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今年の抱負はプルースト読破

明けましておめでとうございます。

今年も当ブログ、ご愛読、お願いします。
京都の秋の旅の宇治十帖編、ルツェルン音楽祭とフランスの旅の最後のウィーン滞在編を中断していますが、すぐに再開予定です。
今日は1月1日。家族とシャンパンを開けて、愛妻手作りのお節料理で1年の始まりを祝います。と、ピンポーンとチャイムが鳴り、宅配便が届きます。年末に注文した本です。新年早々、宅配便の配達、ありがとうございます。

実は一念発起して、人生最後に大作に挑むことにしたんです。

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マルセル・プルーストの《失われた時を求めて》の全巻、14冊です。岩波文庫で2010年11月の第1巻刊行以来、9年をかけ、2年前に全14巻が完結しました。その全巻セットです。プルースト研究者の吉川一義氏の翻訳したものです。

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既にこの全巻セットは残数が僅少になっているそうで急いで購入しました。
この本を読もうと思ったきっかけは昨年の5月30日に聴いた上大岡 ひまわりの郷での神尾真由子のヴァイオリン・リサイタルのときのことです。
滅多に演奏されないサン=サーンスのヴァイオリン・ソナタ 第1番。それが素晴らしい演奏でした。後で調べると、この曲はフランスの最高の文学とも言われる『失われた時を求めて』の作者、マルセル・プルーストが愛好してやまなかったものだそうです。彼の畢生の大作『失われた時を求めて』に登場する音楽家ヴァントゥイユのソナタはこの曲に着想しているといわれています。
今年、2022年はプルーストの死から100年を迎える年です。今年こそ、この『失われた時を求めて』に挑戦すべき年だと、まさに天からの啓示がありました。

いつもは速読のsaraiですが、ゆっくりと時間をかけて、このプルーストの大作に挑みます。
1冊目の本の表紙カバーには、プルースト自身が描いた素描が印刷されています。

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シャルトル大聖堂の使徒像だそうです。詳しくは、シャルトル大聖堂南面の中央扉口左手の使徒像で、左から、シモン、トマス、ピリポ、アンデレ、ペテロです。ペテロは神から与えられた天国への鍵を持っています。
saraiが2016年7月21日に実際にシャルトル大聖堂を訪れた際に撮影した写真を参照してみましょう。
これが南面の3つの扉口のうち、中央の扉口です。扉の中央の柱には救世主キリストが宣教する姿で立っています。扉の両側には使徒と聖パウロがいます。扉の上のタンパンには最後の審判を下すキリスト、その両側には、裁かれる人間たちをとりなそうとするマリアと聖ヨハネがいます。タンパンの上のヴシェール(弧帯)には、天国と地獄を啓蒙する物語が刻まれています。13世紀の貴重な遺産です。扉口左手の使徒像とプルーストの描いたものは確かに一致していますね。

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このプルーストの《失われた時を求めて》の全巻読破の開始がsaraiの今年の抱負です。ブログで公開したからには、読み切るしかありませんね(笑い)。さて、何年かかるやら・・・。



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テーマ : 文学・小説
ジャンル : 小説・文学

 

元旦は初詣から

昨日に引き継続き、今日も元旦モードです。
ということで、元旦恒例の初詣に行きます。クリスマスと同様に宗教的な意味はまったくありません。それでも初詣はどこか清々しい印象があるのも事実です。
毎年、どこに初詣に行こうかと迷いますが、昨今のコロナ禍だとなおさらのことです。結局、近場であまり混み合わないところを選びます。
地元では有名な称名寺(しょうみょうじ)に行くことにします。横浜の金沢文庫近くにあります。北条実時が創設した金沢文庫も隣接しています。称名寺自体も北条実時が創建したものです。ちなみに古来の金沢文庫は現存していません。所蔵していた書籍類はとうの昔に散逸していて、それらは金沢文庫本と呼ばれていて、各所にあるようです。また、建物の場所も確定されていず、現在の金沢文庫の建物は神奈川県の歴史博物館になっています。
ともあれ、最寄りのバス停から称名寺に向かいます。バス停近くには神社があるので、ついでといったら失礼ですが、お参りしていきましょう。金澤八幡神社です。

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神社を出て、称名寺に向かいます。やがて、行く手に称名寺の門が見えてきます。それなりに参拝客の流れがあります。

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称名寺の門の前に出ます。この門は称名寺 赤門です。提灯が並び、人で賑わっています。

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赤門を抜けると、参道が続いています。参道にも赤い提灯が並び、多くの参拝客が行き交っています。

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参道を進んでいくと、仁王門が見えてきます。

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現在の仁王門は1818年(文政元年)の創建です。

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安置されている仁王像(金剛力士像)は、胎内墨書により、1323年(元享3年)の院興らの作であることが判明しています。

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仁王門を抜けると、初詣の大行列。これを承知で来ましたから、おとなしく、行列の最後尾に並びます。

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阿字ヶ池に架かる反橋に近づきます。

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反橋の上に上がると、行列の先頭の称名寺の金堂が見えます。

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池を見下ろすと、カモが泳いでいます。オナガガモのようです。

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反橋を下りていくと、次は平橋が続きます。

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平橋の上からは池を泳ぐ大きなオナガガモがたくさん見えます。

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立派なオナガガモの姿を間近に観察します。

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ようやく初詣を完了。金堂の中の立派なご本尊を拝むことができました。

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池を眺めると、2つの橋と仁王門、それから、周囲の樹木が池の水面に映り込んで素晴らしい景色を作っています。

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金堂から仁王門までの称名寺の境内のほぼ全景です。美しい風景です。

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池の反対側に周って、反橋と金堂の風景を眺めます。

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帰りはモノレールに乗ります。ホームからはマンション越しに新年の富士山を拝むことができました。

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何てことはない初詣ですが、これで新年のスタートを切る気分になるのが不思議です。



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テーマ : 寺社巡り
ジャンル : 旅行

 

宇治十帖:宇治川沿いを散策

2021年10月9日土曜日@京都/9回目

今回の旅のテーマは源氏物語。今日は宇治十帖の舞台、宇治を訪れています。
源氏物語、宇治十帖のウォーキングコースに出発し、東屋(あずまや)、椎本(しいがもと)、手習(てならい)、三室戸寺の浮舟(うきふね)、蜻蛉(かげろう)、総角(あげまき)、早蕨(さわらび)の古蹟を巡りました。
次のポイント、宿木(やどりぎ)は宇治川の対岸にあります。すぐにそちらには向かわずに、宇治川の散策を楽しむことにして、天ヶ瀬ダムのほうに遠出をすることにします。
まずは宇治川のほうに向かいます。案内板を見ると、その手前に宇治神社があるようです。

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道に金属プレートが埋め込まれていて、ここで左に行くと、宇治神社に出るようです。

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宇治神社は昔は宇治上神社と2社一体だったそうです。今は別の神社になっています。残念ながら、現在の宇治神社は小さく簡素な姿です。横見しただけでパスします。さわらびの道を先に進みます。この道は観光客で結構、賑わっています。

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先に進むと、左手に宇治川が見えます。

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宇治川沿いの朝霧通りに出ます。道沿いに離宮水という水飲み場があります。名水なのでしょう。

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宇治川沿いに緑あふれる道が続いています。とりあえず、天ヶ瀬ダムのほうに歩いていきましょう。

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道沿いには美しい宇治川が流れています。

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宇治神社船着場の前を通り過ぎます。アニメ(響け!ユーフォニアム)の聖地のようですね。ちょうど、アニメの主人公のような女の子がいます。絵になりますね(笑い)。

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案内板があります。天ヶ瀬ダム・吊り橋まで36分と書かれています。ともかく、行けるところまで行ってみましょう。

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また、道に埋め込まれた金属プレートがあります。源氏物語散策の道と書いてあります。

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なるほど、道沿いに宇治十帖モニュメントがあります。源氏物語「宇治十帖」の古跡全体を象徴するモニュメントです。ヒロイン浮舟(うきふね)と匂宮(におうのみや)が小舟で宇治川に漕ぎ出す有名な情景(源氏物語の五十四帖、浮舟の中の一節)をモチーフとしています。

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宇治神社の赤い鳥居があります。宇治神社の正式の入口はこちらだったんですね。

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その向かいには、朝霧橋があります。宇治神社側と宇治川の中洲にある橘島を結ぶ歩行者専用橋です。これを渡っていけば、簡単に次のポイント、宿木に行けますが、あえて、この橋を渡らずに天ヶ瀬ダム・吊り橋のほうに向かいます。

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すぐに前方に福寿園 宇治茶工房が見えてきます。

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ここまでの散策ルートを地図で確認しておきましょう。

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宇治十帖巡りの前半戦は無事終えられました。この辺りで休憩しましょう。



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宇治十帖:福寿園 宇治茶工房のカフェでゆったり

2021年10月9日土曜日@京都/10回目

今回の旅のテーマは源氏物語。今日は宇治十帖の舞台、宇治を訪れています。
源氏物語、宇治十帖のウォーキングコースに出発し、東屋(あずまや)、椎本(しいがもと)、手習(てならい)、三室戸寺の浮舟(うきふね)、蜻蛉(かげろう)、総角(あげまき)、早蕨(さわらび)の古蹟を巡りました。
次のポイント、宿木(やどりぎ)に向かう前に、宇治川の散策を楽しむことにして、天ヶ瀬ダムのほうに遠出をすることにします。
宇治川のほとりを歩いていくと、宇治茶の老舗、福寿園 宇治茶工房が見えてきます。ちょっと寄っていきましょう。

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宇治茶のショップをさっと見ましたが、宇治茶を購入するのは急がなくてもいいでしょう。ショップを出て、敷地内に福寿園のカフェ、玉露亭があります。ここで一休みしていきましょう。

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宇治川を眺められる窓際の席に落ち着き、お茶を頂くことにします。

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まずはサービスでとっても美味しい宇治茶を出してもらいます。水出し玉露のお通しです。これを飲むだけで満足。このまま、無料でお暇したいくらいです(笑い)。

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大きく開いた窓からは陽光に照らされた宇治川が眺められます。ゆったりと心も体も休まります。

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配偶者は名物の玉露みつ豆をいただきます。

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saraiは玉露パフェをいただきます。

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そこそこのお値段ですが、昼食替わりと思えば安いかな。美味しいお茶でした。

カフェを出て、いよいよ、ダムを眺められるつり橋に向かいます。片道30分はかかるらしいので気合を入れて歩き始めます。宇治川の清流が光っています。

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赤い橋にさしかかります。宇治発電所で発電に使われた水の放流口に架けられた観流橋です。勢い良く水が流れる水路に橋が架けられています。

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橋の上から眺めた水の放流口のほうです。穏やかな水の流れに見えますが、橋の下から宇治川へは勢いよく水が流れています。

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ここまでの散策ルートを地図で確認しておきましょう。

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ここから先はしばらくただただ歩き続けるだけです。横浜に帰る新幹線の時間には余裕があるので、のんびり行ってきましょう。



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宇治十帖:宇治川の吊り橋

2021年10月9日土曜日@京都/11回目

今回の旅のテーマは源氏物語。今日は宇治十帖の舞台、宇治を訪れています。
源氏物語、宇治十帖のウォーキングコースに出発し、東屋(あずまや)、椎本(しいがもと)、手習(てならい)、三室戸寺の浮舟(うきふね)、蜻蛉(かげろう)、総角(あげまき)、早蕨(さわらび)の古蹟を巡りました。
次のポイント、宿木(やどりぎ)に向かう前に、宇治川の散策を楽しむことにして、天ヶ瀬ダムのほうに遠出します。途中、福寿園 宇治茶工房のカフェで美味しいスイーツをいただきました。
宇治川に沿って歩いていくと、穏やかだった宇治川の流れも急流の激しさになっているところもあり、驚きます。宇治川は色々な川の諸相を見せてくれます。

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宇治川に沿った道は素晴らしい木立の散歩道です。気持ちよく歩きます。宇治川の流れも美しい。こんなに素敵な川だとは知りませんでした。

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ルンルンで歩いていくと、やはり、同じことを感じる人もいるようで、何と道の傍らでキャンプをしている人がいます。川べりで、バーべキューを楽しんでいる人もいます。釣り人も多いですね。

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気持ちよく歩いていくと、何と通行規制の看板が立っています。天ヶ瀬ダム再開発にともなって、この先には行けないようですね。天ヶ瀬ダムまで歩く計画はここで挫折。

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幸いに意外に早く吊り橋が見えてきます。

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吊り橋を渡り、向こう岸に移動しましょう。

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吊り橋に近づいていきます。吊り橋の名前が書いてあります。天ヶ瀬橋です。

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吊り橋に足を踏み入れます。意外にしっかりした吊り橋です。安心して渡れそうです。結構、揺れる吊り橋は苦手なんです。

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綺麗な吊り橋が対岸までまっすぐに続いています。

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吊り橋からの眺めも素晴らしいです。上流のほうには橋が見えています。残念ながら、天ヶ瀬ダムは見えません。

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上流の眺めを楽しみながら、吊り橋を渡っていきます。

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下流の眺めです。流れの激しい瀬も見えています。

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吊り橋を渡り終えました。気持ちのよい体験になりました。ここまで歩いてきて良かったです。

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ここからはこちら側の川岸を歩いて、次のポイント、宿木をめざします。



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西伊豆の旅:黄金崎の夕日と富士山の眺め

2022年1月5日水曜日@三島~修善寺~黄金崎~土肥

お正月気分の抜けきらない今日、西伊豆の土肥温泉でゆったりしてくることにします。実は翌日は大変な大雪に見舞われますが、この日は快晴です。

まずは東海道線を乗り継いで、三島駅に到着。ここからは伊豆箱根鉄道に乗り換えます。配偶者情報では、三島駅ではSuicaが使えないそうです。で、いったん改札口に行くと、係りのお姉さんから清算用の機械にタッチするように促されます。さらにまた、別の機械にタッチして、清算完了。いったん、駅の外に出て、伊豆箱根鉄道の改札口に向かいます。伊豆箱根鉄道のホームはJRのホームと並んでいて、同じ三島駅の中にあるんです。伊豆箱根鉄道もSuicaが使えないので、窓口でキャッシュで終点の修善寺までのチケットを購入して、ホームに入ります。初めて乗る伊豆箱根鉄道の3両編成の電車です。

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地元では駿豆線と呼ばれているローカル線ですが、三島の町の中を快調に抜けて、30分ほどで終点の修善寺駅に到着。修善寺温泉はこの修善寺駅からはかなり離れています。明日、帰りに修善寺温泉に寄ることにして、今日はこの修善寺駅から東海バスに乗って、西伊豆の黄金崎の夕日を見に行きます。まずは東海バスの営業所でチケットを購入。1770円と結構、高額ですから、ここの窓口でクレジットカードで購入します。二人で3540円なり。

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途中でいただく銘菓《伊豆の踊子》を仕入れて、バスに乗り込みます。バスは最初、伊豆の山中を走り、1時間ほどで西伊豆の土肥に着きます。今日はここのホテルに泊まりますが、そのまま、バスに乗ったままで、西伊豆の海岸線を走り、黄金崎クリスタルパークのバス停で降車。1時間20分ほどのバス旅でした。黄金崎クリスタルパークという大きな施設がありますが、ここは通過点です。

