伝説に残るクルレンツィスのチャイコフスキー コパチンスカヤも最高! @すみだトリフォニーホール 2019.2.11
前半は昨日と同じチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲です。昨日だけ聴いた人、今日だけ聴いた人は同じくらいの感動を得られたでしょう。いずれも最高水準の演奏でしたからね。昨日は初日のコンサート、しかもクルレンツィス&ムジカエテルナの日本デビューのコンサートということで、とても緊張感の高い演奏でした。パトリツィア・コパチンスカヤは音楽の自由人、常に己の思うがままの音楽を奏でます。したがって、彼女はさほど、異なる演奏をしたわけではありません。昨日の演奏ではクルレンツィスがコパンスカヤのやりたい放題の演奏を細心の気配りで受け止めて、ぴったりとオーケストラをコパチンスカヤのヴァイオリンに合わせていたんです。それは完璧なオーケストラのドライブでした。で、今日はクルレンツィスの高性能の脳細胞にきっちりと昨日のコパチンスカヤの演奏の残像が残っていて、それほどの神経を使うことなく、やすやすとコパチンスカヤの演奏にオーケストラを合わせることができていました。その分、クルレンツィスは思うが儘の音楽を展開することができて、昨日以上にオーケストラからリッチな響きを引き出すことができていたように思えます。音楽的には今日の演奏のほうが幾分、高いレベルにありましたが、昨日の緊張感に満ちた演奏も捨てがたいとは思います。聴く立場のsaraiも今日はリラックスして聴けましたから、より楽しめましたが、昨日のような脳の深部が痺れるような極上の感覚が薄れたのも確かです。しかし、何度聴いても凄い演奏で、聴き飽きることはありません。演奏の細部に関する感想は昨日の記事をご参照ください。基本的にはほぼ同じ演奏ではありました。まあ、こんな凄い演奏が毎日きっちりとなし遂げられるのは驚異的ではあります。
コパチンスカヤのアンコールは何と昨日とまったく同じ3曲でした。昨日同様、パーフェクトな演奏でした。しかし、やりたい放題の演奏でありながら、しっかり、音楽になっているんですから、彼女は天性の音楽家なんですね。
後半はチャイコフスキーの交響曲第4番。saraiが生涯で聴いてきたチャイコフスキーの音楽の最高峰とも言える演奏でした。交響曲第5番・第6番なども含めての評価です。冒頭の運命の動機の序奏を聴いただけで、途轍もない演奏になる予感が走ります。主部が始まり、何とも憂鬱な雰囲気の音楽が展開されていきます。ロシアの大地に根差すような、やるせなさに心が震えます。さらにチャイコフスキーのオペラを思い起こさせるような演劇的なイメージが脳裏をよぎります。運命に翻弄される人間の絶望感、それでいて希望にすがりたいという心情がオペラの背景のように音楽の中に浮かび上がります。《エウゲニ・オネーギン》か《スペードの女王》かな。第1楽章ではなく、第1幕を聴いている錯覚に陥ります。ここで思い当たりますが、このオーケストラはやはりロシアのオーケストラ。しかもオペラハウスのピットに入っているオーケストラです。これまで聴いたのはザルツブルク音楽祭でしたから、あまり、ロシアのイメージはありませんでしたが、もしかしたら、正統的なロシアの音楽伝統を継承しているのでしょうか。そういうことをちらっと思いつつ、ロシア的な憂鬱な響きに集中して、心が高潮していきます。繰り返し現れる運命の動機に聴く者の心も翻弄されます。第1幕、いや違った、第1楽章は圧倒的な高みでフィナーレを迎えます。長大な楽章でした。
第2楽章は哀愁を帯びながら、沈潜した音楽が進行していきます。オペラで言えば、主人公の鬱屈した心の独白ですが、そこには甘い思いも含まれています。複雑なもつれるような表情をクルレンツィスは抑えた美しい響きの中に込めて、聴く者を魅惑します。これも長大な楽章ですが、最上級の音楽がそこにあります。
第3楽章は人々のざわめきのような響きが支配します。オペラのような雰囲気は続いています。そう言えば、以前、と言っても30年ほども前ですが、ウィーン国立歌劇場で《スペードの女王》を振った小澤征爾が、このオペラは《エウゲニ・オネーギン》と同様に、歌付きの交響曲のようなものだという意味のことを言っていたことを思い出します。saraiはそれを思い出しながら、逆にチャイコフスキーの交響曲は歌なしのオペラのようなものだという感懐に思い至ります。チャイコフスキーはマーラーのように交響曲にドラマの要素を持ち込んだ作曲家なのでしょうか。ざわめきが続きながら、この短い楽章は終わります。
