ドレスデンで音楽・美術三昧:アルテ・マイスター絵画館のイタリア絵画
アルテ・マイスター絵画館Gemäldegalerie Alte Meisterのカフェでのランチも終え、本来の絵画鑑賞を始めましょう。
まずはこのアルテ・マイスター絵画館の歴史をおさらいしておきましょう。この美術館はドイツ・バロック建築の最高傑作と言われるツヴィンガー宮殿Zwingerの中にあります。17世紀末、アウグスト強王August II Mocny、すなわち、ザクセン選帝侯フリードリヒ・アウグスト1世Friedrich August I.(ポーランド王としてはアウグスト2世)の下でザクセン公国Herzogtum Sachsenは繁栄を極めます。アウグスト強王は首都ドレスデンDresdenをヨーロッパ1の華麗な都にすべく、壮麗なバロック建築を建て続け、大公がポーランド王になった記念に建てたのがこのツヴィンガー宮殿でした。建築家マティアス・D・ペッペルマンと宮廷彫刻家ペルモーザーが23年の歳月をかけ、バロック芸術の粋を集めて完成させたもので、《ドイツ・バロックの真珠》と謳われました。
アウグスト強王は美術への造詣も深く、歴代のザクセン公が収集してきた絵画コレクションをさらに充実させ、1722年に1938点の宮廷所有の絵画をもって、ツヴィンガー宮殿の中に《絵画館》を設立しました。そして、アウグスト強王の息子のフリードリヒ・アウグスト2世Friedrich August II.(ポーランド王としてはアウグスト3世)は父親の遺志を継ぎ、この宮廷コレクションをヨーロッパ有数のものに高めていきます。ジョルジョーネの《眠れるヴィーナス》、レンブラントの《放蕩息子の酒宴》、そして、遂に念願のラファエロの傑作を手に入れます。代理人をイタリアのピアツェンツァのシスティーナ教会に送り、《システィーナの聖母》の購入に成功します。この作品は現在、アルテ・マイスター絵画館を代表する傑作になっています。この作品が届いたときにフリードリヒ・アウグスト2世は「偉大なラファエロのために道を開けろ」と叫んだという逸話が残っていますが、フリードリヒ・アウグスト2世の気持ちの一端は理解できますね。フリードリヒ・アウグスト2世は絵画収集のほかにも、東洋磁器をコレクションし、さらにはマイセン陶磁器を完成させました。今でもマイセン陶磁器は我々の垂涎の一品ですから、凄い業績です。1763年にフリードリヒ・アウグスト2世が亡くなり、その5年後の1768年にまだ学生だった19歳のゲーテがこの宮廷コレクションを見ることができ、感動の言葉を残しています。このコレクションを《華麗と清らかさ》と評したそうです。その後、1831年に宮廷絵画館はザクセンの国立美術館として公共化されます。1847年に建築家ゴットフリート・ゼンパーGottfried Semperの設計でツヴィンガー宮殿内に現在のアルテ・マイスター絵画館の建物が増設され、1855年に近代的な美術館が公開されます。アルテ・マイスター絵画館には14世紀から18世紀の絵画が展示されています。19世紀以降の近代絵画はブリュールのテラスBrühlsche Terrasseに面して建つアルベルティーヌムAlbertinumの中にあるノイエ・マイスター絵画館Galerie Neue Meisterで展示されています。アルテ・マイスター絵画館の建物を設計したゼンパーはその後、ウィーンWienの美術史美術館Kunsthistorisches Museumの設計も手がけたそうです。名建築家だったんですね。
アルテ・マイスター絵画館の展示総数は約600点。ミュンヘン、ベルリンと並ぶドイツ屈指のコレクションです。しかし、第2次世界大戦ではドレスデンの街と同様に苦渋の歴史を歩みました。戦災を受けたばかりでなく、コレクションは一時ソ連軍に接収されました。ようやく、1956年にコレクションはドレスデンに戻ってきましたが、戦災で破壊された絵画は200点余り、行方不明になった作品は500点とも言われています。爆撃で破壊されたツヴィンガー宮殿は1960年に見事に復旧されました。
さて、前置きが長くなりましたが、アルテ・マイスター絵画館の名品の数々を見ていきましょう。まずはイタリア絵画から見ていきます。イタリア絵画のコレクションの充実には目を見張るばかりです。ボッティチェリ、ラファエロ、ジョルジョーネ、ティツィアーノ、マンテーニャ、パルミジャニーノなどの名画です。
マンテーニャの《聖家族》です。1495年から1500年ころ、マンテーニャ64~69歳の作品です。ヴェネツィア派を代表する画家でもあり、義弟にあたるジョヴァンニ・ベリーニと共通する作風も感じます。実に緻密な描き方に感嘆します。それに彼の作品らしく、画面からは静謐な空気が感じられもします。見事な作品です。

