カルカソンヌの城塞都市ラ・シテla Citeのコンタル城Château Comtalを訪れ、城壁の上に上って、眺めを楽しんでいます。
今はコンタル城を後にして、城壁の上を歩いて、城塞都市の周りを廻っています。
雄大な城壁が続いています。

城壁の上の散策も目の前に大きな城門、ナルボンヌ門Porte Narbonnaiseが見えています。ちょうど、コンタル城の反対側です。城塞都市を囲む城壁をほぼ半周したことになります。

町並みの甍の波の向こうにコンタル城の姿が見えています。

ナルボンヌ門の前に立ちます。実に頑強な城門です。

後ろを振り返ります。ナルボンヌ門の一つ手前の巨大な城塔が聳え立っています。

入り組んだ城壁や塔の景観は世界遺産にふさわしいものです。たっぷりと城壁の上の散策を楽しみました。
ナルボンヌ門で城壁の上から下ります。下にはラ・シテの目抜き通り、クロ・メルヴィエイユ通りRue Cros Mayrevieilleが見えます。

城壁を下りてきた階段を見上げます。

その階段があったナルボンヌ門です。

ナルボンヌ門の下を抜けるアーチです。城門の分厚さが分かります。アーチを抜けると、2重の城壁の間に出ます。

ナルボンヌ門から続く城壁を下の路地から眺めます。ヨーロッパでもこれほどの城壁が残っている町はほとんどありません。

ナルボンヌ門を抜けて、2重の城壁の間に出ます。この城壁は凄いですね。ラ・シテは2重の城壁に囲まれて、その城壁は3㎞に及びます。ヨーロッパ最大規模の城塞です。その2重の城壁に囲まれた道に立っています。

ナルボンヌ門の先の濠に架かる橋を渡って、2重の城壁の外に出ました。

プラド広場Place du Pradoに出て、ナルボンヌ門を城壁の外から眺めます。

門の前に奇妙な胸像があります。カルカス婦人Buste de Dame Carcasの胸像です。これは伝説に過ぎないようですが、カルカソンヌの町を支配していたサラセン人の王バラクがカール大帝との戦いに敗れて、部下の兵士たちと共に戦死した後、バラクの妻、カルカス婦人が数少ない兵士を率いて、5年もの間、カール大帝のフランク軍からカルカソンヌの町を守りました。部下の戦士はすべて戦死し、カルカス婦人のみが残ります。町にあるのは豚1匹と小麦一袋だけです。カルカス婦人はその小麦を豚に食わせて、町の城塔の上から、フランク軍に投げ落とします。豚の腹が裂けて、小麦が流れ出ます。それを見て、フランク軍は町にまだ十分な食料があると信じて、町の囲みを解いて、引き上げていきます。それを見たカルカス婦人はフランク軍に向けて、和平を呼びかけるラッパを吹かせました。「カルカスが鳴らす」 フランス語で、「カルカス ソンヌ« Carcas sonne ! »」 カルカソンヌの町の名前の由来だそうです。カール大帝は引き返してカルカス婦人の忠誠を受けられたとのことです。

ナルボンヌ門の左に続く城壁です。素晴らしい城壁ですね。

再び、ナルボンヌ門に戻ります。濠に架かる橋を渡ります。

橋の上から見た、右手に続く城壁とその前の濠です。

左手にも同じように城壁と濠が続きます。

橋を渡って、外側の城壁を抜けると、内側の城壁の守りを固めるナルボンヌ門が聳え立っています。城塞都市ラ・シテの東側の入口に位置するナルボンヌ門はフランス国王フィリップ3世治世下、1280年に建造されました。2つの巨大な搭から成っています。ナルボンヌの町の方角にあたることからこの名がつけられました。門の入口の上には聖母マリア像が飾られ、我々を優しく迎え入れてくれます。

ここまでの散策ルートを地図で確認しておきましょう。

この後は城塞都市ラ・シテの束の間の路地歩きを楽しみます。既に夕方の6時を過ぎています。
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