第4楽章は圧倒的な響きで幕を開けます。ムジカエテルナの大編成のオーケストラの響きの素晴らしさは極上のレベルです。とりわけ、立奏している弦楽器パートのさざめきたつような響きはほかでは聴けないような独特の響きです。しかも完璧主義者のクルレンツィスが鍛え上げた強靭なアンサンブルはかってのムラヴィンスキーが鍛え上げたレニングラード・フィルを想起させます。もちろん、響きの質は違い、現代流のしなやかさを持つアンサンブルですけどね。祝典ムード風の音楽が華やかに展開されますが、クルレンツィスはきっちりと陰影を付けて、深い音楽を味わわせてくれます。そして、再び、第1楽章冒頭の運命の動機が回帰するところへの誘導の素晴らしさに感じ入ります。運命に翻弄される人間の悲劇性を歌い上げつつ、圧巻のフィナーレ。深く、深く、感動しました。
saraiは結局、ムラヴィンスキーもスヴェトラーノフも実演では聴いていませんが、録音での演奏から推定して、今日のクルレンツィス&ムジカエテルナは日本でのチャイコフスキー演奏の頂点をなすものであると実感しました。伝説として、語り継がれることになるでしょう。もっとも、まだ、サントリーホールの公演は残っているので、その後に今回のクルレンツィス&ムジカエテルナの意義はいかなるものであったのかを考えてみましょう。
あっ、まだ、アンコールがありました。これってアンコールなのっていうレベルの超素晴らしい幻想序曲「ロメオとジュリエット」でした。初めて、こんな名曲であることを認識しました。冒頭では何の曲か、分からず、聴いたことにない曲だと思うほど、素晴らしい響きの連続。途中で有名な旋律が流れて、初めて、曲を認識できました。相当に弾き込んだに違いない演奏でした。サントリーホールでは、地味な曲が演奏されると思っていましたが、この幻想序曲「ロメオとジュリエット」を聴くに及び、俄然、期待感がつのります。でも、サントリーホールではアンコール曲はどうするんだろう? 入らぬ心配をしてしまいました。ちなみにこれでサントリーホールへの予習が一つ終わりましたね。組曲第3番が交響曲並みに長いので、何とか、それを明日聴きましょう。
今日のプログラムは以下です。
指揮:テオドール・クルレンツィス
ヴァイオリン: パトリツィア・コパチンスカヤ
管弦楽:ムジカエテルナ
チャイコフスキー: ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 Op.35
《アンコール》
ミヨー: ヴァイオリン、クラリネット、ピアノのための組曲 op.157bから 第2曲
(ムジカエテルナ首席クラリネット奏者とデュオで)
リゲティ: バラードとダンス(2つのヴァイオリンのための編曲)
(ムジカエテルナ・コンサートマスターとデュオで)
ホルヘ・サンチェス=チョン:クリン(コパチンスカヤに捧げる)
《休憩》
チャイコフスキー: 交響曲第4番 へ短調 Op.36
《アンコール》
チャイコフスキー: 幻想序曲「ロメオとジュリエット」
最後に予習について、まとめておきます。
チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲は以下のCDを聴きました。(前日の内容と同じですが、参考のために掲載します。)
ワディム・レーピン、ヴァレリー・ゲルギエフ指揮キーロフ管弦楽団 2002年7月2~4日、フィンランド、ミッケリ音楽祭 マルティ・タルヴェラ・ホール ライヴ録音
ともかく、色んな意味でバランスに優れた演奏です。レーピンは安定感もありますが、野性味もあり、第3楽章の迫力は凄まじいものです。特筆されるのはゲルギエフのチャイコフスキーの深い解釈で感銘を受けます。にもかかわらず、何となく、この演奏を最高だと感じないのは何故でしょうか。やはり、ヴァイオリンの響きに人を惹き付けてやまない魅力がもう一つということでしょうか。
ヤッシャ・ハイフェッツ、フリッツ・ライナー指揮シカゴ交響楽団 1957年録音 ハイレゾ
