最初、ペーテル・エトヴェシュのセイレーンの歌の日本初演です。指揮のアレホ・ペレスはハンガリーの現代作曲家エトヴェシュの弟子だということで、この曲を演奏するようです。さすがにペレスは確信を持った指揮でこの難曲を捌きます。怪鳥セイレーンの沈黙(オリジナルでは誘惑するように歌う)に対して、耳栓をするオデュッセウスはその沈黙すら聴こえません。ただ、見ているだけということを音楽で表現するのだそうです。確かに怪鳥セイレーンの不気味な様が奇妙な響きで表現されます。しかし、次第にその不気味さもなくなり、正常さを保つ音楽に変容していきます。これは何を意味しているか、定かではありません。未知の存在と遭遇しても、その存在を受容すれば、誰でもコミュニケーションが確立できるということでしょうか。謎のような音楽ですが、ペレスの指揮による読響のアンサンブルは素晴らしい響きを聴かせてくれました。
次は、早熟の天才、メンデルスゾーンが14歳で作曲したヴァイオリンとピアノのための協奏曲。これも演奏機会が少ない珍しい作品です。saraiは初聴き。そもそも、こういう組み合わせの協奏曲が存在することすら、知りませんでした。曲は古典様式の明るく爽やかなもので、美しい響きです。読響の明るいアンサンブル、ピアノのエフゲニ・ボジャノフの切れの良いタッチで粒立ちの美しい響き、ヴァイオリンの諏訪内晶子のボリューム感のある美しい響きで心地よい演奏です。この曲のお手本のような演奏で、耳を楽しませてくれました。曲自体に深みがないのは致し方ないこと。珍しい曲を素晴らしい演奏で聴けたことを感謝しましょう。
後半はショスタコーヴィチの交響曲第12番「1917年」。これもあまり演奏されない曲ですね。ショスタコーヴィチが体制に迎合した第2番、第3番、第11番とともにほとんど演奏されません。saraiは初めて聴きます。レーニンが主導した1917年の10月革命をテーマにした作品です。既にスターリンが亡くなり、スターリン体制後の作品ですが、どうして、このような表題音楽を書いたのでしょう。表題を伏せれば、それなりの音楽で、第7番あたりと同じような雰囲気ですが、表題に引っ張られて、正直、もぞもぞとして、聴いてしまいます。ましてや、ウクライナ問題の真っただ中ですからね。宗教音楽と同じようにその音楽の意味するところを無理やり忘れて聴きましょう。第1楽章や第3楽章の勇壮な雰囲気の音楽はそれでも白けてしまいますが、第2楽章の静謐な雰囲気はかなり聴き応えがあります。それに音楽的に言えば、指揮のペレスの音楽作りはなかなか見事です。ショスタコーヴィチでもほかの曲ならば、ペレスの力量はかなりのものに思えたことでしょう。第4楽章のコーダの凄い盛り上がりは見事でしたが、内容が内容だけに感じ方は微妙です。こと演奏だけを考えれば、読響の分厚い弦のサウンドは見事でしたし、精密なアンサンブルも素晴らしかったです。それにしても政治と音楽は難しい関係にありますね。
今日は珍しい音楽が聴けたのは収穫でしたが、心の底から音楽を楽しむという観点からは難しいプログラム構成になっていました。指揮のアレホ・ペレスが正直、気の毒です。さすがに指揮者コールもありませんでした。
今日のプログラムは以下です。
指揮:アレホ・ペレス
ヴァイオリン:諏訪内晶子
ピアノ:エフゲニ・ボジャノフ
管弦楽:読売日本交響楽団 コンサートマスター:日下紗矢子
エトヴェシュ:セイレーンの歌(日本初演)
メンデルスゾーン:ヴァイオリンとピアノのための協奏曲 ニ短調
《アンコール》フォーレ:夢のあとに(ヴァイオリンとピアノ)
《休憩》
ショスタコーヴィチ:交響曲第12番 ニ短調 Op.112 「1917年」
最後に予習について、まとめておきます。
1曲目のエトヴェシュのセイレーンの歌はYOUTUBEには音源がありましたが、予習せず。
2曲目のメンデルスゾーンのヴァイオリンとピアノのための協奏曲は以下のCDを聴きました。
マルタ・アルゲリッチ、ギドン・クレーメル、オルフェウス室内管弦楽団 1988年5月、チューリッヒ、ラジオDRS第1スタジオ セッション録音
このメンバーで悪かろう筈はありません。美しい演奏を聴かせてくれます。
3曲目のショスタコーヴィチの交響曲第12番「1917年」は以下のCDを聴きました。
エフゲニ・ムラヴィンスキー指揮レニングラード・フィル 1984年4月30日、レニングラード・フィルハーモニー大ホール ライヴ録音
初演のコンビによる演奏です。ムラヴィンスキー最後の録音となったものです。(死の4年前の演奏ですが、これ以後彼はすべての録音を拒否したそうです。) 素晴らしい演奏です。
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