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京都探訪:三尾を歩く

今日も密を避けて、高雄、槇尾、栂尾の三尾(さんび)を歩きます。5番、8番の市バスを乗り継いで、延々と2時間ほどかけて、高雄のバス停に到着。
バス停から山道を歩いて、神護寺に向かいます。確かに市内よりも5度ほど涼しい感じです。

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山道を下って、清滝川に架かる高雄橋の上に立ちます。清滝川の清流が涼やかです。

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しかし、ここから、地獄の石段が立ちはだかります。5分も歩けば、もう、心臓がばくばく。すぐ、閉店中の茶屋の前のベンチで息を整えます。

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また、石段を登り始めますが、すぐにダウン。冷房の効いた茶屋に逃げ込みます。

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かき氷とエアコンで体をクールダウン。

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息を吹き返して、地獄の石段を踏破。石段の上に工事中の楼門が見えてきます。

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神護寺の境内を巡ります。五大堂と毘沙門堂の美しい甍が並びます。

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その奥には、ひっそりと大師堂が佇んでいます。神護寺では、弘法大師が唐から帰朝した後、14年もここで密教の教えを授けて、真言宗の基礎を築きました。

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また、急な石段を登って、金堂に赴きます。

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金堂には国宝の薬師如来像があり、間近に拝観できます。写真撮影はもちろん不可です。

神護寺の石段を下りて、高雄橋から清滝川の渓流に沿って、槇尾に向かいます。すぐに清滝川を渡る橋に着き、いったんは渡って、西明寺に向かおうとしますが、何か変です。石段がないんです。山道の裏参道でした。すぐに戻って、確認します。まだ、橋を渡らずに清滝川沿いを歩くようです。

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清滝川の清流を見下ろしながら、歩きます。

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やがて、清流の先に赤い橋が見えてきます。

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指月橋の前に到着。

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橋を渡って、また、急な石段を登ります。

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ここは地獄の石段ではなく、すぐに西明寺の門に辿り着きます。

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西明寺は本堂だけをお参りして、すぐに辞去します。

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次は栂尾、高山寺を目指します。

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その途中で、休息がてら、川床料理をいただきましょう。ところがお目当ての錦水亭は休業しています。ならば、栂尾のとが乃茶屋に目標変更。休業していなければいいのですが・・・。
ここは営業中です。やったね。招き入れられて、清滝川を見下ろす川床のお座敷に入ります。

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川床のお座敷からは清滝川の清流と清々しい水音が楽しめます。

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季節限定の定食をいただきます。鮎の塩焼きが美味で、京野菜やお豆腐など盛沢山で川床料理を堪能しました。

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さて、元気が出たところで高山寺の石段に挑みます。

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高山寺の境内に入ります。入り口の小屋には見慣れた絵が描かれています。鳥獣戯画のキャラクターですね。

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その鳥獣戯画絵巻の模写が展示されている石水院の門をくぐります。

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石水院に入り、廊下を歩き、美しいお庭を拝見。

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その先に鳥獣戯画絵巻の第1巻の模写の一部が展示されています。さらさらっと描いたタッチの優しさが印象的です。日本の漫画のルーツなんでしょうか。謎のような題材の作品です。

石水院を出て、ここに明恵上人が開いたという日本最古の茶園を覗きます。ここから宇治茶が始まったとか。

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裏参道の石段を下りて、栂尾のバス停に向かいます。

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栂尾のバス停からJR西日本のバスで高雄に移動し、そこからは市バスで市内に戻ります。今日は市バス・地下鉄の1日乗車券を活用しました。

暑くて、そして、石段登りでばてて、リゾートマンションでエアコンを効かせて、休養に努めました。
鱧や湯葉、だし巻き玉子を肴にスパークリングワインで美味しい夕食。

明日は比叡山に登りましょう。



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京都探訪:比叡山を歩く

今日も密を避けて、そして、涼を求めて、比叡山を歩きます。交通チケット、拝観券を込みにした周遊チケットを購入済です。
まずは地下鉄の駅に向けて、白川沿いの気持ちのよい道を歩きます。

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地下鉄東西線の東山駅に到着。

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一駅移動し、三条京阪から出町柳に移動。叡山電車の八瀬行の電車に乗ります。

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八瀬比叡山口に到着。ここでケーブルカーに乗り換えます。ケーブルカー乗り場に向かって、高野川を渡ります。高野川も清流ですね。

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叡山ケーブルのケーブル八瀬駅に到着。

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早速、ケーブルカーの車両に乗り込みます。

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美しい緑の木々に囲まれた急斜面を登っていきます。

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このときは青空が見えていますが・・・。

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中間点で下りの車両とすれ違います。

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ケーブル比叡駅に到着し、次はロープウェイに乗り換えて、比叡山の山頂を目指します。叡山ロープウェイのロープ比叡駅で待機中のゴンドラに一番乗りします。と言っても、我々二人のほかの乗客は二人だけです。本当に京都は観光客が激減しています。

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ゴンドラからは素晴らしい景色が眺められます。

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途中で下りのゴンドラとすれ違います。

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比叡山山頂に到着。

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山頂駅からの眺めです。

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比叡山からは琵琶湖も眺められます。

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山頂から比叡山内シャトルバスに乗ります。

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バスで横川(よかわ)地域に移動し、横川中堂の前に出ます。横川の本堂です。遣唐使船をモデルに設計され、石垣の上に建てられた朱塗りの建造物は遠くから見ると船が浮かんでいるように見えます。

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横川中堂の正面に出て、内部をお参りします。

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横川の境内を巡り、元三大師堂(がんざんだいしどう)をお参り。

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境内は高い杉木立の中、森閑としています。さすがに修行の地ですね。

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再び、横川中堂に戻ってきます。さっきとは反対側からの眺めです。

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また、シャトルバスに乗り、峰道レストランに移動し、展望レストランからの琵琶湖の風景を楽しみます。

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近江牛の乗ったつけ麺などをランチにいただきます。

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実はシャトルバスは30分間隔で運行しているので、食事も大急ぎで食べ、バス停に急行。ところがこの時間帯に限って、1時間間隔でがっくり。近くの伝教大師、最澄の像を見たりして、次のバスを待ちます。

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ようやく来たバスで西塔地区に移動し、弁慶が担いだという伝説のにない堂を眺めます。

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その先の釈迦堂をお参り。本尊は伝教大師ご自作の釈迦如来です。

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これで西塔地区の参拝を終え、また、30分後のシャトルバスで東塔地区に移動。大講堂の前にある鐘楼は平和の鐘(開運の鐘)と呼ばれ、《ゆく年くる年》に9回も登場した有名な鐘です。

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この鐘は誰でも1回50円で突くことができます。saraiは100円で2回突かせてもらい、その深い響きを全身で受け止めます。

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さて、比叡山延暦寺の中心、根本中堂が見えてきます。現在、平成の大修理中ですっぽり、工事用の囲いの建物に覆われています。

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その改修中の根本中堂に入り、1200年以上も灯り続ける《不滅の法灯》を見学。

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中を一巡りした後、今でないと見られない修復工事中の様子も見学します。途中、大型モニターで修復工事のドキュメンタリーや修行(大阿闍梨)の様子の番組に見入ってしまいます。その間、その音声が聞き取りにくくなるほどの修復囲いの建物の屋根を打つ驟雨の轟音に驚きます。その雨音が止んだ頃を見計らって、外に出ると、まだ、雨がそぼ降っています。そろそろ、比叡山を辞去しましょう。根本中堂前の急な石段を登って、正面入り口にあたる文殊楼の前に出ます。

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帰りは坂本ケーブルで琵琶湖側の坂本に出ます。売店で道を訊くと、駅までは10分ほど歩くそうです。次の発車までにちょっと時間があるので、この売店で葛餅とゴマ団子をいただきます。比叡山の名物のようです。一息ついて、ケーブル延暦寺駅の前に出ます。

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ここでもケーブルカーに一番乗り。と言っても乗客はほとんどいません。

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パノラマの景色が見られる先頭座席に座りますが、前は視界がほとんどありません。来るときは絶好のお天気だったのにね。

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それでも高度を下げていくと、視界がよくなり、琵琶湖も見えてきます。比叡山の上だけが悪天候だったのですね。

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恒例行事の中間地点でのすれ違いです。

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琵琶湖がはっきりと見えてきます。

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このあたりの杉木立も素晴らしいです。

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ケーブル坂本駅に到着。

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これがケーブル坂本駅の駅舎です。

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ここからバスで京阪電車の坂本比叡山口に移動し、待っていた京阪電車に乗車。

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琵琶湖の眺めを楽しみながら、琵琶湖浜大津に行き、そこで京都市内行の電車に乗り換えて、朝、最初に乗車した地下鉄東西線東山駅で下車。これで比叡山をぐるりと周遊しました。
地上に上がると、何やら、古そうな商店街があります。この古川町商店街を歩いてみましょう。

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結果、めぼしいものはありませんでしたが、商店街を抜けると、素敵な川があります。何とこれは白川です。美しい通りを散策します。

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白川に沿って歩くと、また、朝歩いた白川沿いの道に戻ります。白川沿いにあるフランス料理の総菜のお店、オ・タン・ペルデュAu Temps Perduでお買い物。ところでお店の名前の意味は《失われた時》。プルーストの名作、失われた時を求めて À la recherche du temps perduを想起します。死ぬまでに読みたい本の一つです。

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たくさんの総菜の中から、リヨン風クネル、ロレーヌ風キッシュを選びます。鴨のバロッティーヌも相当気になりました。

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本格的なフランス料理が手軽に楽しめますね。もう、15年も前からやっているそうです。気が付きませんでした。これから贔屓にしましょう。

夕食はそのほかに鱧のマリネやトマトの丸ごと煮など、美味しいものが並びました。飲み物はカヴァです。

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明日の夕方、京都を離れます。無事に日程を終えそうです。



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京都探訪:市立美術館~琵琶湖疏水記念館~三十三間堂

今日は京都探訪の最終日。昨日までで当初の予定は完了。さて、今日はどう過ごしましょうか。
まずは今年の3月にリニューアルオープンした京都市美術館に行ってみましょう。名称は京都市京セラ美術館に改称したそうです。
コロナ禍の中、密を避けるために、予約者のみが入館できるそうです。昨日の締め切り時間、18時ぎりぎりに電話して、予約は済ませてあります。
滞在しているリゾートマンションから美術館へは歩いて10分もかかりません。
リニューアルした京都市京セラ美術館は正面の外観はこれまでの外観を踏襲していますが、地下にメインエントランスが新設されて、ゆるやかなスロープを下って、その地下エントランスに入館するようになっています。

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入館時の手順はお決まりのコロナ対策、手のアルコール消毒と体温測定を行います。で、予約確認後、ようやく、入館できます。窓口でチケットを購入し、入館です。今日はコレクションルームだけを鑑賞します。要するに常設展です。
季節ごとに展示作品を入れ替えて、日本画を中心とした展示を行っていくとのこと。写真撮影は基本不許可ですが、上村松園の作品の一部だけは撮影できるのだそうです。

上村松園の《初夏の夕》です。1949年、松園、74歳頃の作品です。さすがの筆さばきで美しく描かれています。

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上村松園の《晴日》です。1941年、松園、66歳頃の作品です。たすきがけで着物の洗い張りをしている女性の何気ない姿が描かれています。彼女の母の面影を描いたのでしょうか。

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上村松園の《待月》です。1926年、松園、51歳頃の作品です。うら若い女性の後姿が抒情深く描かれています。

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上村松園の《人生の花》です。1899年、松園、24歳頃の作品です。婚礼の席に向かう花嫁とその母の姿です。

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いずれも上村松園の代表作ですが、もうひとつ、saraiの心には響いてきません。

このほか、日本画を中心とした作品が展示されていましたが、何か華がありません。いずれも日本人画家の作品ですが、一部を除いて、個性に乏しい感じです。明らかに欧米の有名画家に影響を受けた作品もありましたが、そのほうがかえって、感じるところも多かったような気がします。

美術館を出て、仁王門通りを歩いて琵琶湖疏水記念館に向かいます。

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インクラインの線路を渡って、記念館への通路に上がります。

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疏水の水がさわさわと流れています。

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初日に散策したコースで疏水の水が暗渠に消えた先がここです。暗渠から勢いよく水が流れ出ています。この隣に記念館があります。

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記念館前から岡崎の疏水を眺めます。右手に動物園、美術館が並びます。

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記念館の中には興味深い展示が並びます。入館無料とは思えない充実度です。これは琵琶湖疏水のジオラマで、スイッチを押すと、ランプが付き、説明のアナウンスが流れます。今、第1疏水の説明を聞いているところです。

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これが若干23歳で疏水の技術面をリードした田邊朔朗です。技術者として、実に尊敬できる偉業を果たした人物です。彼なしに琵琶湖疏水の事業はなしえなかったでしょう。下に見えているのが、工部大学校(現在の東大)の卒論で書いた琵琶湖疏水の草稿です。

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琵琶湖疏水記念館の感慨深い展示を見て、動物園の裏手のほうに歩くと、何やら、立派なお屋敷があります。白河院庭園です。

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白河天皇のゆかりの庭園だそうです。ちょっと中を拝見しましょう。綺麗な池の周りに庭園があり、その先に瀟洒な2階建ての建物があります。

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緑の庭園と池は素晴らしい景色を作っています。

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何気ないところにこういうものがあるのが京都の魅力ですね。

さて、お昼時ですから、バスで四条河原町のあたりに移動して、うどんでもいただきましょう。四条の鴨川沿いには川床のお店が並んでいますがあまりお客さんがいませんね。

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四条大橋を渡ると、南座が見えます。

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そのお隣に鰊そばで有名なお店、松葉があります。ここでお昼をいただきます。

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狙いは1点、たぬきうどんです。京都ではあんかけのきつねうどんのことをたぬきうどんと言います。あやうく間違えて、きつねうどんを注文しそうになりますが、配偶者がちゃんと確認して、たぬきうどんを注文。絶品の美味しさです。

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たぬきうどんに舌鼓を打った後、京都の街中を散策しながら、三十三間堂に向かいます。ちゃんと三十三間堂の千体の千手観音像を見ていないような気がするからです。
祇園の花見小路に出ます。こんなに人がいない花見小路は初めてです。本当に観光客が激減しています。もちろん、外国人観光客はまったく見ません。

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これは京料理の豆寅。祇園で3階建ての建物は珍しいですね。

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そのまま、建仁寺の境内を抜けていきましょう。

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驚くべきことに建仁寺の境内にも人影が見えません。

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法堂もひっそりと佇んでいます。

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両足院の前には栄西禅師ゆかりの茶碑があります。栄西が宋から茶を持ち帰って、高山寺の明恵上人がその種を譲り受け、茶園を開きました。栄西が茶を日本に広めた功績を記念して、この茶碑が建てられています。

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さて、建仁寺の境内を南の端まで歩くと、一見、どん詰まりになっています。無理に禅居庵の門内に入ります。

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すると、横手の門に抜けられます。

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ゆずりあいの道という抜け道です。

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抜け道の先には摩利支尊天堂があります。ここのご厚意で抜け道があるそうです。

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抜け道の先には、大和大路通りがあります。

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この大和大路通りをまっすぐに五条通りを突き抜けていくと、やがて、三十三間堂の前に出ます。

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途中、豊国神社や京都国立博物館の大きな建物もあります。

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三十三間堂の大きな拝観受付の建物の前に出ます。ここで拝観券を求めます。

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受付の先に蓮華王院 三十三間堂の巨大な本殿が奥に伸びています。

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本殿の中に入ると、有名な通し矢の行われた長い回廊があります。その回廊の裏手に周ると、千手観音立像が並びます。夥しい数の千手観音立像です。その数、千体です。国宝です。
その千手観音立像の手前には、両端に雷神と風神像。これも国宝。凄い迫力です。その雷神と風神に挟まれて、前列に28体の仏像が並びます。これもすべて、国宝。その表情の異なる仏像はとても印象的です。
そして、中央には大きな千手観音像(中尊)が鎮座しています。もちろん、国宝です。大仏師湛慶(運慶の長男)82歳の作で、湛慶はこの千手観音像を完成させて、この世を去ります。
この頭上に11の顔、両側に40の手を持つ11面千手千眼観世音はとても優しく、こちらを見守ります。譬えは変ですが、西欧のマリアに比肩するかのようです。すべてをゆだねて、許されたいと感じます。
ちなみに本殿の建物自体も国宝です。