やはり、ハイフェッツは天才ヴァイオリニストであることを痛感しました。ハイレゾの素晴らしい音で聴くと、彼が持てる最高の技量のすべてをチャイコフスキーの傑作音楽のために捧げていることがしっかり実感できます。すべての楽章が最高の演奏でsaraiの感性が刺激され尽くします。とりわけ、第2楽章の中間の木管ソロとの競演はシカゴ響の名人たちとの凄すぎる響きに呆然としてしまいます。これぞ天国の音楽です。ハイフェッツの魅力を堪能できる最高の1枚です。
アンネ・ゾフィー・ムター、アンドレ・プレヴィン指揮ウィーン・フィル 2003年9月、ムジークフェライン ライヴ録音
これは隠れた名盤ですね。ちょっと聴くとムターのくせのある弾き方が気になりますが、だんだんと彼女の素晴らしい響きと音楽の魅力に惹き付けられていきます。ともかく、カラヤン自身の音楽は好みませんが、カラヤンが見出した音楽家はすべて素晴らしいです。そういうカラヤンの音楽を聴く力は天才的とも思えます。もちろん、ムターはカラヤンとの録音もありますが、それは聴いていません。ちなみにカラヤンが見出した才能の一人がミレッラ・フレーニです。この演奏はすべての楽章において魅力的ですが、特に第3楽章のフィナーレの凄まじさには心躍るものがあります。ウィーン・フィルはさすがの演奏です。
リサ・バティアシュヴィリ、ダニエル・バレンボイム指揮シュターツカペレ・ベルリン 2015年6月 ベルリン
バティアシュヴィリの官能的な美音が聴きものですが、ザルツブルク音楽祭で聴いた実演と比べると、恍惚的な陶酔感は味わえません。やはり、彼女はライヴでのみ、その本質が聴けるヴァイオリニストです。その点、ムター姉御はセッション録音でも毒をはらんだ魅力を発散してくれます。いやはや、音楽は難しい。
アイザック・スターン、ユージン・オーマンディ指揮フィラデルフィア管弦楽団 1958年3月録音 セッション録音
セッション録音の素晴らしさを満喫させてくれます。録音も演奏も最高水準です。やはり、アイザック・スターンは名人ですね。ライヴのようなスリル感はありませんが、それはないものねだりでしょう。
ダヴィッド・オイストラフ、ロジェストヴェンスキー指揮モスクワ・フィル 1968年 ライブ録音
スターン盤がセッション録音の最高水準をいくものだとすれば、このオイストラフ盤はライヴ録音の素晴らしさを満喫させてくれます。そのたっぷりしたスケール感のある演奏は他のヴァイオリニストとの格の違いを見せつけるかのごとく、これぞヴィルトゥオーゾという極上の演奏です。これは何度聴いても、また、聴きたくなるような最高の演奏です。
パトリシア・コパチンスカヤ、テオドール・クルレンツィス指揮ムジカエテルナ 2014年5月、ペルミ国立チャイコフスキー・オペラ&バレエ劇場
今回、聴くコパチンスカヤとクルレンツィスのコンビでの演奏です。正直、唖然としてしまいました。配偶者はこれは同じチャイコフスキーの協奏曲なのって、訊くくらいです。もちろん、賛否両論あるでしょう。明らかにコパチンスカヤが主導権を持った演奏ですが、その天衣無縫とも言える演奏にぴったりとオーケストラをつけるクルレンツィスも凄い。終いには両者がやりたい放題にやって、楽趣は尽きることがありません。saraiはやりたい放題でありながら、音楽性を失わない、こういう演奏は好きですよ。一体、生での演奏はどうなるのか、楽しみです。おとなしく合わせるのか、もっと、ばりばりと演奏して、崩壊するのか、予測はできません。
チャイコフスキーの交響曲第4番は以下のCDを聴きました。
ジョス・ファン・インマゼール指揮アニマ・エテルナ 2000年9月6日ブリュッセル ライヴ録音
この曲はまだ、クルレンツィスは録音していないと思うので、同じく、オリジナル派のインマゼール指揮アニマ・エテルナを聴いてみました。でも、多分、クルレンツィスとはかなり、傾向が違うと思われる演奏です。非常にノーブルで端正とも思える表現です。運命の嵐が吹き荒れるという風情ではなく、落ち着いた演奏で、抒情さえ漂います。全体にバレエ音楽を感じてしまうような、きめ細かい表情の音楽です。ある意味、新鮮に感じる演奏です。ムラヴィンスキー流の演奏とは対極にあると言えるのかもしれませんが、妙に説得力はあります。クルレンツィスはそれらの中間くらいの演奏なのか、あるいは激しく燃え上がる演奏なのか、興味は尽きません。
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