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ウィーン美術史美術館:レンブラント

2019年9月29日日曜日@ウィーン/11回目

今日は旅の最終日。ウィーンの最終日でもあります。もう、今晩は飛行機で帰国の途につきます。しかし、その前に精一杯、ウィーンの1日を楽しみます。
最後のウィーンの街歩き中で、ウィーン美術史美術館Kunsthistorisches Museum Wienを訪れています。名作絵画の数々を見ています。オランダ・フランドル絵画を鑑賞しています。


レンブラント・ハルメンソーン・ファン・レインRembrandt Harmenszoon van Rijn(1606年7月15日 - 1669年10月4日)の1652年、46歳頃の作品、《大きな自画像 Großes Selbstbildnis》です。レンブラントは、ネーデルラント(現在オランダ)の画家。光と陰の画家として、世界に広く知られています。
レンブラントの作品の中でも、自画像が特に重要です。 レンブラントは全部で60以上もの自画像を描きました。そして、それは彼の個人的な状況に加えて、主に彼の芸術的発展を記録したものです。一説には、著名な画家の自画像を蒐集する鑑定家向けに描かれたのではないかという穿った意見もあるようです。この作品は1645年以降に描かれた自画像の中では最も初期のものです。以降、彼はほぼ1年に1作ずつ、自画像を描いています。これらは後期自画像と呼ばれています。 レンブラントが成功した初期の頃の自画像では、レンブラントが豪華なローブや変装で自分自身を表現するのが好きでした。しかし、本作では彼はシンプルな茶色の画家のスモック姿で登場します。 彼は自信を持って腕を腰に当て、親指をベルトに引っ掛けています。頭に被ったベレー帽は16世紀当時の芸術家の間で流行らせたもので、この時代の自画像や肖像画でも多くみられます。彩色技法としては、絵の中の影になるべきところにグレーの下塗りを施している点が挙げられます。絵全体のグレーの下地塗りのさらに上に陰影を強調するためにグレーの下地を塗るという凝った技法を駆使しています。眼窩と口ひげの部分にそれが施されています。

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レンブラント・ハルメンソーン・ファン・レインRembrandt Harmenszoon van Rijnの1655年、49歳頃の作品、《ネックレスとイヤリングを付けて、毛皮をまとった自画像 Selbstbildnis im Pelz, mit Kette und Ohrring》です。
レンブラントの自画像での表現は、歴史的な衣装の表現から作業服の肖像画やファンタジーの肖像画にまで及びます。 16世紀の流行にさかのぼり、ベレー帽はレンブラントのトレードマークになりました。 ゴールドチェーンのネックレスは、彼の初期の自画像以来、繰り返し登場するアクセサリーでもあります。 この作品では影の微妙な表現の見事さが際立ちます。

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レンブラント・ハルメンソーン・ファン・レインRembrandt Harmenszoon van Rijnの1657年、51歳頃の作品、《小さな自画像 Kleines Selbstbildnis》です。
この非公式の肖像画では、レンブラントは、茶色の上着と赤いウールのシャツなど、日常の装いで鑑賞者と対峙しています。 年齢が上がるにつれ、レンブラントの自画像では、見た目のシンプルさと田園的な色彩が優勢になります。 正面を向いた顔のポーズと表情は、1652年の自画像に似ています。 自己の内面を感じさせる熟成した自画像の表現に惹き込まれますが、何とも画面のサイズが48×40.6 cmと小さいのが物足りない印象ではあります。

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レンブラント・ハルメンソーン・ファン・レインRembrandt Harmenszoon van Rijnの1656-57年、50-51歳頃の作品、《本を読む画家の息子ティトゥス Titus van Rijn, der Sohn des Künstlers, lesend》です。
ティトゥス・ファン・レインは1641年に生まれ、レンブラントと彼の最初の妻サスキアの4人の子供の一番下の子で、子供のうち成人期に達した唯一の子供でした。 彼は1668年に亡くなりました。レンブラントは自画像だけでなく、妻、母、子供などの家族の肖像画もしばしば描きました。 ティトゥスも10枚ほどの絵画に描かれています。この絵画は厳密な意味での肖像画ではありません。 むしろ、読書を楽しんでいる状況が実際の画題になります。 光の使用は絵画表現を高めるのに役立ち、若い男の顔の独特の表情と本を持った彼の明るく輝く手が暗闇の中から浮かび上がります。レンブラントの息子への親密な愛情が感じ取れると言ったら言い過ぎでしょうか。

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レンブラントは自画像を中心に鑑賞しました。最後に再び、クラナッハを見て、今回の美術史美術館の鑑賞を終えましょう。



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凄過ぎる!!《さまよえるオランダ人》@新国立劇場 2022.2.2

昨年末のワーグナーのマイスタージンガーも素晴らしかったのですが、今日の《さまよえるオランダ人》は凄いとしか言えない音楽に深く感動しました。とりわけ、第2幕のオランダ人とゼンタの異形の愛の2重唱は想像を絶するような素晴らしさ。2人が顔を見合わせることなく、不思議な愛を歌い上げるシーンは凄く、まるで指輪のウォータンのようなオランダ人の哲学的な歌唱をバックにゼンタ役の田崎尚美のスケール感のある美しい声が無償の愛を歌い上げる姿にただただ感動してしまいました。その後、立ち位置を逆転して、前面で呟きのようなオランダ人の歌唱をバックからゼンタ役の田崎尚美の突き抜けるようなソプラノの声がおおいかぶさる様も凄まじいものでした。
saraiが大きな衝撃を受けた第2幕はそのまま、途切れることなく第3幕に突入します。第3幕は冒頭から素晴らしい大合唱に酔い痴れます。新国立劇場合唱団の圧倒的な男声合唱が炸裂します。加えて美しい女声合唱。不気味な幽霊船をバックに合唱が高揚していき、音楽は最高潮に達します。次はエリック役の城 宏憲の見事な歌唱、そして、ゼンタ役の田崎尚美とオランダ人役の河野鉄平の迫真の歌唱が加わり、3人の重唱が物凄い盛り上がりになります。中心は田崎尚美の強烈で美しいソプラノです。こんな凄い逸材が日本にいたとは驚きです。ゼンタの愛の死にはひたすら感動するのみです。幕を閉じる最後のオーケストラの演奏にも強烈に感動します。

《さまよえるオランダ人》は2005年にウィーン国立歌劇場で聴いて以来、約17年ぶりです。ウィーンでは最高の公演を聴いたのですが、今日はそれをも上回る会心のオペラ公演でした。演出もワーグナーの音楽を完全に理解し、素晴らしい音楽を活かすようなものだと納得できるものです。そして、何と言ってもゼンタ役の田崎尚美の歌唱の凄かったこと! オペラの題名を《さまよえるオランダ人を無償の愛で救済する乙女の物語》と改題したくなるような最高の歌唱でした。このオペラの何たるかを初めて実感できたような気がします。間違いなく、今シーズン、最高のオペラになるでしょう。うーん、オペラはやっぱりいいね。
あっ、書き洩らしていましたが、ダーラント役の妻屋秀和は第1幕、第2幕で見事な歌唱を聴かせてくれました。それにしても、日本人歌手だけでこんな凄いワーグナーの楽劇が上演できるとは、時代が変わったんですね。指揮だけは外国人。ガエタノ・デスピノーサは初聴きのような気がしますが、ツボを押さえたオーソドックスな指揮で好感を持てました。オーケストラの東京交響楽団は三日前のブラームスでも好演しましたが、今日も好調な演奏でした。


今日のキャストは以下です。

【指 揮】ガエタノ・デスピノーサ
  【演 出】マティアス・フォン・シュテークマン
  【美 術】堀尾幸男
  【衣 裳】ひびのこづえ
  【照 明】磯野 睦
  【再演演出】澤田康子
  【舞台監督】村田健輔


【ダーラント】妻屋秀和
  【ゼンタ】田崎尚美
  【エリック】城 宏憲
  【マリー】山下牧子 ⇒ 当日変更 歌唱:金子美香 演技:澤田康子(再演演出)
  【舵手】鈴木 准
  【オランダ人】河野鉄平

  【合唱指揮】三澤洋史
  【合 唱】新国立劇場合唱団
  【管弦楽】東京交響楽団

最後に予習について、まとめておきます。

  クリスティアン・ティーレマン指揮バイロイト祝祭管弦楽団・合唱団 演出: ヤン・フィリップ・グローガー 2013年7月25日、バイロイト祝祭劇場 NHK BS録画
    美術:クリストフ・ヘッツァー
    衣装:カリン・ユド
    照明:ウルス・シェーネバウム
    ダーラント:フランツ・ヨーゼフ・ゼーリヒ
    ゼンタ:リカルダ・メルベト
    マリー:クリスタ・マイア
    オランダ人:ヨン・サミュエル
    エリック:トミスラフ・ムジェク
    舵取り:ベンジャミン・ブランズ

ティーレマンが主導した音楽は最高。最後は涙が出るほど感動しました。メルベトのゼンタが大熱演。一方、演出は妙でカーテンコールではブーイングが出ていました。



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ウィーン美術史美術館:最後はクラナッハ

2019年9月29日日曜日@ウィーン/12回目

今日は旅の最終日。ウィーンの最終日でもあります。もう、今晩は飛行機で帰国の途につきます。しかし、その前に精一杯、ウィーンの1日を楽しみます。
最後のウィーンの街歩き中で、ウィーン美術史美術館Kunsthistorisches Museum Wienを訪れています。名作絵画の数々を見ています。レンブラントの自画像を鑑賞しました。最後はクラナッハです。


ルーカス・クラナッハLucas Cranach der Ältere(1472年10月4日 - 1553年10月16日)の1528年、56歳頃の作品、《ロトと娘たち Lot und seine Töchter》です。
この作品のテーマはロトとその娘です。この美術館でもアルトドルファーの描いた同一主題の絵画を見ました。このエピソードは『旧約聖書』「創世記」11章から14章で語られています。ロトとその家族はイスラエルのソドムの町に住んでいました。その当時ソドムの町とその近隣のゴモラの町は神を敬わない人が多く、風紀が著しく乱れており、神は怒り、二つの町を滅ぼそうと決めました。しかし、ロトは義人であったために神は天使を遣わせて町から事前に逃げるよう命じます。生き残ったロトと娘らは洞窟に住むことになりましたが、二人の娘には結婚相手を見つける術がなかったので、父親であるロトを酒に酔わせて近親相姦によって身ごもります。この作品では娘が父に性的アピールをするシーンが描かれています。実におぞましいテーマですが、クラナッハの描いた作品はそれを忘れてしまほど、美しい作品に仕上がっています。とりわけ、二人の娘は作品が描かれた当時のファッションに身を包み、とても美しいです。なお、画面の上部には業火で焼き滅ぼされるソドムの町から逃げ延びるロトと娘たちが描かれています。一つの画面に物語が時系列的に描かれているわけです。

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ルーカス・クラナッハLucas Cranach der Ältereの1537年、65歳頃の作品、《人間の堕落(アダムとイヴ) Sündenfall》です。
この作品のテーマは楽園で林檎を食べて堕落するアダムとイヴです。このテーマはクラナッハが繰り返し取り上げたテーマで、この美術館でも何枚も見ました。アダムとイヴを大きく描いた作品ではそれぞれを2枚の別の絵に描いたものもありましたが、これは1枚の画面に2人が一緒に描かれています。必要なパーツ、林檎、蛇、鹿はすべて揃っています。二人の陰部は自分で隠すのではなく、自然に生えている枝葉で隠されています。そのため、アダムとイヴは自由にポーズをとるとこが可能になっています。二人の顔の表情は視線が空を彷徨い、うつろになっていることが印象的です。堕落を象徴するかのごとくです。細部まで完成度の高い傑作ですね。

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結局、今回はクラナッハに始まり、クラナッハに終わりました。なんだかんだ言っても、saraiはクラナッハの作品が好きなんです。この美術史美術館はクラナッハとブリューゲルの作品の宝庫といった風情があります。
これがクラナッハの名品が並ぶ部屋の様子です。最後にゆったりと椅子に座って、クラナッハを眺めていました。

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しばらくして、椅子を離れ、出口に向かいます。ラファエロの聖母子などのイタリア絵画の名品もありますが、今回はこれで完了とします。途中、美術館の中庭が見えます。中庭に面した壁面にも美しい壁画が並んでいます。きっと誰にも見られないでしょうね。もったいない。

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やがて、美しい階段の前に出ます。美術史美術館は収蔵作品も素晴らしいですが、建物自体も美術品です。

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美術史美術館を出て、その前の広場を奥に抜けていきます。振り返ると、マリア・テレジア像の後ろ姿が見えます。

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次は通りを挟んで、美術史美術館の裏手にあるムゼウムシュクヴァルティアーMuseumsQuartierに向かいます。

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ここまでの散策ルートを地図で確認しておきましょう。

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このムゼウムシュクヴァルティアーには、シーレの作品の膨大なコレクションを誇るレオポルド美術館Leopold Museumがあります。2001年に開館した美術館で、古い伝統を誇るウィーンでは新参者と言えるでしょう。saraiは開館間もない時から、幾度となく、この素晴らしい美術館を訪れています。今回も本腰を入れて、全作品を見尽くす意気込みです。しばらくの間、ご一緒にシーレ、クリムト、ココシュカ、ゲルストルの名作を鑑賞しましょう。今回の長旅のグランドフィナーレになります。



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レオポルド美術館:マカルト、ホフマン、シーレ、ホドラー、リスト

2019年9月29日日曜日@ウィーン/13回目

今日は旅の最終日。ウィーンの最終日でもあります。もう、今晩は飛行機で帰国の途につきます。しかし、その前に精一杯、ウィーンの1日を楽しみます。
最後のウィーンの街歩き中で、ウィーン美術史美術館Kunsthistorisches Museum Wienを鑑賞した後、これから、レオポルド美術館Leopold Museumの名品をたっぷり鑑賞するところです。
まずはエントランスでチケットを購入。10ユーロとまずまずリーズナブルな料金だし、チケットがシーレの絵になっているのがいいですね。

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エレベーターで最上階の4階まで上がり、そこから鑑賞を開始。
以下、レオポルド美術館の至宝を見ていきます。今回はこれまでの集大成として見ていくので、本ブログでも紹介済の作品も並べていきます。作品の解説文は本ブログの過去の記事も流用しますので、悪しからず。

ハンス・マカルトHans Makart(1840年5月28日 - 1884年10月3日)の1870-1872年、30-32歳頃の作品、《ベスタの処女 Vestalin》です。
色使いの綺麗な美しい作品です。この美しい色使いによって、マカルトは「色の魔術師」とも呼ばれ、クリムトが最初に影響を受けたと言われています。ハンス・マカルトはオーストリア19世紀の画家で、ウィーンの宮廷で活躍し、歴史画の大作を数多く描いたアカデミック美術を代表する画家です。なお、ベスタの処女は、古代ローマで信仰された火床をつかさどる女神ベスタに仕えた巫女たちのこと。
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続いて、ウィーン分離派のメンバーたちの写真があります。1902年に撮影されました。分離派が結成されたのは、この写真の5年前の1897年です。中心となったのはグスターフ・クリムト。写真では左から2番にいますね。