ジョルジョーネの《眠れるヴィーナス》です。ジョルジョーネは1510年、30代半ばでこの世を去りましたが、そのとき、この作品は未完成の遺作として残されました。彼の死の翌年頃に弟弟子にあたるティツィアーノの手でこの作品は完成されました。アルカディアを思わせる田園風景の中にまどろみながら横たわる裸身のヴィーナス。この構図の作品の先駆となったものですが、どの作品よりもこの先輩格の作品が一番、saraiを魅了してくれます。実物の美しさには息を呑みます。さすがのティツィアーノも後年、この構図で名画《ウルビーノのヴィーナス》を描くものの、この作品を超えることはできなかったというのがsaraiの感想です。なお、ジョルジョーネは愛人からペストをうつされて亡くなりましたが、弟弟子のティツィアーノも80歳を過ぎて、ペストで亡くなります。さほどにヴェネツィアはペストに繰り返し、襲われた街でした。

そのティツィアーノの《白い衣装をつけた婦人の肖像》です。1555年頃、ティツィアーノ70歳頃の作品です。このころ、ティツィアーノは押しも押されぬヴェネティア派の巨匠。この作品も非のうちどころのない素晴らしいものです。結局、ティツィアーノはこういう女性を描いた作品が一番、saraiの心にぴったりきます。女性の安定した美とでもいうのか、揺るぎのない美の世界を感じます。なお、この絵のモデルはティツィアーノの娘ラヴィニアと言われています。ラヴィニアはこの頃、25歳くらいの筈です。なかなかの美人ですね。

ピントリッキオの《少年の肖像》です。1480年から1485年ころ、ピントリッキオ26~31歳の作品です。ピントリッキオはそれほど有名ではありませんが、ラファエロの師であったペルジーノに学んだ人です。少年のきりっとした目線が印象的ですが、その風貌から、モデルはラファエロと言われたこともありました。この作品は画家の若い頃の作品ということもあり、まだ、荒削りな印象もありますが、強い意志も感じます。師のペルジーノの作品の艶やかさにはまだまだ及ばないものの、典雅な雰囲気はその影響を受けたものでしょう。

ボッティチェリの《聖ゼノビウスの生涯の4つの場面》です。1500年頃、ボッティチェリ55歳頃の作品です。ボッティチェリとしては最後期の作品の一つです。この作品はフィレンツェの守護聖人ゼノビウスを主題にした4連作の一つです。残りの3点はロンドン・ナショナル・ギャラリー、メトロポリタン美術館、ワシントン・ナショナル・ギャラリーに所蔵されています。これら4点の作品は、1体の聖遺物箱の側面を飾っていました。聖遺物箱というのは、聖人の遺体や遺物を納めるための容器のことです。制作当時はフィレンツェの教会にこの聖遺物箱が置かれていたようですが、その後、箱が解体され、4枚の作品は離散しました。できれば、4枚一緒に見たいものですね。
この作品はゼノビウス司教の奇蹟と死が描かれています。ボッティチェリは当時、政治的に混乱していたフィレンツェの秩序の回復を願い、死者の蘇生で名高い聖人を描いたようです。画面は4つに分かれ、左から、時間の異なる場面が順に描かれています。一番左は荷車に轢かれる少年、次は息絶えた少年を抱きながら泣き叫ぶ母親、次はゼノビウスの奇蹟の力で蘇った少年と抱き合う母親、最後は修道士に囲まれて死を迎えるゼノビウス。
ボッティチェリの後期の作品らしく、以前の明かるい色調と輝くような美しさはありませんが、難しい時代を生き、人生の困難さを味わいつくした画家の深い諦念を感じさせられる名作です。