建物も仏像もすべて国宝というのにふさわしく、素晴らしい美の世界を満喫しました。

本殿の中を出て、本殿のまわりを巡ります。本殿の中央の正面です。

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本殿を奥の方から眺めます。

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奥の塀は豊臣秀吉が寄進した太閤塀です。

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これで今回の京都探訪はお終い。コロナ禍で、異常な状態の京都でしたが、実りのある旅になりました。



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失くしたVISAカードの行方は? そして、ルツェルン音楽祭のクルレンツィスのダ・ポンテ3部作が開幕・・・天才の音楽を聴く幸せ

2019年9月12日木曜日@ルツェルン/15回目

絶好の天気の中、ピラトゥス山Pilatusの山頂で素晴らしい眺めを十分に堪能しました。
その後、ピラトゥス・ロープウェイ「ドラゴン・ライド」Luftseilbahn Pilatus «Dragon Ride»と小型のゴンドラリフトに乗り継いで、ルツェルンLuzern市内のクリエンスKriens に到着。
ここからはルツェルン駅行の1番のバスが停まるバス停まで5分ほど歩きます。ゴンドラリフト乗り場を出発。

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とっても丁寧に案内表示があるので、迷うことはありません。

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途中、長閑な放牧地の横を通ります。ここはルツェルン市内と言っても、山裾の郊外です。

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曲がり角には親切な案内表示板があります。安心してバス停に向かいます。

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バス停に着いた途端、バスが来ます。バスの行先を見る余裕もありません。ええいっと飛び乗りますが、このバスがルツェルン駅行の1番のバスで正しいのか不安。乗客の一人に訊いたら、「ミステリーツアーだから」と、分かったような分からないような返事。仕方がないので運転手に確認すると、このバスは駅には行かないよとのお答え。どうやら5番のバスだったようです。いったん、バスを降りて、ちゃんと1番のバスに乗り換えて、無事にルツェルン駅に到着。
さあ、駅のツーリストインフォメーションに行ってみましょう。窓口でクレジットカードはなかったか、訊いてみます。スタッフの女性はsaraiの名前を確認して、裏の方に消えていきます。ウーン、すぐにそんなものはないとは言わなかったな・・・手に白い大きな封筒を持って、スタッフが戻ってきます。この封筒の中から、マイVISAカードが出てきます。ありました! きちんと封筒に入れて保管してあります。

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ダンケ・シェーン! saraiはニコニコです。今後は気を付けましょう。

ルンルンで駅地下のCOOPのスーパーでお買い物を済ませて、駅前のバス停へ。

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駅前には有名な大きな門が聳えています。

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ロイス川に架かるカペル橋Kapellbrückeの塔も見えています。

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アパートメントへ戻る10番のバスが来るのを待ちます。

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すぐにやってきたバスでアパートメントに戻ります。今日は昨夜のように迷うことなく、アパートメントに辿り着きます。アパートメントの入口はこんなに分かりにくいです。

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お昼寝をして、着物にタキシードで夜のオペラへ出かけます。
ルツェルン音楽祭のクルレンツィス&ムジカエテルナのモーツァルトのダ・ポンテ3部作の公演が今夜の《フィガロの結婚》で開幕します。これが聴きたくて、今回の旅を企画したんです。
ウィーンでよくご一緒する友人のSteppkeさんも日本から駆けつけて、開演前に旧交を温めます。彼とはルツェルン音楽祭の最終日、9月15日まで、ご一緒します。ウィーン以外でお会いするのは、ドレスデンで《ばらの騎士》(ティーレマン、ガランチャ)を聴いたときだけでしたから、いかにこの公演が特別なものであるかということです。
既にウィーンでも《ドン・ジョヴァンニ》と《コジ・ファン・トゥッテ》を聴きましたが、今日の《フィガロの結婚》を聴いて、モーツァルトのオペラも新時代を迎えたことを実感します。モーツァルトの音楽の深さが再発掘されたという思いでいっぱいになります。モーツァルトの音楽の天才性はこのクルレンツィスの天才の登場を待って、明らかにされたという感です。
クルレンツィスが選りすぐった歌手たちも素晴らしい歌唱を聴かせてくれます。とりわけ、伯爵夫人を歌ったエカテリーナ・シチェルバチェンコの歌唱が素晴らしく、クルレンツィス好みの透明な響きの声とソット・ヴォーチェの静謐な歌唱が素晴らしいです。第3幕の有名なアリアで冒頭の旋律がソット・ヴォーチェで繰り返されるところで、あまりの美しさにsaraiは感動のあまり、涙が出ました。
テオドール・クルレンツィスの作り出す音楽は恐るべき才能の産物としか、言えません。4日間連続公演の初日を聴いて、早くも無理してきてよかったという感慨でいっぱいです。クルレンツィスの作り出すモーツァルトのオペラの凄さがさらに実感できました。このオペラについての記事はここに書きました。
終演後、Steppkeさんとの会話は一言、「凄かったですね・・・」。
帰りのバスは、30分後です。ブラブラとロイス川河畔を歩いて帰りましょう。ライトアップされたカレル橋が素敵です。
素晴らしい音楽の日々が始まりました。



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伊藤恵の魅惑に満ちたモーツァルト20番、飯森範親の渾身のベートーヴェン5番に感動! with 東京交響楽団@東京オペラシティコンサートホール 2020.9.5

まずは期待していた伊藤恵のピアノは素晴らしい音色で魅了してくれました。彼女はキャリアで最高のレベルに達しています。コロナ禍のお陰で、田部京子を始めにこういう素晴らしい日本人ピアニストが聴けるのは嬉しいところです。飯森範親指揮の東京交響楽団も素晴らしいサポートです。モーツァルトの名曲、ピアノ協奏曲第20番の実演では、最高の演奏でした。
第1楽章、抑え気味に入ったオーケストラ演奏がとても魅力的でその美しいアンサンブルに聴き入ります。そして、何とも美しいタッチで伊藤恵がピアノを奏で始めます。彼女のピアノって、こんなに美しい響きだったっけと感銘と驚きを覚えます。終始、その美しいピアノの響きに感じ入るうちにカデンツァに入ります。ベートーヴェンが書いたカデンツァですね。ともすると、男性的で堂々としたカデンツァはモーツァルトの音楽とは様式感の違いを感じさせてしまいますが、伊藤恵は巧みにそういう違和感を感じさせないような見事な演奏で、かつ、ヴィルトゥオーゾ的な華麗さも表現します。
第2楽章、ピアノのソロで美しい旋律線を描き出し、オーケストラも加わって、魅惑の音楽が奏でられます。中間部の激しいピアノのパートも楽々と弾きこなし、再び、冒頭の旋律に回帰し、抒情味あふれる表現と美しいピアノの響きで楽章をしめくくります。
第3楽章、勢いよく、切れのあるピアノで華やかに音楽が進行します。そして、圧巻だったのは後半です。高潮したピアノはカデンツァを経て、美しく上り詰めます。見事な伊藤恵のピアノでした。東響のアンサンブルも最高でした。

実は、今日は午前中にゲネプロを聴かせてもらい、既に伊藤恵の素晴らしいピアノは実感していましたが、本番はさらに音楽的にノリが違いました。素晴らしいモーツァルトでしたし、伊藤恵自身もモーツァルトの音楽を楽しんでいる様子がうかがえて、saraiの心も和みました。

そうそう、アンコールはモーツァルトのソナチネ。シンプルな曲ですが、名人が弾くととても素晴らしいです。力が抜けて、ずばぬけて美しい音楽が心に沁みました。

後半はベートーヴェンの交響曲 第5番「運命」。名曲中の名曲ですが、それだけに演奏は難しいですね。なにせ、聴衆にとって、数々の名演奏が耳にこびりついていますからね。午前中のゲネプロでは、ほとんど練習なし。指揮の飯森範親によると、昨日、たっぷりとリハーサルをやったので、一部の確認だけしか練習しないので、あとは本番のお楽しみということでした。むむっ、かなりの自信と見ました。
で、本番ですが、余程、飯森範親はスコアを読み込んだとみえて、オリジナリティあふれる会心の演奏です。それに東響の分厚いポリフォニーの響きが凄いです。トゥッティでは音塊がステージから飛んでくる感じです。saraiもずい分、この曲は聴いてきましたが、こういう演奏は初体験です。記憶の底を探すと、ラトル指揮ウィーン・フィルの快速演奏のモダンさとも近いような感じですが、今日の演奏はもっと古典様式に寄り添っているように思えます。また、ハイティンク指揮ロンドン交響楽団のモダンできっちりとアンサンブルの揃った名演とも近い感じもありますが、今日の演奏はもっとスケール感があるように思えます。要はオリジナル演奏とは別路線のモダン演奏でありながら、ベートーヴェンの作り上げた古典様式の本質に切り込むという意欲的な表現スタイルであると感じます。
第1楽章はすべてを要約したような演奏で、東響のアンサンブルをここまでドライブしたのは見事としか言えません。基本はポリフォニーの疾走ですが、歌わせるところは歌わせるという自在な演奏です。第3楽章の美しい対位法的展開を経て、圧巻の第4楽章に至ります。指揮者の熱い思いは、こういうコロナ禍故なのでしょうか。音楽のチカラは何にも負けないというメッセージが伝わってきて、共感と感動に至ります。凄まじいコーダに脱帽です。最後に東京の素晴らしい弦楽セクション、それに木管ソロの美しい響きに感謝します。うーん、素晴らしい「運命」でした。ただひとつ、残念だったのは指揮者コールができなかったことです。


今日のプログラムは以下です。

  指揮:飯森範親(マクシム・エメリャニチェフの代演)
  ピアノ:伊藤恵(マクシム・エメリャニチェフの代演)
  管弦楽:東京交響楽団  コンサートマスター:水谷晃

  ハイドン:交響曲 第103番 変ホ長調 Hob.I-103「太鼓連打」
  モーツァルト:ピアノ協奏曲 第20番 ニ短調 K.466
   《アンコール》モーツァルト:ピアノソナタ 第15番 ハ長調 K. 545 より 第1楽章 アレグロ ハ長調

   《休憩》

  ベートーヴェン:交響曲 第5番 ハ短調 op.67「運命」


最後に予習について、まとめておきます。

1曲目のハイドンの交響曲 第103番「太鼓連打」は以下のCDを聴きました。

 コリン・デイヴィス指揮アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団 1976年11月 アムステルダム、コンセルトヘボウ セッション録音

コリン・デイヴィスの安定した指揮、アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団の豊麗な演奏、こういうハイドンもいいものです。


2曲目のモーツァルトのピアノ協奏曲 第20番は以下のCDを聴きました。

 クリフォード・カーゾン、ベンジャミン・ブリテン指揮イギリス室内管弦楽団 1970年 セッション録音
 クララ・ハスキル、イーゴリ・マルケヴィチ指揮コンセール・ラムルー管弦楽団 1960年11月14日-18日、パリ、Salle de la Chime セッション録音
 
いつもハスキルの各種のCDばかり聴いているので、名盤の誉れ高いカーゾンの演奏を聴いてみました。ブリテンの個性的な指揮も素晴らしいのですが、カーゾンのピアノの響きがもうひとつピュアーさを欠くのが不満です。結局、また、ハスキルのCDを聴いてしまいます。心にぴたっとはまるようなパーフェクトな演奏です。でも、ハスキルの一番のお気に入りの演奏は別にあります。1959年のルツェルン音楽祭でオットー・クレンペラー指揮フィルハーモニア管弦楽団と共演したライヴ演奏のハイレゾ音源シリーズです。


3曲目のベートーヴェンの交響曲 第5番「運命」は以下のLPレコードを聴きました。

 ヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮ベルリン・フィル 1954年5月23日、ベルリン、Titania Palast ライヴ録音
 
やはり、フルトヴェングラーのベートーヴェンは特別です。中でも、第3番、第5番、第9番は際立って輝きます。この演奏はフルトヴェングラーの第5番の最後の録音、最晩年の演奏です。saraiはフルトヴェングラーの最晩年、1954年の演奏をとりわけ、好んでいます。今回聴いたのはコロナ禍の最中に購入したフルトヴェングラーの1947年から1954年にかけてのベルリンでのベルリン・フィルとのライヴ公演を網羅した14枚組の重量盤LPレコード(180g)のボックスセットの中の1枚です。これまでの勢いや激しさは影を潜め、自然なスタイルで人生の集大成をはかるような雰囲気の演奏です。うーん、いいなあ。



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       伊藤恵,  

ベートーヴェン再発見の旅 圧巻の「ハンマークラヴィーア」 イリーナ・メジューエワ・ベートーヴェン・ピアノソナタ全曲演奏会@東京文化会館 小ホール 2020.9.6

コロナ禍で1回目から4回目までが中止になっていたイリーナ・メジューエワのベートーヴェン・ピアノソナタ全曲演奏会がようやく、第5回目と第6回目で開始になりました。
期待を上回る素晴らしい演奏で、saraiにつたない言葉で表現できない高次元のベートーヴェンを聴かせてくれました。日本に永く在住し、日本人ピアニストの一人とも思えるメジューエワですが、その演奏スタイルはまさにロシアが伝統としてきた強靭でスケールの大きい表現のベートーヴェンです。繊細で精神性を重んじるスタイルの対極にあるようなピアニズムですが、実に説得力のある演奏です。ある意味、エミール・ギレリスの演奏を生で聴いているような感覚です。もっともsaraiはギレリスを生で聴いたことはありません。

今日聴いた7曲のソナタはすべて、素晴らしい演奏でした。個々の演奏に触れませんが、彼女の強靭なスタイルの演奏が光ったのは、第28番と第29番「ハンマークラヴィーア」でした。とりわけ、対位法技法で書かれた極度に演奏困難なパートは凄まじいばかりに突き抜けた演奏で圧巻でした。そして、第29番「ハンマークラヴィーア」の長大な第3楽章の深い音楽表現、第4楽章の圧倒的な演奏は、正直、saraiの音楽的素養の枠をはみ出る高次元のものでした。予習が不十分だったことを露呈してしまいました。反省しています。これほどの演奏ならば、それなりに向き合っていかねばならないでしょう。
中途半端な感想しか書けませんでした。本当に凄い演奏を聴くと、音楽を言葉で表現することがむなしくなります。今日の演奏はそういうレベルの演奏でした。

後期ソナタ(第30番、第31番、第32番)はしっかり予習して聴かせてもらいます。楽しみでもあります。


今日のプログラムは以下です。

  ピアノ:イリーナ・メジューエワ

  <ベートーヴェン 生誕250周年記念 イリーナ・メジューエワ ピアノソナタ全曲演奏会 第5回>

  ピアノ・ソナタ第7番 ニ長調 Op.10-3
  ピアノ・ソナタ第8番 ハ短調 Op.13「悲愴」

   《休憩》

  ピアノソナタ第12番 変イ長調 Op.26
  ピアノソナタ第28番 イ長調 Op.101


  <ベートーヴェン 生誕250周年記念 イリーナ・メジューエワ ピアノソナタ全曲演奏会 第6回>

  ピアノソナタ第10番 ト長調 Op.14-2
  ピアノソナタ第15番ニ長調 Op.28「田園」

   《休憩》

  ピアノソナタ第29番 変ロ長調 Op.106「ハンマークラヴィーア」


   《アンコール》
  6つのバガテル Op.126 から 第1番 ト長調 アンダンテ・コン・モート


最後に予習について、まとめておきます。以下のCDを聴きました。

 エミール・ギレリス ベートーヴェン: ピアノ・ソナタ集 1972-1985年 セッション録音
 アンドラーシュ・シフ ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ全集 2004~2006年 チューリッヒ、トーンハレ ライヴ録音

