旧市街のど真ん中ですね。彼の晩年はお金がなく、借金だらけでしたが、結構、贅沢をした上での借金生活だったようです。窓からは直ぐ近くにシュテファン大聖堂が見えます。ここで亡くなって、すぐ近くの大聖堂に遺体が運ばれて、葬儀になったわけです。

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視線を左に移します。旧市街の家並みがびっしりと建ち並んでいます。モーツァルトの雰囲気を感じさせるものは微塵もありません。

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デパートの前に出てみると、何と、このデパートのお隣がsaraiのお気に入りのカフェ、L.ハイナーです。何か因縁じみたものを感じます。いつもモーツァルトが亡くなった住居の隣でお茶していたんですね。

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ここから、モーツァルトが住んだ跡を尋ねて、グラーベン通りGrabenまで歩きます。通りの入口からグラーベン通りを見渡します。

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このあたりがモーツァルトがグラーベンで住んでいた29番地です。1784年1月にモーツァルト夫妻は2つのリビングルームと1つのキッチンを備えたアパートに引っ越します。次男のカール・トーマスはここで産まれました。このアパートの後に引っ越すのがドームガッセ5番地のフィガロハウスです。1784年10月1日に引っ越しました。フィガロハウスは4つの部屋、2つのキャビネット、キッチンを備えた贅沢なアパートメントでした。

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グラーベン通りをもう少し先に進むと、モーツァルトがコンスタンツェと結婚する前に住んでいたアパートがあった17番地があります。

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ここの3階に一部屋だけのアパートに住んでいました。1781年9月5日から1782年7月の終わりまでここで暮らし、オペラ《後宮からの誘拐》やハフナー交響曲を書いています。コンスタツェと1782年8月4日にシュテファン大聖堂で結婚式を挙げたのを機にここから引っ越します。ここの建物の壁に記念プレートがあるのを発見。

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モーツァルトはウィーンで11回ほど頻繁に引っ越しをしたそうです。ウィーンに永住したのは1781年5月の初めからで、1791年12月5日に亡くなるまでの10年間、ほぼ、毎年のように引っ越しをしていたんですね。さらにその間、プラハやドレスデン、ライプツィヒ、ベルリン、フランクフルト、ミュンヘンなどにも旅していますから、一つ所に腰を落ち着けることがなかったようです。それで膨大な曲を書いていたんですから、驚きます。
モーツァルトが住んでいたところのうち、5カ所ほど巡って、今回のモーツァルトの跡を尋ねる散策は終了。今回はさすがにいっぺんに全部周るわけにはいかないので、半分ほど周りました。それが実に狭いエリア内であることに驚きます。ベートーヴェンとは大違いです。おかげでsaraiの足には優しいですけどね。

最後は、姪っ子に頼まれた帽子をゲットしにグッチのお店へ。コールマルクトKohlmarktの5番地にあるので、すぐ近くです。お店に入り、姪っ子から送られてきた紙を見せてお願いすると、スタッフの方が探してきてくれます。よかったです。これで、大きな顔をして日本に帰れます。
お腹も空いていないので、すぐそばにあるカフェ・デーメルDemelでケーキでも食べて帰ろうかとしますが、とんでもなく混んでいます。大行列です。退散します。気分も盛り下がり、食欲もないので、近くのスーパーで食品を買い込んでホテルに戻ります。

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今日の散策のルートを地図で確認しておきましょう。

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ホテルで休憩して、英気を養い、オペラに出かけます。今日もクルレンツィス指揮ムジカエテルナのモーツァルトのダ・ポンテ3部作のオペラです。今日は《コジ・ファン・トゥッテ》を聴きます。
会場はウィーン・コンツェルトハウスWiener Konzerthausです。開演20分ほど前に到着。美しい建物です。

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一昨日の《ドン・ジョヴァンニ》も素晴らしかったのですが、今日の《コジ・ファン・トゥッテ》はそれ以上の最高の演奏でした。このオペラについての記事はここに書きました。
ところで、今日のオペラはコンサート形式。最近、ジョナサン・ノットがコンサート形式のオペラ演奏について、一文を書いていました。ノットはコンサート形式が大好きで、その理由は歌手とオーケストラがすぐ間近で、聴衆とも近い距離でそのオペラを感じてもらえるということだそうです。ただ、一つだけ問題になるのはオーケストラの“音量”で、オーケストラピットで抑えられる音量を制御をするのが難しいということです。
しかし、ジョナサン・ノットと東響のモーツァルトのダ・ポンテ3部作も見事な演奏でしたし、今回のクルレンツィス指揮ムジカエテルナの演奏も最高でした。ノットやクルレンツィスのような優れた指揮者が聴かせてくれるコンサート形式のオペラは最高に素晴らしいことをますます実感します。これからは変な演出のオペラよりもすっきりしたコンサート形式オペラのほうが音楽をより楽しめるような気がします。

これで今回の旅のウィーンでの前半の短い日程は終了。また、最後の日程のためにスイス・フランスの旅の後、16日後に戻ってきて、短い3日間でまた音楽三昧の予定です。明日からはグラーツGrazを経由して、スイスに抜けて、ルツェルン音楽祭でクルレンツィス指揮ムジカエテルナのモーツァルトのダ・ポンテ3部作のオペラを再度聴き、スイスアルプスを再訪し、フランスの西部、カルカソンヌ、ルルド、サン・セバスティアン(スペイン)、ボルドー、モンサンミッシェル、そして、パリを経て、ウィーンに戻ってきます。明日からは旅の記事が増えます。ご期待くださいね。



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ウィーンを出て、フンデルトヴァッサー奇想のブルマウ温泉へ

2019年9月10日火曜日@ウィーン~ブルマウ温泉~グラーツ

旅の7日目、ウィーンWienの5日目です。

今朝のウィーンは青空です。昨日までのウィーンの4日間は、雨が降らないのを良しとしなければいけないほど、曇り空で風も冷たく冬の寒さでした。今日は素晴らしい秋晴れになりそうです。
今日は早起きして、ウィーンを旅立ちます。目指すはブルマウ温泉。ウィーンからはグラーツ方向に3時間ほど移動したところにある、建築界の鬼才フンデルトヴァッサーがいかにも彼らしい幻想的なイメージを温泉としてリアル化したテーマパークです。以前から行きたかったのですが、ウィーンからは少し遠くて、なかなか行けなかったんです。
これから、ルツェルン音楽祭を聴くためにルツェルンに移動しますが、ウィーンからルツェルンLuzernへの移動をどのようにしようかと考えたときに、まだ行ったことがないグラーツGrazを経由してみようということになり、グラーツ付近にあるブルマウ温泉Bad Blumauに立ち寄ってみることにしたんです。