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その分離派展のポスターがずらっと並んでいます。

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ヨーゼフ・フランツ・マリア・ホフマンJosef Franz Maria Hoffmann(1870年12月15日 - 1956年5月7日)の制作したキャバレー・フレーダーマウスのための家具調度です。キャバレー・フレーダーマウスは、1907年にウィーン工房の全面的な参加のもとで店開きしました。 内装や家具、食器類はもちろんのこと、上演される出し物の舞台装飾まで工房のスタッフがデザインしました。ウィーン工房Wiener Werkstätteは、1903年に建築家ヨーゼフ・ホフマンとデザイナーのコロマン・モーザーによって設立された工房です。二人は分離派のメンバーでもありました。

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エゴン・シーレEgon Schiele(1890年6月12日 - 1918年10月31日)の1908年、18歳頃の作品、《装飾的な背景の前にある様式化された花 Stilisierte Blumen vor dekorativem Hintergrund》です。何となく、シーレの「ひまわり」を連想してしまいます。あれはこの3年後の1911年に描かれます。

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フェルディナント・ホドラーFerdinand Hodler(1853年3月14日 - 1918年5月19日)の1897-98年、44-45歳頃の作品、《夢 Der Traum》です。フェルディナント・ホドラーは、スイスの画家です。ファンタジックで瞑想的な作品です。そこはかとした雰囲気に心惹かれます。

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ヴィルヘルム・リストWilhelm LIST(1864年 - 1918年日)の1906年、42歳頃の作品、《サロメ Salome》です。ヴィルヘルム・リストは、ユーゲントシュティール時代のオーストリアの画家、彫刻家、石版画家です。
この作品は、おどろおどろしい主題にもかかわらず、実に静謐な雰囲気で描き出されています。サロメの少女らしい雰囲気もいいですね。

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次はクリムトの作品群を見ていきます。



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レオポルド美術館:クリムト

2019年9月29日日曜日@ウィーン/14回目

今日は旅の最終日。ウィーンの最終日でもあります。もう、今晩は飛行機で帰国の途につきます。しかし、その前に精一杯、ウィーンの1日を楽しみます。
最後のウィーンの街歩き中で、ウィーン美術史美術館Kunsthistorisches Museum Wienを鑑賞した後、レオポルド美術館Leopold Museumの名品を鑑賞しているところです。

グスタフ・クリムトGustav Klimt(1862年7月14日 - 1918年2月6日)の1899年、37歳頃の作品、《穏やかな池 Ein Morgen am Teiche》です。
この風景画は正方形で、クリムトそのものです。池の朝の様子を描いています。この絵は、ハラインHallein近くのゴリングGollingにあるエーゲル湖Egelseeで描かれ、クリムトの作品の中で非常に特別な位置を占めています。この作品は、正方形形式の最初の風景画であり、アッター湖Attersee周辺の地域で描かれた50を超えるクリムトの風景画のすべての構成の基本となるものです。興味深いことに、このモチーフは、カンマー城Schloss Kammer公園の池であると考えられてきました。 1990年代になって初めて、この池はゴリングのエーゲル湖であることが識別できました。

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グスタフ・クリムトGustav Klimtの1898年、36歳頃の作品、《ウィーンで最初の分離派展(リトグラフ)の際に、テセウスとミノタウロスを描いた、ウィーン分離派の雑誌「Ver Sacrum」の表紙 Ver Sacrum - Thesus und Minotaurus - 1 Kunstausstellung - Secession》です。
1898年3月から9月にかけて開催された『第1回ウィーン分離派展』のポスターです。モチーフはギリシャ神話で、当局の検閲前は上部に描かれたテセウスの下半身が露出していました。これは検閲後のもので、木立で隠しています。

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グスタフ・クリムトGustav Klimtの1900年、38歳頃の作品、《アッター湖 Am Attersee》です。
この風景画も正方形です。アッター湖AtterseeはザルツカンマーグートSalzkammergutにある湖で、クリムトの夏の別荘がありました。マーラーもしばしば訪れていました。saraiもそれに惹かれて以前、訪れました。クリムトが描いた通りのさざ波を見て、感銘を受けた記憶があります。この作品は、クリムトがターコイズの斑点で構成された水面を描写するために正方形を使用するという根本的な構成を用いています。 右上隅にあるリッツルベルク島Insel Litzlbergの暗い木のてっぺんだけが、地平線上に明確に定義されたポイントを形成しています。 1901年の分離派展で初めて作品を見た当時の批評家たちは熱狂的に支持しました。 そのコメントは「アッター湖の湖水で満たされたフレームは、互いにスライドする短い灰色と緑色の波だけで構成されています。」という内容でした。まさにその通りです。

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グスタフ・クリムトGustav Klimtの1915-16年、53-54歳頃の作品、《リッツルベルクケラー Litzlbergkeller》です。
クリムトは1900年から1916年にかけて定期的にアッター湖をエミリー・フレーゲEmilie Flögeとともに訪れて、数多くの風景画を描きました。リッツルベルガー・ケラーLitzlberger Kellerはそのときの定宿です。saraiも以前このホテルに泊まって、クリムトに思いを馳せました。
印象派のクロード・モネのように、クリムトはボートの上から絵を描き、スタジオに戻って仕事を終えました。 これは明らかに、前景の水に映るこの絵の視点を説明しています。 平和と静けさの中でクリムトが風景のほとんどを描くことができたアッター湖では、彼はモーターボートの最初の所有者でした。
クリムトは、キャンバスの表面全体に同じいくつかの色を使用しています。 家の窓には、黄色、緑、青色があります。 湖畔の茂みの花の中に、建物の白が見えます。 この色彩のエコーは、有機的な森と人工の建物の間のつながりに役立ちますが、水面の均一の反射は、画面のさまざまな要素をさらに統合しています。
なお、この絵は以前、サザビーズで高額で落札されたというニュースがありました。その高額落札された個人蔵の絵をこの美術館に寄託して展示しているようです。貴重な作品を見ることができました。

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グスタフ・クリムトGustav Klimtの1916年、54歳頃の作品、《シェーンブルン公園 Schönbrunn landscape》です。
クリムトの風景画のほとんどはアッター湖周辺で描かれました。シェーンブルン宮殿Schloss Schönbrunnの風景が描かれた本作は珍しいものです。もっともこの年あたりからアッター湖に出かけるのはおしまいになっています。クリムト晩年の風景画です。ここでも正方形のフレームは踏襲しています。

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クリムトの風景画を見てきました。クリムトはまだ続きます。



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レオポルド美術館:クリムト、ホドラー、ココシュカ

2019年9月29日日曜日@ウィーン/15回目

今日は旅の最終日。ウィーンの最終日でもあります。もう、今晩は飛行機で帰国の途につきます。しかし、その前に精一杯、ウィーンの1日を楽しみます。
最後のウィーンの街歩き中で、ウィーン美術史美術館Kunsthistorisches Museum Wienを鑑賞した後、レオポルド美術館Leopold Museumの名品を鑑賞しているところです。今はクリムトの作品を見ています。

グスタフ・クリムトGustav Klimt(1862年7月14日 - 1918年2月6日)の1910-15年、48-53歳頃の作品、《死と人生 Tod und Leben》です。クリムトの大作です。この美術館の目玉ですね。
クリムトによるこの後期作品は、大胆な構図を使用して人間の生涯のサイクルを主題にしています。紙に描かれた最初のスケッチは、1910年の油彩画に先立って、1908年に作成されました。1911年にローマで開催された国際美術展での最初の展示の折に、クリムトは金メダルを受け取りました。詳細にはわからない理由で、彼は1915年に絵を根本的に作り直すことにしました。クリムトは、色とりどりの装飾品や花に包まれた裸の人の体の流動するコントラストのある構成を通して、生と死の不協和音の絡み合いを実現しています。すなわち、右側に描かれた母と子、老婆と一組の恋人たち、そして、左側に描かれた暗い色調の死の孤独な姿がそれです。元々はおそらく金色だった背景が最終バージョンで灰色に変わり、青い装飾のマントを纏い、小さな赤い棍棒を握った死がダイナミックに描かれ、明るい色でデザインされた人間の人生は多くの人物と装飾品が凝縮されて描かれています。
この作品ではかつてのクリムトの装飾的な作品でお決りだった豪華な黄金の色彩が封印されて、2度とこの後、復活することはありませんでした。そして、クリムトは晩年に差し掛かります。もう、あの黄金の時代は終わりました。

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これはクリムトの中国趣味のアトリエの復元展示です。大変興味深いですね。

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復元アトリエのもととなった写真も展示されています。当たり前ですが、そっくりですね。なお、このアトリエはウィーンのヨーゼフシュテッター通り21番地Josefstädter Straße 21にあったそうです。ウィーン市庁舎のすぐ近くです。以前saraiが泊まったホテルの近くでsaraiもこのあたりはよく歩きましたが、まさか、クリムトのアトリエがあったところであったとは・・・。

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フェルディナント・ホドラーFerdinand Hodler(1853年3月14日 - 1918年5月19日)の1912年、59歳頃の作品、《ヴァランティーヌ・ゴデ=ダレルの肖像 Bildnis Valentine Godé-Darel》です。
50歳を過ぎて画家として認められたホドラーは、1909年、55歳のときに20歳も若い36才の美術教師ヴァランティーヌ・ゴデ=ダレルと情熱的な恋に落ち、彼女との間に一女をもうけますが、最愛のヴァランティーヌは癌により40歳で亡くなります。
晩年のホドラーはヴァランティーヌと自画像しか描かなくなり、病に伏していた1918年にジュネーブで死去します。65歳でした。ヴァランティーヌを失って、3年後のことです。ヴァランティーヌの肖像は100枚以上にのぼります。この作品はヴァランティーヌの死の3年前に描かれました。
ところで、これを書いていて気が付いたのですが、1918年は偉大な画家が次々と亡くなった年です。ホドラー、クリムト、シーレ・・・。スペイン風邪が大流行した年です。村山槐多は1919年に亡くなりますが彼もスペイン風邪の犠牲になりました。

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ヨーゼフ・ホフマンとコロマン・モーザーによって設立されたウィーン工房の作品です。現代の我々の視点からも実にモダンな意匠ですね。

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次はオスカー・ココシュカです。ココシュカについては特に記述しなくてもいいでしょう。クリムト、シーレと並び、近代オーストリアを代表する画家です。

オスカー・ココシュカOskar Kokoschka(1886年3月1日 - 1980年2月22日)の1913年、27歳頃の作品、《トレクロッチ峠-ドロミテの風景 Tre Croci – Dolomitenlandschaft》です。
ココシュカが1913年8月にイタリアの南チロルのアルプス、ドロミテに当時の恋人アルマ・マーラーと旅したときの作品です。この翌年には彼らは破局を迎え、感動的な傑作「風の花嫁」が生まれます。saraiがこの世でたった1枚の絵画を選べと言われたら、迷わずに選ぶのが「風の花嫁」です。この「風の花嫁」を見るために2度もわざわざバーゼルまで足を運びました。3度目はバーゼル美術館が改修中で見ることができずに残念な思いになりました。それを目的にバーゼルに足を運んだのにね。その「風の花嫁」の背景に描き込まれているのが、この「トレクロッチ峠-ドロミテの風景」の山岳風景です。
アルマ・マーラーは彼女の回想録の中で、彼らの旅は「仕事がすべて」だったと書いています。「朝、私たちは鬱蒼とした森に入り、最も暗い緑のスポットを探しました。 森の開けた場所に着いたとき、私たちは若い馬が遊んでいるのを見つけました。 それはココシュカを魅了しました。 スケッチブックと色鉛筆を持っていました。彼は一人でいることを嫌がりましたが、それでも一人だけ残り、独特の美しい絵を描いていました。」
まさにこのときに描かれたのがこの絵ですね。

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ココシュカの作品は続きます。



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レオポルド美術館:ココシュカ

2019年9月29日日曜日@ウィーン/16回目

今日は旅の最終日。ウィーンの最終日でもあります。もう、今晩は飛行機で帰国の途につきます。しかし、その前に精一杯、ウィーンの1日を楽しみます。
最後のウィーンの街歩き中で、ウィーン美術史美術館Kunsthistorisches Museum Wienを鑑賞した後、レオポルド美術館Leopold Museumの名品を鑑賞しているところです。今はココシュカの作品を見ています。

オスカー・ココシュカOskar Kokoschka(1886年3月1日 - 1980年2月22日)の1915年、29歳頃の作品、《運命の女神フォルトゥーナ Fortuna》です。
フォルトゥーナはローマ神話に登場する女神で、 運命の車輪を司り、人々の運命を決めると言われています。変わった題材を選びましたね。描かれた時期を考えると、ココシュカの脳裏にはアルマに翻弄される自分のことがあったのでしょうか。この作品は個人蔵で、2016年にsaraiは初めて見ました。その頃から展示されているのでしょうか。

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オスカー・ココシュカOskar Kokoschkaの1914年、28歳頃の作品、《アルマ・マーラーの壁画 Wandbild für Alma Mahler》です。
詳細は分かりませんが、珍しい作品です。横長の画面の中央にココシュカ自身、そして、彼は左側にいるアルマを追いすがっているようです。この年、彼らは破局を迎えました。個人蔵の作品で、saraiは初めて見ました。

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オスカー・ココシュカOskar Kokoschkaの1925年、39歳頃の作品、《開いた窓際の花 Blumen am offenen Fenster》です。
この頃、ココシュカはアルマへの恋慕の念、そして、第1次世界大戦で負った負傷も癒えて、平静な状態になったようです。明るい色彩の花は窓際に置かれ、窓からはビーチが見えています。淡い色彩はこれがココシュカかと思うようなものです。

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オスカー・ココシュカOskar Kokoschkaの1925年、39歳頃の作品、《アムステルダム、クローヴェニールスブァルフフル河岸 Amsterdam, Kloveniersburgwal I》です。
上の絵と同じ頃に描かれた作品です。アムステルダムの運河風景を高い視点から描いています。まるで印象派のような写実的な絵画で、お洒落と言ってもいい作品に仕上がっています。これが12年前に「風の花嫁」を描いた画家とは思えません。

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オスカー・ココシュカOskar Kokoschkaの1931年、45歳頃の作品、《ヴィルヘルミネンベルク城とウィーンの眺め Schloß Wilhelminenberg mit Blick auf Wien》です。
ヴィルヘルミネンベルク城は20世紀に初頭に建てられたかつての宮殿。ウィーンの西部、ガリッツィンベルクの東斜面に位置しています。現在は 4 つ星ホテル、レストラン、会議施設になっています。この作品では、ヴィルヘルミネンベルク城前の広場に集う人々と丘の下に広がるウィーンの街並みが構成されています。何とも豪勢な眺めではないでしょうか。この風景を確かめるためにsaraiも一度、このヴィルヘルミネンベルク城を訪れてみたくなりました。

