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歌舞伎:修善寺物語、双蝶々来曲輪日記@国立劇場 2013.8.20

今日は歌舞伎の話題です。
そもそも、saraiはクラシック音楽も素人ですが、それ以上に歌舞伎はまったくの初心者で素人以下です。
しかし、歌舞伎は見るたびに何故か、感銘を受けます。
今日も国立劇場小劇場で若手俳優たちの演じる歌舞伎の公演を見ましたが、大いに心を打たれました。
今日の公演は名前の知られた俳優はまったく出演しませんでしたが、個々の演技力や発声はともかくとして、総合的な出来はまったく素晴らしいものでした。こういう風に感じるのは、saraiが素人以下の初心者だからでもありますが、伝統的な基盤・・・すなわち、出し物、演出、長唄、鳴り物、裏方などがきっちりしているから、総合力でレベルの高い舞台が可能になるのでしょう。

今日は5演目ありましたが、踊り以外の2演目について、素人語りをしてみます。

まず、岡本綺堂作の「修善寺物語」。1幕3場です。

時代は北条氏が実権を握った鎌倉時代。場所は伊豆の修善寺です。ここには鎌倉幕府2代将軍源頼家が北条氏によって、幽閉されていました。その頼家が面作師の夜叉王に自分の顔をモデルに面に作るように命じます。夜叉王は天下一の名人を目指して、この修善寺に工房を構えていました。彼には2人の娘、かつらとかえでがいます。長女のかつらは亡き母の血を継いで、高貴な身分に奉公することが夢です。次女のかえでは父夜叉王の血を継いで、職人気質が身についており、夫の春彦も面作師です。性格の異なる姉と妹夫婦はことあるごとに衝突しています。
ある日の夕刻、突然、頼家がお忍びで夜叉王を訪ねてきます。厳しく、面作成が遅れていることを叱りつけます。夜叉王はどうしても自分の意に適った面が出来ないと突っぱねますが、頼家は我慢がならずに刀に手をかけます。それを見た長女かつらは昨夜、完成していた面を頼家に差し出します。頼家はその面に満足しますが、夜叉王は、その面は命が吹き込めていなくて、死んでいるいるから、不満足な作品で到底、お渡しできるものではないと訴えます。しかし、頼家はそれを気にせずに面を持ち帰ることにします。そして、合わせて、夜叉王の長女かつらの美貌も気に入り、彼女を所望し、連れ帰ることにします。
第一場のクライマックスはこの後です。不満足な作品を不本意にも将軍に差し出してしまったことで、夜叉王は未来永劫、自分の名がすたることになると激しく嘆きます。芸術家はその芸術に命をかけています。夜叉王はまさに芸術家の魂を持っています。その強い矜持に大いに胸を打たれます。夜叉王の大いなる嘆きは芸術を愛するものすべてに共通する普遍的な気持ちでもあり、演劇を超えて、強く共感し、感銘を受けました。

第二場では、かつらが頼家の寵愛を受けて、局の地位を与えられますが、北条氏からの討手が頼家の屋敷を襲います。風雲急を告げます。

第三場は再び、夜叉王の工房。頼家の面を付けたかつらが深手を受けて、倒れこむように戻ってきます。急襲の中で頼家の身代わりになったのでした。
ここから、この劇作の核心にはいっていきます。次女夫婦が息絶えそうになっているかつらの介抱をしている中、頼家の死を伝え聞いた夜叉王が芸術家としての恍惚状態に高揚していきます。彼が作った面は命が吹き込めていなかったのではなくて、頼家の運命を暗示していたのだと悟ったのです。芸術の神が舞い降りて、面に人間の運命さえ表現できた自分は天下一の芸術家の域に達したのだと確信します。これこそ入神の業です。芸術的恍惚に浸る夜叉王は見方によれば、狂人とも思えますが、狂人であろうとなかろうと、この夜叉王こそ、創造活動の頂点に達した瞬間の大芸術家を見る思いです。その偉大さにsaraiは大きな感銘を受けました。感動したといっても言い過ぎではありません。夜叉王は自分こそ、面作師冥利に尽きて、本望だと叫びます。一方、息も絶え絶えのかつらも将軍の寵愛を短時間にせよ受けて、死んでも本望だと語ります。生まれた時から死にゆく運命にある人間として、己のアイデンティティをどこに求めていくか、ぎりぎりの本音を語りながら、どう達成感を得ていくかという人間の究極の課題に向き合う姿をそこに見ました。
しかし、これで終わりではありません。夜叉王はさらなる芸術の高みを目指して、娘の死に際の姿を、若い女性の死にゆく姿として、狂ったように写生します。娘のかつらも気丈に夜叉王の芸術家魂に応えようと最後の気力を振り絞るところで幕になります。まさに鬼神の如く、命をかけた芸術創造がそこにありました。

素晴らしい出来栄えの歌舞伎に圧倒される思いで言葉もなくしてしまいました。配偶者もきっと同じ思いだったようです。しばらく、余韻にふける2人でした。

もうひとつの歌舞伎は「双蝶々来曲輪日記(ふたつちょうちょうくるわにっき)」。浄瑠璃の名作だそうです。

日本人らしい義理と人情のこれでもか、これでもかという吐露に激しく心を揺さぶられた、これまた素晴らしい歌舞伎でした。

「修善寺物語」についての記述で精力を使い果たしたので、残念ながら、この歌舞伎についてはこれ以上触れるのはやめましょう。

日本の大衆芸術である歌舞伎にはとても魂を揺り動かされます。saraiはオペラ、クラシック音楽にはまっているので、十分に歌舞伎に通いつめることができないのが残念です。
また、折に触れて、歌舞伎も楽しみたいものだと思います。


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