ヴァイマールは芸術家が花盛り:リストが最後に暮らした《リストの家》
音楽家リストの家Liszt-HausはバウハウスBauhausからすぐです。公園の外れがリストの家。イルム公園(Park an der Ilm)は実に広大です。手入れも行き届いており、綺麗な花壇もあります。

公園の地図があります。この地図は左が北を示します。公園の真ん中を南北に流れているのがイルム川Ilmです。リストの家は一番下、すなわち最西端にあります。

これが公園内から見たリストの家です。

家の壁をよく見ると、壁の前に格子状の支柱を立てて、蔓を巻きつかせようとしているところです。しばらくすると、蔓に覆われた緑濃い家になりそうです。

門柱の横を通って、家の前の庭に入ります。

リストの家の正面です。公園側からはこぶりに見えましたが、なかなか大きな建物です。

庭に入ると、ちょうど家の前でおばさんが花の手入れ中です。

入口はここかと聞くと、そうだとのことです。何故そんな会話が必要かというと、入口の戸が固く閉じられているからです。この街の施設はすべて大きな表示もなく、入口はガラス戸ではなく木製の扉で閉じられていて、どこから入るのかちょっと迷います。入口かなと不安を感じながら扉を開くと、そこにチケット窓口があるって言う感じなんです。やはり寒い気候のせいなのでしょうね。
リストの家は、リストが後半生で亡くなるまで住んでいた家です。この家はヴァイマールのアレクサンダー大公から与えられた贅沢な家で、大公自身が家具や調度品を揃え、リストは「ワーグナー並みの贅沢」と喜んでいたようです。リストは36歳からの10年間、ヴァイマールの宮廷楽長としてヴァイマールに暮らした後、ローマに移りました。が、60歳になって、アレクサンダー大公からの執拗な懇願に応えてヴァイマールに戻ってきて、後半生を過ごしました。もっとも、リストは同時にブダペストやローマにも住んでおり、春はブダペスト、夏はヴァイマール、秋から冬はローマと、リスト曰く「三分割の生活」を過ごしていました。
実際に亡くなったのはバイロイトです。娘のコジマが不倫の果てに一緒になった娘婿ワーグナーの主宰するバイロイト音楽祭で、楽劇「トリスタンとイゾルデ」を聴いた後にそこで病気になり亡くなりました。享年74歳でした。しかし、実質この街で人生を終えたと言えるでしょう(3分の1かも知れませんが)。
昨年はリストイヤー(生誕200年)だったので、ここでも様々な催しがあったようです。
このリストの家でもチューリンゲンカードは有効で無料で入場。リストの家のパンフレットもいただきます。

建物内は残念ながら、写真撮影禁止です。部屋に入ると、リストの有名な肖像画(オリジナルかどうかは分かりません)が2枚あり、彼が使用していたアップライトピアノとグランドピアノが置いてあります。日頃旅にも持ち歩き練習していたといわれる音の出ない鍵盤だけのものもあります。今で言えばモバイル鍵盤ですね。もちろん、彼の作品もヘッドフォンを貸してくれて聴けますが、リストのCDは定番のものはたいてい持っていていつも聴いているので、ここで聴く必要はないでしょう。あ、そういえば、いつも携行しているIPODにも入れてあります。
最近はピアノ・リサイタルでもリストを聴く機会が多く、ロ短調ソナタ、《巡礼の年》~「ペトラルカのソネット」、《詩的で宗教的な調べ》~「孤独のなかの神の祝福」などは大好きな曲です。
その大作曲家リストの家を訪問することができて、saraiは感激です。
次はゲーテの家に向かいます。まさに芸術家が花盛りの街です。
ここまでの散策のルートを地図で確認しておきましょう。

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