フィーアヴァルトシュテッテ湖Vierwaldstättersee(ルツェルン湖)のほとりのトリプシェンTribschenの丘の上にリヒャルト・ワーグナー記念館Richard Wagner Museumの建物は佇んでいます。前庭のテラス席での休憩を終え、ワーグナーの旧邸に足を踏み入れます。すぐに上階に続く階段が目に入ります。これが見たかったんです。この階段でジークフリート牧歌が演奏されたのは有名な話ですね。ロマンティックな思いにかられます。

1870年8月25日にワーグナーはハンス・フォン・ビューローと正式に離婚したコジマとルツェルンのマテウス教会で結婚式をあげました。そして、1970年12月25日、コジマの誕生日であるクリスマスの朝、極秘裏に準備した17名の楽団員がこの階段に並び、ワーグナーの指揮のもと、コジマが2階の寝室から出てくるのに合わせて、ジークフリート牧歌を非公開初演しました。演奏が終わった後、ワーグナーはコジマにこの曲の総譜をバースデープレゼントとして、捧げました。前年には長男ジーグフリードも生まれていました。長女イゾルデ、次女エヴァはコジマとともに何度もこの曲のアンコール演奏をリクエストしたそうです。
階段の横には古いポスターが張られています。ワーグナーの没後50年を記念して、ベルリン国立歌劇場Staatsoper Unter den Lindenで開催されたチクルスのポスターです。

チケットを買って入館します。これが記念館のパンフレット。ドイツ語と英語が併記されています。

日本語の2ページの説明パンフレットもいただけました。日本人のワグネリアンも多く訪れているようです。

ワーグナーはこの地で1866年から1872年まで愛妻コジマと過ごしました。楽劇《ニュルンベルクのマイスタージンガー》もここで書かれました。その後、バイロイトに移住します。ワーグナーの芸術の完成の大きなステップはここで始まりました。その記念すべき旧邸の跡を見学しましょう。
ロマンティックな絵があります。フランツ・シュトラッセンという画家が描いた《トリスタンとイゾルデ》です。

ここはサロンです。ワーグナーのエラール社製グランドピアノは、現在置かれている場所と同じ場所に置かれていたそうです。

これはワーグナーのデスマスクですね。

これはサロン(あるいはバイロイト?)にいるワーグナー夫妻ですね。

エラール社製グランドピアノです。仕事用にはルードヴィヒ2世から贈られたベヒシュタインのピアノで作曲していました。

ワーグナーの肖像画です。

ガラスケースにはワーグナーの楽譜が陳列されています。

これはコジマの肖像画ですね。

これはコジマとリヒャルト・ワーグナーが見つめあうシーンです。コジマが椅子に座っているのは彼女が大柄だったからのようです。ワーグナーは身長167㎝と小柄でした。意外ですね。

これはバイロイトでのワーグナーの集いです。左端に長男ジークフリードを片手で抱くコジマ、その一人置いて、右にワーグナー、中央右でピアノに向かうのはフランツ・リスト(コジマの父)、リストの後ろから覗き込むのは指揮者ハンス・リヒター(バイロイトでのニーベルンゲンの指輪の初演を指揮)など、錚々たる顔ぶれです。一番左端には画家フランツ・フォン・レンバッハもいますね。彼はワーグナーやコジマの肖像画も描いています。

この椅子はワーグナーの椅子?

これはマティルデ・ヴェーゼンドンクの胸像です。彼女はワーグナーがチューリヒで援助を受けていた豪商ヴェーゼンドンクの妻でしたが、ワーグナーと恋に落ち、不倫関係に陥りました。この不倫の恋は『トリスタンとイゾルデ』のきっかけとなり、またマティルデの詩をもとに歌曲集『ヴェーゼンドンクの5つの詩』が作曲されました。コジマとも不倫でしたから、ワーグナーは恩人や知人の妻と不倫を重ねたわけです。このあたりのモラル感は理解できませんね。しかし、ワーグナーはこういう不倫をばねに芸術上の飛躍を遂げたのも事実です。

コジマとリヒャルト・ワーグナーに始まる家族の家系図です。この家族がバイロイト祝祭劇場でのバイロイト音楽祭の歴史を支えてきました。とりわけ、孫のヴィーラント・ワーグナーとヴォルフガング・ワーグナーの果たした役割は偉大でした。現在はリヒャルト・ワーグナーの曾孫にあたるカタリーナ・ワーグナーが総監督、クリスティアン・ティーレマンが音楽監督を務めています。

最後にもう一度、有名な階段を眺めます。

記念館を出て、フィーアヴァルトシュテッテ湖のほとりを散策しましょう。
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