ティーレマン指揮ウィーン・フィル《シューマン尽くし》1回目@ウィーン楽友協会 2012.4.20
今夜のキャストとプログラムは以下です。
指揮:クリスティアン・ティーレマン
ヴァイオリン:ライナー・キュッヒル
管弦楽:ウィーン・フィル
シューマン:序曲、スケルツォとフィナーレ Op.52
シューマン:交響曲第1番 変ロ長調 Op.38《春》
《休憩》
シューマン:ヴァイオリンとオーケストラのためのファンタジー ハ長調 Op.131
シューマン:交響曲第4番 ニ短調 Op.120
今日のオーケストラ席からは指揮者が出入りするドアの中がよく見えます。誰よりも早く、ティーレマンの姿が見えます。ティーレマンは勢いよく、ステージに出てきます。
まず、《序曲、スケルツォとフィナーレ》の序曲からです。この席での音響がどうなのか、正直、心配でした。ところが、実に弦楽器の音が綺麗に揃って響いてきます。序奏ではヴァイオリンで、シューマンらしくロマンチックな、それでいて、少し倦怠感がある屈折感の響きが見事に演奏されます。出だしから魅了されます。間に低弦の深い響き。すぐに主題にはいり、快活なテンポに変わり、弦の美しい響き。しばらくすると、弦の高音部の輝かしい響きです。艶があって、なんとも言えないウィーン・フィル独特の美しい響き身震いします。高音部の響きが鳴るたびについ、身震いしてしまうことを止められません。この席はオーケストラと同じ床面なので、耳からだけではなく、床からの振動も一緒に感じます。ウィーン・フィルの美しい響きをオーケストラと文字通り、共有できるとは、何という幸福感でしょう。シューマンのこの曲はあまり聴きこんでいませんが、小交響曲と言っていいほど、聴きごたえがあります。ティーレマンも軽いタクトさばきですが、的確にシューマンの音楽を把握した見事な指揮。さすがです。そうそう、この席からはオーケストラの奏者と同じ目線で指揮者の指揮ぶりを見ることができます。
序曲が終わったところで、聴衆からぱらぱらと拍手。これは困りますね。ティーレマンは若干、苦笑しながら、右手を上げて、拍手を制します。観光客なんでしょうか。こういう素晴らしいコンサートに来てほしくない聴衆です。しかし、ティーレマンは少しも意に介さない様子で、スケルツォにはいります。弦が中心で付点が続くリズミカルなフレーズを美しい響きで奏でます。曲想的には軽い部分です。そのまま、穏やかに曲を閉じます。
すぐに最後のフィナーレにはいります。トゥッティで素晴らしい響きが鳴り響き、すぐに弦で快活で悦びに満ちた主題にはいります。対位法的で勢いのある楽想をなんと見事に表現していることか、まさにこれぞシューマンの祝典的な音楽の正統な演奏です。ティーレマンの棒にウィーン・フィルがパーフェクトに応え、シューマンワールドにどっぷりと身を置きます。素晴らしい!! そのまま、ぐんぐん盛り上がり、音楽の楽しみを満喫しながらのシンプルなコーダ。最初から、シューマンのミニ交響曲の完璧な演奏を聴いた思いです。聴衆ももっと沸いていいのにとsaraiは一人で不満を持ちます。この後の演奏がますます、楽しみです。しかし、ここでコンサートが終わってもsaraiは満足して会場を後にしたでしょう。それほどの素晴らしい演奏でした。
ティーレマンが再度登場します。拍手も鳴り止まらないうちに、交響曲第1番《春》の第1楽章が始まります。金管のファンファーレが鳴り響きます。その後、スローダウンしてぐっとオーケストラを抑え込んで、次第にテンポアップして、解き離れたように悦びにみちた主題が奏でられます。高音弦の上昇音形のフレーズの響きの美しさにうっとりします。何という美しさでしょう。主題提示部が繰り返され、またもや、高音弦の上昇音形の美しさに幻惑されます。じっくりと展開部が奏でれられます。色々な楽器で引き継がれる上昇音形は悦びに満ちた音楽です。いったん、音楽が登りつめ、壮大なスケールで美しいメロディー。また、音楽は落ち着きを取り戻し、高音弦の上昇音形も登場し、少しスローダウンした後、フルートのゆったりした上昇音形に導かれ、トゥッティで快活なコーダにはいり、ヴァイオリンの細かい旋律が美しく奏でながら、フィナーレ。シューマンの悦びに満ちた音楽を何と素晴らしく聴かせてくれることでしょう。
