ハンブルク市立美術館:コローの銀色の靄の風景
今日はハンブルクHamburgでゆったり散策。まずはハンブルク市立美術館Hamburger Kunsthalleで名画鑑賞。
2階の常設展示室で20世紀の作品の展示から古典的な絵画の展示に移りました。ドイツ絵画を見終えて、次はフランス絵画です。
まず、最初に登場するのは、自然派・写実派のジャン=バティスト・カミーユ・コローです。彼は3度のイタリア訪問を経て、風景を心象風景として捉える新たな画法を身に着けました。その描く風景画には灰色もしくは銀色の靄がかかり、独特の世界観を示しました。彼のこの戸外で描く画法は印象派の画家たちに継承されていくことになります。もっとも、ぱっと見では、とても地味な風景画にしか見えないので、彼の真の価値を探り当てるのは難しい作業になります。
ジャン=バティスト・カミーユ・コローの《ヴィッラ・ドーリア・パンフィーリ》。1826/27年頃、コロー、29/30歳頃の作品です。ヴァティカン市国の南東、下町トラステヴェレ地区の東側にあるヴィッラ・ドーリア・パンフィーリ(Villa Doria Pamphilj ドーリア・パンフィーリ公園)は公共の公園としてはローマで最大の面積を持ちます。ヴィッラは他の多くのローマの庭園と同じように、ローマ貴族パンフィーリ家に起源を持ちます。ローマ教皇インノケンティウス10世の甥、カミッロ・パンフィーリ枢機卿は、1630年代の初めに現在の場所に幾ばくかの土地を購入しました。園内には様々な種類の樹木が生い茂っています。数百本のカシなどが並ぶ散策道は、美しい景色になっています。若きコローはその風景を描きましたが、後年の灰色もしくは銀色の靄がかかったようなファンタジックな作品とは縁遠いような凡庸な絵画になってしまっている印象です。

ジャン=バティスト・カミーユ・コローの《瞑想》。1855/60年頃、コロー、58/63歳頃の作品です。画面の4分の3を占める若い女性の姿は、肖像画と風俗画の間で揺れ動きます。コローの人物像を描いた作品数は少ないため、ファンタジー・フィギュアー(幻想的な人物像とでも訳すのかな)と呼ばれています。空想的な人物像で、誰かの肖像を描いたのではなく、瞑想的で内省的な態度が理想化され、非人格化された人物の画像であり、憂鬱、詩、または感覚の純粋な感情と象徴として理解するべきものです。若い女性は、不明確な風景の前で、自分の考えに迷い込んで座っています。女性の視線は明確に向けられていますが、彼女は夢想に沈んでいるようです。コローの人物像は物理的には存在しないもののように見えます。このように、描かれた人物像はそのものではなくて、まるで投影スクリーンにようになり、共感と想像力の助けを借りて、見るもの自身がイメージを作り上げます。

ジャン=バティスト・カミーユ・コローの《バラを持つ娘》。1860/65年頃、コロー、63/68歳頃の作品です。彼の夢のように素晴らしい風景画に加えて、コローは油絵によるスケッチでも有名です。バラを持つ少女は彼のスタジオでモデルをしています。自信を持って構成された画面は、中心から端に向かって徐々にゆるやかにスケッチされています。シンプルなドレスとシンプルなジュエリーを身に着けている女性の顔は影付で暗くなっています。むき出しの肩越しに、デコルテに光が当たり、右手でドレスのネックラインの前にバラを抱きます。絵画の右端の半暗闇で、彼女はもう一方の手で髪に触れます。そこから、コローは赤いイヤリングの色のアクセントを見つめた後、中央の花に戻ります。少女の自分自身に閉じこもった態度と逸らされた視線によって、鑑賞者はこの少女に心理的に近寄ることができ、同時に少女自身が描かれたフレームを凝視することになります。

ジャン=バティスト・カミーユ・コローの《ヴィル=ダヴレー (Ville-d'Avray)の湖》。1861〜69年頃、コロー、64/72歳頃の作品です。この作品は、コローがパリ近郊のヴィル=ダヴレーにある、両親から譲り受けた邸宅に住んでいた頃に描かれたものです。静かな湖面と遠くにある田舎の屋敷など、ありふれた風景が描かれています。
コローは風景を描くことで、描かれた光や空気の平和的な静けさにより、鑑賞者自身が自然界に溶け込んでいるという恩恵を感じさせることができました。緑、銀、黄土色の明るい調和がこの作品をより柔らかくしています。湖の手前の岸辺に座っている人物はコロー自身でしょうか。

ジャン=バティスト・カミーユ・コローの《渡し守》。1868年頃、コロー、71歳頃の作品です。この物悲しさを呼び起こす、サンリス近郊にあるモルトフォンテーヌの沼の風景は、震えるような軽やかな筆遣い、靄のかかった雰囲気といった、1850年以降のコローの作品における特徴を表わしています。灰色もしくは銀色の靄のかかった独特の画法はコローが生み出した最終的な到達点でした。コローはアトリエで、エルムノンヴィルの近郊に位置するモルトフォンテーヌにある沼を思い描き、繰り返し、そのイメージを絵画として描きました。そこは画家が水面の反射と光の効果を研究するために、1850年以降繰り返し訪れた場所です。この作品は画家がこの地で得たイメージをもとにして、心の中に特別に再構成して描いたもので、単純な写実とは大きくかけ離れたものです。そういう意味では印象派の先駆けとなったものです。

フランス絵画はクールベ、ミレー、テオドール・ルソーと続きます。
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