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ここから歩いて黄金崎のサンセットスポットに行きます。その前に何か食べましょう。《うまいや》という魚介料理店が目に入ります。日の入りまでは時間があるので、ここで何か食べていきましょう。お店に入って、メニューをチェックすると、ムロアジのタタキ丼があります。saraiも配偶者もこれを食べたいねということで意見が一致。これがあたりでした。

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実に新鮮なムロアジで臭みはまったくなし。ネギとゴマを散らしたタタキがたっぷりと盛り付けられています。夢中で食べて、あっという間に完食。うーん、美味しかった!
お腹が満たされたところで、黄金崎に向かいます。隧道を抜けて、坂道を歩いていくと、夕日に照らされた黄金崎が見えます。まさに金色に輝いています。

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次は富士山を見に行きましょう。バスの車窓からも美しい富士山が見えていました。富士見の丘に向かいます。最後は展望台への階段があります。

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展望台に上がると、夕日が見えます。まだ、日の入りまでに30分ほどはあるようです。海面に美しい光の筋があります。

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岬の丘の上に真っ白い富士山が見えています。

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ズームアップしましょう。美しい富士山です。

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目を転じると、遠くに雪を抱いた南アルプスも見えます。

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夕日は別のポイントで見ることにして、ここからは移動します。夕日を浴びた黄金崎の美しい姿、その向こうには、富士山も見えています。絶景ですね。

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三島由紀夫の文学碑があります。小説《獣の戯れ》の一節が刻んであります。小説の舞台がここ、黄金崎だったんですね。

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夕日を見るポイント、サンセットデッキに移動。日の入りが近くなってきます。

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太陽が雲にかかってきます。

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いったん、太陽が雲の中に隠れます。見えている太陽のようなものは下からの反射光の幻影です。

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完全に雲の中に太陽が隠れます。

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再び、雲の隙間から、太陽が復活し、眩しい光を放ちます。

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最終的に太陽が雲の中に落ちていきます。最後の光りの粒がこぼれています。

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太陽が消え入る一瞬です。

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太陽が雲の中に落ちて、光の幻影だけが輝いています。

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素晴らしい落日でした。暗くならないうちにバス停に向かいましょう。途中、富士山の荘厳な姿が見えます。日は落ちてもまだ、富士山は太陽の光を受けているようです。

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バスに乗って、土肥に向かいます。無事にホテルにチェックイン。さて、夕食ですが、土肥港の美味しいお寿司を食べることにしていました。ところがお店に電話すると何と急用ができて、今日は臨時休業とのこと。別のお店に何軒も電話しますが、いずれも口裏を合わせたように臨時休業と断られます。最後に電話したお店は営業中とのことでほっとします。何時頃まで営業しているか訊くと、冬は寒いので早めに閉店するとのこと。じゃあ、すぐ行きますと電話を切って、急いで、お店に急行します。
魚介料理の《さくら》です。まだ、お店は開いていました。3組のお客さんが食事中です。早速、メニューをチェック。魚介料理以外もありますが、ここはやはり、魚介料理で勝負。
これは金目鯛煮付け定食です。絶妙な味加減です。伊豆の金目鯛は美味しいね。

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これはカサゴ唐揚げ定食(数量限定)です。からっと揚がっていて、ぽりぽりとした食感がたまりません。

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お寿司が食べられなくて残念でしたが、満足の魚介料理でした。後で来たお客さんが贅沢な蟹を注文していました。駿河湾タラバガニだそうです。希少な蟹だそうです。うーん、これも食べたかったね!

ホテルに戻り、温泉に浸かり、疲れを癒しました。今年の初温泉です。明日は堂ヶ島でクルーズ船に乗る予定ですが、とんでもない天気に見舞われます。



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テーマ : 国内、史跡・名勝巡り
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西伊豆の旅:雪の修善寺

2022年1月6日木曜日@土肥~修善寺~三島

西伊豆の土肥温泉に来ています。昨日は黄金崎の素晴らしい落日に感動しました。今日は堂ヶ島で遊覧船に乗って、日本の青の洞窟と言われる天窓洞を訪れる予定です。いつになく、saraiは人並みの時間に起きます。すると先に起きていた配偶者が叫んでいます。「とんでもない天気よ!」・・・午後は天気が悪くなるとは聞いていましたが、朝からお天気が悪いようです。外の様子をうかがっている配偶者が「雪が降ってきた!」と悲惨な言葉。昨日は快晴だったのにね。

雪国育ちの配偶者は雪で閉じ込められる前に脱出しようと提案します。もちろん、こんなお天気で堂ヶ島で呑気に遊覧船に乗っている場合ではありません。急いで軽く朝食をいただき、修善寺行きのバスに乗ることにします。バスは少し遅れて到着。修善寺に向かって出発。だんだん、雪が強く降ってきます。峠にさしかかると、周りは雪景色になっています。

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バスの運転手さんは降りしきる雪の中、がんがん走り、峠を抜けだします。修善寺に近づくと、雪は小降りになります。ちょっと修善寺温泉に寄って、日帰り入浴でもしていきましょう。修善寺温泉口でバスを降ります。NHKの大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の主要人物、北条義時の名前の旗が掲げられています。今年の修善寺はこれで売るのでしょう。

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まずは観光案内所に寄って、日帰り入浴の情報をいただきましょう。修善寺温泉の中心地に向かって歩いていくと、途中に観光案内所があります。そこでお姉さんから情報をいただきます。

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旅館に確認の電話を入れると、新井旅館を始め、軒並み、今日は臨時休業というつれないお答えです。結局、民宿福井と外湯の筥湯(はこゆ)だけしか営業していません。今の時間は民宿福井だけが営業中。筥湯は12時からの営業です。ともかく、どちらも温泉街にあるので、そちらに向かいましょう。途中、バスターミナルの修善寺温泉駅があります。帰りはここからバスで伊豆箱根鉄道の修善寺駅まで出ます。バスの時刻を確認しておこうとすると、そこでバス待ちのおばさんが親切にもバス時刻表を下さいます。もう使わないからどうぞとのことです。ありがとうございます。さらに進んでいくと立派な神社が見えます。修禅寺日枝神社(ひえじんじゃ)です。

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境内には巨木が目立ちます。中でも樹齢800年の夫婦杉が有名なものだそうです。遠くから拝みます。

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やがて、温泉街の中心地に到着。まずは修善寺をお参りしましょう。山門の前では雪が降りしきるようになってきました。

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修善寺は弘法大師空海が開基したと伝わる由緒あるお寺です。また、鎌倉2代将軍源頼家がこのお寺に幽閉され、その後、殺されたということです。本堂にお参りします。

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修善寺を出て、弘法大師ゆかりの独鈷の湯(とっこのゆ)に寄ります。ちゃんとした露天風呂ですが、観光名所になっていて、入浴禁止です。もっとも余程の勇気がないと観光客の視線にさらされながらの入浴は不可能でしょう。足湯も禁止だそうです。

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独鈷の湯の近くに足湯があり、賑わっています。残念ながら、タオルの携行を忘れたので、足湯もパスです。桂川沿いに進んで、竹林の小径を歩きます。だんだん、雪が強く降ってきます。

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この先に民宿福井がありますが、入浴する温泉は筥湯に決めます。軽く食事をして、筥湯に行きましょう。筥湯近くに戻ると、指月殿・源頼家の墓の案内があります。ちょっと寄っていきましょう。坂道を少し上ると、指月殿・源頼家の墓があります。すると、ここには、鎌倉殿の十三士の墓もありました。幽閉中の頼家が入浴中に惨殺された後、宿老の十三士も討伐されて、ここに葬られたそうです。

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近くには源頼家の墓もあります。

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指月殿はその頼家の冥福を祈るために、母の北条政子が建立したものです。自分の息子を手に掛けたも同然なのに・・・。

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さて、食事しましょう。あまり、営業中のお店もありませんが、修善寺前の支那そば屋、ゆかわ食堂でサンマー麺をいただきました。昔ながらの中華そばの味は懐かしい。店のご主人が「とても運がいいいね」って話しかけます。えっと言うと、「修善寺に雪が降ることは滅多にないことだよ。」。窓から外を見ると、先ほどよりも雪が強く降っています。なんだか、行く先々で雪が追っかけてくるみたいです。
食欲が満たされたところで、日帰り入浴の筥湯に向かいます。桂川を渡ると、筥湯と展望台があります。入浴後、展望台に上りましょう。

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筥湯の中に入ると、そこはまさに銭湯の番台です。きさくなおばさんがお作法を教えてくれます。タオルは1枚100円で販売しています。入湯料350円と合わせて、一人450円。安いですね。地元の人が利用する外湯のようです。

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営業し始めたばかりで男湯に先客が一人いるだけです。女湯は配偶者一人だけ。内部の撮影もOKです。まるで銭湯ですが、立派な温泉で単純アルカリ泉。ぬるっとしたお湯で無色透明です。

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雪で冷えた体が芯からぽかぽかになります。入浴後、展望台に上ります。ここは無料。修善寺温泉が見渡せます。桂川の向こうには修善寺が見えます。手前の建物が支那そば屋、ゆかわ食堂です。

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さあ、あまり、雪がひどくならないうちに退散しましょう。バスターミナルの修善寺温泉駅に向かうと、バスが来ているのが見えます。それっ、ダッシュ。滑り込みセーフ。最後の乗客になって、すぐにバスは修善寺駅に出発。修善寺駅からは三島に戻ります。三島と言えば、まだ、新年ですから、三嶋大社にお参りしたいですね。どこの駅で下りればいいかを駅の観光案内所で確かめます。三島田町だそうです。そこまでのチケットを窓口で購入しますが、電車は1分後の発車です。チケット購入後、急いで改札を抜けると、電車が発車しますという声がかかります。ここでもホームを走り、一番近いドアに駆けこみます。すぐにドアが閉まります。またしても最後の乗客です。3両編成の電車は順調に走り、30分ほどで三島田町に到着。ここからはスマホの地図アプリに道案内してもらいながら、三嶋大社に向かいます。10分ほどで大きな鳥居前に着きます。まだ、お正月が続いているようで、多くの屋台が並んでいます。

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鳥居をくぐって、綺麗な境内を進んでいくと、本殿前に着きます。本殿前は参拝客が列を作っています。配偶者はもう参拝客の列なんてないわよって言ってましたが、saraiはそんなことはないだろうと言ってました。

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列の最後尾に着いて、粛々と進み、参拝を済ませます。頭をからっぽにして、何も願いません。今まで通りの生活が送れれば、それでよしという心境です。
参拝後、境内にある福太郎本舗のお店で名物の餅とお茶のセット(200円)をいただきます。伊勢神宮の赤福よりも美味しいですね。

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ちょっと遠回りになりますが、大場川沿いの道を歩いて、三島駅に向かいます。途中、順天堂大学三島キャンパスができていることにびっくり。10年ほど前にできたようです。
三島駅から東海道線に乗ります。ホームからは伊豆箱根鉄道の電車が見えます。

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たった2日間の西伊豆の旅ですが、色んなことがありました。最後は関東地方の大雪とは・・・。



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宇治十帖:宇治川の吊り橋~宿木

2021年10月9日土曜日@京都/12回目

今回の旅のテーマは源氏物語。今日は宇治十帖の舞台、宇治を訪れています。
源氏物語、宇治十帖のウォーキングコースに出発し、東屋(あずまや)、椎本(しいがもと)、手習(てならい)、三室戸寺の浮舟(うきふね)、蜻蛉(かげろう)、総角(あげまき)、早蕨(さわらび)の古蹟を巡りました。
次のポイント、宿木(やどりぎ)に向かう前に、宇治川の散策を楽しむことにして、天ヶ瀬ダムの手前にある吊り橋まで歩いて、その吊り橋を渡って、対岸に出たところです。これから、宇治川のほとりを歩いて、宿木に向かいます。
吊り橋の前から天ヶ瀬ダムの方を眺めますが、特に問題なく、車が通行しています。無理なく、改修工事中の天ヶ瀬ダムに行けそうですが、もう、十分に歩いたので、やはり、ここで折り返して、戻りましょう。

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では、先ほどとは反対側の川岸を歩いていきましょう。向こう側とは、全く違う景色です。

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川岸に木々がなくて、宇治川が何にも邪魔されずに見通せます。川面がきらきらと輝いています。

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流れの激しい瀬の前にさしかかります。宇治川は色々な表情を見せてくれるのが魅力です。

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このあたりは岸辺に砂利が多くて、川幅が狭くなっています。

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ここは小さな支流(白川?)が宇治川に流れ込んでいます。

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このあたりには、宇治川だけに生息する固有種ナカセコカワニナがいて、保護されているそうです。

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宇治神社の鳥居まで1.9kmまでの地点までやってきました。

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宇治川には、ごつごつした岩が露出しています。

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横は幹線道路なのでちょっとうるさいですが、しっかり歩道は整備されているので、安心して歩けます。

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下の川岸を見下ろすと、釣り人らしき人がいます。

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前方に朝霧橋の姿が見えてきます。

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宿木の古蹟の前に到着。これで宇治十帖のうち、八つのポイントを制覇したことになります。残りは二つですね。

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源氏物語の四十九帖、宿木の説明が書かれています。以下はWIKIPEDIAからの引用です。(なお、薫は光源氏の正妻、女三の宮が産んだ不義の息子。匂宮(におうのみや)は光源氏の娘、明石の中宮の息子、すなわち、皇子で薫の親友でもあります。大君、中君は八の宮の姫君。八の宮は桐壺帝の第八皇子で朱雀帝・光源氏・蛍兵部卿宮らの異母弟になります。ということは大君、中君は光源氏の姪になりますね。で、大君、中君は薫の従弟にあたります。ややこしい! なお、浮舟は大君、中君の異母妹になります。夕霧は光源氏の正妻、葵の上が産んだ息子。薫の異母兄になります。六の君はその夕霧の六女です。ですから、薫と六の君は叔父、姪の関係になります。女二宮は今上帝の第二皇女。匂宮の異母妹になります。)

薫25歳の春から26歳の夏にかけての話。

今の帝は、裳着の式を控えていたが直前に母女御を亡くし、後見人もいない女二宮を託したい旨を薫に告げるが、亡き大君を忘れかねる薫は気が進まないながら承諾する。彼は女二宮の暮らす藤壺へと婿として通うようになるも、渋々通う様子に周囲はどうしたのかと訝しがる。薫は帝に「宮様を私の三条の屋敷にお迎えしたいのですが…」と切り出す。 これを知った夕霧は、娘の六の君を匂宮と縁組ませることにした。


八月十六日が婚儀の日と決まった。このことは、匂宮に迎えられ今は京の二条院に住む中君にとって大変な衝撃だった。五月頃に懐妊し体調の悪い状態が続くが、経験に乏しい匂宮はそれに気づかず、中君は心さびしい日々が続く。訪れた後見人の薫に宇治に帰りたいと心内を漏らすが、諌められる。

