クルレンツィスが目指す道 モーツァルトのオペラ《ドン・ジョヴァンニ》@ルツェルン音楽祭 2019.9.14
クルレンツィスは意外にも、オーケストラ以上に歌手の歌唱に気を配っています。ウィーンでの演奏を踏まえて、歌手の歌唱のレベルの等質化を図ったように感じます。男声陣では、ドン・ジョヴァンニ、レポレッロ、マゼットという3人のバリトンが渋みを増した張りのある歌唱にレベルアップ。一昨日聴いた《フィガロの結婚》でのバリトン歌手たちのレベルの高い歌唱と並ぶものです。女性陣では素晴らしかったドンナ・アンナ役のナデージダ・パヴロヴァがさらに際立った歌唱を聴かせてくれます。また、ドンナ・エルヴィーラがウィーンとは見違えるような素晴らしい歌唱。とっても重要な役どころですから、クルレンツィスが磨きをかけたに相違ありません。さらにツェルリーナ役のクリスティーナ・ガンシュが本来の実力を発揮して、透明で美しい響きの歌唱を聴かせてくれます。ウィーンでの歌唱を上回るものです。結局、ソプラノ3人、バリトン3人の素晴らしい歌唱でウィーン以上に完成度の高い演奏になりました。テノールのケネス・ターヴァーはウィーンと同様の素晴らしい歌唱です。
オーケストラもさらに鮮鋭さを増した究極の響き。序曲冒頭のシリアスで劇的な響きは驚異的。途中で切り換わる軽快に疾走する表現も戦慄を覚えるほどです。
一体、クルレンツィスはどれほどの高みの演奏を目指しているんだろうと驚きを禁じ得ません。クルレンツィス以前はモーツァルトのオペラと言えば、ちょっと言い過ぎかもしれませんが、軽妙で気楽に聴く音楽の代表のようなものであったように思います。しかし、クルレンツィスはその価値の転換を図り、精妙で深さのある音楽、ある意味、聴くものにとって、その中身を理解するのがとても難しい音楽に変質させてしまいました。今日の《ドン・ジョヴァンニ》だけのことを言っているのではなく、ダ・ポンテ3部作のすべて、あるいはモーツァルトのオペラすべてがそうです。そういうことを感じながら、それでも、まだ、クルレンツィスの天才はどこにあるのかをsaraiは考え続けています。
今日のキャストは以下です。(ウィーン・コンツェルトハウスと共通)
モーツァルト:歌劇『ドン・ジョヴァンニ』 K.527 全曲
ディミトリス・ティリアコス(バリトン/ドン・ジョヴァンニ)*
ロバート・ロイド(バス/騎士長)
ナデージダ・パヴロヴァ(ソプラノ/ドンナ・アンナ)
ケネス・ターヴァー(テノール/ドン・オッターヴィオ)*
フェデリカ・ロンバルディ(ソプラノ/ドンナ・エルヴィーラ)
カイル・ケテルセン(バリトン/レポレッロ)
ルーベン・ドローレ(バリトン/マゼット)
クリスティーナ・ガンシュ(ソプラノ/ツェルリーナ)*
ムジカエテルナ
ムジカエテルナ合唱団
テオドール・クルレンツィス(指揮)
ニーナ・ヴォロビオヴァ(演出)
*クルレンツィスのCDでも同一キャスト
第1幕ではドンナ・エルヴィーラ役のフェデリカ・ロンバルディの深い響きの歌唱が印象的でした。しかし、それ以上にムジカ・エテルナの響きの豊かさ(あらゆる意味で)が驚異的なレベルに達していました。ゾーンに入った演奏で、どこをとってみても文句のつけようがないどころか、どうしてこんな音楽表現ができるのか、saraiの理解をはるかに超えた超絶的な演奏です。終幕の7重唱は歌唱もオーケストラも最高の音楽に昇華しています。しかし、聴く側のsaraiも疲れる!!