ラファエロの《システィーナの聖母》です。1512年から1513年頃、ラファエロ30歳頃の脂ののりきった時期の作品です。ラファエロがローマ教皇ユリウス2世の依頼でピアツェンツァのシスティーナ教会の祭壇画として描きました。上部に開かれたカーテン、下部に2人の天使が描かれ、装飾的な雰囲気を出しています。画面左の人物はシスティーナ教会の守護聖人の聖シクストゥス(シスト)でモデルは教皇ユリウス2世と言われています。右側の人物はユリウス2世の一門デッラ・ローヴェレ家の守護聖人の聖バルバラです。なお、聖母のモデルはラファエロの愛人ラ・フォルナリーナではないかとも言われています。ラファエロの聖母子の絵には珍しく、祭壇画ということで、269.5×201というとても大きな絵です。聖母子を代表する美しい絵のひとつに見入ってしまいます。ところで、この絵に描かれている2人の天使はこの美術館はおろか、ドレスデンのアイドルとして、至る所で見かけます。これこそ、ラファエロの最高傑作ではないかと配偶者とも笑ってしまいます。

コレッジョの《羊飼いの礼拝》です。1522年から1530年頃、コレッジョ33~41歳頃の作品です。コレッジョは北イタリアのパルマで活躍した画家です。以前、パルマで大聖堂を埋め尽くすコレッジョの素晴らしい絵を見たことを思い出します。この作品はそのときの素晴らしい絵にも劣らぬものに感じます。馬小屋で生まれたキリストを羊飼いたちが礼拝している聖なる夜を描いたものですが、光の当て方の見事さは後年のカラヴァッジョを思わせます。一瞬の動きも描き出す筆力も素晴らしいです。同じテーマを描くエル・グレコも延長線上に感じられます。この作品はフリードリヒ・アウグスト2世がモデナのエステ家のコレクションを一括購入した際の一枚だそうですが、その頃から、この作品は有名だったそうです。それはそうでしょうね。

パルミジャニーノの《ばらの聖母》です。1529年から1530年頃、パルミジャニーノ26~27歳頃の作品です。パルミジャニーノはコレッジョと並ぶパルマの2大巨匠の一人です。パルミジャニーノはコレッジョとも近い年代の画家ですが、見ての通り、作風は一挙に新しくなります。マニュエリスムというスタイルを確立した画家です。この作品では、大人びた雰囲気の幼児キリストがエロティックな肢体の聖母マリアに脇の下から一輪のばらを手渡そうとしています。これは若きパルミジャニーノの実に野心的な作品です。こういう絵には、saraiは惹きつけられてしまいます。

ティントレットの《アルシノエの救出》です。1555年から1556年、ティントレット37~38歳頃の作品です。ティントレットはティツィアーノに続くヴェネツィア派の巨匠の一人です。ド迫力のダイナミックな画面構成で見る者を釘付けにする作品で知られています。現代のハリウッド映画のエンターテインメント作品の先駆けとも思えます。この作品は古代ローマの詩人ルキアノスの作品を題材にしています。エジプトの女王クレオパトラの妹アルシノエ王女はローマのカエサルのエジプト占拠で海中の塔に閉じ込められます。アレキサンドリアの騎士ガニュメデスがそのアルシノエ王女を塔から救い出します。そのシーンを劇的に描いた、いかにもティントレットらしさが満載の作品です。鎖の巻き付いた女性の白い裸身はムードたっぷりといったところです。芸術性は・・・うーん?

これもティントレットの《悪魔を打ち負かす大天使ミカエル》です。1590年、ティントレット72歳頃の作品です。老いて、ますます、画面構成が派手になっていったティントレットの大作です。当時の人は大喝采でこの作品を迎えたんでしょうね。誰にでも分かりやすい大スペクタクルですものね。

ヴェロネーゼの《クッチーナ家の人々のいる聖母子》です。1571年、ヴェロネーゼ43歳頃の作品です。ヴェロネーゼもティントレットと並び立つヴェネツィア派の巨匠です。ヴェロネーゼも華麗な宗教画の大作を得意にした画家ですが、ティントレットに比べると、上品に見えてしまいますね。結構、これも派手な作品ではあります。この作品はヴェネツィアの貴族クッチーナ家のために描いた4枚の連作の中の1枚です。画面は大理石の柱で左右に分かれていて、左側は聖母子で、その両脇に洗礼者聖ヨハネと聖ヒエロニムス、そして、天使。右側は聖母子を礼拝するクッチーナ家の人々で、キリスト教の3つの徳である信仰(白い女性)、愛(赤い女性)、希望(緑の女性)に導かれています。この絵はほかの3枚とともにクッチーナ家の宮殿の大広間を装飾していました。芸術性はともかくとして、見事な作品ではあります。

ほかにもイタリア絵画でご紹介したい名品もありますが、これでアルテ・マイスター絵画館のイタリア絵画のコレクションの素晴らしさはご理解いただけるでしょう。
次はフランドル・オランダ絵画を見ます。
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