気のすすまぬまま夕霧の婿となった匂宮だが、六の君の美しさのとりこになり、中君には次第に夜離れ(よがれ)が多くなる。こんなときには何かと相談相手になり慰めてくれるのは薫だったが、その同情はしだいに中君への慕情に変わっていった。ついにある夜、薫は思いを打ち明けて近づくが、懐妊の身の中君がいとおしくなり自制した。帰邸した匂宮は、中君に薫の移り香がするのを怪しみ、中君を問い詰めようとする。中君は薫の気持ちをそらそうとして、亡き大君に似た異母妹の浮舟がいることを薫に教えた。匂宮は次第に中君のもとにいることが多くなった。

翌年二月、中君は無事男児を出産、薫は権大納言兼右大将に昇進し女二宮と結婚した。女二宮は三条宮で暮らすようになる。四月下旬、宇治を訪ねた薫は偶然、初瀬詣で(長谷寺参詣)の帰路に宇治の邸に立ち寄った浮舟一行と出会い、垣間見た浮舟が亡き大君に似ていることに驚き、弁の尼に仲立ちを願い出た。

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ここまでの散策ルートを地図で確認しておきましょう。

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次のポイント、橋姫に向かいますが、その前に平等院を訪れておきましょう。



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宇治十帖:宇治川の中洲の島にある十三重石塔

2021年10月9日土曜日@京都/13回目

今回の旅のテーマは源氏物語。今日は宇治十帖の舞台、宇治を訪れています。
源氏物語、宇治十帖のウォーキングコースに出発し、東屋(あずまや)、椎本(しいがもと)、手習(てならい)、三室戸寺の浮舟(うきふね)、蜻蛉(かげろう)、総角(あげまき)、早蕨(さわらび)の古蹟を巡り、いったん、宇治川の天ヶ瀬吊り橋まで歩いた後、宿木(やどりぎ)の古蹟を訪れたところです。

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次のポイント、橋姫に向かう途中、平等院に寄っていきましょう。宇治に来た以上、平等院を見ることは必須です。案内板を見ると、平等院はすぐ近くです。

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綺麗な路地の中を抜けていきます。

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宇治川沿いの道に出ます。宇治川の中洲に渡る橋が見えてきます。

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橋の袂に出ます。橋を渡って、ちょっと、中洲の島に寄っていきましょう。

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喜撰橋の向こうには、特徴ある形の石塔が立っています。

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橋の上からは、中洲の島と川岸の間の狭い水路に屋形船のようなものが並んでいます。船で遊覧できるのでしょうか。

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上流のほうを見ると、中洲の島の端まで見通せます。小さな島ですね。

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橋を渡っていくと、石塔が近くなってきます。十三重石塔(じゅうさんじゅうせきとう)です。

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中洲の島、塔の島の中に入ります。この島は実は人工の島なんだそうです。京都府立宇治公園になっていて、「浮島」「浮舟ノ島」などとも呼ばれてきたそうです。島からは、宇治川の対岸が近く見え、宇治発電所の水の放流口に架けられた観流橋も見えています。

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十三重石塔の前に立ちます。僧・叡尊が鎌倉時代中期の弘安9年(1286年)に人工島を築くとともにこの石塔を宇治川で漁撈される魚霊の供養と橋の安全の祈念を旨に造立しました。現存する近世以前の石塔としては日本最大で塔高15.200メートルです。前に立つとその大きさに驚かされます。なお、現在の石塔は1908年(明治41年)に再建されたものです。

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ここまでの散策ルートを地図で確認しておきましょう。

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もう少し、塔の島をうろうろしてみましょう。



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宇治十帖:宇治川の中洲の島~宇治市観光センター

2021年10月9日土曜日@京都/14回目

今回の旅のテーマは源氏物語。今日は宇治十帖の舞台、宇治を訪れています。
源氏物語、宇治十帖のウォーキングコースに出発し、東屋(あずまや)、椎本(しいがもと)、手習(てならい)、三室戸寺の浮舟(うきふね)、蜻蛉(かげろう)、総角(あげまき)、早蕨(さわらび)、宿木(やどりぎ)の古蹟を巡りました。
次は平等院に寄っていきますが、その前に宇治川の中洲にある塔の島に来ています。現存する近世以前の石塔としては日本最大の十三重石塔(じゅうさんじゅうせきとう)を見た後、島内をぶらぶらします。島内には松の木が並び、美しい風景を作っています。

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塔の島の隣には橘島も橋で繋がっており、そこからは対岸へ朝霧橋で渡ることもできます。少し、塔の島をぶらぶらしたところで入口の橋に戻ってきます。

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そろそろ、喜撰橋を渡って、川岸に戻りましょう。

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強い陽光を浴びている橋の上に上がります。

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橋の上からは、川岸に立派なお料理屋さんが立ち並んでいるのが見えます。宇治とは、こんな楽しみで出掛けてくる人が多いのですね。

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川岸にずらりと係留されている船も気になります。遊覧船なのでしょうか。クルーズ好きのsaraiとしては一度乗ってみたいと思ってしまいます。

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橋を渡り終えます。その先は古い家並みが続いています。

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平等院に向かって、宇治川沿いを歩きます。喜撰橋の先にまだ、十三重石塔が見えています。

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宇治川のずっと先には宇治十帖巡りの出発点の宇治橋が見えてきます。もう、かれこれ、3時間も歩き回っています。

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宇治川の中洲の2つの島を繋ぐ中島橋が見えます。中洲巡りもよかったかもしれませんね。

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宇治市観光センターの前に出ます。ここがスタンプラリーのクイズスポットの最後の5番目です。もちろん、寄っていきます。

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最後のクイズも正解し、クイズの答えを投函します。観光センターのスタッフの方から、saraiたち夫婦が今日の最も遠くからのお客さんだと言われます。(後日談:結局、クイズの応募は当選せず。残念!)
ここまでの散策ルートを地図で確認しておきましょう。

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さあ、平等院に向かいましょう。



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宇治十帖:平等院に入場

2021年10月9日土曜日@京都/15回目

今回の旅のテーマは源氏物語。今日は宇治十帖の舞台、宇治を訪れています。
源氏物語、宇治十帖のウォーキングコースに出発し、東屋(あずまや)、椎本(しいがもと)、手習(てならい)、三室戸寺の浮舟(うきふね)、蜻蛉(かげろう)、総角(あげまき)、早蕨(さわらび)、宿木(やどりぎ)の古蹟を巡りました。
スタンプラリーのクイズも完全正解し、投函完了。次は平等院に向かいます。やがて、平等院への参道に近づきます。緑に囲まれた美しい道が宇治川沿いに続きます。

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平等院表門の受付への案内があります。

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木々の間からは宇治川の中洲の島が見えています。

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宇治川沿いの道から、左手にある平等院の参道に入る案内板があります。

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宇治川から階段を下って、参道に向かいます。さすがに人が賑わっていますね。

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平等院表門への道です。綺麗に石が敷き詰められています。

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だんだん、人が増えてきます。

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やがて、平等院の入口です。

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表門の前に出ます。入場券売り場は空いていますね。

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しかし、平等院鳳凰堂の内部拝観の入場券は売り切れています。以前に鑑賞したので、もうよいでしょう。平等院の庭園の拝観だけにして、入場券を購入します。

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案内のパンフレットもいただきます。

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表門を抜けて、平等院の中に入ります。

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ここまでの散策ルートを地図で確認しておきましょう。

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世界遺産の平等院の庭園をゆっくりと巡りましょう。



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宇治十帖:平等院鳳凰堂の完璧な美

2021年10月9日土曜日@京都/15回目

今回の旅のテーマは源氏物語。今日は宇治十帖の舞台、宇治を訪れています。
源氏物語、宇治十帖のウォーキングコースに出発し、東屋(あずまや)、椎本(しいがもと)、手習(てならい)、三室戸寺の浮舟(うきふね)、蜻蛉(かげろう)、総角(あげまき)、早蕨(さわらび)、宿木(やどりぎ)の古蹟を巡りました。
そして、宇治の世界遺産、平等院を訪れます。源氏物語ともゆかりがあります。宇治十帖にたびたび登場する夕霧の宇治の別荘は夕霧が光源氏から相続したもので、そのモデルは宇治川の岸辺、京の向こう岸にあることから平等院というのが通説となっています。
今、平等院の表門を入って、庭園内を歩き始めたところです。

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庭園内は美しい緑にあふれています。

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庭園内を進み、鳳凰堂のほうに向かっていきます。

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やがて、鳳凰堂の側面が見えてきます。

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阿字池を周り、鳳凰堂の正面のほうに向かいます。鳳凰堂の存在感は半端ないものです。一気に平安時代の昔に気持ちを持っていかれます。

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まだ、側面を見ている段階ですが、その美しさに足が止まってしまいます。この斜めの角度からの眺めも素晴らしいです。

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鳳凰堂の正面に周り込んでいきますが、木々に遮られて、その全容が見えません。

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ようやく、正面からの鳳凰堂の眺めが見えます。夕陽を背後から浴びて、鳳凰堂が黒々としています。

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どうしても、人のいない風景が撮れませんね。しばらく、待ちましょう。

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人がいなくなり、完璧な鳳凰堂の写真が撮れます。実に素晴らしい風景です。平安時代後期に建てられた時の風情が偲ばれます。天喜元年(1053年)に時の関白藤原頼通が建立した阿弥陀堂の姿が1000年以上経った今でも、我々に新鮮な感動を与えてくれます。

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平等院内の散策ルートを地図で確認しておきましょう。

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しばし、この奇跡のような風景を味わいましょう。



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宇治十帖:平等院鳳凰堂の美を味わい尽くす

2021年10月9日土曜日@京都/16回目

今回の旅のテーマは源氏物語。今日は宇治十帖の舞台、宇治を訪れています。
源氏物語、宇治十帖のウォーキングコースに出発し、東屋(あずまや)、椎本(しいがもと)、手習(てならい)、三室戸寺の浮舟(うきふね)、蜻蛉(かげろう)、総角(あげまき)、早蕨(さわらび)、宿木(やどりぎ)の古蹟を巡りました。
今、宇治の世界遺産、平等院を訪れています。鳳凰堂に正面から対峙して、その平安の美に浸っています。鳳凰堂はその姿は翼を広げた鳥のように見えることから、江戸時代から鳳凰堂と呼ばれるようになったそうです。観光客も多くなってきます。

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saraiはじっくりと鳳凰堂の姿に見入っています。観光客の多くは写真を撮り終えると、さっさと立ち去っていきます。

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やがて、ほとんどの観光客が立ち去って、美しい姿を独占できます。

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夕陽を浴びた平等院鳳凰堂は綺麗です。いろんな角度から写真を撮影します。

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阿字池越しの鳳凰堂の姿は眺める角度によって、色んな表情を見せてくれます。

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阿字池をぐるっと周り込んで、最初に見た風景とは反対側からの鳳凰堂の風景を眺めます。池の水面に鳳凰堂が映り込んで、綺麗です。

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池の反対側の丘の上には緑の木々の隙間から鐘楼がかすかに見えています。

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阿字池のさっきまで鳳凰堂の正面を眺めていたビュースポットが見えます。今は観光客の姿がほとんど見えませんね。

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鳳凰堂を真横から眺めます。やはり、鳳凰堂は正面から眺めるように設計されていますね。

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鳳凰堂は阿字池の中島に建てられた建物です。極楽の宝池に浮かぶ宮殿を模しています。

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さて、平等院の宝物が収められている博物館、平等院ミュージアム鳳翔館に入ります。最近できたのかな。初入場のような気がします。

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後で調べると、平成13年(2001年)に開館したそうです。以前に平等院を訪れたのは、2000年の大阪市立美術館での大フェルメール展(何とフェルメール作品が5点も来日)の折のことでしたから、そのときはこの鳳翔館はまだ、ありませんでした。
残念ながら鳳翔館内部は撮影禁止なので、ご紹介できません。
鳳翔館には、鳳凰堂の屋根の上にある鳳凰一対が展示されています。

ここまでの平等院内の散策ルートを地図で確認しておきましょう。

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鳳翔館内の見学の後、平等院内を散策しながら、出口に向かいます。



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宇治十帖:裏側から見る平等院鳳凰堂は夕陽を浴びて、極楽浄土のごとし

2021年10月9日土曜日@京都/17回目

今回の旅のテーマは源氏物語。今日は宇治十帖の舞台、宇治を訪れています。
源氏物語、宇治十帖のウォーキングコースに出発し、東屋(あずまや)、椎本(しいがもと)、手習(てならい)、三室戸寺の浮舟(うきふね)、蜻蛉(かげろう)、総角(あげまき)、早蕨(さわらび)、宿木(やどりぎ)の古蹟を巡りました。
今、宇治の世界遺産、平等院を訪れています。鳳凰堂の美を堪能し、平等院ミュージアム鳳翔館の展示物を鑑賞しました。
鳳翔館は地下階の展示を見た後、地上階に上がります。地上階の東出口の先には、鐘楼があります。

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北出口に周り、そこから大きな石段を下って、庭園に戻ります。

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石段を下りたところから、緩やかな坂道を下っていきます。

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右手には、木々の間から、鳳凰堂の裏側が見えています。

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木々の緑の上に顔を出す鳳凰堂を見ながら、坂道を下っていきます。

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左手に見えてきたのは、浄土院です。浄土院は平等院の塔頭です。明応年間(15世紀後半)に創建されました。

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坂道をなおも下っていきます。

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鳳凰堂の裏側のほぼ正面あたりにやってきます。阿字池を渡る回廊が鳳凰堂に繋がっています。

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鳳凰堂は夕陽を浴びて、輝いています。とりわけ、屋根の上の一対の鳳凰が金色に輝き、存在感を顕わしています。。

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鳳凰堂の北側部分が見えてきます。

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木々の間から見える鳳凰堂が池の水面に映り込んでいます。

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鳳凰堂の中央部分と回廊です。夕陽を浴びて、白い壁と赤い柱が美しい色彩で映えています。

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池の水面に映る鳳凰堂を眺めながら、坂道を下っていきます。

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阿字池を渡る回廊です。

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坂道を下り終えて、阿字池の中島に建つ鳳凰堂を眺めます。裏側から見る姿も美しいですね。夕陽を浴びる姿はまさに極楽浄土の雰囲気です。

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ここまでの平等院内の散策ルートを地図で確認しておきましょう。

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夕陽で美しい鳳凰堂を眺めながら、出口のほうに向かいます。



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宇治十帖:平等院~橋姫

2021年10月9日土曜日@京都/18回目

今回の旅のテーマは源氏物語。今日は宇治十帖の舞台、宇治を訪れています。
源氏物語、宇治十帖のウォーキングコースに出発し、東屋(あずまや)、椎本(しいがもと)、手習(てならい)、三室戸寺の浮舟(うきふね)、蜻蛉(かげろう)、総角(あげまき)、早蕨(さわらび)、宿木(やどりぎ)の古蹟を巡りました。
今、宇治の世界遺産、平等院を訪れています。鳳凰堂の美を堪能しています。夕陽で美しい鳳凰堂を眺めながら、出口のほうに向かっています。
左手にある不動堂の前を過ぎます。不動明王を本尊とする最勝院の本堂です。

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裏側から眺める鳳凰堂の姿も素晴らしいです。

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次第に遠ざかりつつある鳳凰堂はくっきりと池の水面に姿を映し込んでいます。

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鳳凰堂の側面に出ます。これで阿字池の周りを一周したことになります。

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出口のほうに向かいます。藤棚の先に観音堂が見えています。鎌倉時代前期に建てられたものです。

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表門まで戻ってきました。まだ、続々と入ってくる人たちがいます。

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ここまでの平等院内の散策ルートを地図で確認しておきましょう。

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表門を出て、参道を歩いて、次のポイント、橋姫に向かいます。

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参道の先には宇治の賑やかな門前町が立ち並びます。さすがに大観光地ですね。

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門前町には、お蕎麦屋さんやカフェや茶葉販売店などが並び、とても賑やかです。

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次のポイント、橋姫の場所は少し分かりにくく、結局は1本、裏の通りに周り込んで、ようやく、発見します。荒れ果てた風情の橋姫神社です。これが9番目のポイントです。残りはひとつだけになりました。

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源氏物語の四十五帖(「宇治十帖」の第一帖にあたります。)、橋姫の説明が書かれています。以下はWIKIPEDIAからの引用です。(なお、薫は光源氏の正妻、女三の宮が産んだ不義の息子。匂宮(におうのみや)は光源氏の娘、明石の中宮の息子、すなわち、皇子で薫の親友でもあります。大君、中君は八の宮の姫君。八の宮は桐壺帝の第八皇子で朱雀帝・光源氏・蛍兵部卿宮らの異母弟になります。ということは大君、中君は光源氏の姪になりますね。で、大君、中君は薫の従弟にあたります。ややこしい!)

