ハンブルク市立美術館:ココシュカ、カンディンスキー、そして、クレーの傑作《金色の魚》
今日はハンブルクHamburgでゆったり散策。まずはハンブルク市立美術館Hamburger Kunsthalleで名画鑑賞。
2階の常設展示室で20世紀の作品の展示を見て回っているところです。
ドイツ表現派の一人、エミール・ノルデのコレクションを見たところです。この後からは名作が揃いますからね。ココシュカ、カンディンスキー、クレーと続いていきます。
オスカー・ココシュカの《娘と粘土人形》。1922年、ココシュカ、36歳頃の作品です。表現主義の画家のひとりとして、ここにココシュカの作品が展示されているんですね。虚を突かれた思いです。ココシュカと言えば、saraiにとって、《風の花嫁》(バーゼル市立美術館所蔵)がすべてです。saraiの最愛の絵画です。マーラー未亡人のアルマへの燃えるような愛が昇華した作品ですが、現実では、ココシュカが第1次世界大戦の過酷な従軍から戻ると、アルマは別の人物(ヴァルター・グロピウス)と結婚していて、彼の恋愛は成就することはありませんでした。しかし、思い詰めたココシュカにとって、アルマは永遠の恋人。その思いは奇怪な形で結実します。アルマを象った人形を女性作家ヘルミーネ・モースに制作を依頼します。化け物のような人形が出来上がり、ココシュカはそのアルマ人形に魅入られたようになります。結局、その人形との生活は3年ほど続きますが、この作品、《娘と粘土人形》はそのアルマ人形を破棄した頃のものです。この作品は女性彫刻家アンゲリカ・ブルーノ=シュミットのアトリエで彼女が堕胎した子の毛髪を植え付けた粘土人形をココシュカに抱かせようとしたときの恐怖体験に基づいているそうです。娘が粘土人形を抱えている構図はピエタを連想するものです。ココシュカの人形に向ける千々に錯綜した複雑な思いが表現主義的に描き出されている、何とも言えない作品です。

ワシリー・カンディンスキーの《白い点(コンポジション248)》。1923年、カンディンスキー、57歳頃の作品です。カンディンスキーは青騎士時代を経て、この作品を制作した頃はバウハウスで教鞭をとっていました。青騎士からの仲間、クレーも同僚です。青騎士で抽象化を深めた彼の絵画はいよいよ、幾何学的な文様を用いた純粋な抽象絵画に向かいます。彼の代名詞でもある「コンポジションの時代」です。この作品も一連のコンポジションシリーズの一枚です。ジグザグの線、三角形、円、湾曲した形、孤立した直線が互いに接触または貫通する多数の連動要素を示しています。タイトル名の白い点は、黒で縁取られた抽象的な構成の右上隅に暗く曇った星のように浮かんでいます。作品全体は音楽のようなリズミカルな動きに満ちています。ピエト・モンドリアンと並んで、抽象絵画を確立した創設者の渾身の一枚です。

さあ、いよいよ、この美術館の目玉のパウル・クレーの《金色の魚》です。本当にクレーの才能に満ちた作品です。暗めに抑えられた色彩感が素晴らしいです。人が全然たかっていないのも凄いです。

1925年、クレー、46歳頃の作品です。クレーは1921年から1931年までバウハウスで教鞭をとりました。クレーをバウハウスに招聘したのは、ココシュカを失意のどん底に追い込んだアルマの再婚相手のヴァルター・グロピウスでした。グロピウスは近代建築を代表する大建築家でバウハウスの初代校長を務めていました。その傍らにはアルマがいたわけですね。ともあれ、このバウハウス時代はクレーが絵画の探求に打ち込んだ時代で、クレーの黄金時代と言えます。その時期に生み出された大傑作がこの《金色の魚》です。暗い海の中でまるで発光しているかのように存在感を発揮している魚の神々しさは圧倒的です。誰がこれだけの画力を持ちえたでしょう。もう、これ以上の感想は必要ありませんね。
クレーの作品が続きます。
パウル・クレーの《岩の多い海岸》。1931年、クレー、52歳頃の作品です。バウハウス時代の終わり頃の作品ですね。幾何学的に抽象化されていますが、そのデザイン的な構成の妙で美しい具象作品にも思えてしまいます。大きな3角や4角の構図で、画面いっぱいに小さな点が描画されているのはクレー独特の作風です。この作風をとことんまで追求した名作《パルナッソス山へ》(ベルン美術館)はこの作品の翌年に生み出されます。

パウル・クレーの《町の中心》。1937年、クレー、58歳頃の作品です。バウハウスからデュッセルドルフに移ったクレーはナチスの弾圧にさらされます。スイスのベルンに逃れますが、銀行口座も凍結され、病に倒れます。そのクレーがようやく復調し、再び、旺盛な制作活動に戻ったのが、この1937年のことです。もう彼に残された日々は短いのですが、最後の芸術活動で幾何学的な抽象絵画に取り組んだのがこの作品です。

パウル・クレーの《高架橋の革命》。1937年、クレー、58歳頃の作品です。上の作品と同時期の抽象的な作品です。高架橋のアーチが並んでいます。しかし、そのアーチは不規則に並び、橋脚も異様な細さで描かれています。高架橋の頑丈で機能的なアーキテクチャが破壊された姿で描かれているようです。戦争が迫る不穏な情勢を描き出すとともに、画家自身の不安な感情を表現しているかのようです。

この後、クレーは原因不明の難病である皮膚硬化症が悪化していき、それでも創作活動を続けますが、3年後にロカルノ近郊のサンタニェーゼ療養所で不遇な死を迎えます。希代の天才芸術家は不遇な人生の中で我々に素晴らしい遺産を残してくれました。
さあ、最後にもう一度、名作《金色の魚》を見ておきましょう。何という輝かしさでしょう。

今回の旅はクレーに縁のある旅になりました。
それでも、ハンブルク市立美術館のコレクションはまだまだ続きます。
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