ギレリスの男性的な演奏、シフの美しく音楽的な表現、いずれも絶品です。



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       メジューエワ,  

めざすはバーゼル美術館の《風の花嫁》

2019年9月13日金曜日@ルツェルン~バーゼル~ベルン

旅の10日目、ルツェルンLuzernの3日目です。

今日も朝から雲一つない快晴です。お出かけ日和です。こんな日は、インターラーケンからユングフラウ辺りへ出かけると素晴らしいのでしょうが、夜のコンサートがあるので無理です。今日はsaraiの最愛の絵画、ココシュカの《風の花嫁》に会いに出かけましょう。それはバーゼル美術館Basler Kunstmuseumにあるので、ベルンBernのパウル・クレー・センターZentrum Paul Kleeと合わせて、バーゼルBasel、ベルンBernと巡ってきます。

今日はファーストクラスの1日乗り放題チケット(Saver Day Pass)を買ってあります。スイス国内は基本、どこでも乗り放題です。一人88スイスフラン、約1万円です。快適な鉄道旅を楽しむことにします。

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ルツェルン駅で、朝食を買って乗り込みたいのですが、パン屋さんは行列してます。時間がないのでkioskで、パンとコーヒーを買って、電車に乗ります。

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ルツェルンからバーゼルまで約1時間です。8時54分に発車するとすぐに車掌さんが検札に周ってきます。1日乗り放題チケット(Saver Day Pass)を見せて、OK。

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ルツェルンの街の中を抜けていきます。

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青空の下、電車は走っていきます。

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線路の傍らに綺麗な教会が見えます。ロイスビュール教会Katholische Kirche Reussbühlです。

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しばらく走ると、車窓にピラトゥス山Pilatusが美しく聳えています。

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ピラトゥス山がどんどん後方に小さくなっていきます。電車がスピードアップしていきます。

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やがて、林の陰に隠れて、見えなくなります。ルツェルンの街から十分に離れたということですね。

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真っ青な空とどこまでも続く緑の草原・・・これもスイスの風景です。

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これはスイスのジャガイモ畑のようです。何故って、ドイツ語でそう書いてあります。

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ジャガイモ畑がどこまでも続きます。

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これはトウモロコシ? 畑の向こうに教会が見えます。

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緑の大平原の中を電車が走っていきます。

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草原に、草を食む牛の群れです。美しい長閑な風景が続きます。

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牧草地帯が続きます。

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まだ、走り出して20分ほどです。バーゼルまではまだ40分ほどかかります。



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懐かしのバーゼルに到着

2019年9月13日金曜日@ルツェルン~バーゼル~ベルン/2回目

最愛の絵画、ココシュカの《風の花嫁》に再会すべく、バーゼルBaselに向かっています。ルツェルンLuzernから電車が20分ほど走ると、牧草地とトウモロコシ畑の中を走ります。

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やがて、ルツェルンとバーゼルの中間地点の駅に到着します。

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ルツェルンを出て、35分です。この大きな駅はどこでしょう。

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オルテンOltenです。この鉄道駅はルツェルンとバーゼルからも30分ほどですが、チューリッヒZürich、ベルンBernからも30分ほどでスイス鉄道SBBのハブ駅として機能しています。オルテンはベルンと同様にアーレ川Aareの畔の町です。

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オルテンを出ると、緑の丘陵地帯を走ります。

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やがて、定刻の10時にバーゼルに到着です。三度目のバーゼル。懐かしさを感じます。

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ホームからエスカレーターで階上の連絡通路に上がります。

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連絡通路は多くの人が行き交い、パン屋さんなどのお店のショッピング街になっています。

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通路の天井にはなぜか、モナリザをパロディった大きなポスターが下がっています。左の絵はダ・ヴィンチ、右の絵はベストスマイルって書いてありますね。

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通路の窓からはバーゼル駅Bahnhof Basel SBBの広い構内が見渡せます。

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大きな通路を抜けて、エスカレーターで駅舎のロビーに下ります。

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もう見知った街という感じです。バーゼル美術館Basler Kunstmuseumへは駅前からトラムに乗って移動します。まず、トラム乗り場の自動販売機でチケットを買います。画面タッチ式の操作しやすい自販機です。

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これが購入したチケット。近距離は一人2.3ユーロです。

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あれ、どのトラムに乗るんだっけ。

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11番のトラムの経路を確認しますが、これは違いますね。

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ところでここで振り返ると、バーゼル駅の堂々たる駅舎が見えます。

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乗るべきトラムの最終確認中です。

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さあ、トラムに乗りましょう。バーゼル美術館へは1番か2番のトラムです。

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いよいよ、ココシュカの《風の花嫁》に再会です。



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《風の花嫁》に再会ならず! 失意のバーゼル

2019年9月13日金曜日@ルツェルン~バーゼル~ベルン/3回目

最愛の絵画、ココシュカの《風の花嫁》に再会すべく、バーゼルBaselにやってきました。
バーゼル駅Bahnhof Basel SBBの駅前のトラム乗り場でバーゼル美術館Basler Kunstmuseumに向かうためにトラムの乗車。トラムはバーゼルの町の中を走っていきます。目の前に大きな教会が見えます。
聖エリザベート教会Offene Kirche Elisabethenです。大きな尖塔を見上げながら、トラムは通り過ぎます。

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やがて、バーゼル美術館前に着いたと思ったら、トラムは停まらずにすっと走っていきます。のんびり乗っていたら、降車ボタンを押し忘れ、降り損ねてしまいます。この町のトラムは降車するためには降車ボタンを押す必要があります。トラムはバーゼル美術館を過ぎて、ライン川Rheinに架かる橋、ヴェットシュタイン橋Wettsteinbrückeを渡っていきます。

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ライン川は明るい陽光で川面がキラキラしています。

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一つ先の停留所、ヴェットシュタインプラッツWettsteinplatzまで行って、そこで降車。

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この停留所から歩いて戻ります。またトラムに乗って戻ってもよいのですが、途中、ライン川に架かる橋があるので、ブラブラ橋を渡り、街の景色を楽しんでいきましょう。ヴェットシュタイン橋を渡り始めると、バーゼル大聖堂Basler Münsterの2本の尖塔が見えます。

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ズームアップして、バーゼル大聖堂の美しい姿を眺めましょう。

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橋の先には、バーゼル美術館の白い建物が見えてきます。

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久しぶりのバーゼルのライン川。快晴の陽光を受けて、川面が輝いています。

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川縁に立つバーゼル大聖堂の2本の尖塔を眺めながら、橋を渡ります。

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バーゼル美術館の姿がだんだん、大きく見えてきます。

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橋を渡り終えると、橋の袂に面白い銅像があります。ヨーロッパの想像上の生物バジリスクの銅像(スイスの彫刻家フェルディナンド・シュレス作)Basilisk Statue von Ferdinand Schlöthです。この町のランドマークの一つです。

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川を渡るとすぐ正面にバーゼル美術館が見えてきます。なんだか建物の前が大がかりな工事中のようです。

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美術館の前に到着。工事中で入り口が煩雑ですが、オープンはしています。一安心です。

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中に入り、まずはチケットを購入して、見学開始です。

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さあ、《風の花嫁》に再会しましょう。荷物をロッカーに入れて、まず、《風の花嫁》に再会すべく、その展示場所をスタッフに尋ねます。すると、彼は《風の花嫁》は2階なんだけど、2階はフロア全体がクローズしてるんだよね。1階のこのへんにもいい絵があるよって、破壊的な発言。saraiは泣きそうになり、わざわざ、この絵を見に日本から来たって言うと、彼は冷静にPCの画面で再度確認した上で、申し訳ないけど、やはり、クローズしているので見られないと言って、それ以上は話が進みません。saraiは力が萎えて、ロビーのソファーに座り込みます。こういう時は、どうしようもありません。黙って、ソファーに座って、気持ちが納まるのを待つしかありませんね。しばらくすると、ようやく気持ちも落ち着き、結論が出ます。この美術館は何度も来たし、今更、《風の花嫁》以外の絵を見ても虚しくなるだけです。止めましょう。心を決めて、スタッフに気持ちを伝え、チケットの払い戻しをお願いすると、快く応じてくれます。人生最後の《風の花嫁》との対面は果たされませんでした。そういう運命だったとあきらめるしかありません。人生最後になるであろうバーゼル訪問は実に残念な形で無残に終わりました。展示室入口には、2階がクローズされている旨がさらっと書いてあります。

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すぐにベルンBernに移動して、パウル・クレー・センターZentrum Paul Kleeへ行くことにします。バーゼル美術館の中庭を抜けて、外に向かいます。

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外に出ると、道は工事中でふさがっています。

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トラムに乗って、駅に戻ることにしますが、美術館の周りは大工事中なので、トラムの乗り場が見当たりません。工事の人に訊くと、遠くを指さします。踏んだり蹴ったりです。文句を言っても仕方がないので、次の乗り場まで移動してトラムに乗ります。無事、駅に戻ってきました。1時間前に着いたばかりの駅です。笑っちゃいますね。

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ベルン行きの電車はすぐにあります。旅のお供にコーヒーと甘いパンを購入して、電車に乗り込みます。

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失意のうちに、1時間だけ滞在したバーゼルを去ります。



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ベルンに到着し、パウル・クレー・センターへ

2019年9月13日金曜日@ルツェルン~バーゼル~ベルン/4回目

失意のバーゼルBaselから、ベルンBernに向かいます。ベルンではパウル・クレー・センターZentrum Paul Kleeを訪れることにします。
またまた、車窓の美しいのどかな景色を眺めます。

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やがて、朝、ルツェルンLuzernからバーゼルに向かうときにも通過したオルテンOltenに到着。ここは交通の要ですから、必ず通ります。まさに交通ハブです。

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これがオルテンのホーム風景です。

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オルテンを出て、一路、ベルンに向かいます。ファーストクラスの車内はゆったりしています。車掌さんが検札に来ます。1日乗り放題チケットSaver Day Passがありますから、何も問題なし。

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青空の広がる大平原の中を走っていきます。

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美しいスイスの風景が続きます。

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アーレ川Aareが現れます。ベルンの郊外です。

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これまた懐かしいベルンに到着です。これが3回目の訪問になります。駅舎を出て、バス乗り場に向かいます。

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これが今出てきた駅舎です。現代的な建物です。

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広いバスターミナルです。横には聖霊教会 Heiliggeistkircheがあります。

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自動販売機でバスのチケットを買います。

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これが購入したチケット。

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パウル・クレー・センター行のバス乗り場でバスの到着を待ちます。

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次々とバスが到着します。

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パウル・クレー・センター行のバスが到着。

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精霊教会の前を出ていきます。

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旧市街の通りを郊外のパウル・クレー・センターに向かって走り出します。



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パウル・クレー・センターに到着

2019年9月13日金曜日@ルツェルン~バーゼル~ベルン/5回目

まだ、バーゼルBaselで最愛の絵画《風の花嫁》を見られなかった失意を引き摺っているsaraiです。ベルン中央駅Bern Hauptbahnhofで乗ったバスはパウル・クレー・センターZentrum Paul Kleeに向かいます。駅前のバスターミナルを出た12番のバスはシュピタールガッセSpitalgasseの通りを走ります。旧市街の通りにはポルティコが続きます。

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ヴァイセンハウス広場Waisenhausplatzに差し掛かると、パラソルの下のテラス席が賑わっています。

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ベルン名物の噴水も見えます。ツェーリンガーの噴水Zähringerbrunnenの後ろ姿です。ベルンの創始者ツェーリンゲンの記念碑です。甲冑を装着したベルンのシンボルの熊がツェーリンゲン家の旗を掲げています。

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バスは旧市街の目抜き通り、クラムガッセKramgasseを走っていきます。

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また、噴水があります。サムソンの噴水Simsonbrunnenです。怪力のサムソンがライオンの口を引き裂こうおしている姿です。

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通りの名前がゲレヒティクカイツガッセGerechtigkeitsgasseに変わります。通りには噴水だけでなく、建物の壁面にも人形が飾ってあります。

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ポルティコのように、2階が通りにせり出して、その下がショッピングアーケードになったような独特の造りの通りが続いています。

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やがて、バスはアーレ川に差し掛かります。

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アーレ川に架かるニーデック橋Nydeggbrückeの上からは丘の上のバラ公園Rosengartenが見えます。

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熊公園Bärengrabenを抜けると、高級住宅街の中を走りだします。

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大きな学校の前を過ぎていきます。

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車窓に緑が多くなり、やがて、パウル・クレー・センターが見えてきます。

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バス停、パウル・クレー・センターZentrum Paul Kleeに到着。バスを降りて、パウル・クレー・センターに向かいます。

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ここまでの12番のバスの走行ルートを地図で確認しておきましょう。なお、一部、不完全なところもあります。

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建築家レンゾ・ピアノ設計の特徴的な波の形をした建物と遠くにアルプスの山々が見える美しい景色が私たちを迎えてくれます。

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2つの波の形の建物間に入口があります。

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パウル・クレー・センターの前には散策道が続き、その前にはアルプスの山並みが広がります。

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さあ、クレーの作品群に会ってきましょう。



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パウル・クレー・センター:バウハウス時代のクレー

2019年9月13日金曜日@ルツェルン~バーゼル~ベルン/6回目

ベルンBern郊外のパウル・クレー・センターZentrum Paul Kleeを訪れています。早速、入館して、チケットを購入。

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この美術館には日本語の美術館紹介のパンフレットも置いてあります。日本人に人気の高いパウル・クレーの最大のコレクションを所蔵する美術館ですから、日本人の美術愛好家も多数、訪れるのでしょう。

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荷物をロッカーに預けて、鑑賞開始。またまた、今回も見たこともないクレーの作品が並んでいます。この美術館は、毎回テーマを決めて作品を入れ替えます。前前回の訪問時は「日本とクレー」、前回の訪問時は「ピカソとクレー」でした。今回は「チャップリンとクレー」。笑いと涙をテーマにした、なかなか渋い、面白い展示です。これがパンフレットです。

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展示順ではなく、制作年順にご紹介していきます。実は晩年近くの1939年の作品、それも天使シリーズの線画の展示が多かったのですが、それは後でご紹介するので、お楽しみに。

《デッサンの後で》。1919年、クレー40歳頃の作品です。瞑想(自画像)という表題も付いています。この頃、クレーは画家として認められて、この年にミュンヘンの画商ゴルツと契約を結びます。淡い色彩でシンプルな構図で淡々と描かれた自画像には、画業に集中するクレーの思いがみなぎっています。

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《人形劇場》。1923年、クレー44歳頃の作品です。クレーは1920年にミュンヘンのゴルツの画廊で大回顧展を開き、同年、ヴァルター・グロピウスの招聘を受け、翌1921年から1931年までバウハウスで教鞭をとることになります。クレーが絵画研究に没頭し、芸術的に深化していく時期にはいっていきます。この作品のテーマ、人形劇もしばしば取り上げていきます。黒い背景に平面的なパーツを配置したような実験的な作品です。色彩の調和に注目しましょう。

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《俳優》。1923年、クレー44歳頃の作品です。舞台に立つ俳優が描かれていますが、俳優というよりも生意気なガキという感じで微笑ましく感じます。この作品でも暗い背景に暖色系の色彩を配置しているところが注目されます。

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《衣装と仮面を着けた女性》。1924年、クレー45歳頃の作品です。非常に繊細にデザインされた作品です。細い手足、細い首の女性がゆったりとしたエレガントな衣装で身を包み、仮面を着けた顔を横にずらしています。カールしたピンクの髪、ピンクのブーツなど、デフォルメした画面の中で、強調すべきところは細部を描き込んでいます。クレーが自分の絵画的なセンスをすべて注ぎ込んだような渾身の一作です。

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《円のなかの魚》。1926年、クレー47歳頃の作品です。まるで金魚鉢のような円形の中に色んな色彩の魚が描かれています。傑作、《金色の魚》(1925年、ハンブルク市立美術館)を連想しますね。《金色の魚》よりも地味ですが、なかなか、素晴らしい作品です。

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《グロテスクな劇場の小像》。1929年、クレー50歳頃の作品です。クレーはまだ、バウハウスの職に留まっていますが、時代は確実に不穏になってきています。クレーの不安な心理状態をこの絵から感じ取るのは間違いでしょうか。この世界恐慌の年の4年後にはナチスの弾圧により、クレーは長年住んだドイツからスイスへの亡命を余儀なくされます。