薫20歳から22歳までの話。

そのころ、世の中から忘れられた宮がいた。桐壺院の八の宮(第八皇子)で、光源氏の異母弟である。冷泉院の東宮時代、これを廃し代わりに八の宮を東宮に擁立せんとの弘徽殿大后方の陰謀に加担させられたため、時勢が移るとともに零落していったのである。今は北の方に先立たれ、宇治の地で出家を望みながらも二人の姫君(大君、中君)を養育しつつ日一日を過ごしている。宇治山の阿闍梨から彼を知った薫は、その俗聖(ぞくひじり)ぶりに強く惹かれ八の宮のもとに通うようになり、ますます傾倒してゆく。

通い始めて3年目の秋、八の宮不在の宇治邸を訪れた薫は、有明の月の下で箏と琵琶とを合奏する姫君たちを垣間見る。屈託のない、しかも気品高く優雅な姫君たちに、薫はおのずと心惹かれる。

薫は女房を介して大君に逢いたく思うが、代わりに老女房の弁が現れる。弁は故柏木の乳母子(めのとご、乳母の娘)で、今は八の宮の侍女である。弁は、薫の出生の秘密と柏木の遺言を伝えることを約束する。また薫は、案内してくれた邸の従者に自らが着ていた直衣を贈る。

京に戻ってから薫は大君と弁の言葉が気になって頭から離れない。薫は匂宮に宇治の姫君たちの存在を語り、匂宮はその話題にいたく興味を示し、「ついに薫にも恋が訪れたか」と驚く。

十月上旬、八の宮は姫君たちの存在を薫に打ち明け、死後の後見を託したいと願い出る。

その晩、薫は弁と昔語りをし、弁から手紙の束を入れた袋を受け取る。帰京後、開けてみると柏木と女三宮の手紙の束がひどい黴臭と共に出てきた。女三宮の出産を喜ぶ柏木の死の間際の筆跡のあまりのなまなましさに、薫はとまどいを隠せない。母女三宮を訪ねるが、無心に経を読む尼姿に接した薫は、秘密を知ったことを話す気になれなくなり、ひとり胸中に抱え込もうとするのだった。

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ここまでの散策ルートを地図で確認しておきましょう。

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次は最後のポイント、夢浮橋(ゆめのうきはし)に向かいます。



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宇治十帖:夢浮橋で宇治十帖巡りを完結

2021年10月9日土曜日@京都/19回目

今回の旅のテーマは源氏物語。今日は宇治十帖の舞台、宇治を訪れています。
源氏物語、宇治十帖のウォーキングコースに出発し、東屋(あずまや)、椎本(しいがもと)、手習(てならい)、三室戸寺の浮舟(うきふね)、蜻蛉(かげろう)、総角(あげまき)、早蕨(さわらび)、宿木(やどりぎ)の古蹟を巡りました。
途中、宇治の世界遺産、平等院を訪れ、鳳凰堂の美を堪能した後、9番目のポイント、橋姫を訪れました。このポイントは現在、橋姫神社になっています。何故か、不思議な看板が立っています。橋姫神社が高浜原発、大飯原発、・・・、高速増殖炉もんじゅとどのくらいの距離、離れているかという一覧です。一番近い大飯原発からでも74km離れています。どういう意味なのでしょう?

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頭を捻りながら、橋姫神社を離れます。

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最後のポイント、夢浮橋(ゆめのうきはし)に向かいます。

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すぐに夢浮橋のポイントに到着。夢浮橋の碑は紫式部像です。これ以外にはありませんね。夢浮橋は源氏物語の最終章ですからね。紫式部像の向こうには宇治橋が見えています。

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紫式部についての説明板がありますが、これは言わずもがなですね。

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源氏物語の最後の巻、第五十四帖、夢浮橋の説明が紫式部像の横にある看板に書かれています。以下はWIKIPEDIAからの引用です。(なお、薫は光源氏の正妻、女三の宮が産んだ不義の息子。匂宮(におうのみや)は光源氏の娘、明石の中宮の息子、すなわち、皇子で薫の親友でもあります。大君、中君は八の宮の姫君。八の宮は桐壺帝の第八皇子で朱雀帝・光源氏・蛍兵部卿宮らの異母弟になります。ということは大君、中君は光源氏の姪になりますね。で、大君、中君は薫の従弟にあたります。ややこしい! なお、浮舟は八の宮の姫君で、大君、中君の異母妹になります。)

薫28歳の夏の話。

薫は比叡山の奥・横川(よかわ)を訪ね、小野で出家した女について僧都に詳しく尋ねた。「その女は浮舟に違いない」と確信した薫は夢のような気がして涙を落とした。その様子を見て、僧都は浮舟を出家させたことを後悔した。薫は僧都に浮舟のいる小野への案内を頼むが僧都は「今は難しいが来月なら御案内しましょう」と述べる。薫は浮舟への口添え文を僧都に懇願して書いてもらう。

その夜、横川から下山する薫一行の松明の火が、浮舟がいる小野の庵からも見えた。 妹尼たちが薫の噂をする中、浮舟は薫との思い出を払うように念仏を唱える。

翌日、薫の使者として浮舟の異父弟・小君が小野を訪れた。朝早くに僧都から前日の事情を知らせる文が届いており、妹尼たちが浮舟の素性に驚いていたところだった。小君が持参した僧都の文には、薫との復縁と還俗の勧めをほのめかしてあった。簾越しに異父弟の姿を見た浮舟は動揺するが、結局は心を崩さず、妹尼のとりなしにも応ぜず、小君との対面も拒み、薫の文にも「(宛先が)人違いだったらいけない」と言って受け取ろうとしなかった。むなしく帰京した小君から「対面できず、お返事も頂けなかった」と聞いた薫は(自分が浮舟を宇治に隠していたように)「他の誰かが浮舟を小野に隠しているのではないか」と思うのだった。

これで大長編ロマン、源氏物語が終わりますが、きっちりした終わりにはなっていません。いわゆる、《閉じられた終結》ではなく《開いた終結》です。この後の展開は読者の想像に委ねるものです。これで宇治十帖巡りのウォーキングも完結です。宇治の町歩きはまだ続いていますから、終わりは終わりでも《開いた終結》です。

最後に紫式部像に目をやります。

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紫式部像の横からは宇治橋が眺められます。

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紫式部像を横から眺めると、宇治川のほとりに建っていることが分かります。

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さて、町歩きの仕上げです。お土産屋が立ち並ぶ門前町を歩きます。

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宇治橋から歩を進めます。

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宇治茶で名高い地ですから、お茶もお土産にしたいですね。門前町でお茶の老舗を探しましょう。



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宇治十帖:宇治茶の老舗、辻利の宇治総本家

2021年10月9日土曜日@京都/20回目

今回の旅のテーマは源氏物語。今日は宇治十帖の舞台、宇治を訪れています。
源氏物語、宇治十帖のウォーキングコースに出発し、東屋(あずまや)、椎本(しいがもと)、手習(てならい)、浮舟(うきふね)、蜻蛉(かげろう)、総角(あげまき)、早蕨(さわらび)、宿木(やどりぎ)、橋姫(はしひめ)、夢浮橋(ゆめのうきはし)のすべての古蹟を巡り終えました。
途中、三室戸寺、宇治川の天ヶ瀬吊り橋、宇治川の中洲の浮島、宇治の世界遺産の平等院も訪れて、宇治の歴史・文化を満喫しました。

この後は町歩きの仕上げです。お土産屋が立ち並ぶ門前町を歩きます。宇治橋の袂から出発します。

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町歩きの狙いは宇治茶の老舗で茶葉を購入すること。ありました。京都宇治茶房 山本甚次郎です。

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まだまだ、宇治茶の老舗があるでしょう。もっと先に行きましょう。宇治橋通りを進みます。

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意外に宇治茶の老舗が見当たりません。

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おおっ、遂に辻利の宇治総本家があります。萬延元年の創業だそうです。入ってみましょう。

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店内は綺麗な品揃えです。

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茶箱が並んでいますね。いい雰囲気。

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茶箱の上に色んな茶葉の製品が並んでいます。

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この辻利の宇治総本家で抹茶を購入。この旅で、やはり抹茶は美味しいなと再確認しましたからね。自宅で、ここで購入した抹茶を頂きましょう。帰ってからの楽しみができました。

ここまでの散策ルートを地図で確認しておきましょう。

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宇治でやるべきことはすべて完了。JR宇治駅はすぐそこです。そちらに向かいます。



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東福寺の京寿司の名店、いづ松で絶品の鯖の押し寿司、そして、旅も完!

2021年10月9日土曜日@京都/21回目

今回の旅のテーマは源氏物語。今日は宇治十帖の舞台、宇治を訪れています。
源氏物語、宇治十帖のウォーキングコースに出発し、東屋(あずまや)、椎本(しいがもと)、手習(てならい)、浮舟(うきふね)、蜻蛉(かげろう)、総角(あげまき)、早蕨(さわらび)、宿木(やどりぎ)、橋姫(はしひめ)、夢浮橋(ゆめのうきはし)のすべての古蹟を巡り終えました。
途中、三室戸寺、宇治川の天ヶ瀬吊り橋、宇治川の中洲の浮島、宇治の世界遺産の平等院も訪れて、宇治の歴史・文化を満喫しました。

最後は町歩きの仕上げで、辻利の宇治総本家で抹茶を買い求めました。宇治でやるべきことはすべて完了。すぐ近くのJR宇治駅に向かいます。
駅近くにも宇治茶の老舗、伊藤久右衛門のJR宇治駅前店・茶房があります。

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JR宇治駅はその先に見えています。

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折角ですから、この伊藤久右衛門のお店も覗いていきましょう。お茶の品揃えも素晴らしく、お洒落な茶房も併設していきます。また、お茶していきたいところですが、saraiには別の目論見もあります。お店を出て、JR宇治駅に向かいます。

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駅舎に入る前に、行きつけになりつつある鯖の押し寿司屋さん、いづ松に電話で営業しているか確認。これを食べないと京都からは帰れません。
京都駅1つ手前の東福寺駅で下車して、いづ松に向かいます。駅前すぐのところにお店があります。すっかり、場所が頭の中にインプットされていて、迷うことはありません。

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この時間、夕方5時過ぎはまだ、お店は空いています。さあ、入りましょう。

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お店の奥の席に陣取ります。

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お店の様子はこんな感じ。今日は独占状態です。

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saraiも配偶者も鯖の押し寿司をいただきます。鯖は新鮮で身が分厚いですね。これでなくっちゃね。

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やはり、これは絶品の美味しさです。赤だしを追加で注文します。これも美味しい。

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お勘定のときに横浜からわざわざ足を運んできたことをお話しすると今の京都の状況や寺社の見どころについての話で盛り上がります。ところで追加注文した赤だしはサービスしてくださいました。ありがとうございます。これで今回の京都の旅は思い残すことは何もありません。
予定の新幹線の1本前のひかりに乗れそうです。急いで京都駅に向かいます。新幹線乗換口で早い電車の切符に交換。キオスクで生八つ橋を購入して、万事完了。
東京行きの新幹線に乗り込みます。
たまたま一緒の電車に乗り合わせた友人夫妻と、1年7か月ぶりにリアルに対面しておしゃべりです。毎週、ZOOMミーティングでは顔を合わせていますけどね。
新横浜駅での電車乗り換えで、横浜アリーナ帰りの若いお嬢さんたちの大群に押しつぶされそうになるという、最後の試練にもめげず、無事に我が家に帰りつきました。
これにて完!!!