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ココシュカの作品がいつの間にか充実しましたね。まだ、ココシュカが続きます。



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レオポルド美術館:ココシュカ、シェーンベルク、シーレ

2019年9月29日日曜日@ウィーン/17回目

今日は旅の最終日。ウィーンの最終日でもあります。もう、今晩は飛行機で帰国の途につきます。しかし、その前に精一杯、ウィーンの1日を楽しみます。
最後のウィーンの街歩き中で、ウィーン美術史美術館Kunsthistorisches Museum Wienを鑑賞した後、レオポルド美術館Leopold Museumの名品を鑑賞しているところです。今はココシュカの作品を見ています。

オスカー・ココシュカOskar Kokoschka(1886年3月1日 - 1980年2月22日)の1942年、56歳頃の作品、《併合、不思議の国のアリス Annexation-Alice in Wonderland》です。
タイトルの『併合』はナチスによるドイツ・オーストリア併合のことです。その併合を批判的に描いた絵画であると思われます。画面の右端にはヌードのアリス、左端の防毒マスクを着けた赤ん坊、真ん中の鉄兜を被った3人は見ざる、言わざる、聞かざるのポーズ。ココシュカらしい筆致で描き出した表現主義的な作品です。背景で燃えさかる建物は国会議事堂放火事件をあてこすっているのでしょうか。こんな作品を描いた以上、ナチスの支配下の国に留まるわけにはいきませんね。この時期はロンドンに逃れたようです。

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オスカー・ココシュカOskar Kokoschkaの1922年、36歳頃の作品、《イーゼルの前の画家 Selbstbildnis an der Staffelei》です。
アルマ人形を前にして抜け殻のような存在のココシュカ自身を描いた奇怪な作品です。アルマ人形は破局した恋人のアルマ・マーラーを忘れられずに、アルマがヴァルター・グロピウスと結婚したことへの失意から覚めやらぬ1918年の夏に、ココシュカが女性作家ヘルミーネ・モースに制作を依頼したものです。制作過程でココシュカが詳細な指示を与えており、事実上、共同制作作品と言えます。そのアルマと等身大の人形は化け物じみたもので、ココシュカは4年間もそのアルマ人形と生活をともにします。居間や寝室でも生活を共にしたり、衣服を着せて同伴して外出したりという奇行で世間の耳目を集めます。ココシュカは、この人形をモチーフとして3つの油彩画を制作しました。この作品はその最後のものです。画面の左に描かれたアルマ人形のグロテスクさは目を覆うべきもので、呆けたような表情のココシュカはもはや狂人の態です。ある意味、こんな絵を描けたココシュカは凄い画家とも思えます。一体、どんな心境だったのでしょう。このままでは廃人になることが必至だったと思われますが、この年、ココシュカは酔った勢いで自身でアルマ人形を破壊します。これでココシュカは立ち直ることになります。

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オスカー・ココシュカOskar Kokoschkaの1924年、38歳頃の作品、《アルノルト・シェーンベルク Arnold Schönberg》です。
オーストリアの作曲家アルノルト・シェーンベルクが指揮する姿を描いた作品です。シェーンベルクは美術界とも交際が深く、ゲルストルは名高い肖像画を描き、カンディンスキーの『印象Ⅲ(コンサート)』はシェーンベルクの音楽に触発されて描いた抽象画の金字塔です。シェーンベルクが確立した12音技法はいかにも抽象絵画と相性がよさそうです。

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アルノルト・シェーンベルクArnold Schönberg(1874年9月13日 - 1951年7月13日)の1906-1907年、32-33歳頃の作品、《庭園の情景 Gartenszene》です。
作曲家シェーンベルクは絵画も描いていました。二刀流ですね。ご覧の通り、本格的な絵画です。アーノルド・シェーンベルクの絵画は、その自発性と多様性が特徴であり、彼の音楽と同様にモダニズムの精神に満ちています。

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さて、そろそろ、大本命のエゴン・シーレのコレクションを見に行きましょう。気になる絵画もありますが、さっと見ながら先を急ぎます。

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エゴン・シーレEgon Schiele(1890年6月12日 - 1918年10月31日)の1910年、20歳頃の作品、《菊 Chrysanthemen》です。
何となく、シーレの「ひまわり」を連想してしまいます。あれはこの翌年の1911年に描かれます。何故か、シーレの描く花は枯れた花が多いですね。屈折した感性がその根幹にあるのでしょう。

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エゴン・シーレEgon Schieleの1912年、22歳頃の作品、《隠者たち Eremiten》です。
モデルはシーレ自身と師匠のクリムトだと言われています。着ている黒い衣装はクリムトが愛用していたカフタンです。二人は実に似通っており、まるで一人の人物が双頭のような形で描かれています。師匠のクリムトへの傾倒の意が込められているようです。しかし、若きシーレの表情は鋭く、師匠を乗り越えようとするかのごとき野心に満ちています。

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世界最大のシーレのコレクションが続きます。



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オペラ版ラブコメでほっこり《愛の妙薬》@新国立劇場 2022.2.9

先週に続いて、また、新国立劇場オペラを鑑賞。冒頭、デスピノーサ指揮の東響の素晴らしい演奏にうっとり。この手の作品はブンチャカという楽隊のような演奏になりがちですが、東響の弦は格調高い美しい響き、木管も繊細で見事な演奏を聴かせてくれます。幕が開くと、カラフルで明るいステージで実にお洒落です。次々とドニゼッティらしい旋律のアリア、重唱、合唱が続き、楽しいこと、この上なし。とりわけ、ネモリーノ役の中井亮一の明るい歌声に感心しきりです。第1幕の最初の曲「なんと彼女は美しい」Quanto è bella でいきなり、その魅力にはまりました。続くアディーナとの2重唱もとても美しい歌唱です。アディーナ役の砂川涼子もチャーミングな歌唱で魅了してくれますが、予習で聴いたネトレプコの破格の歌唱が耳に残っていて、物足りなさを感じたことも事実です。本当は砂川涼子のような透明でコケティッシュな歌い方がアディーナにはぴったりなんでしょうけど、ある意味、ネトレプコの奔放な毒に耳が侵されてしまいました。それでも、
2人の美しい歌唱でラブコメタッチのオペラを満喫します。
第2幕の終盤、超有名なアリア、「人知れぬ涙」Una furtiva lagrimaはさらっとした歌唱でそれはそれでいいのですが、物足りなさは残ります。まあ、これはパヴァロッティ以外では満足するのは難しいですね。1993年5月に東京文化会館で聴いたパヴァロッティの最高の歌唱が忘れられません。それはさておき、終盤のネモリーノとアディーナの恋の成就のシーンの砂川涼子と中井亮一の愛を語る歌に心を打たれます。素晴らしい歌唱でした。ドゥルカマーラ役の久保田真澄が中心になったフィナーレも見事な盛り上がり。これぞ、ハッピーエンドという大団円にいたく満足しました。

先週の《さまよえるオランダ人》に続いて、ガエタノ・デスピノーサと東京交響楽団のコンビが今日の本当の主役。今日も快調な演奏でした。これなら、東響のコンサートにもデスピノーサがご登場願ってもいいかもしれませんね。


今日のキャストは以下です。

  ガエターノ・ドニゼッティGaetano Donizetti 愛の妙薬L'elisir d'amore

【指 揮】ガエタノ・デスピノーサ
  【演 出】チェーザレ・リエヴィ
  【美 術】ルイジ・ペーレゴ
  【衣 裳】マリーナ・ルクサルド
  【照 明】立田雄士


【アディーナ】砂川涼子
  【ネモリーノ】中井亮一
  【ベルコーレ】大西宇宙
  【ドゥルカマーラ】久保田真澄
  【ジャンネッタ】九嶋香奈枝

  【合唱指揮】三澤洋史
  【合 唱】新国立劇場合唱団
  【管弦楽】東京交響楽団

最後に予習について、まとめておきます。

  マウリツィオ・ベニーニ指揮メトロポリタン歌劇場管弦楽団・合唱団 演出: バートレット・シャー 2012年10月13日、メトロポリタン歌劇場 WOWOW録画
    アディーナ:アンナ・ネトレプコ,ネモリーノ:マシュー・ポレンザー二,ベルコーレ:マリウシュ・クヴィエチェン,ドゥルカマーラ:アンプロー・マエストリ

すべての歌手が素晴らしい歌唱を聴かせてくれましたが、何と言ってもネトレプコが異次元のアディーナを聴かせてくれました。これまでのこぶりのアディーナの印象を打ち破る新たなアディーナ像を確立しましたね。久々に聴いたネトプレコはやっぱり、凄かった。2005年4月のウィーン国立歌劇場でのビリャソンとの共演も聴いてみましょう。



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レオポルド美術館:シーレの自画像

2019年9月29日日曜日@ウィーン/18回目

今日は旅の最終日。ウィーンの最終日でもあります。もう、今晩は飛行機で帰国の途につきます。しかし、その前に精一杯、ウィーンの1日を楽しみます。
最後のウィーンの街歩き中で、ウィーン美術史美術館Kunsthistorisches Museum Wienを鑑賞した後、レオポルド美術館Leopold Museumの名品を鑑賞しているところです。今はこの美術館の華、エゴン・シーレのコレクションを見ています。

エゴン・シーレEgon Schiele(1890年6月12日 - 1918年10月31日)の1910年、20歳頃の作品、《口を開けた灰色のヌードの自画像 Selbstakt in Grau mit offenem Mund》です。
シーレの自画像はある意味、彼のすべてが詰まっています。表現主義的でありながら、一目でシーレの作品と分かるような自我の強い個性に満ちた絵画。その強い自我は自画像として表現されます。画家としてのキャリアを始めた頃、20歳頃の1910年から1911年にかけて集中的に自画像を描きます。28歳で閉じた生涯で170枚以上の自画像を描き上げています。灰色の単色で描いた自画像は何と矜持に満ちていることでしょう。

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エゴン・シーレEgon Schieleの1910年、20歳頃の作品、《座る男のヌード(自画像) Sitzender Männerakt (Selbstdarstellung)》です。
シーレの自画像は何と露出的でセクシュアルなんでしょう。ナルシストの筈のシーレですが、過剰とも思える表現意欲がここまでの露骨な絵画を描かせたのでしょうか。線と面の表現も異常な緊張感に満ちています。表現主義の究極とも思える作品です。

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エゴン・シーレEgon Schieleの1910年、20歳頃の作品、《跪くヌードの自画像 Kniender Selbstakt》です。
これもシーレの大胆な自画像です。彼の表現意欲はとどまるところを知りませんね。世間の共感を得ようとかいう甘ったるい気持ちは微塵もなさそうです。自己の芸術をめざして、我が道をひたすら進むという気概なんでしょう。

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エゴン・シーレEgon Schieleの1911年、21歳頃の作品、《自己観察者・Ⅱ(死と男) Die Selbstseher ll (Tod und Mann) 》です。
これも一種の自画像、それも特殊な自画像です。自己観察者・Ⅰでは2重自画像を描きましたが、この自己観察者・Ⅱでは背後に幽体離脱したかのような自己が死神となり、前方の生きている自己をからめとっています。シーレにとって、死と生は表裏一体のものであり、そのいずれからも逃れることもできず、また、いずれも愛すべき存在であるという意識を持っているようです。ある意味、自虐的な観念でもありますが、実に深い芸術表現の自画像を描き出すことに成功しています。若きシーレの芸術的深化は驚くべきものです。

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エゴン・シーレEgon Schieleの1911年、21歳頃の作品、《詩人 Der Lyriker 》です。
これは一転して、ナルシスト的な自画像です。自分を詩人に見立てて、笑ってしまうほどに自己陶酔しています。こういう自画像を恥ずかしげもなく描くところがシーレなんですね。

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エゴン・シーレEgon Schieleの1908年、18歳頃の作品、《ヌードの習作 Aktstudie》です。
ごく初期のヌードの自画像です。この頃から露骨な表現で奇妙な構図の自画像を描いています。シーレは根っからの表現主義の画家なんですね。

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エゴン・シーレEgon Schieleの1910年、20歳頃の作品、《ストライプのシャツを着た自画像 Selbstbildnis mit gestreiftem Hemd》です。
これは珍しく着衣の自画像です。この自画像では斜に構えた顔の表情で、いぶかしげな視線でこちらの世界を覗き込んでいます。まるで映画の世界のジェームス・ディーンみたいですね。自己の矜持と反抗心、傷つきやすい精神。若者の内面を見事に描き尽くした傑作です。

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ここまでがシーレの一連の自画像です。シーレのコレクションはまだまだ続きます。



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レオポルド美術館:シーレ

2019年9月29日日曜日@ウィーン/19回目

今日は旅の最終日。ウィーンの最終日でもあります。もう、今晩は飛行機で帰国の途につきます。しかし、その前に精一杯、ウィーンの1日を楽しみます。
最後のウィーンの街歩き中で、ウィーン美術史美術館Kunsthistorisches Museum Wienを鑑賞した後、レオポルド美術館Leopold Museumの名品を鑑賞しているところです。今はこの美術館の華、エゴン・シーレのコレクションを鑑賞しています。

エゴン・シーレEgon Schiele(1890年6月12日 - 1918年10月31日)の1911年、21歳頃の作品、《晩秋の小さな木 Kleiner Baum im Spätherbst》です。
シーレの風景画は人間を描いた作品の激情とは対極にあり、とても興味深いものです。この作品はジャポニズムの影響も感じられるし、抽象画的な側面も持っていて、この年齢での芸術的深化が感じられる一枚です。木の幹の曲がり方や枝の直線の張りめぐり方はとても自然の木の姿ではなく、心象風景そのものです。色彩の渋さはまさに水墨画を連想させますし、少ない枯れ葉や地面には金箔が使われているようです。クリムトが装飾画風の絵画で絢爛豪華に描いたものの影響をこういう形でシーレは彼の独自の表現で結実させています。恐るべき若者だったわけですね。saraiはふいに雪舟の水墨画を連想してしまいました。シーレは予測不可能な作品を生み出してきました。

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エゴン・シーレEgon Schieleの1916年(1914年?)、26歳頃の作品、《本のある静物画(シーレのデスク) Stilleben mit Büchern ( Schreibtisch des Künstlers)》です。
シーレの静物画。画面の要素が変わっていますね。机の上に一列に本が置かれています。馬の置物もあります。果物や花という定番のものはありません。本の持つ直線性が画面を支配し、画面は直線が横溢しています。どこか、抽象性も感じられる静物画になっています。見方によっては、この構図はシーレの描く町並みの絵を連想させます。