4泊したホテルをチェックアウトして、通りに出ると、ちょうど、通りの向かいにある学校に親に連れられた子供たちが集まっています。ふーん、これがウィーンの朝の登校風景なのね。日本とはずい分違うんですね。

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最寄りの駅、レンヴェーク駅RennwegからSバーンでウィーン・マイドリング駅Wien Meidlingに移動します。ブルマウ温泉は物凄い田舎にあります。そこまでの通しの鉄道乗車券は既にネットで購入済。

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グラーツ方面への電車はウィーン・マイドリング駅から出ます。マイドリング駅に着き、まだ、時間があるので、朝ごはん(朝マック)を調達します。

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ホームに移動。これから、インターシティICで乗換駅のヴィーナー・ノイシュタット中央駅Wiener Neustadt Hauptbahnhofまで行きます。この電車の指定券もネットで購入済です。

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列車編成表で指定席の21号車の停まる場所がホームの5Aあたりであることをチェック。

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その5Aあたりに移動して、インターシティの到着を待ちます。あと数分でやって来る筈です。結構、乗車する人が多いですね。

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ホームからは抜けるような秋の青空が見えます。

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定刻に到着した電車に乗り込みます。マックの朝食は乗換駅までの20分の間に急いでいただきます。

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ウィーンを出た電車は10分ほどで田園風景の中を走り出します。

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このあたりはワイン畑かな?

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やがて、広々とした畑が続きます。小麦畑でしょうか。

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どこまでも広大な畑が続きます。

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美しい田園風景を眺めながら、急いで、朝食をいただきます。

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広大な大地にどこまでも広がる田園風景です。オーストリアは農業大国であることを実感します。

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乗っているインターシティはこの先グラーツに行くのですが、ブルマウ温泉に行くために途中のヴィーナー・ノイシュタット中央駅で支線に乗り換えます。そのヴィーナー・ノイシュタット中央駅に着き、ホームに降り立ちます。

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支線の電車の発車のホームは、当然一番端のはずれ。電車は既に入線していますが、4分遅れの出発という表示が出ています。

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ゆっくり、乗り換えましょう。この先、ローカル鉄道の旅が始まります。



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ブルマウ温泉へローカル鉄道の旅

2019年9月10日火曜日@ブルマウ温泉/2回目

ウィーンWienから、フンデルトヴァッサー奇想のブルマウ温泉Bad Blumauに鉄道で向かっているところです。ヴィーナー・ノイシュタット中央駅Wiener Neustadt Hauptbahnhofでローカル線の電車に乗り換えようとしています。

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出発が4分ほど遅延しているので、ゆっくりと移動して、電車に乗り込みます。

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乗り込んだとたんに、電車は動き出します。えっ、定刻です。遅延出発の表示はガセでした。危ない、危ない・・・このローカル支線は午前中に2本くらいしかないんですよ。
電車は、素晴らしい青空のもと、長閑な田園風景の中を走ります。

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時折、田園風景の中に点在する家が沿線近くに現れます。

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小さな集落も時折、現れますが、基本、何もない田舎という感じです。

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単線区間なので、駅のホームで電車とすれ違います。バード・エルラッハ駅Bad Erlach Bahnhofです。

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こういうローカル線の駅には必ず、駐車場が整備されています。駅までの足はマイカーだけなんでしょう。

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トウモロコシ畑の向こうで白い煙が立ち上っています。まさか、温泉ではないでしょう。何か焼いているのかな。

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丘の上のなだらかな農地には、トウモロコシ畑とカボチャ畑が延々と続きます。たまにヒマワリ畑。豊かさを感じます。小さな集落で電車は停まっていきます。と、配偶者が読んだブログに、無人駅では、バスのように降りますボタンを押さないと停まらないと書いてあったことを思い出ししたとのこと。車内を見ると、たしかにボタンがあります。あのボタンを押して、停車してもらうのね。

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小さな集落に差し掛かります。電車は停まりそうです。

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ここは集落がそこそこのレベルなので、ボタンを押さなくても停まるようです。

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野原のような駅で停まります。

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車内はがらがらで乗り降りもありません。

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しばらくは、すべての駅で停まるようです。

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トウモロコシ畑には燦燦と陽射しが注いでいます。

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可愛い駅舎のあるローカル駅に停車。エドリッツ・グリンメンシュタイン駅Edlitz-Grimmenstein Bahnhofです。

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西のほうは山がちです。この山の中をゼメリング鉄道Semmeringeisenbahnが走っている筈です。あちらは本線ですが、このローカル支線はほぼ並行する感じで走っています。このローカル支線は平坦なルートを走ります。

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次の駅に5分ほどで到着します。車内はガラガラですね。乗降客はいないようです。

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この駅もローカルな駅舎です。アスパング・マルクト駅Aspang Markt Bahnhofです。

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ウィーン・マイドリング駅Wien Meidlingからヴィーナー・ノイシュタット中央駅Wiener Neustadt Hauptbahnhofで乗り換えて、ここまでの鉄道ルートを地図で確認しておきましょう。

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ここからブルマウ温泉へは1時間半ほどかかります。ローカルな支線はゆっくりとしか進みません。



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ブルマウ温泉へのとてもゆったりしたローカル線の旅

2019年9月10日火曜日@ブルマウ温泉/3回目

ウィーンWienから、フンデルトヴァッサー奇想のブルマウ温泉Bad Blumauに鉄道で向かっているところです。ヴィーナー・ノイシュタット中央駅Wiener Neustadt Hauptbahnhofからはローカル線の電車に乗り換えて長閑な鉄道旅です。
アスパング・マルクト駅Aspang Markt Bahnhofを出ると、とても美しい村が眼下に眺められます。アスパング・マルクトAspang Markt Bahnhofの村でしょうか。

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次のローカル駅に到着。アウスシュラーク・ツェベルン駅Ausschlag-Zöbern Bahnhofです。

