都響の演奏するマーラーの交響曲第6番は故ガリー・ベルティーニでも聴き、インバルでも聴きましたが、ここまで凄い演奏ではありませんでした。クラウス・マケラのオーケストラへの要求水準はあまりにも高く、都響がそのすべてを完璧に演奏したわけではありませんが、持てる力以上の演奏をしたことは間違いありません。そして、もちろん、聴衆にも高い緊張感と集中力を要求する演奏でもありました。このフレーズはこういう音楽だとその指揮で指し示し、ちゃんと聴衆が聴きとることを強いるものです。saraiも持てるアドレナリンをすべて出し尽くして、マーラーの交響曲第6番の細部深くを聴き入りました。このとても長大な作品をここまで細密に聴いたのは初めてです。いやはや、凄い指揮者が現れたものです。マーラーの交響曲第6番はこんなに濃密な音楽を内包していたんですね。第1楽章の出だしから、ざっざっざっと物凄い迫力でたたみかけてきます。マーラーの心の中の嵐が荒れ狂うかのようで、一時たりとも心休まるときがありません。高い緊張感のまま、第2楽章のアンダンテに入っていきます。マイアーニック(Maiernigg)の作曲小屋のまわりの美しい自然がマーラーの心象風景として織り込まれています。穏やかでありながら、不安感にも苛まれるような孤独感。心に沁み入るような素晴らしい演奏です。ある意味、今日の演奏の中核をなすような最高の音楽が流れて、そして、静かに消え入ります。うーん、あえて、アンダンテをこの第2楽章に置いたことが納得できます。そして、第3楽章で再び嵐が荒れ狂い、そのまま、間を置かずに第4楽章に入ります。狂乱と凄絶な美がないまぜになった究極のマーラーの世界がどこまでも続いていきます。聴いているsaraiはあまりの高揚感でわけが分からなくなります。もう、何も考えられずに強烈なインパクトの音楽の中に身を置くだけです。やがて、音楽が暗く沈み込みます。そして、激しい和音が叩きつけられて、突然の終わり。突然の死のようです。
実に濃密な時間をクラウス・マケラがこの場に集まった人たちに共有させてくれました。ふとsaraiは思いました。彼が途轍もない要求水準でベルリン・フィルを振ると、どんな音楽が出現するのだろうか・・・。
それにしても、10月のパリ管との来日公演は聴きたいものですが、その高額な料金設定には驚愕します。ボストン響、ロンドン響も高いけどね。
今日のプログラムは以下のとおりです。
指揮:クラウス・マケラ
管弦楽:東京都交響楽団 コンサートマスター:四方恭子
マーラー:交響曲第6番 イ短調 《悲劇的》
最後に予習について、まとめておきます。
マーラーの交響曲第6番を予習したCDは以下です。
ベルナルト・ハイティンク指揮シカゴ交響楽団 2007年 セッション録音
うーん、物凄い演奏に圧倒されました。
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