ブルージュ散策:メムリンクの傑作《聖ウルスラの聖遺物箱》
聖ヨハネ施療院Sint-Janshospitaal内のメムリンク美術館Hospitaalmuseum Memling in Sint Janでメムリンクの最高傑作の《聖ウルスラの聖遺物箱》に対面します。この聖遺物箱はこの聖ヨハネ施療院の依頼で作成されたものです。まずはその豪華な意匠に惹き付けられます。ゴシック様式の聖堂を模した形になっており、その側面にメムリンクが手掛けた絵が配置されています。前後側面に2枚、左右側面にそれぞれ3枚ずつが配置されて、聖女≪聖ウルスラ≫の伝説が展開されています。

出典:ウィキメディア・コモンズ (Wikimedia Commons) File:Saint-ursula-shrine-2037.jpg
細部を見ていきましょう。
まず、前面には『聖母子と女性寄進者ヨコザ・ヴァン・ドゥゼーレとアンナ・ヴァン・デン・モールテレ』が描かれています。とても小さい絵ですが、メムリンクらしい楚々としたマリアが印象的です。

後面には『聖女ウルスラと聖女たち』が描かれています。聖女ウルスラと聖女たちの大きさのバランスが極端に違い、聖女ウルスラに重きがあることを明確にしています。聖女ウルスラもマリア同様、楚々とした女性に描かれています。

右側面には、≪聖ウルスラ伝≫から、5世紀の英国王の娘、聖女ウルスラがローマ巡礼に行くところまでが描かれています。

左の絵から順に見ていきましょう。
これは『ケルン上陸』の場面です。船でライン川を遡るのですね。

次は『バーゼル上陸』の場面です。さらにライン川を遡ります。

次は『ローマ教皇キリアクスとの対面』の場面です。ローマ巡礼が果たせました。

左側面には、≪聖ウルスラ伝≫から、聖女ウルスラのローマ巡礼からの帰途が描かれています。この帰途にケルンのフン族の襲撃に遭い、巡礼に同行した1万1000人の処女と共に殉教することになります。なお、同行した処女は11人とする説もあるようです。

左の絵から順に見ていきましょう。
これは『バーゼルからの帰途』の場面です。ここで船に乗船してライン川を下るのですね。

これは『ケルンでのフン族の襲撃』の場面です。ここでフン族の襲撃に合います。

これは『聖ウルスラの殉教』の場面です。ここに聖女≪聖ウルスラ≫の伝説が生まれることになります。ケルン、ライン川地方、ネーデルランド、ヴェネツィアなどでは聖ウルスラは信仰を集めることになりました。

一枚一枚の絵はごく小さいので、それほどインパクトはありませんが、立体的な聖堂に組み上げられた途端に、素晴らしい美に昇華することになりました。特異な美の世界です。
すぐそばに古い聖遺物箱も展示されています。素朴さが魅力ですね。

前面、後面にはキリストの象徴である羊が描かれています。


次はメムリンクの絵画を見ましょう。途中、十字架のキリストの彫刻に目が留まります。こういうものがさりげなく配置されています。

これは《ヤン・フロレインスの三連画 》です。素晴らしい作品です。

これが中央のパネルです。東方三博士の礼拝が描かれています。中央にゆるぎない姿で座るマリアの楚々としていながら、凛とした美しさはメムリンクならではのものです。その大いなる優しさには誰でもひれ伏してしまいそうです。

左翼のパネルは降臨をテーマにしています。

右翼のパネルは神殿への奉献をテーマにしています。

ともかく、聖母マリアの魅力が満載です。
次は《アドリアーン・レインズの三連画》です。中央のパネルには、ピエタが描かれています。聖母マリアの後ろにはマグダラのマリアが控えめに立ちすくんでいます。哀しみに満ちた表現が印象的です。左右のパネルには寄進者が描かれています。

まだまだ、メムリンクの作品の鑑賞は続きます。
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