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約10分で次のタオヒェン・シャウエルエック駅Tauchen-Schaueregg Bahnhofです。

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車内ではこれから到着する駅名が表示されているので便利で安心です。

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車窓には、なだらかな緑の丘陵が美しく広がっています。

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その丘陵の傾斜地に小さな集落があります。

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この集落にもローカル駅があります。ピングガウ・マルクト駅Pinggau Markt Bahnhofです。

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ローカル駅に付き物の駐車場もあります。

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ちょっと走るとすぐに次の駅、フリートベルク・イン・シュタイアーマルク駅Friedberg in Stmk Bahnhofです。

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この駅はローカル駅にしてはちょっと規模の大きな駅です。

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しばらく、この駅に停車しています。その間、車内をちょっと偵察します。乗っている電車は2編成の車両が連結されています。これが連結部です。

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相変わらず、車内はガラガラです。

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数少ない乗客も暇そうにホームを眺めています。

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車窓にはカボチャ畑が広がります。もうすぐ収穫でしょう。

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草原の中の駅に停車。デンヒャンツキルヒェン駅Dechantskirchen Bahnhofです。駅前には何もありませんが、近くに大きな邸宅が見えます。

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駅から離れたところに駅名の由来と思われる巡礼教会Dechantskirchenが見えます。

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駅を出ると、また、美しい緑の丘陵が続きます。

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やがて、大きな集落が見えてきます。ローアバッハの村でしょうか。

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綺麗な川も流れています。ローア川Rohrbachでしょうか。

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すぐにローアバッハ・フォラウ駅Rohrbach-Vorau Bahnhofに到着。

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ここまでの鉄道ルートを地図で確認しておきましょう。

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ブルマウ温泉まではあと6駅。40分ほどです。



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ブルマウ温泉駅に到着

2019年9月10日火曜日@ブルマウ温泉/4回目

ウィーンWienから、フンデルトヴァッサー奇想のブルマウ温泉Bad Blumauに鉄道で向かっているところです。ヴィーナー・ノイシュタット中央駅Wiener Neustadt Hauptbahnhofからはローカル線の電車に乗り換えて長閑な鉄道旅を続けています。
ローアバッハ・フォラウ駅Rohrbach-Vorau Bahnhofを出て、車窓には美しい風景が流れます。乗客のかたもうとうとしながら、長閑な旅を続けていますね。

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周りにはまさに絵に描いたような風景が広がっています。

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次の駅、グラーフェンドルフ・バイ・ハルトベルク駅Grafendorf b.Hartberg Bahnhofに到着。

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車内の表示パネルではブルマウ温泉は5駅目です。

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また、周囲にカボチャ畑が広がります。

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次の駅、ザンクト・ヨハン・イン・デア・ハイデ駅St.Johann in der Haide Bahnhofに着くと、プールのあるレジャー施設が目の前に見えます。

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駅を出ると、広大な野原が広がります。駅名のとおり、ヒースの野原でしょう。

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野原がどこまでも続きます。

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と、車内で動きがあります。乗客が降りる準備を始めます。乗降客の多い駅に着くようです。

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ハルトベルク駅Hartberg Bahnhofに着くと、多くの乗降客があります。このローカル支線で一番の乗降客です。

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ガラガラの車内に人がどっと乗り込んできます。と思いますが、所詮はやっぱりガラガラのままです。

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ずっと近くの席にいた乗客はまだ、ここでも降りずに何やら頭を抱えて作業中ですね。

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多くの乗客が乗り込んできたせいか、これまで顔を見せなかった車掌さんが検札に周ってきます。

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次の駅、セベルスドルフ駅Sebersdorf Bahnhofに到着。ブルマウ温泉まで、あと2駅です。

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次いで、すぐに次の駅、バード・ヴァルテルスドルフ駅Bad Waltersdorf Bahnhofに到着。次がいよいよブルマウ温泉です。

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途中からは確かにパスする駅があります。これは、のんびりとはしていられませんね。次の駅はブルマウ温泉駅Bad Blumau Bahnhofです。エイ!と配偶者が降車ボタンを押します。

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車内はガラガラでブルマウ温泉が近づいても動きがありません。

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車内の表示パネルにも次の駅がブルマウ温泉Bad Blumauと表示されています。

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ブルマウ温泉目指して、トウモロコシ畑の中を走り抜けていきます。

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田園の中にフンデルトヴァッサーそのものの建物が見えています。電車は・・・停まった!

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急いで電車を降ります。む、無人のホームですね。

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誰か一人だけ、我々以外に降りましたね。

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我々が降りるとすぐに電車は発車。去っていきます。2時間もこの電車にお世話になりました。ご苦労様、グッドバイ!

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ここまでの鉄道ルートを地図で確認しておきましょう。

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さて、いよいよ、ブルマウ温泉です。ここまで3時間もかかりました。



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ブルマウ温泉に着いたものの・・・

2019年9月10日火曜日@ブルマウ温泉/5回目

ウィーンWienのホテルを出て、3時間もかけて、ようやく、ブルマウ温泉駅Bad Blumau Bahnhofに到着しました。
単線の無人駅に着くと、駅までブルマウ温泉のスタッフが車で迎えに来ていてくれます。Eメールで事前に依頼していたんです。この駅前は何にもないところでタクシーももちろんいません。迎えに来てもらうしか、ブルマウ温泉に行く手段がありません。もっとも駅からはブルマウ温泉のフンデルトヴァッサーらしい奇抜な建物は遠くに見えていますが、とても歩ける距離ではありません。それに旅の大きなスーツケースも2個持っているので、身動きとれません。しっかりと約束通り、迎えに来てくれた誠実さに感謝します。それにさっさと2つのスーツケースも引っ張ってくれます。楽ちんですね。

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ブルマウ温泉のマークの入った車はホームの端に停まっています。これがローカル駅の気楽なところですね。

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早速、車に乗り込んで温泉に向かいます。途中のロータリーは花が咲き乱れて綺麗です。

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周りは何もない野原が広がっています。

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並木道が続きます。ブルマウ温泉は結構遠いですね。

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やがて、ブルマウ温泉の敷地に入っていきます。

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敷地に入ると、そこからフンデルトヴァッサーの世界が始まります。

