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ティーレマン+ウィーン・フィルのベートーヴェン交響曲チクルスへの助走:交響曲第9番③フルトヴェングラー2回目

今回もティーレマン+ウィーン・フィルのベートーヴェン交響曲チクルスの第4日(11月17日(日):交響曲第8番、第9番)のプログラムについて、聴いていきます。

なお、予習に向けての経緯はここ
交響曲第1番についてはここ
交響曲第2番についてはここ
交響曲第3番《英雄》についてはここ
交響曲第4番についてはここ
交響曲第5番《運命》については1回目はここ、2回目はここ、3回目はここ
交響曲第6番《田園》については1回目をここ、2回目をここ、3回目をここ
交響曲第7番については1回目をここ、2回目をここ、3回目をここ、4回目をここ、5回目をここ、6回目をここ
交響曲第8番については1回目をここ、2回目をここ、3回目をここ
交響曲第9番については1回目をここ、2回目をここ、3回目をここ、4回目をここに書きました。

(全予習が完了したので、全予習へのリンクを上記に示します。参考にしてくださいね。)

今回も交響曲第9番ニ短調 Op.125について聴いていきます。
今回はフルトヴェングラーの2回目です。
前回もご紹介した通り、フルトヴェングラーの交響曲第9番の全録音、12~13種類のうち、7枚以上のCDを聴きます。さらにあと2枚(*のもの)を聴きたいと思っています。以下がそのリストです。前回は1.だけを聴きました。

 1.1942年3月22日、ベルリン・フィル、ライヴ録音、ベルリン(メロディア)
 *1 1951年1月7日、ウィーン・フィル、ライヴ録音、ウィーン(ORFEO盤)
 2.1951年7月29日、バイロイト祝祭管弦楽団、ライヴ録音:編集盤?、バイロイト音楽祭(EMI新リマスター盤)
 3.1951年7月29日、バイロイト祝祭管弦楽団、ライヴ録音、バイロイト音楽祭(ORFEO盤)
 4.1951年8月31日、ウィーン・フィル、ライブ録音、ザルツブルグ音楽祭(ORFEO盤)
 5.1952年2月3日、ウィーン・フィル、ライブ録音、ニコライ記念コンサート(TAHRA盤)
 6.1953年5月31(30?)日、ウィーン・フィル、ライブ録音、ニコライ記念コンサート(ALTUS盤)
 *2 1954年8月9日、バイロイト祝祭管弦楽団、ライヴ録音、バイロイト音楽祭(ORFEO盤)
 7.1954年8月22日、フィルハーモニア管弦楽団、ライブ録音、ルツェルン音楽祭(ORFEO盤)

今回は前回紹介した1.の録音以外、残りの6つの録音を聴いていきます。


では、録音年順に感想を書いていきます。今回は戦後の演奏です。最後の1954年のルツェルン音楽祭の演奏まで聴き進めます。

*1 1951年1月7日、ウィーン・フィル

 これは戦後、最初に録音されたフルトヴェングラーの第9番です。ウィーン・フィルとの最初の録音でもあります。この録音はこれまでコーダの最終部分のピッチが狂ったものしかCD化されていませんでしたが、専用のピッチ修正マシンが開発されて、この問題が解決したそうです。そのCDが最近出たORFEO盤です。これは今のところ、1944年-1954年のフルトヴェングラーのウィーンでのコンサートをまとめて18枚組のセットにしたORFEO盤しかありません。単売が望まれますね。
 
 第1楽章、壮大な開始。重々しい荘厳な音楽。次第にウィーン・フィルの美しい響きが輝き始めます。フルトヴェングラー指揮のウィーン・フィルの響きは格別です。終盤には、この響きが悲劇性を帯びてきます。
 第2楽章、ロマンチックに演奏されるスケルツォ。ウィーン・フィルの響きが際立って美しいです。
 第3楽章、静謐で安寧に満ちた最高級の音楽。賛辞を送っても送り切れません。素晴らしい音楽です。もう、涙して、演奏に耳を傾けるしかありません。人間が作り出した最高の音楽です。
 第4楽章、雄弁な音楽が荘重に語られます。歓喜の主題はそれはもう美しい演奏です。聴きなれた旋律が格別な美しさに輝きます。軽くアッチェレランドして、トゥッティで歌い上げられるのは見事としか、言いようがありません。エーデルマンのソロは実に壮大。4重唱でのゼーフリートの歌唱も輝くようです。美しく荘厳なコーラスが続いていきます。中でも、2重フーガの素晴らしいこと。終盤の4重唱も素晴らしいです。繊細を極めた表現にうっとりと聴き入ります。フィナーレの突進も凄まじいばかり。

1952年、1953年のウィーン・フィルの第9番とも比肩できる素晴らしい演奏です。

2.1951年7月29日、バイロイト祝祭管弦楽団、編集版?

