クリムトやクノップフの世紀末芸術作品を見ています。この後もクリムト、シーレの作品を中心に楽しみます。
グスタフ・クリムトGustav Klimtの1897-1898年、35-36歳頃の作品、《ソニア・クニップスSonja Knips》です。この作品は金属産業で財を成した実業家アントン・クニップスの妻ソニアの肖像画です。彼女は帝国陸軍准将の娘で、当時25歳。クリムトには、鉄鋼業のヴィトゲンシュタイン、繊維業のヴェルンドルファー、金属産業のクニップスといった裕福なユダヤ人実業家たちがパトロンについていて、応援してくれていました。クリムトはそういうパトロンの家族たちの肖像を描いていました。彼らの期待に応えるためか、クリムトの肖像画はリアルでかつ芸術性に富むものでした。この肖像画でもソニアを、リアルなタッチを基本に描いています。とりわけは顔はまるで写真のようにリアルで、衣装は印象派風のお洒落なタッチ、背景は人物を浮き立たせるように暗めに描かれています。こういう肖像画が当時の社交界で人気があったことは想像するまでもありません。我々、現代の人間から見ると、こういうユニークな肖像画の芸術的価値は高く評価できます。着衣の肖像画ではありますが、実にセクシュアルに感じるのはなぜなんでしょう。

グスタフ・クリムトGustav Klimtの1906年、44歳頃の作品、《フリッツァ・リードラーFritza Riedler》です。この作品はドイツ出身でありながらウィーンで高級官僚となった男の妻、フリッツァ・リードラーの肖像画です。この肖像画もリアルな顔の描写、印象派風の衣装というクリムトの肖像画の基本に則っていますが、頭部や家具や背景が極めて装飾画的に描かれていることに注目しましょう。ここに至って、クリムトの肖像画のスタイルが最終地点に到達したことがうかがわれます。失礼ながら、さして美しいわけではないモデルを用いて、クリムトの芸術が頂点に達したのはなんとも皮肉に感じます。まるでこのモデルの女性が王侯貴族に上り詰めたがごとくです。素晴らしきかな、クリムト!

リヒャルト・ゲルストルRichard Gerstlの1905年、22歳頃の作品、《カロリーネとパウリーネ・フェイ姉妹Die Schwestern Karoline und Pauline Fey》です。クリムトの肖像画を見ていた後にこの作品を見ると、まるでお仲間の作品のように思えてしまいます。若干、22歳のゲルストルは世紀末芸術に背を向けていた筈ですが、しっかりと、彼の頭にはクリムトの作品が刻印されていたようです。もちろん、ゲルストルは独自の芸術表現を目指していたので、表象的に似てはいても、顔の描き方はリアルな表現ではなく、全体としては、表現主義的な雰囲気に仕上がっています。彼はこの作品を描いた3年後には、作曲家シェーンベルクの妻、マティルデとの愛を失い、芸術上の行き詰まりもあり、首吊り自殺を遂げてしまいます。25歳の若さでした。彼がどこに行こうとしたのかは知る術がありません。自殺にあたって、彼はほとんどの作品を焼いてしまいました。現在、残されているのは油彩66点、素描8点です。この作品も貴重な1点です。惜しい才能でした。

いよいよ、この美術館のもう一人の主役、エゴン・シーレの登場です。
エゴン・シーレEgon Schieleの1918年、28歳頃の作品、《エディット・シーレ、椅子に座る画家の妻Bildnis der Frau des Künstlers, Edith Schiele》です。シーレの最晩年の作品です。この年、猛威をふるったスペイン風邪で子供を身籠った妻、エディットが逝き、その3日後に後を追うようにシーレ自身も亡くなります。今流行中のコロナとはけた外れのスペイン風邪の脅威です。あまりに惜し過ぎる才能が失われました。とりわけ、シーレの最晩年、28歳の作品はどれも最高の傑作揃いです。このなんでもないような妻の肖像画もsaraiにとっては、魅了される名画中の名画です。名画というのは結局、理屈抜きに“美”がその作品から立ち上るものです。エディットを結婚した後のシーレは作風が一変し、極上の“美”の世界に上り詰めました。それにこの作品を見ていると、なんとも、ほのぼのと温かい気持ちで見たされて、幸福な感動に至ります。

グスタフ・クリムトGustav Klimtの1914年、52歳頃の作品、《ヴァイセンバッハの田舎家Forsthaus in Weißenbach I (Landhaus am Attersee)》です。クリムトの典型的な風景画です。まず、描かれたのがアッター湖周辺。大半の風景画がこのあたりで描かれました。そして、カンバスが真四角。彼の風景画はほとんどがこの形です。
この作品にはアッター湖Atterseeのヴァイセンバッハ渓谷Weißenbachにある森の田舎家を描かれています。クリムトは1914年から1916年まで夏休みをこの地で過ごしました。この田舎家は町の中心部から少し離れた山の斜面にあり、クリムトはここで集中して絵に打ち込むことができました。 家の前には広い草原があります。 クリムトは双眼鏡で見て、風景を描くのを習慣としていましたが、この森の家も同様に描きました。これにより、画像のセクションが極端に狭まり、森の家のモチーフに集中することができました。 一方、前景の花の草原は、調和のとれたバランスで組み合わせて、クローズアップで表現されています。何と美しい風景画でしょう。

次はいよいよクリムトの最高傑作、《接吻》です。パリで《モナリザ》を見逃せないように、ウィーンで《接吻》は見逃せません。saraiもずい分、この作品は見ましたが、最近、ウィーンにご無沙汰していたので、およそ8年ぶりの再会です。しかも前回まではこの美術館は内部の撮影が禁止だったので、カメラで《接吻》を撮影するのは初めてです。ワクワクしますね。
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