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藤田真央のショパンのノクターンは絶品@東京オペラシティ コンサートホール 2022.1.19

藤田真央は冒頭のショパンのノクターンから聴衆を惹き付けます。弱音の響きの美しさ、音楽表現の見事さに一気に集中度が高まります。ピアノという楽器が、その名称がピアノ(弱く)であることを再認識させられます。うっとりとする音楽が続きます。曲の後半で強く鳴り響きますが、その高揚感は冒頭のピアノの弱音の対比によって生まれます。2曲目のノクターンもとても美しい演奏。たった2曲のノクターンでしたが、最高の演奏でした。続くバラードはノクターンほどの感銘はありません。やはり、ノクターンの完成度は素晴らしかったんです。リストのバラードは低音のおどろおどろさと高音の美しさの対比が見事な演奏でした。ここまでが前半です。

後半はブラームスの主題と変奏。これは弦楽六重奏曲第1番で有名ですね。ピアノで聴くことは滅多にありませんが、ロマンティックで美しい演奏に聴き惚れます。続くクララ・シューマンの作品も美しい演奏ですが、これは軽く聴き流し、シューマンの名曲、ピアノ・ソナタ第2番に耳を傾けます。第1楽章は不思議な速度指示があることで有名ですが、藤田真央はあまり、そういうことに拘泥した演奏でなく、シューマンの祝典的とも思える音楽を高らかに奏でます。続く第2楽章が一番の聴きものでした。ここでも美しい響きの弱音で実にロマンあふれる抒情を歌い上げます。そのしみじみとした憧れこそ、シューマンの本質です。こういうシューマンを聴くと嬉しくなります。第3楽章は一転して、ほがらかな音楽の表情。間を置かずに第4楽章に突入。熱い演奏でしめくくります。素晴らしいシューマンでした。

アンコールは何故か、ラフマニノフ。どうせなら、前奏曲あたりを弾いて欲しかったところです。あっ、第2曲は前奏曲だった・・・。最後のアンコール、モシュコフスキはまさに名人芸。あまりの凄い演奏に驚愕しました。


今日のプログラムは以下のとおりでした。

  ピアノ:藤田真央

  ショパン:2つのノクターン Op.48
  ショパン:バラード 第3番 変イ長調 Op.47
  リスト:バラード 第2番 ロ短調 S.171 R.16

   《休憩》

  ブラームス:主題と変奏 ニ短調 Op.18b
  クララ・シューマン:3つのロマンス Op.21
  ロベルト・シューマン:ピアノ・ソナタ 第2番 ト短調 Op.22


   《アンコール》
     ラフマニノフ:幻想的小品集 Op.3 全曲
      第1曲 エレジー 変ホ短調
      第2曲 前奏曲≪鐘≫ 嬰ハ短調
      第3曲 メロディ ホ長調
      第4曲 道化師 嬰ヘ短調
      第5曲 セレナード 変ロ短調
     モシュコフスキ:名人芸の練習曲(15の練習曲) Op.72 から 第11番 変イ長調


最後に予習について、まとめておきます。

1曲目のショパンの2つのノクターン Op.48を予習したCDは以下です。

  イリーナ・メジューエワ 2009年7月、9月、10月 新川文化ホール(富山県魚津市) セッション録音

繊細でありながらもしっかりした構築の演奏で聴き入っていまいます。


2曲目のショパンのバラード 第3番を予習したCDは以下です。

  マウリツィオ・ポリーニ 1999年4月 ミュンヘン、ヘルクレスザール セッション録音

ポリーニですから、文句ない演奏。


3曲目のリストのバラード 第2番を予習したCDは以下です。

  クラウディオ・アラウ 1969年3月 セッション録音

アラウの重厚感のある響きに魅了されます。


4曲目のブラームスの主題と変奏を予習したCDは以下です。

  田部京子 2011年8月22日、23日、25日 上野学園 石橋メモリアルホール セッション録音

田部京子のブラームス:後期ピアノ作品集の中に含まれています。後期作品と同様に詩的な表現に魅せられます。


5曲目のクララ・シューマンの3つのロマンス Op.21を予習したCDは以下です。

  ヨゼフ・デ・ベーンハウアー 2001年8月 セッション録音

ベルギーの熟練ピアニストであるヨゼフ・デ・ベーンハウアーの『クララ・シューマン (1819-1896):ピアノ作品全集』(CD3枚)に含まれています。ロマンティックで美しい演奏です。


6曲目のシューマンのピアノ・ソナタ 第2番を予習したCDは以下です。

  スヴィヤトスラフ・リヒテル 1962年 ウクライナ、キエフ ライヴ録音

リヒテルの絶頂期の演奏。東側での録音としては上々の音質でリヒテルらしい突っ込んだ演奏が聴けます。なお、このCDはウクライナ出身のリヒテルがウクライナのキエフで1958年から1982年にかけて収録したライヴ録音を17枚のCDにまとめたものです。



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テーマ : クラシック
ジャンル : 音楽

       藤田真央,  

ブルックナーの交響曲第5番の第4楽章が凄かった!! まさに大伽藍のごとき 下野竜也&読売日本交響楽団@サントリーホール 2021.12.14

今年はコンサートに行く出だしが遅く、昨日の藤田真央が初コンサートでしたが、続いて、今日もコンサート。なんだか、コンサートで音楽を聴く姿勢を忘れかかっていましたが、ようやく、今日はブルックナーの大傑作、交響曲第5番の途中から、ぐっと集中力が増して、とりわけ、第4楽章は完璧に聴けました。それというのも下野竜也&読売日本交響楽団の演奏がとても素晴らしくて、saraiをインスパイアしてくれたからです。素晴らしい弦楽パートが中心となって壮大なフーガを構築していく様は圧倒的でした。ブルックナーでこんなに凄いフーガはあまり体験した覚えがありません。特に低弦から高弦に対位法的に展開していく部分での美しい音楽には体に戦慄が走りました。
久しぶりに大編成のオーケストラでブルックナーの大曲を聴いて、気持ちが高揚しました。今年はブルックナーとマーラーを思う存分に聴きたいものです。年の初めから、素晴らしいものが聴けました。やはり、読響は凄い! 下野竜也の音楽力も実感しました。


今日のプログラムは以下です。

  指揮:下野竜也
  管弦楽:読売日本交響楽団  コンサートマスター:林 悠介

  メシアン:われら死者の復活を待ち望む

   《休憩》

  ブルックナー:交響曲第5番 変ロ長調 WAB 105(ハース版)


最後に予習について、まとめておきます。

1曲目のメシアンの《われら死者の復活を待ち望む》は以下のCDを聴きました。

  ベルナルト・ハイティンク指揮ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団 1969年2月 アムステルダム、コンセルトヘボウ ライヴ録音

コンセルトヘボウの管楽器セクションの見事な響きに聴き入ります。


2曲目のブルックナーの交響曲第5番は以下のCDを聴きました。

 オイゲン・ヨッフム指揮アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団 1986年12月3&4日 ライヴ録音
 
天下の大名盤。ブルックナーを得意にしたヨッフムの最後のコンセルトヘボウのコンサートでした。この演奏の3か月後、ヨッフムは亡くなります。このCDはTAHRAから出ているオイゲン・ヨッフム&コンセルトヘボウ管によるブルックナーの交響曲第4/5/6/7/8番を6CDにまとめた貴重なアルバムの中の2CDです。すべて、素晴らしい演奏です。第9番が抜けているのが残念です。



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テーマ : クラシック
ジャンル : 音楽

 

旅の最終日:モーツァルトにお別れ

2019年9月29日日曜日@ウィーン/3回目

**久しぶりに2019年9月のイスタンブール~ウィーン~ルツェルン~フランス~ウィーンを巡った旅の記事を再開します。コロナ禍前の旅でまさか、こんな世界になるとは思わず、次の年の旅をしっかり計画していました。26泊、27日に及ぶ長期間のヨーロッパ遠征の最終日、ウィーンで朝一番にモーツァルトのお墓参りに来ているところです。**

今日は旅の最終日。ウィーンの最終日でもあります。もう、今晩は飛行機で帰国の途につきます。しかし、その前に精一杯、ウィーンの1日を楽しみます。
まずはモーツァルトのお墓参り。
モーツァルトのお墓は綺麗な花に囲まれ、天使像が寄り添っています。

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よく見ると、天使は悩ましそうに手を頭にあてています。モーツァルトの音楽はあんなに純粋で透明なのにね。

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モーツァルトのお墓の説明が書かれています。埋葬された正確な場所が特定できなくなった経緯が書かれています。ですから、このお墓は記念碑的なものです。

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しばらく、お墓の傍に佇んでいましたが、そろそろ、お暇しましょう。最後に離れたところからお墓を眺めます。今回の旅の主役は間違いなく、モーツァルトでした。ウィーンとルツェルンで聴いたクルレンツィス&ムジカエテルナの素晴らしいダ・ポンテ3部作は究極の演奏でした。

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モーツァルトを見守るように、近くにキリスト像があります。

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ザンクト・マルクス墓地Friedhof Wien St. Marxの中央を貫く道を入口に向かって歩いていきます。

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煉瓦造りの門に近づきます。

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入口には墓地全体の見取り図があります。敷地の中央にモーツァルトのお墓があります。

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ザンクト・マルクス墓地の外に出ると、通りの向こうにすごくモダンな大きい建物がたっています。よく見ると、その右隣は、前回泊ったホテル、オーストリア トレンド ホテル ドッピオ ウィーンAustria Trend Hotel Doppioです。

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また、バス停、ザンクト・マルクスSt.Marxから74A系統のバスに乗って、ホテルの最寄りのバス停、ヴァイアーガッセWeyrgasseで降りて、ホテルに戻ります。
3泊したメルキュール グランド ホテル ビーダーマイアー ウィーンMercure Grand Hotel Biedermeier Wienをチェックアウトして、荷物をレセプションに預けます。後で空港に向かうときに荷物をピックアップします。
身軽ないでたちで、ウィーン最後の町歩きに出かけます。メインテーマは美術館巡りです。



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テーマ : ヨーロッパ
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岡田奏のモーツァルトは絶美 川瀬賢太郎&神奈川フィル@神奈川県立音楽堂 2022.1.22

当初予定の北村朋幹が新型コロナウイルス感染症対策による入国制限措置緩和の見通しが立たないため、急遽、岡田奏に代わったことを彼女のTwitterで知り、急遽、チケットを購入しました。北村朋幹が弾くことを知っていたら、それも聴きたかったので、やはり、チケットを買っていたでしょう。岡田奏と北村朋幹の2人の若手ピアニストのモーツァルト演奏は高く評価しています。

で、やはり、期待通りの岡田奏のモーツァルト演奏でした。以前、読響との共演でモーツァルトのピアノ協奏曲第25番を聴き、その美しいピアノの響きに驚愕し、そのときのブログ記事で「是非、第21番や第23番も聴いてみたいところです。できれば、全協奏曲すら聴かせてもらいたいものです。」と書きましたが、ほぼ、1年後に夢が叶いました。第1楽章はやや、ピアノの響きが重く、ちょっと残念な感じで聴いていました。ところが、有名な第2楽章に入ると、彼女のピアノの響きがとても美しくなり、思い描いていたイメージ通りの演奏です。この曲も相当聴きましたが、多分、最高の演奏でしょう。単純な音が連なるだけですが、どうして、こんな素晴らしい響きになるのでしょう。うっとりというレベルではなく、忘我の境地で聴き入ります。鍵盤の上の彼女の手も美しい形です。時折、右手がクロスして、低音部を奏でますが、やはり、右手の奏でる高音部の響きの美しさは圧倒的です。かみしめるように聴いているうちに第2楽章はあっという間に終わります。もっと聴いていたかったという感です。しかし、続く第3楽章の切れの良くて、素晴らしいタッチの演奏は第2楽章以上に圧倒的です。早いパッセージのめくるめく動きは完璧で一音一音の粒立ちのよさが心地よく感じます。思わず、初演したときのモーツァルトの演奏はどうだったんだろうと想像してしまいます。当時のフォルテピアノは鍵盤が軽いので、こういう風に切れのよい演奏だったんでしょう。しかし、岡田奏が今弾いているのは現代のスタインウェイです。それでこんなに軽やかに弾けるとは驚異的です。音楽表現も見事の一語。これ以上の演奏はありえないと思えます。短いカデンツァも万全の演奏で爽やかな涼風のように第3楽章を弾き切ります。心の内でブラボーコール! こんな凄いピアニストがさほど評判にならないことが不思議です。アンコールのトルコ行進曲も素晴らしい演奏でした。

saraiにとって、モーツァルトのピアノ協奏曲の規範はクララ・ハスキルですが、テクニック、音の響きでは、岡田奏は既にハスキル以上かもしれません。あとは格調の高い音楽性だけですね。それに今日のピアノ協奏曲 第21番はハスキルは録音を残していません。貴重な演奏を聴きました。次はハスキルが得意にしていた第19番と第20番を聴かせてほしいものです。とてつもない逸材が日本にいることが分かったのはコロナ禍のお陰ですから、皮肉なものです。

なお、前半のプッツのフルート協奏曲は上野星矢の美しいフルートが印象的でした。第2楽章はモーツァルトのピアノ協奏曲 第21番をオマージュしたもので、ふんだんに聴き慣れた旋律が登場します。音楽としてはもうひとつでしょうか。古典派の音楽をオマージュした作品と言えば、ジョン・アダムズのアブソルート・ジェストを昨年の8月に聴きましたが、あれはベートーヴェンをオマージュしつつ、ミニマルミュージックを融合させた傑作でした。どうしても比べてしまいます。ところで上野星矢のアンコール曲はよく知っている曲で何だったっけ・・・。saraiも昔、よく愛奏していたモーツァルトのフルート四重奏曲第1番の第2楽章でした。懐かしい・・・。

最後のアンコールのおもちゃシンフォニーはサプライズだらけの楽しい演奏でした。まるで、ニューイヤーコンサートみたい。みなさん、ありがとうございました。特に石田泰尚さんの熱演が凄かった!


今日のプログラムは以下です。

  指揮:川瀬賢太郎
  フルート:上野星矢
  ピアノ:岡田奏(おかだ かな)
  管弦楽:神奈川フィルハーモニー管弦楽団  コンサートマスター:石田泰尚(隣席:崎谷直人)

  武満徹:波の盆
  プッツ:フルート協奏曲 (日本初演)
   《アンコール》 モーツァルト:フルート四重奏曲第1番 ニ長調 K. 285 から 第2楽章の冒頭から一部をフルート独奏で演奏

   《休憩》

  モーツァルト:ピアノ協奏曲 第21番 ハ長調 K.467
   《アンコール》 モーツァルト:ピアノ・ソナタ第11番 イ長調 K. 331 から 第3楽章「トルコ行進曲」

   《アンコール》
    エトムント・アンゲラー(レオポルド・モーツァルト?):おもちゃの交響曲


最後に予習について、まとめておきます。

1~2曲目の武満徹の波の盆とプッツのフルート協奏曲は適当なCDがなかったので予習なし。


3曲目のモーツァルトのピアノ協奏曲 第21番は以下のCDを聴きました。

 アンドラーシュ・シフ、シャーンドル・ヴェーグ指揮ザルツブルク・モーツァルテウム・カメラータ・アカデミカ 1989年12月 ウィーン、コンツェルトハウス大ホール セッション録音
 
シフが若い頃に同じハンガリー出身のヴェーグとともに録音したモーツァルトのピアノ協奏曲集(ピアノ協奏曲第5番、第6番、第8番、第9番、第11番~第27番の21曲)の中の1曲です。シフの演奏は既に完成の域に達しています。ベーゼンドルファーの美しい響きはこの頃も素晴らしいです。



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テーマ : クラシック
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ウィーンの街歩き:フォルクスガルテンのバラ園~カフェ・ラントマンで朝食

2019年9月29日日曜日@ウィーン/4回目

今日は旅の最終日。ウィーンの最終日でもあります。もう、今晩は飛行機で帰国の途につきます。しかし、その前に精一杯、ウィーンの1日を楽しみます。
朝一でモーツァルトのお墓参りを済ませ、最後のウィーンの街歩きに出かけます。
ホテルを出て、リング通りRingstraßeをトラムに乗って、ウィーンの旧市街の中心地に向かいます。すぐにウィーン国立歌劇場Wiener Staatsoperが見えてきます。今回の旅でもR.シュトラウスの楽劇《サロメ》の素晴らしい公演を聴きました。次はいつ聴けるでしょう。

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国会議事堂の前でトラムを降ります。議事堂前は何かの工事中ですね。折角のギリシャ様式の優美な建物が半分隠れています。

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議事堂の向かいにあるフォルクスガルテンVolksgartenの庭園に入ります。ここはローゼンガルテンRosengartenと呼ばれるバラのお庭になっています。夏の名残の赤いバラがよく咲いています。

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バラの木の周りには、休憩用のチェアーが並べられています。