 EMI全集からの1枚ですが、これは1951年に再開されたバイロイト音楽祭のライブ録音です。一般的には、フルトヴェングラー最高の第9番、ということは史上最高の第9番と評されることが多いものです。もちろん、saraiの愛聴盤です。以前はEMIの旧リマスター盤、あっ、その前はもちろんアナログ・ディスクで聴いていましたし、今まではEMIの最新リマスター盤で聴いていました。今回は新たに第2世代のLPレコードからの復刻盤というふれこみのDELTA盤で聴きます。
 
 第1楽章、壮大なスケールの演奏。やはり、噂通り、この復刻盤は素晴らしい音質です。LPレコードからの復刻と言ってもスクラッチノイズもありません。厚みのある響きで堂々とした音楽です。ただ、1942年盤を聴いた後では、あの凄味は感じません。ある意味、落ち着いて、巨大な音楽を楽しむことができます。
 第2楽章、重厚な響きで、ぐいぐいと何かを駆り立てていくような勢いの音楽。中間部では優しい響きも聴かれます。
 第3楽章、これは美しい演奏。とても優しくて温かみにあふれています。何かを回想するような音楽です。懐かしい思い出とか・・・。深く心に刻みつけられる音楽です。
 第4楽章、ドラマチックな音楽・表現です。管弦楽の演奏する「歓喜」の主題もアッチェレランドして迫力が凄いです。エーデルマンの堂々たるバス独唱も素晴らしいです。4重唱のシュヴァルツコップの美声にうっとり。コーラスも威力十分。管弦楽のみで演奏されるフガートの演奏の凄いこと。その後の大合唱も凄いです。劇的でかつ美しいです。天上の世界に飛翔してしまいそうです。最後の4重唱ではまたシュヴァルツコップが素晴らしく、パーフェクト! 最後に異常に長く伸びるソプラノの響きは驚嘆すべきものです。第9番ではシュヴァルツコップを超えるソプラノを聴いたことがありません。その後、最後の突進!! 圧倒的なコーダ。またしても、なだれこむようなフィナーレです。これはこの伝説的な名演の中でも、誰もが賞賛する感動のフィナーレですね。燃えるフルトヴェングラーの指揮は彼の頭の中で疾風のように突き進み、オーケストラのメンバーは誰も着いていけなかったと思える演奏です。

3.1951年7月29日、バイロイト祝祭管弦楽団、実況録音版?

 これは基本的には、2.の演奏と同じもの。しかし、編集なしの本番の実況録音版ということです。ということで、2.との違いの確認を中心に第4楽章だけを聴いてみます。

 第4楽章、音質はまあまあよくて、それ程、聴く上での遜色はありません。ただ、音の輝かしさが少し足りないかなという感じです。管弦楽の演奏する「歓喜」の主題は2.ほどはアッチェレランドしないので迫力感に欠けます。また、シュヴァルツコップの輝かしい美声も聴こえてこないので4重唱の美しさに欠けます。しかし、終盤の4重唱ではシュヴァルツコップの美声が聴こえ、素晴らしいです。コーダでは管弦楽がそれほどは崩壊しませんが、これでも迫力十分かなと思います。基本的には、もちろん、同じ演奏なので、素晴らしいし、無編集ということなので、資料的な価値も高いと思います。ただ、やっぱり、ずっと聴き通すと、音質が劣るのが分かります。それが一番の問題でしょうか。ORFEOがさらなる音質向上に成功すると、ずっと価値が高まるでしょう。

4.1951年8月31日、ウィーン・フィル

 1951年のザルツブルク音楽祭の閉幕コンサートの録音です。2.と3.のバイロイト音楽祭の1か月後の演奏で、こちらはウィーン・フィルとなれば、とても期待してしまいます。