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見ればすぐ分かるフンデルトヴァッサーらしさあふれる建物です。

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フンデルトヴァッサーの世界の建物が続きます。

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車が駐車場に着き、車を降りて、建物の中に入ります。
まずはフンデルトヴァッサーが設計したブルマウ温泉の模型がお出迎え。

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建物の中もフンデルトヴァッサーの世界。内部のインテリアも奇妙な形。これは椅子なのかしら。

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柱やドアも凝った配色と意匠です。

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レセプションのあるロビーに出ます。既に日帰り温泉の予約はネットで入れてあるので、受付を済ませましょう。

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先ほど車で出迎えてくれたスタッフのかたがスーツケースを運んできてくれます。サービス満点です。

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さてとレセプションはあのお姉さんかな。

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結構、受付が混み合っています。列に並びます。

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ようやく、saraiの番になり、レセプションのお姉さんにネットで予約した紙を見せると、彼女が妙な顔をして、話がかみ合いません。それにパスポートを見せろと言います。変ですね。結局はこのレセプションは実はホテルの宿泊カウンターだったんです。この温泉は夜のライトアップも素晴らしいとのことですが、そうのんびりとはしていられません。日帰り温泉(日本風に言えば)の受付は別のところだそうです。

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長い廊下を歩いて、日帰り温泉受付に移動です。

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大きな建物で結構、歩きます。

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ショップがあります。水着やビーチサンダルを販売しています。

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その先に受付があります。しかし、そこに行くと、また、ここではないわと言われます。そこはイブニングチケット(夜は照明してて綺麗)の受付カウンターでsaraiの予約したデイチケットの受付カウンターはいったん建物の外に出て、歩いて10分ほど先にあるんだそうです。

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とても説明だけでは分かりそうにないので、地図で教えてもらいます。①が最初のホテル宿泊の受付カウンターで、20番が今いるSPAの受付カウンター。そして、saraiが予約したデイチケットの受付カウンターは38番の横の1日チケットの受付カウンターだそうです。何でこんなにややこしいの? ワンストップのレセプションにできないのでしょうか。

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ここはSPAの受付カウンターなので、ここで受け付けてもよさそうな気がしますけどね。

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窓からは温泉の建物が見えていますが、あそこではなくて、もっと遠いところに移動しなくてはいけないようです。

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また、重い荷物を引っ張って、その受付に向かいます。まるで修行の道です。



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事前収録映像のノットが指揮した東響、ベートーヴェンも会心の演奏@サントリーホール 2020.7.25

事前収録した映像版のジョナサン・ノットが再び、登場。今回はベートーヴェンの交響曲、「英雄」です。映像の間近に陣取って、しっかりと聴かせてもらいました。もう、前回のような緊張感はありませんが、その代わり、自然に聴くことができました。

第1楽章は幾分早いテンポのせいか、少し演奏が固い感じですが、それでも高揚感にあふれる演奏です。終盤の盛り上がりに感銘を覚えます。第2楽章に入る前に異例のチューニング。オーケストラのメンバーも気合を入れ直すようです。
第2楽章の冒頭の葬送行進曲の主題は何というか、弦楽パートの魂の入った弱音の美しい響きがまさに悲愴な雰囲気を醸し出して、心に響きます。オーボエは少し響かせ過ぎの印象はありますが、美しいソロではあります。深い精神性に満ちた演奏が続き、ノットとベートーヴェンが一体化したような音楽にただただ聴き入ってしまいます。圧巻の演奏に魅了されました。
第3楽章はとても切れのある演奏。あのホルンのパートもパーフェクトです。あっという間に次の終楽章に突入。
第4楽章は最高の演奏。ノットの指揮は満を持していたかの如く、微妙にテンポを揺らしながら、オーケストラをインスパイアします。リズムの乗りも素晴らしく、saraiも浮遊感を覚えます。行進曲での推進力は素晴らしく、高揚感に浸ります。対位法パートでの弦楽セクションの素晴らしい響きにも魅了されます。いったん、沈静化した音楽が最後に爆発し、輝きに満ちたコーダの高潮は最高でした。

素晴らしいベートーヴェンでした。ただ、これが生のノットの指揮なら、さらなる感動があったでしょう。10月の来日はなんとしても実現してほしいものです。生のノットで最高の《トリスタンとイゾルテ》を聴きたい!


今日のプログラムは以下です。

  指揮:ジョナサン・ノット(ベートーヴェンに映像にて出演)
  管弦楽:東京交響楽団  コンサートマスター:グレブ・ニキティン

  ストラヴィンスキー:ハ調の交響曲

   《休憩》

  ベートーヴェン:交響曲第3番 変ホ長調op.55 「英雄」


最後に予習について、まとめておきます。

1曲目のストラヴィンスキーのハ調の交響曲は以下のCDを聴きました。

 サイモン・ラトル指揮ベルリン・フィル 2007年9月20-22日 フィルハーモニー、ベルリン ライヴ録音

いかにもラトルらしい切れのある演奏。ベルリン・フィルの流石の実力です。


2曲目のベートーヴェンの交響曲第3番「英雄」は以下のCDを聴きました。

 レナード・バーンスタイン指揮ニューヨーク・フィル 1964年1月27日 ニューヨーク、マンハッタン・センター セッション録音
 
最近、あまり、世評にのぼることがないCDですが、saraiにとっては思い入れのある演奏です。子供のころ、あまり、お小遣いがなく、初めて、この曲のLPを買うに当たって、カラヤン&ベルリン・フィルを買うか、バーンスタイン&ニューヨーク・フィルを買うか、レコード屋さんのお兄さんにお願いして、比較試聴をさせてもらい、選んだのが、カラヤン盤。痛恨の選択でした。あのとき、買っておくべきはバーンスタイン盤でした。お陰でこの曲の何たるかがずっと分からずにいました。今回、久しぶりにこの演奏を聴き、あのカッコいいバーンスタインの若さにあふれる突っ込んだ演奏の素晴らしさに感動しました。もう子供時代には戻れませんが、その頃の気持ちでこの演奏を聴くと、甘酸っぱい思い出に浸れます。もっともこの曲はフルトヴェングラーの残した12の録音に優る演奏は何もありませんけどね。



