ところが、何とも素晴らしいベルクのヴァイオリン協奏曲を聴くことができました。ヴァイオリンの南紫音を聴くのは初めてでしたが、よく考え抜かれて、表現力豊かな演奏と素晴らしいテクニックで20世紀を代表するヴァイオリン協奏曲の真価を示してくれました。こんなに集中して、この作品に聴き入ったのは初めての体験です。
第1楽章は冒頭の印象的な12音のセリーが繊細に奏でられます。その後、オペラ《ルル》を彷彿とさせるような孤独な魂の彷徨が綿々と綴られていきます。実に充実した演奏に魅了されます。
しかし、本当に素晴らしかったのは第2楽章です。暴力的とも言える表現主義的な音列が炸裂して、聴くものの魂を揺さぶり、震撼とさせられます。感動ではありませんが、一種の高揚感はあります。終盤になり、バッハのコラール(カンタータ第60番の第5曲)が静謐な調べを奏でます。それまで凶暴な響きを立てていた独奏ヴァイオリンがそれに癒されたように和します。そして、魂の安寧を得たように独奏ヴァイオリンが優しい響きでそっと優しく調べを奏で、第1ヴァイオリンのトップ二人に寄り添い、ドッペルゲンガーの如く、一緒に同じ旋律を奏で始めます。魂の融合です。その魂の融合はさざ波のように第1ヴァイオリン全体に広がり、さらに、弦楽セクション全体がそれに和していきます。孤独な魂(独奏ヴァイオリン)は周りの人間たち(弦楽セクション全体)に支えられて、癒しの時を迎えます。saraiはたまらず、強い感動に襲われます。何と優しい音楽に包まれているんでしょう。やがて、そのカタルシスは終焉の時を迎えます。天使のように付き添うヴィオラの首席奏者、コンサートマスターの独奏の輪に独奏ヴァイオリンも加わり、天上に昇天していきます。独奏ヴァイオリンが高いキーの持続音を静かに奏でる中、第1楽章冒頭の12音のセリーがかすかに聴こえてきます。孤独な魂が救済されながら、ベルクの遺作協奏曲は静かに終わります。圧巻の演奏でした。若くして世を去ったマノン(アルマ・マーラーの娘)の魂もベルクの魂も、そして、非業の死を遂げたルル、さらにはすべからく、すべての人々の魂が救われた思いでいっぱいになりました。この曲は魂の救済のレクイエムであることを教えてくれるような南紫音、渾身の演奏でした。下野竜也指揮の東響もその南紫音の素晴らしい音楽を支える高精度の演奏を聴かせてくれました。真の意味でこれこそ協奏曲と言えるでしょう。
プログラム冒頭のボッケリーニ(ベリオ編曲)の《マドリードの夜の帰営ラッパ》は古い調べをベリオが再生した音楽を東響のアンサンブルが見事に演奏してくれました。プログラム後半のベートーヴェンのオペラ《フィデリオ》の序曲集4曲は東響の弦楽アンサンブルの美しい調べに魅了されました。ベルクのヴァイオリン協奏曲を中心に実に充実した音楽が聴けて、素晴らしいコンサートでした。
今日のプログラムは以下のとおりでした。
指揮:下野竜也
ヴァイオリン:南紫音
管弦楽:東京交響楽団 コンサートマスター:グレブ・ニキティン
ボッケリーニ(ベリオ編曲):マドリードの夜の帰営ラッパ
ベルク:ヴァイオリン協奏曲「ある天使の思い出に」
《休憩》
ベートーヴェン:「フィデリオ」序曲 op.72
:「レオノーレ」序曲 第1番 op.138
:「レオノーレ」序曲 第2番 op.72a
:「レオノーレ」序曲 第3番 op.72b
最後に予習について、まとめておきます。
1曲目のボッケリーニ(ベリオ編曲)の《マドリードの夜の帰営ラッパ》を予習したCDは以下です。
リッカルド・シャイー指揮ミラノ・ジュゼッペ・ヴェルディ交響楽団 2004年8月25‐28日 ミラノ セッション録音
ベリオ作曲の編曲した作品を集めたトランスクリプションズと題されたアルバムの中の1曲です。ベリオはずい分、過去の作曲家の作品を編曲しているんですね。
2曲目のベルクのヴァイオリン協奏曲を予習したCDは以下です。
アンネ=ゾフィー・ムター、ジェイムズ・レヴァイン指揮シカゴ交響楽団 1992年6月 シカゴ セッション録音
意外にムターの演奏は繊細なものでした。
3曲目以降のベートーヴェンのオペラ《フィデリオ》序曲集を予習したCDは以下です。
クラウディオ・アバド指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 1986年9月(「レオノーレ」序曲 第2番)、1989年10月 ウィーン、ムジークフェライン、大ホール セッション録音
アバドはウィーンでよい仕事をしていましたね。非の打ちどころのない演奏です。ウィーン・フィルもさすがですね。この頃のコンマスはヘッツェルです。
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