 第1楽章、ウィーン・フィルらしい柔らかい響きで落ち着いた演奏です。やはり、フルトヴェングラーの指揮するウィーン・フィルのベートーヴェンは素晴らしいです。フルトヴェングラーのロマンチックな感性とウィーン・フィルのしなやかな美しい響きが合っているんでしょう。ウィーン・フィルの柔らかい美しい響きがフルトヴェングラーにインスパイアされて、白熱していくのが感動的です。
 第2楽章、キレよりもしなやかさを感じますが、迫力ある演奏でもあります。これはとても素晴らしい演奏です。フルトヴェングラーとウィーン・フィルならではでしょう。スケールが大きく、偉大な音楽になっています。
 第3楽章、これはあまり情緒に流されずにしっかりと音楽を鳴らしています。その分、雰囲気に乏しくも感じます。それでも美しく、流麗な音楽ではあります。
 第4楽章、これは体にズシンと響いてくるような大迫力で始まります。この日のウィーン・フィルはずい分、しっかりした響きです。管弦楽の演奏する「歓喜」の主題は軽くアッチェレランドします。グラインドル(バス)の独唱は堂々として素晴らしいです。4重唱では、ゼーフリート(ソプラノ)の美声も素晴らしいです。合唱の迫力も凄まじいものです。やがて、最終の合唱に突入します。やはり凄まじいです。管弦楽のコーダはやはり凄いとしか言えません。

5.1952年2月3日、ウィーン・フィル

 これは《ニコライの第9》として知られる名演です。フルトヴェングラーの第9番として、最高だと推す声も多いようです。
 
 第1楽章、実に雄渾で壮大で素晴らしいです。そして、ウィーン・フィルの美しい響きが加わるのですから、これ以上望めないような素晴らしい演奏になっています。ここでは、激情ではなく、ロマン性が全体をおおっており、悲愴さまでも感じられます。
 第2楽章、引き締まってはいますが、たっぷりとした音楽的要素がぎっしりと詰まった素晴らしい演奏です。ザルツブルグの表現をさらに一歩進めたもので、理想的とも思える音楽です。何という音楽的充実度でしょう。中間部も美しく、とても魅力的です。まるで熟した果実のようです。音楽的緊張感は最後まで続き、とても素晴らしいです。
 第3楽章、もう最初からグッときてしまいます。静かな感動です。美しいとかどうとかのレベルではありません。生身の人間としてのベートーヴェン、そして、フルトヴェングラーが到達した安らかな境地。この一端を味わわせてもらえる幸せだけでもう胸が一杯で何も言えません。思わず涙の滴が落ちてきます。ただじっと、この奇跡のような芸術に耳を傾けましょう。
 第4楽章、前楽章の感動から覚めやらぬ前に、雄弁な音楽が始まってしまいます。それにしても、いつにない、この雄弁さにはたじろいてしまいます。管弦楽の演奏する「歓喜」の主題の優美さはいかばかりでしょう。それがアッチェレランドして、感動的に上り詰めていきます。ペル(バス)の独唱もこの雰囲気を十分に引き継ぎます。コーラスも強力です。4重唱も見事です。管弦楽のみで演奏されるフガートの演奏も凄い演奏です。気魄が伝わってきます。そして、素晴らしい大合唱で頂点へ。なおも分厚い合唱が続いていきます。最後の4重唱も終わり、コーダに向けて、物凄い演奏となり、フィナーレ。深い感動!

6.1953年5月31(30?)日、ウィーン・フィル

 1953年1月のニコライ記念コンサートがフルトヴェングラーが途中で倒れて中止になり、その代替コンサートが4カ月後の5月30日、31日に行われた際の録音です。従来からある録音が大方、31日のものとされていますが、30日と記載されている資料もあり、どちらかややこしい状況にあります。そこへ、30日のものだというORF(オーストリア放送協会)のマスターテープが発見され、新たにCD化されました。これで両方、揃ったことになりますが、依然として、どちらが30日でどちらが31日なのかという疑念ははっきりしたわけではなさそうです。ここでは、従来からあった5月31日の録音を聴きます。ALTUS盤で聴きますが、このCDには5月30日の演奏と明記されています。困ったものです。いずれにせよ、この2日間がフルトヴェングラーとウィーン・フィルの最後の第9番の演奏になってしまったようです。

