パウル・クレー・センター:クレーの最晩年の作品
ベルンBern郊外のパウル・クレー・センターZentrum Paul Kleeを訪れ、クレーの作品を鑑賞しています。制作年順にご紹介しています。バウハウス時代、デュッセルドルフ時代、そして、スイス亡命後の苦難の時期、さらにクレーの最後の3年間、1938年、1939年、1940年の作品をご紹介しているところです。なお、年号の後ろのカッコ内の数字はクレーの作品に付けられた整理番号です。
クレーの最後の1年間、1939年~1940年の作品をご紹介します。今回でパウル・クレー・センターの作品紹介は完了します。
《悲劇的なステップ》。1939年(1156)、クレー60歳頃の作品です。女性の歩みを簡明に描いています。この歩みが何か悲劇的な一歩になるんでしょうか。この頃の作品は時代の状況とクレー自身の境遇から、ほとんどが哀しいイメージの作品になっています。

《抜け目のない計算》。1939年(1243)、クレー60歳頃の作品です。いかにもずるそうな人物が描かれています。しかも計算高い笑みをこぼしています。

《意気揚々》。1939年(1251)、クレー60歳頃の作品です。タイトル通り、元気溌剌な人物が描かれています。しかし、画面の右側には喪服のような黒い衣服の女性も描かれています。元気そうに振舞っているクレー自身が描かれているようですね。もはや、クレーの余命は1年もありません。

《失敗した逆立ち》。1939年(番号なし)、クレー60歳頃の作品です。タイトルの通り、逆立ちに失敗して、複雑な姿で倒れ込んでいる姿が描かれています。翼はありませんが、天使の姿と言ってもよさそうです。

《ピエロと獣》。1940年(160)、クレー61歳頃の作品です。ピエロと言っても、これは天使のようです。小さな獣が天使の姿に驚いて、吠えて威嚇しようとしていますが、その獣を逆に天使が威嚇しています。何ものにも負けない不屈の精神を描き出そうとしています。

《無題》。1940年(番号なし)、クレー61歳頃の作品です。太い線で描かれた作品です。ワニのような猛獣に襲われた人物が描かれています。万事休すの態です。クレーはこの年の6月29日に苦難に満ちた人生を終えます。

《パペット人形》。1919年~1925年、クレー40歳~46歳頃の作品です。クレーは息子のフェリックスのために1916年から1925年の間に約50体のパペット人形を作りました。現在残っているのは30体ほどです。ここでは7体のパペット人形が人形劇と題して展示されていました。
左から順に制作年と作品タイトルは以下です。
1921年、バグダッドの床屋
1924年、黒い精霊
1922年、鼻輪付き手袋の悪魔
1919年、桂冠詩人
1921年、サルタン
1925年、俗物小市民
1922年、エミー・"ガルカ"・シャイヤー像

いつもながら、素晴らしい作品群が展示されていますね。バーゼルで気落ちしたsaraiもこのクレーの作品に大いに感銘を受けました。
会場ではチャップリンの無声映画も上映されています。『黄金狂時代』(1925年)でチャップリンが靴を煮て、ナイフとフォークで食べるシーンが印象的でした。これを見たお陰でこの後の旅でそれをテーマとしたチョコレートに遭遇して、その意味を理解できることになります。
帰りにsaraiは、是非クレーのポスターを買って帰りたいと思いますが、まだまだ先の長い旅。そんなものを持って、どうやって移動するつもりなのかと配偶者にたしなめられます。で、クレーの特徴的な天使の絵ハガキを購入して、我慢。これはその1枚。忘れっぽい天使(Vergesslicher Engel)です。1939年に描かれました。

これで満足して、パウル・クレー・センターを出ます。ルツェルンに帰りましょう。
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