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エゴン・シーレEgon Schieleの1913年、23歳頃の作品、《ショールをまとった半裸の女性の後ろ姿(フラグメント) Rückenansicht eines weiblichen Halbaktes mit Tuch (Fragment)》です。
シーレにしては色んな意味で穏当な表現のセミヌードの作品です。後ろ姿のせいか、あるいはショールをまとっているせいか、性別があまり明確ではありません。極端に縦長のフレームもユニークです。色調はシーレらしい抑えたものになっています。女性の左右にも別の人物のごく一部が描かれています。もっと大きな画面を切り取ったものでしょうか。題名にフラグメント(断片)とあるのは大きな絵の一部という意味なのかな・・・。

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エゴン・シーレEgon Schieleの1910年、20歳頃の作品、《死する母Ⅰ Tote Mutter I》です。
死せる母とその胎内で運命を共にする胎児の悲惨な絵です。シーレは相当に自信作だったようで、本作を描いた翌年に自身の最高傑作だと述べたそうです。それにしても、この8年後の妻エーディトの運命を予告するような作品です。エーディトはもうすぐ生まれてくる子供がお腹にいるうちにスペイン風邪で命を落とします。シーレ自身もその三日後にスペイン風邪で後を追います。実に不吉な作品です。

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エゴン・シーレEgon Schieleの1912年、22歳頃の作品、《母と子 Mutter und Kind》です。
西欧絵画では、この画題は聖母子と関連付けられますが、これはちょっと違うような気もします。シーレの母マリーとシーレの幼子時代を回想したのでしょうか。母の平静な表情に対し、赤ん坊が目を見開き、何かにびっくりして、怯えているような表情は幼子シーレが来るべき未来や自分が直面していくことになる社会への疎外感を予感しているようにも思えます。

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シーレの膨大なコレクションはまだまだ続きます。



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レオポルド美術館:さらにシーレ

2019年9月29日日曜日@ウィーン/20回目

今日は旅の最終日。ウィーンの最終日でもあります。もう、今晩は飛行機で帰国の途につきます。しかし、その前に精一杯、ウィーンの1日を楽しみます。
最後のウィーンの街歩き中で、ウィーン美術史美術館Kunsthistorisches Museum Wienを鑑賞した後、レオポルド美術館Leopold Museumの名品を鑑賞しているところです。今はこの美術館の華、エゴン・シーレのコレクションをを鑑賞しています。

エゴン・シーレEgon Schiele(1890年6月12日 - 1918年10月31日)の1912年、22歳頃の作品、《ヴァリーの肖像 Bildnis Wally Neuzil》です。
ヴァリーはシーレの裸体モデルを務めていた少女ヴァリー・ノイツェルです。シーレに尽くした恋人でもありました。このハチミツ色の金髪と青い目をもつ17歳の少女とシーレは1911年、同棲を始めました。紆余曲折はありますが、二人の関係はシーレが妻に迎えることになるエーディトと出会うまで続きます。シーレがエーディトを妻にすることを告げると、ヴァリーはすぐに彼のもとを去ります。その後、2度と二人は会うことはありませんでした。4年間にわたる関係でした。

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エゴン・シーレEgon Schieleの1912年、22歳頃の作品、《ほおずきの実のある自画像 Selbstbildnis mit Lampionfrüchten》です。
上の「ヴァリーの肖像」と一対をなす作品です。シーレのヴァリーに対する愛情が感じられます。この自画像は彼の自画像の中でも素直に描かれた作品ですね。エゴン・シーレが22歳の時にウィーン分離派の展覧会に出品した数多くの作品の一つで、その年にミュンヘンでも展示されました。まあ、公序良俗に反するような作品ではありませんから、一般の展覧会にも出展しやすいでしょうね。

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エゴン・シーレEgon Schieleの1910年、20歳頃の作品、《ポルディ・ロジンスキーの肖像 Bildnis Poldi Lodzinsky》です。
1910年の夏、シーレは母の郷里のクルマウ(チェスキー・クルムロフ)を訪れていて、クルマウの御者(運転手)の娘であったポルディ・ロジンスキーと知り合いました。この年、ヨーゼフ・ホフマンは,ブリュッセルのストックレー邸Le palais Stocletを飾るステンドグラスのデザインをシーレに依頼しました。シーレはポルディの肖像を提出しましたが、結局、採用されませんでした。ステンドグラス用ですから、この肖像画はこんなにカラフルなんですね。なお、ストックレー邸は現在、一般公開されていませんが、世界遺産に登録されています。内装はクリムトとクノップフがてがけています。若いシーレの出る幕はありませんでしたね。

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エゴン・シーレEgon Schieleの1912年、22歳頃の作品、《喪服姿の女 Trauernde Frau》です。
モデルはヴァリーです。喪服姿のヴァリーは美しく輝きます。シーレにとって、やはり、ヴァリーはミューズとも言える存在でした。シーレと別れた後、ヴァリーは従軍看護師になります。そして、1917年、陸軍病院で煌紅熱で倒れ、23年の短い生涯を終えました。シーレが亡くなる前の年です。

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エゴン・シーレEgon Schieleの1912年、22歳頃の作品、《ゴルゴタの丘 Kalvarienberg》です。
宗教的なテーマの作品は珍しいです。十字架に架けられたキリストが灰色でさりげなく描かれて、まるで風景画のように見えます。十字架に並ぶ枯れ木が等間隔に描かれて、絵画にリズム感が生まれています。異形の宗教画です。ところでこの作品はクリムトゆずりの正方形の風景画サイズになっています。

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シーレのコレクションは次々と傑作が登場します。saraiは最晩年のシーレの作品が好きですが、この頃のシーレも尖がっていて素晴らしいです。



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レオポルド美術館:シーレ渾身の作品群

2019年9月29日日曜日@ウィーン/21回目

今日は旅の最終日。ウィーンの最終日でもあります。もう、今晩は飛行機で帰国の途につきます。しかし、その前に精一杯、ウィーンの1日を楽しみます。
最後のウィーンの街歩き中で、ウィーン美術史美術館Kunsthistorisches Museum Wienを鑑賞した後、レオポルド美術館Leopold Museumの名品を鑑賞しているところです。今はこの美術館の華、エゴン・シーレのコレクションを鑑賞しています。

エゴン・シーレEgon Schiele(1890年6月12日 - 1918年10月31日)の1911年、21歳頃の作品、《カラスのいる風景 Rabenlandschaft》です。
クルマウにあるガーデンハウスをシーレの心象風景にしたもののようです。ゴッホの名作、《カラスの群れ飛ぶ麦畑》を想起させますが、それぞれ、別の個性を持ちつつ、同時に不気味さを湛えた共通性も感じます。クルマウKrumauというのはチェスキー・クルムロフČeský Krumlov (チェコ語)のドイツ語での表記です。シーレの母親の出身地です。

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エゴン・シーレEgon Schieleの1911年、21歳頃の作品、《啓示 Offenbarung》です。
画家本人によると、実に難解な説明がされています。生ある存在の啓示、それも偉大な人格の持ち主が燃え尽きて、肉体自体が持つ光を使い果たしています。それは右手前に描かれた生気のない男のことのようです。よく見るとその前に後ろ向きのの男が屈んでまるで拝んでいるように見えます。彼は生気のない偉大な人物に感化されて、催眠術にかけられたように偉大な人物の中に融けて流れていくように見えます。問題は背後にいる左側の人物ですが、これは右側の生気のない偉大な人物に似た存在でありながら、異なった風で、偉大な人物から幽体離脱した死神のような存在に思えます。生と死で一体の存在が分離して描かれているようです。その生死一体の偉大な存在に手前の跪く小さな男が融け入る瞬間を描いたということのようです。これがシーレのある意味、宗教観、実存論、等々を絵画芸術で表現した哲学的な美術なのでしょう。神秘芸術と理解すべきなおでしょうか。この作品は1912年1月にブダペストでの新芸術集団の展覧会に出展されました。

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エゴン・シーレEgon Schieleの1912年、22歳頃の作品、《枢機卿と尼僧 Kardinal und Nonne》です。
スキャンダラスな内容ですね。しかし、それよりも注目すべきは、このシーレの絵画《枢機卿と尼僧》は、その5年前に制作されたグスタフ・クリムトの代表作《接吻Der Kuss (Liebespaar)》を引用して、描き変えたものであることです。二人の男女の形の構図はほぼ踏襲されていますが、クリムトの絵画の絢爛豪華な色彩表現は、暗い色調に変えられています。黄金の背景は漆黒に変更され、熱い抱擁は2つの手だけのものになっています。《接吻》でとりわけ心に残る印象的な女性の官能的な表情は、尼僧の怯えたような表情に置き換わっています。すなわち、《接吻》で描かれた男女のセクシュアルな愛情の恍惚感は、ここでは同じような構図でありながら、枢機卿と尼僧の隠避な男女関係に塗り替わっています。天国的な夢のような愛が現実世界の愛に醒めてしまったかのようです。ロマンティシズム絵画が表現主義絵画に変容したとも言えます。師匠のクリムトはこれを見て、どう思ったのでしょうか。2枚を並べて展示すると面白いですが、《接吻》は同じウィーンでもベルヴェデーレ宮殿のオーストリア・ギャラリーに展示されています。普通は並べて展示することはありません。でも、当ブログでは並べてみましょう。どう思いますか?

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エゴン・シーレEgon Schieleの1913年、23歳頃の作品、《沈む太陽 Versinkende Sonne》です。
シーレの風景画はとても美しいですね。師匠のクリムト譲りの正方形の画面で描いています。ジャポニズムの影響を思わせる大胆な画面構成です。手前では太陽の光を失った暗い空間に二本の木が画面を縦に切り取っています。画面は3分割されたような効果を生んでいます。遠景は夕日に赤く染まった2つの島が遠近法を無視して大きく左右に描かれてます。海と空も薄紅色に染まって、美しく輝いています。シーレのこだわった生と死がここでも、手前の光を失った暗い空間と夕日で明るく染まる海、空、島で表現されています。描かれたのはトリエステ付近のようです。傑作ですね。

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シーレ渾身の絵画が並んで壮観です。まだまだ、シーレは続きます。





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レオポルド美術館:シーレの風景画

2019年9月29日日曜日@ウィーン/22回目

今日は旅の最終日。ウィーンの最終日でもあります。もう、今晩は飛行機で帰国の途につきます。しかし、その前に精一杯、ウィーンの1日を楽しみます。
最後のウィーンの街歩き中で、ウィーン美術史美術館Kunsthistorisches Museum Wienを鑑賞した後、レオポルド美術館Leopold Museumの名品を鑑賞しているところです。今はこの美術館の華、エゴン・シーレのコレクションを鑑賞しています。

エゴン・シーレEgon Schiele(1890年6月12日 - 1918年10月31日)の1910年、20歳頃の作品、《川沿いの山 Berg am Fluss》です。
川のそばに黒々とした存在感のある山がどっしりと腰を据えています。単なる自然を描いたものではなく、シーレの心の中に黒い塊があるかのようです。

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エゴン・シーレEgon Schieleの1911年、21歳頃の作品、《夜のクルマウ(死せる街Ⅱ) Krumau bei Nacht (Tote Stadt II)》です。
母の郷里、クルマウを訪れたシーレは、「死せる街」という主題をタイトルに含む6枚の絵を描きます。この作品はそのシリーズの1枚です。クルマウの街の重苦しい雰囲気を夜の闇とともに描き出しています。シーレにとって、街は生きている人の魂を感じるもので、風景画でありながら、人を描く作品にもなっています。

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エゴン・シーレEgon Schieleの1911年、21歳頃の作品、《死せる街Ⅲ(青い流れに面した街Ⅲ) Tote Stadt III (Stadt am blauen Fluss III)》です。
「死せる街」シリーズの中で一番名高い作品です。クルマウの街の暗い屋根の家々が深い青色の川に囲まれています。人の気配の感じられない死せる街の雰囲気に沈んでいます。何とも不気味です。

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エゴン・シーレEgon Schieleの1914年、24歳頃の作品、《海沿いの家(家並み) Die Häuser am Meer (Häuserreihe)》です。
この作品はその絵の価値もさるものながら、実は来歴がナチスがユダヤ人の資産家から略奪して、売却した末にレオポルド美術館が買収したことで長年、係争していたそうです。この絵の価格が現在、数十億円とのことで、結局、レオポルド美術館が元のユダヤ人の持ち主に60%の補償金を支払うことで決着の方向だそうです。同様に《ヴァリーの肖像》もナチスの略奪美術品として、アメリカ政府に押収されて、12年の交渉の後、レオポルド美術館に返還されたそうです。1933年から45年の間にナチスが個人や美術館から略奪した美術品は60万点。そのうち10万点が今も行方不明とされているそうです。多くはスイスで売買され、今もその行方が捜索されています。いまだに80年ほど前の戦争の影が素晴らしい美術品の上にあるとは、驚きです。それにしても生前はあまり評価されていなかったシーレの絵画作品の価値が軒並み、数十億円とは言葉を失います。絵の価値はお金では測れないのにね。
ともあれ、シーレの風景画、とりわけ、町並みを描いた作品は具象画でありながら、その幾何学的な構成が抽象画に通じるところがあり、何とも魅力的です。

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エゴン・シーレEgon Schieleの1913年、23歳頃の作品、《小さな街Ⅲ Kleine Stadt III》です。
この作品は《小さな街》シリーズの一枚です。クルマウと街を流れるモルダウ川が描かれています。「死せる街」よりは写実的で、現在のチェスキー・クルムロフを彷彿とさせる風景が描かれています。描かれた場所も特定できそうです。
チェスキー・クルムロフにあるエゴン・シーレ・センターには悲しいことにシーレがチェスキー・クルムロフの街を描いた絵は本物は1枚もないのですが、その代わりによくできた複製が、その絵が描かれた場所の写真とともに展示されています。残念ながら館内は写真撮影が禁止でその展示を思い出すことはできません。

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シーレの膨大なコレクションもかなり見てきましたが、まだまだ、あります。



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レオポルド美術館:シーレの描くクルマウ(チェスキー・クルムロフ)・・・粒よりの傑作群

2019年9月29日日曜日@ウィーン/23回目

今日は旅の最終日。ウィーンの最終日でもあります。もう、今晩は飛行機で帰国の途につきます。しかし、その前に精一杯、ウィーンの1日を楽しみます。
最後のウィーンの街歩き中で、ウィーン美術史美術館Kunsthistorisches Museum Wienを鑑賞した後、レオポルド美術館Leopold Museumの名品を鑑賞しているところです。今はこの美術館の華、エゴン・シーレのコレクションを鑑賞しています。

エゴン・シーレEgon Schiele(1890年6月12日 - 1918年10月31日)の1914年、24歳頃の作品、《モルダウ川に面したクルマウ(小さい街Ⅳ) Krumau an der Moldau (Die kleine Stadt IV)》です。
この作品は《小さな街》シリーズの一枚です。クルマウと街を流れるモルダウ川(ヴルタヴァ川)が描かれています。《小さな街Ⅲ Kleine Stadt III》とほぼ同じような絵ですね。それにしても、シーレのクルマウの街を描いた風景画はすべて素晴らしいです。これからもその評価は上り続けることでしょう。