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ジャンル : 音楽

       ジョナサン・ノット,  

ブルマウ温泉:ようやく、温泉エリアに入場

2019年9月10日火曜日@ブルマウ温泉/6回目

ブルマウ温泉Bad Blumauに着いたものの、なかなか、予約したデイチケットの受付カウンターに到達できません。ホテル宿泊カウンター、SPAカウンターを巡って、ようやく、デイチケットの受付カウンターの所在が分かり、そこに重い荷物を引っ張って、向かいます。いったん、建物の外に出て、ブルマウ温泉の敷地内の散策路を歩きます。緑に包まれた公園のような雰囲気です。

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緑の中に建物が点在しています。

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温泉というよりも、フンデルトヴァッサーが作り上げたテーマパークみたいです。

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そのテーマパークのような広い施設の中を、荷物を引いて歩きます。楽しいですけど、結構遠いんです。

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散策路は延々と続きます。

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散策路の横には小川が流れています。緑と水の公園の風情です。

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散策路を行くと、フンデルトヴァッサーらしい建物に出会います。

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まるでお伽の国のお城のようです。

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フンデルトヴァッサーの建物を見ながらの移動は楽しいものですね。

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受付のある建物、ヴルカニアVulkaniaに到着。この建物もフンデルトヴァッサーの世界です。

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ようやく目的の受付カウンターに到着。スタッフのお姉さんがにこやかに迎えてくれます。

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説明を聞いて受付を済ませます。

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1日入場券Tageskarteは一人、45ユーロ。ちょっと高めかな。でも、まあ、そんなものでしょう。

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この受付カウンターで大きな荷物を預かってもらいます。温泉施設の中で必要なのは、水着とビーチサンダル(機内とホテル用、チョイ出かけ用に旅には必携)だけ。既に、配偶者は手持ちのカバンに入れてます。この温泉では、バスローブとバスタオルは料金に含まれていて、ロッカーに用意されているそうです。これはお手軽で助かります(そうでないときはホテルのものを持っていく)。
着替えるためにロッカールームに向かいます。

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ここでのお作法はほかのヨーロッパの温泉と同様です。手首にチップ入りのバンドを巻いて、水着になります。着替えのロッカーは男女一緒でオープン。ここで恥ずかしいと思ったら、ヨーロッパの温泉には入れません。それでも、嫌な人用に、広めの着換えロッカーはあります。

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早速、男女の区別なしのロッカールームでお着換え。

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さ、楽しんできましょう。大き目の買い物袋に、カメラとタオルを入れて、プールに向かいます。清算は腕輪でOKなので、財布は不要。こちらが温泉エリアへの通路ですね。時間は11時35分です。

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通路を抜けると、屋外にプールの温泉があります。明るい日差しで気持ちよさそうです。

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とりあえず、芝生の中のパラソルの下のデッキチェアーを確保して、ゆったりと寛ぎます。

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これから、フンデルトヴァッサーの世界で温泉ライフが始まります。



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ブルマウ温泉:サウナの修行、アウフグスの高揚!

2019年9月10日火曜日@ブルマウ温泉/7回目

ウィーンWienから3時間の鉄道旅でやってきたブルマウ温泉Bad Blumauで温泉ライフの始まりです。
現地風に芝生にあるデッキチェアーに寝そべって、ゆったりと日光浴を楽しみます。芝生には温水プール、フンデルトヴァッサーの色彩豊かな建物、そして、温泉ライフを楽しむ人々で華やかな雰囲気です。

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温水プールの傍らには、火山を模したミニチュアがあります。火山と温泉の取り合わせの演出なんですね。

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我々も温水プールでひとしきり、水着で楽しみます。すべてのプールを巡って、色んなタイプの温泉を体験します。浮き輪にもたれてプカプカしたり、ジャグジーを楽しみます。
青空の下の温泉プールを一通り楽しんだ後、次は屋内の温泉も楽しみます。建物の内部にも温水プールが続いています。子供連れの家族が主に利用しています。

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屋外、屋内の温泉をすべて楽しみました。
みなさん、いつまでもデッキチェアで寛いでいますが、そんなのんびりした過ごし方は日本人のsaraiたちには無理です。屋外のプールと建物の風景を眺めた後、別の温泉エリアに移動することにします。ここまで、ほぼ1時間を過ごしました。

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迷路のような広いフンデルトヴァッサーの世界の中を移動して、サウナ・エリアに向かいます。建物の複雑な通路を抜けていきます。

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サウナコーナーへの移動がなかなか難しい。ルートが複雑です。ようやく、辿り着きそうです。

