東京都交響楽団定期演奏会@サントリーホール 2012.8.28
実はこの日の現代音楽のコンサートを別の日のコンサートに振り替えようと都響の事務局に電話したところ、振替先の9月のコンサートはインバルのマーラー・チクルスの1回目の「巨人」で既にソールドアウトで振替不可だったんです。
しぶしぶ、現代音楽のコンサートを聴いてみることにしました。
今日のプログラムは以下です。
ケージ:エトセトラ2(4群のオーケストラとテープのための)
《休憩》
一柳慧:ピアノ協奏曲第5番《フィンランド》-左手のための(世界初演)
ピアノ:館野泉
一柳慧:交響曲第8番《レヴェレーション2011》(フルオーケストラ版初演)
最初のジョン・ケージの作品ですが、サントリーホールが委嘱し、1986年にこのホールで世界初演したそうです。
本日の主役の日本人作曲家の一柳慧(いちやなぎ・とし)がニューヨークに留学中の師がジョン・ケージだったそうです。そういうわけで一柳慧の音楽のルーツ:源流であるジョン・ケージの作品を最初に取り上げることになったそうです。
ジョン・ケージは禅僧の鈴木大拙の教えを受けて、大変影響された作曲家で禅の思想による質素で枯れた音楽を志し、音楽での音の密度が希薄になるように構成しています。今日のエトセトラ2もその典型で、その構成で京都の龍安寺をイメージしているそうです。
ステージ上に楽団員が登場しますが、4つの塊になって、それぞれ別の4人の指揮者が立ちます。そして、楽団員のいでたちと言えば、正装どころか、ばらばらのカジュアルな服装です。
実に奇妙な形で音楽が始まります。いや、音楽と呼べるかどうか、saraiには判然としません。saraiの尺度ではアンチ音楽とも言えます。
緊張感がなく、求心力のない音が時折、ぱらぱらと鳴っているだけ。ベートーヴェンの音楽のようにきっちりと楽譜に書かれた音楽は押しつけがましく、暴力的であるとさえ、考えたようで、その対極を行けば、平和でユートピア的な理想の音楽が生まれるとケージは考えたようです。
4つに分かれたオーケストラは平等な立場で合計143発のトゥッティをバラバラに鳴らします。そのバックグラウンドではケージの仕事部屋で録音した日常音のテープが流されます。この音楽はそれだけのことです。興奮もなければ、感動もありません。ただ、たんたんと音が鳴っているだけ。
驚いたことにこの退屈とも思える時間、saraiは一向に眠気に襲われませんでした。平静で客観的な気持を保持できたからかも知れません。
音楽が終わり、一体、自分が何を聴いたのか、まったく分かりません。これはケージの思想かも知れませんが、saraiの考える音楽とは程遠いものです。ベルクやウェーベルンの無調音楽でも、何かしら、自分の心のなかに熱いものを感じますが、ここにはそれはないし、今後聴きこんでも、ある筈がありません。saraiにとって、音楽は美しく、熱いものですからね。
休憩後、ケージの弟子である一柳慧の作品です。きっと前衛的な作品であると身構えましたが、いずれもある意味、古典的で美しい作品です。
1曲目のピアノ協奏曲はピアニストの館野泉の委嘱作品で左手のためのピアノ協奏曲です。ピアノソロで始まりますが、メロディアスで雰囲気のある曲です。第2次世界大戦前夜から戦争中に作られた限界状況の緊張感に満ちた音楽と似た印象がありました。世界初演ということで、もちろん、saraiも初聴きです。この音楽の評価はできません。ただ、何故、前衛作曲家であった一柳慧が古典回帰とも思える作品を作ったのか、そのあたりは謎です。
2曲目の交響曲もピアノ協奏曲と似た雰囲気です。昨年の大震災を悼んで創った作品だそうですが、そんなに深い鎮魂は感じません。最終の第4楽章が上昇音の動機を繰り返しながら、フィナーレの高みで爆発していくところが印象的でした。この部分は再生を意味しているとのことです。
2曲も世界初演を聴いたのは初めてです。もっともsaraiは現代音楽のコンサートに積極的に足を運ばないから当然ですね。
今日はいつにない体験をしました。
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