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エル・グレコはプラド美術館から:ベラスケスの画業を辿って

2014年5月27日火曜日@マドリッド、セゴヴィア/14回目

プラド美術館はエル・グレコを見るために訪れましたが、プラド美術館では主役は何と言ってもベラスケスです。ベラスケスの最高にして、最大のコレクションがプラド美術館にあります。

ベラスケスは弱冠24歳の若さでスペインの宮廷画家に抜擢されました。若きフェリペ4世が「今後いっさい、ベラスケス以外の画家に私の姿は描かせないことにする。」と宣言し、1623年10月6日、ピントール・デル・レイPintor del Rey(国王付きの画家)に任命します。この後、ベラスケスは37年間、宮廷画家として、さらには宮廷役人の最高職の王室配室長として、61歳の生涯を全うします。
ベラスケスは1599年、セビーリャでポルトガルの下級貴族を父に持ち、生まれました。彼はこの地で画家としての修業を始め、いつか、宮廷画家を目指すようになっていました。同郷の宰相オリバーレス公伯爵の招へいで国王フェリペ4世の肖像画を描くチャンスを得て、見事、国王の信頼を勝ち得ることができました。29歳のとき、特使としてやってきたフランドルの大画家ルーベンスとの出会いで芸術について語り合い、彼からイタリア行を強く勧められます。国王の許しでベラスケスはヴェネツィア、ローマ、フィレンツェを訪れ、そこでイタリア芸術、すなわち、人体表現、空気遠近法、色彩表現などを学び、これを糧として、帰国後、ベラスケスは大きく飛躍します。傑作を次々と描きながら、ベラスケスの心には、再度のイタリア訪問の機会を求める気持ちが高まっていきます。1648年、フェリペ4世がハプスブルグ家のオーストリア皇女マリアーナと再婚することになり、その記念のための新しい装飾画を購入するために、ベラスケスは翌年、イタリアへ旅立ちます。イタリアで2年の夢のような日々を過ごしたベラスケスはフェリペ4世からの再三の帰国命令で後ろ髪を引かれるような気持ちでスペインに戻ります。帰国後は宮廷役人として重職をこなすためにあまり絵を描くこともできなくなります。そういう時期に57歳で描いた最後の大作が名画《ラス・メニーナス》です。1660年、王女の婚礼準備でフランスを訪れますが、帰国後、過労で体調を崩し、その年の8月6日に61歳の生涯を閉じました。

ベラスケスは生涯で120枚の油彩画を描きましたが、《ラス・メニーナス》を始め、宮廷画家として描いた傑作の数々がプラド美術館に収蔵されています。今回はプラド美術館の作品を通じて、彼の画業をたどってみましょう。

これは《東方3博士の礼拝》です。1619年頃、ベラスケス20歳頃の作品です。まだ、宮廷画家になる前、セビーリャ時代の作品です。この頃は宗教画を描いていたんですね。とても珍しいです。この作品を描く前年の1618年に師匠のパチェーコの娘フアナと結婚し、翌年、長女フランシスカが誕生。この作品は妻と娘をモデルに聖母マリアと幼な子イエスを描いたものとされています。とても美しい絵です。


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これは《黒衣のフェリペ4世》です。1623~28年頃、ベラスケス24~29歳頃の作品です。ベラスケスが宮廷画家になって、間もなく描いたフェリペ4世のほぼ等身大の肖像画です。とても引き締まった表現です。それにしてもフェリペ4世はいかにもハプスブルク家特有の顔立ちですね。出っ張った顎に厚い唇、垂れ目に大きな鼻。笑ってしまいます。


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これは《バッカスの勝利(酔っ払いたち)》です。1628~29年頃、ベラスケス29~30歳頃の作品です。ルーベンスに出合った頃か、イタリア訪問中に描かれたものでしょうか。バッカスを見ると、どうしてもカラヴァッジョの影響を感じてしまいます。明暗の表現が豊かになりました。


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これは《巫女(画家の妻フアナ?)》です。1632年頃、ベラスケス33歳頃の作品です。こういう横顔の女性像は珍しいです。画家の妻がモデルとも言われています。古典的な表現が目立ちます。


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これは《ブレダの開城(長槍)》です。1634~35年頃、ベラスケス35~36歳頃の作品です。この作品はオランダ南部の要衝ブレダの攻防戦で1625年にオランダがスペインに敗れたときの情景を描いています。中央右がスペイン軍の名将アンブロジオ・スピノラ、左がブレダ総督のユスティヌス・ファン・ナッサウです。敗れたナッサウが城門の鍵を渡しているのに対して、スピノラが肩に手を置き、ねぎらっています。潔い情景です。画面の右端の人物が画家の自画像だと言われています。


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これは《狩猟服姿のフェリペ4世》です。1634~35年頃、ベラスケス35~36歳頃の作品です。フェリペ4世は狩猟と女遊びが趣味という遊び人だったそうです。国民は重税にあえぎましたが、国王の遊び好きの副次効果として、芸術と文化が大いにスペインに栄えたそうです。物事の裏と表ですね。


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これは《狩猟服姿のフェルナンド親王》です。1635年頃、ベラスケス36歳頃の作品です。マドリッド郊外の狩猟休憩塔の壁面を飾るために描かれた作品のひとつ。フェルナンド親王はフェリペ4世の弟。みんな、遊び好きだったようです。これでは、大王国スペインも傾きますね。