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エゴン・シーレEgon Schieleの1915年、25歳頃の作品、《弓形の家々 Der Häuserbogen II (Inselstadt)》です。
この作品もクルマウを描いたものの一枚です。その中でも完成度が高く見事な作品です。弧を描くモルダウ川に沿って、弓形に並ぶ家々という構成の素晴らしさが印象的です。クルマウの街を描いた作品の中でsaraiが一番好きなものです。

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エゴン・シーレEgon Schieleの1915年、25歳頃の作品、《板葺屋根の家(古い家Ⅱ) Haus mit Schindeldach (Altes Haus II)》です。
この作品もクルマウを描いたものの一枚ですが、家に焦点を当てて描いています。《古い家》シリーズの一枚です。チェスキー・クルムロフには今でも、こういう古い家が存在し、まるでシーレの描いた家のテーマパークのようです。シーレは古い家を何と魅力に満ちて描いているのでしょう。

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saraiが実際に見たチェスキー・クルムロフの板葺屋根の家はこんな感じです。

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エゴン・シーレEgon Schieleの1915年、25歳頃の作品、《川沿いの家の壁 Hauswand am Fluss》です。
この作品もクルマウを描いたものの一枚です。モルダウ川沿いに建つ家の壁を描いたものですが、注目すべきは画面中央に描かれた洗濯物です。ここではクルマウは不気味に暗く沈みこんだ無人の街ではなく、人の営みを暖かく描き込んでいます。とりわけ、オレンジ色の洗濯物が画面にアクセントを与えています。実は別のクルマウの絵でもシーレはオレンジ色を結構使っています。20歳の頃はクルマウを暗く描いて、「死せる街」を主題にしていましたが、24歳頃からは色彩に暖かみが加わっています。そして、画風が尖ったものから晩年に向けて、優しく暖かみのあるものに変貌していきます。人によってはシーレの先鋭性が失われたと否定的にとっているようですが、saraiは早逝したシーレが熟成したのだと思って、何か救われたような気持ちになるんです。saraiが最も愛するシーレの絵は最晩年の27歳から28歳の頃のものです。この後にご紹介していくことになります。

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エゴン・シーレEgon Schieleの1911年、21歳頃の作品、《クルマウの市庁舎Ⅱ Das Krumauer Rathaus II》です。
この作品もクルマウを描いたものの一枚です。市庁舎の壁はえらく薄汚れた雰囲気です。もしかしたら、壁絵が描かれていたのでしょうか。現在の市庁舎は形は同じですが、壁は白っぽくて綺麗です。

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チェスキー・クルムロフの街の中心の広場のスヴォルノスティ広場náměstí Svornostiにある市庁舎です。写真の左端の建物(半分以上、写真からはみ出ています。まさか、シーレがこの建物を描いていることに気が付きませんでした。)が市庁舎です。夕方遅くでひどく寒かったことを覚えています(フランクフルトからウィーンのフライトでロストバゲッジになって、暖かい衣類がない状態だったんです。暖かいマルタ島での装いのままでした。)。

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シーレのコレクションもだんだん残り少なくなってきましたが、もう少し、シーレの作品は続きます。



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金川真弓の弾くバーバーはよく響く! そして、尾高忠明の圧巻のエニグマ NHK交響楽団@サントリーホール 2022.2.16

パーヴォ・ヤルヴィの退任記念コンサート、そして、久し振りのヒラリー・ハーンのヴァイオリンを聴ける筈でした。すべて、オミクロン株でおじゃん。しかし、正直、あまり期待しなかったコンサートでしたが、金川真弓の素晴らしく響くヴァイオリン、イギリス音楽のスペシャリストの尾高忠明の指揮するエルガーのエニグマ変奏曲の圧巻の演奏にいたく満足しました。さすが、日本人演奏家のレベル向上が今日も実感できました。

まず、ヴァイオリンの金川真弓ですが、そう言えば、昨年6月に素晴らしいメシアンの《世の終わりのための四重奏曲》を聴かせてもらったんでした。終曲の《イエスの不滅性への賛歌》でのヴァイオリンの美しい響きは尋常ではありませんでした。今日はまったく違ったタイプのバーバーの作品ですが、またしてもヴァイオリンの響きの美しさに驚愕しました。使用楽器は「ピエトロ・ダ・マントヴァ」とも呼ばれるピエトロ・ジョヴァンニ・グァルネリの制作したヴァイオリン。ピエトロ・グァルネリは有名なグァルネリ・デル・ジェズのおじさんですね。ストラディバリウスに並び立つヴァイオリンです。バーバーのヴァイオリン協奏曲はとりわけ、第2楽章のロマンティックなメロディーが魅力ですが、金川真弓はあますところなく、その音楽の魅力を歌い上げます。彼女は今はベルリン在住ですが、子供のころはジュリアード音楽院やロサンジェルスで音楽を学んでいたそうですから、バーバーの音楽にも親密さを感じているんでしょう。それにしても、ヒラリー・ハーンの代役に決まってから、そんなに日がなかった筈ですが、ここまで完璧にバーバーのヴァイオリン協奏曲を磨き上げてきたとは凄い。第1楽章、第2楽章のロマンティックな抒情を美しく歌い上げただでなく、無窮動的な第3楽章も完璧に弾きました。メシアンとかバーバーという、ある意味、ニッチな作品で素晴らしい演奏を聴かせてもらいましたが、今後は注目して聴くべきヴァイオリニストの一人です。若手は才能がひしめいていますが、その中でも筆頭株です。次は王道の作品を聴かせてもらいましょう。

後半はエルガーの変奏曲「謎」(エニグマ変奏曲)です。これは全曲通して聴くのは初めてです。第9変奏のニムロッドはよくコンサートのアンコールで演奏されるので、そのたびに全曲聴いてみたいなと思っていました。
冒頭、主題、いわゆるエニグマが提示されます。この演奏が素晴らしく、古風で優雅、格調高い音楽になっています。そのままの雰囲気で第1変奏に続きます。いやはや、何と言う趣味の良い演奏でしょう。失礼ながら、パーヴォ・ヤルヴィはこの品格は表せなかったでしょう。もちろん、第9変奏のニムロッドも素晴らしく、高潮します。まるでここでこの音楽が終わってもおかしくないほどです。ところでこのニムロッドはイギリスでは戦没者を追悼するときによく演奏されるのだそうです。米国におけるバーバーの『弦楽のためのアダージョ』みたいな扱いですね。終曲では力強く盛り上がって圧巻のフィナーレでした。尾高忠明、凄し!


今日のプログラムは以下のとおりでした。

  指揮:尾高忠明
  ヴァイオリン:金川真弓
  管弦楽:NHK交響楽団 コンサートマスター:白井圭

  ブリテン:歌劇「ピーター・グライムズ」- 4つの海の間奏曲 Op.33a
  バーバー:ヴァイオリン協奏曲 Op.14
   《アンコール》アメリカ民謡:深い河(ヴァイオリン・ソロ:金川真弓

   《休憩》

  エルガー:変奏曲「謎」(エニグマ変奏曲)Op.36


最後に予習について、まとめておきます。

1曲目のブリテンの歌劇「ピーター・グライムズ」- 4つの海の間奏曲を予習したCDは以下です。

  レナード・バーンスタイン指揮ニューヨーク・フィルハーモニック 1973年3月8日 ニューヨーク、30丁目スタジオ セッション録音

バーンスタインが好んで演奏した曲、生前、最後の演奏会でも演奏しました。これはそれに先立つ20年ほど前の演奏です。美しく、熱い演奏です。


2曲目のバーバーのヴァイオリン協奏曲を予習したCDは以下です。

  ヒラリー・ハーン、ヒュー・ウルフ指揮セント・ポール室内管弦楽団 1999年9月27、29日 オードウェイ・センター・パフォーミング・アーツ、セント・ポール セッション録音

17歳でCDデビューしたヒラリー・ハーンの3枚目のアルバム。若干20歳のときの録音は同じカーティス音楽院の先輩であったバーバーの作品を取り上げました。溌剌として、とても美しい演奏です。


3曲目のエルガーの変奏曲「謎」を予習したCDは以下です。

  サー・ネヴィル・マリナー指揮ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団 1977年6月 アムステルダム、コンセルトヘボウ セッション録音

マリナーが手兵でないロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団を指揮したものですが、オーケストラの実力を十分に発揮させて素晴らしい響きを引き出しています。この曲のベストとも思える演奏です。



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       金川真弓,  

レオポルド美術館:シーレ最晩年の傑作

2019年9月29日日曜日@ウィーン/24回目

今日は旅の最終日。ウィーンの最終日でもあります。もう、今晩は飛行機で帰国の途につきます。しかし、その前に精一杯、ウィーンの1日を楽しみます。
最後のウィーンの街歩き中で、ウィーン美術史美術館Kunsthistorisches Museum Wienを鑑賞した後、レオポルド美術館Leopold Museumの名品を鑑賞しているところです。今はこの美術館の華、エゴン・シーレのコレクションを鑑賞しています。

エゴン・シーレEgon Schiele(1890年6月12日 - 1918年10月31日)の1915年、25歳頃の作品、《二人の子供と母親Ⅱ Mutter mit zwei Kindern II》です。
母親とその子供を描いた作品ですが、中央に描かれた母親は灰色の顔で死にゆく者、そして、二人の子供は生の象徴。ここでもシーレは死と生を主題においています。左側の子供は目を閉じて眠っていて受動的な存在、右側の子供は目をぱっちり開けて能動的な存在として描かれています。3者3様の描かれ方でこの絵は構成されています。シーレは難しい家族問題を抱えていて、母親に対しては屈折した感情を持ち、これまでも絵の中で母親は死せる存在として描かれていましたが、ここでは家族関係も改善したこともあって、生きた存在になっています。子供はシーレの甥、すなわち、妹ゲルティが前年に産んだ子供を念頭に置いたものです。

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エゴン・シーレEgon Schieleの1918年、28歳頃の作品、《3人の裸の女(未完) Drei stehende frauen (Fragment)》です。
1918年、シーレ28歳の最晩年の作品です。1915年以降、ほとんど、絵画が描かれなくなります。それはシーレがエーディトとの結婚の3日後、勃発していた第一次世界大戦のためにオーストリア=ハンガリー帝国軍に召集されたことで、絵画制作活動が休止に追い込まれたことによります。しかし、従軍後、芸術家としてのシーレの経歴が考慮されて、シーレは前線に出ることはなく、この従軍期間はさらなる芸術的飛躍のための準備期間となります。1917年にウィーンに転属となると、シーレは事実上、制作活動を再開します。そして、1918年、シーレの最晩年になります。
この作品では、モデル(中央)は妻のエーディトですね。最晩年はこういう茶系統の色彩でまとめられた暖かみのある作品が多く描かれます。妻エーディトがほとんどモデルを務めています。家族の愛情に満ちた作品に心が和みます。

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エゴン・シーレEgon Schieleの1915年、25歳頃の作品、《空中浮揚(盲目Ⅱ) Entschwebung (Die Blinden II) 》です。
この時期(1913年~1915年)、シーレにとって、《盲目》は主要な絵の主題でした。彼が社会との断絶を象徴する概念が《盲目》でした。彼は常に社会に受け入れられない存在、そして、社会に溶け込めないことに苦しんできました。多くの自画像を盲目の男として描きます。この作品では空中浮揚の奇跡が描かれていますが、オカルトや神秘主義のひとつとみなされるものです。これも《盲目》のなせる業として、描いたのでしょうか。不可思議な絵ではありますが、シーレの描くタッチや色彩は素晴らしいものです。

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エゴン・シーレEgon Schieleの1917年、27歳頃の作品、《少女 Mädchen》です。
ヌードの少女ですが、もはや、もっと若い頃の衝撃的なエロスは描かれずに、実に素直で“まっとうな”で綺麗な作品です。モデルへの愛情さえも感じます。女性ではなく、人間を描いたと感じます。モデルは妻のエーディットによく似ていますね。

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エゴン・シーレEgon Schieleの1918年、28歳頃の作品、《うずくまる2人の女(未完) Hockendes Frauenpaar (Unvollendet)》です。
モデルはダブルで愛妻のエーディトですね。最晩年の作品はどれをとっても傑作揃いです。このうずくまるポーズはシーレが好んで描いたものです。最高傑作《家族》もシーレ自身と妻エーディットをこのポーズで描いています。

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シーレの作品も最晩年に達し、残り少なくなってきました。このあたりの作品はどれをとっても傑作揃いです。シーレの作品はもう少しだけ続きます。



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レオポルド美術館:晩年のシーレ

2019年9月29日日曜日@ウィーン/25回目

今日は旅の最終日。ウィーンの最終日でもあります。もう、今晩は飛行機で帰国の途につきます。しかし、その前に精一杯、ウィーンの1日を楽しみます。
最後のウィーンの街歩き中で、ウィーン美術史美術館Kunsthistorisches Museum Wienを鑑賞した後、レオポルド美術館Leopold Museumの名品を鑑賞しているところです。今はこの美術館の華、エゴン・シーレのコレクションを鑑賞しています。

エゴン・シーレEgon Schiele(1890年6月12日 - 1918年10月31日)の1917年、27歳頃の作品、《横たわる女 Liegende Frau》です。
もっと若い頃の挑戦的なシーレの絵画を想起させる作品です。エロスに満ちて、野性的なシーレの復活です。当初は相変わらず性器を露出した作品だったようですが、1918年の分離派展に出展するために部分的に手直ししたようです。シーレも大人になり、そういうシーレをウィーンは受け入れたのですが、彼に残された時間はほとんどありませんでした。それでもシーレは自分の芸術が世界に認められるという確信はありました。この作品の力強さ、そして、女の顔の矜持に満ちた表情はどうでしょう。ちょっと印象は異なりますが、これもモデルは妻エーディトでしょう。シーレは軍務の合間に描いたようです。

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エゴン・シーレEgon Schieleの1916年、26歳頃の作品、《裸の女が横たわっている “横たわる女”への習作 Liegende Entblößte Studie zu “liegende Frau”》です。
シーレは師匠のクリムトと同様に多くの女性のモデルを使って、習作を重ねて、絵の完成度を高めるようになっていきます。これもそういう習作の一枚で上の作品、《横たわる女 Liegende Frau》の習作です。下半身のポーズは同じですが、上半身はかなり違っています。シーレは技法的にも大きく前進し、才能だけではなく、周到な準備を重ねた絵画作成を行うようになっています。そういう過程で最晩年の傑作群が生み出されました。

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エゴン・シーレEgon Schieleの1916年、26歳頃の作品、《右足を上げた女性のセミ・ヌード Frauenhalbakt, rechtes Bein angezogen》です。
これも習作の一枚ですね。モデルは妻のエーディトだと思われます。同様のポーズの肖像画があります。

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エゴン・シーレEgon Schieleの1918年、28歳頃の作品、《男と女Ⅱ(恋人たちⅢ)(未完) Mann und Frau II (Liebespaar III) (Unvollendet)》です。
これは最晩年の一連のシーレ自身と妻エーディトを描いた作品のひとつだと思いましたが、どうやら、事情は込み入っていたようです。エーディトは妊娠のためにモデルとしてはふっくらし過ぎていて、本人もモデルを務めるのに消極的だったようです。この頃のシーレはプロのモデルを雇う余裕もあったようで、この作品のモデルはエーディトではなく、プロのモデルでした。しかもこの作品の下部は変に塗りつぶされています。ここには3番目の人物が当初描かれており、塗りつぶされた上で未完となりました。師匠のクリムトのように複数の裸の女性を描いた作品を目指していたようです。結果的に妻エーディトの妊娠と我が子の誕生を前に妻と家族の絵が残されることになりました。それはシーレが一人の男から、父親の自覚を持つに至り、心境の変化があったかに思われます。実際のモデルはエーディトではなかったにせよ、この画面に描き出されたのはシーレと妻エーディトになったとsaraiは信じています。社会や家族からの閉塞感を感じていたシーレもその死を前にして、深い家族愛に目覚め、究極の名作群を残してとsaraiは思いたい・・・。

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これでシーレの絵画は完了。
第1次世界大戦のころに流行したスペイン風邪でシーレの子供を身籠った妻エーディトが1918年10月28日に死去。シーレも同じ病に倒れ、3日後の10月31日にエーディトの後を追うように亡くなりました。saraiがウィーンのベルヴェデーレ宮殿とレオポルド美術館でまとめてシーレの作品群と対峙したのは、没後100年の翌年の2019年9月のことでした。合掌!
そう言えば、クリムトも同じ1918年に亡くなりましたから、同じく、没後100年の翌年に両美術館で名作群を鑑賞しました。同じく、合掌!