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《顔:滑稽なおばあさん》。1929年、クレー50歳頃の作品です。クレーはしばしば、人間の顔を画面いっぱいに様々な表情で描き込んでいます。この作品ではおばあさんがコミカルに描かれています。クレー独特の人間観察なのでしょうか。

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クレーのバウハウス時代の充実した作品がまだ、続きます。しかし、時代の不穏な足音は確実にクレーを追い詰めていきます。



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パウル・クレー・センター:バウハウス時代~デュッセルドルフ、そして、スイスへの亡命

2019年9月13日金曜日@ルツェルン~バーゼル~ベルン/7回目

ベルンBern郊外のパウル・クレー・センターZentrum Paul Kleeを訪れ、クレーの作品を鑑賞しています。制作年順にご紹介していますが、バウハウス時代の後期の作品を鑑賞中です。なお、年号の後ろのカッコ内の数字はクレーの作品に付けられた整理番号です。

《奇妙な劇場》。1929年(316)、クレー50歳頃の作品です。劇場の色んな様子を構成したものでしょうが、モノクロームのせいか、未完成のように思えます。

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《征服者》。1930年(129)、クレー51歳頃の作品です。幾何学模様や記号を組み合わせた抽象絵画にも見えますが、ちゃんと具象的なイメージも分かります。槍と旗を持った傲慢そうな征服者の姿が描かれています。ナチスが世界を席巻する姿を予見したのでしょうか。いずれにせよ、世界恐慌で不安な社会になった限界状況はクレーの絵画にも影響を与えない筈がありません。

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《仕事》。1930年(223)、クレー51歳頃の作品です。何か鬱屈したイメージの作品です。タイトルと照らし合わせると、仕事を活き活きとする姿ではなく、仕事に圧し潰される人間の苦しい姿が思い起こされます。この時代、町には失業者があふれかえっていました。

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《家族の散歩》。1930年(260)、クレー51歳頃の作品です。犬や子供を連れた家族の散歩が幾何学模様で描かれています。晩年の線画への萌芽を感じます。ゆったりした微笑ましい家族のシーンが描かれていますが、どことなく、不安なイメージも垣間見えます。

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ここまでがバウハウス時代の作品です。様々な挑戦をしながら、芸術の幅を広げた充実の時代でしたが、最後は暗い影も見えてきます。
この後は1931年から1933年までデュッセルドルフの美術学校の教授の職に就きました。スイス亡命前の最後のドイツ時代になります。


《襟(ネックレス)》。1932年(227)、クレー53歳頃の作品です。一見、ピカソ風のキュービズムを思わせますが、ここでは画面全体の淡い色彩に注目すべきでしょう。特に顔のピンクっぽい色彩が印象的です。男女のカップルのほのぼのとした愛情にも心が和みます。

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ここまでがスイス亡命前の作品です。クレーはナチス当局の様々の弾圧を受けて、生まれ故郷のスイスのベルンへの亡命を決意します。しかし、ドイツ国内の銀行口座は凍結され、亡命後は経済的に困窮することになります。しかも追い打ちをかけるように、亡命の2年後、原因不明の難病である皮膚硬化症を発症し、創作もはかどらなくなります。その亡命後の苦しい時代の作品を見てみましょう。

《悲嘆》。1934年(8)、クレー55歳頃の作品です。静かに喪に服す姿が見事な技法で描き出されています。タイル状の点描と大胆な線画の組み合わせはクレーの得意の手法で傑作《パルナッソス山へ》でも用いられました。しかし、ここにはあの輝きはなく、深い哀しみだけが見るものの心を打ちます。

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《創造主》。1934年(213)、クレー55歳頃の作品です。抽象的な模様だけが描かれています。クレーは創造主の姿を求めて、救いを探しているのでしょうか。これもある意味、哀切を極めるような作品です。

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《レディー・デーモン(悪魔)》。1935年(115)、クレー56歳頃の作品です。タイトルはおどろおどろしいですが、作品自体は剽軽な雰囲気を醸し出しています。この年の作品は極めて少ないです。

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5年ほど創作活動が低迷する時代が続きますが、1937年ごろにはふたたび、創作活動が活発になり、最後の頂点を迎えることになります。しかし、難病に侵されたクレーに残された時間は僅かです。その最後の2年間ほどに奇跡のような天使シリーズが生まれることになります。



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パウル・クレー・センター:クレー晩年の芸術的完成へ 1938年~

2019年9月13日金曜日@ルツェルン~バーゼル~ベルン/8回目

ベルンBern郊外のパウル・クレー・センターZentrum Paul Kleeを訪れ、クレーの作品を鑑賞しています。制作年順にご紹介しています。バウハウス時代、デュッセルドルフ時代を経て、スイス亡命後の創作活動低迷期の作品をご紹介したところです。なお、年号の後ろのカッコ内の数字はクレーの作品に付けられた整理番号です。

これからはクレーの最後の3年間、1938年、1939年、1940年の作品をご紹介します。天使シリーズなどの線画が中心です。

《母と子》。1938年(140)、クレー59歳頃の作品です。ピカソ風に描かれた愛情あふれる母と子の姿です。クレーの心情はすっかりと落ち着いていることが窺えます。西欧絵画でこのテーマの場合は聖母子を意識している場合が多いですが、この作品は宗教的には思えません。ほぼ2色で描かれた色彩表現も見事ですし、線画風の構図も素晴らしい作品です。

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《顔:老婦人》。1938年(218)、クレー59歳頃の作品です。うーん、これはまるで日本昔話に出てくるようなお婆さんのように見えます。素直にそのままの姿を感じるだけでよさそうです。

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《限定された権利放棄》。1938年(372)、クレー59歳頃の作品です。いよいよ、線画シリーズの始まりです。もちろん、クレーは体力的にも、凝った色彩画を描くのは辛くなったのでしょう。それでも、こういう線画で自己の芸術の完成を目指したところは、見るものを熱くし、共感させるものがありますね。この絵はクレーのあきらめの境地でも描いたものでしょうか。しかし、すべての権利を放棄したわけではなく、限りある人生を精一杯生きるというふうにも思えます。苦しい中で気持ちの整理がついてきたと感じます。頑張れ!クレー!

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《引っ繰り返された》。1938年(376)、クレー59歳頃の作品です。この絵は単純に人がすってんころりんとひっくり返った様を描いたものでしょうが、あの北斎漫画を連想するのはsaraiだけでしょうか。

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《あなたは滴っています(ずぶ濡れです)!》。1938年(470)、クレー59歳頃の作品です。これは女の人が何か、獣にぱっくりと食われそうになり、獣の口からのよだれで滴っている様が描かれているようです(全然、違うかもしれない?)。パニックするシーンでありながら、何か、ユーモアも感じます。これも漫画の世界ですね。

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《人形劇》。1939年(19)、クレー60歳頃の作品です。クレーはかってより、しばしば、人形劇をテーマに取り上げてきました。かっては片面的に人形劇のパーツを色彩豊かに描きましたが、それを線画でごく単純化したモティーフとして描いています。力尽きたクレーの姿とも言えますが、あくなき追及を止めないクレーに涙を禁じ得ません。

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《勇敢な女性のための動物》。1939年(20)、クレー60歳頃の作品です。妙なタイトルで妙な絵です。全体としては勇敢な女性の姿ですが、ただ、顔の一部は猛獣の顔になっています。どう解釈すればよういのか・・・。女性の中に猛獣らしさを見たのか、女性に猛獣のような野性の強さを与えたかったのか・・・。分かりません。

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《沼地で》。1939年(36)、クレー60歳頃の作品です。沼地の様々な生態を一枚の絵に構成しています。本来ならば、線画でなく、色彩と精密な構図で描きたかったのでしょうが、シンプルな線画でどこまで表現できるか、模索していたのでしょう。この苦しい時代になっても挑戦を止めないクレーの画家としての真骨頂が見られます。

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クレーに残された時間はもう1年ほどになりますが、驚くほど多作になるクレーです。多くの線画が続々と登場します。いよいよ、天使も登場しますよ。



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パウル・クレー・センター:クレー晩年の芸術的完成は天使シリーズ 1939年~

2019年9月13日金曜日@ルツェルン~バーゼル~ベルン/9回目

ベルンBern郊外のパウル・クレー・センターZentrum Paul Kleeを訪れ、クレーの作品を鑑賞しています。制作年順にご紹介しています。バウハウス時代、デュッセルドルフ時代を経て、スイス亡命後、クレーの最後の3年間、1938年、1939年、1940年の作品をご紹介しているところです。なお、年号の後ろのカッコ内の数字はクレーの作品に付けられた整理番号です。

これからはクレーの最後の1年間、1939年と1940年の作品をご紹介します。天使シリーズなどの線画が中心です。


《天上の愛》。1939年(219)、クレー60歳頃の作品です。二人の人間の天上の世界か、それとも二人の天使なのか・・・。傷つき倒れそうな女性を必死で支えようとしている男性のけなげな愛が描かれているように感じます。死期を悟ったクレーがシンプルに描いた愛情はこういうものでした。まるで仙人が描くような究極の絵画です。

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《困難な復活》。1939年(221)、クレー60歳頃の作品です。倒れた人を再生させようとしているか、キリストのように復活しようとしているのか・・・。いずれにせよ、復活は困難を極めます。クレー自身の苦境を描いたものなのでしょうか。これも天使シリーズに至る一作なのでしょう。

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《彼は彼女を傷つけるでしょう》。1939年(224)、クレー60歳頃の作品です。男性が鋭利なもので女性を一突きしようとしています。その事情も背景も分りませんが、単純な暴力ではないことは明白です。男性の存在自体が女性を傷つけているということをアイロニーを交えて描いたものだと推察されます。クレーの魂の叫びを聴く思いです。

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《哀れな発芽》。1939年(281)、クレー60歳頃の作品です。久々に線画ではない作品ですが、そのシンプルな作画は線画と同様なものです。植物の種の発芽に託して、人間の誕生の不条理、哀しさを表現したものでしょうね。見るもの、それぞれ、己の人生のありように思いをはせることになるような悲愴な作品です。

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《破壊された迷路》。1939年(346)、クレー60歳頃の作品です。線画でなく、色彩こそシンプルですが、精密な構図で描いた力作です。色んな解釈があるかもしれませんが、ここはクレーが晩年に描いた美しい抽象画として、そっと胸に収めておきたい作品です。

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《甘美な(豪華な女性)》。1939年(414)、クレー60歳頃の作品です。タイトルを気にしなければ、これは純然たる天使シリーズの一作ですね。タイトルを甘美な天使とでもしておきましょうか。女性の甘美さを湛えた、優しい天使です。

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《ピエロ、二人》。1939年(529)、クレー60歳頃の作品です。これもタイトルはともかくとして、天使シリーズの一作として認定できそうです。二人のピエロのように可愛い天使というのがsaraiのタイトル案です。クレーの線画はますます澄み切った心情になっていきます。こんなにシンプルな芸術を描いた人はいまだかっていませんね。

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《災害》。1939年(588)、クレー60歳頃の作品です。これも天使シリーズの一作に認定したい作品です。ねじくれた顔の天使・・・それがsaraiのタイトル案です。いまだ、クレーの天使シリーズの作画の意図は明白ではないそうですが、こうして見てくると、死期を悟ったクレーが苦しい心情をシンプルな線画で昇華させたものが天使シリーズの意味に思えてきます。

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クレーに残された時間はますます少なくなります。それでもこの後、クレーは執念のような生の炎を燃やして、1000枚ほどの作品を描きます。その中のほんの一部をご紹介していきます。



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パウル・クレー・センター:クレーは苦悩を超えて天使的表現へ 1939年~

2019年9月13日金曜日@ルツェルン~バーゼル~ベルン/10回目

ベルンBern郊外のパウル・クレー・センターZentrum Paul Kleeを訪れ、クレーの作品を鑑賞しています。制作年順にご紹介しています。バウハウス時代、デュッセルドルフ時代、そして、スイス亡命後の苦難の時期、さらにクレーの最後の3年間、1938年、1939年、1940年の作品をご紹介しているところです。なお、年号の後ろのカッコ内の数字はクレーの作品に付けられた整理番号です。

クレーの最後の1年間、1939年の作品を引き続きご紹介します。天使シリーズなどの線画が中心です。


《過ぎ去ったこと、しかし、痕跡がないわけではない》。1939年(661)、クレー60歳頃の作品です。微妙なタイトルの線画です。多分、もう既に若い時代を過ぎ去った女性が描かれているんでしょう。しかし、まだ、若かりし頃の美しさの影を残していて、クレーは愛情を込めて、この女性を描いています。若き日の夢を宿した天使・・・saraiのタイトル案です。

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《そのバカ》。1939年(663)、クレー60歳頃の作品です。鈴の付いた頭巾をかぶった人物がおどけているのかな? タイトルは意味不明ですが、きっと自虐的なのだとすれば、この人物はクレー自身だということになりますね。きっとユーモアなんでしょう。

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《空腹の少女》。1939年(671)、クレー60歳頃の作品です。よく、小学生か、幼稚園児の描いた絵と評される作品ですね。大芸術家たるクレーが無垢の精神に立ち返って、自分の精妙な筆さばきのすべてを封印して挑んだ野心作です。素朴派の画家たちでさえ、ここまでの作品は描けないでしょう。ある意味、クレーがそのキャリアーの最終地点で辿り着いた頂とも思える作品なのでしょう。クレーはこれが描きたくて、これまでの画業でもだえ苦しんだとも言えます。空腹の少女がそのあまりの空腹さ故に自分の手を食べてしまおうとするという恐ろしい題材をあえて、稚拙極まりない画法で、非現実化したものですが、題材自体のシリアスさはゆるぎない事実です。この時代のヨーロッパを擬人化したとも思えますし、もっと、人間の内面に迫る意味でも捉えられます。こういう作品は鑑賞者の芸術への感性次第で駄作にも超傑作にもなりうるという恐ろしい芸術性を秘めています。

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《保護者に守られて》。1939年(830)、クレー60歳頃の作品です。赤ん坊が保護者(母親でしょうか)の懐に包まれて、安らかに眠っているようなシーンが実に愛情豊かに描かれた見事な作品です。守られて幸せな天使・・・そういうタイトルも付けたくなりますね。これはきっとクレー自身の願いであり、叫びなのでしょう。

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《負荷》。1939年(837)、クレー60歳頃の作品です。これは描かれている通りのシンプルな作品です。重圧に打ちひしがれている人間の苦悩をそっと優しく描いています。圧し潰された天使・・・それがsaraiのタイトル案です。

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《残念ながらかなり下向き》。1939年(846)、クレー60歳頃の作品です。不幸のどん底にいるような人間をペーソスを感じさせるような軽みで描いた作品です。そういう意味では、一つ前の作品《負荷》と同様ですね。クレー自身の苦悩を線画にすることで和らげるものなのでしょう。辛い境遇にある人間に寄り添うような作品が続きます。残念な天使・・・saraiのタイトル案です。

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《真剣な表情》。1939年(857)、クレー60歳頃の作品です。線画ではありませんが、そのシンプルさでは同様なものです。植物的に描かれた顔の表情の何とも言えない寂しさに心を打たれます。線画ではありませんが、天使シリーズに加えてもよさそうな逸品です。寂しい天使・・・それしかないでしょう。

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クレーの作品は苦悩を増していき、そして、その苦悩を打ち消すように天使的に昇華していきます。クレーは残された時間の中で芸術的な高みに駆け上がっていきます。



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パウル・クレー・センター:クレーの描いた天使の傑作《泣いている》に共感!

