気ままに箱根:ポーラ美術館の名作展・・・4回目
第8セクションは1890年代の作品群《モネ、水の世界へ》と題されています。
クロード・モネが1890年に描いた《バラ色のボート》です。エプト川での舟遊びの情景を描いています。舟に乗っている女性たちは、モネが1892年に再婚したアリス・オシュデの4人の娘のうちの二人、シュザンヌとブランシュであるようです。風景画の中に人物を一つの要素として融合させた作品です。水面の光の表現があくまでもこの作品の主題ですね。

クロード・モネが1892年に描いた《ルーアン大聖堂》です。名高い〈ルーアン大聖堂〉連作30点のうちの一枚です。この作品では、午後6時の聖堂の様子が描かれています。ちなみに一昨年の夏、saraiはこのルーアン大聖堂を訪れました。時は午後4時頃でした。ルーアン大聖堂のファサードはモネの絵よりも華麗に輝いていました。

クロード・モネが1899年に描いた《睡蓮の池》です。モネは生涯で200点余りの睡蓮の絵画を制作しましたが、この作品はその中でも最初期に描かれた第1連作18枚の中の一枚です。貴重な作品がポーラ美術館のコレクションに含まれていますね。パリの北西75kmの美しい村ジヴェルニーにこのモネの水の庭があり、1980年から公開されています。一度訪れてみたいとは思っていましたが、かなわぬ夢になりそうです。モネの作品からだけで、その美しい庭の雰囲気を味わいましょう。

クロード・モネが1907年に描いた《睡蓮》です。48点にも及ぶ第2連作の中の一枚です。第1連作では池の橋や周囲の風景まで描いていましたが、第2連作ではモネの関心は水面の光の移ろいのみに集中します。saraiはある意味、抽象性の高い作品に昇華したと思っています。

第9セクションは1900年前後の作品群《1900年 時代は動き、芸術が変わる》と題されています。
アンリ・ルソーが1906-1910年頃に描いた《エデンの園のエヴァ》です。熱帯のジャングルに妖しい裸体の女性。素人画家から出発したアンリ・ルソーが到達した孤高の境地です。知られているようにアンリ・ルソーは実際にこのような熱帯のジャングルを見たわけではなく、パリの植物園や書物からのみ、このような心象風景を作り上げました。画家の才能というのは、いかに独自のイメージを頭の中に作り出せるかが重要であるかということを如実に示しています。パリのオルセー美術館で展示されているものなど、このテーマ(熱帯のジャングルと裸体の人物)の作品は6点に限られているそうです。これまた、ポーラ美術館の精華といえる作品です。

アンリ・ルソーが1896-1898年に描いた《エッフェル塔とトロカデロ宮殿の眺望》です。アンリ・ルソーが描くパリの風景は他の作品と同様に彼のイメージした心象風景です。それも飛びっきり美しい心象風景です。彼はいかに稀代の芸術家であったかということが理解できます。芸術の本質は人間の魂の奥底にある美を掘り起こすことであることを再認識しました。

ピエール・オーギュスト・ルノワールが1901年に描いた《エッソワの風景、早朝》です。ルノワールの手にかかると、素朴な自然を描いた風景画もこうなるのねって感じで面白いですね。とりわけ、立ち並ぶ木々が美しく描かれています。ここに描かれたエッソワは妻のアリーヌの故郷でシャンパーニュ地方の一農村です。ルノワールはこの地が気に入って、たびたび訪れていたそうです。

ポール・シニャックが1902年に描いた《オーセールの橋》です。ブルゴーニュ地方ヨンヌ県のオーセールで制作された作品です。ヨンヌ川の橋の向こうに、サン=テティエンヌ大聖堂とサン=ジェルマン大修道院が見えています。これだけの作品を点描法で描く労苦はどれだけのものかと想像してしまいます。やはり、以前よりは大きめの点で描いてはいるようです。この10年ほど前に点描法で燃え尽きたジョルジュ・スーラが急死しています。

エドガー・ドガが1900-1905年頃に描いた《休息する二人の踊り子》です。まあ、ドガと言えば、踊り子を描いたパステル画ですね。正直、どこがそんなにいいのか、理解に苦しむところもありますが、印象派コレクションを誇るポーラ美術館には欠かせません。

パブロ・ピカソが描いた青の時代の傑作《海辺の母子像》があったので、パチリと写真を撮ったら、美術館のスタッフがさっと寄ってきて注意します。これは写真撮影不可でした。これが最初に遭遇した撮影不可の絵画でした。ちなみにポーラ美術館のホームページでも画像が公開されていません。ですから、誤って撮影した写真もここには公開できません。ピカソの絵画はすべて撮影不可でした。何とか、ピカソも撮影可にしてほしいものです。 → ポーラ美術館殿
黒田清輝が1912年に描いた《菊》です。日本人として初めて本格的な洋画を描いた画家です。さすがに見事な出来栄えです。

黒田清輝が1907年に描いた《野辺》です。日本人画家による裸体画ということを超えて、何という見事な作品になっているんでしょう。構図も表現もこれ以上は描けない完成度です。女性を捉えた瑞々しい感性には大変な感銘を受けます。傑作です。

オディロン・ルドンが1907年に描いた《アポロンの2輪馬車》です。ルドンはこの作品の主題であるアポロンの2輪馬車を繰り返し描いており、愛着のあるテーマだったようです。この作品はこの主題の初期の作品で習作的なものだと思われます。この後、ボルドー美術館に所蔵される『アポロンの馬車(アポロンの戦車)』、オルセー美術館に所蔵される『アポロンの二輪馬車(アポロンの馬車と竜)』でより完成度を高め、色彩も鮮やかなものになっていきます。この作品のテーマはロマン主義の大画家ウジェーヌ・ドラクロワが手がけたルーヴル美術館の天井画『大蛇の神ピュトンに打ち勝つアポロン』に基づくもので、それをルドンなりに再解釈しているようです。古代ローマの大詩人オウィディウスによる詩集≪転身物語(変身物語)≫で書かれた、大地の母神ガイアに代わって、パルナッソス山の麓で予言の力を持っていた巨大な雌蛇ピュトンを、神託所を設けるために退治する≪太陽神アポロン≫に典拠を得たものです。ルドンは人間や自身の解放と理想の追求、さらには芸術的創造の象徴として、4頭の白馬で天翔ける太陽神アポロンの姿を描きました。幻想的な絵画を得意としたルドンの力が発揮された作品です。ところで、1月まではこの作品の代わりにルドンの《日本風の花瓶》という花瓶に生けた花の絵が展示されていたそうです。その超美しい絵も見たかったところです。

次は第10セクションです。遂に20世紀のフォーヴとキューブの作品群が姿を現します。
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