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ウィーン散策:モーツァルトの葬儀が行われたシュテファン大聖堂の十字架礼拝堂

2019年9月9日月曜日@ウィーン/4回目

ウィーンのモーツァルトゆかりの地を巡る街歩きをしています。シュテファン大聖堂Domkirche St. Stephanからスタートして、また、シュテファン大聖堂に戻って来ています。
モーツァルトの葬儀が行われた「十字架礼拝堂Kruzifixkapelle」の前に立っています。

十字架礼拝堂はシュテファン大聖堂の建物の北東の端の外側にある、錬鉄製の門のある小さな礼拝堂です。この場所で不滅のW. A.モーツァルトの遺体は、1791年12月6日に最終的な祝福を受けました。

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礼拝堂の内部の壁の十字架の下に記念のプレートがあります。花が一輪、手向けてありますね。

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これがプレート。MOZARTの文字が見えます。1791年12月6日と言う埋葬の日が刻まれています。亡くなった翌日です。全文は"AN DIESER STÄTTE WURDE DES UNSTERBLICHEN W.A.MOZART LEICHNAM AM 6 DEZ 1791 EINGESEGNE W(R) SCHUBERTBUND 1931" 「この場所で、不滅のモーツァルトの遺体が、1791年12月6日に祝福を受けた ウィーン男声合唱協会 1931年」です。

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ここからモーツァルトの遺体はザンクト・マルクス墓地Sankt Marxer Friedhofに運ばれました。
礼拝堂の床を見ると、地下に続く階段があります。大聖堂の地下にはカタコンベがあるそうですから、そこに続く階段でしょうか。

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と、その階段から子供たちが上がってきます。

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十字架礼拝堂の門の鉄の扉が開けられて、その子供たちがぞろぞろ出てきます。

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教会内部のガイドツアーだったのかな。子供たちは陰鬱な地下から抜け出したせいか、みな笑顔で出てきます。きっと、この子供たちはあのモーツァルトの葬儀の場所を通り抜けたことに気が付いていないのでしょう。

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どれだけいるのかというほど、ずい分、大人数の子供たちが出てきます。

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ようやく、全員が外に出て、スタッフのかたは鉄の扉を閉じて、去っていきます。

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さて、大聖堂の正面(西側)に周ります。

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大聖堂の内部に入ると、そこではおりしもミサが執り行われています。

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ここはモーツァルトがコンスタンツェとの結婚式を行ったところで、モーツァルト夫妻の二人の子供も洗礼を受けています。ミサのために主祭壇の前には行けません。信者席の外から眺めるだけにしましょう。

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次はかって、モーツァルトやベートーヴェンがコンサートで演奏した建物に行きます。ケルントナー通りKärntner StraßeからヴァイブルガッセWeihburggasse、ラウエンシュタインガッセRauhensteingasseを歩くと目的の建物が正面に見えてきます。

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目的の建物は1階にカフェ・フラウエンフーバーCafé Frauenhuberが入っている黄色い建物です。

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カフェ・フラウエンフーバーの左側に建物の銘票があります。1720年にベルヴェデーレ宮殿やシュヴァルツェンベルク宮殿などを建築したバロックの巨匠建築家ヨハン・ルーカス・フォン・ヒルデブラントによって、このバロック建築の建物が建てられました。ヒンメルプフォルトガッセHimmelpfortgasseのこの場所には14世紀頃から公衆浴場があり、衛生問題などを抱えつつ、長年、営業していましたが、建物の老朽化のため、取り壊されて、その後、この現在の建物が建てられました。

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この建物はオイゲン公の冬の離宮Winterpalais des Prinzen Eugenのすぐ隣という立地のよさもあり、マリア・テレジアのもとで宮廷料理長だったフランツ・ヤーンが高級レストランを開き、晩餐会の他に、舞踏会やコンサートの会場にもなり、贅沢な雰囲気の中、貴族たちはこぞってこの建物の2階のサロンに集まりました。モーツァルトは1788年にここでコンサートを行った他、最期のコンサートもここで行われたと言われています。1797年には、ベートーヴェンもここでコンサートを行いました。ウィーンにはこういう歴史を持つ建物が数多くありますね。

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1階にあるカフェ・フラウエンフーバーは、1824年にカフェを開業したカフェ・ヘーニッシュCafé Hänischを引き継いで、1891年に現在の名前のカフェになりました。ウィーンの最古のカフェのひとつです。saraiは30年前にウィーンを初めて訪れた際、たまたま、このカフェに入り、そのとき食べたアプフェルストゥルーデルの美味しさが今でも忘れられません。ただし、モーツァルトやベートーヴェンがコンサートを行ったのはこの建物の2階のサロンなので、1階にあるカフェ・フラウエンフーバーがコンサートの場所だったわけではありません。

ここまでの散策ルートを地図で確認しておきましょう。

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次はモーツァルトが亡くなったときに住んでいたところに行ってみましょう。ここからすぐ近くです。



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首都圏の様々なジャンルのクラシックコンサート、オペラの感動をレポートします。在京オケ・海外オケ、室内楽、ピアノ、古楽、声楽、オペラ。バロックから現代まで、幅広く、深く、クラシック音楽の真髄を堪能します。
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08/04 21:31 G線上のアリア

じじいさん、コメントありがとうございます。saraiです。
思えば、もう10年前のコンサートです。
これがsaraiの聴いたハイティンク最高のコンサートでした。
その後、ザル

07/08 18:59 sarai

CDでしか聴いてはいません。
公演では小沢、ショルティだけ

ベーム、ケルテス、ショルティ、クーベリック、
クルト。ザンデルリング、ヴァント、ハイティンク
、チェリブ

07/08 15:53 じじい@

saraiです。
久々のコメント、ありがとうございます。
哀愁のヨーロッパ、懐かしく思い出してもらえたようで、記事の書き甲斐がありました。マイセンはやはりカップは高く

06/18 12:46 sarai

私も18年前にドレスデンでバームクーヘン食べました。マイセンではB級品でもコーヒー茶碗1客日本円で5万円程して庶民には高くて買えなかったですよ。奥様はもしかして◯良女

06/18 08:33 五十棲郁子

 ≪…明恵上人…≫の、仏眼仏母(ぶつげんぶつも)から、百人一首の本歌取りで数の言葉ヒフミヨ(1234)に、華厳の精神を・・・

もろともにあはれとおもへ山ざくら 花よりほか

通りすがりさん

コメント、ありがとうございます。正直、もう2年ほど前のコンサートなので、詳細は覚えておらず、自分の文章を信じるしかないのですが、生演奏とテレビで

05/13 23:47 sarai
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