2019年9月13日金曜日@ルツェルン~バーゼル~ベルン/11回目

ベルンBern郊外のパウル・クレー・センターZentrum Paul Kleeを訪れ、クレーの作品を鑑賞しています。制作年順にご紹介しています。バウハウス時代、デュッセルドルフ時代、そして、スイス亡命後の苦難の時期、さらにクレーの最後の3年間、1938年、1939年、1940年の作品をご紹介しているところです。なお、年号の後ろのカッコ内の数字はクレーの作品に付けられた整理番号です。

クレーの最後の1年間、1939年の作品を引き続きご紹介します。天使シリーズなどの線画が中心です。


《泣いている女性》。1939年(904)、クレー60歳頃の作品です。パブロ・ピカソが1937年に描いた《泣く女》という名作があります。奇しくもこの年、ピカソはスイス亡命中のクレーのもとを訪れて、苦境のクレーを励ましています。この作品はピカソの《泣く女》を極端に単純化したような作品です。明らかにこの作品はピカソの作品と関連がありそうです。ピカソの《泣く女》はあの傑作《ゲルニカ》中の亡き子を抱きしめて泣いている女と関連しています。クレーのこの作品を戦争の悲劇と関連付けるのは単純過ぎる発想でしょうか。

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《呪いの女性》。1939年(913)、クレー60歳頃の作品です。何とも複雑なフォルムの女性です。どこがどうなっているんだか・・・。辛うじて、画面上部にある手だけが判別できます。この複雑な形態が呪いということでしょうか。ともあれ、抽象画として見れば、なかなかの力作ですね。

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《私が持っている必要があります!》。1939年(940)、クレー60歳頃の作品です。ちょっと首を傾げて、何か考えている女性です。タイトルにある持っている必要のあるものって、何でしょう。前作の939番が《天使というよりむしろ鳥》という天使シリーズの作品なので、もしかしたら、この女性は天使志望で翼が欲しいのでしょうか。

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《最終的な失敗》。1939年(944)、クレー60歳頃の作品です。顔の表情以外は判別不可能な作品です。タイトルと照らし合わせると、顔の表情、それも目の感じにこの絵をひもとくヒントがありそうです。何か達観したような目の表情で、思いを遂げられなかった人生の終わりを予感しているようです。クレー自身の悔しさとそれを淡々と受け入れるような気持ちの整理が描かれているのでしょうか。

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《泣いている》。1939年(959)、クレー60歳頃の作品です。正真正銘の天使シリーズの登場です。ちゃんと天使の翼が描かれています。この泣いている天使は今日のsaraiの心情にあまりに寄り添ってくれる作品です。バーゼルで最愛の絵画と人生最後の対面という目的が果たせずに、悲しい思いのsaraiです。ともあれ、クレー自身は最後の創作意欲を高めて、こういう名作を晩年に量産しました。亡命先のスイスで体調もすぐれない中、生命の最後の炎を燃やした作品群の中の名作で、心に迫るものがあります。パウル・クレー・センターは1939年を中心とする優れた天使シリーズの世界最上のコレクションを誇ることで知られています。クレー好きにはたまらない魅力があります。そういうことをsaraiが言っていると、クレー好きを自任する配偶者から、あなたはいつからクレー好きになったのって、揶揄されます。だって、こういう素晴らしい作品を描いたクレーを好きにならないわけはないでしょう。

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《大きな帽子の下で》。1939年(1024)、クレー60歳頃の作品です。大きな帽子できょとんとした表情。翼は描かれていませんが、これは天使でしょう。大きな帽子の天使・・・saraiのタイトル案です。

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クレーは死の前年、1939年に創作の絶頂期を迎え、何と1年間で制作した作品数は1253点にも及びました。ここまで24点の作品をご紹介してきました。この後にクレーが描いたのは200点ほどです。そして、亡くなる1940年は400点ほど。クレーの画家人生で残りは計600点ほどです。次回はその中から数点をご紹介します。パウル・クレー・センターが所蔵する6000点にも及ぶ作品のごくごく一部を見たに過ぎませんが、十分にクレーの生涯を追えたような感じです。



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パウル・クレー・センター:クレーの最晩年の作品

2019年9月13日金曜日@ルツェルン~バーゼル~ベルン/12回目

ベルンBern郊外のパウル・クレー・センターZentrum Paul Kleeを訪れ、クレーの作品を鑑賞しています。制作年順にご紹介しています。バウハウス時代、デュッセルドルフ時代、そして、スイス亡命後の苦難の時期、さらにクレーの最後の3年間、1938年、1939年、1940年の作品をご紹介しているところです。なお、年号の後ろのカッコ内の数字はクレーの作品に付けられた整理番号です。

クレーの最後の1年間、1939年~1940年の作品をご紹介します。今回でパウル・クレー・センターの作品紹介は完了します。


《悲劇的なステップ》。1939年(1156)、クレー60歳頃の作品です。女性の歩みを簡明に描いています。この歩みが何か悲劇的な一歩になるんでしょうか。この頃の作品は時代の状況とクレー自身の境遇から、ほとんどが哀しいイメージの作品になっています。

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《抜け目のない計算》。1939年(1243)、クレー60歳頃の作品です。いかにもずるそうな人物が描かれています。しかも計算高い笑みをこぼしています。

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《意気揚々》。1939年(1251)、クレー60歳頃の作品です。タイトル通り、元気溌剌な人物が描かれています。しかし、画面の右側には喪服のような黒い衣服の女性も描かれています。元気そうに振舞っているクレー自身が描かれているようですね。もはや、クレーの余命は1年もありません。

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《失敗した逆立ち》。1939年(番号なし)、クレー60歳頃の作品です。タイトルの通り、逆立ちに失敗して、複雑な姿で倒れ込んでいる姿が描かれています。翼はありませんが、天使の姿と言ってもよさそうです。

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《ピエロと獣》。1940年(160)、クレー61歳頃の作品です。ピエロと言っても、これは天使のようです。小さな獣が天使の姿に驚いて、吠えて威嚇しようとしていますが、その獣を逆に天使が威嚇しています。何ものにも負けない不屈の精神を描き出そうとしています。

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《無題》。1940年(番号なし)、クレー61歳頃の作品です。太い線で描かれた作品です。ワニのような猛獣に襲われた人物が描かれています。万事休すの態です。クレーはこの年の6月29日に苦難に満ちた人生を終えます。

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《パペット人形》。1919年~1925年、クレー40歳~46歳頃の作品です。クレーは息子のフェリックスのために1916年から1925年の間に約50体のパペット人形を作りました。現在残っているのは30体ほどです。ここでは7体のパペット人形が人形劇と題して展示されていました。
左から順に制作年と作品タイトルは以下です。
 1921年、バグダッドの床屋
 1924年、黒い精霊
 1922年、鼻輪付き手袋の悪魔
 1919年、桂冠詩人
 1921年、サルタン
 1925年、俗物小市民
 1922年、エミー・"ガルカ"・シャイヤー像

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いつもながら、素晴らしい作品群が展示されていますね。バーゼルで気落ちしたsaraiもこのクレーの作品に大いに感銘を受けました。

会場ではチャップリンの無声映画も上映されています。『黄金狂時代』(1925年)でチャップリンが靴を煮て、ナイフとフォークで食べるシーンが印象的でした。これを見たお陰でこの後の旅でそれをテーマとしたチョコレートに遭遇して、その意味を理解できることになります。

帰りにsaraiは、是非クレーのポスターを買って帰りたいと思いますが、まだまだ先の長い旅。そんなものを持って、どうやって移動するつもりなのかと配偶者にたしなめられます。で、クレーの特徴的な天使の絵ハガキを購入して、我慢。これはその1枚。忘れっぽい天使(Vergesslicher Engel)です。1939年に描かれました。

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これで満足して、パウル・クレー・センターを出ます。ルツェルンに帰りましょう。



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ベルンから戻り、ルツェルン音楽祭のクルレンツィスとバルトリの初共演を堪能・・・天才芸術家同士の高次元の音楽に驚愕

2019年9月13日金曜日@ルツェルン~バーゼル~ベルン/13回目

ベルンBern郊外のパウル・クレー・センターZentrum Paul Kleeでクレーの作品をたっぷりと鑑賞しました。もう、午後2時過ぎです。そろそろ、ルツェルンLuzernに帰りましょう。
美術館の最寄りのバス停、パウル・クレー・センターZentrum Paul Kleeでベルン中央駅Bern Hauptbahnhof行の12番のバスに乗ります。車窓からはアルプスが見えています。

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バスが旧市街に近づき、アーレ川に架かるニーデック橋Nydeggbrückeを渡り出すと、バラ公園Rosengartenのある丘が見えます。

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駅前のバスターミナルに到着。聖霊教会 Heiliggeistkircheの前を通って、駅舎に向かいます。

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駅舎に入り、電車の時間を確認。20分ほどで3時発のルツェルン行きのIR(InterRegio:インターレギオ)が出ます。1時間ほどでルツェルンに着く最速の急行です。

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まだ、時間があるので、駅構内のスーパーを覗いてみます。美味しそうなお寿司がありますね。でも、これで3000円ほどの値段は高い! スイスの物価は異常です。とても買えません。

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何故か、日本のお酒もあります。でも、日本ではあまり見かけないお酒です。

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結局、飲み物だけを購入して、ベルン中央駅のホームにスタンバイ。あと10分ほどで電車が来るはずです。と、ホームの反対側に電車が入って来ます。乗客がぞろぞろと乗り込んでいきます。慌てて案内表示を見ると、ホームが変更になっています。直前にホームを変更するのは止めて! 結構混んでいて、一人の男性との相席になります。まあ、乗り遅れなかったことをよしとしましょう。
定刻の3時に発車したIRはすぐにアーレ川を渡って、ベルンの町を離れていきます。高い塔が見えますね。ベルン大聖堂でしょうか。

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電車が出発して10分ほどで、素晴らしい山並みが見えます。慌ててカメラを向けると、別の電車がやってきて、視界を遮られます。エエエエっと思っていると、すぐにその電車が過ぎ去ってくれて、何んとか山並みを写真に収めることができます。アルプスの雪をかぶった連峰が見えています。快晴ですからね。

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もちろん、その中心には、アイガー、メンヒ、ユングフラウの3山も望むことができます。

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ほっとしていると、相席の男性によかったねと言われ、本当に素敵な景色ですねとおしゃべりになります。手持ちのピーナッツを食べながら、景色を楽しんでいるうちに早くも中間の駅、ツォフィンゲン
Zofingenに到着。この電車はオルテンOltenは通らずに、より近いルートを走るようです。

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次の停車駅、ズールゼーSurseeに到着。次は終点のルツェルンです。

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この駅を出ると、車窓に湖が見えます。ゼンパハ湖Sempacherseeです。

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やがて、車窓にピラトゥス山Pilatusが見えてきます。

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ルツェルンに戻ってきました。
ところで、夜のコンサートのある時は、夕食を食べる時間がありません。コンサート前は早過ぎるし、終了後は遅過ぎるしね。ランチをしっかり食べれればよいのですが、今日のようにタイミングを外すとどうしようもありません。スーパーで、何か仕入れて帰りましょう。
駅からはバスに乗らずにぶらぶらとロイス川沿いを歩きます。折角の美しい風景を明るい陽光のもとで眺めたいからです。ロイス川に架かるカペル橋Kapellbrückeが見えてきます。

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カペル橋と対岸の街並みを眺めます。

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なんど見ても美しい橋ですね。

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橋は花で飾られています。橋の上は多くの観光客で賑わっています。

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カペル橋の隣に歩行者用の橋、ラートハウスシュテークRathausstegが架かっています。橋の先の対岸には、市庁舎Rathaus Stadt Luzernが見えています。

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ホテルに戻ってきました。スーパーで仕入れてきた今日の夕食はこれです。なかなかのものでしょう。

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お風呂に入り、コンサートのための正装に着替えて出かけます。

昨夜から、ルツェルン音楽祭のクルレンツィス&ムジカエテルナのモーツァルトのダ・ポンテ3部作の公演を聴いています。今日は番外編で、チェチーリア・バルトリとクルレンツィスの初共演で、モーツァルトのオペラのアリアを中心としたモーツァルト尽くしのコンサートです。
今日の席は、日本人のツアー客と一緒に並んだ席です。今回のルツェルン音楽祭には、日本から多くのツアー客が来ています。
さて、今日の演奏ですが、不世出の希代のメゾ・ソプラノのバルトリは常に驚異的な超絶技巧の歌唱を聴かせてくれます。今日も異次元の歌唱です。一方、クルレンツィスの天才はいつも超個性の音楽を聴かせてくれます。その二人が共演するとどうなるか・・・結果は最高のものでした。互いがリスペクトし合いつつも、己の音楽を貫きとおし、天才同士ならではの未曽有の音楽を作り出します。
恐るべし、クルレンツィス。そして、素晴らしきかな、バルトリ。このコンサートについての記事はここに書きました。

楽しい一夜になりました。
明日も明後日もクルレンツィス&ムジカエテルナのモーツァルトのダ・ポンテ3部作の公演が続きます。まさに音楽三昧の贅沢を味わい尽くします。



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究極のポリフォニー音楽、ロ短調ミサ曲は平和を希求する!:バッハ・コレギウム・ジャパン@東京オペラシティ コンサートホール:タケミツメモリアル 2020.9.20

今年はバッハ・コレギウム・ジャパンの創立30周年の年で、バッハの3大宗教曲が演奏されます。8月の素晴らしかったマタイ受難曲に続いて、今日はロ短調ミサ曲。この二つは特別な音楽で、西欧音楽の頂点に立つ作品です。コロナ禍の会場は人数が半数以下に制限されましたが、バッハをこよなく愛する聴衆が詰めかけました。そして、それにふさわしい最高の演奏を聴くことができました。

ステージ上は演奏者間の距離を開けるため、ステージをフルに使った配置。最後列はオーケストラが弧状に1列に並び、その前に合唱隊が2列に並びます。合唱隊の前列はソプラノとアルト。後列はテノールとバスです。前回のマタイ受難曲と同様の配置ですが、音の響きの広がりが素晴らしく、納得の響きです。演奏者間の距離が広がり、合わせるのが難しい筈ですが、名人たちの集団はこの配置の演奏を完璧にマスターしたようです。コロナ禍の賜物ですが、今後もこの配置がよいのではと思ってしまいます。

今日の演奏は、何と言っても、合唱のフーガの演奏の素晴らしい響きが聴きもので、合唱、古楽オーケストラ、通奏低音のポリフォニーの極致を極める清冽で迫力のある音響に魅せられました。海外演奏家の来日が遠のいている現在、日本人だけの演奏で世界最高レベルのバッハが聴けるのは何と嬉しいことでしょう。

今日の演奏をかいつまんで概観してみましょう。

第1部. ミサ(キリエ (Kyrie)とグロリア (Gloria))

第1曲はKyrie eleison . 五部合唱です。まず、冒頭のキリエと歌われる合唱の素晴らしい響きに魅了されます。その後、器楽合奏を挟み、素晴らしい合唱のフーガが展開され、そのフーガの織りなす綾とそれを支える通奏低音の響き、古楽器のオーケストラの響きが混然一体にになり、ポリフォニーの究極を味わわせてくれます。こんな音楽はほかにありません。

第2曲はChriste eleison. 二重唱(ソプラノ1、2)です。ヴァイオリンの明澄な響きに乗って、ソプラノの美しい響きが聴けます。澤江衣里の美しい声はまずまずです。

第3曲はKyrie eleison. 四部合唱です。これは終始素晴らしい演奏。第1部では最高の演奏でした。合唱のフーガの素晴らしさに圧倒されました。感動でうるうる状態になります。

第4曲はGloria in excelsis. 五部合唱です。トランペットが響き渡り、晴れやかな合唱に心が浮き立ちます。終盤の高潮は圧倒的です。

第5曲はEt in terra pax. 五部合唱です。平和を希求する静謐とも思える音楽に深い感銘を覚えます。

第6曲はLaudamus te. 若松夏美の素晴らしいヴァイオリンオブリガートに聴き惚れます。そのヴァイオリンに先導されて、アリア(ソプラノ)が歌われます。澤江衣里の美しい声にうっとりとします。

第7曲はGratias agimus tibi. 四部合唱です。相変わらず、素晴らしい響きです。その響きの明澄さに心洗われる思いです。

第8曲はDomine Deus. 二重唱(ソプラノ、テノール)です。フラウト・トラヴェルソの明澄で素朴な響きが最高です。菅きよみ、前田りり子のコンビの演奏は見事です。

第9曲はQui tollis peccata mundi. 四部合唱です。しみじみとした感動の合唱です。

第10曲はQui sedes ad dexteram Patris. 三宮正満の名人芸のオーボエ・ダモーレに聴き惚れます。オーボエ・ダモーレに伴奏されて、アリア(アルト)が歌われます。布施奈緒子の歌唱はまずまずです。

