音楽で神を再生できるのか・・・インバル&東京都交響楽団@サントリーホール 2016.3.24
冒頭はホロコーストの生き残りのサミュエル・ピサールが書き起こしたナチス強制収容所の生々しい描写で始まります。語るのは最近亡くなった彼に代わり、彼の妻と娘です。それだけでもぐっと胸にくるものがあります。人間が人間に対して行った究極の残虐行為。そして、その行為を黙認したかのごとき"神"。宗教も持たないsaraiのような人間にとっては"神"というのは、人類が共通に心の中に持っているはずの倫理観・人間性と置き換えてもいいのかもしれません。延々とこの"神"の黙認行為を攻め続けながら、信仰を失っていく気持ちが語られていきます。バースタインの音楽はその上にそれを補強するように鮮烈に響き渡ります。インバルが都響の全機能をフルに活用して、パーフェクトとも思える音楽、あるいは響きをリアルな形で表現していきます。何という作品でしょう。これは音楽芸術の名を借りて、我々自身に向けられた鋭い刃です。なぜなら、ナチスが犯した犯罪行為は我々人類全体が背負うべき十字架だからです。その時代に生まれていなかった人間であっても、直接・間接に責任のない人間もこの重い罪を自分自身の罪として自覚せよとバーンスタインの音楽は迫ってきます。昨今の大量虐殺、そして、現在、発生しているテロも決して、自分と関係ない問題ではないということ・・・この音楽が語る本質です。ましてや、現在の日本で進行している戦争への道などはたとえ自分が反対の立場であるにせよ、責任は免れるものではありません。戦争行為こそ、倫理観・人間性を根こそぎ駆逐してしまう最たるものですから。そういう強烈なメッセージを受け止めながら、被告席に座る人間のようにして、バーンスタインのメッセージ音楽をうなだれて聴いていました。第2楽章の後半では攻撃的な音楽が一転して、ソプラノのパヴラ・ヴィコパロヴァーが美しい声で子守歌を歌い始めます。子供たちがガス室で大量虐殺され、焼却炉で焼かれる・・・その子供たちへの子守歌です。美しい旋律ですが、戦慄を覚えます。ある意味、ぞっとするような音楽です。
ここからバーンスタインは性急とも思えるように強引に"神"との和解、信仰の再生に突き進みます。しかし、こんなに深刻な"神"喪失から、音楽の力で立ち直れるでしょうか。本音で言えば、立ち直りたい・・・それはsaraiが人類の倫理観・人間性を信じていきたいという希求でもあります。壮大なフィナーレの音楽が鳴り響き、大いなる感銘を受けました。それは神の再生だったのか・・・
今日のプログラムは以下のとおりでした。
指揮:エリアフ・インバル
語り:ジュディス・ピサール、リア・ピサール
ソプラノ:パヴラ・ヴィコパロヴァー
合唱:二期会合唱団
児童合唱:東京少年少女合唱隊
管弦楽:東京都交響楽団
ブリテン:シンフォニア・ダ・レクイエム op.20
《休憩》
バーンスタイン:交響曲第3番《カディッシュ》 (1963)
インバルはこんなに凄い音楽家だったのかと再認識しました。ブリテンのシンフォニア・ダ・レクイエムは日本人にとってもいわくつきの音楽ですが、今日はカディッシュに触れるだけで十分でしょう。愛するR・シュトラウスの《皇紀2600年奉祝音楽》を思うと寂し過ぎます。今夏に聴くオペラ《ダナエの愛》を作曲中に作った作品というのも残念に思うところです。
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