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いよいよお楽しみのサウナ。ここからは、水着はご法度。サウナは水着を脱ぎ捨て、男女混合ですっぽんぽん。日本の混浴なんて比べ物にならないオープンさです。もちろん、日本人はsaraiたちだけ。アジア人種もいません。しかし、誰も好奇の視線を向けません。そういう文化ですね。ここのサウナ・エリアでは一切、写真を撮っていません。悪しからず。
ところで、タオルやバスローブの使用はOK。各サウナの入り口にあるハンガーにバスローブを引っ掛けて、すっぽんぽんになって入室すればよいので、エリア内で過ごすのには、さほど抵抗はありません。ここにもデッキチェアがあって、そのデッキチェアの並ぶ空間をグルリと取り囲むようにして、色んなサウナが並んでいます。
ミストに入りましょう。ここはバスタオルなども持たないで(濡れる)、入ったら、水で座るところを洗って座ります。出るときも水で流しておきます。必ず、そのための水栓があります。
普通のサウナはバスタオル(できれば2枚くらい)を持って入り、自分が使う床や背のところに広げ、汗で汚さないようにします。いくつか楽しみますが、高温のサウナがありません。バーカウンタで水分を補給して一服しながら、探しますが、見当たりません。
アウフグス Aufgussの儀式を楽しみにしていましたが、どのサウナでもやっていません。アウフグスをするような気配も開始時間の表示もありません。仕方がないので、たっぷり、汗を流したところでお終いにしようと、屋外のエデンの園(全身を焼くためにすっぽんぽんで日光浴をするエリア。まるでヌーディストキャンプみたいですね。)の方を見ると、窓の外を作業着を着た数人の人が通ります。まだ、エデンの園には触手が動かないので行っていないのですが、ちょっと覗いてみることにします。と、何とここにもサウナ小屋があり、高温(90度~)のフィンランド式サウナがあります。ならば、入らねば。そこでちょっとだけ、汗を流して出てくると、棒の先にタオルを付けて、腰にタオルを巻いたスタッフを発見。すかさず、配偶者がアウフグス Aufgussかと訊くと、そうだよ。入っていきなとお誘いを受けます。もちろん、これが楽しみでサウナに来るようなもんですから、これは入るしかありません。スッポンポンでサウナ小屋に入ると、既に20~30人のスッポンポンの男女がサウナ内にびっしりと集まっていて、畏まって座っています。何とか隙間に潜り込みます。我々が入ると、戸を閉めてアウフグス Aufgussの開始です。間に合ってよかった! 
熱い窯に水がかけられます。すると熱い水蒸気がふわっと流れてきます。これは熱い! 100度くらいの感覚です。さらにその熱い空気を我々のほうにタオルを振り回して、送ってきます。熱くて、一気に汗が全身から吹き出します。これを何度も繰り返して、我々はその苦行を耐え忍びます。一段落して、そのスタッフに一同から拍手が送られます。これで終わったと思ったら、そうではありません。今度はスタッフがガラスの茶碗にはいった茶色の液体をお盆にのせて、配り始めます。ご褒美のお茶かと思って飲もうとしたら、どろっとした液体です。これは体に塗り付ける蜂蜜だったんです。以前、塩を塗ったことはありますが、蜂蜜は初めて。ということはまだ、アウフグス Aufgussの儀式は終わっていなかったんです。全員が蜂蜜を身体に塗ると、また、さっきと同じく、熱い窯に水をかけます。熱い水蒸気を吹き上げて、タオルで熱い空気を送る儀式が再開。また、どっと汗が出ます。ようやく、アウフグス Aufgussの儀式が終わり、体から悪いものはすべて出ていった感覚です。サウナ小屋を出ると、すっぽんぽんの男女が小さなプールに浸かっています。配偶者はすぐに察したようですが、これは温泉ではなく、冷水のプール。既に入っている人たちがにこやかに招き入れてくれます。恐る恐る我々もその冷たい水に浸かります。冷たいのですが、何とか入れます。これも修行ですね。熱くなった体には心地よくも感じます。これにて、今回の旅の温泉体験は終了。ヨーロッパの温泉はくせになります。

すべてを楽しんだので、さあ帰りましょう。最後に、プールサイドで冷たいものでもいただきましょう。

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アイスクリームを頂くことにします。可愛い入れ物で供されます。

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冷たくて美味しいのですが、サウナでさんざん汗をかいたので、さらに水分を欲します。アップルジュースを追加。

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再び、迷路を抜けて、ロッカールームに戻り、着替えを済ませ、受付カウンターで清算を済ませます。預けておいたスーツケース2つを受け取り、受付のある建物、ヴルカニアVulkaniaの外に出ます。4時間超の滞在でした。長かったような、短かったような・・・。

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ここから、園内をブラブラ歩き始めます。

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公園ゾーンを散策しながら、ホテルの宿泊受付カウンターへ向かいます。やがて、湾曲面の多い建物に近づきます。外観でははっきりと分かりませんが、あれがサウナ・エリアだったのではないでしょうか。

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実に凝ったデザインの建物です。

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建物の下に小川が流れ、散策路も抜けています。

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このあたりは美しい水場になっています。

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フンデルトヴァッサーの作り上げたテーマパーク風の建物を眺めながらの楽しい散策が続きます。



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ブルマウ温泉を出発して、バスでグラーツにむかうものの・・・

2019年9月10日火曜日@ブルマウ温泉~グラーツ/8回目

ウィーンWienから3時間かけてやってきたブルマウ温泉Bad Blumauでフンデルトヴァッサーの世界と温泉ライフを楽しみました。
温泉エリアを出て、フンデルトヴァッサーの作り上げたテーマパーク風の建物を眺めながら、最後の散策を楽しんでいるところです。
やがて、ホテルの宿泊受付カウンターのある建物が近づいてきます。

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サウナ・エリアの建物を前を過ぎていきます。楽しいサウナタイムでした。

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サウナ・エリアの建物が水場の向こうに遠ざかっていきます。

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ホテルの宿泊受付カウンターにもうすぐ着きそうです。

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レセプションで、スタッフのかたに駅まで送ってくれるようお願いします。すぐに送ってくれるようです。車に乗って、駅に向かいます。

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駅前のバス停をお願いすると、駅前に着いても我々を車に残し、ドライバーがバスの時刻表をチェック。その後、運転席に戻ったドライバーは我々を乗せて、再び、走り出します。どうやら、我々が乗るべきバス停は駅前のターミナルではなかったようです。かなり走って、全然、違う場所にあるバス停で降ろしてくれます。ご親切に感謝。ここはバード・ブルマウBad Blumauの村の中心地のようです。目の前にはホテルがあります。

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近くには村の教会も見えます。バード・ブルマウの巡礼教会のようです。

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このバス停はバード・ブルマウ・オルトBad Blumau Ortのようです。

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バス停の時刻表を一応確認しますが、ここで降ろしてくれたんだから、きっと大丈夫なんでしょう。

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それでも不安になってチェックしてみます。どうやら、saraiがネットで調べた時刻表のバスより10分以上早い出発のバスがあるようです。あのまま、駅前で待っていたら、それには乗り遅れていたようです。それでも17分後のバスには乗れたようですけどね。

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そういうことをバス停の時刻表でしっかりと確認します。

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これから、バスを乗り継いで、グラーツGrazに向かうんです。すぐにポストバスがやってきます。乗車の際、運転手さんにグラーツに行きたい旨を言って、乗車券を購入。乗り換えのバス停までの1時間チケットが一人2.5ユーロです。

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バード・ブルマウの村を出ると、車窓は長閑な田園風景になります。

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何もない田園風景がどこまでも続きます。

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空は晴れ渡り、絶好の天気ですが、saraiは次の乗り換えのことが頭から離れません。こんな田舎でバスの乗り換えを失敗したら大変ですからね。

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やがて、運転手さんが乗り換えのバス停だよと知らせてくれ、グラーツ行のバスが出るバス停で降ろしてくれます。