第11曲はQuoniam tu solus sanctus. 日高剛の素晴らしいコルノ・ダ・カッチャのオブリガートが素晴らしいです。コルノ・ダ・カッチャはホルンの古楽器で、演奏が超難しそうです。アリア(バス)は加耒 徹の歌唱ですが、これもまあまあですね。

第12曲はCum Sancto Spiritu. 五部合唱です。第1部の最後を飾る壮麗な音楽です。終盤の圧倒的なアーメンに感動します。

ここで休憩です。後半は第2部以降です。後半は前半以上の素晴らしい音楽でした。細部の感想は省略します。力尽きました。


第2部. ニケーア信経 (Symbolum Nicenum)

第3部.サンクトゥス(Sanctus)

第4部.ホザンナ、ベネディクトゥス、アニュス・デイとドナ・ノビス・パーチェム(Hosanna, Benedictus, Agnus Dei)

後半の合唱は前半と同様の感想ですが、ますます、素晴らしい響きでした。ベネディクトゥスのテノールの西村 悟のアリアは素晴らしいですが、それ以上にフラウト・トラヴェルソの菅きよみの独奏は素晴らしいの一語。アニュス・デイの布施奈緒子のアリア歌唱も美しいものでした。圧巻だったのは最後の第27曲の合唱。Dona nobis pacem.(我らに平和を与えたまえ)。清澄さの限りを尽くした最高の歌唱はバッハの名作を締めくくるのにふさわしいものでした。最後はトランペットも加わって、全器楽と合唱が高らかに平和を願いながら、壮麗に音楽を閉じました。


BCJのロ短調ミサ曲がこんなに素晴らしいのだったら、マタイ受難曲と同様に毎年、演奏してもらいたいものです。


今日のプログラムは以下です。


  指揮:鈴木 優人
  ソプラノⅠ:澤江衣里
  ソプラノⅡ:松井亜希
  アルト:布施奈緒子
  テノール:西村 悟
  バス:加耒 徹
  フラウト・トラヴェルソ:菅きよみ、前田りり子
  オーボエ:三宮正満、荒井豪、森綾香
  コルノ・ダ・カッチャ:日高剛
  ヴァイオリン(コンサートマスター):若松夏美
  チェロ:山本徹
  ヴィオラ・ダ・ガンバ:福沢宏
  合唱・管弦楽:バッハ・コレギウム・ジャパン


J. S. バッハ

《ミサ曲 ロ短調》 BWV 232

第1部

 《休憩》

第2部~第4部


最後に予習について、まとめておきます。

3枚組のLPレコードを聴きました。

 カール・リヒター指揮ミュンヘン・バッハ管弦楽団&合唱団 1961年
  マリア・シュターダー、ヘルタ・テッパー
  エルンスト・ヘフリガー、キート・エンゲン、
  ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ

かなり古い演奏ですが、今でもその価値は永遠のものです。独唱者の顔ぶれが凄いです。このLPレコードとリヒター盤のマタイ受難曲のLPレコードを聴くためにレコードプレーヤーと真空管アンプを持っているようなものです。



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テーマ : クラシック
ジャンル : 音楽

       バッハ・コレギウム・ジャパン,  

ルツェルン散策:リギ山登山ならず・・・街歩き

2019年9月14日土曜日@ルツェルン

旅の11日目、ルツェルンLuzernの4日目です。

今日も朝から雲がどんよりと立ち込めています。雨にはなりそうにはありませんが、リギ山Rigiもピラトゥス山Pilatusもまったく見えません。今日はリギ山に登ってみようと思っていました。リギ山にはヨーロッパ最古と言われる登山電車が走っています。が、残念ながら曇り空。こんな日に登ってもな仕方がありませんね。ともかく、今日、1日を一緒に過ごす予定の友人のSteppkeさんと落ち合うためにルツェルン駅まで、ぶらぶら歩いて向かいます。ロイス川Reuss河畔の道では土曜市が開かれています。

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新鮮な野菜も並んでいます。

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切り花も並んでいます。

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ルツェルン駅に着き、駅地下のパン屋さんでパンを買って、朝食です。

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駅前で待ち合わせの友人、Steppkeさんと無事に合流。相談の結果、リギ山に上るのは断念。さっさと予定変更。街歩きをしましょう。代案のワーグナー博物館とローゼンガルト・コレクションを中心に軽く街歩きをすることにします。とりあえず、駅前のバスターミナルの自動販売機でバスの1日券を購入します。

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これが購入したチケット。1人8.2スイスフランです。

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まずは教会巡り。ロイス川を渡った先にある聖レオデガー・イム・ホーフ教会Hofkirche St. Leodegarに行きましょう。駅前から、フィーアヴァルトシュテッテ湖Vierwaldstättersee(ルツェルン湖Lake Lucerne)越しに教会の2本の尖塔が見えています。

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あの辺りは歩いたことがないので、バスに乗らずに歩いていきましょう。ロイス川の一番湖寄りに架かっている大きな橋、ゼーブリュッケSeebrückeを渡ります。ルツェルン・カルチャー・コングレスセンターKultur- und Kongresszentrum Luzernとフェリー乗り場が見えます。

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橋を渡り終えて、湖岸沿いの道を歩きます。目の前はフィーアヴァルトシュテッテ湖が広がります。

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道の先、まっすぐ正面に聖レオデガー・イム・ホーフ教会の2本の尖塔が見えます。

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教会の姿がどんどん大きくなってきます。真ん中には時計塔もありますね。

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ザンクト・レオデガー通りSt. Leodegarstrasseを進み、教会前の石段に着きます。石段の上に教会が聳えています。

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石段を上がると、教会前の広場です。

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教会に向かって進みます。堂々たる構えの教会の建物ですね。古い建物は1633年のイースターの火災で焼け落ちて、現在の建物は1644年までに再建されました。1633年の焼けた建物はゴシック様式でしたが、再建された現在の建物は後期ルネサンス様式です。

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これは尖塔の屋根の下の鉄細工の窓がある部分です。

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時計塔の丸天井の門の前に立ちます。

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門の上には、2つの窓の間に美しく彩色された竜を退治する大天使ミカエルの像があります。その下には、真ん中の紋章(ルツェルンと双頭の鷲)の左右に教会の守護聖人、聖レオデガーと聖マウリティウスの像が立っています。

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さあ、教会の中に入ってみましょう。



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ルツェルン散策:聖レオデガー・イム・ホーフ教会

2019年9月14日土曜日@ルツェルン/2回目

予定していたリギ山Rigi登山登山は曇天のため、断念して、ルツェルンの街歩きをしています。まずは教会巡りです。
聖レオデガー・イム・ホーフ教会Hofkirche St. Leodegarを訪れているところです。早速、教会の内部に入ります。丸天井の門を抜けると、意外にあっさりした後期ルネサンス様式の身廊が広がり、正面には豪華な内装の主祭壇が見えます。身廊は全長60m、高さ20mとほどほどの大きさです。

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身廊を進むと、まず、目を惹くのは手の込んだ装飾が施された木製の説教壇です。

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後ろを振り返ると、パイプオルガンが見えます。1648年に作られたパイプオルガンは何度も修復されて、現在も美しい音を響かせているそうです。5949本のパイプと84本の音栓から成り、1648年に鋳造されたパイプは最大で高さ10メートル、重さ383キロです。

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天井を見上げると、ヴォールトと交差線が軽やかな印象を刻んでいます。

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中央の祭壇前に立ちます。内陣障壁は格子細工になっており、16世紀に作られたキリスト十字架像が取り付けられています。この十字架像は燃えさかる火災のなかから救い出されたものです。内陣障壁のずっと奥に主祭壇が見えますが、これ以上近寄れないので、詳細を見ることはできません。

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これは右側廊を振り返って眺めたところです。この教会は3廊式の構造になっています。

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別の角度から内陣障壁を眺めます。奥の主祭壇が垣間見れます。主祭壇画はオリーブ山で祈りを捧げるキリストが描かれています。

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左脇祭壇の豪華な彫刻です。

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右脇祭壇のこれまた豪華な彫刻です。

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左側廊です。正面には祭壇が見えています。オルガン付きの聖母被昇天の彫刻があります。

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内部の見学を終えて、外に出ます。
ところで、教会に入るときに、同行の友、Steppkeさんが教会のパンフレットを貰ってくれました。そして、彼はそっとお布施を置いていました。なるほど、そうするものなのですね。
これがいただいたパンフレット・・・何と日本語版です。有名観光地でもなかなかない日本語版のパンフレットがここにはありました。驚きです。

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教会を出ると、教会前の広場に何やらイタリア式回廊のようなものがあります。

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回廊に近づくと、回廊の中に、立派なお墓が並んでいます。教会にゆかりの人たちのお墓でしょうか。

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比較的、最近、亡くなった人も葬られています。お花が美しく供えられています。

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回廊の前の芝生の広場も、よく見ると、お墓が並んでいます。そして、美しい花で飾られています。教会付属の墓地だったんですね。

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傍らには教会の尖塔が屹立しています。

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墓地になっている小さな広場から短い石段を下ると、教会前の大きな広場に出ます。聖人像が立っています。

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さて、ここからロイス川河畔のほうに戻って、別の教会に行ってみましょう。



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ルツェルン散策:フランシスコ教会

2019年9月14日土曜日@ルツェルン/3回目

予定していたリギ山Rigi登山登山は曇天のため、断念して、ルツェルンの街歩きをしています。まずは教会巡りです。
聖レオデガー・イム・ホーフ教会Hofkirche St. Leodegarの見学を終えて、元来た湖岸沿いの道をロイス川の河口に向けて、戻ります。湖岸に大きな建物があります。5つ星ホテルのホテル・シュヴァイツァーホフHotel Schweizerhof Luzernです。残念ながら、写真を撮り忘れました。このホテルはリヒャルト・ワーグナーがルツェルンLuzernのトリプシェンに定住する前に半年間滞在していたホテルです。
ロイス川の河口付近のシュヴァーネン広場Schwanenplatzの前に高級ジュエリー&腕時計の販売店『ブッフェラー』BUCHERERの大きな建物が見えます。ここにちょっと寄っていきましょう。もっともここで高級腕時計を買うのではありません。ここにロレックス製の安価なスプーンセットという面白いものがあることを、友人のSteppkeさんに教えてもらったからです。お店の中に入ると、それは高級そうな、実際、とても高価な腕時計が複数のフロアにずらりと並んでいますが、どこを探しても、安価な土産物など見当たりません。ここにはそんなものは置かなくなったのかなあ・・・。すると、配偶者だけは諦めずにお店の人にスプーンのことを尋ねます。すると、そのお店の人がフロア(多分、5階)の片隅に置いてあるスプーンセットの棚に案内してくれます。やったね! ありました。6個セットで25スイスフランです。配偶者は孫へのお土産にそれを1セット購入。すると、おまけでスプーン1個、付けてくれます。それがこれ。確かにロレックスの銘と王冠のマークが付いています。そして、ルツェルンという文字も刻印されています。このほかにジュネーヴなどの文字が刻印されたスプーンなどもあります。我が家にはおまけでもらったスプーン1個のみがあります。

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さて、高級時計店を出て、ロイス川の河畔に出ます。さっきはロイス川の一番湖寄りに架かっている大きな橋、ゼーブリュッケSeebrückeを渡りましたが、今度は有名なカペル橋Kapellbrückeを渡りましょう。
橋に上がって、川岸を見ると、こちらのほうでも土曜市をやっています。川の両側で土曜市をやっているんですね。

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カペル橋は木造で屋根がある橋です。

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天井には3角形の板に絵が描かれています。

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対岸に渡り終えて、川岸からカペル橋の姿を眺めます。

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橋を下りたところにルツェルン劇場Luzerner Theaterがあり、上演予定の演目が書かれています。多彩な演目です。

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賑やかな界隈を抜けていきます。

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そして、ロイス川の河畔のイエズス会教会Jesuitenkircheのお隣のフランシスコ教会Katholische Franziskanerkircheに向かいます。イエズス会教会は以前、訪れたので、今回はパスです。ちょっと探しましたが、すぐにフランシスコ教会が見えてきます。

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フランシスコ教会です。ただし、こちらは裏側ですね。

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入口を探して、中に入ります。すぐにパイプオルガンが目に飛び込んできます。

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天井には豊かな色彩のフレスコ画が描かれています。

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この教会の説教壇も豪華な造りです。

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内陣に向かって、綺麗な花が飾られています。

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内陣脇の祭壇も美しい大理石で作られています。

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主祭壇を覗き込みます。手前には合唱隊席があります。

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これはマリアの祭壇。聖母子像が飾られています。

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近づいてみましょう。素晴らしい祭壇です。

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いかにもバロック風の豪華な彫刻です。

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こちらの祭壇は壁と天井がスタッコ装飾でシックな感じです。

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祭壇画はやはり、聖母マリアと幼子イエスです。

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こんなモダンなものもあります。お布施(寄進)用の入れ物でしょうか。

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この教会はスイスで一番美しいゴシック教会とのことですが、内部の装飾はバロック風ですね。中をさっと見て、外に出ます。これが入口です。扉の上は美しいフレスコ画で装飾されています。

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教会の前庭も落ち着いた佇まいです。

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教会巡りはこれでお終い。前回見たイエズス会教会と合わせて、ルツェルンを代表する3つの教会を見ることができました。

次はローゼンガルト・コレクションSammlung Rosengartに行ってみましょう。ピカソとクレーの膨大なコレクションがあるそうです。



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ルツェルン散策:ローゼンガルト・コレクション~クレーの名作 1913年-1917年

2019年9月14日土曜日@ルツェルン/4回目

予定していたリギ山Rigi登山は曇天のため、断念して、ルツェルンの街歩きをしています。まず、教会巡りから始めました。聖レオデガー・イム・ホーフ教会Hofkirche St. Leodegarとフランシスコ教会Katholische Franziskanerkircheを訪れて、教会巡りは完了。
次は美術館。ローゼンガルト・コレクションSammlung Rosengartに行ってみます。ピカソとクレーの膨大なコレクションがあるそうです。ピラトゥス通りPilatusstrasseをルツェルン駅のほうに向かって歩いていくと、左手に美術館のモダンな建物が見えてきます。さすがに20世紀の作品を所蔵する美術館にふさわしい外観だと思いますが、実のところ、この建物は旧スイス銀行の建物だったそうです。

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建物の正面はとても美術館だとは分からない外観ですが、1階の窓の上に、ピカソ、ミロ、クレーの名前が並び、その横にローゼンガルト・コレクションSammlung Rosengartの名称がさりげなく書かれています。

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これが美術館の入り口です。お洒落ですね。

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シニアチケットを購入して入館です。シニアチケットは16スイスフラン。通常チケットは18スイスフランですから、2スイスフランの割引です。

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これが美術館のパンフレット。ピカソとアンジェラ・ローゼンガルトの写真の上にピカソ、クレーなど、この美術館に収蔵されている23人の画家の名前が書かれています。名前の大きさに注目しましょう。大きく書かれているのは、ピカソ、クレー、ミロ、マティスで、次いで、ブラック、セザンヌ、モネ、シャガール、ボナールが大きく書かれています。これだけでこの美術館のコレクションの内容が想像できます。なお、このローゼンガルト・コレクションはルツェルンの画商のジークフリード・ローゼンガルトと娘のアンジェラ・ローゼンガルトが収集し、特に気に入って、最後まで手元に置いた作品が元になっています。この美術館の作品はアンジェラ・ローゼンガルトがルツェルン市に寄贈したものです。