もう少し、シーレ関連の展示は続きます。



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ヴァイグレ、盤石のシューマン 上野通明の安定した美しさが光るドヴォルザーク 読売日本交響楽団@東京芸術劇場 2022.2.19

前半は初聴きの上野通明のチェロがとても素晴らしく、聴きなれたドヴォルザークのチェロ協奏曲を気持ちよく聴けました。こんなにポピュラーな曲はCDや実演でも素晴らしい演奏が耳に残っているので、なかなか満足できる演奏には出会えませんが、今日は本当に満足しました。何と言っても、上野通明のチェロはどの音域でも美しく響き、この上ない音楽を醸し出してくれました。適度に熱い音楽を表現し、それでいて、ドヴォルザークの音楽を逸脱することはありません。この若いチェリストは既に熟成した自分の音楽を確立しているようです。その上野通明のチェロをサポートしつつ、雄大な音楽を聴かせてくれたのはヴァイグレが指揮する読響の素晴らしい響きです。弦楽セクションは申し分ありませんせんし、チェロと絡み合う木管の素晴らしいこと。終始、安定した音楽でこの有名な音楽を楽しませてくれました。

後半はシューマンの交響曲第3番。ヴァイグレの盤石な指揮のもと、読響はその持ち前の明るい響きでシューマンの名曲を満喫させてくれます。第1楽章は勢いのある華やかな表現でライン川の堂々たる流れをロマンティックに歌い上げます。第2楽章も明るい響きで流麗な音楽を奏でていきます。第3楽章は一転して、静明な音楽がしみじみと響きます。第4楽章は荘厳な雰囲気を醸し出す素晴らしい響きで魅了してくれます。まざまざとケルン大聖堂の壮大な姿が目に浮かびます。これぞ、シューマンの素晴らしさ。天才的な音楽です。第5楽章はシューマンらしい祝典的な音楽が響き渡ります。シューマンがシューベルトの音楽の正統な後継者であることを実感させてくれるロマンティックな演奏でした。期待通りの素晴らしい演奏に満足しました。読響は今日も快調で素晴らしいアンサンブルで最高の演奏です。今月予定されていたエレクトラが聴けなかったことは何とも残念でした。


今日のプログラムは以下です。

  指揮:セバスティアン・ヴァイグレ
  チェロ:上野通明
  管弦楽:読売日本交響楽団  コンサートマスター:林 悠介

  ロルツィング:歌劇「密猟者」序曲
  ドヴォルザーク:チェロ協奏曲 ロ短調 Op.104
   《アンコール》バッハ:無伴奏チェロ組曲から

   《休憩》

  シューマン:交響曲第3番 変ホ長調 Op.97「ライン」


最後に予習について、まとめておきます。

1曲目のロルツィングの歌劇「密猟者」序曲は以下のCDを聴きました。

  アルフレート・ヴァルタ指揮スロヴァキア放送交響楽団 1988年3月27-31日、チェコスロヴァキア・ラジオ・コンサートホール、ブラティスラヴァ、スロヴァキア セッション録音

ほとんどCDがなくて、これしかありませんでした。しかし、なかなか、しっかりした演奏で録音もよし。


2曲目のドヴォルザークのチェロ協奏曲は以下のCDを聴きました。

 ジャクリーヌ・デュプレ、セルジュ・チェリビダッケ指揮スウェーデン放送交響楽団 1967年11月 ライヴ録音
 
いやはや、さすがにチェリビダッケは協奏曲といえども手抜きなし。実に見事な演奏を聴かせてくれます。チェロの独奏など眼中になしと言った態です。オーケストラの演奏だけでも聴きものです。それに対し、当時、22歳だったジャクリーヌ・デュプレは突っ込んだ熱い演奏を聴かせます。これはこれで聴きもの。彼女はこの4年後に多発性硬化症を発症します。あまりにも短い音楽人生でした。なお、この前年に彼女はバレンボイムと結婚。


3曲目のシューマンの交響曲第3番は以下のCDを聴きました。

 ジョージ・セル指揮クリーヴランド管弦楽団 1960年10月21日 セヴェランス・ホール、クリーヴランド セッション録音
 
これは素晴らしい名演です。どうして今まで聴かなかったのか、反省しています。このところ、セルの名演の数々にはまっていて、どうして、実演を聴かなかったのかが悔やまれます。代わりと言っては何ですが、106枚のCDを集成したジョージ・セル/ザ・コンプリート・アルバム・コレクションを今月、購入し、今回、その中の1枚を初めて聴き、いたく感銘を受けました。さて、全部、聴き通せるかな・・・。



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モーツァルト:第一戒律の責務、戴冠ミサ曲 バッハ・コレギウム・ジャパン@東京オペラシティ コンサートホール:タケミツメモリアル 2022.2.20

モーツァルトの第一戒律の責務は初めて、その存在を知りました。モーツァルト11歳のときの作曲で、こういう長大な作品は初めて書いたそうです。もちろん、父レオポルドの関与があったのでしょう。それにしてもモーツァルト少年の天才ぶりを実感する作品です。とても珍しくて貴重なものを鑑賞できた喜びで気持ちが高揚しました。
この作品は宗教的ジングシュピールともオラトリオとも呼ばれていますが、オペラと言えばオペラです。内容は怠惰なキリスト信徒が様々な体験を通し、真の信仰に目覚めて行くという単純なストーリーです。ザルツブルグ音楽祭の定番であるドイツ劇《イェーダーマン》を思い起こしました。
今日の演奏ですが、キリスト信徒の霊を歌った櫻田 亮の見事な歌唱が全体を引き締めていました。しかし、それ以上に感銘を受けたのは、世俗の霊を歌った中江 早希です。彼女はこういう悪役を歌わせると、そのあまりの素晴らしさに悪役であることを忘れて魅了されます。とりわけ、第4曲のアリア「創造主がこの命を」(Hat der Schöpfer dieses Lebens)で楽天的な生を謳歌しましたが、付点のある音楽の軽やかで流れるような歌唱が素晴らしく、その歌唱に酔い痴れてしまいました。全曲中、最高でした。無論、バッハ・コレギウム・ジャパンの管弦楽が終始、美しく響いていたのもいつものことで、この音楽に華を添えます。一点だけ、苦言を述べるとすると、中江 早希以外のソプラノのレシタティーボの音程が不安定だったことです。当初歌う筈だった松井亜希の急遽の降板が原因だったかもしれませんが、ちょっと残念でした。モーツァルトのレシタティーボって、結構、難しいんですね。

長大な第一戒律の責務を飽きることなく聴き終えた後、休憩をはさんで、次はモーツァルトの名曲、戴冠ミサ曲です。実はこれも初聴きでしたが、初めて聴いたとは思えないほど、しっくりと心に沁みました。バッハ・コレギウム・ジャパンの強力な合唱が加わると、音楽のレベルが跳ね上がります。独唱の4人も見事な歌唱。これ以上はない演奏でした。終曲の「アニュス・デイ」での中江 早希のソプラノ・ソロが少し抑えめの歌唱でしたが、素晴らしい声を聴かせてくれました。オペラ「フィガロの結婚」の第3幕の伯爵夫人のアリア「楽しい思い出はどこに」とよく似た旋律ですが、全然、違った雰囲気での歌唱に感心しました。最後は圧巻のフィナーレの盛り上がりに深く感銘を覚えました。

今日もバッハ・コレギウム・ジャパンは素晴らしい音楽を聴かせてくれました。バッハが基軸のことは間違いありませんが、モーツァルトの宗教曲でも最高の演奏を聴かせてくれます。定期演奏会が年間6回とはいかにも少な過ぎると感じます。もっとたくさん聴きたいと欲が出ます。まあ、マタイ受難曲が毎年聴けるのだけは満足ですが・・・。


今日のプログラムは以下です。


  指揮:鈴木優人
  ソプラノ:中江 早希 (K.317, K.35) 澤江衣里(K.35) 望月万里亜(K.35)
  アルト:青木 洋也 (K.317)
  テノール:櫻田 亮 (K.317, K.35) 谷口洋介 (K.35)
  バス:加耒 徹 (K.317)
  合唱・管弦楽:バッハ・コレギウム・ジャパン


  モーツァルト:第一戒律の責務 K.35

   《休憩》

  モーツァルト:戴冠ミサ曲 K.317


最後に予習について、まとめておきます。

1曲目のモーツァルトの第一戒律の責務を予習したCDは以下です。

 サー・ネヴィル・マリナー指揮シュトゥットガルト放送交響楽団、南ドイツ放送合唱団 1988年 セッション録音
  慈愛:マーガレット・マーシャル(ソプラノ)
  正義:アン・マレー(メッゾ・ソプラノ)
  世俗の霊:インガ・ニールセン(ソプラノ)
  キリスト信徒の霊:ハンス・ペーター・ブロッホヴィッツ(テノール)
  キリスト信徒:アルド・バルディン(テノール)

アン・マレーの歌唱が際立ちました。歌手の出来にばらつきはありますが、全体的によい演奏です。


2曲目のモーツァルトの戴冠ミサ曲を予習したCDは以下です。

 トレヴァー・ピノック指揮イングリッシュ・コンサート 1993年 セッション録音
  バーバラ・ボニー、キャスリン・ウィン・ロジャーズ、ジェイミー・マクドゥグル、スティーヴン・ガッド

バーバラ・ボニーのアニュス・デイの素晴らしさに聴き惚れました。全体にしっかりした演奏です。



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レオポルド美術館:カフェで一休み、そして、ゴッホ

2019年9月29日日曜日@ウィーン/26回目

今日は旅の最終日。ウィーンの最終日でもあります。もう、今晩は飛行機で帰国の途につきます。しかし、その前に精一杯、ウィーンの1日を楽しみます。
最後のウィーンの街歩き中で、ウィーン美術史美術館Kunsthistorisches Museum Wienを鑑賞した後、レオポルド美術館Leopold Museumの名品を鑑賞しているところです。今はこの美術館の華、エゴン・シーレのコレクションを鑑賞しています。

エゴン・シーレEgon Schiele(1890年6月12日 - 1918年10月31日)の1918年、28歳頃の作品、《第49回ウィーン分離派展のポスター Plakat für die 49. Ausstellung der Secession》です。
1918年2月に師匠のグスタフ・クリムトが亡くなり、既に企画されていた第49回ウィーン分離派展をシーレが実質的に引き継ぐ形になりました。これはその第49回ウィーン分離派展のポスターです。その展覧会でシーレは50枚もの新作を出展し、一躍、ウィーンの画壇の主役に躍り出ます。しかし、ヨーロッパで猛威をふるっていたスペイン風邪がシーレ夫妻を直撃し、シーレは28歳でその短い生涯を終えます。このポスターでは、シーレの友人たちがテーブルを囲んでいます。空いた席は亡くなった師匠クリムトのための席だそうです。すぐにシーレの席も空いてしまうとは・・・。リトグラフのポスターなので、色んな美術館に所蔵されています。

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《愛犬ロードとエーディト・シーレ、ウィーン16区のアトリエで》です。
シーレの妻エーディトの写真です。足元には愛犬ロード、背後には、左に《横たわる女 Liegende Frau》の一部、真後ろに《少女 Mädchen》が見えています。エーディトはあたかも王侯貴族のような雰囲気でポーズをとっています。

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ひととおり、シーレのコレクションを鑑賞したところで、休憩することにします。美術館に併設するカフェ・レオポルドCAFÉ LEOPOLDでお茶します。驚くほど多くの種類のメニューがあります。何とカルピス・ソーダなんてものがあります。saraiはこれを注文。小さな牛乳瓶のようなもので出てきます。うん、たしかにカルピスソーダ。海外で初体験のカルピスです。

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配偶者はアイスコーヒー(メランジェ)。何故か配偶者は海外ではアイスコーヒーを好みます。

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このカフェは変わっていて、何故か、日本のものがあります。玄米茶とか、清酒の大関とか、朝日ビール、味噌汁、鶏の唐揚げ、餃子、焼売・・・。日本人のお客が多いのか、それとも日本食ブーム?

