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ルツェルン散策:ローゼンガルト・コレクション~クレーの名作 1930年-1932年

2019年9月14日土曜日@ルツェルン/12回目

ルツェルンLuzernの街歩き中で、ローゼンガルト・コレクションSammlung Rosengartに立ち寄っています。現在、クレーの作品をピックアップして、ご紹介しているところです。ここまで、1913年から1929年までの作品を見てきました。
これから、1930年の作品から、順にsaraiが気に入った作品を見ていきます。なお、制作年の後ろの括弧の中の数字はその年の作品番号です。

《選ばれた者の子供時代》。1930年(186)、クレー51歳頃の作品です。クレーは10年ほど教鞭を執ってきたバウハウスをあと1年ほどで去ることになります。時代はどんどん歩みを速め、暗黒への転落を続けていきます。クレーはバウハウス時代の残り、それまでと同様に様々な表現スタイルの拡張を図っていきます。しかし、この作品はとても暗い! 誰かの子供時代は暗闇に包まれています。選ばれし者とは誰のことか・・・ヒントは画面の左上の描かれている六芒星(ヘキサグラム)、あるいはダビデの星です。明らかにユダヤ人を指しています。クレーはユダヤ人ではありませんが、ナチスの台頭とともにユダヤ人は迫害されるようになります。そして、この3年後にはクレー自身、ナチスから、ユダヤ人の烙印を押されて、攻撃対象にされます。そのときのクレーの言葉は心に沁みます。「このような下らぬ泥仕合にかかわり合うのは私の本意ではない。仮に私がガリシアからきたユダヤ人であったとしても、私の人格と業績の価値になんの影響もないだろう。だからユダヤ人や外国人が土着のドイツ人に決して劣るものではないという私の見解を捨ててはならぬ。さもなければ私自身を永遠の愚か者にすることになるだろう。これらの権力者どもに迎合しょうとして悲喜劇的な人物になるよりは、どんな個人的な不快でも忍んだほうがましだ」
この暗い作品は自分の未来を予測していたかのようにも見えてしまいます。芸術家の直観だったのでしょうか。

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《ロマンティックな公園》。1930年(280)、クレー51歳頃の作品です。この作品もそのタイトルにもかかわらず、どこか暗い翳がさしていますね。フォルムの複雑さ、色彩の多彩さ、それを統合した素晴らしいバランスの構図の傑作です。こういう具象と抽象の狭間で、微妙で繊細な感覚の作品を描けるのはクレーと彼が敬愛していたピカソくらいしか、いないでしょう。細部のフォルムの意味を読み解くよりも、この絵画のイメージ全体の雰囲気をじっと見ながら味わうことが鑑賞者にとって、何よりもし幸せな時間になります。

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《Gitの遺跡》。1931年(155)、クレー52歳頃の作品です。この年、クレーは長年職に就いていたバウハウスを辞して、デュッセルドルフの美術アカデミーの教授の職に就きます。ドイツに滞在できる期間もあとわずか2年となります。そういう時期に、遂にこういう点描法的なスタイルが登場します。ビザンティン美術のモザイク画に源流を発するようにも思えます。古代の遺跡を描くには最適とも思える手法です。この表現スタイルは翌年に描かれる、クレーの最高傑作《パルナッソス山へ》につながります。こういう作品を描く背景には、1928年から1929年のエジプト旅行で見た古代遺跡が強烈に脳裏に残っていたことが想像されます。

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《日の出前の風景》。1931年(256)、クレー52歳頃の作品です。クレーのこういう絵は初めて見ました。印象派のモネが描いた《印象・日の出》を想起させるような作品です。モネが空気感を描いた手法を徹底すると、こうなるんじゃないかとも思えてしまいます。青い大気の中、画面中央に明るんでくるオレンジ色が滲んでいます。クレーが風景を抽象的に描くとこうなります。これまた傑作です。この路線をおしすすめていくとどんな絵画が登場したんでしょう。

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《ラグーン(浅い海)の上の町》。1932年(63)、クレー53歳頃の作品です。この年、クレーは最高傑作《パルナッソス山へ》を描きます。わずか2年のデュッセルドルフ時代はクレーにとってはナチスからの迫害も強まる辛い時代でしたが、そういうことに芸術創造は影響されずに輝かしい頂点を迎えます。この作品も以前から描いていたボーダー柄の表現スタイルの集大成ともなる傑作です。抽象的でありながら、ラグーンの町の風景が明快に見えてきます。そして、レインボーカラーに塗り分けられたボーダーの美しい色彩に魅了されます。ラグーンの町って、イタリアのベネチアでしょうか。光り輝く作品にひととき、目を惹き付けられます。

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1930年から1932年までの素晴らしい作品群を見てきました。バウハウス時代の最後の頃からデュッセルドルフ時代にかけての目覚ましい芸術業績でした。翌年はナチスにより、デュッセルドルフの職を解かれ、その年いっぱいはドイツに留まりますが、身の危険を感じて、年末にスイスに亡命することになります。激動と苦難の時代にクレーは最後の芸術創造に身を削っていくことになります。



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首都圏の様々なジャンルのクラシックコンサート、オペラの感動をレポートします。在京オケ・海外オケ、室内楽、ピアノ、古楽、声楽、オペラ。バロックから現代まで、幅広く、深く、クラシック音楽の真髄を堪能します。
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08/04 21:31 G線上のアリア

じじいさん、コメントありがとうございます。saraiです。
思えば、もう10年前のコンサートです。
これがsaraiの聴いたハイティンク最高のコンサートでした。
その後、ザル

07/08 18:59 sarai

CDでしか聴いてはいません。
公演では小沢、ショルティだけ

ベーム、ケルテス、ショルティ、クーベリック、
クルト。ザンデルリング、ヴァント、ハイティンク
、チェリブ

07/08 15:53 じじい@

saraiです。
久々のコメント、ありがとうございます。
哀愁のヨーロッパ、懐かしく思い出してもらえたようで、記事の書き甲斐がありました。マイセンはやはりカップは高く

06/18 12:46 sarai

私も18年前にドレスデンでバームクーヘン食べました。マイセンではB級品でもコーヒー茶碗1客日本円で5万円程して庶民には高くて買えなかったですよ。奥様はもしかして◯良女

06/18 08:33 五十棲郁子

 ≪…明恵上人…≫の、仏眼仏母(ぶつげんぶつも)から、百人一首の本歌取りで数の言葉ヒフミヨ(1234)に、華厳の精神を・・・

もろともにあはれとおもへ山ざくら 花よりほか

通りすがりさん

コメント、ありがとうございます。正直、もう2年ほど前のコンサートなので、詳細は覚えておらず、自分の文章を信じるしかないのですが、生演奏とテレビで

05/13 23:47 sarai
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