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さて、ここで乗り換えだと言われたのですが、バス停は一体どっち向きで待てばいいのかな。このバス停、フュルステンフェルド・レーダーガッセFürstenfeld Ledergasseのバス路線案内で確認して待ちます。

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ここまでの移動ルートを地図で確認しておきましょう。

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ここで乗り換えのグラーツ行きのバスをかなりの時間待つことになります。グラーツ行きのバスに乗るまでは落ち着きません。



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長いバス旅でグラーツに到着

2019年9月10日火曜日@ブルマウ温泉~グラーツ/9回目

ブルマウ温泉Bad BlumauからグラーツGrazに向かうべく、バスで出発し、途中の乗り換え地のバス停、フュルステンフェルド・レーダーガッセFürstenfeld Ledergasseに降り立ったところです。
バスの運転手さんがこのバス停がグラーツ行きのバスが出るということで降ろしてくれました。が、通りの両側にバス停が向かい合っているため、グラーツ行きがどっち側のバス停に停まるのかが定かでありません。以前、アッシジで反対側のバス停で待っていて、バスに乗り損ねた苦い記憶が蘇ります。
一応、バス停の時刻表で確認して、降りたバス停の反対側で待つことにします。するとブルマウ温泉方面行のバスがやってきます。このバスの運転手に確認すると、グラーツ行は、今待っているバス停でよいとのこと。一安心です。しかし、なかなかグラーツ行きのバスが来ないので不安になります。かなり待つとグラーツ行のバスがようやくやってきて、元気よく乗り込みます。チケットは運転手さんから購入。2時間チケットは一人14.6ユーロ。

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チケットを購入すると、バスはすぐに出発。ロータリーで左折して、グラーツ方面に向かいます。

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すぐにフュルステンフェルドFürstenfeldの町を抜けだして、何にもない田園風景の中を走り出します。周りはトウモロコシ畑でしょうか。

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やがて、最初の賑やかな町のバス停に到着。イルツ・オルトIlz Ortsmitteです。イルツの巡礼教会Pfarrkirche Ilzが真正面に見えています。

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ところで、このバスはグラーツ行ではありますが、目的地のグラーツ中央駅Graz Hauptbahnhofまでは行かないようです。グラーツ市内のアンドレアス・ホーファー広場Graz Andreas-Hofer-Platzが終着です。手持ちの地図で調べると、グラーツの旧市街の中心近くのようです。ならば、何とかなるでしょう。一安心です。
バスは長閑な田舎道を走っていきます。

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ちょっと遅れていたバスは野原の中をガンガン飛ばします。

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車窓に美しい草原が広がります。

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また、市街地に入ってきます。グライスドルフGleisdorfの町でしょうか。

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グライスドルフの町並みの中を通り過ぎていきます。

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インビス(ファストフード店)や教会が見えます。

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グライスドルフの中心地、ハウプトプラッツHauptplatzにあるグライスドルフ教会Pfarramt Gleisdorfの前に来ます。

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教会の前を通り過ぎます。

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あっという間にグライスドルフの町はずれにやってきます。先ほどのグライスドルフ教会が遥か遠くに見えています。

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1時間ほどで、美しい高原や村の中を走り抜けました。電車と違い、人々の生活が感じられバスの移動は楽しいです。
峠を越えると、グラーツの郊外に差し掛かります。

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やがて、グラーツの街に近づきます。

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グラーツの街中に入っていきます。オーストリア第2の街ですが、ウィーンほどの立派さはありませんね。地方都市です。

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街の中心を走り、オペラ座の前を過ぎます。お洒落な東屋風のカフェCafe Opern Pavillonも見えます。

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アンドレアス・ホーファー広場Graz Andreas-Hofer-Platzのバスターミナルに到着です。ほぼ定刻通りです。夕方の6時10分過ぎです。ブルマウ温泉からバスを乗り継いで、約2時間かかりました。
ここまでの移動ルートを地図で確認しておきましょう。

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旧市街の中心のハウプト広場Hauptplatzまで歩きます。そこからトラムに乗って、とりあえず、グラーツ中央駅Graz Hauptbahnhofまで行きます。今日のホテルは駅前にあります。



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グラーツの駅前のホテルにチェックイン

2019年9月10日火曜日@グラーツ/10回目

ブルマウ温泉Bad Blumauから長いバス旅でグラーツGrazに到着しました。しかし、まだ、当初の目的地のグラーツ中央駅Graz Hauptbahnhofへはトラムで移動しなくてはなりません。アンドレアス・ホーファー広場Graz Andreas-Hofer-Platzのバスターミナルから、トラムの停留所のある旧市街の中心のハウプト広場Hauptplatzまで歩きます。
ハウプト広場に着き、まずはトラムのチケットを購入します。停留所の前に自動販売機があります。

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クレジットカードが使えるようです。明日もグラーツをぶらつくので、24時間乗り放題チケットを購入します。

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24時間チケットは一人5.5ユーロです。明日の夕方6時まで有効です。もっとも、その時間には既にグラーツからチューリッヒに飛び立っています。

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さて、このハウプト広場にはグラーツを象徴するグラーツ市庁舎Rathaus der Stadt Grazがあります。壮麗な建物が夕日を浴びて輝いています。

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広場の中央には、ヨハン大公の像が建っています。ヨハン大公は皇帝レオポルト2世の子供で有能かつ民衆の味方として、慕われた人物です。このグラーツを州都とするシュタイアーマルク州の繁栄に多大に貢献しました。

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市内交通の要所であるハウプト広場にはトラムが頻繁に走っています。中央駅に行くトラムを待ちます。

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やがて、中央駅方面行きのトラムがやってきます。

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トラムに乗り込みます。

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トラムは繁華街を抜けて、ムーア川を渡り、グラーツ中央駅に向かいます。中央駅の地下に滑り込みます。

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グラーツ中央駅の地下のトラム乗り場です。

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5分ほど歩いて、今日のホテルに到着。今日の宿は、駅前の超お手頃ホテル(saraiの規定にピッタリ)、ホテル ストラセルHotel Strasserです。可愛い娘さんがチェックインの手続きをしてくれます。家族経営なのかな。

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小奇麗なロビーです。

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部屋は、決して広くはないけど、1泊するには十分。ベッドも広くて清潔そうです。

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コーヒーマシンもポットもあり、水も提供してくれます。ありがたいです。さっそくコーヒーを頂き、一服します。