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最初に結果から言えば、この美術館は当たりでした。入ってビックリ。1階に展示されているピカソの作品も膨大です。32枚の油絵、その他、デッサンや水彩などがおよそ100点。しかし、圧巻だったのは地下に展示されているパウル・クレーの125点のコレクション。ともかく、素晴らしいです。あまり見たこともない作品も多く、昨日に引き続き、物凄く楽しめます。配偶者に言わせると、すべてのクレーが素晴らしかったとのことですが、saraiはとりわけ、5点ほどの素晴らしい作品が心に残りました。是非、このコレクションの素晴らしさをブログでお伝えしようと思い、ローゼンガルト・コレクションのほとんどの作品が収められている分厚くて重い画集を購入しました。写真撮影は不可だったんです。これからまだまだ旅は続くのにどうするのかと配偶者は頭を捻っていますが、結局、不承不承、重い荷物を購入することに同意してくれます。ありがとう! そして、ごめんなさい!
ピカソはまだ、死後50年経っていないので、著作権があり、ブログで公開するのは不可です。それに今まで知らなかったのですが、TPP協定のなかにアメリカ基準の著作権70年に合わせるというのがあり、TPPからアメリカが離脱したにも関わらず、2018年12月30日に発効したTPP協定のため、日本でも著作権は死後70年になりました。改悪ですね。ピカソの著作権は20年延びることになり、本ブログでも今後、ピカソの作品をご紹介するのは控えましょう。クレーは1940年に亡くなったので、70年基準でも著作権は切れています。ちなみにTPP協定以前に50年の著作権が切れたものは70年に延長後も著作権は復活しません。ただ、ブログはインターネットで世界に発信しているので、70年基準に合わせるという話もありますが、当ブログは日本語オンリーなので、日本基準に合わせさせてもらいましょう。このあたりは微妙なところではありますけどね。非営利で文化的なものは著作権フリーにしてくれないかなあ・・・。
このローゼンガルト・コレクションの関係では、ピカソのほかに著作権にひっかるのは、シャガール、ミロ。
50年基準でOKなのは、ブラック、レジェ、デュフィ、ルオーです。クレーを始め、他の画家は70年基準でOKです。その方針でローゼンガルト・コレクションの作品をご紹介しましょう。

とりあえず、クレーの作品をピックアップします。この美術館に所蔵されているクレーの作品は、クレーの転機となった1914年春から夏にかけてのチュニジア(北アフリカ)旅行の頃の作品から最晩年1940年に及ぶ膨大なものです。これらの作品が地下1階の展示室にほぼ制作年順に展示されています。順にsaraiが気に入った作品を見ていきましょう。なお、制作年の後ろの括弧の中の数字はその年の作品番号です。

《混乱を見つめる》。1913年(195)、クレー34歳頃の作品です。馬のような顔が混乱した画面のなかに優し気な目で何かを見つめています。なんとセンスのよい作品なんでしょう。クレーならではの名作です。チュニジア旅行の前年の作で色彩が抑えられていることが特徴です。

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《創造する頭脳》。1914年(16)、クレー35歳頃の作品です。抽象的な作品です。幾何学的なパーツで構成されています。この年、チュニジア旅行に出かけますが、この作品の地味な色彩の構成からみて、旅行前の作品なのでしょう。

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《チェニス近郊のサン・ジェルマン》。1914年(37)、クレー35歳頃の作品です。チュニジアに旅行し、チュニス近郊のサン・ジェルマンに3日間滞在したときの経験はクレーに大きな転機をもたらしました。「色彩は、私を永遠に捉えたのだ」という言葉が日記に残されているように、鮮やかな色彩に目覚めました。構図は青騎士風ですが、原色に近い色遣いに注目しましょう。

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《2つの東洋風(オリエンタル)の水彩》。1914年(56)、クレー35歳頃の作品です。まるで色彩実験のような2枚組の作品です。素材は具象的な風景か、街並みのようですが、それは興味の外で、画面の色彩構成に夢中になっているクレーの姿が見えるようです。

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《先史時代の動物を伴う風景》。1917年(145)、クレー38歳頃の作品です。激しい構図、激しい色彩の奔流のなかに鳥や恐竜のような動物が配置されています。単純な構図をもとに抽象的な色彩が荒れ狂っています。クレーの作品ではあまり見ないようなパターンの挑戦的な作品に驚かされます。第1次世界大戦に従軍している頃に描かれたということも影響しているのかもしれません。親友のフランツ・マルクも前年に戦死して、クレーは大きな衝撃を受けていました。動物と言えば、マルクが多く描いたものですから、クレーはどこか、心の深いところでマルクへのオマージュを描いたのでしょうか。

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クレーの素晴らしい作品群を夢中で鑑賞しています。saraiはもちろん、配偶者もね。膨大な作品は複数の展示室にあふれんばかりです。



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ルツェルン散策:ローゼンガルト・コレクション~クレーの名作 1918年-1920年

2019年9月14日土曜日@ルツェルン/5回目

ルツェルンLuzernの街歩き中で、ローゼンガルト・コレクションSammlung Rosengartに立ち寄っています。ピカソとクレーの膨大なコレクションを楽しみました。そして、クレーの作品をピックアップして、ご紹介しているところです。クレーの転機となった1914年のチュニジア(北アフリカ)旅行のちょっと前の作品からチュニジア旅行中、その後の1917年までの作品を見てきました。
これから、1918年の作品から、順にsaraiが気に入った作品を見ていきます。なお、制作年の後ろの括弧の中の数字はその年の作品番号です。

《散歩している女の子》。1918年(41)、クレー39歳頃の作品です。淡い色彩の水彩とペンで描かれたシンプルな具象作品です。しかし、単なる具象的作品ではなく、抽象的な要素もミックスしているのがこの頃のクレーの特徴です。おさげ髪の少女が可愛いですね。クレーが第1次世界大戦に従軍した終わり頃の作品ですが、戦争の影はまったく見られません。チュニジア旅行での強い色彩もおさまり、色んな意味で落ち着きが感じられます。

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《最初の動物たち》。1919年(216)、クレー40歳頃の作品です。紫色で統一した画面は美しい抽象画の世界です。しかし、よく見ると、その抽象的な画面の中に先史時代の動物が配置されています。鳥や恐竜たちは抽象的な形態に変容されて、不思議な一体感を醸し出しています。クレーは第1次世界大戦への従軍は前年に終えて、この年、ミュンヘンの画商ゴルツと契約を結び、新進気鋭の画家として、世の中に頭角を現してきました。この作品も傑作と言って、間違いないレベルの作品です。

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《にわとりと擲弾兵のいる絵画》。1919年(235)、クレー40歳頃の作品です。暗いけれどもはっきりした色調で構成された画面は抽象絵画そのものですが、そこに部分的に具象的な要素を組み込んだクレー独特の絵画手法が光ります。画面中央の上部ににわとり、下部に擲弾兵を配置しています。今風に言えば、抽象絵画と具象絵画をミックスしたハイブリッド絵画で、両方のテーストが楽しめます。擲弾兵を描いたのは前年に終結した世界大戦の記憶がまだ強烈だったからでしょう。青騎士時代の同志、マッケとマルクが戦死した記憶は決して、消え去ることはないでしょう。

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《秋のハーモニー》。1920年(86)、クレー41歳頃の作品です。チュニジアの鮮やかな色彩で秋のイメージを抽象絵画でまとめた作品です。画面の左右に木の幹を描き、単なる抽象絵画で終わらせないクレーの意思がみてとれます。画家の矜持でしょう。

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《決して欲しがらない子供がそこにいる》。1920年(88)、クレー41歳頃の作品です。大きな帽子を被ったお洒落をした女の子が画面の中心におり、顔の周りの空間は綺麗な赤で塗られています。何かを辛抱している様子ですが、華やぐような雰囲気も醸し出されています。画家の温かい眼差しが感じられるファミリアな作品です。具象的なモティーフを用いて、画面を大きく分割した色彩構成に挑んだ作品です。この年はミュンヘンのゴルツの画廊でクレーの大回顧展が開かれ、時代の最前線の画家として広く知られるようになります。

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《機械としてのドラゴン》。1920年(111)、クレー41歳頃の作品です。タイトルを見なければ、幾何学的なパーツを配置した抽象絵画と見てしまうでしょう。しかし、クレーが目指すのはハイブリッド絵画です。灰色と黒の背景の上に鮮やかな色彩で不思議な形のドラゴンを描いています。それだけでは飽き足らなかったようで、画面の上と下にグラデーションする緑の帯を描き加えて、画面全体の色彩的な調和を図っています。

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《アスコナ》。1920年(160)、クレー41歳頃の作品です。アスコナは、スイス・ティチーノ州のマッジョーレ湖の汀にある南スイスの中世風の観光地です。ジャズのフェスティバルやクラシックの音楽祭が開かれます。アスコナの背後の丘「モンテ・ヴェリタ」(Monte Verità、直訳すれば「真理の山」)に、20世紀初頭、自然への復帰を目的とした菜食主義者たちのコロニーが作られ、多くの芸術家が訪れました。クレーもその一人です。
この作品はアスコナの街並みを色彩のパッチワークで描いています。青騎士風のスタイルを思い起こさせます。この時期頃から、カンディンスキーとの交遊も盛んになります。カンディンスキーの影響も感じられます。

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この年にヴァルター・グロピウスの招聘を受け、翌1921年から1931年までバウハウスで教鞭をとることになります。ある意味、クレーの芸術の頂点を極める時代になります。次はそれらの作品群を見ていきます。



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川久保賜紀は好演・・・しかし、東京交響楽団はどうした!@サントリーホール 2020.9.26

今日のコンサートも海外からの音楽家の来日中止の影響で、日本人による代演となりました。とりわけ、期待していたアリーナ・イブラギモヴァのヴァイオリンが聴けないのが残念です。かくなる上は川久保賜紀のヴァイオリンに期待するしかありません。ずいぶん前に川久保賜紀の演奏を聴いて、saraiの好みに合わないので、切り捨ててきた経緯があります(川久保賜紀のファンのかた、ごめんなさい!)。実は何を聴いたかも忘れるくらい昔の話です。今の川久保賜紀はどうなんだろうと不安に思いつつ、演奏に臨みました。今日はショスタコーヴィチのヴァイオリン協奏曲 第1番ですから、日本人演奏家が比較的、取り組みやすい音楽です。日本人音楽家、それもヴァイオリンとなると、世界的な水準でいっても、最高レベルの技術は当たり前の感があります。あとは音楽性の問題だけです。今日のショスタコーヴィチの協奏曲では第1楽章と第3楽章にとてつもない音楽性が要求されます。それにもうひとつの問題点があります。これは聴く側のsaraiにあります。当ブログでも書きましたが、今年の1月に同じ曲を庄司紗矢香のヴァイオリンで聴きましたが、それが物凄い演奏で大変に感動したんです。

 庄司紗矢香の空前絶後のショスタコーヴィチに驚愕! サロネン&フィルハーモニア管弦楽団@東京芸術劇場 2020.1.28

庄司紗矢香の魂の歌とも思える超絶的な演奏でした。これ以上の演奏は世界中の誰にも無理でしょう。そういうものを今年、聴いたばかりなので、今日の演奏の前に大きな壁として、庄司紗矢香が立ちはだかるんです。
前置きが長くなりましたが、今日の演奏のことについて述べましょう。一言で言えば、不安に思っていたことは払拭されました。川久保賜紀のヴァイオリンは技術的に完璧で、何よりリズム感がよく、一番の美点はヴァイオリンの響きが美しいことです。ダブルストップのあたりの演奏に彼女のよさが一番出ていました。それに自然で素直な音楽表現にも好感が持てました。結果的に大変、満足できました。第3楽章の後半あたりでも感銘を受けました。が、もちろん、庄司紗矢香のように魂を揺さぶられるということはありません。それはそれでいいでしょう。色んな音楽の形、表現がありますからね。

後半はバルトークの《管弦楽のための協奏曲》です。現在、saraiの一押しのオーケストラ、東響の最上の演奏を期待していました。オーケストラがその腕前を披露するのに、これ以上の曲目はありませんからね。ヨーロッパの一流オーケストラにも比肩するような演奏をしてきた東響にとって、saraiを驚愕させることくらい、簡単なことでしょう。しかしながら、その期待は水泡に帰しました。もちろん、東響の地力を発揮して、それなりの演奏は聴かせてくれました。が、それ以上のものは聴けませんでした。今日からコロナ禍で続けていたSD(ソーシャルディスタンス)対応の座席配置は終了し、全座席が開放されました。そういう気の緩みもあったんでしょうか。鉄壁のアンサンブル、弦パートの美しい響きは最後まで聴けませんでした。何かの事情で十分なリハーサルが積めなかったとしか思えません。あるいは10月に予定されていたジョナサン・ノット指揮の目玉コンサートが中止になったことも影響しているのかしらね。

やはり、東響のレベルをここまで引き上げてきた音楽監督のジョナサン・ノットの1日も早い来日が望まれます。海外音楽家の渡航許可は日本の文化振興にとっての急務であることを声を大にして、訴えたいと思います。

今日のプログラムは以下です。

  指揮:尾高忠明(リオネル・ブランギエの代演)
  ヴァイオリン:川久保賜紀(アリーナ・イブラギモヴァの代演)
  管弦楽:東京交響楽団  コンサートマスター:グレブ・ニキティン

  リャードフ:交響詩「魔法にかけられた湖」Op.62
  ショスタコーヴィチ:ヴァイオリン協奏曲 第1番

   《休憩》

  バルトーク:管弦楽のための協奏曲 Sz.116


最後に予習について、まとめておきます。

1曲目のリャードフの交響詩「魔法にかけられた湖」は以下のCDを聴きました。

 ヴァシリー・シナイスキー指揮BBCフィル 2000年4月12-13日 マンチェスター、ニュー・ブロードキャスティング・ハウス セッション録音

美しく、まとまった演奏です。


2曲目のショスタコーヴィチのヴァイオリン協奏曲第1番を予習したCDは以下です。

  リサ・バティアシュヴィリ、エサ=ペッカ・サロネン指揮バイエルン放送交響楽団 2010年5月 ミュンヘン、ヘルクレスザール セッション録音
  ヒラリー・ハーン、マレク・ヤノフスキ指揮オスロ・フィルハーモニー管弦楽団 2002年、オスロ セッション録音

バティアシュヴィリの美しい響きの演奏は完璧に思えました。しかし、22歳のヒラリー・ハーンの演奏を聴くと絶句します。そのクールな演奏はこの曲の真髄の迫るものに思えました。ヒラリーの青春の残像です。以前聴いたオイストラフもさすがに初演しただけのことはあり、最高の演奏だった記憶があります。


3曲目のバルトークの《管弦楽のための協奏曲》は以下のハイレゾ音源を聴きました。

 フリッツ・ライナー指揮シカゴ交響楽団 1955年10月22日、シカゴ、オーケストラ・ホール セッション録音
 
とても古い演奏ですが、いまだに決定盤の地位は揺るぎません。ハイレゾで音質も素晴らしく、最新録音にも負けません。saraiが学生時代に衝撃を受けたのがこのLPレコードでした。併録されていた《弦と打楽器とチェレスタのための音楽》はさらに素晴らしい演奏で、これもいまだに決定盤の地位は揺るぎません。50年も座右に置き、繰り返し聴いている名盤中の名盤です。



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ジャンル : 音楽

 

ルツェルン散策:ローゼンガルト・コレクション~クレーの名作 1921年-1922年

2019年9月14日土曜日@ルツェルン/6回目

ルツェルンLuzernの街歩き中で、ローゼンガルト・コレクションSammlung Rosengartに立ち寄っています。ピカソとクレーの膨大なコレクションを楽しみました。そして、クレーの作品をピックアップして、ご紹介しているところです。ここまで、1913年から1920年までの作品を見てきました。
これから、1921年の作品から、順にsaraiが気に入った作品を見ていきます。なお、制作年の後ろの括弧の中の数字はその年の作品番号です。

《神殿》。1921年(119)、クレー42歳頃の作品です。隈取のはっきりした黒い線で神殿の輪郭を描き、水彩で明るい色彩を施しています。具象と抽象の微妙な混在で美しい画面が構成されています。この年から、クレーは1931年まで10年ほど、バウハウスで教鞭をとることになります。様々な絵画技法に挑戦して、クレー独自の世界を確立していく黄金時代に入ります。

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《彼に私への接吻をさせなさい(歌集より)》。1921年(142)、クレー42歳頃の作品です。水彩で色付けした紙の上にペンとインクで詩が書かれています。文字と色彩を融合した作品を試行しています。実験的な作品です。

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《櫛をさした魔女》。1922年(83)、クレー43歳頃の作品です。鉛筆で描かれたデッサンのような線画の作品です。晩年に花開く天使シリーズの線画を予感させます。線画で描かれた可愛い魔女は天使的でさえあります。