窓からは前庭が見下ろせます。のどかだな。

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喉の渇きも潤せて、再び、レオポルド美術館の絵画鑑賞を再開します。

フィンセント・ヴィレム・ファン・ゴッホVincent Willem van Gogh(1853年3月30日 - 1890年7月29日)の1887年、34歳頃の作品、《自画像 Selbstportrait》です。
ゴッホは3年半という短い間に37点もの自画像を描きました。ほぼ1ヵ月に1枚のペースですね。この自画像はパリ時代後半に描いたもののようです。この時代に17枚もの自画像を量産しています。気難しそうな顔をしていますが、大都会のパリに馴染めなかったのでしょうか。翌年の1888年に南フランスのアルルに移り住みます。

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次はリヒャルト・ゲルストルの作品群を見ていきます。まだ、シーレの作品も数点あります。



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レオポルド美術館:ゲルストル、シーレ

2019年9月29日日曜日@ウィーン/27回目

今日は旅の最終日。ウィーンの最終日でもあります。もう、今晩は飛行機で帰国の途につきます。しかし、その前に精一杯、ウィーンの1日を楽しみます。
最後のウィーンの街歩き中で、ウィーン美術史美術館Kunsthistorisches Museum Wienを鑑賞した後、レオポルド美術館Leopold Museumの名品を鑑賞しているところです。ゴッホの自画像を見た後、次はリヒャルト・ゲルストルのコレクションを鑑賞します。

リヒャルト・ゲルストルRichard Gerstl(1883年9月14日 - 1908年11月4日)の1906-07年、23-24歳頃の作品、《スマラグダ・ベルク Smaragda Berg》です。リヒャルト・ゲルストルは19世紀末から20世紀始めのごく短い期間に象徴主義の画家としての人生を燃焼させました。作曲家シェーンベルクの妻マティルデと深い仲になり、作曲家シェーンベルクは苦悩し、画家ゲルストルは若干25歳で首吊り自殺してしまいました。
この作品で描かれたスマラグダ・ベルクは作曲家アルバン・ベルクの妹です。

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エゴン・シーレEgon Schiele(1890年6月12日 - 1918年10月31日)の1912年、22歳頃の作品、《むき出しの肩を高くあげた自画像 Selbstbildnis mit hochgezogener》です。
多くの自画像はシーレの自己表現そのものです。この作品では、大きく見開いた目が印象的です。常に社会との軋轢を抱えたシーレの独特の表情です。肩を高く上げたポーズを挑戦的な態度を思わせます。技法的には、筆を使うほかに、指先を使って描いています。

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リヒャルト・ゲルストルRichard Gerstlの1904-05年、21-22歳頃の作品、《半裸の自画像 Selbstbildnis als Halbakt》です。
独特な画風を貫いたゲルストルの作品の中で、最も有名な作品のひとつです。

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エゴン・シーレEgon Schieleの1911年、21歳頃の作品、《丘陵風景の中の家と壁 Mauer und Haus vor hügeligem Gelände mit Zaun》です。
何とも暗い風景画ですね。シーレの内面を描いたような鬱屈した作品です。結局、シーレにとって、自画像も女性のヌードも風景画もすべて、自己の内面の心象風景なんですね。

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リヒャルト・ゲルストルRichard Gerstlの1908年、24歳頃の作品、《アトリエのマティルデ・シェーンベルクの肖像 Selbstbildnis als Halbakt》です。
ゲルストルが自殺した年の作品です。作曲家シェーンベルクの妻マティルデは問題のゲルストルの愛人ですね。二人はこの夏駆け落ちします。画家はどんな気持ちでこの絵を描いたんでしょうか・・・。結局はマティルデは夫のもとに戻り、ゲルストルは失意のうちに自殺します。
ちなみにマティルデ・シェーンベルクの旧姓はツェムリンスキーです。そうです。彼女はあの作曲家アレクサンダー・ツェムリンスキーの妹なんです。音楽好きで知られたゲルストルの周りにはウィーンの高名な作曲家の友人が多かったんです。

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この後、ムンクの作品、そして、また、ゲルストルの作品が続きます。



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辻彩奈の瑞々しい響きで奏でるフォーレのロマンの世界@浜離宮朝日ホール 2022.2.23

久し振りに辻彩奈のヴァイオリンを聴きました。今日もフランスものを弾く辻彩奈の素晴らしさに魅了されました。とりわけ、フォーレの見事な演奏にうっとりして聴き入りました。
冒頭はモーツァルトのヴァイオリン・ソナタ第40番。第1楽章はスケールの大きな序奏に続き、快調なテンポでの爽やかな音楽が響きます。第2楽章は抒情味のある演奏です。第3楽章は聴き応えのあるアレグレット。深みのあるモーツァルトの演奏でした。
この日、最高だったのはフォーレのヴァイオリン・ソナタ第1番。優美なフォーレのロマンを見事に歌い上げました。永遠に続いていくような息の長い旋律の歌いまわしの見事さに惹き込まれます。それに正確無比な音程のよさもフォーレの音楽の幽玄さを引き出してくれます。音楽的な感銘を受けているうちに長い第1楽章が終わります。素晴らしかったのは次の第2楽章。エスプリとロマンにあふれた美しい音楽に魅惑されます。ピアノの福間洸太朗の美しいタッチの響きも相俟って、最高の音楽が響き渡ります。終始、うっとりと聴き入りました。第3楽章、第4楽章も完璧に思える演奏。フォーレの名曲を満喫しました。ちょうど、今読んでいるのがマルセル・プルーストの《失われた時を求めて》ですが、実に雰囲気が合います。プルーストは音楽の造詣が深く、若い頃からフォーレの音楽を熱愛していたそうです。フォーレのヴァイオリン・ソナタ第1番は《失われた時を求めて》に登場する架空の「ヴァントゥイユのソナタ」のモデルとみなす研究家も多いようです。もっともサン・サーンスのソナタという説もあります。いずれにせよ、プルーストもフォーレもフランスの近代芸術の精華です。

後半は権代敦彦のポスト・フェストゥムで始まります。辻彩奈の委嘱作品だけあって、見事なソロ演奏でした。続くラヴェルのヴァイオリン・ソナタ第2番はsaraiの集中力不足で、演奏のよさが実感できませんでした。最後のサラサーテのツィゴイネルワイゼンは完璧とも思える演奏。ヴァイオリンの響きも美しさの限りを尽くしていました。アンコールはフォーレの《夢の後に》。これは何とも凄まじく美しい演奏でした。今日はフォーレの素晴らしい音楽を堪能できたコンサートで満足、満足!


今日のプログラムは以下です。

 辻 彩奈 ヴァイオリン・リサイタル

  ヴァイオリン:辻彩奈
  ピアノ:福間洸太朗

  モーツァルト:ヴァイオリン・ソナタ第40番 変ロ長調 K.454
  フォーレ:ヴァイオリン・ソナタ第1番 イ長調 Op.13

   《休憩》

  権代敦彦:ポスト・フェストゥム~ソロ・ヴァイオリンのための(辻彩奈 委嘱作品)
  ラヴェル:ヴァイオリン・ソナタ第2番 ト長調 M.77
  サラサーテ:ツィゴイネルワイゼン Op.20
   《アンコール》
     フォーレ:「3つの歌 Op.7」第1曲 夢の後に

最後に予習について、まとめておきます。

1曲目のモーツァルトのヴァイオリン・ソナタ第40番は以下のCDを聴きました。

 アンネ・ゾフィー・ムター、ランバート・オーキス 2006年2月、ミュンヘン セッション録音
 
ムターのモーツァルト、協奏曲と同様に聴き応えがあります。印象的にミスマッチに思えますが、これがすごくいいんです。


2曲目のフォーレのヴァイオリン・ソナタ第1番は以下のCDを聴きました。

 アンネ=ゾフィー・ムター、ランバート・オーキス 2002年1月 セッション録音
 
何故か、フランスものまでムターの演奏を聴いてしまいます。決して、ムターのファンではないのですが、その演奏に納得してしまいます。いつか、実演を聴いてみたいですね。


3曲目の権代敦彦のポスト・フェストゥムはCDが見つからないので、予習せず。


4曲目のラヴェルのヴァイオリン・ソナタ第2番は以下のCDを聴きました。

 アリーナ・イブラギモヴァ、セドリク・ティベルギアン 2010年11月26-28日 ロンドン、ヘンリー・ウッド・ホール セッション録音

イブラギモヴァのヴァイオリンもこのところ、注目しています。期待に違わぬ素晴らしい演奏です。


5曲目のサラサーテのツィゴイネルワイゼンは以下のCDを聴きました。

 ミッシャ・エルマン、ジョゼフ・シーガー 1959年10月 ニューヨーク、マンハッタン・タワー セッション録音

ツィゴイネルワイゼンは子供の頃、よく聴いていました。そのときのレコードがこれ。エルマン・トーンと呼ばれる美しい響きのヴァイオリンです。今聴いても素晴らしい音色の名録音です。



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       辻彩奈,  

レオポルド美術館:ムンク

2019年9月29日日曜日@ウィーン/28回目

今日は旅の最終日。ウィーンの最終日でもあります。もう、今晩は飛行機で帰国の途につきます。しかし、その前に精一杯、ウィーンの1日を楽しみます。
最後のウィーンの街歩き中で、ウィーン美術史美術館Kunsthistorisches Museum Wienを鑑賞した後、レオポルド美術館Leopold Museumの名品を鑑賞しているところです。リヒャルト・ゲルストルのコレクションを鑑賞したところです。次はムンクです。

エドヴァルド・ムンクEdvard Munch(1863年12月12日 - 1944年1月23日)の1895-1902年、32-39歳頃の作品、《吸血鬼Ⅱ Vampyr II》です。
ムンクは《叫び》で知られるノルウェーの画家ですが、隠れた人気を持つのがこの吸血鬼です。このテーマはシリーズとして、吸血鬼シリーズになっています。ムンク自身は吸血鬼を描いたのではなく、男女の愛を描いたと語っており、タイトルも『愛と痛み』です。女性は男性の首にキスをしているのであり、嚙みついているのではないとのことですが、どう見ても吸血鬼に見えますね。評論家は吸血鬼ではなく、ファム・ファタール(運命の女)を描いたと評しています。

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エドヴァルド・ムンクEdvard Munchの1895年、32歳頃の作品、《接吻 Der Kuss》です。
この作品は、「叫び」を初めとする1890年代に制作された一連の作品群「生命のフリーズ」の中のひとつです。愛と死をテーマとする作品群はムンクの芸術上の頂点を形成するものでした。この作品はエッチングですが、油彩で制作された着衣のものもあります。愛を通して、女性への恐怖も描かれていると言われています。これも世紀末芸術のひとつと言えるでしょう。

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エドヴァルド・ムンクEdvard Munchの1896年、33歳頃の作品、《別離 Loslösung》です。
この作品は、《接吻》に始まって、《別離》に終わる男女の恋愛関係の一連のストーリーの最後の部分を描いたものです。悲しみにくれる男性の前には深紅色の植物マンドレイクが立ちはだかります。植物マンドレイクは幻覚作用を催し、根の形が人の姿に似ていることから、魔術の儀式で用いられるものです。女性はまったく別の方向を向き、男性と共有するものは何もありません。この作品はリトグラフですが、同じテーマの油彩で描かれた素晴らしく美しい作品もあります。

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ムンクはこの3枚です。残るはゲルストルの作品だけになりました。



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レオポルド美術館:ゲルストル

2019年9月29日日曜日@ウィーン/29回目

今日は旅の最終日。ウィーンの最終日でもあります。もう、今晩は飛行機で帰国の途につきます。しかし、その前に精一杯、ウィーンの1日を楽しみます。
最後のウィーンの街歩き中で、ウィーン美術史美術館Kunsthistorisches Museum Wienを鑑賞した後、レオポルド美術館Leopold Museumの名品を鑑賞しているところです。ムンクのコレクションを鑑賞したところです。最後は再びゲルストルです。

リヒャルト・ゲルストルRichard Gerstl(1883年9月14日 - 1908年11月4日)の1908年、24歳頃の作品、《庭のマティルデ・シェーンベルク Mathilde Schönberg im Garten》です。
ゲルストルが自殺した年の作品です。ゲルストルは大の音楽好きで作曲家シェーンベルクとも親しくなり、彼の肖像画も描いています。そのシェーンベルクの紹介で彼の妻マティルデの肖像画を何枚も描いています。その中でゲルストルとマティルデは不倫関係になります。この年の夏、ゲルストルはシェーンベルク夫妻とトラウン湖で過ごします。その時に不倫が発覚し、ゲルストルとマティルデは駆け落ちします。しかし、アントン・ウェーベルンの説得でマティルデは夫の元に戻ります。ゲルストルはその失意のうち、芸術上の行き詰まりもあり、若干25歳で自殺します。この時代、ウィーンには、クリムト、シーレ、ココシュカという天才芸術家がいて、才能のあったゲルストルも行き詰まりを感じざるを得なかったわけです。この作品を見ると、ゲルストルも芸術上の発展の余地はあったと思うのですが・・・。自殺の際に多くの作品を焼いてしまったそうで、現存する作品は66点の油彩画と8点の素描だけだそうです。

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リヒャルト・ゲルストルRichard Gerstlの1908年、24歳頃の作品、《半身像のマティルデ・シェーンベルクの肖像 Bildnis Mathilde Schönberg als Halbfigur》です。
これもマティルデの肖像です。多くの肖像画のモデルとなるうちに愛し合うようになったのでしょう。ちなみにマティルデはゲルストルよりも6歳年上です。ゲルストル24歳、マティルデ30歳の許されない恋でした。

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リヒャルト・ゲルストルRichard Gerstlの1908年、24歳頃の作品、《緑のブラウスで座る女性 Sitzende Frau in eine grüne Bluse》です。
モデルが特定されていませんが、モデルは女優Schauspielerinのようです。このモデルの肖像画は3枚描かれています。家具や背景、服装は緑で統一されています。1908年2月から6月下旬にかけて、ウィーンのリヒテンシュタイン通りのシェーンベルクと共有したスタジオで描かれたものです。実に魅力的な作品ですね。

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これで素晴らしいレオポルド美術館の鑑賞が完了しました。最後までウィーンの文化を思いっきり、楽しみました。レオポルド美術館のエゴン・シーレのコレクションは今回も圧倒される素晴らしさでした。
これで長かった今回のヨーロッパ遠征も完了です。イスタンブールに始まり、前半のウィーン、グラーツ、ルツェルン、そして、アルプス再訪、ヴヴェイ、ローザンヌというオーストリア・スイス訪問、その後のフランス周遊、そして、後半のウィーン、29日の旅が完結しました。これから最後の行程、日本への帰還に移ります。



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聴き応えのあるベートーヴェン・チクルス第2回 カルテット・アマービレ@王子ホール 2022.2.26

王子ホールで進行中のカルテット・アマービレのベートーヴェン弦楽四重奏曲チクルスの第2回です。第1回は聴き逃がしましたが、今後は聴き逃がせませんね。次回は来年の1月31日。ラズモフスキー第3番のようです。

さて、今日のコンサート。まずはみなさん、白いドレスで登場。その華やかさにはっとします。後半は黒のドレスに着替えて登場。ヴィジュアルさは音楽には関係ありませんが、美しいのは罪ではありません。
冒頭は1曲目のベートーヴェンの弦楽四重奏曲 第1番。作品18の1です。今回のチクルスでは、作品18の6曲を作曲順に弾いていくようです。前回は最初に作曲された第3番、作品18の3でした。次回は第2番、作品18の2を弾くようです。
第1楽章を弾き始めると、何かパーッと香気が立ち上るような雰囲気でぐっと惹き込まれます。ベートーヴェンが2番目に作曲した曲ですが、とてもそうは思えない完成度の高さでsaraiもとっても好きな曲です。素晴らしいアンサンブルの中、第1ヴァイオリンの篠原悠那の美しい響きが光ります。第2楽章は哀感に包まれた抒情的な音楽がカルテット・アマービレの美しい響きで際立ちます。第3楽章、第4楽章は軽快に気持ちよく音楽が流れます。最上級の演奏でした。