第2幕では、ドン・ジョヴァンニのセレナードが素晴らしくてうっとり。そして、ドンナ・アンナを歌うナデージダ・パヴロヴァの歌唱がウィーンでの歌唱をさらに超えて、異次元のレベル。その澄んだ透明な声の響きの美しさ、そして、コロラトゥーラの超絶技巧の限りを尽くした歌唱は驚異的です。これからのモーツァルトのオペラは彼女の存在を抜きにしては語れないでしょう。大変なソプラノ歌手が出現したものです。これが聴けただけでもルツェルン音楽祭に足を運んだ甲斐がありました。こういう歌手を抜擢し、その歌唱と音楽表現を指導したクルレンツィスは音楽界のカリスマであるだけでなく、新時代の帝王にふさわしい逸材と言えるでしょう。
今日も終盤の地獄落ちで、クルレンツィス&ムジカエテルナの凄まじい音響と音楽が炸裂します。身震いを覚えるような迫力で、終幕。ウィーンと同様にウィーン版のエンディングです。やがて、カーテンコールで満場、スタンディングオベーション。と、クルレンツィスがプラハ版のエンディングの演奏を始めるかと思うと、さにあらず。騎士長役のロイドを指さすと、ロイドがウィーン版のエンディングでしたとコール。そうです。ここはウィーンではないので、ウィーン版の説明が必要とクルレンツィスが考えたのでしょう。で、プラハ版のエンディングの演奏が始まります。
やはり、プラハ版のエンディングは必要です。ドンナ・アンナを歌うナデージダ・パヴロヴァの美しい歌唱が再び聴けるからです。あらゆる意味で、満足しました。
予習したCDはもちろん、クルレンツィス。キャストは以下です。
ディミトリス・ティリアコス(バリトン/ドン・ジョヴァンニ)
ヴィート・プリアンテ(バリトン/レポレッロ)
ミカ・カレス(バス/騎士長)
ミルト・パパタナシュ(ソプラノ/ドンナ・アンナ)
ケネス・ターヴァー(テノール/ドン・オッターヴィオ)
カリーナ・ゴーヴァン(ソプラノ/ドンナ・エルヴィーラ)
グイード・ロコンソロ(バリトン/マゼット)
クリスティーナ・ガンシュ(ソプラノ/ツェルリーナ)
ムジカエテルナ
テオドール・クルレンツィス(指揮)
録音時期:2015年11月23日~12月7日
録音場所:ペルミ国立チャイコフスキー・オペラ&バレエ劇場
録音方式:ステレオ(デジタル/セッション)
(以下の内容は既に書いたものです。自分の文章を2度もパクりました。ごめんなさい。)
クルレンツィス&ムジカエテルナのモーツァルトのオペラ、ダ・ポンテ3部作の第1弾の《フィガロの結婚》の録音は2012年9月でしたから、3部作の締めくくりになる、この《ドン・ジョヴァンニ》はその3年後ということになります。この3年の間のクルレンツィス&ムジカエテルナの躍進ぶりがこの録音に現れています。きびきびした序曲の開始は同じですが、その演奏精度の向上がはっきりと分ります。妙にデモーニッシュになり過ぎず、その明快ですっきりした演奏に魅惑されます。序曲が終わり、ドン・ジョヴァンニとレポレッロが登場しますが、その明暗がくっきりとした上質とも思える演奏に驚愕します。モーツァルトでこんな演奏が可能なんですね。ドン・ジョヴァンニは終始、ソット・ヴォーチェを駆使して、その色男ぶりを強調します。ドンナ・アンナとドン・オッターヴィオの美男美女を思わせる美声コンビの歌唱も見事。《フィガロの結婚》では若干、違和感を感じたフォルテピアノもこのオペラでは実に有効に機能します。そう言えば、一昨年のザルツブルク音楽祭で聴いた《皇帝ティトの慈悲》でもフォルテピアノが見事でした。記憶が蘇ってきます。こんなに繊細さを極めたような《ドン・ジョヴァンニ》は初めて聴きます。実に新鮮で、かつ、このオペラの本質を突いているように感じます。第1幕のフィナーレの7重唱を聴いていると、saraiの頭が混乱してきます。えっ、こんな曲だったっけ? 何という発想の演奏でしょう。複雑かつ究極の精度の恐るべき演奏です。結局、この高い精度を保って、第2幕も素晴らしい演奏が続きました。これまで聴いてきた《ドン・ジョヴァンニ》とは、一線を画す演奏です。というよりも、モーツァルトのオペラで、こういう演奏が可能だったとは予想だにできなかった演奏です。一昨年のザルツブルク音楽祭での《皇帝ティトの慈悲》でsaraiの音楽の価値観がひっくり返された意味がじわっと分かってきたような気がします。やはり、これまでの音楽演奏とは、まったく次元の異なる演奏です。やはり、クルレンツィスの音楽の原点はモーツァルトのオペラにこそ、ありそうです。
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