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美しく整備された庭園の中をぶらぶら散策します。

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バラはぽつぽつと咲いていますが、今一つの感です。庭園の中を歩いて、ブルク劇場Burgtheaterのほうに向かいます。

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まだ、朝ごはんを食べていないので、朝食をいただけるレストランに向かいます。ブルク劇場Burgtheaterを通り過ぎていくと、カフェ・ラントマンCafé Landtmannがあります。ここでテーブルに着きます。結構、混み合っています。日曜日の朝、11時過ぎです。

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定番の朝食、オレンジジュース、カイザーゼンメル、ボイルドエッグ、バター、ジャムです。

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さらにチーズ、生ハムの皿が運ばれてきて、充実した朝食セットになります。やはり、ウィーン最後の朝食はウィーンの定番のパン、カイザーゼンメルが美味しいです。

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ウィーンの朝食をしっかりと味わいましょう。

ここまでの散策ルートを地図で確認しておきましょう。

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朝食の後は美術館巡りです。



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ジャンル : 海外情報

 

ウィーンの街歩き:カフェ・ラントマン~美術史美術館

2019年9月29日日曜日@ウィーン/5回目

今日は旅の最終日。ウィーンの最終日でもあります。もう、今晩は飛行機で帰国の途につきます。しかし、その前に精一杯、ウィーンの1日を楽しみます。
最後のウィーンの街歩き中で、カフェ・ラントマンCafé Landtmannで朝食をいただいたところです。(前回の記事でパルメンハウスで朝食をいただいたと書きましたが、カフェ・ラントマンの誤りでした。前回の記事も修正済です。かなり、以前のことで記憶が曖昧になっていました。申し訳ありません。)

カフェの建物の外には張り出したテラス風のテーブルがあります。大きなガラス張りで囲われたスペースは明るい光に満ちています。最近、新たに増設されたようです。

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これは外のテラス席です。陽光が燦燦と降り注いでいます。右手には、リング通りRingstraßeが見えています。

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リング通りに出ると、ウィーン市庁舎Rathaus der Stadt Wienの建物が聳え立っています。リング通りには、こういう大きな建物が並んでいます。

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リング通りを歩き、国会議事堂の前を過ぎて、やがて、ウィーン美術史美術館Kunsthistorisches Museum Wienが見えてきます。その前には、マリア・テレジア広場Maria-Theresien-Platzがあります。

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広場の中央にはマリア・テレジア像があります。多くの観光客で賑わっています。

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これから美術三昧。まずは、美術史美術館に向かいます。立派な建物ですね。ヤン・ファン・エイクの《泉の聖母》のポスターが掲げられています。特別展でもやっているのかな。

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ここまでの散策ルートを地図で確認しておきましょう。

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まずは入口横の窓口でチケットを購入。一人12ユーロ。1500円くらいですね。

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館内マップもゲット。ちゃんと日本語版があります。さすがです。

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館内に入ります。エントランスロビーはドームに覆われています。壮麗な雰囲気です。

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大階段を上がります。3階から2階の丸天井ホールのカフェ・レストランを見下ろします。お昼時でみなさん、ランチを食べているようです。

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見上げると、素晴らしい丸天井のドームがあります。

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さて、2階に戻って、絵画鑑賞を始めましょう。今回は気に入った作品を網羅して見ていきましょう。



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ウィーン美術史美術館:クラナッハ、アルトドルファー、ホルバイン、デューラー

2019年9月29日日曜日@ウィーン/6回目

今日は旅の最終日。ウィーンの最終日でもあります。もう、今晩は飛行機で帰国の途につきます。しかし、その前に精一杯、ウィーンの1日を楽しみます。
最後のウィーンの街歩き中で、ウィーン美術史美術館Kunsthistorisches Museum Wienを訪れています。名作絵画の数々を見ていきます。

ルーカス・クラナッハLucas Cranach der Ältereの1535年、62歳頃の作品、《ザクセンの3人の王女、シビラ(1515-92)、エミリア(1516-91)、シドニア(1518-75)、フロムメン公ハインリヒの娘 Drei sächsische Prinzessinnen, Sibylla (1515-92), Emilia (1516-91) und Sidonia (1518-75), Töchter von Herzog Heinrich von Frommen》です。クラナッハトはドイツ、ヴィッテンベルクに工房を構え、当地の領主ザクセン選帝侯フリードリヒ3世に御用絵師として仕えました。この作品に描かれている3王女は、ハインリヒ4世(Heinrich IV., 1473年3月16日 - 1541年8月18日)の姫君たちです。ハインリヒ4世はアルベルティン系のザクセン公(在位:1539年 - 1541年)で、ハインリヒ敬虔公(Heinrich der Fromme)の呼び名で知られています。この絵が描かれたときはハインリヒ4世はまだ、ザクセン公を継承していませんでした。絵に描かれているのは、右から順にシビラ、エミリア、シドニアで、長女のシビラが20歳頃ですね。とりわけ、シビラの美しさが際立っています。彼女がクラナッハの名作、《サロメ》のモデルと言われています。saraiは傑作《ユーディット》のモデルでもないかと秘かに思っています。後で登場するので、みなさんもよく見てくださいね。

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アルブレヒト・アルトドルファーAlbrecht Altdorfer(1480年頃 ‐ 1538年)の1537年、57歳頃の作品、《ロトと彼の娘Lot und seine Töchter》です。アルトドルファーは、16世紀前半に活動したドイツの画家で、ドナウ派の代表的画家でした。
この作品のテーマはロトとその娘です。彼らのエピソードは『旧約聖書』「創世記」11章から14章で語られています。ロトとその家族はイスラエルのソドムの町に住んでいました。その当時ソドムの町とその近隣のゴモラの町は神を敬わない人が多く、風紀が著しく乱れており、神は怒り、二つの町を滅ぼそうと決めました。しかし、ロトは義人であったために神は天使を遣わせて町から事前に逃げるよう命じます。生き残ったロトと娘らは洞窟に住むことになりましたが、二人の娘には結婚相手を見つける術がなかったので、父親であるロトを酒に酔わせて近親相姦によって身ごもります。この作品では娘が父に性的アピールをするシーンが描かれています。この作品はアルトドルファーの最後期のもので、彼はドナウ派の作風から脱却し、国際的なマニュエリスムの作風に転換した記念碑的なものだと言われています。

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ルーカス・クラナッハLucas Cranach der Ältereの1530年、57歳頃の作品、《ホロフェルネスの首を持つユディット Judith mit dem Haupt des Holofernes》です。ユディットという女性を巡る物語は、旧約聖書の「ユディト記」に出てきます。アッシリア王ネブカドネサルが、敵対する国に討伐軍を差し向け、ユダヤにはホロフェルネスが差し向けられます。その時に一人の女性ユディットが立ち上がり、敵軍の陣地に忍び込み、敵将ホロフェルネスの首をはねてしまいます。将軍を失った敵軍は退却し、ユダヤは勝利します。構図は似ていても、サロメの邪悪さとは一線を画します。そのため、上流の貴婦人の肖像画として、このユディットが高貴さの象徴に使われたようです。で、saraiの説、このユディットのモデルはハインリヒ4世の姫君のシビラであるというのはいかがでしょうか。この作品はこの美術館でsaraiが最も愛する作品です。クラナッハの作品のなかでも最愛の作品です。何と言ってもユディットの美しいこと! 女性を描かせたら天下一品のクラナッハの一世一代の傑作です。

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ハンス・ホルバインHans Holbein (der Jüngere)( 1497年/1498年 - 1543年)の1543年、45歳頃の作品、《国王ヘンリー8世の主治医、ジョン・チェンバース Dr. John Chambers, Leibarzt König Heinrichs VIII.》です。ハンス・ホルバインは、ルネサンス期のドイツの画家です。南ドイツのアウクスブルクに生まれ、後にイングランドで活動しました。国際的に活躍した肖像画家として著名です。この作品は最晩年に描かれた肖像画として、ホルバインの傑作と言えます。描かれた医師ジョン・チェンバースの年齢は88歳と誤って描かれていますが、実際は73歳でした。極めてシンプルに描いた構図で医師の内面に迫る迫真の肖像画に仕上げています。

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ハンス・ホルバインHans Holbein (der Jüngere)の1536年、38歳頃の作品、《ジェーン・シーモアの肖像 Jane Seymour》です。ジェーン・シーモアJane Seymour(1508年 - 1537年10月24日)は、イングランド王ヘンリー8世の3番目の王妃で、エドワード6世の生母です。 1536年の2番目の王妃アン・ブーリンの刑死後、ヘンリー8世と結婚し、翌1537年に男子(後のエドワード6世)を出産しましたが、その月のうちに産褥死しました。ヘンリー8世は世継ぎの男子を産んだジェーンに感謝を込めて、6人の王妃のうちでただ一人、ウィンザー城内の王室霊廟において隣に眠ることを許しました。この肖像画には王妃になった頃のジェーン・シーモアが描かれています。

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アルブレヒト・デューラーAlbrecht Dürer(1471年5月21日 - 1528年4月6日)の1519年、48歳頃の作品、《皇帝マクシミリアン1世 Kaiser Maximilian I.》です。アルブレヒト・デューラーはドイツのルネサンス期の画家です。説明の不要な大画家ですね。この作品は皇帝マクシミリアン1世の亡くなった年に描かれたものです。その前年、1518年6月にアウグスブルクの国会議事堂でデューラーとマクシミリアン1世が会ったときに描いた肖像画をもとに完成させました。実に威厳のある君主の風格を描き出した傑作です。

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アルブレヒト・デューラーAlbrecht Dürerの1505年、34歳頃の作品、《若いヴェネツィアの女性の肖像Brustbild einer jungen Venezianerin》です。この作品は彼の2回目のイタリア訪問の際に描かれたものです。他にも多くの上流階級の人々の肖像画が描かれました。イタリア旅行中に巨匠、ジョヴァンニ・ベッリーニに魅了され、友人となりました。この作品でもヴェネチア派の影響を受けて、柔らかなモデリング、劇的な明暗の対比、鮮やかな色彩と色調が見られます。この絵のモデルは不明ですが、おそらく、ヴェネチアの女性のようです。なお、この作品は、1923年にリトアニアの個人コレクションで発見されるまで、デューラーの真筆として認定されていなかったそうです。

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まだ、16世紀ドイツ絵画の傑作群は続きます。



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ウィーン美術史美術館:デューラー、クラナッハ、クラナッハ (子)

2019年9月29日日曜日@ウィーン/7回目

今日は旅の最終日。ウィーンの最終日でもあります。もう、今晩は飛行機で帰国の途につきます。しかし、その前に精一杯、ウィーンの1日を楽しみます。
最後のウィーンの街歩き中で、ウィーン美術史美術館Kunsthistorisches Museum Wienを訪れています。名作絵画の数々を見ています。今は16世紀ドイツ絵画の部屋にいます。


アルブレヒト・デューラーAlbrecht Dürer(1471年5月21日 - 1528年4月6日)の1507年、36歳頃の作品、《若い男の肖像 Brustbild eines jungen Mannes》です。デューラーはヴェネチア滞在中、多くの肖像画の依頼を受けました。とりわけ、ドイツ商人からの依頼が多かったようです。それらはこのヴェネチアで描かれたようですが、一部はニュルンベルクに戻った後に描かれたようです。この作品でも実に緻密な表現が印象的です。肖像画家としてのデューラーの実力が発揮された作品です。
(撮影者のsaraiがガラスに少し写り込んでしまいました。ごめんなさい。)

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ルーカス・クラナッハLucas Cranach der Ältere(1472年10月4日 - 1553年10月16日)の1530年、57歳頃の作品、《楽園 (エデンの園) Paradies》です。エデンの園でお気楽そうなアダムとイヴが描かれています。犬まで気楽そうです。二人に問いただしているのは神です。旧約聖書の一シーンです。羞恥心からイチジクの葉で体を隠しているので、既に禁断の林檎を食べた後のことです。神から問われたアダムはイヴにそそのかされたと弁解し、イヴは蛇に仕向けられたといいわけします。その様子がいかにも気楽そうで、あまり、罪の意識があるように思えません。結果、神はアダム(男)に〝労働の苦役〟を、イヴ(女)には〝出産の苦役〟を与え、老いることと死の宿命を宣告します。人間の宿命が定められたのですが、それが深刻そうに描かれていないのがいいですね。

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ルーカス・クラナッハLucas Cranach der Ältereの1529年、56歳頃の作品、《選帝侯フリードリヒ賢公の鹿狩り Hirschjagd des Kurfürsten Friedrich d. Weisen》です。この作品では1529年当時、既に亡くなっていたフリードリヒ賢公と皇帝マクシミリアン一世が鹿狩りしている様が描かれています。二人と並んで描かれているザクセンのヨーハン堅忍公がクラナッハに命じて、過去の出来事の記録として制作させました。ここには鹿狩りの様子が詳細に描かれていますが、どうやら、クラナッハも狩猟の様子を描くために同行したようです。右上に描かれている城は現在は廃墟となっているマンスフェルドの城のようです。

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ルーカス・クラナッハLucas Cranach der Ältereの1510~20年、37~47歳頃の作品、《アダム、イヴ Adam、Eva》です。この作品は2枚の絵画にそれぞれ別にアダムとイヴが描かれています。とりわけ、イヴの妙なバランスの構図が印象的で、実に魅惑的に描かれています。

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ルーカス・クラナッハ (子) Lucas Cranach der Jüngere(1515年10月4日 – 1586年1月25日)の1544年、29歳頃の作品、《ヨハン・フリードリッヒ選帝侯の鹿狩り Hirschjagd des Kurfürsten Johann Friedrich》です。ルーカス・クラナッハ (子)は同名の著名な画家であったルーカス・クラナッハを父に持っています。父の工房で兄のハンスと共に絵画を学びました。父の作風をそのまま受け継ぎ、まるでそっくりの絵を描いています。ときどき、どちらか見分けがつかないこともあります。
この作品も父親の狩猟画をそのまま継承したスタイルで描かれています。1544年のこの鹿狩りの絵は、遠くに、ハルテンフェルス城Schlosses Hartenfelsの印象的な建物とザクセン選帝侯の住居のあるトルガウTorgauのエルベ川の町のシルエットが見られます。この絵には、選帝侯ヨハン・フリードリヒJohann Friedrichと皇帝カール5世Karl V.がいます。彼の隣には、プファルツ選帝侯フリードリヒ2世Pfalzgraf Friedrich II.が立っています。

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ルーカス・クラナッハLucas Cranach der Ältereの1520年、47歳頃の作品、《キリストの別れ Abschied Christi von den Frauen》です。キリストが受難に向かう前、ラザロの家の前で聖母マリア、マグダラのマリア、クロパの妻マリア、マリア・サロメに別れを告げるシーンが描かれています。マリアたちの悲壮な表情に比べて、キリストの平静で優し気な表情が印象的です。

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次は美術史美術館を代表するコレクション、ブリューゲルの絵画を見ていきます。