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落ち着いたところで、夕食に出かけます。再び、中央駅の地下のトラム乗り場に行きます。

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ここから、また、ハウプト広場までトラムで移動して、旧市街のレストランで夕食をいただきます。トラムの到着を待ちます。

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グラーツに着いた後の移動ルートを地図で確認しておきましょう。

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今は夜の7時半頃です。今日はまともに昼食を食べていないので、お腹が空いてきました。ちゃんとしたディナーをいただきしょう。



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グラーツの老舗レストランで美味しいディナー

2019年9月10日火曜日@グラーツ/11回目

ブルマウ温泉Bad Blumauから長いバス旅でグラーツGrazに到着し、グラーツ中央駅Graz Hauptbahnhofへトラムで移動し、ホテルに投宿。一休みして、ディナーをいただくために旧市街のハウプト広場Hauptplatzに出かけるべく、中央駅の地下のトラム乗り場にやってきました。夜の7時半とは言え、閑散としていますね。

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ハウプト広場までトラムで移動し、そこからは近いところにあるクレプセンケラーKrebsenkellerに向かいます。ガイドブックで見つけたシュタイヤーマルク州の定番料理が食べられる老舗レストランということです。最初、誤った方向に歩いてしまします。早めに右に曲がって、シュポルガッセSporgasseに入ってしまいます。すぐに間違いに気が付きます。なお、この通りはまた明日、歩くことになります。

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正しく、ザック通りSackstraßeを進むと、クレプセンケラーの目印のザリガニが見えます。ちなみにクレプセンKrebsenとはドイツ語でザリガニを意味します。そのザリガニの看板の下にはお店のメニューの看板もありますが、書かれているのは7.9ユーロのランチメニュー。もう、夜なのに、このお店は大丈夫?

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そのザリガニの看板から右に入る路地が続いています。この路地の奥にレストランがあるようです。

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路地の奥の洒落た中庭に面してクレプセンケラーがあります。レストランの内部もなかなかお洒落です。

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美しい内装に目を奪われます。繊細で格調の高い凝った装飾ですね。

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店内は不思議なことに空いています。人気レストランで混んでいると思ったのですが、こう空いていると逆に不安です。

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テーブルセッティングはとても綺麗です。高級レストランの風情です。

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まずは飲み物のオーダー。ここでは是非、この地方の特産ワイン、ロゼワインの《シルヒャー》をいただきましょう。ところがオーダーしようとすると、このレストランにはないとのこと。ガイドブックではあると書いてあったのに、このレストランは名前こそ同じですが、中身が違うのではという疑念を抱きます。結局、お勧めの赤ワインをいただく羽目になります。

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料理の注文でも、このレストランの定番料理の筈のフライ・ド・シャンピニオンがないそうです。やっぱり、シュタイヤーマルク州料理のレストランではないのかもしれません。憮然として、あまり、好みでない赤ワインをいただきます。

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オーダーした料理が運ばれてきます。これはリゾット。

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これは魚のソテー。

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期待したシュタイヤーマルク州料理ではありませんが、実はこの料理は絶品。美味しいんです。
美味しかったけど量が多いです。もうそんなに食べられないお年頃です。隣の席にいた若いカップルは、ミックスフライを食べてましたが、その量が半端ない。スティックで5本はあり、皿からはみ出しそう。それに、サイドメニューで、たっぷりの野菜炒めとフライドポテト。難なく完食。さらに、デザートをオーダー。大皿にケーキとアイスクリームがたっぷり乗ってます。嬉々として食べていました。若さは恐ろしい。
ともかく、美味しい夕食をいただき、長い一日が終了。ふーっ・・・。

1時間以上をレストランで過ごし、外に出ると、もう、町は夜の闇に包まれています。とりあえず、ハウプト広場に戻ります。広場の上の空には明るい月が輝いています。

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広場の中心にあるヨハン大公の銅像は夜の顔を見せています。

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これは夜の暗闇に浮かび上がっている市庁舎Rathaus der Stadt Grazです。

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さて、ここからトラムに乗りましょうか。

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少しブラブラしましょう。広場の売店の前を通り過ぎます。

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ここまでの散策ルートを地図で確認しておきましょう。

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今、時刻は夜の9時を過ぎたところです。とりあえず、次のトラム乗り場まで歩きましょう。



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Author:sarai
首都圏の様々なジャンルのクラシックコンサート、オペラの感動をレポートします。在京オケ・海外オケ、室内楽、ピアノ、古楽、声楽、オペラ。バロックから現代まで、幅広く、深く、クラシック音楽の真髄を堪能します。
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 ≪…長調のいきいきとした溌剌さ、短調の抒情性、バッハの音楽の奥深さ…≫を、長調と短調の振り子時計の割り振り」による十進法と音楽の1オクターブの12等分の割り付けに

08/04 21:31 G線上のアリア

じじいさん、コメントありがとうございます。saraiです。
思えば、もう10年前のコンサートです。
これがsaraiの聴いたハイティンク最高のコンサートでした。
その後、ザル

07/08 18:59 sarai

CDでしか聴いてはいません。
公演では小沢、ショルティだけ

ベーム、ケルテス、ショルティ、クーベリック、
クルト。ザンデルリング、ヴァント、ハイティンク
、チェリブ

07/08 15:53 じじい@

saraiです。
久々のコメント、ありがとうございます。
哀愁のヨーロッパ、懐かしく思い出してもらえたようで、記事の書き甲斐がありました。マイセンはやはりカップは高く

06/18 12:46 sarai

私も18年前にドレスデンでバームクーヘン食べました。マイセンではB級品でもコーヒー茶碗1客日本円で5万円程して庶民には高くて買えなかったですよ。奥様はもしかして◯良女

06/18 08:33 五十棲郁子

 ≪…明恵上人…≫の、仏眼仏母(ぶつげんぶつも)から、百人一首の本歌取りで数の言葉ヒフミヨ(1234)に、華厳の精神を・・・

もろともにあはれとおもへ山ざくら 花よりほか

通りすがりさん

コメント、ありがとうございます。正直、もう2年ほど前のコンサートなので、詳細は覚えておらず、自分の文章を信じるしかないのですが、生演奏とテレビで

05/13 23:47 sarai
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