 第1楽章、まさに世界の始まり。幽玄の中から忽然と明るい光がぱっと差し込んできます。いつもより、さらに遅いテンポのゆったりした演奏です。荘重な音楽です。ウィーン・フィルはいつも通り、美しい響きですが、重厚さを増している印象があります。曲の性格上、そう聴こえるのかもしれませんけどね。
 第2楽章、何とも気魄にみちた演奏です。推進力のある演奏ですが、ロマン性も感じられます。中間部は束の間の休息。優しい音楽が流れます。再び、力強い音楽に復帰して、曲を閉じます。
 第3楽章、抑えた味わい深い音楽。この音楽を聴いて、何を思うのかは、その聴き手の人生そのものに寄るでしょう。その人のこれまでの歩みがそれを決めるのではないかと思います。カタルシスを感じさせる音楽です。すべて心を解き放ち、俗事から自由になりましょう。何故って、こんなに生きている世界も人生も美しいのだから・・・そう、優しく語りかけてくる音楽です。こういう音楽を私たちに残してくれたベートーヴェンとフルトヴェングラーに感謝するのみです。
 第4楽章、間を置かずに雄弁な音楽が開始。実に見事な演奏です。管弦楽の演奏する「歓喜」の主題は、素晴らしい弦の響きで奏で続けられます。ちょっとテンポを速めて、トゥッティで輝かしく歌い上げられます。実に格調高い演奏です。シェフラー(バリトン)の気持ちを込めた独唱は見事です。4重唱ではゼーフリートの美声がひときわ響きます。管弦楽のみで演奏されるフガートでのシャープで流麗な弦の響きは素晴らしいです。そして、壮麗な大合唱で歓喜の主題。感動! 続く、まるで教会音楽のような美しいコーラスに胸がしめつけられる思いです。最後の4重唱でもゼーフリートの天使のような声にうっとりします。その後、フィナーレに突入。コーダはいつもよりもさらに激しく、音楽を超えた表現です。ウィーン・フィルとの最後の第9番にふさわしい名演です。

*2 1954年8月9日、バイロイト祝祭管弦楽団

 2度目のバイロイト音楽祭からのものであり、最後のルツェルン音楽祭の演奏の2週間ほど前のものです。音質は悪いなりにORFEO盤は聴ける水準にまで改善されています。最晩年のフルトヴェングラーの演奏は貴重で聴き逃せません。それも第9番とくれば、なおさらです。なお、この演奏はかの吉田秀和が実際にその場で聴き、後年、絶賛したことでも知られています。(これは誰が聴いても絶賛するでしょうけどね。あっ、茶々を入れているわけではありませんよ。)

 第1楽章、いかにも力のみなぎった演奏でフルトヴェングラーの気力の充実ぶりがうかがえます。一拍一拍に気合が感じられます。多分、体調はもうよくなかった筈です。その体力の衰えた自らを奮い立たせるかのようにも感じられます。
 第2楽章、これもまた力のこもった突進力のある演奏。中間部は長閑な気分の演奏で、聴く側のこちらもしばしの休憩です。
 第3楽章、安らぎに満ちた、何とも言えない音楽。本当にフルトヴェングラーのみに許された、平安と瞑想の、哲学的とも思える超絶的な音楽。もう、音質がいいの、悪いのというのは関係ありません。ただただ、感動で胸が一杯になって何も言えません。何て素晴らしいのでしょう。たゆたう音の波にゆったりと身を任せて、音楽の神髄を聴き入るのみでした。
 第4楽章、強烈な、そして、鮮烈な響きで音楽が始まります。まず、一音一音が意味を持って迫ってきます。歓喜の主題は最高です! アッチェレランドも凄いです。これ以上の演奏は聴いたことがありません。ヴィントガッセンの独唱もこの演奏にふさわしい素晴らしさです。かなり、力がはいった、前のめりの歌唱になっていますが、これはこれで、いたしかたのないところでしょう。声楽陣もこの雰囲気に入り込み、凄まじい歌唱です。ウェーバーのヘルデン・テノールも大迫力です。高らかに歌われる歓喜の主題はもう歴史に残る素晴らしさ。オーケストラも声楽も完全に忘我の境地でフルトヴェングラーの世界に入り込んでいることが分かります。(かくいうsaraiもその世界に入り込んでいます。) 空前絶後の演奏です。そして、最後は最高のコーダ。もう言うことなしです。