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ウィーン美術史美術館:ブリューゲル

2019年9月29日日曜日@ウィーン/8回目

今日は旅の最終日。ウィーンの最終日でもあります。もう、今晩は飛行機で帰国の途につきます。しかし、その前に精一杯、ウィーンの1日を楽しみます。
最後のウィーンの街歩き中で、ウィーン美術史美術館Kunsthistorisches Museum Wienを訪れています。名作絵画の数々を見ています。今は16世紀ドイツ絵画から、オランダ絵画、フランドル絵画の部屋に移動します。


ピーテル・ブリューゲルPieter Bruegel(1525年-1530年頃 - 1569年9月9日)の1567年、37-42歳頃の作品、《聖パウロの回心 Bekehrung Pauli》です。ピーテル・ブリューゲルは、16世紀のブラバント公国(現在のオランダ)の画家です。ブリューゲルの油絵は40点ほどが知られていますが、そのうち12点がウィーンの美術史美術館に収蔵されています。ブリューゲルを見たければ、この美術史美術館に足を運ぶしかありません。今回は8点ほどご紹介しましょう。
この作品は有名な聖パウロの回心のシーンを描いています。使徒言行録によると、エルサレムからダマスカスに向かう途中で、サウル(聖パウロのユダヤ名)はイエスの声を聞き、一筋の光に目がくらんで馬から落ちました。 その瞬間、キリスト教徒の狂信的な迫害者は使徒パウロになります。ブリューゲルの絵画の場合によくあることですが、メインシーンは小さく、大きなシーンの中にほとんど隠れています。画面の中央で馬から落ちて、地面に倒れている青い上着のパウロを探してみてください。写真をクリックすると大きな画面になります。聖パウロが見つかるかな。なお、ブリューゲルが描いた兵士たちの服装はその当時の服装になっています。ブリューゲルは聖書の時代の服装にも精通していたので、あえて、その当時の服装で描いたようです。聖書の有名な風景を現代の雰囲気で描くことで、時代の壁をタイムジャンプさせたものなのでしょう。

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ピーテル・ブリューゲルの1565年、35-40歳頃の作品、《雪中の狩人 Jäger im Schnee (Winter)》です。ブリューゲルの最高傑作とみなされる作品です。
この作品では、雪の山間を背景に、猟銃を背負った狩人が猟犬を引き連れて歩く情景が描かれています。疲れ果てた犬の群れを伴った狩人のグループは、下の村に戻ろうとしています。 肩の槍の1つから1匹のキツネだけがぶら下がっています。 左側では、豚が直火で焼かれています。 凍った池でスケートをするなどの楽しいディテールが、この作品の絶大な人気に貢献しているようです。ほかのブリューゲルの作品と同様に人間の営みを画家の鋭く、透徹した視線で描き出したもので、田園風景を背景に人間を主役にしたルネサンス精神の絵画の一つです。

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ピーテル・ブリューゲルの1567年、37-42歳頃の作品、《牛群の帰り(秋) Heimkehr der Herde (Herbst)》です。
この作品は、アントワープの銀行家であったニクラース・ヨンゲリングの注文で製作され、6つの絵画からなる連作月暦画の一つとして、11月頃における、農民の日常生活を描いています。
秋のモティーフとしての牛群の帰りは、オランダ絵画では珍しい画題で、ブリューゲルによって新たに絵画に取り入れられ、ブリューゲルがスイスを旅したときに得た印象に基づくものでした。 田舎の牛追いがこの作品のタイトルシーンになりますが、メインテーマは秋の季節の色と雰囲気で崇高に高められた風景そのものです。画面手前に緻密に描かれた牛たちと対比して、画面奥に描かれた風景の美しさには息を呑む思いです。

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ピーテル・ブリューゲルの1568年、38-43歳頃の作品、《農民の結婚式 Bauernhochzeit》です。この作品は、「農民ブリューゲル」として知られるきかっけとなった作品で、ほかにも一連の農民主題の作品が制作されています。また、《農民の踊り Bauerntanz》と対になる作品で、サイズが同一で主題が似たものです。
この作品ではフランドルの農民の婚礼の様子が慎重な構図で構成されています。 寓話的な意味はなくて、フランドルの農民の婚宴をリアルに描き出しています。 花嫁は中央の緑の天蓋布の下に座っており、紙の王冠が彼女の髪を飾っています。 フランダースの習慣によると、花婿は結婚式のテーブルにいませんでした。 ベレー帽をかぶった公証人、フランシスコ修道会の僧侶、犬を連れた従者(右端)の姿を見ることができます。 扉板の上に並べて、運ばれるお粥は、担ぎ手の姿勢と同様に、非常にシンプルでリアルに描かれています。

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ピーテル・ブリューゲルの1568年、38-43歳頃の作品、《農民の踊り Bauerntanz》です。
この作品で描かれているのは、教会の奉献祭のオープニングダンスです。これは、カップルたちだけが演じ、一般的なダンスに先行する伝統的なジャンプダンスです。 手前のカップルは何か急いでいる印象ですが、左端のシーンに気を取られているようです。物乞い(または巡礼者?)たちが物乞いをしているテーブルに近づいています。 ブリューゲルの農民に対する見方は、見下すようなものでもユーモラスなものでもありません。むしろ徹底したリアリズムが画面に横溢しています。なお、画面をよく観察すると《農民の結婚式 Bauernhochzeit》の登場人物を発見でき、相互の関係性が感じられます。

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ピーテル・ブリューゲルの1564年、34-39歳頃の作品、《十字架を担うキリスト Kreuztragung Christi》です。この作品は、ブリューゲルの描いた最も大きな絵画です。124cm×170cmのサイズです。
ブリューゲルは、エルサレムからゴルゴタへの行列として十字架の運びを描写するという、ヤン・ファン・エイクにまでさかのぼるオランダの絵画の伝統の画題に従っています。 しかし、彼の描く風景は非常に拡大化・精密化されています。 この作品はブリューゲルのこれまでで最も人物が豊富に描かれた絵画であり、当時の日常生活の観察に基づき、当時の生活風景が忠実に描かれています。画面では中央に群衆に囲まれて十字架を担うキリストが例によって、小さく描かれており、よく見ないと見つかりません。 手前の岩の上で悲しみに暮れる3人のマリアとヨハネだけは当時の流行の風俗ではない服をまとっています。それによって、とりわけ印象的に見えるように描かれています。 右端には、おそらくブリューゲルの自画像が描かれています。

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ピーテル・ブリューゲルの1563年、33-38歳頃の作品、《バベルの塔 Turmbau zu Babel》です。この作品の主題であるバベルの塔は旧約聖書に出る伝説の塔です。天まで届くような巨大な塔を建設しようとした人間に神の怒りが下るという物語です。
ブリューゲルの描いたバベルの塔の記念碑的な構成は、最も有名であり、古典的なバベルの塔の姿として広く伝播されるようになりました。 バベルの塔に比べて印象的に小さいフランドルの港湾都市の風景は、バベルの塔のスケール感を与えてくれます。 ブリューゲルは、細心の注意と百科事典的な知見を持って、バベルの塔の構造的および工芸的なプロセスを表現しています。 バベルの塔の石造りの外殻には、古代とロマネスク建築の要素が混ざっています。なお、画面の手前で市民と対話しているのは塔の建設を進めるニムロデ王です。

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ピーテル・ブリューゲルの1560年、30-35歳頃の作品、《子供の遊び Kinderspiele》です。
ブリューゲルが頻繁に用いた鳥瞰図によって、膨大な数の人物を眺めやすく、画面に収容しています。 230人以上の子供たちが83の異なるゲームを遊んでいます。 それぞれのシーンの細かさは、すべてのゲームを解読したい場合、じっくりと見究めることを可能にします。こんなに楽しい娯楽を提供してくれたブリューゲルに感謝しましょう。この手の絵はとかくに寓話的な意味を持たせるものが多いですが、これは単純明快に楽しい作品に仕上がっています。深読みするのはやめましょうね。

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この部屋に美術史美術館の至宝、ブリューゲルの絵画コレクションが展示されています。壮観な風景です。こうしてみると、ブリューゲルの絵画は大ぶりな作品が多いことが分かりますね。ここはとりわけ、美術ファンが群がる一角です。

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この後もドイツ絵画、イタリア絵画、オランダ・フランドル絵画など、様々な絵画が続きます。



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ウィーン美術史美術館:無名のヨーゼフ・ハインツ、アルチンボルド、ティントレット

2019年9月29日日曜日@ウィーン/9回目

今日は旅の最終日。ウィーンの最終日でもあります。もう、今晩は飛行機で帰国の途につきます。しかし、その前に精一杯、ウィーンの1日を楽しみます。
最後のウィーンの街歩き中で、ウィーン美術史美術館Kunsthistorisches Museum Wienを訪れています。名作絵画の数々を見ています。16世紀ドイツ絵画から、ドイツ絵画、イタリア絵画、オランダ・フランドル絵画など、様々な絵画が続きます。


ヨーゼフ・ハインツJoseph Heintz d. Ä. (1564年6月11日~1609年10月15日)の1600-1605年、36-41歳頃の作品、《洗礼者ヨハネの首を持つサロメ Salome mit dem Haupt Johannes d. Täufers》です。ぱっと見て、てっきり、クラナッハの描いたサロメかと誤認しました。実際は、無名の画家ヨーゼフ・ハインツがクラナッハのユーディットをもとに描いたものでした。皇帝ルドルフ2世は自分の古いドイツ絵画の壮大なコレクションを補足するために、コピーもどきの繊細な新作の制作を積極的に進めました。 ヨーゼフ・ハインツが描いた「サロメ」は、長老クラナッハによる「ユーディット」を再解釈したものです。 切断された頭が大皿に配置され、ユーディットが持っていた剣が欠落し、アスペクト比と衣服の詳細が変更されました。 色彩に関しては、ハインツはクラナッハの作品を忠実に再現しましたが、彼の描いた絵画はより滑らかな作品に仕上がっています。まあ、クラナッハの2番煎じの感ですね。画家も心ならずの作品なのでしょう。

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ジュゼッペ・アルチンボルドGiuseppe Arcimboldo(1526年4月5日 - 1593年7月11日)の1563年、37歳頃の作品、《夏 Sommer》です。ジュゼッペ・アルチンボルドはイタリア・ミラノ出身の画家で、マニエリスムを代表する画家の1人です。
アルチンボルドは、1562年から、ウィーンとプラハの宮廷画家でした。 肖像画家としての彼の仕事に加えて、結婚式のお祝いなどのディレクターやデコレーターとしての彼の仕事は特に賞賛されました。 1563年に一連の季節の絵画が作成されると、画家の死後の名声はその独自性のある絵画群に基づいています。 様々な植物で構成された「夏」は、自然な顔の表面ではありません。巧みに構成された顔には驚嘆しますし、ユーモアも感じますね。署名と日付は麦わらの衣服に巧みに織り込まれています。

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ジュゼッペ・アルチンボルドGiuseppe Arcimboldo(1526年4月5日 - 1593年7月11日)の1563年、37歳頃の作品、《冬 Winter》です。
一連の季節の絵画の一枚です。植物(の一部)と果物で構成された「冬」はユニークな顔の表情を見せています。襟の編みこみのわらに書かれた文字Mは、シリーズを依頼した皇帝マクシミリアン2世を指しています。

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ジュゼッペ・アルチンボルドGiuseppe Arcimboldo(1526年4月5日 - 1593年7月11日)の1566年、40歳頃の作品、《水 Wasser》です。
美術史美術館には「四大元素」シリーズの2枚の絵があります。 これらは、アルチンボルドが以前に作成した季節の絵画シリーズに関連して解釈されます。「冬」は「水」に対応し、「夏」は「火」に対応します。あとは「空気」の「春」と「地球」の「秋」。 この作品中の王冠は、皇帝マクシミリアン2世、すなわち絵画発注主への隠された関係を示すものです。

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ジュゼッペ・アルチンボルドGiuseppe Arcimboldo(1526年4月5日 - 1593年7月11日)の1566年、40歳頃の作品、《火 Feuer》です。
「四大元素」シリーズの中の一枚です。季節の絵画シリーズとの関連では、この「火」は「夏」に対応します。金羊毛と双頭の鷲のメダリオンの首輪のチェーンを備えた「火」は、皇帝マクシミリアン2世を最も明確にほのめかしています。

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次は唐突ながら、イタリア絵画に飛びます。もっとも、アルチンボルトもイタリア人でしたね。
ティントレットTintoretto(本名:Jacopo Comin(Jacopo Robusti))(1518年9月29日 - 1594年5月31日)の1555-1556年、37-38歳頃の作品、《水浴するスザンナ Susanna im Bade》です。ティントレットは、イタリアのルネサンス期のヴェネツィア派を代表する画家です。
旧約聖書には、美しいスザンナが自分の庭で入浴しているときに密かに侵入した2人の長老ののぞき屋からスケベな求愛をどのように受け取ったかが書かれています。 彼女が彼らを拒絶すると、彼らは彼女を彼女の夫に誹謗中傷します。 ダニエルという青年が異を唱えたことが、姦通の疑いで死刑に処されることからスザンナを救います。結果、 不正な告発者は処刑され、美徳が勝利を収めたわけです。「嵐の前の静けさ」というシーンに内在する緊張は、光と闇、極端な近さと極端な距離、女性のまばゆいばかりの美しさ、そして男性の似顔絵のような人相のコントラスト などによって視覚化されています。まあ、この作品で見るべきはスザンナの輝くような白い肌の美しさでしょう。

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クラナッハなどの絵画がまだ続きます。



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田部京子のシューベルトは世界初演のピアノ協奏曲? 藤岡 幸夫&東京シティ・フィル@ティアラこうとう(江東公会堂)大ホール 2022.1.29

恐いものみたさでこのコンサートに足を運んでみました。何と言っても、ピアノ曲の最高峰のひとつであるシューベルトのピアノ・ソナタ第21番 変ロ長調D.960を協奏曲に編曲というのですから凄い。しかし、これを原曲と比較するというのは野暮過ぎます。そりゃーね、saraiが愛してやまぬシューベルトのピアノ・ソナタ第21番ですからね。先月も田部京子の演奏で素晴らしい演奏を聴いたばかりです。まだ、頭の中にそのときの演奏が残っています。
もっとも、編曲した吉松隆さんもそもそも田部京子さんの弾くシューベルトのピアノ・ソナタ第21番に魅せられて、この編曲を行ったそうです。そういうシューベルトへの愛を聴くというのが正しい聴き方なのかもしれません。そういう意味では、隅々まで熟知した名曲を違った形で聴いて、楽しめました。編曲が一番成功していたのは第2楽章。寂漠としたところこそ、もうひとつでしたが、とても美しい音楽に仕上がっていました。田部京子のピアノは珍しくベーゼンドルファーでした。演奏はもちろん、お得意のシューベルトですから悪かろう筈はありません。ですが、ちょっとオーケストラに合わせ気味でテンポが平板な感じになっていたのが残念なところ。いつもの詩的表現が前面に出ていない印象でした。