次はベートーヴェンの弦楽四重奏曲 第10番。《ハープ》という別名で知られているベートーヴェン中期後半の曲です。驚くほど、先ほどの第1番と構成が似ています。しかし、後期の四重奏曲にさしかかる雰囲気で実に熟達した作風の傑作ですね。カルテット・アマービレの演奏はよかったのですが、もっと弾けたのではないかという思いも残りました。再来年以降に予想される後期の四重奏曲では、是非、深みのある演奏に上り詰めてほしいものです。

休憩後、ベートーヴェンの弦楽四重奏曲 第8番「ラズモフスキー第2番」。これは何とも素晴らしい演奏でした。ラズモフスキー3曲の中では最も内面的な充実が感じられる作品ですが、それが素晴らしい形で表現された演奏でした。第1楽章の何か秘められたものがあるような演奏は、恋愛小説を読んでいるような気持ちが湧き起ります。実に音楽的な充実が感じられます。第2楽章の美しさには深い感銘を覚えます。カルテット・アマービレの4人の充実した演奏が最高の形で結実しています。ただただ、魅了されるのみです。第3楽章のアレグレットも充実したアンサンブルの美しい演奏。第4楽章は切れのよい演奏で最後は見事に高潮してフィナーレ。うーん、今日、最高の演奏でした。

カルテット・アマービレは聴くたびに彼らの音楽に魅了され、彼らの成長が楽しみで、そして、それ以上に若々しい音楽の精華に共感します。すっかり、彼らの音楽にはまってしまいました。


今日のプログラムは以下のとおりでした。

  弦楽四重奏:カルテット・アマービレ
         篠原悠那(第1ヴァイオリン)
         北田千尋(第2ヴァイオリン)
         中 恵菜(ヴィオラ)
         笹沼 樹(チェロ)


  ベートーヴェン:弦楽四重奏曲 第1番 ヘ長調 Op.18-1
  ベートーヴェン:弦楽四重奏曲 第10番 変ホ長調 Op.74

   《休憩》

  ベートーヴェン:弦楽四重奏曲 第8番 ホ短調 Op.59-2 「ラズモフスキー第2番」


   《アンコール》
     ベートーヴェン:弦楽四重奏曲 第2番 ヘ長調 Op.18-2 から 第3楽章 Scherzo. Allegro


最後に予習について、まとめておきます。

1曲目のベートーヴェンの弦楽四重奏曲 第1番を予習したCDは以下です。

  リンゼイ弦楽四重奏団 1979年 ウェントワース、ホーリー・トリニティ教会 セッション録音

リンゼイ弦楽四重奏団のベートーヴェン弦楽四重奏曲全集の旧盤です。新盤よりもしっくりくる演奏です。


2曲目のベートーヴェンの弦楽四重奏曲 第10番を予習したCDは以下です。

  リンゼイ弦楽四重奏団 1982年 ウェントワース、ホーリー・トリニティ教会 セッション録音

リンゼイ弦楽四重奏団のベートーヴェン弦楽四重奏曲全集の旧盤です。これも新盤よりもしっくりくる演奏です。


3曲目のベートーヴェンの弦楽四重奏曲 第8番「ラズモフスキー第2番」を予習したCDは以下です。

  リンゼイ弦楽四重奏団 2001年11月21-22日 ウェントワース、ホーリー・トリニティ教会 セッション録音

リンゼイ弦楽四重奏団のベートーヴェン弦楽四重奏曲全集の新盤です。深い内容に満ちた素晴らしい演奏です。



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テーマ : クラシック
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       カルテット・アマービレ,  

魂を燃え尽くす上原彩子の究極のラフマニノフとチャイコフスキー 原田慶太楼&日本フィルハーモニー交響楽団@サントリーホール 2022.2.27

天才、上原彩子の比類ない演奏を聴いて、彼女は天才ではなく、超天才であると確信しました。努力だけでは達することのできない領域に足を踏み入れています。

今日は上原彩子のデビュー20周年の記念コンサート。ずっと彼女の応援をしてきた(物理的な意味ではなく精神的にね)saraiも感慨深いものがあります。初めて上原彩子の演奏を聴いたのが、ラフマニノフのピアノ協奏曲第3番。日本人でこんなにラフマニノフが弾けるのかと驚愕して、ほぼ15年聴いてきました。彼女の成長も挫折も聴いてきました。彼女は今、安定して飛躍のときを迎えています。さあ、今日はどんな演奏を聴かせてくれるでしょうか。

冒頭は上原彩子の演奏に先立って、オーケストラの指慣らし。指揮者の原田慶太楼が指揮台に駆け上がり、拍手の静まるのも待たずにグリンカの歌劇「ルスランとリュドミラ」序曲の演奏を始めます。これが凄い演奏。失礼ながら、これが日本フィルとはにわかに信じがたい鉄壁のアンサンブル。そして、原田慶太楼の指揮が凄い。圧倒的な演奏に口あんぐり状態でした。よほど、入念にリハーサルを重ねたんでしょうね。

さて、いよいよ、今日の主役、上原彩子が登場し、ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番。上原彩子の弾くラフマニノフのピアノ協奏曲第3番は何度か聴いて、その素晴らしさに感動しました。そして、いずれの日か、きっと、《パガニーニの主題による狂詩曲》やピアノ協奏曲第2番を聴かせてもらいたいと願っていました。《パガニーニの主題による狂詩曲》は昨年、ようやく聴かせてもらいました。最高の演奏でした。そして、今日、遂にピアノ協奏曲第2番です。そもそも、上原彩子はラフマニノフのスペシャリストと言ってもいいほど、協奏曲も独奏曲も素晴らしい演奏を聴かせてくれます。その根幹は熱い魂の燃焼です。ラフマニノフの何たるかのかなりの部分は彼女の演奏で教えられました。以前は特に独奏曲はどこがよいのか分からずにsaraiにとっては苦手だったんです。今やラフマニノフはsaraiの大好物です。
ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番はsaraiが高校生あたりで親しんでいた曲。映画音楽として、特に第3楽章を好んでいました。それ以降は第2番を聴くことは稀になり、もっぱら、第3番を聴いていました。何故か、ピアノの名手たちの録音も第3番に集中しています。今日の演奏を聴いて、第2番の素晴らしさをまた、上原彩子に教えられました。親しみやすいパートの盛り上がりだけでなく、難解そうなパートもすべて、超絶的なテクニックと音楽を超えた魂の燃焼で圧倒的にsaraiの心に迫ってきます。ピアノの分散和音に乗って、オーケストラが抒情的なメロディーを演奏し、興を高めた後にピアノがそのメロディーを引き継ぐところの素晴らしい雰囲気、そして、ピアノとオーケストラが真っ向からぶつかり合う圧倒的な高まり、ピアノが素早い動きのパッセージで官能的な音楽を演出する見事さ、挙げていけばきりのない様々なパートでの上原彩子の傑出したピアノ演奏に感動するのみでした。そして、その超絶的なピアノ演奏をサポートする原田慶太楼の丁寧極まりないオーケストラコントロールにも脱帽です。第3楽章の終盤のピアノとオーケストラの盛り上がりは身震いするほどの凄まじさでした。あらゆる意味で究極のラフマニノフでした。もっと言えば、ラフマニノフの音楽を土台にした上原彩子の魂の声に指揮者もオーケストラもそして、もちろん、聴衆も共鳴して、コンサートホールはひとつの有機生命体に融合した思いに駆られました。saraiはこんな音楽が聴きたかったんだと今更ながら、実感しました。音楽は耳で聴くのではなく、心の深いところで感じるものです。そして、孤独な魂が思いをひとつにして、心と心がつがって、あらゆる閾を取り払って、すべてを共有すること。saraiが理想とする音楽がここに実現した思いです。少し感傷的になり過ぎましたが、そう思わせるような上原彩子のメッセージを受け取りました。

次のチャイコフスキーのピアノ協奏曲も冒頭からスケールの大きな音楽を上原彩子は発します。ラフマニノフ以上に隅々まで熟知した音楽ですが、上原彩子のチャイコフスキーはやはり、熱く燃え上がります。音楽自体よりも魂の燃焼を感じる気配です。昨年、小林研一郎80歳(傘寿)記念&チャイコフスキー生誕180周年記念チャイコフスキー交響曲全曲チクルスで上原彩子の演奏を聴いたばかりで、あのときの演奏も凄かったのですが、今日はもっとバランスのよい演奏に思えます。暴走せずに節度のある魂の燃焼という風情です。それに自在にピアノを弾きまくる上原彩子を原田慶太楼が巧みに支えつつ、さらにエネルギーを付加していくという離れ業をやってのけています。フィナーレではとてつもないエネルギーの爆発という形で圧巻の音楽が完結しました。いやはや、ラフマニノフとチャイコフスキーの凄い演奏の2連発。上原彩子も疲れたでしょうが、聴く側も体力を使い果たしました。ぼーっとしている時間は1秒たりもありませんでしたからね。

アンコールはコバケンのときと同じ曲、チャイコフスキーの「瞑想曲」です。美しい演奏に疲れた心が癒されました。

今年はまだ2月ですが、これが今年最高のコンサートになることは決まったも同然です。というか、saraiの人生でもここまで素晴らしいコンサートは何回聴いたでしょう。一生、心に残るコンサートです。


今日のプログラムは以下です。


 上原彩子デビュー20周年 2大協奏曲を弾く!

  指揮:原田慶太楼
  ピアノ:上原彩子
  管弦楽:日本フィルハーモニー交響楽団 コンサートマスター:田野倉 雅秋

  グリンカ:歌劇「ルスランとリュドミラ」序曲
  ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第2番 ハ短調 Op.18

   《休憩》

  チャイコフスキー:ピアノ協奏曲第1番 変ロ短調 Op.23

   《アンコール》チャイコフスキー:『18の小品』より「瞑想曲」Op.72-5 ニ長調


最後に予習について、まとめておきます。

1曲目のグリンカの歌劇「ルスランとリュドミラ」序曲を予習したCDは以下です。

 エウゲニ・ムラヴィンスキー指揮レニングラード・フィル 1965年2月23日 ライヴ録音

この曲だけは、ムラヴィンスキーとレニングラード・フィルのコンビで聴くしかないですね。完璧とはこのためにある言葉かと思ってしまいます。


2曲目のラフマニノフのピアノ協奏曲第2番を予習したCDは以下です。

 スヴャトスラフ・リヒテル、スタニスラフ・ヴィスロツキ指揮ワルシャワ・フィル 1959年 セッション録音

リヒテルの剛腕、あるいは爆演が聴けるかと思っていたら、意外に冷静な演奏で素晴らしいラフマニノフを聴かせてくれます。


3曲目のチャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番を予習したCDは以下です。

 マルタ・アルゲリッチ、クラウディオ・アバド指揮ベルリン・フィル 1994年12月8-10日 ベルリン、フィルハーモニー ライヴ録音

チャイコフスキーを得意にするアルゲリッチの真打ちとも言える演奏です。やはり、ライヴの緊張感がいいですね。



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テーマ : クラシック
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       上原彩子,  

帰国の途、ウィーン~イスタンブール

2019年9月29日日曜日@ウィーン/30回目

今日は旅の最終日。ウィーンの最終日でもあります。もう、今晩は飛行機で帰国の途につきます。しかし、その前に精一杯、ウィーンの1日を楽しみました。
ウィーン美術史美術館Kunsthistorisches Museum Wienとレオポルド美術館Leopold Museumの名品鑑賞を完了。
夕方4時近くになり、いったん、ホテルに戻り、預けていた荷物をピックアップして、ウィーン・ミッテWien Mitte駅からCAT(シティ・エアポート・トレイン)に乗って、ウィーン・シュヴェヒャート空港Flughafen Wien-Schwechatに向かいます。CATのチケットはウィーン到着時に往復券を購入済。

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たった20分ほどで空港に到着。ちょっと歩いて出発ロビーに着きます。

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荷物のドロップオフは結構、混み合っています。

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すべての手続きを終えて、出国します。ヨーロッパにお別れです。まだ、配偶者の最後のお楽しみが残っています。空港内のレストランでウィーン風スープをいただきます。

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最後は急いで搭乗待合室に駆け込みます。帰りもターキッシュエアラインズです。搭乗を終えて、機上から空港の照明を眺めます。

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ジェット機は滑走路を移動していきます。

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離陸です。あっという間に空港を見下ろす高度に上昇します。

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どんどん空港から遠ざかっていきます。

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街の灯りが見えます。ウィーンでしょうか。さらば、ウィーン。また、来年、訪れます。(コロナ禍でこれがウィーンとの長い別れになるとは・・・)

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これからイスタンブールまで飛びます。そこでトランジットして、成田に向かいます。
予定高度に上昇し、安定飛行に入ると、早速、食事が出ます。
これはイタリアン。ペンネのトマトソースです。

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これはチキンです。ライス付きというのがいいですね。

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イスタンブールまでは3時間ほどのフライトです。まだまだ、ヨーロッパの上空を飛行していきます。



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首都圏の様々なジャンルのクラシックコンサート、オペラの感動をレポートします。在京オケ・海外オケ、室内楽、ピアノ、古楽、声楽、オペラ。バロックから現代まで、幅広く、深く、クラシック音楽の真髄を堪能します。
たまには、旅ブログも書きます。

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 ≪…長調のいきいきとした溌剌さ、短調の抒情性、バッハの音楽の奥深さ…≫を、長調と短調の振り子時計の割り振り」による十進法と音楽の1オクターブの12等分の割り付けに

08/04 21:31 G線上のアリア

じじいさん、コメントありがとうございます。saraiです。
思えば、もう10年前のコンサートです。
これがsaraiの聴いたハイティンク最高のコンサートでした。
その後、ザル

07/08 18:59 sarai

CDでしか聴いてはいません。
公演では小沢、ショルティだけ

ベーム、ケルテス、ショルティ、クーベリック、
クルト。ザンデルリング、ヴァント、ハイティンク
、チェリブ

07/08 15:53 じじい@

saraiです。
久々のコメント、ありがとうございます。
哀愁のヨーロッパ、懐かしく思い出してもらえたようで、記事の書き甲斐がありました。マイセンはやはりカップは高く

06/18 12:46 sarai

私も18年前にドレスデンでバームクーヘン食べました。マイセンではB級品でもコーヒー茶碗1客日本円で5万円程して庶民には高くて買えなかったですよ。奥様はもしかして◯良女

06/18 08:33 五十棲郁子

 ≪…明恵上人…≫の、仏眼仏母(ぶつげんぶつも)から、百人一首の本歌取りで数の言葉ヒフミヨ(1234)に、華厳の精神を・・・

もろともにあはれとおもへ山ざくら 花よりほか

通りすがりさん

コメント、ありがとうございます。正直、もう2年ほど前のコンサートなので、詳細は覚えておらず、自分の文章を信じるしかないのですが、生演奏とテレビで

05/13 23:47 sarai
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