マーラー紀行:旅の16日目

小屋の前で写真を撮っていると、若い女性スタッフが出迎えてくれます。作曲小屋の中は誰も訪れている人はいません。日本から来たと言うと、遠くから来たのねと言われます。入場料は一人3ユーロ。支払うと、英語とドイツ語のどちらがいいのって訊かれます。もちろん、英語と応えると、立派な英語の資料を手渡されます。その上で、分かりやすい英語で詳細な説明が始まります。ちょうどCDでマーラーの音楽が流れているので、何?って訊くと、バースタイン指揮ニューヨーク・フィルの演奏でマーラーの交響曲第6番でした。とっさには分かりませんね。そのマーラーの音楽をバックに彼女のマーラーストーリーは続きます。もちろん、このマイアーニック時代の話が中心ですが、その時代のしめくくりは娘のアンナ・マリアの死とその思い出の辛さから、マーラーはもう2度とこの地を踏むことはなかったということです。心なしか、説明する彼女も悲しそうでした。その後のマーラーが死に至るまでの話までしてくれました。もちろん、ほとんどは知っている話ではありますが、マーラーが作曲家としての大成した、この作曲小屋で聞くとなんだか、感慨深く感じます。アッター湖の作曲小屋に比べると広くて立派な作曲小屋です。

ここにグランドピアノを運び込んでいたそうです。壁には金庫まで備え付けられていましたが、これは火事への対策だそうです。大切な作曲中の楽譜が焼けては困りますからね。マーラーの創作活動には、こういう自然の中にいあることが必須だったようです。ハイキング、湖でのボート遊び、登山(山を越えて、スロヴェニアまで遠征したそうです)など、自然の中から創作の素材を得ていたようです。いつもかかさずノートブックを持っていたそうです。一通りの話が終わったところで、彼女にアダージェットを流してくれるようにお願いします。バーンスタインのニューヨーク・フィルとの交響曲全集があるのが分かっていたのでお願いしたんです。彼女は即座にアルマとの思い出の曲ねって、反応してくれました。彼女もマーラーについてはなかなか分かっているようです。ちなみにここでマーラーが作曲したのは、交響曲第4番~第8番、リュッケルト歌曲集、亡き子をしのぶ歌です。この地を去った後、自分の死期を悟り、作曲したのはわずかに3曲。大地、すなわち、人生との告別を込めた不朽の名作、大地の歌、交響曲第9番、交響曲第10番(未完)です。
椅子に腰かけて、ボリュームを上げてもらって、3人(sarai、彼女、配偶者)で静かに美しいアダージェットに耳を傾けます。アルマへの思いが詰まった音楽が、作曲された場所で流れます。saraiはただただ深く感動するのみです。このバーンスタインの演奏はマーラーの音楽がブームになった端緒とも言えるものです。久しぶりに聴きましたが、とても素晴らしいです。演奏が終わって、しばらくはみんな、沈黙して、音楽の余韻に浸らせてくれました。この静かな時間こそ、マーラーの音楽には一番必要なものです。深い感銘を受けて、最高の時間を持てました。こんな幸せはありません。ふと、脳裏にヴィスコンティの名作≪ヴェニスに死す≫の1シーンがよぎります。老作曲家アッシェンバッハ(マーラーがモデル)が妻と娘とヴィラで幸せに過ごしたシーン、娘が亡くなり棺に納めるシーン。これらは映画ではアッシェンバッハが過去を回想するフラッシュバックになっていますが、これはまさにこのマイアーニックでの出来事ですね。saraiがこの映画を見たときにはマイアーニックの存在など知りはしなかったので、今、急に脳裏を横切りました。もう一度、あのヴィスコンティの名作を見たくなりました。
作曲小屋を辞去するにあたり、彼女と一緒に記念撮影。そして、マーラーの湖畔のヴィラへの道を教えてもらいます。山道を下りながら、今度はPCに入れておいたマーラーの音楽を流します。静かな山中にアダージェットの美しい響きが吸い込まれていきます。この道はマーラーが作曲小屋と湖畔のヴィラを思いにふけりながら歩いた道でしょう。ハイティンク指揮ベルリン・フィルの演奏はとても優しい響きの名演です。湖畔の自動車道路に着くころに演奏は終わります。自動車道路を歩いて、ヴィラを探します。しばらく歩くと23番の標識のあるヴィラはありました。今は個人所有になっているので門の外から見るだけです。そうこうするうちに、ポストバスの時間が迫ります。もう数分でバスが来るので急ぎ足でマイアーニックのバス停に急ぎます。バス停では数人がバスを待っています。すぐにバスが来て、ポストバスのオフィスで教えてもらったバス停オイロパパルクEuropaparcまで運んでくれます。名前の通り、広大な公園が広がっています。公園を突き抜けて、湖畔に出ると、やがて、ヴェルター湖のクルーズ船乗り場が見つかります。運よく、2時間おきに運行しているクルーズ船の出航時間は20分後です。待っている女性に訊くと、この船がペルチャッハに行くそうです。また、チケットは船で買えるそうです。一安心です。やがて、船が桟橋に近づいてきます。船から出てきた船員からチケットを買い、乗船します。しかし、今日はとてつもない暑さで湖の上もうだるような暑さ。船内も暑いし、デッキは日が照り付けています。こういう時には配偶者に任せると最上の席を探してくれます。今日もデッキの上で唯一、屋根が日光を遮っている特上の席を見つけてくれます。6名限定の席です。既に数人座っていますが、相席をお願いして、ラッキー! やはり、いい妻を持つべきですね。1時間のクルーズでペルチャッハに向かいます。途中、船上から、マーラーのヴィラが見えます。作曲小屋のお姉さんの話では、1stフロア(つまり、2階)にマーラーの寝室があり、湖に面したバルコニーからヴェルター湖をよく眺めていたそうです。いいものが見られました。これだけでもクルーズ船に乗った甲斐がありました。