第2楽章にはいり、ヴァイオリンの綿綿とした旋律が続きます。ティーレマンはコンサートマスターのキュッヒルに対して、音量を抑えに抑えるように指示をしつこいくらい続けます。ただ、ウィーン・フィルは響きを損ねない程度に抑えた演奏に留めます。このあたりの指揮者とオーケストラの葛藤は音楽を作り上げる上では重要ですね。少しずつ、抑えが解き放され、抒情感にあふれる演奏が続きます。聴衆もこのあたりは一息つけるところです。
第3楽章のスケルツォが始まります。悠々たるテンポのスケールの大きなフレーズが素晴らしい響きで鳴り渡ります。第2パートをはさみ、また、冒頭の部分が素晴らしい響きで繰り返されます。耳に心地よいですね。また、次のパートを挟み、冒頭の部分を短く繰り返し、最終パートで音楽は沈静化。
そして、輝かしい第4楽章です。トゥッティの素晴らしい響きで祝典的なフレーズを奏で、第1、第2ヴァイオリンでリズミカルで美しい旋律を奏でます。このあたりは対向配置が効いているようですが、聴いている場所がステージの端なので、ヴァイオリンは第1も第2も同じように響いてきます。このあたりは明日、もう一度、聴き直させてもらいましょう。音楽は美しく続きます。フルートソロが見事に響き、先ほどの弦のリズミカルで美しい旋律を奏で、続いて、第2ヴァイオリン、第1ヴァイオリンが呼応して、その旋律を引き継いでいきます。このあたりのシューマンの音楽的感受性にいたく心を打たれます。そして、いくつかの楽想を経て、冒頭の祝典的なフレーズがたっぷりと鳴り渡ります。弦の演奏が実に美しく輝かしいです。その祝典的な気分のまま、コーダにはいっていきます。ティーレマンの下からすくいあげるような《まくり》が圧倒的です。オーケストラもそれに呼応して高揚感のある響きを高らかに歌い上げます。高音弦の素晴らしい響きのフレーズが光り輝きながら、フィナーレ。何という演奏でしょう。究極のシューマンです。ティーレマン恐るべし。この後の交響曲第4番は一体、どういうことになるのでしょう。
ここで休憩。ふーっ・・・。こころがかき乱されて、言葉も出ない状態です。次第に落ち着きを取り戻したところで休憩時間が終了。
コンサートマスター席には、先ほどまではキュッヒルの隣の席に座っていたホーネックが移り、今度はキュッヒルがソロヴァイオリンとして、ティーレマンを従えて、登場です。
《ヴァイオリンとオーケストラのためのファンタジー》という珍しい曲が演奏されます。
まさに曲名通り、オーケストラがロマンチックで幻想的な旋律を美しく響かせます。続いて、キュッヒルのソロヴァイオリンが華麗なフレーズではいってきます。響きは美しいのですが、コンサートヴァイオリニストのような派手やかな響きとは別世界。オーケストラと溶け合うような響きです。途中から、ティーレマンはキュッヒルを覗きこむように顔を付きだし、タクトをキュッヒルに向かって振りはじめます。まるでインスパイアしているみたいです。指揮者がソロヴァイオリニストに対して、タクトを振るのは初めてみました。そのせいか、後半のヴァイオリン演奏は精彩のある素晴らしい演奏に感じ始めました。それにしても、この曲はシューマンぽくない奇妙な曲です。特にヴァイオリン独奏部は細かい動きのフレーズが続き、ファンタジーというよりもカプリッチョみたい。ただ、聴き終わり、この曲は来たるべきR・シュトラウスの世界を先取りしているようにも感じました。やはり、シューマンは実に多彩な才能を持った偉大な作曲家で西洋音楽の中核の流れにいたことを確信しました。