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《ハートのクイーン》。1922年(63)、クレー43歳頃の作品です。鉛筆と水彩で描かれた色鮮やかなトランプのカードです。クレーは完全に絵画上で遊んでいますね。くすっと笑って鑑賞するのがよいでしょう。しかし、画面を四角く区分して、彩色を施して、その上にクイーンを配置・融合させた技法は見事です。

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《火の風》。1922年(17)、クレー43歳頃の作品です。重厚な色彩の油絵作品です。画面からこちらに向けて、強い風が吹き付けてきます。画面全体を覆う赤い色調は火のイメージなんですね。平面の絵で立体的な動きを表現しようとしたのかな。赤と緑の太い矢印を配したのは、これも動きを表現する実験のひとつでしょうか。

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《バレエからエオリアン・ハープへの断片》。1922年(87)、クレー43歳頃の作品です。これも絵画のなかに動きを表現した作品です。バレエの踊り手はまるで紙っぺらのように風にそよいで何かに変容しようとしています。それが風の楽器、エオリアン・ハープのように見えます。音楽好きなら誰でも知っている、ショパンの「エチュード 変イ長調 Op.25-1」、通称、《エオリアン・ハープ》をクレーが意識しているのは間違いないでしょう。この曲の通称はショパンが付けた題名ではなく、シューマンがこの曲を評して、「まるでエオリアンハープを聞いているようだ」と言ったといわれています。ショパン⇒シューマン⇒クレーという変遷でこの作品が成り立っているのも面白いですね。もっとも、これは、音楽(ヴァイオリン)でプロ級の腕前を持っていたクレー、ピアニストだったクレーの妻から、saraiが勝手に想像しただけのことで、まったくの誤解かもしれません。でも、この絵を見ながら、ショパンの有名な《エオリアン・ハープ》を聴くのも一興でしょう。

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1922年の作品はこの美術館に多く所蔵されていて、鑑賞はまだまだ続きます。



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ルツェルン散策:ローゼンガルト・コレクション~クレーの名作 1922年

2019年9月14日土曜日@ルツェルン/7回目

ルツェルンLuzernの街歩き中で、ローゼンガルト・コレクションSammlung Rosengartに立ち寄っています。現在、クレーの作品をピックアップして、ご紹介しているところです。ここまで、1913年から1922年までの作品を見てきました。
これから、1922年の作品の続きから、順にsaraiが気に入った作品を見ていきます。なお、制作年の後ろの括弧の中の数字はその年の作品番号です。

《花の面貌》。1922年(88)、クレー43歳頃の作品です。鉛筆で輪郭を描き、水彩で色付けした作品です。画面の中央上部にシンプルに描かれた花の顔だけが明るくて、それ以外は沈んだ色調でまとめられています。抽象的に描かれた具象画ですが、花を擬人化したのか、人の顔を花に見立てたものか、謎と言えば、謎のような作品です。まあ、これがクレーの世界ですね。

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《11月の夜の冒険の記憶》。1922年(90)、クレー43歳頃の作品です。水彩でクレーのお得意の矩形に区切られた画面を暗い色彩で描いた抽象的な作品です。絵のタイトルからは、絵との関連は分かりませんが、クレーの心のうちに残る記憶なのでしょう。この暗い色調はクレーの重い内面を示すのでしょう。唯一の具象はハートマークです。クレーの心の象徴なのかな。

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《美しく着飾った人物:デッサン》。1922年(94)、クレー43歳頃の作品です。鉛筆で描いたデッサンです。ファッショナブルに着飾った女性が描かれています。実はこれは次にご紹介する作品のデッサンなのですが、このデッサンだけでも線画として成立していますね。まるで天使シリーズのようです。

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《美しく着飾った人物》。1922年(91)、クレー43歳頃の作品です。くっきりした輪郭線の上を白い色調の水彩で明るく描いています。上のデッサン画と見比べると、デッサン画の完成度がいかに高いかに驚かされます。お洒落な帽子に力点が置かれ、頭部に比べて、体が極端に小さく描かれています。丸く描かれた顔の赤と青の目、真っ赤な唇が何とも可愛いですね。それにしても画面全体が素晴らしい白で塗られて、ふちの部分が赤茶色で装飾された色彩感覚の見事さには魅了されるばかりです。傑作です。

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《神秘的なミニチュア》。1922年(156)、クレー43歳頃の作品です。クレーの素晴らしい色彩感覚が結実した傑作です。画面全体を赤い色の水彩で見事にまとめあげています。いくつかの具象的なパーツが配置されていますが、そういう細部には関係なく、全体の構成感、色合いの統一感で魅力たっぷりの作品です。いつまでも見続けたいという気持ちを持たせてくれる、心地よさがあふれています。

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ここまでが1922年の充実した作品群でした。バウハウス時代にはいり、クレーの絵画はますます、光り輝くようになってきました。次からは1923年の作品になります。



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ルツェルン散策:ローゼンガルト・コレクション~クレーの名作 1923年

2019年9月14日土曜日@ルツェルン/8回目

ルツェルンLuzernの街歩き中で、ローゼンガルト・コレクションSammlung Rosengartに立ち寄っています。現在、クレーの作品をピックアップして、ご紹介しているところです。ここまで、1913年から1922年までの作品を見てきました。
これから、1923年の作品から、順にsaraiが気に入った作品を見ていきます。なお、制作年の後ろの括弧の中の数字はその年の作品番号です。

《青色=オレンジ色のハーモニー》。1923年(58)、クレー44歳頃の作品です。暗く沈んだ色調の油彩画です。矩形に区切られた面が暗色で塗られているだけの純粋な抽象画です。ただ、色彩のハーモニーだけに力点が置かれています。タイトルにあるように青色とオレンジ色が主ではありますが、その色のイメージにあるような輝くような色ではなくて、とても暗い色のハーモニーです。画家の内面を示しているのでしょうか。この時期のクレーは順風満帆だったはずですが・・・。

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《倉庫街(あるいはキャンプ)の通り》。1923年(146)、クレー44歳頃の作品です。ほぼ、単色で描かれた水彩画です。通りの両側の建物は極端に単純化されて、一種の幾何学模様のようです。茶色一色の濃淡だけで塗り分けられた画面は統一性のある景色を作っています。通りを歩く女性二人を配することで画面に温もりを与えています。妙な魅力がある作品です。

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《解放された扉のパースペクティブ(遠近感のある眺め)》。1923年(143)、クレー44歳頃の作品です。上の作品と似たような作品です。ほぼ同時期に描かれたものでしょう。遠近法できっちりと描かれた形象が目に心地よく感じますが、むしろ、茶色で塗られた色の濃淡の微妙な味わいがこの絵の中心的な魅力です。禁欲的な描き方ですが、立ち上る絵心に心を奪われます。

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《2重のテント》。1923年(114)、クレー44歳頃の作品です。一転して、レインボーカラーで色鮮やかに描かれた作品です。左右にほぼ同じ構成の絵を少しずらして、鮮烈な色で描かれた上下の三角形のテントの色彩効果を楽しむ仕掛けです。画面の中央縦に切断線のようなものが見えますね。多分、同じ絵を2枚描いて、少しずつずらして、ちょうど塩梅のよさそうなところで貼り合わせたのでしょう。実験的な作品です。

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《エロス》。1923年(115)、クレー44歳頃の作品です。上の作品とは姉妹作のようです。三角形を色分けすることが主題にあります。ただ、この三角形はテントではなく、ピラミッドのように見えます。しかし、タイトルから想像すると、人体の一部を意識しているようです。ピラミッドの頂点付近は上からの逆さ三角と重なり、重なった部分の中央が薄くオレンジ色のひし形に塗られています。下からの2つの黒い矢印が指し示すのはこのオレンジ色の菱形で、ここに絵の重心があることを示しています。タイトルのエロスとは、この部分に相違ないでしょう。それが何か・・・見るものが想像するだけです。
ピラミッドの色彩の変容と調和が美しいですね。

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《自身で武装するフィオルディリージ》。1923年(95)、クレー44歳頃の作品です。ちょっと見ると男性かと思いましたが、帽子を被った巻毛の女性ですね。で、タイトルを見て、はっとします。これって、モーツァルトのオペラ、ダ・ポンテ三部作の《コジ・ファン・トゥッテ》の一場面ではありませんか。ちょうど、明日の夕方、ここルツェルンの音楽祭で聴く予定のオペラです。
この絵で描かれているのはオペラの第2幕、許婚者が戦場に出かけているときにプリマドンナのフィオルディリージが別の男に言い寄られて、まさに心が折れてしまいそうになるとき、その気持ちを断ち切るように、フィオルディリージは貞節を守るために恋人のいる戦場へ行こうと決意し軍服をまとう場面です。女性の悲愴な覚悟がこの絵に描かれています。でも、結局、ここに言い寄る男が現れて、その気持ちは折れてしまうという何とも微妙で切ない女心までがこの絵には込められているような気がします。ちなみに大きな帽子は軍帽でしょう。フィオルディリージの大きな目・鼻・口が印象的です。うーん、いいときにいい絵を見ました。

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2年後に上のデッサン画はリトグラフに水彩でスプレーされて完成画として結実します。リトグラフですから、同じ絵が何枚か、あるのでしょう。

《コミック・オペラ歌手》。1925年(225)、クレー46歳頃の作品です。まさに題材も絵の構成も上の作品の通りです。ただ、スプレーされた赤い水彩絵の具のグラデーションはこの絵の本質を明らかにしています。女性の内から燃え上がる性へのあくなき情熱、そして、そういう女性に惹かれる男たちの性の願望をモーツァルトの名作オペラのストーリーを題材に描き尽くしています。ちなみにこのモーツァルトのオペラはその不道徳性から、作曲された当時からまったく人気のないオペラで、かのワーグナーは自身の不道徳的な女性遍歴(人妻との不倫等)にもかかわらず、このオペラを酷評しています。このオペラが再評価されたのは20世紀になってからですが、それでもフィガロなどのオペラに比べて、まだ、評価は低いようです。しかし、saraiはこのところ、立て続けにこのオペラの名演を聴き、今や、最高に好きなモーツァルトのオペラになっています。そして、明日の鬼才クルレンツィスの公演を聴き、このオペラの真価を確信するに至ります。もしかして、クレーもこのオペラの真価をこの時代に見抜いていたのでしょうか。天才芸術家は天才の作品の本質を知っていたとすると・・・何か、ぞくぞくします。

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《風光明媚な人相》。1923年(179)、クレー44歳頃の作品です。顔が風景の一部と化したシュールな作品です。まずは変形された顔が面白いですね。よくよく見ないと、この絵のそこかしこに仕掛けられたものを見逃しそうです。レンガ色の水彩1色で描かれていますが、照りつける太陽の存在感には色合いも感じてしまいそうです。チュニジア旅行で鮮やかな色彩に目覚めたクレーもこの時期には、その色彩をあえて封印して、単色だけでも色彩感を表せることに挑戦しているようです。

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ここまでが1923年の充実した作品群でした。バウハウス時代も2年を過ぎ、クレーは同僚にカンディンスキーを迎え、一時はアトリエも共有し、絵画理論の探求に突き進みます。クレーの絵の世界は次第に頂点に向かっていきます。クレーの精緻で構成感に満ちた作品が次々と生まれていきます。



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ルツェルン散策:ローゼンガルト・コレクション~クレーの名作 1924年

2019年9月14日土曜日@ルツェルン/9回目

ルツェルンLuzernの街歩き中で、ローゼンガルト・コレクションSammlung Rosengartに立ち寄っています。現在、クレーの作品をピックアップして、ご紹介しているところです。ここまで、1913年から1923年までの作品を見てきました。
これから、1924年の作品から、順にsaraiが気に入った作品を見ていきます。なお、制作年の後ろの括弧の中の数字はその年の作品番号です。

《忠実な家来たちの城》。1924年(133)、クレー45歳頃の作品です。青く塗られた画面にリズミカルな文様が描かれています。ちょっと見ると音楽の五線譜のような感じでもあります。タイトルの意味を勘案すると、幾重にも重なった城壁を無数の兵が守っているようにも見えます。絵の示す意味合いはともかくとして、文様で画面を装飾する新たな表現形式への挑戦です。

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《古い町から》。1924年(268)、クレー45歳頃の作品です。どこかの古い町の景観を鉛筆でデッサンしたものです。縦横の直線を多用して、幾何学的な模様を作り上げています。この年は画面全体を精緻に描き上げて、統一的な構成感で表現する技法を目指しているようです。

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《海のそばの断崖》。1924年(230)、クレー45歳頃の作品です。風景を極端にデフォルメして、複雑なフォルムに分解し、独特の色彩感覚で各フォルムに多様な色付けした作品です。断崖の岩の質感を見事に表現しています。クレーらしい素晴らしい作品です。この色彩のハーモニーにうっとりしてしまいます。自然をモティーフにして、画家の内面でこんなに美しい心象風景が再構成できることに感銘を覚えます。

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《カーテン》。1924年(129.C)、クレー45歳頃の作品です。極端に縦に細長い画面の作品です。幾何学的なパターンだけが描かれたシンプルな抽象画です。《忠実な家来たちの城》と同様のリズミカルな文様で画面を描き尽くすという手法に挑戦しているシリーズの一作です。

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《破壊されたエジプト》。1924年(178)、クレー45歳頃の作品です。パッと見て、連想するのは画面全体に描かれた象形文字みたいな文様です。その上でタイトルを読むと、エジプトとあります。煉瓦か、古びたパピルス紙に書かれた象形文字をイメージしているようです。クレーはこの4年後に長期に渡るエジプトへの旅を実現させています。この頃から、古い歴史を刻んだエジプトへの並々ならぬ興味や憧憬があったようです。

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《ステンドグラス風》。1924年(290)、クレー45歳頃の作品です。画面全体が真四角の点でびっしりと覆われています。その四角は様々な色で塗られています。大半は暗色ですが、ところどころに黄色などの明るい色が輝きます。とてもタイトルのステンドグラスとは程遠い雰囲気です。逆説的に描いたものなのでしょう。クレーの心の内にある暗闇はほんの少しだけ、希望の光を宿しています。

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この年はクレーの絵画への様々な模索が続きます。その模索がやがて結実する日がきますが、芸術家の苦闘の跡は作品から見てとれる通り、苦悩に満ちたものです。



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首都圏の様々なジャンルのクラシックコンサート、オペラの感動をレポートします。在京オケ・海外オケ、室内楽、ピアノ、古楽、声楽、オペラ。バロックから現代まで、幅広く、深く、クラシック音楽の真髄を堪能します。
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 ≪…長調のいきいきとした溌剌さ、短調の抒情性、バッハの音楽の奥深さ…≫を、長調と短調の振り子時計の割り振り」による十進法と音楽の1オクターブの12等分の割り付けに

08/04 21:31 G線上のアリア

じじいさん、コメントありがとうございます。saraiです。
思えば、もう10年前のコンサートです。
これがsaraiの聴いたハイティンク最高のコンサートでした。
その後、ザル

07/08 18:59 sarai

CDでしか聴いてはいません。
公演では小沢、ショルティだけ

ベーム、ケルテス、ショルティ、クーベリック、
クルト。ザンデルリング、ヴァント、ハイティンク
、チェリブ

07/08 15:53 じじい@

saraiです。
久々のコメント、ありがとうございます。
哀愁のヨーロッパ、懐かしく思い出してもらえたようで、記事の書き甲斐がありました。マイセンはやはりカップは高く

06/18 12:46 sarai

私も18年前にドレスデンでバームクーヘン食べました。マイセンではB級品でもコーヒー茶碗1客日本円で5万円程して庶民には高くて買えなかったですよ。奥様はもしかして◯良女

06/18 08:33 五十棲郁子

 ≪…明恵上人…≫の、仏眼仏母(ぶつげんぶつも)から、百人一首の本歌取りで数の言葉ヒフミヨ(1234)に、華厳の精神を・・・

もろともにあはれとおもへ山ざくら 花よりほか

通りすがりさん

コメント、ありがとうございます。正直、もう2年ほど前のコンサートなので、詳細は覚えておらず、自分の文章を信じるしかないのですが、生演奏とテレビで

05/13 23:47 sarai
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