梅雨の時期に行く京都の旅:大原の里を後にして、美味しい京風イタリアンshuhari@三条京阪
額縁庭園の宝泉院を出て、最後に勝林院に向かいます。勝林院は宝泉院からもと来た道を戻れば、すぐそこです。
勝林院の横手に出ました。勝林院の本堂の立派な建物が間近に見えます。入口は正面にあるので、そちらに回りましょう。

勝林院の正面の入口に出ました。実にオープンなお寺で、ここから全容が見えます。ここでsaraiのケチな根性が出て、配偶者とも以心伝心で目が合います。こっくりと首を下げて、黙ってここから立ち去ります。ほとんど見えたので、見学料を払って見るほどのことはないねってことです。学生時代のsaraiと配偶者はいつもこの調子で、京都中のお寺を巡ったにもかかわらず、中を拝見したのはほんのわずかでした。
勝林院さん・・・ごめんなさい!

勝林院からさらに道を戻り、実光院の工事中の正門前を過ぎていきます。

実光院を過ぎると、律川の橋を渡ります。

橋の上からは陽に水面が輝く律川の清冽な流れが見えました。きらきらした光の粒が綺麗です。

律川を過ぎると、やがて左手に三千院の堂々たる門が石段の上に見えてきました。まだ門は開いているようですが、入場は終わっているようです。

三千院の門前の通りには人影が見えません。美しい青もみじの姿が見えるのみです。観光客で賑わうよりもこの森閑とした静けさのほうがよく似合っています。

三千院を過ぎて呂川にぶつかり、そのから呂川沿いの道を戻りますが、ここにも人はほとんどいません。

道沿いの志ば漬屋さんの志ば久はもう店仕舞の後片付けです。まだ5時前で陽も高いのですけどね。三千院の閉門に合わせて皆さん終了のようですね。
ところで、この大原にある川の名前、呂川と律川ってなんだか変わった名前だと思いませんか。saraiは昔邦楽をやっていたので、音律を想像してしまいました。すると、道の傍らにその答えが書いてありました。この大原の地は仏教音楽の天台声明(しょうみょう)の発祥の地だそうで、和楽の旋法に因んで川の名前が付けられたとのことです。「呂律(ろれつ)がまわらない」というのは調子はずれの意味ですが、その呂律も同様に邦楽の音律のことです。

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この一口知識を教えてくれた看板は志ば漬屋さんの志ば久が立てた「なるほど!大原の里」シリーズの看板でした。
さらにこの先にも「なるほど!大原の里」シリーズの看板がありました。今度はしそ畑の説明です。大原は志ば漬や梅干しの材料のしその日本一の産地だそうです。

大原のバス停に戻ってきました。三千院側から待合所にはいると、午前中に訪れた寂光院への参道の案内が見えました。

ここからまたバスに揺られて京都に帰りましょう。
三条京阪でバスを降ります。京阪電車が地下鉄になり、三条京阪駅が地上に無くなった跡地は何になっているのでしょう・・・お洒落なレストランエリアになっているようです。

その中に、京風イタリアンのお店があります。お店のメニューを見ると、急に小腹も空いてきたので、寄ってみることにしました。

shuhariというモダンな名前のお店ですが、お店の中もモダンな作りになっています。まだ夕食には早い中途半端な時間のせいか、お店にはほとんどお客さんがいません。お店のお姉さんからどこでもどうぞと言われ、窓際にある座り心地のよさそうなソファの席をお願いしました。大原を歩きまわって疲れた体がソファに沈み込みました。

saraiはアナゴのバルサミコ酢丼です。

配偶者は角煮と九条ネギのパスタ。

どちらもなかなか美味しかったです。レストランから見える中庭には握りこぶしほどの石が敷き詰められています。京阪電車の敷石ではないかなどと昔を懐かしく思いだしながら眺めて過ごしました。
またぶらりぶらり歩きながら、途中のセブンイレブンで朝食や飲み物を仕入れリゾートマンションに戻ります。
宿では、ワインを飲みながら残っていたおばんざいを片付け、ブログを書いて・・・オヤスミナサイ!
さてさて、明日はどこに行きましょう。京都の旅はまだ続きます。
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