ハンブルク市立美術館:セザンヌ、マネ、ドガ、モネ
今日はハンブルクHamburgでゆったり散策。まずはハンブルク市立美術館Hamburger Kunsthalleで名画鑑賞。
2階の常設展示室で20世紀の作品の展示から古典的な絵画の展示に移りました。現在、フランスの印象派を中心とした画家たちの作品を鑑賞しています。
ポール・セザンヌの《パリのベルシー河岸》。1875/76年頃、セザンヌ、36/37歳頃の作品です。この作品では、パリのセーヌ川のほとりが描かれています。画面の中央には、5つのアーチが連なるナシオナル橋の手前に、広い空に突き出ているクレーンが高くそびえています。セザンヌは、ハンブルグ市立美術館にある友人のアルマン・ギヨマンによる印象派の絵画のコピーとしてこの絵を作成したため、これは特に興味深いものです。構図はまったく同じで、色合いとタッチがセザンヌ風に変わっています。
エドゥアール・マネの《ナナ》。1877年頃、マネ、45歳頃の作品です。この作品では、ほぼ等身大のペチコートとコルセット姿の高級娼婦ナナ、エレガントなストッキング、おしゃれな靴が中心に描かれています。鏡の前で彼女は化粧をするのに忙しく、広げた小指でパフと口紅を誇示しています。彼女の後ろで、スーツとシルクハットを着た次の顧客がソファで彼女を待っています。この作品は1877年のサロンに応募し、『オランピア』と同様、高級娼婦を描いた自然主義的な主題の作品でしたが、サロンに落選しました。この年のサロンには、『ハムレットを演じるフォール』が入選しました。
エドゥアール・マネの《アンリ・ロシュフォールの肖像》。1881年頃、マネ、49歳頃の作品です。アンリ・ロシュフォールはフランスの政治家・ジャーナリスト。激動期のフランスで数奇な運命をたどります。この肖像が描かれたときはパリ・コミューンの首謀者としての罪を問われていたのが、恩赦が決まり、フランスに帰国、熱狂的な歓迎を受けます。第三共和政下では極左派の論陣を張り、活躍しました。
エドガー・ドガの《女性の肖像の習作》。1867年頃、ドガ、33歳頃の作品です。ドガの初期の作品です。しかし、なかなかの出来栄えです。
エドガー・ドガの《ジョゼフィーヌ・ゴージェリン》。1867年頃、ドガ、33歳頃の作品です。この絵画も上の作品と同様に肖像画の表現のための習作です。この習作では、ドガは顔の特徴に焦点を当てました。顔の特徴は、アーチ型の額が特徴的です。 瞳は暗く懐疑的で、非対称の唇はしっかりと閉じています。 そういう表現の中で、ドガは、理想的な美しさに関係なく、モデルの特徴を捉えようとしました。モデルのジョゼフィーヌ・ゴージェリンは、パリオペラ座のダンサーでした。
クロード・モネの《梨とブドウ》。1880年頃、モネ、40歳頃の作品です。屋外絵画で有名なクロード・モネは、1878年から1882年まで、静物画のジャンルのみを集中的に取り組んでいました。ナシやブドウなどを構成した静物画で、彼はこのジャンルで一歩突き抜けることができしました。画面に斜めに置かれた白いテーブルクロスを備えたテーブルは、絵画の幅全体に広がり、見る人に向かって傾むいています。モネは梨、ぶどう、りんごを装飾的なシダの葉の上に置き、明るくシンプルな背景のもと、自由にキャンバス上に素材を広げました。彼はテーブルクロスを強く白い線で描きましたが、果物は細かく区別されたブラシワークと色彩の視覚的効果によって表現されています。ブドウの反射と青い影のある赤いリンゴは、印象派の特徴であるきらめく光の効果を高めています。
クロード・モネの《ウォータールー橋》。1902年頃、モネ、62歳頃の作品です。モネは1899年秋から毎年のようにロンドンを訪れて、ロンドンを題材に100点を超える連作を制作しました。この作品で描いたテムズ川にかかるウォータールー橋も主要な題材のひとつでした。霧に包まれた光が印象的な連作は印象主義の到達点として、歴史に残る傑作です。1899年から1901年の間に、モネはロンドンのサヴォイホテルの同じ部屋を繰り返し借りました。その窓からはテムズ川を一望できます。ロンドンのウォータールー橋の眺めは、現在42のバージョンで存在しています。
これでフランス絵画は一区切り。次はクノップフなどのベルギーの作品、ミレイ、ロセッティなどのラファエル前派やバーン・ジョーンズの作品に移ります。
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