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これは《馬上のバルタサール・カルロス皇太子》です。1635~36年頃、ベラスケス36~37歳頃の作品です。皇太子5、6歳のときの騎馬像ですが、いかにもリアル感がありません。名画家ベラスケスといえども、国王に仕える肖像画家として、こういうものも描かざるを得なかったんですね。我々、庶民も信念に反して、生活のために志を曲げることもあります。天才画家もやはり、人間ですからね。バルタサール・カルロス皇太子はフェリペ4世とイサデル・デ・ブルボン王妃の間に生まれた長男です。この作品はブエン・レティロ宮殿(今は焼失)の《諸王国の間》に、両親の騎馬像とともに飾られていました。


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これは《イサデル・デ・ブルボン王妃騎馬像》です。1635~36年頃、ベラスケス36~37歳頃の作品です。この作品もブエン・レティロ宮殿の《諸王国の間》に、王と息子の騎馬像とともに飾られていました。


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これは《道化フアン・カラバーサス》です。1636~38年頃、ベラスケス37~39歳頃の作品です。道化や矮人も宮廷に雇われていました。ベラスケスは彼らの肖像も手を抜くことなく、リアルに描き上げました。


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これは《オリバーレス公伯爵騎馬像》です。1638年頃、ベラスケス39歳頃の作品です。ベラスケスのパトロンであった宰相オリバーレス公伯爵の騎馬像です。この色彩の美しさはイタリア訪問で学んだ表現のひとつです。


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これは《セバスティアン・デ・モーラ》です。1644年頃、ベラスケス45歳頃の作品です。これも道化・矮人シリーズの1枚。


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これは《ローマのヴィラ・メディチの庭園、アリアドネのパビリオン》です。1649~50年頃、ベラスケス50~51歳頃の作品です。2度目のイタリア訪問時に描いた作品。まるで未完成のように見えるほど、粗いタッチで描いた風景画です。フランス印象派の作品を先取りしたような作品と言えます。


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これは《ラス・メニーナス(女官たち)》です。1656年頃、ベラスケス57歳頃の作品です。ベラスケスの代表作であり、プラド美術館最高の至宝です。こればかりは本物を見ないとその本質は分かりません。とても大きな作品で、画面の隅々まで見所が満載です。これまで写真や画像で見ていたのとあまりに印象が異なるのに驚かされました。正直言って、素晴らしい作品かどうかは分かりませんが、実に面白い作品です。しばらく、じっと見入っていました。画面の中心はマルガリータ王女。彼女はこのとき5歳。ベラスケスの自画像も印象的です。女官たちも実も印象的。特に王女の右にいる女官に惹きつけられました。手前の犬も大変、存在感があります。


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これは《ラス・メニーナス(ベラスケスによる)》です。1957年、ピカソの作品です。ピカソは《ラス・メニーナス》にインスピレーションを得て、44枚の連作を描きましたが、これはその1枚。バルセロナのピカソ美術館に所蔵されています。あのピカソもこの《ラス・メニーナス》をたいそう気に入ったようですね。何故か、ベラスケスの姿は省略されています。


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これは《アラクネの寓話(織女たち)》の部分です。1657年頃、ベラスケス58歳頃の作品です。《ラス・メニーナス》と並ぶ晩年の代表作と言われています。この作品は当初、織物工場を描いたものとされていて、《織女たち》と呼ばれていました。しかし、実は神話画だったんです。とても内容が難しい絵です。織物が得意なアラクネが学芸の女神ミネルヴァに挑み、怒りを買って、糸を紡ぐ蜘蛛(アラクネ)に変えられるという話を描いたものです。画面構成が深い内容を持っているようですが、絵として、saraiの好みではないので、これ以上、深入りはやめましょう。


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これは《マルガリータ王女》です。1660年頃、ベラスケス61歳頃の作品です。この作品がベラスケスの絶筆になりました。この作品はウィーン美術史美術館にある《青いドレスのマルガリータ王女の肖像》の描かれた翌年に描かれましたが、弟子にして娘婿(長女のフランシスカと結婚)のデル・マーソが最後に筆を加えて完成させたそうです。昨年、ブダペスト国立美術館でそのフアン・バウティスタ・マルティネス・デル・マーソが描いた《緑のドレスのマルガリータ王女の肖像》を見ました。そのときの記事はここです。デル・マーソの描くマルガリータは師匠のベラスケスそっくりです。あっ、このプラド美術館で見るつもりだったデル・マーソの描いた《黒い喪服姿のマルガリータ王女》をちゃんと鑑賞するのを忘れてたっ!!


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プラド美術館で膨大なベラスケスのコレクションを見て、彼の画業を網羅することができました。プラド美術館の鑑賞も半ばは終えたようなものですが、あと一人、ゴヤは外せませんね。それは次回で。









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07/08 15:53 じじい@

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久々のコメント、ありがとうございます。
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06/18 12:46 sarai

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06/18 08:33 五十棲郁子

 ≪…明恵上人…≫の、仏眼仏母(ぶつげんぶつも)から、百人一首の本歌取りで数の言葉ヒフミヨ(1234)に、華厳の精神を・・・

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