この曲の終了後、ティーレマンのキュッヒルへの敬意に満ちた態度は、父親への慈しみにも似た雰囲気でほほえましく感じました。キュッヒルもまんざらではない様子でにこにこ顔。ティーレマンとウィーン・フィルも蜜月状態なんでしょうか。音楽的には、これ以上のコンビは世界中見渡しても思い当たらないくらいです。まあ、別格として、ハイティンク+コンセルトヘボウがあるくらいでしょうか。
再び、キュッヒルがコンサートマスター席に戻り、最後の交響曲第4番です。saraiの関心事は伝説的なフルトヴェングラーの演奏にどれだけ肉薄できるだろうかということです。
またしても、ティーレマンは拍手も止まぬうちにタクトを打ち下ろします。序奏は意外なことにオーケストラを抑えに抑えます。しつこいくらいです。印象的な旋律が聴こえづらいほどです。しかし、そのために聴衆としては逆に緊張し、耳を凝らさざるを得なくなります。そして、主題部にはいり、手綱はゆるめられ、あのロマンチックな旋律が美しく流れ始めます。カタルシスにも似た感覚を覚えます。ウィーン・フィルの美しい高弦がうねるように響き続け、桃源郷のような音楽の世界。こういう音楽を聴きたくて、長い間、音楽を聴いてきたんです。気持ちの高揚感は表現ができないほどの素晴らしさ。素晴らしい音楽、それに身を委ねる自分、ただ、それだけです。完全に音楽と一体化できました。流麗で、それでいて、ダイナミックな音楽が体を突き抜けていきます。そして、ティーレマンの迫力に満ちた指揮棒が強く振られて、高揚感に満ちたコーダです。これ以上、望むものは何もありません。しかし、まだ、第1楽章が終わったばかりです。
第2楽章は一転して、チェロの独奏で瞑想的な美しいメロディーです。心の安らぎを感じます。続くヴァイオリンのゆったりとした波は憧れに満ちた感情を呼び覚まします。また、チェロの独奏で安らぎ、続くキュッヒルの独奏で美しいヴァイオリンの響きがさざ波のように流れ、最後はチェロの独奏で優しく、心をあたためてくれます。ここで一息ついた感じです。
第3楽章のスケルツォは弦楽合奏の分厚く、美しい響きに圧倒的されます。こんなに心を揺り動かされる音楽があるでしょうか。そして、抒情的なパートにはいります。繰り返しが多いのですが、少しも気になりません。心の落ち着きを得るのみです。そして、また、冒頭の素晴らしい弦楽合奏が再現されます。気持ちが高揚しかけたところで、抒情的なパートに戻り、平静な心に落ち着きます。音楽は沈静化し、アタッカでクレシェンドしながら、終楽章へ。
第4楽章はゆったりした楽想を経て、一気にテンポを上げ、付点のある悦びに満ちた主題が合奏され、高揚していきます。ウィーン・フィルの素晴らしい合奏力で楽友協会のホールに音が満ちて行きます。ティーレマンがどんどん推進力を増していき、中核部に迫っていきます。いったん、テンポをスローダウンし、スケール感を増したオーケストラの響きが次第にヒートアップ。美しい響きを充満させながら、終盤に向かっていきます。テンポを上げ、頂上に上りつめていきます。ティーレマンの凄まじい気迫にsaraiも上りつめていきます。語ることのできない究極のフィナーレでした。まさに重量戦車を思わせる剛直なティーレマンの指揮に、ただただ、ひれ伏すのみです。終楽章はティーレマンの緻密であり、小細工抜きの直球勝負の圧倒的な名演でした。もちろん、楽友協会に響き渡ったウィーン・フィルの弦楽の美しさ、特に艶のある高弦の輝きには目も眩むほどでした。
シューマンの究極を聴いた今、過去のフルトヴェングラーの伝説的名演と比べようとしていた自分を恥じています。音楽はその一瞬に輝き、消えていくもの。特に生演奏は一期一会の自分だけの体験。そこで感動した自分を過去の他の演奏とどう比べようがあるのか、あるわけありません。フルトヴェングラーの素晴らしさは揺るぐものではありませんが、ティーレマンのシューマン、特に第4番はあくまでもティーレマンのシューマンです。その素晴らしさは感じ取れるものだけの宝でしょう。その宝を大事に大事に胸の奥深くにしまっておきましょう。そっとね・・・・
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