あっ、忘れてはいけません。ペルチャッハに向かうのですから、PCにイヤホンを装着して、ブラームスの交響曲第2番を聴きます。サイモン・ラトル指揮ベルリン・フィルで第2楽章を聴きます。なるほど、この美しいヴェルター湖にぴったりのイメージです。時間が余ったので、また、マーラーの交響曲第5番のアダージェットを聴きます。うーん、こちらのほうがヴェルター湖の美しい自然にはぴったりですね。美しい湖面と周りの山々が優しく、saraiを包み込んでくれる感じです。これが今日3度目のアダージェットですが、この3回のアダージェットは人生最高のアダージェットです。今後、これ以上の感慨を得ることはできないでしょう。
ペルチャッハに着いて、ヴェルター湖に突き出した半島のようなところの先端から根元に向かって伸びる湖畔の小径、ブラームス通りBrahmswegを歩きます。しかし、なんとも暑い! ここは避暑地ときいたのに、今日は40度近くは温度が上昇している感じです。湖畔の湖水浴のビーチが大混雑です。ブラームスっていう雰囲気はまったくありません。ここからは修行が始まります。ペルチャッハの情報はほとんどありません。とりあえず、町の中心のほう(地図はなく、saraiの頭の中にある地図だけが頼り)に向かいます。と、配偶者が「ツーリストインフォメーションがあったわよ!」。やみくもに歩いていたのにまったくの僥倖です。早速、カウンターにただ一人いたスタッフのお姉さんにブラームスって言いかけると、即座にブラームスのハウスのことね・・・ここには、もう何もないわよって、すげないお答え。あまりにブラームスに冷たいですね。一応、地図でBrahmsliegeという場所を示してくれました。このあたり一帯がゆかりの場所だということです。それではあんまりだと思ったか、奥から≪ブラームスの足跡Auf den Spuren von Brahms≫なる13枚の写真カードの小冊子を出してくれました。裏表紙には一応、ブラームスを巡る散策コースが紹介されています。訊くと、これはなんと無料でいただけるそうです。紹介されているコースを巡る時間はありませんが、すべて写真付きですから、行ったようなものです(違うかな・・・)。まあ、一応、地図にあるBrahmsliege(ブラームスの寝床っていう意味?)に行ってみましょう。ところがこれが大間違い。山の中の坂道を上がっただけです。きっとブラームスの散歩コースの一部なんでしょう。暑くて苦しくて、まるでブラームス修行のようなものでした。ペルチャッハはブラームスが美しいヴェルター湖をここから眺めながら、作曲したんだねって思うだけのところのようです。あとは≪ブラームスの足跡Auf den Spuren von Brahms≫を眺めるだけで十分でしょう。
暑くて、へとへとになって、倒れそうになりながら、ペルチャッハ駅で帰りのレールジェットに乗り込みました。レールジェットのファーストクラスは快適でようやく疲れを回復。レストラン車両に乗ったので、らくらく食事もできて、息を吹き返しました。マイアーニックで素晴らしい感動の体験を持ち、ペルチャッハで苦しい修行をしたヴェルター湖遠征となりました。レールジェットでザルツブルクに戻る際、昨日行ったバード・ガシュタインを過ぎるあたりから雲行きが怪しくなり、凄まじい豪雨。雷鳴まで轟きます。ザルツブルクに戻ると、ここはただただ暑いだけ。早々にホテルの冷房の部屋に逃げ込みます。
いやはや、思い出に残る小旅行の1日になりました。
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