実はこの東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団を聴くのは今日が初めてです。評判はこれまでも聞いていたので、お手並み拝見というところです。後半のシベリウスの交響曲第1番、とても見事な演奏でした。最高の演奏と言ってもいいでしょう。冒頭のクラリネットの独奏から素晴らしくて、ぐっと惹き込まれます。第1楽章は第1ヴァイオリンのアンサンブルがもうひとつに思えましたが、それを補って余りあるのが、管セクションの素晴らしい演奏。ヴィオラも見事です。第2楽章にはいると、第1ヴァイオリンも美しいアンサンブルに変わります。すべてのパートが素晴らしいアンサンブルで響きます。実に瑞々しいシベリウスです。響きも音楽表現も最高です。そのまま、第3楽章、第4楽章と進みます。そして、圧巻のフィナーレ。実演で聴いたこの曲の演奏では最高のものです。こういう響きでチャイコフスキーを聴いてみたいとふと思います。在京オーケストラでは、もっとアンサンブルのよいオーケストラもありますが、どこか魅力を感じさせて、音楽に惹き込む力があります。思わず、3月のマーラーの交響曲第9番も聴きたくなって、ぽちっとチケットを買ってしまいました。来季の春シーズンもとりあえず、聴いてみましょう。東響、読響、都響、N響に続いて、気になる存在が増えました。


今日のプログラムは以下です。

  指揮:藤岡 幸夫(首席客演指揮者)
  ピアノ:田部 京子
  管弦楽:東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団  コンサートマスター:戸澤哲夫

  シューベルト(吉松隆編):ピアノ協奏曲・・・ピアノ・ソナタ 変ロ長調D.960(第21番)のピアノとオーケストラのための演奏用バージョン(世界初演)

   《休憩》

  シベリウス:交響曲第1番 ホ短調 Op.39


最後に予習について、まとめておきます。

1曲目のシューベルト(吉松隆編)のピアノ協奏曲は世界初演なので予習は原曲のピアノ・ソナタ 変ロ長調D.960(第21番)を聴きました。

 田部京子 1993年10月20~22日 秋川キララ・ホール セッション録音

これは田部京子のシューベルト作品集の最初の録音です。もう、30年近く前の録音です。最近も聴いたばかりでしたが、何度聴き直してみても、やはり、素晴らしい演奏です。聴き惚れてしまいました。今度はライヴで再録音してもらいたいものですが、たとえ、再録音されなくても満足の1枚です。


2曲目のシベリウスの交響曲第1番は以下のCDを聴きました。

 パーヴォ・ベルグルンド指揮ヨーロッパ室内管弦楽団 1997年10月 セッション録音
 
シベリウスの同郷人であるベルグルンドはシベリウスのスペシャリストとも言える最高の存在。その彼が最後に残した3回目の交響曲全集は何とフィンランドのオーケストラではなく、ヨーロッパ室内管弦楽団。彼がドリームチームと呼んだだけのことはあり、そのピュアーな響きは最高です。これがベルグルンドが最終的に見つけたシベリウスだったんですね。saraiの一番のお気に入りのシベリウスです。ベルグランドを含めたフィンランド人指揮者によるヘルシンキ・フィルのシベリウスも好きですが、一番のお気に入りはこのCDです。



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       田部京子,  

吉田南の見事過ぎるブラームス 秋山和慶&東京交響楽団@サントリーホール 2022.1.30

いやはや、このところ、オミクロン株の猛威でコンサートの予定も滅茶苦茶になっています。しかし、そこで日本人若手の予想外の素晴らしい演奏が聴けることもあります。今日の吉田南のヴァイオリンは初聴きでしたが、素晴らしいブラームスを聴かせてくれました。日本人ヴァイオリニストでこういうレベルのブラームスを演奏したのは・・・思い出せるのは庄司紗矢香だけです。とかくにブラームスのよい演奏を聴くことは稀ですが、吉田南は高音の美しい響き、テクニック、音楽性、すべての面で安定した演奏を聴かせてくれ、さらには魂の燃焼まで感じさせてくれました。とりわけ、第2楽章の美しい演奏に心を奪われ、圧巻だったのは第3楽章。弾むような切れの良い演奏でバリバリと弾き進めていきました。もう、これ以上の演奏はないでしょう。楽しみな逸材が現れたものです。最近では、辻彩奈に比肩する存在に思えます。日本のヴァイオリンとピアノは次々と若手の逸材が台頭してきて、驚くべき状況です。ちょうど、コロナ禍で海外の音楽家が聴けない中、嬉しいですね。これから、吉田南を聴く機会が増えそうな予感がします。アンコールのテレマンでも実に端正な演奏を聴かせてくれました。なお、使用楽器は日本音楽財団から貸与されている1716年製のストラディヴァリウス「ブース」です。

前半は吉田南のブラームスに魅了されましたが、もちろん、東響の演奏も素晴らしく、第3楽章の両者の丁々発止の演奏はエキサイティングでした。そして、後半はブラームスの交響曲第1番。秋山和慶の素晴らしい指揮と東響の聴き惚れるような音響で最高の演奏になりました。ヴァイオリン群の美しい響きはもちろん、ヴィオラとチェロの響きが冴え渡ります。オーボエの荒絵理子も素晴らしい演奏で、木管、金管セクションもみな好調。ブラームスの和声がくっきりと醸成されます。
第1楽章も第2楽章もほれぼれとする演奏に聴き入ります。第2楽章の水谷晃のヴァイオリンソロも見事です。第3楽章の中間あたりから音楽は高潮して、東響のメンバーの気合がはいるのが分かります。そして、間を置かずに第4楽章・・・長大な楽章ですが、緊張感のある演奏でぐっと気持ちを惹きつけられ続けます。印象的な有名な歌唱的旋律が弦楽合奏で奏でられますが、東響のヴァイオリンとヴィオラの調和した演奏はまことに見事です。弦楽セクション間での対位法的な展開あたりから、音楽は盛り上がり、混沌とした音楽や行進曲風の音楽などが複雑に絡まり合いながら、終結部のコラールに入っていきます。そして、圧倒的なコーダに強い感銘を受けつつ、完結。素晴らしいブラームスでした。日本人指揮者と日本のオーケストラでかくも素晴らしいブラームスが聴ける時代になったことを実感しました。とりわけ、80歳を超えた秋山和慶の最近の充実ぶりには脱帽の思いです。真の意味で巨匠の域に足を踏み入れつつあることを感じます。特にドイツ・オーストリア音楽での熟成と活躍は楽しみです。それに何と言っても、その指揮姿はお元気でその年齢を感じさせません。コバケンとお二人で日本の音楽界を牽引していってくれることを願います。


今日のプログラムは以下のとおりでした。

  指揮:秋山和慶
  ヴァイオリン:吉田南
  管弦楽:東京交響楽団 コンサートマスター:水谷晃

  ブラームス:ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 Op.77
  《アンコール》テレマン:無伴奏ヴァイオリンのための12の幻想曲より第10番 ニ長調 第1楽章

  《休憩》

  ブラームス:交響曲第1番 ハ短調 op.68


最後に予習について、まとめておきます。

1曲目のブラームスのヴァイオリン協奏曲を予習したCDは以下です。

  ダヴィッド・オイストラフ、オットー・クレンペラー指揮フランス国立放送管弦楽団 1960年11月、パリ、サル・ワグラム セッション録音

子供の頃から聴いてきたsaraiの定番の演奏です。オイストラフの繊細な響きは素晴らしい!


2曲目のブラームスの交響曲第1番を予習したCDは以下です。

  ギュンター・ヴァント指揮北ドイツ放送交響楽団(NDR) 1996年4月21~23日 ハンブルク、ムジークハレ(現ライスハレ)  ライヴ録音

ヴァントの晩年を代表するブラームスの交響曲全集です。しかし、少なくとも、この第1番はあまりに厳格過ぎる演奏で楽しめませんでした。人によって、評価が分かれているようです。



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ウィーン美術史美術館:クラナッハ、ファン・デル・ウェイデン、ボス、ファン・クレーフェ、フェルメール

2019年9月29日日曜日@ウィーン/10回目

今日は旅の最終日。ウィーンの最終日でもあります。もう、今晩は飛行機で帰国の途につきます。しかし、その前に精一杯、ウィーンの1日を楽しみます。
最後のウィーンの街歩き中で、ウィーン美術史美術館Kunsthistorisches Museum Wienを訪れています。名作絵画の数々を見ています。16世紀ドイツ絵画から、オランダ・フランドル絵画など、様々な絵画が続きます。


ルーカス・クラナッハLucas Cranach der Ältere(1472年10月4日 - 1553年10月16日)の1537年、64歳頃の作品、《ホロフェルネスの頭を持つユーディットと召使い Judith mit dem Haupt des Holofernes und einer Dienerin》です。クラナッハはユーディットの絵を複数描いています。よほど、当時人気があったのでしょう。召使が持つ袋にホロフェルネスの頭を入れようとしているユーディットが画面から、この絵を眺める我々をじっと見つめているのが印象的です。その視線は意思の強さを感じます。一方、召使は優しい表情でホロフェルネスの頭を見ています。これは一種の肖像画でユーディットに扮する女性の気高さを称えているのでしょう。

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ロヒール・ファン・デル・ウェイデンRogier van der Weyden(1399年/1400年 - 1464年6月18日)の1443-1445年、43-46歳頃の作品、《キリスト磔刑の三連画 Kreuzigungsaltar》です。ファン・デル・ウェイデンは、初期フランドル派の画家であり、ロベルト・カンピン、ヤン・ファン・エイクとともに初期フランドル派を代表する三大巨匠とみなされています。
今日、有翼祭壇画として描かれたキリスト磔刑のシーンは、元々、単一フレームに描かれた1枚のパネルで構成されていました。 早い段階で、作品は3つの部分に切断され、中央のパネルにはキリスト磔刑が置かれ、マグダラのマリアと聖ヴェロニカを描写した部分が三連画の翼になりました。 したがって、ファン・デル・ウェイデンの偉大な芸術的革新は、元のバージョンではさらに重要であったはずです。彼は初めて、理想化された景色が描かれた均一な風景の前で、すべての参加者(十字架刑グループ、聖人、寄付者)を結合させました。中央のパネルでは、十字架にすがって嘆く聖母マリアを聖ヨハネが支えています。十字架の右側にはこの作品の注文者と思われる夫婦が跪いています。左のパネルでは香油壺を持って泣いているマグダラのマリア、右のパネルでは聖顔布を掲げる聖ヴェロニカが描かれています。想像上のエルサレムが遠く地平線の背景に描かれています。実に見事な作品です。

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ヒエロニムス・ボスHieronymus Bosch(1450年頃 - 1516年8月9日)の1490-1510年、40-60歳頃の作品、《十字架を運ぶキリスト Kreuztragung Christi》です。ボスは、ルネサンス期のネーデルラントの画家で、初期フランドル派に分類されています。
両面に描かれたパネルは、もともと小さな祭壇画の左翼を形成していました。 ボスは、見る者に世界の邪悪さを認識させるために、シーンを自分の生きている現在、15世紀当時に移し、その頃の風俗を描きました。 パネルの裏側に描かれたウォーキングチェアと風車を持った子供は、子供のイエスとして、または無知の寓話として、等々、さまざまに解釈されてきましたが、そのイノセンスさと受難のシーンの対比は印象的です。ボスの作品は30枚ほどしか現存していません。この作品は貴重な一作です。ボスの作風は後のブリューゲルに引き継がれることになります。1枚目がパネルの表、2枚目がパネルの裏です。

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ヨース・ファン・クレーフェJoos van Cleve(1485年頃 - 1540年頃)の1530年、45歳頃の作品、《三連祭壇画 Flügelaltar》です。ファン・クレーフェは、フランドルの画家ですが、生涯については謎が多く、確定していることは少ないようです。
ヨース・ファン・クレーフェは、古いオランダの三連祭壇画の構図の伝統を守り、その上でさまざまな構築形態と色調の変化で絵画を豊かにしました。 中央のパネルには、聖母子、聖ヨセフ、翼パネルには聖ゲオルグと聖カタリナ、ひざまずく未知の寄進者の夫妻が描かれています。

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ヨハネス・フェルメールJohannes Vermeer(1632年10月31日? - 1675年12月15日?)の1666-1668年、34-36歳頃の作品、《絵画芸術(画家のアトリエ)Die Malkunst》です。フェルメールは、ネーデルラント(オランダ)の画家で、バロック期を代表する画家の1人です。というか、世界で最も有名な画家の一人ですね。
この作品は美術史美術館の至宝中の至宝として門外不出になっています。つまり、ここでしか見られないという貴重な作品です。
フェルメールは風俗画を絵画芸術の普遍的なものにまで高めました。 この作品で、彼のモデルはギリシャ神話の女神クリオを装っています。そのミューズは画家にインスピレーションを与え、そして、歴史書を持ったミューズは古典的オランダ絵画の不滅のステータスを宣言しています。 彫刻のモデル、スケッチブック、そしてイーゼルに描かれた絵はすべて、芸術の統一を示しています。 北と南に分割される前のオランダの17の州を示す地図は、その名声が絵画芸術において、長い間輝いてきた国であることを示しています。フェルメールが高らかな矜持を抱いて制作した傑作絵画です。もっとも、saraiはこの矜持に満ちた作品よりも『牛乳を注ぐ女』と『デルフトの風景』を愛好しています。

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オランダ絵画が続きます。



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首都圏の様々なジャンルのクラシックコンサート、オペラの感動をレポートします。在京オケ・海外オケ、室内楽、ピアノ、古楽、声楽、オペラ。バロックから現代まで、幅広く、深く、クラシック音楽の真髄を堪能します。
たまには、旅ブログも書きます。

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金婚式、おめでとうございます!!!
大学入学直後からの長いお付き合い、素晴らしい伴侶に巡り逢われて、幸せな人生ですね!
京都には年に2回もお越しでも、青春を過ごし

10/07 08:57 堀内えり

 ≪…長調のいきいきとした溌剌さ、短調の抒情性、バッハの音楽の奥深さ…≫を、長調と短調の振り子時計の割り振り」による十進法と音楽の1オクターブの12等分の割り付けに

08/04 21:31 G線上のアリア

じじいさん、コメントありがとうございます。saraiです。
思えば、もう10年前のコンサートです。
これがsaraiの聴いたハイティンク最高のコンサートでした。
その後、ザル

07/08 18:59 sarai

CDでしか聴いてはいません。
公演では小沢、ショルティだけ

ベーム、ケルテス、ショルティ、クーベリック、
クルト。ザンデルリング、ヴァント、ハイティンク
、チェリブ

07/08 15:53 じじい@

saraiです。
久々のコメント、ありがとうございます。
哀愁のヨーロッパ、懐かしく思い出してもらえたようで、記事の書き甲斐がありました。マイセンはやはりカップは高く

06/18 12:46 sarai

私も18年前にドレスデンでバームクーヘン食べました。マイセンではB級品でもコーヒー茶碗1客日本円で5万円程して庶民には高くて買えなかったですよ。奥様はもしかして◯良女

06/18 08:33 五十棲郁子

 ≪…明恵上人…≫の、仏眼仏母(ぶつげんぶつも)から、百人一首の本歌取りで数の言葉ヒフミヨ(1234)に、華厳の精神を・・・

もろともにあはれとおもへ山ざくら 花よりほか

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