 音質は声楽とオーケストラの音量バランスもおかしいし、音質最低ですが、ORFEOができるだけの改善はしたようです。演奏はこれ以上ない最高のもの。もし、素晴らしい音楽を聴きたければ、少々の音の悪さは我慢しないといけません。そこには、考えられない感動が待っています。

7.1954年8月22日、フィルハーモニア管弦楽団

 死に先立つこと、3か月前のルツェルン音楽祭からの録音で、最後の第9番でもあります。これもフルトヴェングラーの最高の第9番という声も多い有名な演奏です。

 第1楽章、明快な響きでの素晴らしい滑り出し。何と明澄な音楽でしょう。3か月後に死を迎えるフルトヴェングラーは大変高い境地に達しており、すべてを見通したかのような音楽を作り出します。フィルハーモニア管弦楽団も実に素晴らしい響き。こんなに素晴らしいオーケストラだったのでしょうか。常に増して、悲劇性が強く感じられる演奏に大きな感銘を受けます。音楽はどんどん純化していきます。胸に迫るものがあります。劇的に曲は閉じられます。
 第2楽章、実に冴え渡った音楽。これも明快な響きに満ちています。最高に素晴らしい音楽です。音楽の要素はシンプルなものに絞り込まれて、余計なものは一切ありません。純化された要素だけが残された音楽です。中間部になっても、演奏は本質的に変わらず、実にシンプルそのものです。シンプルという言葉は“自然な”という言葉にも置き換えられるものです。
 第3楽章、最初の弦の長いフレーズの第1音を聴いただけで、もう、聴き手の心は彼岸に飛ばされてしまいます。まさに白鳥の歌です。心が純化されていく思いです。この音楽に出会うために自分がこれまで生きてきたことを実感させられます。この音楽に優しく包まれて、もう、自分は・・・・これ以上は書けません。絶句・・・。
 第4楽章、夢のような音楽から現実に引き戻されます。夢のままで終わりたかったという願望が募ります。やがて、「歓喜」の主題。闇の底から響いてきます。だんだん光が満ちてきます。高弦の響きで明るい光が差してきます。そして、「歓喜」の頂点へ。続いて、エーデルマンの登場。さすがの堂々たる歌唱。力強さと輝きに満ちています。次いで、豪華な独唱者たちによる4重唱。やはり、シュヴァルツコップの輝きは群を抜いています。合唱の素晴らしさも凄い! ヘフリガーの若々しい歌唱。ヘルデン・テノールではありませんが、素晴らしいです。続く管弦楽のみで演奏されるフガートでの切迫した響きが胸を揺さぶります。そして、大合唱の「歓喜」の主題の歌声。圧倒されるのみです。美しい合唱が続いていきます。もう陶酔の極です。遂に最後の4重唱。凄い迫力で、そして、美しいです。シュヴァルツコップの絶唱は何て素晴らしいんでしょう。そして、フィナーレです。恐ろしいほどの凄さ。これほどの高みはいまだかってありませんでした。そして、同時にこれがフルトヴェングラーの第9番の本当のフィナーレでもありました。

 巨匠の最後の第9番にふさわしい超名演。これだけの演奏を聴かせてくれれば、もうこれだけで十分です。合掌!!


これでフルトヴェングラーの7つの第9番の演奏を聴き終えました。どれも凄い演奏です。この中から一つだけ選ぶなら、ということはなしです。全部聴かないといけません。未聴の分も早々に聴きます。いずれも音楽的文化遺産です。

こんなフルトヴェングラーの演奏を聴いた後で聴く演奏ってありえませんが、それでも次回はこの交響曲第9番のウィーン・フィルの演奏を聴いて、予習の幕を閉じます。後はティーレマンの来日を待つだけです。


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首都圏の様々なジャンルのクラシックコンサート、オペラの感動をレポートします。在京オケ・海外オケ、室内楽、ピアノ、古楽、声楽、オペラ。バロックから現代まで、幅広く、深く、クラシック音楽の真髄を堪能します。
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