今日は旅の最終日。ウィーンの最終日でもあります。もう、今晩は飛行機で帰国の途につきます。しかし、その前に精一杯、ウィーンの1日を楽しみます。
最後のウィーンの街歩き中で、ウィーン美術史美術館Kunsthistorisches Museum Wienを訪れています。名作絵画の数々を見ています。オランダ・フランドル絵画を鑑賞しています。
レンブラント・ハルメンソーン・ファン・レインRembrandt Harmenszoon van Rijn(1606年7月15日 - 1669年10月4日)の1652年、46歳頃の作品、《大きな自画像 Großes Selbstbildnis》です。レンブラントは、ネーデルラント(現在オランダ)の画家。光と陰の画家として、世界に広く知られています。
レンブラントの作品の中でも、自画像が特に重要です。 レンブラントは全部で60以上もの自画像を描きました。そして、それは彼の個人的な状況に加えて、主に彼の芸術的発展を記録したものです。一説には、著名な画家の自画像を蒐集する鑑定家向けに描かれたのではないかという穿った意見もあるようです。この作品は1645年以降に描かれた自画像の中では最も初期のものです。以降、彼はほぼ1年に1作ずつ、自画像を描いています。これらは後期自画像と呼ばれています。 レンブラントが成功した初期の頃の自画像では、レンブラントが豪華なローブや変装で自分自身を表現するのが好きでした。しかし、本作では彼はシンプルな茶色の画家のスモック姿で登場します。 彼は自信を持って腕を腰に当て、親指をベルトに引っ掛けています。頭に被ったベレー帽は16世紀当時の芸術家の間で流行らせたもので、この時代の自画像や肖像画でも多くみられます。彩色技法としては、絵の中の影になるべきところにグレーの下塗りを施している点が挙げられます。絵全体のグレーの下地塗りのさらに上に陰影を強調するためにグレーの下地を塗るという凝った技法を駆使しています。眼窩と口ひげの部分にそれが施されています。

レンブラント・ハルメンソーン・ファン・レインRembrandt Harmenszoon van Rijnの1655年、49歳頃の作品、《ネックレスとイヤリングを付けて、毛皮をまとった自画像 Selbstbildnis im Pelz, mit Kette und Ohrring》です。
レンブラントの自画像での表現は、歴史的な衣装の表現から作業服の肖像画やファンタジーの肖像画にまで及びます。 16世紀の流行にさかのぼり、ベレー帽はレンブラントのトレードマークになりました。 ゴールドチェーンのネックレスは、彼の初期の自画像以来、繰り返し登場するアクセサリーでもあります。 この作品では影の微妙な表現の見事さが際立ちます。

レンブラント・ハルメンソーン・ファン・レインRembrandt Harmenszoon van Rijnの1657年、51歳頃の作品、《小さな自画像 Kleines Selbstbildnis》です。
この非公式の肖像画では、レンブラントは、茶色の上着と赤いウールのシャツなど、日常の装いで鑑賞者と対峙しています。 年齢が上がるにつれ、レンブラントの自画像では、見た目のシンプルさと田園的な色彩が優勢になります。 正面を向いた顔のポーズと表情は、1652年の自画像に似ています。 自己の内面を感じさせる熟成した自画像の表現に惹き込まれますが、何とも画面のサイズが48×40.6 cmと小さいのが物足りない印象ではあります。

レンブラント・ハルメンソーン・ファン・レインRembrandt Harmenszoon van Rijnの1656-57年、50-51歳頃の作品、《本を読む画家の息子ティトゥス Titus van Rijn, der Sohn des Künstlers, lesend》です。
ティトゥス・ファン・レインは1641年に生まれ、レンブラントと彼の最初の妻サスキアの4人の子供の一番下の子で、子供のうち成人期に達した唯一の子供でした。 彼は1668年に亡くなりました。レンブラントは自画像だけでなく、妻、母、子供などの家族の肖像画もしばしば描きました。 ティトゥスも10枚ほどの絵画に描かれています。この絵画は厳密な意味での肖像画ではありません。 むしろ、読書を楽しんでいる状況が実際の画題になります。 光の使用は絵画表現を高めるのに役立ち、若い男の顔の独特の表情と本を持った彼の明るく輝く手が暗闇の中から浮かび上がります。レンブラントの息子への親密な愛情が感じ取れると言ったら言い過ぎでしょうか。

レンブラントは自画像を中心に鑑賞しました。最後に再び、クラナッハを見て、今回の美術史美術館の鑑賞を終えましょう。
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